November 30, 2005

宮崎駿のインタビュー:ほぼ日


「ほぼ日」で、宮崎駿のインタビューが見られる。9回に分けてあるが、合わせて1時間ほどだ。糸井重里は「トトロ」でお父さん役をやったし、宮崎映画のコマーシャルも引き受けている。このインタビューは今年のヴェネチア映画祭の表彰式に行ったときの記者会見の映像だが、11月いっぱいで掲載が終わるということは、なんと、今日までで終わりなのだ。

 インタビューというのは、聞き手の力がとても重要だとぼくは思うのだが、日本の記者たちによる会見では、すぐれた質問のなされるのをきいたことがない。「海馬」で糸井重里がすぐれた聞き手であるのをひきたてるように、この記者会見も、ありふれた質問に満ちている。アニメオタクの質問よりはましだと思っているのかもしれないし、愚問にはなれているからかもしれないが、こどもたちの質問にするように丁寧に答えている。宮崎駿の発言は、無愛想といたずらっぽい笑顔との交錯する画像もともなって、とてもおもしろい。話しているそばから反省の弁が出て来るから記者もつっこみようがない。アニメーションをつくろうとすれば、何もかもすべての世界を自分たちで意識的につくらざるをえないから、批判すらみずからの世界に内包せずにはいられないのだろう。
 記者たちは知らないのかもしれない、彼らが言い出したわけではないのだが、pixarの話もでてくる。ぼくはスティーブ・ジョブズの「iCon」を読んだばかりだから、pixarのスタッフとジョブズとディズニーが繰り広げる「ビジネス」世界の血みどろと比べてしまう。ビジネスのことは鈴木敏夫にあずけて、みずからは職人たらんとして、決して儲かることのないけれども作りたいと思うアニメーションをジブリ美術館で上映している。もちろん、自分自身の中の世界を含めて、ジョブズとはまた別の世界で別の種類の血みどろがあるにはちがいない。しかし、そういう宮崎さんの話は、日本的なものつくりの世界のよさが感じ取れてホッとしつつ、この人を信じたいと思う。

投稿者 玉井一匡 : 02:38 PM | コメント (2) | トラックバック

November 29, 2005

柚子のマーマレード

 
 書きたいことがいっぱいあるのに、ちょっとblogにご無沙汰していたら、もう忘年会の知らせが来るようになった。柚子湯に入る冬至だってすぐにやってくる。だから復帰の手始めにゆずのことを書くことにしよう。
 先々週末に新潟に行ったときのこと、うちに遊びにきたYちゃんが、柚子なんてめしあがります?実家にたくさんなったんですという。マーマレードつくりたいからほしいと言ったら、車にもどってビニール袋を下げてきた。小ぶりの、レモン色のういういしいやつがたくさんいる。おい、枝までついているよ。とげがあるから気をつけてくださいね。たくさんなるんだけれど、とても使い切れないんですよというのでよろこんでいただいた。
 翌朝に東京へもどり、夜に家へ帰ってからつくりはじめたから1時ころから3時半くらいまでかかった。インターネットで探したが、これがうまそうだと思うようなレシピがないので、夏みかんや橙の経験をもとに自己流でやってしまうことにした。

 柚子1㎏、グラニュー糖500g、水3カップくらいと絞り汁をつかった。レシピによっては水も果汁も全く入れないのさえあったが、ぼくはゆるいのがすきだから、多めに水を入れた。種からグルテンが出るから、袋にいれて一緒に煮るといいと書いてあった。なるほどと思ってコーヒーのペーパーフィルター二つでくるんで入れた。煮ている間の時間はかかるけれど、翌日は勤労感謝の日だから、ゆっくり本を読んでいればいい。ガスレンジの前に椅子を置いて、スティーブ・ジョブズのすさまじい半生を書いた「iCon」を読みながら、ときどきアクをすくっていた。時間はかかるが手間は大したことはない。
 ちょっとゆるすぎたかなとおもったが、さすがに眠くなって寝ることにした。
翌朝、冷えたステンレスの鍋の蓋をとると、ほどよいゆるさだぞ。やはり種のグルテンが効いたらしい。
空は青い。太陽は輝く。グラスに入れて柚子の葉を添えて屋上で記念撮影。

投稿者 玉井一匡 : 07:59 AM | コメント (6) | トラックバック

November 17, 2005

Panda Cam

Click

 サンディエゴ動物園のサイトの中に「Panda Cam」というのがある。今年の8月2日にうまれたメスのパンダのようすを、リアルタイムのビデオの映像で24時間見られる。これがとてつもなくかわいいのだ。100日目につけられた名前がスーリン(蘇琳)、11月9日で体重4.5kg身長67cm。彼女のすまいは、直径2mほどの円筒形で、床にはワラが敷き詰められているようだ。スーリンは一日中この中で生活しているが、母親はひとつだけの開口を出たり入ったりしている。そこには扉がついている様子もないのに、なぜかスーリンは出られない。ちびには越えられないほどの段差があるのか、パンダの子供が巣穴から外に出るのは、ちょっとした勇気が必要だからなのかもしれない。

カメラはその小屋の天井にすえつけられていて、いつも下を見下ろし、毎秒2枚でパラパラ漫画のようなモノクロのムービーを送るのだが、スーリンのたどたどしい動きとムービーの動きがちょうど合っているようだ。
母親は娘を抱いて眠り、授乳したり、くんずほぐれつ遊んでやったり、なめるように可愛がる。朝になると竹をいっぱい抱えてくる。昼間は、スーリンはひとりでいることが多いようだから、母親は観客のいるところに行っているのだろう。母の名はバイ・ユン(1991生まれ100kg)といい、サンディエゴ動物園で初めて生まれたパンダなのだという。Bai Yun ("White Cloud")と書いてあるから漢字は白雲というのだろう。父親は巣穴には入れないらしく、画面には現れない。
これを知ってから、ぼくはこのサイトを常時開きダッシュボードにサンディエゴの時計を加えた。

PandaWolongcubs.jpgこのリアルタイムの画像の他に、画面の枠の上に書かれている項目がある。これを選んでクリックすると、つぎのような内容の画像や文(英語だけど)が見られる。
Panda Blogs: Read the latest from our Giant Panda Team.
・パンダチームの書いたBlog
More blogs: Read blogs from our keepers and trainers.
・その他の飼育係やトレーナーによるBlog
Extras: Videos; slideshows; news.
・ビデオスライドショー
Time-lapse: See previous Panda Cam activity.The panda cub has a name! Read about it here.
・これまでのPanda Camの記録(早送り)
上の集合写真はPanda Blogsの中にあったもので、ウーロン・デイケアセンターで生まれた子パンダたちの写真だそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 07:50 AM | コメント (3) | トラックバック

November 16, 2005

「ザ・ コーポレーション」試写会


 MADCONNECTIONにエントリーされていた「ザ・コーポレーション」の試写会に行ってきた。Blogを通じて試写会を告知し、この映画のことを書いて、配給会社のサイトにトラックバックするのを条件にブロガーを招待するという方法がとても新鮮だ。主催者であるアップリンクのホールは、以前にぼくの事務所のあったところの近くだが、なつかしい気がするくらいにまわりは変わっている。8人8列ほどの席がある会場は、ほぼ満員になって通路にいすを並べるほどなのに、ぼくの両隣はあいている。

秋山さん古川さんといっしょになった。映画は大部分がインタビューで構成される。コーポレーション=会社というものが持っている本質的な性格、利益をあげるということのために、どのような害を世の中にもたらすかを伝えるのだ。ナイキが、製造の人件費が価格の1%にもみたないほどの低賃金で途上国の子供たちを働かせたり、ボリビアの水道を民営化されると、雨水まで自由につかえなくなったというような事例。チョムスキー:Noam Chomskyは、公営事業と会社の役割を、この映画の中でこう言っている「公営事業は、経済的な利益をあげなくても、別の利益を社会にもたらせばいいけれど、会社は経済的利益がまず優先する」のだと。HardTime.jpg この映画で取り上げるわけではないが、アメリカは、刑務所ですら民営にしてしまった。つまり、人間の自由を奪って檻に閉じ込めるということを利益の追求の対象にしたのだ。自由の国アメリカであるとすれば、それは象徴的なほど重要な問題であるはずだ。やむをえず人間の自由をほぼ完全に奪うという行為の主体が、少なくとも形式上はすべての国民の意思を代表する組織・「国家」(もしかするとアメリカでは州なのかもしれない)から株主の利益を代表する「会社」に移されてしまったのだ。それがどのような結果をもたらすのかを、サラ・パレツキーは探偵小説の題材にしている。ヴィク・ウォーショースキーという女探偵を主人公にするシリーズの、「ハードタイム」だ。
社会主義の根源的な欠陥は、たったひとつの巨大な権力しか存在しないワンサイドゲームに陥ることだった。自由経済の社会では、ワンサイドゲームをとどめる民主主義というルールがあったのに、いまは大企業がそのルールを書き換えて、ワンサイドゲームに持ち込もうとしている。かつての社会主義、一党独裁の国家とおなじ構造だ。

チョムスキーの言いそうなことだが、誰だったか憶えていないけれど、この映画の中でこんな発言をしていた人がいた。「公共事業については、国民がだれでも口をさしはさむことができるが、企業には、外部の人間は口を出せないんだ」と。これもきわめて重要なことだ。ぼくたち日本人は、そういうことをきちんと考えて行動したのだろうか。
オレは企業を批判する映画をつくっているが、それは大企業を通じて配給される。やつらは儲かるものであれば自分たちの首を吊る縄だってつくってしまうんだというマイケル・ムーア:Michael Mooreの発言も重要だ。すでにできてしまった制度であれば、それを利用してやれというしたたかさ、敵の武器をとって戦えというのはゲリラ戦の鉄則だ。

 何も知らない全くの素人だからこそ感じられることがあるとよく思うのだが、つねに経済が成長しなければ成り立たないということを前提にするシステムは、あきらかに間違っていると、ぼくは思う。持続可能なシステムをつくらなければならないと我々は考える。もともと、地球というシステムの全体は、これまでも持続可能な安定したシステムだったし、これからもおそらくそうだろう。安定したシステムというものは、健康な肉体がそうであるように、それを決定的に破壊しそうなものが生じると、その因子を排除する機能がはたらく。だから、もしも人間という生物の種が地球にとってそういう存在になれば、自然のシステムによって排除されるだろう。つまり、自然は人間を絶滅させるのだ。

映画の公開は、12月10日から,渋谷のUPLINK XとUPLINK FACTORYで
UPLINK Xはhttp://www.uplink.co.jp/x/log/000916.php
UPLINK FACTORYはhttp://www.uplink.co.jp/factory/log/000917.php

投稿者 玉井一匡 : 07:45 AM | コメント (0) | トラックバック

November 14, 2005

「時間の終わり」 に片目を閉じて

 2005年11月12日11時55分六本木ヒルズ森美術館。ようやくやってきた「杉本博司展:時間の終わり」は期待を裏切らなかった。エスカレータをのぼりきったところで閉じた推理小説に、山場の10数ページを残していながらぼくはすっかりそのことを忘れてしまった。
チラシとサイト上で見ていた写真で、分からなかったのはジオラマとポートレートだった。会場に書かれた説明によれば、ニューヨークについて間もないしばらくのあいだ、あちこちを見物するうちに自然史博物館に行き、ジオラマを見ていて杉本はあることに気づいたという。片目をつぶって見るとジオラマの立体が写真の画面という二次元になるのだと。画家が片目で見てみるように、あるいは箱にあけた針穴を通った画像を映してなぞったカメラオブスキュラのように、それ自体は新しい発見ではない。しかし、そこはジオラマという特別の場所の前だった。


ジオラマでアザラシを仕留めたシロクマと景色を見るときには、見せるものと見るもののあいだに約束事がある。平面の上に透視図法で描かれた背景と、実物だがすでに生命を失った剥製というニセモノの自然を許容する。しかし、ある一点に立って片目をつぶってみると、背景と剥製という環境が一体化してリアリティをもって見える点があるはずだ。平面と立体(空間)、実物とにせ物(リアリティ)、現在と過去(時間)、明と暗(光)、沈黙と声(音)。彼のすべてのテーマが、ジオラマの前のある一点で片目をつぶったときに見つかったのではないか。片目で見て撮った写真なら、ぼくも片目をつぶって見ることにしようと思った。すると、片目を閉じてジオラマや蝋人形を見ると、立体感がたちまち息を吹き返した。はじめてランダムドット3Dの図を立体視しようと苦労しているときに、やっと焦点が定まると突然、それまで紙に残された印刷だったのが実体のあるものに見えてきたときの驚きがよみがえる。
カメラは、ひとつのレンズで見ているのだから、それを両目で見ると平面の上にのせられた画像にすぎないことを、ふたつの目が見破ってしまうのだが、片目を閉じて視ると、そのむこうの3次元を脳がえがく。 画家のアトリエからぼくたちの見る写真までに繰り返されたイメージの変換は興味深い。モデル→絵→蝋人形→撮影→現像→プリントという伝言ゲームは、3次元と2次元のあいだを行き来しながら、どの変換の過程でも可能な限り忠実に対象を写し取っている。そして、最後にぼくが片目で見ると、忠実な3次元と生命感を回復するのだ。
杉本の写真をみるとき、じつはぼくたち、片目を閉じる前にあらかじめ網膜の一部を閉じている。色彩をなくしているのだから。

片目を閉じてみると、薄暗い展示室に照明を凝らした海たちは波が動きだし、三十三間堂の仏たちの写真を張り合わせた25mにおよぶ仏の海は、光背に光をうけておだやかにうねる波になる。映画の1本分を撮ったスクリーンは、片目を閉じるとますますみずから光を発しているように見えた。無限遠より遠くに焦点を合わせたピンぼけ建築写真は、建築が実現される過程にあったもの、あるいは消えてゆこうとするときに洗い残されるものが見える。三次式を立体にした石膏模型たちだけは、片目を閉じてみなかったのがちょっと心残りだ。ジオラマの説明がそのあとに書かれていたからなのだ。

会場のプロジェクターの映し出す杉本のインタビューは英語で話して日本語の字幕が出る。化石が好きなのだといって、電気オーブンのような、おそらく調温調湿箱の中からアンモナイトをとりだした。ぼくは職人なんだ、ちょっとだけアートをしてる、と言う。「すこしだけのアート」は、時間と光とイメージの変換という目的の設定。「職人」は、人工照明をつかわない光、コンピューターをつかわない画像処理、克明な写実、無限遠よりもっと遠い焦点距離。厳密な技。
 実物を見る前に書いたエントリーで書いたこと「モダン=現在とは、一枚の膜のような時間が自立しているのではなくて、幾重にも過去の累積された層に支えられて、それが一番上にあらわれているにすぎない。」を杉本は表現したいのだと、今もぼくは思う。だから、「時間の終わり」とは、堆積した時間の層のいちばん表面にあらわれているもの、それが現在、それがシャッターを切る時間なのだ。

■関連エントリー
杉本博司展 をまだ見ていないのに/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 07:44 AM | コメント (8) | トラックバック

November 06, 2005

ホームワーク

homework.jpg ホームワーク/ロイド・カーン/川村喜代子訳/ワールドフォトプレス

「SHELTER」をつくったロイド・カーンの「HOME WORK」日本語版をワールドフォトプレスの今井さんが送ってくださった。「シェルター」はモノクロだったが「ホームワーク」は大部分がカラーなので、ずいぶん印象が違う。前書きには、この本をつくるまでの経緯が書いてある。1973年に「シェルター」をつくったあと建築以外の本もつくったが、その間もつねに建築をつくることや建築を作る人々に関心を持ち続け、写真を撮りインタビューをした。それで30年の間に山のようなインタビューの原稿と写真が蓄積された。編集のマスタープランもなく、はじめはどんな本にするかも決まらないままに、1ページずつ作ってゆくうち徐々に本ができていって、それが進むごとにどんどんはかどらせたんだという。

 「シェルター」がモノとしてのイエに重点があったのに対して、「ホームワーク」は住み手、多くの場合は同時に作り手でもあるひとたちとイエの関わり方に重点が寄っているようだ。だから、文章を読んでストーリーを知ったほうがおもしろい。その意味でも日本語版がありがたい。正直なところ、英語版では読まなかったところを読むようになるから、写真の伝えるものが変わってくる。
 このイエたちは、その作り手が住み手と同一だから設計図なんてものにもとづいてイエを組み立ててゆく必要がない。材料は、周囲にあるものを使う。自分で住む、また変えてみる。そんな風にして、そこで生活しながら作ってゆくうちに、どんどん魅力を増していったものたちだ。だから、この本の作り方も同じようにしてマスタープランをもたず編集が進められたのだろう。ロイド・カーンは、かつてジオデシックドームのとりこになって、みずからもいくつかのドームをつくり、「ドームブック」を出版したほどだったが、のちに「ドームブック2」を絶版にし自分のドームは売り払い、「シェルター」ではドームを否定した。「ドームブック」は、文明をはなれてコミューンをつくる若者たちにとても大きな影響を及ぼしたことを思えば、それにはとても大きな決断とそれをせずにはいられない大きな理由があったはずだ。
 「シェルター」と「ホームワーク」のやりかたは、その土地にあるものを使って住人が自分の手でつくり、周囲にとけこみ、あまり費用のかからないイエ。つまり、そこに生活する人と、その場所に固有のものを大切にする。
そういう立場に立とうとすれば、普遍的なイエとしてはドームを否定しなければならなかっただろう。球形の空間は間仕切りや増築がむずかしいと「シェルター」に書いていたが、それよりも大きな理由がある。どんな場所に誰が住んでも球という同じ形体をつくろうという考え方は、それぞれの固有の環境と条件を大切にする立場とは相容れない。それは、地球上のどこもかしこも同じもので覆い尽くさずにはいないグローバリズムのわがもの顔と通じるところがある。
 ところが、「ホームワーク」の表紙の62枚の写真を見れば、球形のドームこそないが床の平面が円形のイエは少なくない。個人的な好みとしては、いまでも実はバックミンスター・フラーのドームが好きなんじゃないか。ぼくだってロイド・カーンの考え方には賛成だし好きだがフラーが好きだし尊敬しているもの。
この本の中で、ところどころイエの本を紹介しているが、そこに「小屋の力」や「シェルター」「Tiny House」も含まれている。巻末のクレジットには、使ったハードウェアとしてMacのG3とG4、ソフトウェアはQuarkExpress, Photoshop, Wordなどがあげられている。クレジットの少し前のページには、樹木に囲まれて木造の建物群が散在している上空からのイラストがある。この本を作った本拠地シェルター本部だ。インターネットとMacを道具に、こういう環境の中でこの本が作られたのをみると、Macやインターネットが、そもそも何のために作られたのかを再確認する。ぼくも少しだけ翻訳のお手伝いをしたので最後のページの一番最後にひっそりと「Special Thanks to Kazmasa Tamai」と書いてあるのがなんだかうれしい。

投稿者 玉井一匡 : 04:10 PM | コメント (4) | トラックバック

November 03, 2005

シェルター

shelter.jpg シェルター/ロイド・カーン/日本語版監修玉井一匡/グリーンアロー社

 この本の著者ロイド・カーンのつくった「HOME WORK」の日本語版が出版されたので、そのことを書きながら「シェルター」にリンクさせようとすると、まだblogには移植していなかったことに気づいた。サイドコラムにはamazonへリンクをはりつけているのに、その本についての文章をblogにのせていなかったのだ。
そこで、まずは「シェルター」をホームページ(PAGE HOME)からこのblogにつれてくることにした。「ホームワーク」のエントリーは、そのあとにしよう。
 以下の文章を書いたのは2001年6月。この3ヶ月後に起きた出来事のあと、ブッシュとアメリカ合衆国はアフガニスタンとイラクに対して言いがかりをつけて愚かな行動に出る。ブッシュと彼を支持する人々の振舞いはアメリカのひとつの側面で、ぼくは大嫌いなのだが、このような本をつくり出すのもやはりアメリカで、それは他にないきわめて優れたところで、ぼくはそれが大好きだ。

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ShelterOriginal.JPGこの本を買ってから何年くらいになるんだろうかと思って奥付をみると、copyright1973、2年間で資料を集め5ヶ月で編集したとある。表紙のデザインも内容の構成からも、一目で「ホール・アース・カタログ」の血筋であることがわかるが、たしかに、巻末のクレジットに11人の編集者の名前などの他に、「ホール・アース・カタログ」の続編「ホール・アース・エピローグ」の予告と編集への参加の呼びかけが、Stuart Brantらの名で書かれている。この本に取り上げられたすまいは地域を選ばず世界中におよび、昆虫の巣や石器時代の竪穴式住居もバックミンスター・フラーのドームも、シェルターという枠でくくって、どんな構造なのかを伝え論じている。

 じっくり読んでみる気になったのは、翻訳の監修をしてくれないかと依頼されたからで、はずかしいことに、これまでの長い間、写真や図を見たが、文は拾い読みした程度だから、本を読んだとはちょっと言えない。翻訳の原稿を読み、原文を読み比べてみてこの本に潜む力のほどがよくわかって来た。ここにはシェルターそのものだけでなく、この本をつくったアメリカという生き方がよく見える。

WholeEarthCatalog.JPG たとえばアドビーについて、といってももちろんPhotoshopをつくっているAdobe社ではなくて日干し煉瓦のことだが、土の選び方に始まって、レンガを乾燥させるときの積み重ね方や壁の積みかたにいたるまでがイラスト入りで書いてある。大部分の日本人にとっては、建築材料から自分たちで作ろうという発想はない。あるいは 、チュニジア民家のドームの屋根をレンガ職人がひとりで積んでいる写真がある。彼は手首に紐の端を結びつけ、もう一方の端をドームを構成する球の中心に固定してある。すると、紐をピンと張るようにして手を動かせば、自然に手は球面上を動くことになる。だから螺旋を描くようにしてレンガを重ねてゆけばドームができてしまうんだという素朴なやり方に、なるほどと感心する。また、丸太から手斧はつりで角材をつくるのに、プロの職人は丸太の上に乗り自分の足元にむかって左側に斧を振り下ろすのだが、これはやはり危険だから私は丸太の前に立って、向こう側に45°の角度の面をつくるようにして手斧はつりをやるんだ、というようなことが図解入りで書いてある。あくまで具体的、体験的、それゆえ根源的にシェルターを考えている。

 日本人にとっては、大工仕事というのは職人の高度な技として受け継がれてきたものだから、素人からは遠く離れた彼方にあるけれど、アメリカという文化にとってはそうじゃないんだということを実感させる。この本のタイトルがHOUSEでなくSHELTERであることもそうした明瞭な意志の表れであって、住宅というものは、まず雨露をしのぎ外敵を防ぐという機能を自分たちでつくることからはじまるのだと彼らは考えているらしい。その同じ文化の上に、社会は自分たちでつくるのだという考えが載っている。だから、陪審員制度のもとに素人が裁判に参加するなどということになるし、まちを自分たちでつくるという意識もつよくなるのだろう。同じ理由から、自分のいのちは自分で護ると言って、あくまでも銃を持つ権利を手放さないことにもなるのだろうけれど。

 使われている資料の多さと広さやレイアウトのしかたを見れば、インターネットという概念はこのような情報の形式の延長線上に自然につくられてきたのだということが分かる。世界中の情報を、多くの人たち多くの場所から集められるということも英語という言語が支配的であるおかげだが、こういう本に安い価格を付けられるのも、英語で書かれているおかげですこぶる大きなマーケットが期待できるからだ。リサイクルや環境の保護という姿勢も、1973という時代に、すでにこの本のあちらこちらに表れている。

(注)Stuart BrantはHow Buildings Learnの著者でもある。

投稿者 玉井一匡 : 02:06 PM | コメント (0) | トラックバック