January 26, 2006

段ボールの届け物


昨日の朝、玄関のチャイムが鳴った。ドアの前にペリカン便のおじさんが段ボールを抱えて立っている。受け取りにサインをして箱を抱え階段を駆け上った。
段ボールといえば中には食べ物があると勝手に想像するくせがついているのだが、こいつは食べ物ではないのかもしれない。床において差出人を見るとso-netとなっているのだ。

箱はソニーだから、古い段ボール箱の転用ではないかもしれない。
「モモ、なんか応募したか?」
あたたかい布団の中で夢うつつの境をさまよう次女にきいた。
「うーん、したよ」
「なんかペリカン便が来たぞ」
「えっ」と、すぐにうつつの側に飛び移った。現金なものだ。
「ソネットの懸賞に応募したけど、あたりは3人ぐらいなんだよ」
「スゴ録らしいぞ」
小さい時からくじ運が強いやつだったが、また当たったようだ。スゴ録 RDR-AX75という新型の、250GBのハードディスク付きDVDレコーダーで、「おでかけ・スゴ録機能」はこのタイプだけについている。sugoroku-AX75.JPG USB端子でポータブルプレステとつなげて高速でデータを送れば、どこでも録画を見ることができるのだが、どのみちうちにはポータブルプレステはない、iPodにつなげて見られればいいのだがそれはできないだろう。敵に塩を送る余裕は今のソニーにはあるまい。とはいえ、いままでハードディスクDVDプレーヤーはわが家になかったから、時差の大きいドイツでのワールドカップには、いずれにしろ必須の道具だ。録画時間はモードにより33時間から428時間。
長女は風呂から出てくると・・・・・・・「えっ、双六じゃないの?」とよろこんだ。

投稿者 玉井一匡 : 11:19 PM | コメント (7) | トラックバック

January 25, 2006

カメと芭蕉庵


 空気はつめたいけれどやわらかな日差しがあったので、雪のあと初めて自転車で事務所に向かう朝、こんな二人づれに会った。神田川沿いの、あと2月もすれば満開のさくらに包まれる、神田川べりの道、かつて芭蕉が住んだことのあるという関口芭蕉庵の前だ。一昨年、関越道路で会ったのと同じくらいの大きさのカメだった。色が黄色みがかっている。
「ゾウガメですか?」   「いや、リクガメです」
ゾウガメはリクガメの一種だが・・・・

「どこからきたんですか?」  「エチオピアです」
「植物性のえさですか?」   「ええ」
関越であった人も、あまり積極的に話をしてくれようとはしなかった。犬の飼い主だったら、もっとうれしそうに話をしてくれるだろうに。やはりカメとおなじように、甲羅の中に入っていたいんだろうか。でも、うしろからやってきたクルマのひとが手を振るとにこやかに応える。近所の人らしい。
「この調子に合わせて歩くのも、なかなか大変ですね」   「ええ」
ゆっくりしている時は、甲羅のハラを滑らせながら歩いているけれど、ちょっと気合いが入ったら四つ足を踏ん張り甲羅を浮かして、なかなかの早さで歩きはじめた。ガラパゴスのカメたちは、船乗りたちがつかまえて、生かしたまま舟に乗せておけば腐ることはないから重宝するので、ずいぶん食われちゃって激減したそうだが、そういう時にはこうやって逃げたんだろう。

投稿者 玉井一匡 : 12:21 PM | コメント (12) | トラックバック

January 20, 2006

彼岸花2:冬/記号としての緑

それまでは地上にすがたを見せなかったのに、秋の彼岸の頃、突然に茎を伸ばして深紅の花をつける彼岸花は、冬になると常緑の植物のような深い緑の葉を繁らせる。道ばたや樹木の足元に地味に集まっているから、つい見過ごされてしまう。
 秋に写真をとった同じ場所の彼岸花たちは、花から葉にというだけでなく、すっかり様子が変わっている。西武新宿線の線路敷きと道路を隔てる柵が古いレールとスチールパイプで作られているのだが、それがうっすらとサビを浮かべながら、少しぐらいのサビには負けないよと言いたげにすっくと立っている古レールが好ましかった。ところがその柵に鮮やかな緑色のペンキが塗られて、その緑色が彼岸花の葉の緑を柵の中に閉じ込めていた。

 「緑色」は、自然を大切にするという記号性を与えられている。それは、色に対してではなく色の名前に対して与えられたらしい。植物を引き立て周りを気持ちよくするためには、サビを滲み出させたそれまでの表情の方がはるかに美しい。かりに、鉄の柵を保護するために何らかの色のペンキを塗る必要があったとしても、ほかに選ぶ色があっただろうし、緑とよばれる色の中にもそれがあっただろう。
 旗色だの色眼鏡ということばがあるように、色はそもそも価値と深く結びついているけれど、問題はなにも色のことだけではない。緑とよばれる色の名称がそうであるように、記号性にひきずられて本当のところを見失ってしまうことにある。「改革」ということばの錦の御旗のおかげで、何をどう改革するのかというもっと大事な問題を飛び越えて「改革でなければ抵抗勢力」という問題にスリ変えるということが起こったし、かつては「畏れ多くも」という枕詞ひとつで、価値を問うことが回避された。西武線の線路敷をわかつ緑色は、時とともに色褪せで周囲に同化してゆくだろう、しかし、制度の上に塗り重ねられたペンキは何かを覆いかくしながらかえって、時とともにみずからを目立たせることもある。
 

投稿者 玉井一匡 : 06:38 PM | コメント (8) | トラックバック

January 18, 2006

同時多発 Google Earth


 「栗田さんのblogにGoogle Earth for Macのことが書かれているのを五十嵐さんと一緒に見たら、ひどく面白い。きっときみは大好きだと思うよ」とAkiさんからの電話。さっそく栗田さんのCHRONOFILEを開きGoogle Earthをダウンロードした。
 飛行感覚がたまらないぞ。三次元の山がうしろに去ってゆく。頭の中ではスターウォーズのテーマがとまらない。猫バスの影が地表に映っていそうだ。だれもが楽しくてしかたないらしく、あのひとこのひともblogでGoogle Earthのことを書いている。メールを送ってくる友人もいる。ぼくのiBookはこれが見られないので、週明けまでエントリーできなかった。

 ところどころに不完全が残されているのがかえっていい。地形は三次元の情報であるのに建物は、衛星写真を高低のある地形の上に貼付けてあるにすぎないからマンハッタンが全島グランドゼロになる。だから、ビルを粘土の塊のように表現するモードを選ぶことができる。平べったいマンハッタンにしろのっぺらぼうの3D摩天楼にしろ、どちらも不完全だからこそぼくたちに想像力を求める。それがいいんだ。
 「杉本博司展」を見に行ったときのチケットで展望台ともうひとつ「都市の模型展」というのも見ることができた。それぞれ10m角ほどもある東京とニューヨーク、すこし小さな上海の、いずれも1/10,000の縮尺の模型が展示されていた。森ビルがつくらせたものだ。この模型を見て、ぼくはひどく腹立たしい気分になった。模型は住宅の一軒一軒にいたるまで、壁に写真を貼ってこまかく作られていた。この人たちは、莫大な費用を投じ気の遠くなるような労力を使わせてこの巨大な模型を作らせた。その模型を見ながら東京を六本木ヒルズのような都市に作り替えるべく思いを巡らし莫大な利益を計算する人々を、想像させらたからだ。Google Earthのもとをたどれば軍事情報にたどりつく。もとの情報はもっと精度が高いはずだが、もしもそれを見たらあの模型を見たときと同じような気分になったのだろう。
 Google Earthでは、自分の見たいところにピンを立てておくと、地球のどこからでもまっしぐらにそこに飛んでゆく。そうやってブックマークのように印をつけたところをここでは「My Place」とよぶのだ。ちょっとうれしい気がした。Google Earthは、地球のどのまちも山にも自分の場所としての関心と愛情を持つ想像力をそだてる力を、たしかに持っているとぼくは思いたい。

投稿者 玉井一匡 : 01:42 AM | コメント (4) | トラックバック

January 13, 2006

行列するたい焼き


 松戸駅のそばに人気のたい焼き屋がある。きくやという。昨年、しごとの打ち合わせで松戸に来たときに寄ってみたら10人ほどの列ができていた。客の前でつくったものを売るという店は、このごろ少なくなってしまった。殻々工房のエントリーでも同じことを書いたが、ものをつくって売る、あるいは加工や修理する店をshopといい、商品をいろいろ置いて、それを売るのがstoreなんだというが、つくる、運ぶ、売るがみんな分業になりそれぞれが大規模になって、作るところが人目にふれないのが普通になった。それだけに、手打ち蕎麦屋やたい焼き屋のような店は、作るところを見せるのも商売の一部になっているから、待つのも楽しみのうち。大きなマスクをかけた小さな女の子がぼくの後ろに並んだので、ほら見てごらんと言ってガラスの前に立たせてあげたら、壁のわずかな段に足を引っ掛けてずっとガラスの中を一生懸命に見続けた。その調子だ。
 四谷の「わかば」は、ひとつひとつはさみを使ってバリを丁寧に切り取るし、尻尾まであんこが入っている。安藤鶴夫がそれを誉めたことがあって、すっかり有名になったのだが、それにひきかえこの店の鯛焼きは型からこぼれた皮のバリを、ほとんど取らない。ワンロット6匹の間をつなぐバリに、千枚通しのようなものをサッと走らせて切り離すだけでまわりにはバリがいっぱいついたまま。尻尾にはあんこがない。ここの大雑把もいいなと思いながら、行列を昇進したときにおばさんにきいた。
「ひとつながりでも売ってくれますか?」
「いいですよ。たまにそういう人がいらっしゃるけど、容れ物がないからね」
ここまでは昨年のことで、be-eaterにエントリーした

今年も打合せで来たついでにのぞいたが、今度はamazonから本を送ってきた段ボールの箱がある。
十数人の行列の先頭に来るとたずねられた。
「いくつですか?」
「6匹を、ひとつながりのままほしいんです」
「?????」
気難しそうなおじさんが焼いている隣で黙々と袋や箱に詰めてくれるおばさんは、ひたすら怪訝な表情にもぐり込んだ。ぼくは体勢を立て直してもう一度。
「つながっているのを切り離さないでそのまま。二つにたたんでこの箱にいれてください。こうやって平らにして持って行きますから」
「?????」はまだおばさんを包んでいる。だが、おじさんはやっと分かって、笑顔を垣間みせた。箱を受け取るとおじさんは、はさみを取り出して紙袋を切りひろげ段ボールの中に敷くと、アルコールのスプレーをかけた。そこまでしなくてもいいのに。
「手数をかけてすみません」 「いや」といって、また笑顔を見せた。古新聞でくるんで、ハイといってわたしてくれたっていいのに、保健所がうるさいんだろう。120×6=720円を払い、持ち帰ってから折りたたんだやつを開くと、鯛たちはちゃんとひとつながりの行列をつくっている。温めようとして鯛焼きを持ち上げると、アルコールを吹き付けられた紙には、かすかに「たい焼きの魚拓」ができていた。

投稿者 玉井一匡 : 10:31 AM | コメント (12) | トラックバック

January 11, 2006

カメラ当てクイズの賞品:ノギス


 宅配便が届いた。秋山さんの新カメラ当てクイズの賞品である。告知メールが一足先に届いていたので、何が来るか楽しみにしていたのだが、今日のaKi'sStocktakingに登場したグレイのノギスだった。
ぼくとFURUさんが当選したが、ふたりともGRがうらやましく悔しいひとである。同じリコーの、FURUさんはGX8、ぼくはGXを、昨年の秋に買った。GRは発表されていたがまだ発売にはなっていないことを理由にして自分に諦めさせた。ぼくのはKAWAさんと同じ、1年前だったら70,000円だったものがGX8が発売されて型落ちになって26,000円というお買い得だった。ぼくは21mmのコンバーターも買わずにこれっきりだから、お買い得感はだれにも負けない。マクロで1cmまで近づけるクローズアップ能力、28mm相当の広角3倍ズームというスペックだ。
 というわけで、このカメラとノギスを組み合わせて写真を撮ることにした。内寸を計るがわを被写体とレンズの胴の先端に合わせて、ノギスの梱包されていたケースを1cmからクローズアップした。左のように置いたノギスにカメラのレンズを合わせて1cmから撮ったのが右の写真。うーむ、ロシア構成派のような色使いだぞ。ノギスという道具は、計測する位置と表示されるところが妙に離れて屈折している不思議さが、ぼくはすきだ。回転目盛つきだとなおさらだ。

投稿者 玉井一匡 : 04:32 PM | コメント (2) | トラックバック

January 10, 2006

「ペンギンの憂鬱」


 ペンギンの憂鬱:新潮社/アンドレイ・クルコフ 著/ 沼野 恭子 訳
 だいぶ前に本屋で平積みになっている表紙とタイトルに目をつけていた。その後にNumber plusで、ACミランとウクライナ代表のフォワード、アンドレイ・シェフチェンコの長いインタビューを読んだ。バロンドールを受賞した2004年のNumberのインタビューよりも、生き方やウクライナとの関わり方にまで踏み込んで、ユーシェンコが毒を盛られた話や、シェフチェンコがその対立候補ヤヌコーヴィチ首相を支持したことにもふれていた。その中にこの本の著者のことが話題に出ていたので、ぼくは読みたくなって、tacが図書館で借りてきた本を読んだ。日向でのんびりコーヒーを飲みながら、小説の作る世界を味わうのがたのしい。と、はじめは表紙の絵の通りだが、それだけではない。

 キエフの動物園が餌代にも事欠くようになってペンギンをもてあました。それを引き取った小説家が家の中で共同生活しているという意表をついた設定がすてきだが、それは、物語が事実にもとづくものではありませんよという宣言でもある。 
ソ連動物園の経営不振に乗じてウクライナは檻の外に出たが、動物園は、ウクライナを放し飼いにしてでもなんとか園内にとどまらせかっただろう。wikipediaでウクライナを読んでも、天然ガスをネタの国家的脅迫をみても、黒海へつながるこの国の重要性が読み取れる。ロシアにとってウクライナは、動物園にとってのペンギンよりもはるかに重要な存在で、ただ約束事の国境で区切られただけのヨーロッパの小国がアイデンティティをまもるということは容易なことではないのだと見てとれる。天然ガス問題がかえってアイデンティティを強化してくれただろうがシェフチェンコの重さは、われわれにははかりしれないほどのものがあるのだろう。
 弱者の受け継いできたものを強者が勝手に塗りつぶすという構図は、日本のあちらこちらの灰色の男たちの振舞いといささかも違いがない。憂鬱症とされているこのペンギンは鬱病のことなのだろうが、南極から動物園に連れてこられれば鬱病にもなるさと思っていた。しかし、映画の「皇帝ペンギン」を見れば、もともと南極にいたときさえ彼らの人生は甘いもんじゃない。にもかかわらず、何百万年もの時間をかけてみずから選び取った環境のなかで獲得した生きかたは、かけがえのないものなのだ。

投稿者 玉井一匡 : 10:40 AM | コメント (0) | トラックバック

January 08, 2006

ジャン・ユンカーマン

 1月5日の朝日新聞夕刊に、ジャン・ユンカーマンの記事が掲載されていた。「映画 日本国憲法」をつくったひとだ。日本の歴史を振り返ってみると、ぼくたちはとても貴重なものを持っているのにそれをないがしろにしていることを、たとえば明治初期に捨てられた仏教寺院や仏教美術のように、外国人に指摘されてから気づくということが何度かあった。「映画 日本国憲法」も、この憲法についてやはりそれが繰り返されている。
 ユンカーマンは、幼児期に日本に来て、帰国後ふたたび日本に戻り高校時代を日本で過ごしたあと、大学院を終えて再び日本に戻った。日本を舞台にした数々のドキュメンタリー映画は、どれもが日本に対するやさしいまなざしで描かれている。写真が彼自身のおだやかな表情を伝えている、そのままに。けれども、このすてきなものたちは、このままではなくなってしまうよと、ぼくたちにむけて痛切に語っている。
 ジャンさんは、たまたまぼくの自宅から歩いても10分ほどのところに住んでいる。昨年の秋に、朝から彼の自宅を訪ねたことがあった。映画「もんしぇん」の英語字幕と、主題歌の歌詞の英語字幕についての打合せのためだ。建築家に設計を依頼したとおぼしき、気持ちよさそうな住まいだった。

 はじめに、字幕の英訳をやってくれないかとたのまれた。というより草介が頼んでくれたというべきかもしれない。翻訳は、最後にのこされる言葉の質できまると、ぼくは思っている。英語から日本語への翻訳はやったけれど、ぼくは英語圏に定住したこともないから日本語を英語にするのは手に余ることだから、だれかネイティブの人に最終的に手をいれてもらえるなら、やってみようと思った。しかし、なにさま時間が切羽詰まっている。結局は順番を逆にすることになった。
ジャンさんにまず翻訳していただき、それについてぼくが、意見というより質問のようなものかもしれないが、こうしたらどうだろうかということを書いたメールを送る。夜遅くにそれのひとつひとつについての返事が届いた。その翌朝に自宅を訪ねるということにしていた夜に。ぼくがかかわることになったのは、「もんしぇん」をつくった若者たちが何を伝えたいのか、あるいは何を伝えてほしいかについては、そばにいたぼくがよく知っているからというわけだ。主題歌の歌詞の字幕だけは逆に、ぼくが書いた英語をジャンさんに目を通していただくということになった。ジャンさんの映画も「もんしぇん」も、制作が同じSIGLOなので、お願いすることになったのだった。
chomski911.jpg 彼は、午後に山形の映画祭から戻ったばかりだったのに、ぼくのメールにすべて目を通し返信したうえに、翌朝には、こころよく素人の意見に耳を傾けてくれた。新聞の写真のようなおだやかな笑顔を絶やさない。舞台は日本ではなかったけれど、「チョムスキー 9.11」もジャンさんのつくった映画だが、その中でチョムスキーは、あの時期のアメリカでイラク攻撃を批判するという命がけの行動を続けながら、終止おだやかな話しかたと笑みを続けていた。このふたりのおだやかさの下には、へこたれない強い意志がつらぬかれていにちがいない。きっと。

投稿者 玉井一匡 : 02:25 PM | コメント (2) | トラックバック

January 01, 2006

新年おめでとうございます


 一昨年に始めたBlogサイトが、この2年たらずのあいだにぼくたちの場所をさまざまなかたちでひろげてくれました。たがいにサイトを読みコメントを書きトラックバックをはりつけることで、ほかのサイトの一部が自分のサイトと重なってゆく。ときにはそのネットワークがまちに飛び出していき、そこでは時間を遡ることもできた。若い世代の人たちが、古いものに潜む価値を読み取りそれを生き返らせることも知った。どれほど多くの層が重なってゆくか、はかりしれない。ぼくが現実の場所にこころざしている「MyPlace」のありかたとBlogのありかたには、思いのほか一致するところが多いことを実感しました。
 これが秘めている、現実の世界を変えてゆく力が、さまざまな人によってさまざまな形でさまざまな場所で目覚めさせられるかもしれないぞと思い始めています。
ことしもよろしく。
追伸:年末に、保証期間を3日すぎたときにまたiBookがダウン。正月休みに入って修理もできず、新潟にはひさしぶりにiBookを連れずにいくことなり、せっかくのんびりの正月なのに数日は更新できなくなってしまいました。

投稿者 玉井一匡 : 12:35 AM | コメント (6) | トラックバック