August 28, 2005

テーハミング

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「日本海とGoogleマップ」のエントリーで、「海東」ということばのことを書いた。かつてワールドカップの開かれていた頃に、このことばに初めて出会ったことをホームページ(PAGE HOME)に書いたので、それを掘り出してここに連れてこようと思って調べてみたら、「海東」ということばをぼくは間違えて理解していたことがわかったが、まずはそのまま持ってきた。
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 楽しみにしていたヨーロッパのチームがつぎつぎと韓国に負けて消えて行くさみしさも手伝って、ぼくは韓国の躍進を素直にはよろこべなかった。だからこの気持ちをなんとか克服したいと思った。そこで、6月22日の韓国-スペイン戦は土曜日の午後だったから韓国料理屋のど真ん中でゲームを見てみようと、打合せのあとで、ぼくは新大久保の駅をおりてひとりで新宿の職安通りに行った。そうする気になったのは、数日前の早朝の出来事があったからだ。
 日本がトルコに敗れ、韓国がイタリアに勝った翌日の早朝、プリンターのインクを切らしたので職安通りのドンキホーテへ買いに行った。5:30ころの町には、あちらこちらでまだ興奮が燠火のように続いていた。歩道の向こうからやってきたやつが近づいてくるなりぼくを抱きしめて、なんだか叫んでよろこびを表した。前の夜に日本が負けて韓国が勝ってからずっとぼくは悔しいヒトだったのに、このときは本気でおめでとうという気になることがわかった。だから、この日はもう一度赤い声援のさなかにひたってみようと思ったのだ。

新宿に着いた頃には、すでにゲームが始まっていたので、テレビのある店はどこも人が道路にこぼれていて、とても韓国料理店に入るどころではない。1階のテナントがいなくなった小さなビルでは、奥にテレビを置いて人が密集している。さらに歩道をはみ出し、路上駐車の車のあいだにあるわずかな隙間にも人が詰まって背伸びしている。わずかこの2,3年のあいだに、職安通りには韓国・朝鮮のみせが一杯になったけれど、これまではアジアの喧噪やエネルギーや力強さの欠けていたことが、ぼくにはちょっと不満だった。「これがおれたちの世界なんだぞ」と、日本人に対して本気で自分たちを主張しているところが感じられなかったのだ。ところが、どこかに隠されていた秘密の筺の蓋が一挙にひらいたかのように、韓国が町じゅうに満ちている。

 車道から背伸びして画面を見つめる人間に加わっているうち、しばらくするとふくらはぎが疲れてきたのでよそを見てまわることにした。細い道に面した韓国料理屋が店の前の道に向けてテレビを置いているのを見つけた。道を挟んだ向かいの3台分ほどの駐車場を空けて、地面に腰を下ろしている人たちが2、30人ほどそのテレビを見ている。ぼくはそこに加わることにしてコンクリートの上に陣取った。

 韓国料理屋には、道にそって奥行きわずか1mほどのテラスがあって、そこに小さなテーブルを間に向き合う椅子が2脚ずつ。テレビは、それに並んで置いてあるのだった。席に座る女の客からは、コーナーキックから直接ゴールを狙うくらいに角度がないのだから、画面はほとんど見えるはずがない。だから、テレビをよそにチヂミの皿とビールのジョッキをつぎつぎに空にしてゆく。まわりの人たちやテレビから声援があがると、その時だけ振り向いて身を乗り出しなにやら叫ぶのだった。30人は地べたに座って、彼女のすぐうしろの画面と、ときに2人を注視しているというのに、まったくたくましいものだ。
 ぼくは一番後ろの隙間に腰をおろしてビルのシャッターに寄りかかっていた。パワーブックのディスプレイより小さなテレビを5,6mはなれて見るのだから、ゴールラインを割ったかどうかなど、ぼくに見えるはずがない。審判さえわからなかったんだもの。おおよそのゲームの運びを見ているだけだったから、あとになって問題になった2つの怪しいジャッジも、ぼくにはそれと気付くことができなかった。ジベタリアンの一同が、ときどき右手を挙げては「ホーンミョンボ!」とか「アーンジョンファン!」と声をそろえて叫ぶのは分かるけれど、どうもわからないのがあった。繰り返して何度も聞くうちに、「テーハーミング!」というのが「大韓民国!」なのだと、ようやく理解したときには、韓国がとうとうスペインにまで勝ってしまった。

 ゲームが終わると、あちこちの店から出てきた人たちの紅いTシャツと「テーハーミング!」で職安通りは埋めつくされた。イタリアもポルトガルもスペインも、期待したチームだったからだろうが、ぼくは「おめでとう」という気にはなっても、よろこびを分かち合う気持ちにはなれず、うらやましい悔しいと思い続け、そういう自分の狭量を気に入らなかった。

 翌々日、相談したいこともあったので、青山で骨董店を営む友人を訪ねた。李鳳来さんはぼくと同年代で、店では李朝のものを専門に扱っておられる。父上が韓国人、母上が日本人で、ご自身は吉田松陰で修士をとったという人だ。李さんと話したら、彼らのよろこびの一部を共有する気分になって、少し前に進むだろうと思ったのだ。 しばらくサッカー談義をするとたしかにそのとおりになったのだが、それでも、店にある率直で力強く知的な李朝の器や家具と、ぼくの記憶に残された赤い応援の不似合いが気になった。
 数日してその理由がわかる気がした。応援の言葉が、たとえば「コリア!」でなくて、なぜ「テーハーミング!」だったのだろうかという疑問が湧いたからだ。明らかにこれは北を除外している。そのことを、日本のマスコミも含めて、だれも不思議だと言わなかったのはなぜなんだろう。もし、あれが「テーハーミング!」でなかったら、三位決定戦の日に黄海上での銃撃戦はなかったのかもしれない。「テーハーミング!」がチームや選手でなく地域でもない、国家を応援しているということが、マスゲームや人文字がそうであるように排他的な一体感をぼくに感じさせたのだ。

 とはいえこの機会に日本と韓国が、たがいの在りようを一部かもしれないが肯定的な実感として残すことができた。李さんのギャラリー「梨洞」の本棚にならぶ背表紙のひとつに「海東」とういことばがあったのを、寡聞にしてぼくは意味を知らなかった。李さんに尋ねると朝鮮半島を指す古くからの呼称なのだという。美しいことばだと思った。FAR EASTということばは、ここが世界の東の果てだと思えるのでとても好きなのに、「米軍」と対になっている「極東」という翻訳語をぼくは好きになれない。
「海東」のようなうつくしい名を、日本を含めたこの東アジアに使えないものかと思う。
*   * *   *   *
いまになって調べてみたら、海東とは朝鮮ではなく日本と琉球の連なる島々のことだった。もともと国家ではなく場所についての呼称なのだ。うれしい発見だった。国家は、人工的に取り決められた線によって不連続に切り分けられるけれど、文化や生活や歴史を書き込まれた「場所」は空間的にも時間的にも連続的につながるからだ。
 2002年のこのとき、新宿では日本の若者たちは韓国人たちといっしょに声援を送り喜びをともにしていた。多くのマスコミもよろこんでいたが、それには少し無理をしているところがあるようにぼくには思われた。悔しいという気持ちも表した方が正直でいいんじゃないかと思うんだがと、このときぼくは李さんに話した。
いや、日本人が応援して喜んでくれたことは韓国人にとっては思いがけないことで、とてもうれしかったようですよ。それでよかったんだと思う。そう李さんはおっしゃった。

投稿者 玉井一匡 : 12:38 PM | コメント (0) | トラックバック

August 26, 2005

日本海とGoogle マップ

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ぼくは高校や中学のころは地理が嫌いだった。暗記しなきゃならないものだと思っていたからなのだが、ずいぶん後に一転して地図が好きになった。地理というのは暗記するのではなくて想像力を働かせるものなんだと気づいた。
 Google マップは、ぼくたちがこれまで想像力にたよっていたところを絵にしてくれたので、想像力の足りなかった部分を埋めてくれるし、想像力の方は、もっと別のことにつかえるようになるのがうれしい。衛星写真と地図のあいだを、地球上の離れた場所を、瞬時に自在に行き来する。遠くから見ることも近づいてみることもカンタン。そうやって見ているうちに、国境によって切り裂かれ分割された世界が、海と土と緑で蔽われたひとつながりの世界であることが、実感としてわかるようになるのだ。このことを友人の宮前眞理子さんに電話で話したら、「宇宙飛行士が地球を見ると、世界観が変わるっていうけれど、そういうものかもしれないわね」と言った。さらに、海の写真は海底の起伏もわかる。ひとつながりの地表の、低いところに水がたまった部分が海とよばれるにすぎない。価値を数量化して指標にすることをぼくはきらいなんだが、これは、コンピューターの処理速度が向上して、それがある段階を越えたおかげで量の変化が大きな質の変化をもたらしたのだ。

 地図の範囲さえ自在になる。「サテライト」を選んで、画面の中心に日本海を持ってくる。そしてそれを陸地が取り囲むようにすると、ぼくが思っていたものとは日本海がすっかり別のものになる。大陸と細長い島で囲われた池のような海。かつてのひとびとは、この海をこんな風に感じていたにちがいない。隔てるものであると同時にむすぶものではないか。朝鮮半島は、壱岐・対馬を経て行き来するものだから、日本の北にあるような気がしていたけれど、じつは島の全体からすればむしろ西にある。
 この地図を見ているうちに、池のようなこの海を日本海と呼ぶことに固執しなくたっていいだろうという気がしてくる。「日本の海だ」といいつづけるのは大人げない。2002年のワールドカップの招致合戦を繰り広げていたころ、当時参議院議員で招致活動の中心の一人だった釜本は、韓国は委員を買収しているとさえ非難するほど対立した。ブラジルは日本を応援したが、ヨーロッパの委員が提案した共催という結論になった。おかげで交流が劇的に変化した。ワールドカップの開催が友好の「資源」となったのだ。

 かつて、日本と琉球のことを朝鮮では海東(ヘドン)と呼んだそうだ。このことばをはじめて見たときに、友人にたずねると、朝鮮の古称だと説明してくれたと思っていたのだが誤解だったらしい、朝鮮から見て海の東つまり日本と琉球を指すようだ。中国は、例によって中華思想だから邪馬台国が記録されたのが後漢書東夷(東の辺地)伝だったように、自分中心はおたがいさまだったのだ。国際的な関係が確立する時代に、たまたま日本海という名称が認知されて現在に至ったのだろう。
ワールドカップの開催権については、他人に言われて渋々共催に従ったんだが、むしろ、池のように周囲を囲まれる海の名称を、いっしょに考えてみないかとぼくたちが言い出せば、平和のための資源として活用できるだろう。スタジアムの命名権が商売の種になるんだから、海の名前を平和の種にすることもできるだろう。同じことを相手に要求されてから動き出せば、それは争いの種になるだろうけれど。・・・・・Googleマップはそんなところにまで我々をつれてきてくれる。


追記:aki's STOCKTAKINGへすぐにトラックバックされたあと、きみは忘れっぽいから、「環日本海諸国図」にトラックバックしたよという電話も秋山さんからいただいた。Googleマップにはできないが方位を変えられるってことは、とても大きなことだと思うんだ、だからEARTH BROWSERを忘れちゃ行けないと。
両方ともそのとおりなのだ。ぼくは忘れっぽいおかげで、同じことに二度も感動してしまうことがある。しあわせな人だと言ってくれるヤツもいる。aki's STOCKTAKINGにあったのを調べようと思いながら書いていて、調べることを忘れてしまった。たしかに、地図の方向を変えるというのは、立場を変えて地図を見ることができるということだから、とても大きな違いだ。「環日本海諸国図」を見ればよく分かる。地図を180°回転しただけでまったく日本海の意味が変わってしまう。

五十嵐さんがいろいろさがしたローマの建築を上空から見る「ローマの休日」も楽しい。

投稿者 玉井一匡 : 08:25 AM | コメント (4) | トラックバック

August 21, 2005

海馬

*clicknto PopuP
*「海馬」/脳は疲れない ほぼ日ブックス (ほぼ日ブックス) 池谷 裕二 糸井 重里 /¥ 1,785 新潮文庫¥620

 「海馬は読んだ?」ときかれて、読みましたよと答えたが、内容について話をききながら、どうも記憶から掘り出せない。ひところ「ほぼ日」で話題になっていたから、そのころに買ったはずのが本棚に並んでいる。akiさんの電話を切ってから、本棚から手に取ってみたがどうもはじめの方くらいしか記憶にない。昼飯を食べながら読み始めると、おそろしくおもしろいんだ。こんな本を途中でやめるってのはいったいなにがあったのか不思議だ。tacにそう言ったら「玉井さん読んでいないですよ。本の端がきれいだもの」と物的証拠を突きつけられた。そのとおり、ぼくが読むと、本のページの下の部分がかならず汚れるのだが、こいつにはそれがない。

 ぼくたちは、一日中さまざまなものを見たり聞いたりさわったり、とてつもない量の経験をしているけれど、それらのうち、どれを自分のものとして記憶に残しどれを捨てるかという判断をするのが海馬の働きなのだという。
 脳は一生のうちに2%くらいしか使われないんだと言われている。生まれてから、1秒にひとつくらいずつのいきおいで脳細胞は死んでひたすら減ってゆき再生産されることがないのだが、海馬の神経細胞だけは増えてゆくのだそうだ。つまり、暗記のような単なる記憶は若いときの方がいいけれど、年齢を重ねてゆくほどに賢くなるということじゃないか。うーん、そうだったのかとにわかに覚醒してきた。

  世の中には、すでに限りないほどの沢山の事象がある。それらを選別して法則性をみつけることが発見であり、集めたものごとの一部を膨らませたり縮めたりしてつなぎ変えることが発明や芸術というものではないか。発明も発見も芸術も、「すでに世の中にあるもの」を編集することなのだ。海馬の役割は、脳の受けとった莫大な量の刺激と経験の中かから何かを選び出し組み立て直すという編集作業にほかならない。そして、その能力は、使い続ければ衰えないばかりか成長しつづけるというのだ。
 さまざまな事象の関係や、脳細胞をむすぶシノプシスがつくりだすシステムのことを糸井が「つながり」ということばで言っている。脳細胞の一つ一つだけをみれば大したことを記憶できるわけじゃないのにそれらのつなげかた次第で、素敵なものができる。 まちや建築のつくりかたのこともぼくは思い浮かべた。すでにあるものをつなぎあわせ組み合わせて新しい価値を作り出すというしごとは海馬のようだ。

 池谷はこんなことも言っている。このごろはインターネットのおかげで、研究の成果を仮説の段階で公表することがある。それを見た人があとを引き継いで証明してくれるというぐあいになってきた。オープンソースなんだ、脳というやつが固定したものではなくて、その時々のプロセスであるというのと同じなのです。・・・・blogというメディアそのもののいいところも、そういうところだ。まずはエントリーして、違っていたら訂正して徐々によくしていけばいい。それに、ほかの人が手を加えたり口を出す。そうやっているうちに、やがて洗練されてゆく。

  ところが、日本の国道や県道沿いの町では、それまでにあった田んぼや古い商店や住宅を一掃してしまう。「すでにあるもの」に蓄えられたものを選んでつかうのでなく、それらを無視して一掃し何もない状態にしてから、前よりもいいところもあるにはあるが、多くの場合には悪いところをたくさん秘めたもので置き換える。どこでも同じ大型店を大きな看板といっしょに並べる。そして、ちょっと離れたところにある古くからの商店街には、閑古鳥の群れを入れた籠のふたを一斉に開く。本当はいろんなものがもっと蓄積されている古い町は風化し腐敗してゆく。そういうまちのつくりかたは、効率と利益を行動の規範にしてインターネットで大儲けをたくらむ奴らと同じやりかたなのだ。数量しか気にしない。

shinkablane.jpg  この2人の話を読んでいると、つぎつぎにいろんなことを考えてしまう。この人たちはそもそもそういう資質にあふれたひとだろうが、対話という形式がとてもすぐれた表現の方法であることがわかる。ひとりで書く文章は、どうしたって文字を順番に並べるという形式にならざるをえない。線形、一次元なのだ。ところが、すぐれたくみあわせすぐれた人による対話では、それが一変して平面にひろがり立体に膨らむ。そのふくらみを、読者であるぼくたちもまたさらに膨らませたくなってくるのだ。
 かつて朝日出版社がレクチャーシリーズというのを作っていたことがある。ある分野の専門家ひとりと、門外漢の聞き手ひとりを組み合わせて精神分析や相対性理論などのテーマを一対一で講義するというもので、ちょうど海馬と同じ形式をとっていた。とてもすぐれたシリーズだったが、今はもうなくなってしまった。朝日出版社は、伊丹十三責任編集の雑誌「モノンクル」を出していたところでもあるから、レクチャーシリーズにも伊丹がからんでいたのだろう。伊丹が死んだ現在、かれの代わりをするひとは糸井重里だと、この本を読んだあと、ぼくは確信した。そして、会ったこともないが池谷さん糸井さんのふたりにありがとうといいたくなった。そういえば、池谷さんの「進化しすぎた脳」を、ぼくはまだ読んでいないけれど朝日出版から出ている。

 脳の話をきいていると、いろんなものごとが脳とおなじようにできていると思った。あれも、これも。
しかし、それは当然のことなのかもしれない。ぼくたちはものごとを脳で理解して脳に記憶するのだから、世界は脳の形式にしたがって整理されるはずだ。だとすれば、それらが脳のありかたに似ているのではなくて脳の構成に則ってぼくたちが世界を認識しているということなんじゃないか。

投稿者 玉井一匡 : 06:38 AM | コメント (0) | トラックバック

August 15, 2005

バベルの塔

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千葉糺さんから郵便物が届いた。バベルの塔について書かれたものの抜刷り、「バベルの塔考察 =ニューヨークから古代バビロニアまで=」という小冊子が同封されていた。ニューヨークのバベルの塔とは、もちろんワールドトレードセンターのことだ。バベルの塔について旧約に書かれている記述そのものと、それについてのさまざまな人たち(中野孝二、若桑みどり、犬飼道子、石田友雄、三浦綾子、フラティウス・ヨセフスなど)による解釈を示し、それをふまえて最後に千葉さんの視点が示されている。

 多くの日本人には、聖書とりわけ旧約の物語は、ところどころが部分的に知られているにすぎない。バベルの塔の話は、日本人にもノアの方舟の物語についでよく知られたもののひとつだ。人間が神に近づこうとして天にも届こうという高い塔をつくり、それが神の怒りにふれて壊されてしまうという、傲慢を戒める話として受け取られている。
 ところが、具体的には旧約聖書にどう書かれているのか、ぼくは読んだことがなかったが、読んでみれば、おどろくほど短い記述だ。しかも、そこには塔を作ったことを神が憤ったとは何も書いていない。塔をつくりはじめたひとびとは、ひとつのことばを話し、ひとつに団結し、なにごともできないことはないと考えるようになった。だから、神ヤアウェは、ひとびとが別々のことばを使うようにし、別々のところに散らしたというのだ。

 新宿の超高層街や幕張の新しい町は、ひとりひとりの人間が歩いても、心地よいとか楽しいとかいうまちではない。人間を、統計的に抽象化して、そのままそれを反映する建築にしたにすぎないからだ。けれどもマンハッタンのまちは、ひとつには時間の経過による熟成のおかげだが、あれほどの高層ビルの集合でありながら、歩く人間のスケールを逸脱しない。にもかかわらず、ワールドトレードセンターは、新宿や幕張のように、歩く人間を拒否する作り方をしていた。だから、ぼくはあのツインタワーが嫌いだった。日本の超高層ビルはワールドトレードセンター、あるいはそのタイプを踏襲してつくられたものだ。
 ツインタワーがなくなったからなおさらなんだろうが、普通のアメリカ人の発言を聞いたり読んだりすると彼らにとってワールドトレードセンターは、アメリカの経済的な勝利の象徴だったことがわかる。マンハッタンの先端に立ち、かつては世界で最も高い建築。あらゆる手段を使い、不可能なことをなくしてしまう国家の、経済という単一の共通言語で世界を支配しようとするアメリカ。その偶像なのだ。だから、あるいてあそこに行くことが不愉快であってもかまわなかったのだ。
旧約聖書が戒めたことを今も堅くまもり続けるイスラムにとっては、ホワイトハウスにまさる偶像ととらえられたとしても当然ではないか。

ユダヤ教は、ことばを、地のものからはなれた抽象としてなにより大切にし、したがって偶像も否定したが、じつはむしろさまざまな言語は地と不可分なものであるという矛盾を説明するために、旧約の作者は古代バビロニアのツィグラッドに着想を得てバベルの塔の物語を書いたのではないかと、千葉さんは結論づけている。

千葉さんが最終的に引用された、バベルの塔の記述は以下のとおり。(ドンボスコ社版旧約聖書による)


 さて、全地はおなじ言語とおなじことばをつかっていた。人間は東のほうから移動して、センナアルの地の平原につき、そこに定住した。かれらは、「さあ、れんがをつくり、火でやこう!」といい合った。かれらは、石のかわりにれんがを、しっくいのかわりにチャンを使いだした。つぎにかれらは、「さあ、町をつくり、その頂が天にまでとどく塔をつくろう。全地のおもてに分かれないように、われわれの名を高くあげよう!」といった。しかし主は、人間の子らがつくろうとしている町と塔とをみようとして下り、「なるほど、かれらはみな一つのことばだけをはなす団結した国民で、その大事業をはじめたばかりだ。どんな計画も、完成できないはずはない、とかれらは思いこんでいる! さあ、われわれは、かれらのことばを乱しに行こう、そうすればお互いにことばが通じなくなるだろう!」とおおせられ、主は、かれらをそこから全地のおもてに散らされたので、かれらは町をたてるのをやめた。バベルと呼ばれたのは、そのためで、そこで主が全地のことばを乱し、かれらを全地のおもてに散らされたためである。

千葉さんは、数学の先生で、いまは学習院高等科の校長先生である。みずからもテンペラ画を描く人だから、バベルの塔というテーマは、ブリューゲルの絵がきっかけになったのだろう。文中でも取り上げられている。ぼくのところに送ってくださったのは「学習院高等科紀要 第三号別刷」である。
学習院高等科の、大学への推薦入学の決まった生徒たちのための体験学習が行われたと、今年7月20日の朝日新聞に紹介されていたが、これは千葉校長の発案によるものである。昨年、もう1年ほどまえに送ってくださったのは「フラティウス・ヨセフス考」という、「ユダヤ史」についての論文だった。ふたつの文章の全文がどこかのサイトに掲載されていいないかと探したが、まだみつからない。千葉さんにうかがってみようと思う。

投稿者 玉井一匡 : 04:15 AM | コメント (2) | トラックバック

August 10, 2005

夕凪の街 桜の国

yunagi-sakura.jpg「桜の国」の舞台は、中野通りの桜、片山橋、水の塔公園、みんな近いぞと、秋山さんからのメールをいただいた。早速aki'sSTOCKTAKINGに書かれた「夕凪の街 桜の国」を読んでコメントを書き始めたのだが、長くなりそうだしまわりのまちをまた書きたいこともあるので、コピー&ペーストでここにつれてくることにした。

<aki'sSTOCKTAKINGへ書きかけたコメント>
きのう買ってきて読みました。これほどの重く深いテーマを、60年の時間と場所を隔てながら、こんなに短くみごとに表現できたものだと思ったけれど、じつは短くしたからこそそれが可能だったのだと、あらためて思います。4つの時と2つの場所は、たがいの残像が残されているくらいの短い間に行き来することで、過去と現在が深く関わるものであることを実感します。
 この物語は、1945年8月6日のヒロシマでのできごとそのものは直接に描くことをせずに、その日に遭遇し、そこで起こったことを受け止めて生きる人たちのつよさ、勇気、やさしさをきめ細かく描いている。それをもたらした悲惨さと残酷を間接的に表現しているところがぼくは好きです。だからこそ、ぼくたちは自分の日常と重ねてよみとることができるのでしょう。

 それにしても、ことは原爆に限らず被害を受けた人たちが、むしろ肩身の狭い思いをして生きてゆかなければならないという理不尽なことは、ことによると人間の世界の常であるのかもしれませんが、とりわけこの国では多いような気がします。たとえば公害の被害者として名乗り出る人に対する後ろ指や、イラクで捕まった人たちに対する自己責任なる非難、レイプやストーカーの被害にあった人にも同じような視線が向けられるといいます。
この物語の主人公たちは、そういう風土の中にあって、無意識になかば後ろめたい気持ちで生きてきた。だから自分たちの生きる場所は、ほかの人たちとは別の場所でなければならないと無意識のうちに感じてしまうが、事実を正面から受け止めながら強くしなやかに乗り越えてゆくことに、ぼくは尊敬と共感をおぼえました。

 読み終えた本を娘にわたした。
「これ知ってる?」
「えーっ、あたし買ったよ。でも読む前にどこかに消えちゃったから、見つけたら誰かに売りつけるからいいよ」
「これ、8月6日のヒロシマと、新井薬師や桜の中野通りが出てくるの知ってたかい? うちのあたりが舞台だぞって秋山さんに聞いたんだ」
「知らなかった。なんかよさそうだから買ったの」
 長女は8月6日が誕生日で、わが家の最寄り駅は新井薬師、ぼくたちは毎日のように水の塔を遠くに見て中野通りを行き来する。8月6日は偶然ではない。帝王切開だったから、ある程度の範囲で誕生日を選ぶことができたので僕たちはこの日を選んだのだが、この日にヒロシマにいた人たちの多くは、このことを思い出したくないと感じるだろうと思えば、軽々しく口にできることではないのだと、あらためて思う。

投稿者 玉井一匡 : 10:30 PM | コメント (6) | トラックバック

August 06, 2005

ヴィエンチャンの合歓の木

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この春ヴィエンチャンに行ったときに大学の図書館を見学した。読書室の窓から見下ろすととても形のいい巨きな木があった。帰りがけにそばに寄ってみるとやはり合歓(ねむ)の木だった。やはりと思ったのは、そのとき合歓が気になっていたからだ。ヴィエンチャン中心部に計画中の市立図書館ができる敷地に、大きく枝を広げる涼やかな木がある。足もとにデッキを作れば屋外読書室にもってこいだ。 南国の特別な木なのかと思い近づいて花と葉を見ると、合歓の木なんだ。葉は日本の合歓よりも大きくてアカシヤのようだが、花はまぎれもない合歓だ。それから気をつけてみると、道の向かい側にももっと大きい木があって、木蔭には屋台がある。「合歓」というのは不思議な字を書くなと思っていたが、こうやって木蔭に人が枝に鳥たちがあつまるのをみるとなるほどという気がする。

bigtreevient3.jpg
 合歓の木蔭がすずやかなのには、いくつかの理由がある。細い糸をたばねたようなたおやかな薄紅の花がいかにも繊細。小さな葉の集合体なので隙間が多いから、それら薄い小さな葉は太陽を透過し反射させて、光を霧のようなちいさな粒にして地上に撒きちらしてくれるのだ。
日本にいる合歓は、こんな大木にはならないので、少ない葉と繊細な花が頼りなげに感じさせるのだが、大木になると密度の少ない葉でも重なるから量感を増す。市立図書館の前の道路は、国連の施設も計画されているくらいの目抜き通りだが、今はまだいわゆる立派な建物はまだ建てられていない。つきあたりに「凱旋門」があるだけの広い道路に見えるけれど、電柱なんてないからちゃんと電線は地中にあるらしいし大きな樹木が豊かだ。ここはシャンゼリゼの国がかつて支配していた。大連もアカシアの並木が広くて美しいといわれるから、植民地支配にも、いいところがあるということなのか、整然とした町並みをつくるには、強い権力が必要だということなのか。
それでもぼくは、この道につけられたランサン通りという名前にも心を動かされていた。「かつての王家の紋章が三頭の象だったことからつけられたんですが、ランサンというのは「百万の象」という意味なんです。」とエファ・ジャパンの吉川さんが教えてくださったのだった。
 ためしに計算してみよう。片側3車線の道路だから象を6列に並ばせることにする。前後に5m間隔としたら、行列は833kmと330m+4匹にもなってしまう。しかし、その光景を思い浮かべても、象たちだと大行列も押しつけがましい力の誇示というより楽しい行列に思えてしまうのだ、ぼくには。そうなったらもう、楽しいことをさせるんじゃなければ象使いの手には負えないもの。
 

投稿者 玉井一匡 : 10:49 AM | コメント (2) | トラックバック

August 04, 2005

ロマンスのR:女ハードボイルド探偵

RisforRico.jpgロマンスのR /スー グラフトン著・ 嵯峨 静江 訳/早川書房
 スー・グラフトンの、アルファベットシリーズの主人公、キンジー・ミルホーンは、サラ・パレツキーのヴィク・ウォーショースキーと並ぶハードボイルド女探偵の双璧だ。「アリバイのA」からはじまって、アルファベット順にタイトルをつけた作品をつぎつぎに書いてきたが、早いもので、とうとうRまで来てしまい、あと残すのは8つになった。「アリバイのA」の原題は「A is for alibai」だったからAとアリバイのつながりはわかりやすい。が、つぎの「泥棒のB」は「B is for burglar」。burglarを日本語にして「泥棒のB」だが、ちょっと考えないとわからない。こんどの「ロマンスのR」は、いずれでもない形式で、一見すると「R is for Romance」なのかと思うが表紙にも書いてあるように原題は「R is for Ricochet」、見たこともない単語だったからexcite辞書で調べると
1 跳飛 《弾丸・石などが平面や水面に当たって斜めに跳ね返ること》.
2 跳飛した弾丸,跳弾. (〜ed /d/; 〜・ing //) 〈弾丸・石などが〉跳飛する 〈off〉.フランス語から
とある。読み終わった今になってみれば「流れ弾」といったところだろうと思うが、まったく関係のないロマンスという言葉に置き換えてある。キンジーが恋に落ちるストリーだからRとつながるロマンスにしたわけだ。

ハードボイルドは2つの要件を満たさねばならない。
(1)みずからに課した掟は徹底的にまもる。そのためであれば、社会的な約束事から逸脱することもいとわない。おそれない。
(2)みずから事件の中に飛び込んで事件の動きにかかわり、ときに流れを変える。
こいつが正しいと思えば、経済的な見返りがなかろうと、家宅侵入ぐらいのことはやろうと、そいつのためにまっしぐら。しかし銃は持たない使わない。かつては持っていたが、危ない目にあってからかえって銃を持たない方が安全だということになった。
アルファベットシリーズの初期のものに、クルマで張り込みをしているときには空き缶で用を足すこともあるなんてことが書いてあったが、女ハードボイルド探偵は、社会的に決められた男女の区別、ジェンダーには否定的であることはいうまでもない。P.D.ジェイムズには「女には向かない職業」というのがあるが、これは、私立探偵だった父が死んだためにやむなく探偵になる若い娘のはなしだ。もちろん、気が進まずにやっているうちに能力を発揮する。じつは彼女は探偵に向いているのであって、やはりこれもジェンダーフリーである。なにごともそうだが、多くの場合「・・・・だから」ではなく「・・・にもかかわらず」ということの方がおもしろい。「にもかかわらず」のほうが、意味のレイアが複雑なのだ。女であるにもかかわらず探偵であることは、この物語を面白くするために重要なポイントのひとつになっている。
 この「ロマンスのR」では、キンジーが恋をすることによって普通の女になり、やや精彩を欠いてしまう。そいういうところを見ても、ありきたりの女らしさからの逸脱にキンジーの魅力と力の源の一端があることがわかる。しかし、作者はそれを補うように、もうひとりの女を登場させる。キンジーはこの物語ではジェンダーの枠にからめとられるが、この一人の登場で物語としてはジェンダーフリーを補完することを忘れていない。
 このシリーズを読んでいていつも気になることがひとつある。キンジーの住むまちは、スペイン風の町並みを保存しているところをみるとサンタバーバラをモデルにしているようだ。ここは、マイケル・ジャクソンが住んでいることでも有名だが、もっと前から町並みの保存で知られている。だから、このシリーズではスペイン風の屋根瓦のことがときどき描かれるのだが、シリーズのはじめからそれを「屋根タイル」と書いてあるのが気になって、初めて気づいたときに葉書を送ったが、10年以上経ったこの本でも「屋根タイル」が使われている。roof tileは、やはり瓦のほうがいいと思うんだが。

投稿者 玉井一匡 : 12:27 PM | コメント (0) | トラックバック