July 30, 2005

根津・谷中 界隈探検

この夏でも屈指の暑さの中、Kai-Wai散策のmasaさんに先導されて、aki's STOCKTAKINGのaki氏とその病友Tuk氏とともに4人のおじさん探検隊が根津谷中の界隈に散在する古い長屋や商店を探検した。千代田線根津駅前に集結してさほど歩きもしないのに曙ストアなどを見たあたりで、一同まずはそばを食いたい気分になった。予定通り鷹匠の暖簾をくぐる。初対面に近い顔合わせが多いのに自己紹介もほとんどいらない。blogのおかげだ。 冷たいそばと温かいつゆという鴨せいろの逆説的な食べごこちも手伝って話がはずんだ。

AppleⅡもモールトンの自転車もBe-h@usもBlogも、ぼくは面白いものを見つけるとオルグして仲間をつくってしまうんだと、masaさんに向かってAkiさんが自説を展開する。これはもちろんBlogのときも同じだったよということなんだ。Blogはそれ自体がオルグによるオルグのためのメディアではないか。Akiさんは、モノを通じて世界を見るという、自分の視点を公開するだけでなく、それらをモノと思想のセットにして積み重ね残してゆこうとしている。それが、さまざまにネットワークとして構築されてゆけば、きっと少なからぬ力を持つだろうと僕も思う。この探検をもちかけた相手のmasaさんは、自分の生活圏の周囲を歩き回り写真を撮る。だから、こまかに、そして繰り返すことができるから時とともにまちが変化を強いられる様子もわかる。そこは、東京の中では空襲の被害も少ないところだったので、けっして立派なつくりとはいえない庶民の家が小さな路地に軒を接して並ぶまま残されていた。そのような、いまにも消え去りそうなまちの風景を、彼はBlogという引き出しに残そうとしている。これは、だれでも覗ける引き出しなのだ。まだBlogの野に足を踏み入れていないTuk氏が、来年から引き出しに何をいれるのを楽しみにしよう。
そんなことを話したり考えたりしているうちに、この店が朝の七時半から開けるのはなぜなのか尋ねるのをすっかり忘れてしまった。このあたりのむかしの蕎麦屋は、根津遊郭の帰りの客があさの腹ごしらえをしていたんでね・・・とか、職人が多かったから、昔は出がけにそばを・・・なんていう説明を期待していたのだったが、そとに出ると、いつのまにか日差しはやや横から少しやさしく差していた。近くには、10年ほど前にぼくたちの事務所で設計して、町工場を改装し店と住まいを上下に重ねた「根津くらぶ」がある。ひさしぶりに行ってみると、となりにあったうどん工場が壊されて瓦礫が広がっていた。おかげで、図面でしか見ることのかかった立面があらわになったのは思いがけない発見だったけれど、前提としていた風景がすっかり変わってしまったことに、内心では動揺があったかもしれない。

細い路地には日が射さなくなる頃まで根津と谷中の探検を続けた。masaさんとまちのひとびととのやりとりは、まちに張り巡らした根のひろさと深さを感じさせる。昨日も、古い建物が壊されてゆくんのをなんともしようがないんだという嘆きと憤りを松戸できいた。松戸でもそうだが、川口の知人が相続で立派な構えの大きな商家と土地を手放さざるをえなくなり、買い手は古い建物などなんの未練もなく壊してしまったという。根津・谷中でぼくたちが見てまわった長屋などは立派な造りではないからつぎつぎと壊されて、おそらく10年もすればすっかりなくなってしまい、その後にはマンションが建ってゆくのだろう。昔のいえは、同じような材料をつかいながら、それぞれのまちがそれぞれの表情を持っているのに、新しくなるとどこも同じようなまちになってしまうのはどういうわけでしょうねというmasaさんの疑問は、ぼくも同じだ。きっと、長い時を経るあいだに、そこに生きるひとたちが切実な思いから手を加えてきた結果として生じたまちのありようは、場所のもつ力が人間に影響を与えたからなのではないだろうか。こういう建物を懐かしがるばかりじゃなくて、使えるようにして生かしてやりたいですねなどとmasaさんのblogに書いたのは1、2週間前にすぎない。もちろん丁寧に手を加えられて昔の様子がそのまま残されているたてものを見るのはうれしいのだが、無人になった長屋や住居が残されているのも、過ぎ去った時間がそこで凍結されたようで、解体を近くに控えた風景のあやうさと諦めなんだろうか、特別の思いを抱かせる。masa さんはそこにも惹かれているのかもしれない。
 とはいえ、その後には、すくなくともこれまであったものよりもいいもの、いい場所をつくるということが、すくなくとも越えなければならないハードルだと肝に命じたい。

投稿者 玉井一匡 : 05:13 AM | コメント (2) | トラックバック

July 27, 2005

アメリカンチョイス

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 この本は、雑誌「PEN」の書評で青山南が取り上げているのを見つけた。それが可能な環境にありながらブッシュという人は、大統領になるまで一度も外国に行ったことがない。自分の住むテキサスの隣国メキシコも例外ではなく、彼には他者に対する関心というものがなく、想像力がとぼしいからなのだという発言を紹介しているのにひかれたのだった。「アメリカンチョイス」とは、昨年、アメリカ人が大統領を選んだときの「選択」のことだなのろう、同時にそれは、アメリカの国民が選択した4年間の未来でもある。
 星条旗をもとにした表紙に赤い腰巻きをつけると、表紙デザインと書面のレイアウトは、中味の安っぽい本のように想像させるが、じつはすこぶる内容が濃いうえに読みやすい。腰巻きを外せば、表紙の印象も向上する。
アメリカ在住20年の英米文学批評家、翻訳家、新元良一氏が、アメリカの20人の物書きにインタビューしたものだ。新元氏が共感するこの20人にたいして、ほぼ同じ質問をする。

1)9.11のとき、どこにいて何をしたか、どう感じたか
2)ブッシュをどう考えるか
3)イラク侵攻をどう考えるか
 これらのインタビューは大統領選挙の前と後にまたがっているので、2)については前と後で訊き方がちがっている。選挙前には「誰を大統領にしたいか」だが選挙後には「ブッシュが大統領になったことをどう考えるか」である。
じつは、ぼくはこの人たちの本はどれも読んでいない。著者は、もう一人、話をききたいと思っていた人がいたが、体調がよくないのでちょっと待って欲しいと言われ、結局はガンで亡くなってしまい、話をきくことができなかったという。スーザン・ソンタグだ。ぼくが読んでいるただ一人のひとだけ、話をきくことができなかったわけだ。彼女が書いて9月24日にニューヨーカーに掲載された文章と彼女自身が袋だたきにあっただけに、なおさら彼女の意見を聞きたかったのがなにより残念だ。
新元氏が共感を持っている人たちを選んでいるからだろう、このひとたちの基本的な立場は共通している。だから、だれが何を言ったのか、いまぼくは正確に記憶してはいないけれど、このひとたちの集積がひとりの人格を形成したとしても、決して不自然ではないくらいの共通する思想領域をもっている。

 この20人すべてがブッシュを大統領にすることに否定的で、イラク侵攻に反対している。だからアメリカの物書きの一般を示すわけではないのは間違いない。
 とはいえ、かれらは決して極端な思想の持ち主ではなく、むしろまっとうな意見を述べるにすぎないが、メディアに意見を表明できる機会がこのごろ減っていると多くの人が指摘している。アメリカではまっとうな意見が排除されようとしているのだ。メディアの自主規制的な戦時の言論自粛なのか、はたらきかけのようなものがあるのだろう。
就任演説の中で三十数回も「自由」を声高にさけんだというブッシュのもとで、ほかならぬ発言の自由がせばまっているのだ。平和のためといって軍事力が強化されるように、自由の名の下に他者の自由が抑圧される。このことから、世界中の他者の自由を自分たちにとっての自由の支配下に置こうというのがグローバリズムであることが、よくわかる。
 複数の自由がかさなりあいながらほかの自由を尊重しつつ共存する自由の市場(いちば)、「共通性なきコミュニティ」を困難を承知の上でつくることが、ぼくたちのめざすべきものだと確認できる。アメリカ合衆国はそれをめざしていたはずではないかと、この20人はみな言いたいのだ。

投稿者 玉井一匡 : 06:31 AM | コメント (1) | トラックバック

July 22, 2005

グリーンイグアナのアンヘル:パッシブソーラーな生き方

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 10年ほどまえ、事務所にグリーン・イグアナを飼っていたことがある。
東急本店屋上のペットショップで5000円だった。こいつのインパクトの大きさからすればこの値段は格別に安いと思った。南米ではイグアナを食っちゃうんだと聞いていたから、うちに来てかわいがってもらえることは、彼らにとっては望外の幸せにちがいないと信じていた。木の衣装箱のようなものを拾ってきたのがあったので、そのフタをはずして透明のアクリ板にとりかえ、スライド式ではずせるようにした。ときどき箱から外に出して事務所の中を歩かせた。アンヘル(Angel)と名付けられた。
 写真で分かる通り、とてもかわいい顔をしている。いまだに、これほどのかわいい顔をしているイグアナにあったことはない。と、ぼくたちは本気で思っているのだが、ひとはこれを冗談だと思うらしい。
 東急本店のペットショップの店員は、これをやっていれば大丈夫ですといってドッグフードのような「九官鳥のえさ Q-CHAN」なるものをすすめた。乾いた球形の粒々だが、値段は一箱500円ほどだった。それをお湯でふやかすとおよそ3,4倍ほどの体積にふくらむので、毎日それを食べさせてもひと箱で1年ほどは食べられたから、おどろくべきランニングコストの低さである。

 うちにやってきた頃でもすでに尾の先まで50cmほどもあるのに、わずかな餌で生きられるということにぼくはとても感心した。犬だったら、小型のやつでも1週間で軽く食べてしまうほどの量で1年をすごす。1mくらいになったら、犬のようにつなをつけて公園を散歩させようと楽しみにした。

 爬虫類は、恐竜時代から進化の止まったおくれたやつだと思われているけれど、ほんとは、そうじゃないんじゃないか。哺乳類は、体温を一定に保つことができるから、周囲の気温にさほど左右されずに活動することができる。しかし、そのために多くの餌を食べなければならない。ところが爬虫類は、暖かければすこぶる活動的だが、気温が下がれば自分で体温をあげられないからあまり動かない。ひなたぼっこをして太陽熱で体温があがるのを待って活動する。カメが、冬の池で石に乗ってじっと日向にいるのはそのためだ。パッシブソーラーなのだ。
 アンヘルを見ていると、生産性が高いと言われる社会が生産性の低いとされる社会よりも、本当にすぐれているのだろうかと疑問に思わずにはいられなかった。過剰にモノをつくり、エネルギーを不必要に消費し、環境を壊し、かわりにプラスティックのゴミを自然に返すというのが、進歩ということなのか。
 爬虫類は、何億年も前の種がまだ生き残っているのではなく。現在も、この地球で、人間と同じ環境の中に適応して生きている。人間の人口が過剰になったときに食糧不足の世界で生き残るのは爬虫類かもしれない。同じように、これからの世界を生き延びてゆくのは、もしかすると、先進国とよばれ過剰な生産と不要な消費を続ける社会よりも、いまは「発展途上」といわれ「生産性の低い」といわれるが消費も少ない社会が生き延びて、周回遅れと思われていたのが、いつのまにかトップランナーになっているという時代がくるのではないか。

 しかし、アンヘルには、悔やまれる後日談がある。Green-Iguana-Society.jpgやってきてから2年ほど経った頃に急に元気がなくなった。親しい獣医さんに相談しても爬虫類のことはよくわからないという。あの人なら爬虫類も見てくれるかもしれないと、すすめてくれた獣医さんは、ぼくの自宅の近くに開業していた。しかし、フェラーリとランボルギーニの真っ赤なやつが2台、前に並ぶような動物病院には、行きたくなかった。西武のペットショップに行ったら、おばさんがいて「私の飼っているイグアナは、ウチの中ではなしておくと、ご飯時になるとキッチンにやってきます。結構馴れるんですよ。でも、太陽にあててやって、動物性の餌をやらないとだめですよ」と言われて慌てた。事務所は陽あたりが悪かったし、イグアナは草食性だと聞いていたから、おやつのように果物や野菜をやってはいたが、動物性のものはやらなかったのだ。紫外線を出す特殊なランプを買ってきて箱につけてやり、ミルウォームをやったけれど、日に日に弱っていき、結局死なせてしまった。当たり前の話だが、エネルギー効率がいいとはいえ、必要なものがまだあったのだ。何が必要で何がいらないのかは、そんなに単純なものではないのは当たり前のことなのに。
インターネットでイグアナのサイトを探すと、いまではいろいろな情報が見つかる。Green Iguana Societyなんていうのもあって、飼育方法も丁寧に書いてあるしイグアナのための食品も多い。ここの看板イグアナは、もう少しでアンヘルと同じくらいかわいい。今だったらアンヘルももっと長生きできただろう。

■追記
「アンヘル」という名前は、サッカーのラモン・ディアスのセカンドネームをもらった。当時のアルゼンチンの大統領がディアスのファンで、日本に来たときに当時在籍したマリノスの試合を見にきたことがあった。駆け出しのサッカーファンだったぼくは、彼がマラドーナと人気を二分するほどの人であることを聞いても「へえ」と思うくらいで、今にしてみればもったいないことだった。

投稿者 玉井一匡 : 02:51 PM | コメント (9) | トラックバック

July 18, 2005

山吹の実

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 「これ何ですか?」先のとがった葉が2枚ついているもとに3つのタネのような実が付いている植物の枝先をtacが持ってきた。実のつきかたと葉っぱを見て思ったのだろうが「ヤマブキかな」といいながら、「植物園へようこそ!BotanicalGarden」のサイトを開いてヤマブキを検索する。
ひとえのヤマブキと八重のヤマブキの写真が並んでいて、八重の写真の説明には「太田道潅の話に出てくる,「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」という歌が思い出されます。八重咲き種のヤマブキには実がなりません。」とある。

 ヤマブキに緑色のタネのような実がつくようすは、画像の記憶としてぼくの中に残されている。そのことと、太田道灌に歌を詠んだ少女の差し出したヤマブキには実のならないこととの食い違いに、ぼくは一度も気づいたことがなかった。それが不思議な気がしたが、それは、タネの画像の記憶が無意識のもので、いわばタグがきちんとつけてないまま、記憶の引出に放り込まれていたからなのだろう。
この実の数を見ると3つしかついていない。けれども萼は4枚。もともと4つ付いていた実がひとつ落ちたのだろうとは想像できる。しかし、一重の花のヤマブキの写真では花びらは5枚ある。
そこで、説明をよくみればちゃんと書かれているではないか。「ヤマブキ(山吹)のように見える白花のものがありますが,それはシロヤマブキ(白山吹)というものであり別種です。ヤマブキは 5 弁花で,シロヤマブキは 4 弁花です。」・・・・・・なるほど、こいつはシロヤマブキの実ということになる。はじめからきちんと見て説明を読めばすべて答えは書いてあったのだ。
シロヤマブキを検索すると、ちゃーんと4枚の花びらが開いた写真がある。
ぼくは、このサイトが大好きだ。

投稿者 玉井一匡 : 12:38 AM | コメント (2) | トラックバック

July 17, 2005

「宮本常一 写真・日記」展


 「宮本常一 写真・日記」展の最終日の前日、それも19:00までの開場時間もあと1時間ほどというころに会場についたらパーティーをやっていた。新宿御苑の入口近くの古いビル、3階にある小さな会場には、人がいっぱい詰まっていて、となりに立つ人との間には4,50cmほどしかないくらいだ。新宿駅から少なからぬ距離を歩いてきたから、断られたくはなかったし、宮本常一の写真展で排他的になることはあるまいと勝手に決めこんで、だれにともなくちょっと目礼をしただけで許可をえずにもぐり込んだ。「宮本常一 写真・日記集成」という本が写真の会賞を受けたお祝いの会だったらしい。立派な装丁の本が受付に置いてある。

 そんなわけで、立錐の余地もないというくらいの人がいるのに写真を見ているのはぼくの他にはほとんどいないという不思議な状況で写真を見つづけた。それ以前の写真は残されていないからという理由で、すべて昭和30年代から50年代にかけて撮影されたものである。この時代は、ぼくにとっては小学校の後半以降にあたる。すべてモノクロの写真が、すべて同じ大きさで撮影時期の順に淡々と展示され、短い説明がある。
 大部分の写真が、このころの日本はまだこんなだったのかと思わせる。それは、多くが地方のまちであり、その当時すでになくなりかけていたものや風景を撮っているからではある。しかし、古いけれどまだ残されているというものは、それが民俗学者の目を通してすくい上げた風景であればなおさらだが、時間を超越して日本の本質的なものをあらわすと宮本は考えたはずだ。これらは表現のためにではなく、記録として撮られたものだ。しかし、多くの写真がそうであるように、これらも宮本常一を通したある種の抽象の結果なのだ。たとえば昆虫図鑑の絵は、厳密な写実によってある昆虫の個体のありかたを描写したものであるけれど、図鑑の中の絵となった瞬間に、それはある昆虫の種についての抽象になるのだ。
 宮本常一にかかわる本がこのごろ相ついで出版されるのは、われわれが日本という場所、あるいは日本という生き方を見失いかけていることに気づいたからなのだろう。

 念のために書き加えておく。招かれてもいないのにもぐり込んだパーティーの場だったから、中央テーブルに並べられた質素だが豊かな食物や飲物にはいっさいふれませんでした。積極的に探しはしなかったけれど、ひとりくらいは知り合いがいるかと思ったが、だれも見つからないので、とうとう潜入者という資格のままだった。

投稿者 玉井一匡 : 07:32 AM | コメント (3) | トラックバック

July 15, 2005

パッチギ

pacchigi.jpgギンレイホールでやっている「サマリア」「パッチギ」はあと2日になってしまった。ぜひ「サマリア」を見てくださいと潮見さんに言われたし、草介は「パッチギ」は今シーズンの日本映画の一番だといっていた。最終回しか時間がないのでパッチギを見た。ギンレイは二本立てだからその組み合わせには毎回なにかの共通項をもたせている。支配人の潮見さんがいろいろと頭をひねって共通項をさがしながら演し物を選んでいるのだろうが、こちらは毎回それをみつけるのも楽しみのひとつ。今回は分かりやすくて、コリアンがそれなのだが映画の性格はまったくちがう。片方だけを見て、もうひとつは予告編とポスターだけでそう言ってしまうのだが間違いはないだろう。コリアン(韓国と北朝鮮をいっしょにそう書くことにする)が共通項だといってもパッチギは日本人と在日朝鮮人の関係が主題の日本映画で、「サマリア」は韓国で作り韓国を舞台にしている。

 もう、中国映画とか韓国映画とかいうくくりで映画を見るのはやめてもいいんじゃないか、民族や国という枠を超えた普遍的な意味をぼくたちはみなければならないのではないかと思いながら見始めたが、日本と韓国・朝鮮の関係は特別な意味があることを、この組み合わせはかえって際だたせると思い直した。先日の朝日新聞には、日本でいくつかの映画館を持つ在日韓国人が、韓国に造った映画館のこけら落としにこれを上映するというはなしがあった。1960年代の末頃、京都を舞台にした在日朝鮮人高校と日本人の高校生の対立と、それをこえようとする恋。
 先人たちが作りだしてぼくたちに残した負の遺産、隣国へのひどい仕打ちと差別の中の共生。個人と集合と国家による暴力についての、そしてそれを乗り越えるためにたいせつなものについての物語だ。どっちみち受け継いだこの状況が、ぼくたちの目の前にある。だとすれば、それをいい方向に利用してしまおうという思いをふくらませ、小さいかもしれないが希望を残して終わった。ありふれた論理かもしれないが、それを受け入れることを不自然には感じさせないだけの力をもっていた。
大友康平の情熱も空回りせずに物語を動かしたのが、なんだか印象深く、ぼくたちの学生時代末期のことだったからメロディにとってぼくの中の居心地がいいのか、いまでも「イムジン河」と「悲しくてやりきれない」が、かわるがわるに頭の中でまわってとまらない。

投稿者 玉井一匡 : 02:25 AM | コメント (1) | トラックバック

July 13, 2005

浴書3:フロンティア文庫

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東京駅に妹親子を見送りに行ったかえり道、OAZOの丸善丸の内本店に初めて寄った。風呂で読む本(フロンティア文庫)を買うためだ。ほかには、新宿の東急ハンズくらいしか置いていない。店員に尋ねると、すぐに連れて行ってくれた。すべて同じ大きさのリングファイルで製本してあるし、ページ数に関わりなく一律に税込み1050円という設定も割り切りがいいと感心する。塩ビの紙というよりは板というくらいしっかりした厚さだから、温泉の帳場に置いて客に貸しても傷みそうにない。末尾に「本書の表記について」というページがあって、そのさらに末尾につぎのような一文がある。「*このテキストは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)でつくられました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」 やはり青空文庫を利用しているんだ。

 風呂場に置いて少しずつでも読めるには、詩集がいいと決めていた。小説のように止まらなくなるような本だったら、のぼせるか外に持っていってしまうだろう。萩原朔太郎の「月に吠える」を買うつもりだったが、立ち読みしていると、やはり一日の終わりに風呂の中で読みたいとは、思わなかった。迷った末に、かつて愛読した中原中也に落ち着いた。そういえば、中原中也は山口県の湯田温泉の出身だったんだぞ。 帰ると、さっそく風呂に入った。濡れることに何にも気をつかわないでいいという感じが不思議だ。
魚を水中めがねごしに見ると大きく見えるから、水の中で見たら老眼鏡がいらないかもしれないと事務所で思っていたのを、すっかり忘れていた。腰にタオルを巻いて探したが水中めがねは見つかったけれどシュノーケルがない。諦めていっぱいに息を吸い込んで浴槽の中に両手と本をひたす。半身浴どころか全身浴ができるんだと、つまらない感心をする。頭を水中に没すると、うーむ、やはり老眼鏡が要る。あたりまえだ。すべてのページの間に水が入ってしまったからすっかり開きにくくなって、全部タオルで拭くはめになった。
帰ってきた娘とひとしきり詩談義をしたあとに言われた。「フロンティア文庫って風呂だからなの?とうさんの世代なんだね、ハハハハ」  迂闊にも気づかなかったが、おい、もしかしたらフロンティアってのは風呂とボランティアをくっつけたのか。潜って本をよむやつはフロッグマン。次に出す本は精神分析入門かい、なんて、もうとまらない。

投稿者 玉井一匡 : 02:10 AM | コメント (0) | トラックバック

July 10, 2005

カヤック

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 阿佐ヶ谷の木風舎というアウトドアショップからメールが来た。「ご注文いただいた「カヤック」という本が入荷しましたので、ご来舎をおまちしております。お代は伏見さまよりいただいております」すごくいい本だからと伏見さんが快気祝いとしてプレゼントしてくださったのだった。この店は日曜祝日が定休日だというので、土曜の夜に読みたくて午前中に取りに行った。木風舎は、JRの高架線の近くに店を構え、あるじが自分の好きなアウトドアの本や道具をすこしずつ並べている。「木風舎 アウトドアスクール」と看板に書かれた店は、入りにくくて地味で好ましい。店というよりミュージアムショップのようだ。
 こいつは、伏見さんらしい本だ。一目見ただけで一筋縄でいかないやつであることがわかる。まず、全編手描きのイラストに、文字まで手描きだから、翻訳者は言葉だけでなく文字まで日本語に書き換えなければならなかったわけだ。おかげでこちらは気楽に読むことができる。

つぎに、カヤックの本でありながらその楽しさについてはひとことも語らない。カヤックの技術についての説明はことごとく具体的かつ論理的だが、ひたすら、遭遇する危険をどうやり過ごすかという立場をはなれない。水の中にモノが置かれたときの水の振舞いについての記述で一貫している。ひとことで言えば流体力学だが、とっつきやすくて面白い。ここでは水力学と書かれている。システムに人間とカヤックが加えられているからなのだろう。
 じつは、カヤックについての本であるよりも、カヤックをタネに流体力学あるいは川の力学を語る本なのかもしれない。読者は水の上でなく川岸にいて、愚かな振舞いをする自分自身をわらい、あわてる仲間を救うことを考えながら力学を学ぶ。1993年初版、1997年6刷とあるから、もう絶版なんだろうかと、amazon.comを調べたら、ちゃんとあった。カヤック—カヌー乗り必携!イラストで見る究極の川下りマニュアルそういえば、シトロエンが車種の頭にCをつけるようになったのはCXが初めてだったが、それは流体力学の抵抗係数がCxという記号で表示されるのをつかったのだから、カヌーはシトロエンとあながち縁がないわけではない。
 かつてぼくは小松左京の日本沈没を読んで、地震にたいする気持に変化がおきた。地球にとってみれば、地震とは日常的な活動の、ささやかな結果にすぎないと知ってから、あまり恐怖感を感じなくなった。恐怖感はパニックのモトだ。この本は、川の危険について同じような効果をもたらす。あるいは、サッカーにおけるすぐれたミッドフィルダーが、他のプレイヤーと同じ高さの視線にありながら、全体の状況を把握しゲームの流れを予測をできるように、客観的に川の危険がわかるようになるのだろう。

「だろう」と終わらせなければならないのはつらいところだが、なにしろ、ぼくのカヌー歴ははなはだ浅い。カヤックも何も持っていない。この本を贈ってくださった伏見さんがぼくのカヤックの師匠だというのも小声でいわなければならないほどの駆け出しというより見習いにすぎない。一昨年からわずか2回、奥利根湖に1回と佐原の堀割から利根川を横断して潮来まで行ったのが1回きりだ。伏見さんはカヤックを貸してくださり、初心者向けの場所につきあい、教科書を送ってくださった。伏見さんは塚原のかみさんの友人にして彼女のカヤックの師匠である。そのおかげで、ぼくは「弟子」となることができたのだった。

 この本はカヤックの危険とそれに対する対処に終始しているところをみると。読者がカヤックを嫌うことを恐れていない。それは、おもしろさに確信があるからなのだ、きっと。もちろん、危険のとなりが面白いんだという事実もあるだろう。しかし、水と一体になる快感は、スキューバ・ダイビングとは質の違う、けれども同等以上のものがあると,ぼくのささやかな経験でさえ思う。水と空気の境界を、すべるように移動すれば、水鳥が水面をたたきながら飛び立ち、スキーのように足をそろえて着水するのと同じ高さにぼくはいる。水を叩く大きな音たちに振り返ればハクレンの群れが、ぼくの目の高さより上まで行っては水面を切り裂いていた。掘割から見上げれば江戸時代の町の見え方を理解する。今でも使っていたのかとおどろかされた閘門は、近所の老夫婦が管理をしているので、開くのを待ちながらの世間話。川を道のようにして行き来する楽しさを過去のものにしてしまうのはもったいない。
 ちなみに、この著者はマウンテンバイクの本も書いている。「カヤック」の表紙の裏には、自宅の裏に置かれた飛行機とならんだ写真がある。

投稿者 玉井一匡 : 05:39 PM | コメント (12) | トラックバック

July 08, 2005

ガーナのアート棺桶

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雑誌「MEMO」の最新(8月)号に、ガーナのガー族のアート棺桶なるものが出ている。装飾棺桶という呼び方もある。
大胆、ユーモラス、そして美しい。ぼくはちっとも知らなかったが、知っている人は知っているらしい。国立民族博物館で開催中の「アフリカのストリートアート展」にも展示されているし、「ベリードスピリット」という本もあるようだ。とはいえ、1950年代から始まって、数人の制作者によってつくられているというから、そんなに昔からの風習ではない。これほどのものを作りながら、死者とともに土に返すのを、僕たちの感覚で言えばもったいないと感じるけれど、古代の墓の副葬品の豪華さを見れば、こんな棺をつくることも不思議なことではないのかもしれない。

 ガー族のひとびとにとって、葬式は終わりよりもむしろつぎの生の門出なんだと考えられているから、この派手な棺はそのためなのだといわれると思い出す曲がある。塚原のもっている「JAZZ BEGINS」というレコードに、黒人たちの葬式で、墓地への往復で演奏されるニューオリンズジャズの曲だ。 行きはしめやかにゆっくりとした演奏だったのが、帰りには意気揚々と、むしろ喜こびにあふれたような演奏に一転する。たとえば、雨上がりの夕方のような開放感。それが、いずれもこころをゆさぶるんだ。
まさか手ぶらになったことを喜んでいるわけではあるまいから、墓地へゆくときには死者とのわかれを悲しむが、帰りには別れた人の新しい人生を喜ぶのにちがいない。本人も、生きていたときのつらい世界とは、喜んで別れていったのだろう。ガー族の葬式にも、きっと音楽が演奏されるのだろうが、それもきいてみたいものだ。

投稿者 玉井一匡 : 02:25 AM | コメント (0) | トラックバック

July 06, 2005

シトロエンC3プリュリエル

 「ニッポンプロダクトの一つとして」の会場になったウィメンズプラザの前にあるオーバルビルの1階にシトロエンのショールームがある。7月2日の午後、講演と懇親会の間の時間にちょっと抜け出して見てきた。ぼくにとっては、久しぶりに好奇心をそそられるクルマ、シトロエンC3プリュリエルの現物が置いてあるのを行きがけに見つけたからだ。長いあいだ、CITROENのホームページの上だけでしかみられなかったやつだ。
 クルマというものは、もうとっくのむかしに基本的な部分は完成してしまったと、ぼくは思う。その点では、建築によく似た状況なのかもしれない。屋根と壁と開口があればそれは建築だというのは紀元前から変わらない。このところのクルマたち、とりわけヨーロッパのメーカーのクルマが新しい方向に変わり始めていると、ぼくは感じていた。とりわけそれが顕著なのがプリュリエルだと、ぼくは思う。

 iMacがアップルを救ったのも、パーソナル・コンピューターが同じような環境に達したときだった。パーソナル・コンピューターというものの基本的なありようと性能がおおかたできあがったころ、そしてアップルが青息吐息だったころにスティーブン・ジョブズが帰ってiMacを企画して発表した。コンピューターの概念とデザインを一変して、うしろからも見てほしいようなかわいいヤツになった。フロッピードライブがない。USBなんていうものがついた。インターネットがあるからこれでいいんだというのも、そのときは実感がないまま、ぼくたちはMacへの思いを新たに深めた。パーソナルコンピューターとコミュニケーションのあいだが切っても切れない関係になるときだったのだ。

 4つのタイアに人間の腰掛ける空間を載せて、エンジンを回して移動させるという、クルマの基本的な概念は、発明されてから現在まで変わらない。しかし、大きな物体が人をのせて道路を移動するという性格上、安全という特別なそしてもっとも重要なハードルを常にこえつづけ、排気ガスという障害物も加わった。それでもクルマは、本質的にはほとんど変わらないまま現在に来た。
 このところのクルマたちの変化は、車内の人間をどうきもちよくさせるかということを、考え始めたことにある。プジョーが、屋根のほぼ全面をガラスにしたら。ホンダもさっそくエアウェイブをつくる。その前に、ホンダはフロアシフトをやめてコラムシフトに変えることで、ふたつの前席の間に隙間をつくろうとした。車内の空間が連続した。シートのレイアウトのパズルには、トヨタさえ熱を入れている。
 プリュリエルは、はじめは雑誌で見たのだったと思うが、5つのタイプがあるのだとぼくは思った。シトロエンのホームページを見ると、そうじゃないんだ。サルーンと言っている状態からキャンバストップ(正確にはキャンバスではないし、4層で構成される)が電動で開き、リアウィンドーを回転させてトランクの下におさめ、キャンバストップのガイドであるアーチを外せばすっかり開放的な状態(スパイダー)になる。リアゲートを後ろに倒すとそこに腰掛けることもできるぞというのだった。ディテールも魅力的につくられているし、色もちょっとくすんでしゃれている。クルマの写真をみてぼくは久々に胸を躍らせ、ブックマークをつけた。それから1年以上が経った。(いまでは本家のサイトよりも、むしろシトロエン・ジャポンのサイトの方が、説明が充実している。もちろん日本語で書かれている)
 こいつは、最高速度やゼロ4加速なんて数字であらわす性能にはなんの頓着もない。たのしい、気持ちいいということが、なにより大切なのだ。そういう価値を重視する時代の車なのだ。十年以上のながいあいだ、ぼくはクルマに惹かれるということはなかったけれど、こいつは違うと思った。
 ショールームでほんものに触ってみて、屋根も開閉してもらったし運転席にも座った。予想と違ったのは、思いのほかしっかり重厚につくられていたことだ。シトロエンは、エンジンの大きさの割に体がおおきくて、だから軽くてちょっと薄くつくってある。でも、中に入るときもちいいというやつだったとぼくは思うが、ドイツの車のようにしっかりしている。ユーザーというのは全くわがままなものだ、ぼくはシトロエンらしくないなと、ちょっと肩すかしを食った気がした。しかし、こんなに可動や取り外す部分があっては、いい加減な精度ではすまされないのだろう。
 乗用車は、とにかく速くしずかに移動するという基本性能は当たり前のことになって、気持ちよく車内にいられることにとどまらずに、開放的であることによって周りの世界へ溶け込もうとするようになったようだ。でかいほどいい、黒ガラスで中を見られないようにしてバーまで付いているぞなんていう車とは、正反対の方向にある。
そこで、建築を思う。Be-h@usが50年間の88ひとつだとされたのは、そのシステムに基本性能をあずけて、きもちよくまちに開くすみかを考えることに力を注ぐんだよという意味なのかもしれない。

追記0708
ところでplurielってなんだろうかと思って仏和辞典を調べたら「複数の」とあった。フィアットのムルティプラも僕はとても好きだけれど、これも英語でいえばmultiple「複数の」という意味に違いない。同じく「いろんな使い方ができる」ということなんだろう。「世界の自動車」という本が毎年出ていたのを子供のころに愛読していたが、その中の数々の車でも好きな車のひとつがフィアット・ムルティプラだった。それはフィアット500の兄貴分というかんじのやつで、ワンボックスの後ろが緩やかに低くなっているようなのがかっこいいと思った。ぼくも元々そういうくるまが、すきらしい。
いろいろ言うわりには、十万で譲り受けた黒塗りのセドリックやゼロ査定のローレルを外国に行く友人から引き継いだりして、いまは、死んだオヤジが十年も乗ったのにメーターに3万キロ台の数字が残されていたプリメイラに乗っている。だから、「きみも思想のあるクルマに乗ったら」なんてことを言われたりする。
でも根底には、車は道具だという思想を持っているつもりなのです。

投稿者 玉井一匡 : 12:50 AM | コメント (2) | トラックバック

July 04, 2005

「ニッポンプロダクトの一つとして」の参加者のひとりとして

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  この50年間もの時間で生まれた日本のプロダクトデザインからわずか88を選んだ中にVolksHaus+Be-h@usが選ばれたときいたときに、ぼくはおめでとうというよりも選んだ人たちのセンスがいいなと思って、aki's STOCKTAKINGにそういうコメントを書いた。
 このことを記念するあつまり「ニッポンプロダクトのひとつとして」が7月2日にひらかれ、そこで選考者のお話があった。それをうかがいながら、ぼくが改めて感じていたのは、センスがいいなんていう言い方はちょっと軽すぎて失礼だったなということだった。完結した住宅というモノではなく、対象としてBe-h@usのコンセプトや時間の広がりをも含めて選ぶという視点をもって選考されたことに、あらためて敬意を表したいと思ったのだ。
 にもかかわらす、アルコールの苦手なぼくは、こういうパーティーの中ではちょっと消極的で、自由に移動して話をするということをつい忘れてしまう。直接に選考なさった方とお話ししなかったと、あとになって気づくしまつだ。

日本の建築とりわけ住宅の大部分では、ひとたび作られるとあとはひたすらそれ自体の経済価値を減らすカウンターが回転し始める。たとえばアメリカでは数十年も経った住宅が売買の対象にされることを思えば、次々に作られる住宅が社会的な資産として蓄積されない日本のありかたは、明らかに、何重にも間違っている。人間の生きることを容れる器のありようでなくイエを作るという行為とその経済活動が、なにより評価されるのだ。しかも、そういうありかたは資源を消費し廃棄物を大量に放出する。それに対して住宅産業は、100年住宅や品質保証というスローガンをかかげて、とにかく物理的に長持ちするものをつくろうとしているとしか見えない。丈夫だが気持ちよく住むことのできない住宅がふえるとすれば、むしろ事態は悪化する。
 これに対して、エネルギーを消費せず気持ちよい生活をする+明快なシステムで構造的な強度を保証したのがフォルクスハウスだった。そこに構造上の進化で物理的な価値を高めかつ固めると同時に、インターネットを活用したオープンソースによってイエの「つくりかた」についてはむしろやわらかく自由にという概念を加えたのがBe-h@usであり、このシステムをつかって「褌のように柔らかいイエ」を設計してつくってゆけば、日本のイエも日本のまちもきっとまっとうになってゆく・・・・・。そういうシステムだとぼくは考えている。
「だから、どんどんつくろう」という中島さん(アイランドプロファイル)の声が聞こえます。

投稿者 玉井一匡 : 06:04 AM | コメント (2) | トラックバック

July 01, 2005

ベインブリッジのオークション

auction.jpg click to jump on the website.
一昨日29日の午後、夏休みに入った2人の娘を連れて、シアトルから妹がやってきた。子供たちはもうすぐ12才と7才、息子は今年から高校だが、父親と残っている。かつて彼らはニュージャージーに住み、夫は大嫌いなマンハッタンに通っていたが、9.11の前、2001年の夏に会社を辞め、家族で国内を旅したあとしばらく新潟の実家ですごし、前から望んでいたシアトルに落ち着いた。
この日に日本に着いたのは、その前の週末に地元のロータリークラブ主催で恒例のオークションがあって、ボランティアを終えてやってきたからだ。毎年の売り上げは2000万円から3000万円にもなるんだという。

サイトを開いてみるとRotary Auction & Rurmmage Saleと書いてある。「rummage sale」って何だろうとexcite辞書を見ると、「《米》 がらくた市; (特に)慈善市 (《英》 jumble sale)」とある。どうしてそんな金額になるんだろう、どんな規模でやるんだろうかと、気になった。妹にきくと、小は衣類やオモチャから、大はクルマやヨットもあるが、実際にオークションをするのは高いものだけ。安いものは値段が決まっているのだそうだ。
去年、パーティでいっしょになった人が、「これ、オークションのときに1ドルで買ったのよ」と、黒いドレスを指して言っていたそうだが、衣類は大部分が1ドル、ブランコやすべり台がいっしょになった数百ドルの遊具が5、60ドルで出ていたという。
催しの規模はシアトル市全体ではなくて、ベインブリッジ・アイランドのロータリークラブが主催だが、客は島の外からもたくさんやってくる。金曜日に下見ができるので、どれを買おうかという目星をつけておく。当日は島はクルマでいっぱいになり、開場とともに、目指すところへ向けて一斉にわれがちに走り出す。
午後2:00をすぎると無料になるので、それをめがけてくる人たちもいて、そのころにはまた人がふえる。中には、ねらいをつけたテーブルと椅子のセットに家族で腰掛けて他の人に近づけさせず、只で手に入れようとした猛者がいて妹の亭主スティーブが憤慨していたという。その一方には、ヨットやモーターボートを寄付する人たちがいるわけだ。

実際にオークションをしたものには何があったのか、いくらだったのか、売り上げたお金はどんな風に何に使われるのか、興味は尽きないが、それは今週末に会ったときにきこう。
こういう話をきくと、モノの所有についての感じ方も、コミュニティとの関わり方も、ぼくたちとはずいぶん違う。ロータリークラブのサイトによれば、毎年200から300人のボランティアが協力してくれると書いてある。出品する人はモノで協力するし、ボランティアは労働力と時間を提供するわけだ。アメリカの推理小説と映画の世界だと思っていた陪審員制度が、いつの間にか日本に裁判員制度として導入されることになった。これは、ひとりひとりがコミュニティをつくるという意味で、ぼくたちの社会をいい方向に変えるんだとぼくは思うんだが。

投稿者 玉井一匡 : 07:27 AM | コメント (1) | トラックバック