May 31, 2005

スイカズラ:忍冬


 朝夕に犬の散歩に行く公園で、ネットフェンスとそのまわりの樹を白と黄色の花が包み込み、あたりは香りで満たされた。クチナシのように甘いがもっと穏やかでここちよい香り。スイカズラだ。こんなにかわいらしい花と香りをもちながら、なぜか雑草扱いをされて、この花たちも植えられたわけではなさそうだった。そばによって見るとその理由がわかる。甘さに惹かれるのはわれら人間だけではないらしく、アリマキのような黒い小さな昆虫ががいっぱいいる。しかも指先で茎に触れるとベトベトするのだ。 

 土曜日にクルマで関越道を新潟に向かったおり、埼玉県だったろう、スイカズラがいっぱい咲いているところがあった。開通以来どれほど関越を走ったか分からないほどなのに初めて気づいた。中央分離帯に、対向車の光をさえぎるため、進行方向と直角に幅1m高さ2mほどの大きさのネットが並び、それを白と淡い黄色の花が覆い尽くしている。窓のガラスを下ろしたがクルマまでは香りが届かなかった。
 日本語ではスイカズラを「忍冬」なんて書くというのは楽しいもんだ。ドウダンツツジは満天星でサルスベリは百日紅。幹の表面がつるつるになるからサルスベリだが夏のさなかに花期の長いことから百日紅だ。こんな多重表記法を持つ日本語あるいは漢字文化のありかたをみると、どうだきみたちにはできないだろうと西欧の言語に言ってやりたくなる。日本語は厳密さを欠き曖昧だ、だから君たちは・・・・・と批判されても甘んじて受け入れよう・・しかし、じつは豊かな意味に満ちているということがすてきじゃないか。
 スイカズラは二つの花が対になって並んで咲くし、同じ株に白い花と黄色の花がさく。だから、漢方では金銀花と書くそうだ。 なかなか一筋縄ではゆかないやつなのだ。

投稿者 玉井一匡 : 08:19 AM | コメント (2) | トラックバック

May 14, 2005

満州走馬燈

「満州走馬燈」 小宮清著 ワールドフォトプレス刊 1982年
aki's STOCKTAKINGでくわしく取り上げられたので、満州走馬燈をひさしぶりに読んだ。かつては拾い読みをしていったから、読んでいないところがたくさんある。こんどは註にいたるまでみんな読んだ。奥付を見ると昭和57年、1982年刊行で、もう23年前になるのだ。
 じっくり読み返すと、ほんとうに良くできた本、いい本だ。子供の視点、大人の視点、歴史的視点。それら3つがきちんと書かれていて、子供の視点を中心にすえている。終戦直後の日本でも、戦火のアフガニスタンやイラクでも、悲惨な環境にありながら多くの子供たちは明るい表情をしていた。この本を読むと、彼らの環境へのとてつもない適応力がなぜなのか分かる気がした。

大人にとってはつらいばかりの生活の中にさえ、こどもたちは楽しさと驚きを発見する。きっとこどもはそういうふうにできているのだ。生きてゆくためにまず必要なことは、生きるのはすてきなことなんだと思えることなのだから。
 主人公「きよし」(少年時代の著者)の記憶に刻まれたできごとや行動そしてモノを、具体的でていねいなイラストと文章で描写されている。それが全体で62項目あって、それぞれがかならずしも因果関係で結ばれることはなく独立している。それがいいんだ、きっと。たしかに、こどもの世界はひとつひとつのできごとが独立したデータベースのように一旦は完結していて、あるできごとある一日が終わるとまずはリセットボタンが押される。子供たちは立ち直りが早くて、しかもときに大人たちの驚くような視点をもつことがあるのは、そのためにちがいない。大人たちの経験は、それを得たときすでに他の多くの経験や知識とリンクされ意味づけされてしまうけれど、子供の世界では、それぞれが完結した経験は自由に組み合わせ変えることができるから。
 この本で、ぼくたちはまず満州でのたのしさやよろこびを発見することを知る。各章に1部ずつ、3ページ分の大きさの地図が綴じられている。ページが進んでも、拡げておけば地図をいつでも見ることができる。だから独立したそれらの経験を整理することができるのだ。それらをもとにして経験を組み立てると、さまざまな経験の背後になにがあったのかが感じられてくる。小さな字で描かれた、ときには数ページにわたるコメントは、そのちいさな地図の範囲を超えたところでなにが目論まれていたのか、何がなされていたのかを伝える。
 そのうえに、きよしの育った斑代開拓団の人たちがいかに悲惨な運命に遭ったのかを、生き残ったひとの手記と団員の消息のリストが具体的に語る。きよしの直接のものでない経験には、絵がない。しかしぼくたちにも充分な想像力ができている。
 中国の反日デモの背景に現在の中国の状況が潜んでいるにはちがいないが、しかしその底には日本への反感が生き続けているとしても当然のことだ。さらに、その中国人からの怒りと憎しみを引き受けた満州開拓団のひとたちがやっと帰り着いた戦後のこの国の、ぼくの子供時代を思いかえすと、「引揚者」に対してのまなざしは決して暖かいものではなかったように思う。だから、できるだけ多くの人にこの本を読んでほしいと思うけれど、文庫さえ新本がないというのは残念だ。
 つけ加えておきたいことがあった。大人と子供の世界の構成にあるもうひとつの違い。大人の世界は時間で構成されることが多く子供の世界は空間で構成されるのだと。この本の副題に「メモリーマップ」とあるけれど、それこそ、時間のなかにあるメモリーと空間を包み込んだマップを重ねたものがこの本なのだ。ぼくたち、建築に関わる人間がしなければならないことは、たいせつな時間に心地よい空間を加え、空間の中でいい時間がつくられる仕掛けをつくること、それが統合されていい「場所」というものがつくられるのだとぼくは考えている。

投稿者 玉井一匡 : 01:57 PM | コメント (2) | トラックバック

May 13, 2005

仔猫たち

 
友人の須曽明子さんから、こんなメールが来た。
 * * * * * *
玉井さま こんにちは。
突然ですが
アトリエの庭でネコが産まれていました。
2匹いて、親は夜来るようですが、子猫は弱っていく感じ(2日間見た感じ)
ここでは飼えないのでどうしたら良いものか?。
ネットで友達に呼び掛けていますが、
ブログを利用して里親さがしに御協力いただけないでしょうか?
親ネコが育てて、どこかに連れていってくれればいいのですが。。。
 * * * * *
と、いうわけで、やさしいかたはご連絡下さい。

投稿者 玉井一匡 : 08:34 PM | コメント (1) | トラックバック

May 11, 2005

自由学園明日館で

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 連休はじめの金曜日の夕方、自由学園明日館に行った。
あいだに道路をはさんで、明日館が講堂や婦人之友社などの低層の建物とつくる場所は、かけがえのない瞬間や記憶がぎっしりとつめこまれていながら夕日の光を包みこんでのびやかだった。さまざまな紆余曲折があったけれど、帝国ホテルのような建築の剥製のような形式ではなく、高い塀で囲われることもなく、人の集まる場所としてだれもが利用できるように残された。現在の日本とこの建築の置かれたさまざまな条件を考慮すれば、明日館という建築がそれにこめられたものや自らつくりつづけたものを保存するだけでなく、それがさらに持続されてゆくことになったのは「HOW BUILDINGS LEARN」の最善のありかたのひとつだと思う。
 この日ぼくが明日館に来たのは、前の夜に忘れ物をしたからだった。友人の淺野平八さんの依頼で、彼が教授をつとめる日大生産工学部・建築の学生のためにひらいている「建築の明日セミナー」で話をしたのが前夜のこと。淺野さんが「タリアセン」と名付けられた部屋をとってくださった心遣いがありがたかった。ぼくは、ライトの仕事のうちでタリアセンウェストが何より好きだ。「建築の明日」と名づけたのは、もちろん「明日館」を会場として学生たちをあつめることとは無縁ではないはずだ。
 淺野さんの研究は公民館が専門だが、日本の建築の工法や技術の継承にも力を注いでいる。とくに準備をしてもらわなくても玉井さんのやっていることを話してもらえればいいよと淺野さんは言われたので、ぼくは現在やっていること関心を持っていること、淺野さんの専門となんらかの関係のあることについて話した。

 新潟でつくっているかきの木通りと名づけた小さなまちづくり、ヴィエンチャンの図書館、このblogのタイトルにした「MyPlace」という考えかた、コレクティブハウス、Be-h@us展のことなどだった。「MyPlace」という概念やコレクティブハウスと公民館は重なるところが多いが、Be-h@usと日本の伝統的な工法との関係は重なるところは少ないが、さりとて対立概念でもなく、いわば補完的あるいは共生関係であるとぼくは思う。
 話のあと明日館を出て住宅街を5分ほど歩くと、もう飲食店の建ち並ぶ池袋のまちに着く。若者たちにおじさん2人を加えた団体は中の一軒に場所を移して食事になった。近くの席にやってきた若い人たちとの会話と彼らの思いによって、ぼくはさまざまに勇気づけられた。
 シャッターメーカーに就職の内定した女子学生は卒論に茶室の建具を取り上げたいと言ったが、茶室に限定せずにもっと多くの建具を様々な要素で分析する方がいい、資料はすでに蓄積されているからと淺野さんはアドバイスした。ファイルメーカーで整理して分析したらきっと何かおもしろいことがみつかりそうだとぼくも思い、シャッターはまちの景観をとても悪くしているものだから、これからやれることやってほしいことはいっぱいあると、ぼくは言った。
 別の女子学生は、建築の外縁について卒論を書こうとしているが、本を読んでいてもなかなか進まない。卒業設計にしてもいいだろうかと淺野さんにたずね、きみは大学院でもう少し勉強を続けた方がいいかもしれないと答える。設計ならいつだってやれるんだから、いまのうちに研究をしたほうがいいよ、とぼくは言った。「○にも、それを言ってやってよ」と淺野さんが言う。○君は、一昨年うちの事務所に実習に来てくれた。デザインの力がいい線をいっていると思ったが、それだけに先を急いでるのかもしれない。
 ひとりは数寄屋大工を志して大工塾にゆくといい、ひとりは数寄屋を得意とする工務店に就職するという2人が、ぼくの隣の席に向き合った。アジア各国やヨーロッパをめぐって、修復保存に力をそそぐ文化のありかたと、それをになう職人に惹かれたので、日本の伝統的な建築を受け継ぎ残してゆきたいのだひとりが言い、数寄屋をやれる機会はそんなにあるわけじゃあない、おれはもっと多くのしごとをやりたいとひとりが言った。
「ひとりだけ不動産だっていうんだよ」と淺野さんは男子学生を示した。席がややはなれていたので頭を下げただけだった彼とはじかに会話ができなかったが、まちのもっともおおくの部分をつくっているのはディベロッパーなのだから、不動産会社のふるまいは影響が大きい。由緒正しい三代目下戸のぼくは、酒のある集まりで席を移動してまわることを忘れてしまい、かならずあとになって反省するんだが、もっとよく話をききたかったな・・・・・「飲みゅにてぃ」を大切にする淺野さんの集まりなのに。不十分な飲み手の話をきいてくれてどうもありがとうと思いつつ、ここちよい初夏の夜風をうけながら小さな踏切を吉村順三事務所の前を通り、うちに向かって自転車を走らせた。

投稿者 玉井一匡 : 08:25 AM | コメント (4) | トラックバック

May 09, 2005

HOW BUILDINGS LEARNという本

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秋山さんからの電話:「ぼくのブログでリンクをはりつけたのに、きみの(PageHomeという)サイトのしかるべきページになかなか行き着けないよ。」  たしかにそうなのだ。ブログとホームページの棲み分けをどうやったらいいんだろうかと、はじめの頃から悩んでいたが、このブログを開いてからというもの、ほとんどむこうは面倒を見てやらなくなってしまった。移動させた方がいいよと前からも言われていたことだが、まずは2000年に「HOW BUILDINGS LEARN」のことを書いたページを移動させることにする。
  この本の日本語訳を出すことにはさまざまな困難はあるけれど、ぼくはまだ諦めてはいない。



*   *   *  以下PageHomeより移動  *   *   *
1960年代末のアメリカで『the Whole Earth CATALOG』という本が作られた。スチュワート・ブランドを中心にしてつくられたこの本は、カタログという形式を借りて本や道具というモノを通してそれらを言語としながら、人間とはなにか、世界とはなにかを表現したものだ。現在のインターネットによってむすばれる世界を、本にしたようなものだ。言い換えれば、インターネットの時代を予見したものだ。

昨年(1999年)のある日、秋山さんからemailが届けられた。「BBC のテレビ放送で知ったのだが、スチュワート・ブランドの書いたHOW BUILDINGS LEARNという本がいいから、ぜひみんなに読んでほしいと思うので翻訳して出したいんだがいっしょにやらないか」ということだった。仲間を募って建築家仲間が何人かで翻訳を分担したのを村松潔さんに手を入れていただて本にしたいというのだった。村松さんは秋山さんのクライアントの一人で、「マジソン郡の橋」の翻訳をした人だ。そうとは知らずに読んだ「旅の終わりの音楽」という美しくてかなしい物語も村松さんの翻訳だった。

 数日するとこの本のペーパーバック版が1冊、宅急便で送られてきた。すぐさま秋山さんがAmazon com.に注文したものだった。ざっと目を通して、おもしろしろそうだとぼくも思ったので、一度会って相談しようという呼びかけに秋山さんの事務所LandShipに集まった。ところが村松さんに言わせると、素人が翻訳をしたあとで手を入れるというのはむしろ足手まといで、それくらいならはじめから自分で翻訳した方がましだよ、むしろ逆に、技術的な問題や事実関係のチェックなどをあなたたちがするという形のほうがいいよということを、もちろんもっとやさしい表現でだけれど言われたのだった。言われてみればそれはそうだろうと、すぐに納得がいってしまったのは我ながら情けないが、事実だからしかたない。

それぞれに関係の出版社をいろいろと探ってみたがなかなか思うようにはゆかない。ちゃんと作れば金がかかる。いい本だがそれほど数が出るとは思えない。部数が少なければ価格が高くなる。高くなれば買う人が減る。という悪循環に陥るだろうというのだった。これが英語であれば、マーケットの大きさが違うから、読者の割合が少なくても世界中ではある程度の数の読者がいるので、「いい本だけれど読む人が少ない」という本でもちゃんと日の目を見ることができるわけだ。しかし日本では、翻訳が出ないのをいいことに、外国語の本を密かにタネ本として自分の思想のような大きな顔をする学者がいたりする。日本語という言語のマーケットの小ささのために、いい本ほど出版されにくいということになってしまう。だから、文化はますます堕落するのだということを実感としてわかってきた。
まずは動き出そうということで、とりあえず村松さんが要約を作ってくださった。さすがに早いものだ。

aki's STOCKTAKINGに村松潔さんによる要約がある。

投稿者 玉井一匡 : 10:45 PM | コメント (0) | トラックバック

May 07, 2005

となり町戦争

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 aki's STOCKTAKINGのこの本についてのエントリーを読んで「戦争がふたつの村だったらっていうお話なのでしょう。」などと、この本の存在すら知らなかったぼくはコメントを書き、後日、電話で勧められたときには、ぼくはまず「半島を出よ」を読みたいなどと言ってしまった。きのう、通りがかりだからと飯田橋の改札口に、半島を出よの上巻と一緒に秋山さんが届けてくださったので、昨夜から今朝にこの本を読んだ。たしかに、秋山さんのコメントの通りに、ぼくの考えていたような本ではなかった。数年に一度しか会えないような小説だった。同じ「戦争」を描いていても、半島を出よとはまったく別の戦争、まったく違う種類の小説だ。
 戦争・自治体・役場・コミュニティ・死・家族・境界・共同事業・業務・恋・・・・・ありふれたもの、ありふれたことば、ありふれた状況に、あたらしい世界を見つけ思いがけない意味を与えるのが芸術というものだとぼくは思うが、これはそういう小説だ。こういうものを書いてくれる人がいるということが、こういう視点を持っている人がいるということが、そしてそれがきもちよく共鳴できるものであることが、ぼくは無性にうれしくてたまらない。
三崎亜記著・集英社刊

投稿者 玉井一匡 : 01:51 PM | コメント (0) | トラックバック

May 05, 2005

東急ハンズの向かいに


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 連休中だからまだクルマの少ない朝、渋谷の東急ハンズに注文したものをとりに寄った。いつもとは風景が違って見える。ハンズの前の坂道をはさんだ向かいに、かつて壁の穴というスパゲティ屋があった。タラコやイクラをスパゲティに使い始めた元祖の店だ。いまは、そこにアウトドア用品のモンベルのビルになっているが、その前の歩道際に若い葉を繁らせた木が1本だけ立っていた。
 ぼくは久しぶりに思い出したことがあったので、受け取った板をクルマにのせたあとでバッグからデジカメを取り出してミカンの木のところに行くと、木の根もとを見た。もしかしたら、ある痕跡がのこっているかもしれないと期待をしたからだ。ガードレールが、二またに分かれた木の幹に食い込んでいる。むしろ、幹がガードレールをくわえ込んでいると言うべきかもしれない。ぼくが見たかったのは、その下なのだ。もう6,7年ほど見ていない。

  
 が、「・・・・・ない」。落胆しつつしゃがんでめがねを取り出し、よーく見ると、それとおぼしきもの。さわってみると柔らかくあたたかい。ちょっとゆびさきでつまんでみると折れた。やはりまだあった。
 30年近く前、壁の穴にタラコのスパゲティを食べに来て、店の前でぼくがそれに気づいた頃には、路肩のガードレールを背にしておかれた箱に土を入れてそこに小さなミカンの木が植えられていた。というよりは、きっとタネがそこに捨てられたのが育ったのだろう。やがて、木はすくすくと成長し、枝と葉は上へ横へとひろがり、根は地球の表面に達した。発泡スチロールの箱の底は、その途中で突き抜け、木は発泡スチロールにの箱には不似合いの大きさになった。30年ほどの時間を経たいま、土の上に出ていた発砲スチロールは折れてなくなり角は丸まり表面は土色に染められた。ちぎって出てきた発泡スチロールは、真っ白だった。あとになって写真を拡大すれば、現物をみるよりもはっきりと分かった。

 こいつをみるたびに、僕はいつもうれしい気持ちになった。渋谷のど真ん中の、歩道とも車道ともつかない道路の縁に、捨てられるはずの発泡スチロールの箱を植木鉢がわりに植物を植えた。だれかに捨てられたミカン、もしかすると店でサラダに使ったレモンだったのかもしれない、そのタネが芽を出す。すくすくと成長し窮屈になって底をやぶって土を探り出す根。やがてミカンは道路に影をおとすほどの大きさになっても、幹の根元には、木の大きさには不似合いで、さながら大人の腰につけられたビニールの浮き輪のように、発泡スチロールの箱がまだしっかりと残っている。道路の舗装工事にも木が残された。渋谷区役所が近いので道路課のひとたちもとおりがかりにこのミカンの木を知っているからだ。近くの幼稚園と小学校に通ったこどもたちが、いまでは働きざかり。想像が、かぎりなくふくらんでゆくのだ。
 
 

投稿者 玉井一匡 : 09:54 AM | コメント (0) | トラックバック

May 04, 2005

半島を出よ・下

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 連休中、雑用に追われているあいだに秋山さんに追い越されて,「いやぁー、面白かったぞ」と書かれたaki'sSTOCKTAKINGを横目で見ていたが、自分で読了して、やはり「ああ面白かった」と思う。 この本を読みながら、ぼくはずいぶん沢山のことを考えずにはいられなかった。そのうえ途中、北朝鮮がミサイルを発射し、ワールドカップ予選の日本対北朝鮮の試合を中立国で観客なしでやるというニュースもあった。新たな「拉致認定」なるものを政府が公表した。おびただしい数の登場人物、どんどん広がってゆく世界、キーワードと登場人物がでてくるので、ファイルメーカーでデータベースにしようかという誘惑にもひかれた。あとがきによれば、韓国で十数人の脱北者に3時間ほどのインタビューをし、「13才のハローワーク」のための幻冬舎のチームに引き続き協力してもらったという。調査にも力を注いだらしい。「ハローワーク」は、この本の取材の副産物だったのかなと思いながら読んでいたが、そうではなかったようだ。

 物語の多くは北朝鮮の若者たちの視点から書かれ、それが成功している。ぼくたちのパスポートに唯一除外すると書かれている国の若者を内側から描き、日本はむしろ外側から描写していることによって、理解するための想像力が強められた。北朝鮮のコマンドを語り手に引き込まなければならないと思いつつ、そんなことはできないだろうと思いながら書き始め、そう思い続けて書いたそうだ。
 いわゆる情報量の多さにはじめはむしろじゃまをされるが、やがてそれらをはなれて一気にストーリーにひきずり込まれる。少数者が、力を握った多数のやつらを相手に戦い、上から下へ中央から周辺へという力のシステムに対して独立した等価のネットワークで戦いを挑むことに、胸のすく思いをした。
 技術というものの大部分は、できるだけ小さな力を加えできるだけ大きな結果を生むことを目的にしてきた。だから、技術そのものが、少数者によるドンデン返しの可能性を秘めているはずなのだ。そして、エネルギーとは別の技術が大きなネットワークを構築したいま、なにかを起こすことができるかもしれないという日頃の思いが、ひそかに勇気づけられた。村上龍は、オンディマンドで本を出版したり、希望の国のエクソダスの若者たちにインターネットを武器として提供した人でもあった。
半島を出よ・下 / 村上龍著/幻冬舎刊

投稿者 玉井一匡 : 01:48 PM | コメント (0) | トラックバック