June 29, 2005

アクセスカウンターとモーターサイクル・ダイアリーズ

 昨日、アクセスカウンターをつけた。
アクセス数を気にしてのんびり書けなくなっちゃうんじゃないかと思って、これまで付けずにいた。「BlogPatrolのアキヤマです」という電話を掛けてくるひとのすすめで始めたブログサイトのブラッシュアップだが、その仕上げとしてこれもすすめられて、やってみることにしたのだった。更新のプレッシャーを増やすのもいいかなとも思った。
プロバイダーのレディーメイドの書体がいまひとつ気に入らなかったのでcourierの12ポイントの数字を0から9までの別々のファイルにしてphotoshopで加工。
 それをアップロードすると、「00001」という数字が出てきた。あたりまえのことがとても新鮮だったが、同時に、今まで貯まっていたはずのポイントカードをどこかになくしちゃったように勿体ない気がしたのがなさけない。それに、まだ00001というのがちょっと恥ずかしい気がして、はじめはカレンダーのすぐ下に置いたカウンターを最後尾に移動した。おい、もう数量に囚われているぞ。

 先日「タイニーハウス」のコメントで価値の数量化を批判したばかりなのに、ぼくは「・・・であるほどいい」という世界がもうひとつ加わった気がした。アクセス数は多い方がいい、だがそれだけではない。数字が増えてゆくのをみると、世界が広がってゆくような気分がするのだ。

せっかくなら、何かの日から始めればよかったなと、あとになって思い、今日は何の日だったかと考えたが何も思い浮かばない。代わりに、ギンレイホールで上映しているので「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見に行くことにした。「ギンレイでモーターサイクルダイアリーズを見た日」にしてしまうのだ。
 今年のはじめに恵比寿で見たのだが、そのときは先入観と頭でみていたのかもしれない。支配に対する憤りや若かったころのゲバラという受け取り方が強かったけれど、今日は、家族や恋人に別れて旅に飛び出すよろこびと不安、若者のなかに世界が広く厚く蓄えられ変わってゆくことの手応えが伝わる。KAWAさんの書いていたことも思いだして同感する。そしてひとを動かさずにはいないラテン音楽の力。

10時をまわって事務所に戻った。スチールの本棚に取り付けた2枚のコールテン鋼のパネルの隙間に、光に浮かぶゲバラの絵はがきがある。その下には チョムスキーの顔の並ぶ「チョムスキー9.11」のチラシ。「モーターサイクル・ダイアリーズ」の画面には、ゲバラとフェルナンドの2人が移動するごとの日付と移動距離の数字が画面に打ち込まれていた。チョムスキーは、今では9.11から彼のいるところまでの距離を考えずにはいられない。先日、五十嵐さんがエントリーしていたのも思い出す。
ここでは、数が量を示す指標であるよりも、むしろ彼らのありようを示す座標なのだ。アクセスカカウンターは「多いほどいい」指標ではなくて、ひろがりを実感する座標なのかな。

投稿者 玉井一匡 : 07:36 AM | トラックバック

June 21, 2005

「タイニーハウス」レスター・ウォーカー著/玉井一匡・山本草介訳/ワールドフォトプレス

CLICK tinyhouse-thumb.jpg

ずいぶん前からのことだが、サイドコラムに「タイニーハウス」と「シェルター」のamazonへのリンクをつくることを秋山さんからすすめられていた。昨日の電話で「タイニーハウスのことを書いたからエントリーするよ」と言われては、グズグズするわけにはゆかなくなった。そしてaki's STOCKTAKINGに「タイニーハウス」というエントリーができる寸前にやっと不完全だがリンクを作った。なんていうと自分ひとりで作ったように聞こえるだろうが、LandShipのミネ君のご指導のおかげでやっとたどりついたのです。しかし、自分のブログにエントリーがないのではまずいなと、ホームページ(PageHome)に書いてあったものに少し手を入れて移植することにした。
 春のBe-h@us展に出したプロジェクトに、Be-h@us tinyというタイトルをつけたのは、もちろん「タイニーハウス」のことを意識してのことだが、五十嵐さんが出した「パラディオのTinyHouse "Little Emo"」も、この本に触発されて、教えている大学で学生にタイニーハウスを課題として出したときに作ったものだったそうだ。

      *       *       *       *
”TINY HOUSES”という本の翻訳ができた。原題をそのままカタカナに変えて「タイニーハウス」となった。
 ヘンリー・ソローの「森の生活」に書かれたウォールデンの家のように、存在はよく知られているが具体的にはどんな家なのか知らないというものもあれば、アメリカの第二代大統領トマス・ジェファーソンがみずから設計した自邸モンティセロ(monticello)は名高いが、その一部につくられた新婚時代の家などは、大抵の人は存在も知らないだろう。そんな伝説的なものばかりではなく、サンフランシスコの震災に際して大量に作られた避難小屋にいたるまで、43の小さな住宅ばかりを集めたものだ。
 5.5平方フィートのバス停留所は別格としても、多くの部分をなす100平方フィート前後のものから100平方フィートを3階重ねて延べ300平方フィートのものまで、すべてが一貫した形式で書かれている。家たちの作られた背景と構成を、文章と写真、イラストとともに、すべてに同じ縮尺の平面図と立面図のほかに「パターン」という図がある。起こし絵のように切り抜いて折り目を折って貼りあわせれば、同じ縮尺のシルエット模型が43戸できるのだ。

 序文によれば、宇宙船が実現してからというもの、すみずみまで考えつくした極限の小さな家にというものにとりつかれた著者は、素人でも短期間に自分の手で作れるような小さな家を集めた本をつくろうと思い立った。人が集まっているときに、「こういう本を作っているんだ」と水を向けると、だれもが話に加わって熱くなってきたと書いている。たしかに、このイエたちの大きさと作り方ならだれでも自分の頭で考え自分の手で作れるような気になる。
末尾の説明の原稿を書いたが、はじめは編集者からダメが出た。ちょっと過激、あるいは個性的に過ぎるという。ぼくも、しぶしぶ納得して書き直したが、ボツになったのはつぎのようなものだった。

 ・・・小さな家が面白いよなんてことを、なんでよりによってアメリカ人に教えてもらわなきゃあならないんだ、一人あたりにしても10倍以上も国の大きさに違いがあるんだよ。
ところが、「できるだけ小さな家をつくろう」というルールをひとつ加えるだけで、たちどころにイエの大きさはどこの国に行こうとさして変わりがなくなって、だれもが同じグラウンドでゲームを楽しむことができるようになる。ちっぽけなイエの中じゃ、どっちみち納まりはしないから、生活が外にこぼれだす。すると、イエはドアの中だけではなくて、その外側の森の中やマチの中というグラウンドにもあったんだということに気付いて1点。そこに通りがかったやつらが「おめでとう」といってハイタッチしてくれたら、両方にもう1点。その前に、かっこいい家ができたら1点だった。という具合に、だれもが勝者になれるゲームらしいよ。タイニーハウスは。・・・・

 これくらいの小さな家なら、だれもが生活のしかた生き方について同じ地点に立って家を考え語ることができる。地球を100人の村にして考えるのと同じことだ。小さければ、部分を考えながら全体のシステムを考えることができる。アメリカでもアフガニスタンでも日本でも同じように。それにもうひとつ、家が小さければ土地は相対的に広くなる。家が小さければ外にでて生活をする。いや、このタイニーハウスはむしろ外に出て生活することや、ソトにも生活空間があることを前提にして小さく作られたものが少なくない。マチや森をイエの一部分として考えられているのだ。それが、いいマチいい自然をつくることになるだろうと思う。
TinyHousesE.jpg
そういうことを、ぼくはいいたかったのだ。

追記
■英語版:この本は再版されていないので、amazonでも古本がなかなか高い値段がついています。
むしろ、アメリカのamazonから英語版を買う方が安く手に入ります。
文章はもちろん英語ですが、写真と図面は変わりません。
アメリカのamazon、TINY HOUSESのページはここです
■関連エントリー:「アメリカ再読」/アメリカの住宅の住み方について

投稿者 玉井一匡 : 05:32 PM | コメント (8) | トラックバック

June 08, 2005

浴書2:風呂で読む文庫

furobooks1.tiff 
click to jump to this SITE
「玉井さん向けのものがありました。」というメールが秋山さんから届いた。サイトのアドレスが添えてある。「風呂で読む文庫」のことだ。ぼくは現場に出ていたので、このメールを見られなかったあいだに「風呂で読める本のコメントはすでにありましたね」という第2便がつづいていた。

「そうなんです・・・・・」とぼくは返信した。以前に「浴書」というエントリーで、風呂で本を読む苦労とたのしさについて書いた。
この「風呂で読む文庫」のサイトには朝日新聞の記事が紹介されているが、それには半身浴で長く入浴するときのためとして取り上げられている。ぼくが書いたのは、むしろ全身浴のときの読書だった。そのときに、松代さんが、コメントでこの耐水文庫本のことを教えてくださった。秋山さんの第2便にはそのことについて書かれているのだ。
 松代さんのコメントに対してぼくは、「10冊セットだとちょっと買いにくい」と書いたのだったが、タイトルが増えただろうかと思って久しぶりにサイトを開いて、よーく見ると、1冊ずつ買うこともできるじゃないか。前の時に見落としていたのか、販売方法がかわったのか。しかし、「10冊単位のセット販売も始めました」という書き方をしているから、ぼくが見落としたようだ。ごめんなさい松代さん。ありがとうございました秋山さん・・・・そうなると、話はちょっと変わってくるぞ。送料の350円がしゃくだから、本屋に行って買おうと思う。販売店のリストを見ると新宿か渋谷の東急ハンズがいちばん近い。
 ところで何を読もうかと、本のリストを開くと、選んだ人の好みの「偏向」が読み取れてちょっとニヤリとする。いずれも、古いものが並んでいるのは、はやりすたりのないことを意図したのだろうが、その理由はもうひとつあるにちがいない。これは、青空文庫を利用したのだろうと気づいた。いくつかを対照してみたが、ぼくが書名すらしらなかった本も含めてサンプリングしたものは、たしかにみな重なっている。たしかに、青空文庫を利用しない手はない。だから、安くつくることができる。青空文庫の存在意義がもうひとつひろがったということがうれしい。しかも、塩ビを使っているから、不要になった本は回収して有毒ガスの出ない方法で焼却するという配慮も忘れていない。
液晶は見にくくなるので、青空の下ではiBookは読めないけれど、これなら露天風呂で読めるわけだ。
 まずは、月に吠えてみるか。

投稿者 玉井一匡 : 06:59 AM | コメント (4) | トラックバック

June 03, 2005

映画 日本国憲法

click
「映画 日本国憲法」監督:ジャン・ユンカーマン、制作:シグロ
奈良美智の描いた女の子が、いつものようにつよい意思や感情を秘めた表情でこちらを見上げるチラシの裏に、インタビューで構成されるこのドキュメンタリー映画の発言の一部が書かれていた。どれもが「そうだそうだ」と言いたいことだったので、ぜひ映画を見たいと思ったが今すぐには上映の機会がない。(7月2日から渋谷のユーロスペースでレイトショー)その代わりにDVDが安くて2800円だから、ぼくはすぐに注文してiMacで見た。「映画日本国憲法読本」という本もある。

憲法改正は国内問題じゃない、国際問題だという日高六郎氏
憲法9条こそアジア諸国に対する日本の謝罪なのだというチャルマー・ジョンソン氏は、小泉首相は歴代の首相の中でももっとも愚かな首相だともいう。ジョンソン氏は、9.11の前に「BLOW BACK 邦題:アメリカ帝国への報復」という予言的な本を書いた政治学者。前に、このブログでこの本のことを書いたことがある。
日本の憲法は押しつけ憲法だと言う人がいるが、そもそも、すぐれた憲法というものは民衆が国家に押しつけて作るものです。と、C.ダグラス・ラミス氏
 日本には、すでに自衛隊という巨大な軍隊がある。→このままでは、あきらかに憲法に違反している。ここまでは、大部分が同じ見方をしているだろう。→ここで正反対の結論に別れる「だから、憲法を変えよう」という立場と、「じゃあ自衛隊を変えなければならない」の2つである。→じゃあ、憲法を変えなきゃしょうがないだろうという方向に、おおかたのマスコミはなだれ込もうとしているし、国民の多くも、しょうがないのかという気になりかけている。
 「おい、ほんとうにそれでいいのか、これは人類の歴史の中でも稀な、いやただひとつのとても大切な宝物なんだよ」ということを、アジアとアメリカの人たちの目と声を通して言っているのがこの映画なのだ。どんなすぐれたことを発言してもひとの気持ちを動かさなくては意味がない。しかしこの映画は強い説得力をもっている。
 自衛隊を変えるという方向で憲法をきちんと残し、この憲法そのものと、それに基づいてこれからの日本は行動すると宣言することが、かつての侵略戦争へのなによりの「償い」にも安全保障にもなるのだ。そしてそれが世界を変えてゆくかもしれないじゃないかと、外国のひとびとに励まされた気がする。監督のジャン・ユンカーマンは一昨年の「チョムスキー 911」の監督でもある。
できるだけ多くの人たちにぜひ見てほしいと思う。映画を見るには、映画館、DVD、VHSビデオ、上映会の企画などの選択肢がある。この映画の公式サイトをみれば、詳しく書かれている。

投稿者 玉井一匡 : 10:28 AM | コメント (26) | トラックバック