February 24, 2006

送還日記

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監督キム・ドンウォン(金東元) 配給シネカノンシグロ 3月4日から渋谷シネ・アミューズ
今日、映画「送還日記」の試写会があった。韓国のドキュメンタリー映画、北からの工作員として入国して捕えられた人たちが、以後の長い年月を独房に入れられて拷問を受け転向を迫られながら耐え抜いた。韓国の政策の転換で自由の身になったこの人たちを12年にわたって記録したものだ。彼らは青年時代に捕えられ、わずか3/4坪の生活空間で40年前後を過ごして自由の身になった時にはとうに老人になっていた。旧知の神父に頼まれて、キム・ドンウォンの住む村で非転向長期囚の二人を受け入れることになり、彼は二人と支援者や村人、ほかの非転向長期囚たちとの交流などの生活を中心にして、北に送還されるまでの12年間を記録した。

 上映に先立ってキム氏の挨拶が、上映後にはドキュメンタリー作家の森達也氏も加わってトークショーが行われた。キム氏は、見るからにおだやかで篤実な人柄がしのばれる。彼らの世代は、北のスパイには角が生えていると教えられていたという。だから、不屈の北スパイであっても、じつは同じ生身の人間なのだということを知ったことは、韓国人にとってとても大きな意味があったのだという。北に対する韓国人の気持ちはぼくたち日本人には想像のおよばないものがあったことを改めて思う。
キム氏は、ドイツのような吸収合併型統一がいいとは思わないと言った。たしかに、南北の経済格差を抱えたままひとつの国家になるには、どういう経過を経て金正日はどういう立場になれば統一が可能なのかを考えると、気が遠くなるほど道は遠く心は重い。しかし、具体的で個人的な関係を積み重ねてゆくことが、じつは確実な道なのではないだろうか。南北はかならずしも統一してひとつの国家にする必要はないのではないか。ゆるやかで親密な連合という形式で、むしろ世界に先駆ける二国間関係を築くことができるのではないか。微妙な問題であるだけに、キム氏はそうした発言はできなかったのだろうが、彼自身もそう思っているのだろうとぼくは思う。そんなことを考えていると、この映画は国家のありかたについて、希望を抱かせるものだと感じられた。

この映画とトークショーの中に、ぼくにとっては新鮮なこと、あるいは古い記憶に深く残されていたことがいくつかあった。
 韓国の拉致被害者の家族たちは、北に対して強硬な姿勢を求める右派と同調して、彼らの言う「未転向長期囚」の北への帰還に反対する。どうもそれは、韓国全体の思いからは突出しているようだったこと。 sokanbook.jpg 
朝鮮半島で南北は休戦状態にあるのであって、朝鮮戦争が終わったのではないということを、多くの日本人は分かっていないという会場からの指摘。言われればそうだと気づくのだが、ぼくも、つい忘れているような気がする。
あるテレビ番組が取材に来て、キム氏はとてもよろこんだが、質問は映画のことではなく、拉致実行犯として手配されたチェ・スンヨルのことばかり聞かれるのでがっかりしていた。しかし今日はTBSラジオが来ているという森氏の冒頭の報告。ある看板番組というのはテレビ朝日だと言っていたから、報道ステーションのことらしい。日本人とマスコミの一極集中する想像力の乏しさは、戦時報道のようだ。
「彼らが韓国に来た時には、北朝鮮の状況は最もいいときだったから、北に帰った彼らは、じつは現状に驚いているのだはないだろうか」という森氏の発言。かれらが30年をこえる年月の拷問と投獄に耐えられたのは、深く心から信じるものがあったからであるはずだ。それが到達した現実を知ったときの空虚を思うと、痛々しい。
そして、もうひとつ。かつてスパイ容疑で逮捕され、十数年間も投獄された在日韓国人徐兄弟の名を映画の中に見つけて、たちまち時間をさかのぼった。その当時、公開された顔の火傷の写真に拷問のあとが残されていることに、ぼくたちは衝撃をうけた。
 この映画は結論を提示するわけではない。しかし、帰りがけに井ノ口さん五十嵐さんとコーヒーを飲みながら話し、そのあと帰りがけの電車でこの映画の本を読むうちに、韓国と北朝鮮にとどまらず、ひいては日本と韓国・北朝鮮について、アジアと日本について、アメリカと日本について考えるための沢山の糸口が、ここにはあるように思えてきた。

投稿者 玉井一匡 : 12:25 PM | コメント (8) | トラックバック

February 21, 2006

LOVEGARDEN へむかって

 丸の内の「緑のどこでもドア」をあとに、日本橋まで歩いて都営浅草線で一本、曳舟で下車した。待ち合わせの改札口に一眼デジカメを首に下げてうっすらとヒゲを生やした男が、ひとなつっこい笑みをたたえている。
このうねった道は川があったのかな、きっとそうだな、なんてことを話しながらさっそくLOVEGARDENを目指す、と歩き出したがたちまち立ち止まってカメラを構える。レンズの先を見ればペンキの剥げた赤いツバメがコンクリートの塀に残っている。丸善石油のガソリンスタンドだったのだろう。これを意図的に残しているのだとすれば、このまちはたいしたものだぞ。写真を撮り終わると郵便局の配達の赤いバイクが、前を走って行った。でも、いやな顔をしない。masaさんの人徳と郵便局員の人柄だろう。だまって待っていてくれたのだ。あとで写真を見ると、masaさんのむこうに赤いバイクが一台、たしかに停車している。
角をひとつ曲がると、まちはさらにmasaごのみを増す。このあたり、道路は意地でも直角には交わるまいとしているかのようだ。googleマップを開くと案の定、乾燥した地面のひびわれのように、自在に交差していた。長屋が並ぶ路地には、もちろん車は入れない。かつては路地とそこに肩をよせあう長屋しか見えなかっただろうに、いまはその構成が一目瞭然で解き明かされる。となりの一画が取り壊されて駐車場になっているから、裏側からみると全体が一望にできるのだ。これまでの長い時間の中でも、それがわかるのは、このわずかに残された間だけなのかもしれない。そう思うと心はせかされる。

 冬の日は頼りなくて、曇りがちになった空にせかされるようにLOVEGARDENにむかう。当たり前だが、店はあけてあるから扉も開いている。あの扉は正面からは見られない。もちろん、開いていればもっとうれしいのだが、店が開いているのが残念だとも思ってしまう。そう思わせる店が、日本中に何軒あるだろう。日本中の郊外では大型店が建ち並び、どこもかしこも同じように索漠たる街並になってしまい、おかげで古い通りではシャッターがまちを台無しにしている。しかし、古いまちだって、こんなふうに魅力的な店がつくれるのだ。
3人の笑顔に迎えられた。cenさん、yukiりんさんそして、とびきり人なつこくてかわいい看板娘。
「なんさい?」 ゆびを3ぼん。「おじさんは?」と、しつもん。
片手をひらいた。おっと、サバをよんじゃあいけない。去年からはこれだ。「ほんとは、これ」左の人さし指を1本加えた。
 ブログの写真を寄せ集めた想像よりもモノがいっぱいあって、その代わりに思ったより植物が少ないんだ。と思ったが、下に下りる階段がある。少し床が高いところにcenさんの作業カウンター、ステンドグラスのドアの奥がyukiりんのコンピューターがあるにちがいない。なるほど、どこをとってもクローズアップに耐える。作業カウンターの上に「タイニーハウス」「シェルター」がおいてあった。もしかしたら、さっきの電話で並べてくれたんじゃないんですかとたずねると、以前からの座右の書なんだとcenさんは言う。ほんとですか、そうだとすればほんとうにうれしくありがたいことだ。「ホームワーク」まである。
 地下にも、もぐり込んだ。靴をはいたぼくが立って頭の上があと2センチくらいという高さ。床と基礎の間のスペースを利用した地下室だが、立って歩けるかどうかは大変な違いなのだ。作業部屋にしていたが、ホコリがひどいんで上に移したからいまは物置になっている。ここは、このうえなく居心地のいい場所になるぞ。長年使っていなかったのを開けてみたら、水が数十センチたまっていたという痕跡がしっかりと黄色い壁に残されている。それがまた美しい。
 たくさんのものたちに囲まれて、しかし、花の店の常として奥まで冬の空気が自由に出入りする。それでもまたたくまに時は過ぎて、たちまち冬の土曜日は暮れてゆく。こんなに沢山のものたち、その大部分は古くて捨て去られそうなものに手を加えている。それらをいっぱいに詰め込みながら、混乱におちいらず美しくたのしく思わせるのは大したものだ。それはどこからくるんだろう?
すくなくともそのわけのひとつ。この店には、この店の二人には、すでにあるものたちが潜めている魅力とちからを感じとってそれらを表に引き出してやる力と意思があるからだ。masaさんの写真が光の種を見つけ出すちからと通じるものがあることにきづいて、ぼくは納得の一部を手に入れた。それにもうひとつの手には、花かんざしをひと鉢もって、LOVEGARDENをあとに薄暗くなったまちの土曜日の中へ、masaさんにつれられて行った。再開発ですっかりまちがなくなったというところへ。

投稿者 玉井一匡 : 08:29 AM | コメント (13) | トラックバック

February 20, 2006

緑のどこでもドア

 丸の内の工事現場、仮囲いのフェンスの一部に正方形の緑がはめ込んであった。近づいてみるとツゲの苗のような小さなやつがびっしりと鉛直面に植えてあるのに、水平面にあるように枝も葉も平然と整然をまもっている。まだ2年くらいはかかりそうな現場だが、それでも仮設の期間ならこの状態をまもるのだろうかと、感心しているときに気づいた。コートのポケットから携帯電話を取り出すと、緑のランプが点滅して着信があったことを知らせている。この何度かの週末、東京ステーションギャラリーの「前川國男展」と京島のLOVEGARDENに行きたいと思いながら、実現できなかったけれど、気持ちよく晴れた冬の空と残り1週間になったい会期に後押しされて、両方とも行こうかと思い立ったのだが、LOVEGADENは京島の迷路の中にあるから案内するとmasaさんが言ってくださるので、当日になって電話するのは申し訳ないけれど、もし都合がよかったらどうだろうと携帯に電話をかけたのだが4回鳴ったところで電話を切り、彼の都合次第に委ねたのだった。

 あわてて携帯を開くと案の定、masaさんからだった。着信記録でぼくからの電話だと知って、LOVEGARDEN行きを予想して、すでにそちら方面に向かっているという。「ほんとなの?」合わせてくれたのではないかと、ちょっと気になったが素直に話に乗ることにした。なんのつながりもない前川國男展とLOVEGARDENだったけれど、ステーションギャラリーから前川さんの設計された東京海上ビルを見に行ったあと駅に戻る途中、不思議な植物を見ているときに連絡をできたことで、この緑の正方形がガーデニングのお店に行くための「どこでもドア」だったような気分になった。「緑のどこでもドア」は、近寄ってみるとプラスティックの箱を覆った黒いシートを抜けて顔を出した苗たちの集合なのだ。もちろん上に向いて伸びて行きたいのだろうからちょっとかわいそうだが、ソニービルが得意になってディスプレイしていた松の磔よりは罪がないな、などと思いながら日本橋をめざして歩きはじめた。LOVEGADENの最寄り駅曳舟は都営浅草線で一本だ。曳舟とは、考えてみればすてきな地名だ。こどもの頃、遊びの縄張りからすればずっと遠くに「こまつなぎしょうがっこう」というのがあったけれど、大人になってからそれが「駒繋小学校」であることを知ってすっかりうれしくなったことなどを思い出した。

投稿者 玉井一匡 : 06:55 AM | コメント (6) | トラックバック

February 14, 2006

春の兆し

 
今日は新潟でも10℃になるから雪崩に気をつけてと天気予報が伝えていたとおり、自転車で神田川沿いを走る出勤途中の川向こう、江戸川公園に紅白の梅が開いていた。背後には椿山荘に続く高台があって、手前の神田川とのあいだの細長い平地に公園がつくられている。googleマップでみれば、上にあるのは目白台アパートメントである。

だから、対岸から見ればここでは小さな山を感じられる。「さくら切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といわれるように、神田川沿いの両岸には桜の並木が川を覆うほど存分にのびのびと枝を伸ばして、コンクリート3面張りのどぶ川もどきを忘れさせる季節がやがて来る。
紅白の梅がその先触れをしてくれるだけで、やがてあたりをつつみこむ桜さえ感じさせてくれるのだ。手前の枝に桜が花をかざれば、もう梅は見えなくなるが、よくしたもので、その時にはもう梅は花を終えている。
実を言えば、ぼくは雛祭りがすきだ。なにしろ、うちのお雛さまは去年から飾ってある。

投稿者 玉井一匡 : 11:40 AM | コメント (21) | トラックバック

February 09, 2006

おもいがけぬコメント:「アーク灯の映写機」へ


 さきほどのことだが、1年前に書いたエントリーに、とてもうれしいコメントをいただいた。昨年2月4日に書いた「映画ポスター・スチール写真展:アーク灯の映写機」というエントリーだ。うちの事務所が2階にある銀鈴会館の1階を占めているギンレイホールが名画座開業30周年をむかえるのを機に、所蔵する映画のポスターの展示会を開催したのである。それと一緒に、ひとりで移動映画館をつづける北海道の西崎春吉さんという方をワンボックス車ごとお招きして、電灯でなくアーク灯の光をつかう映写機の上映実演をおこなった。ぼくは、そのことや手書きの映画看板のことを2回にわたって書いたのだが、そのエントリーをお読みになった方から、思いがけないコメントをいただいた。それは、こんな風に始まった。

「始めまして、アークでの上映大変でしょうね。実は私の父も40年前移動映画をしていました。このたびオークションで35ミリのアークの映写機を購入しました・・・・・」

この先は、昨年の映写機についてのエントリーとコメントのやりとり、それに看板絵についてのエントリーを読んでいただくとして、今日いただいたコメントによれば、映写機の整備もできてきたので一度ギンレイホールの加藤さんに父上と話をしてほしいということだった。
またしても「ブログの力」が発揮されそうだと思ったら、眠気がすっかり飛んでしまった。

投稿者 玉井一匡 : 01:18 AM | コメント (13) | トラックバック

February 06, 2006

mF247/音楽配信サイト & 脈動変光星


 mF247というサイトがある。昨年の年末につくられた。ことは音楽に限ったことではないが、数多く売れるわけではなくてもいい音楽というものがある。むしろ、いい音楽ほど沢山が売れるわけではないのかもしれない。レコード会社が企画をつくり広告をして、それを聴き手が買うという昔ながらのやりかたでは、そういう歌はなかなか売ることができない。聴いてもらうことも出来ない。iPodやiTunesの時代には作り手と聞き手を直接に結びつけることができる。そこでは、薄い層を相手にしても、広い範囲に知ってもらえば売ることができるはずだ。そういう意図でサイトがつくられた。開設者は丸山茂雄氏。もとソニー・ミュージックエンタテインメント 社長、ソニー・コンピュータエンタテインメントではプレイステーションを開発、会長、247ミュージック設立。丸山ワクチンの丸山千里博士の子息でもあるという。

ぼくたち聴き手側からすれば、このサイトで関心を持った曲をダウンロードすることができる。その前に30秒間試聴できる。作り手の希望する期間はキャンペーン期間としてダウンロード無料、それ以降は有料になる。データ形式はMP3だから、もちろんコンピューターにもiPodに入れられる。
曲は18のジャンルと総合のカテゴリーに分けられ、それぞれ時々刻々にダウンロード数のランキングが表示されるのだが、ややタイムラグがあるようだ。
作り手側にとっては、曲とプロフィールなどをmF247に送り、mF247がそれを審査した上でパスしたものはサイトに掲載される。登録と掲載料は有料だが、1月いっぱいまではキャンペーン期間で無料登録できる。
yotaka.jpg 無料期間の締め切りを間近にした先週に、映画「もんしぇん」のサウントラックの1曲、映画の最後に流される歌「脈動変光星」(作詞・作曲・歌:玉井夕海)を登録することできた。MP3に変換するのに苦労し、やっとできてアップロードしたら音質が悪かったりしてやっとのことでたどりついた。ブログもやっと同じ頃に始めることができた。iBookとの付き合いは長い割にはメールとワープロくらいにしか使っていなかった夕海には、いいトレーニングになったかもしれない。ひとつの曲を3つのジャンルに登録できるので、映画/ゲーム/アニメ、ポップス/ボーカル、童謡/唱歌の3ジャンルに登録した。今日現在、それぞれ2位、13位、1位というのは、なかなかいい線をいってるんだろう。10位までは、絵入りのリストで表示される。
映画の公開までは、まだしばらくかかりそうだが、これも映画の広報のひとつ。
ダウンロードして聞いてみてコメントなども書いてやってください。

投稿者 玉井一匡 : 11:00 PM | コメント (11) | トラックバック

February 03, 2006

一陽来復・穴八幡


「もしもし。ちょっと質問なんだけど。磁石を100円ショップで買ってきたら置き場所を移すと向きがかわっちゃうんだけど、どうしてなんだろう?」
「そりゃそうだよ、方位をみる磁石もくっつく磁石と同じ磁石だから、近くに鉄のものがあればそっちの方をむいちゃうから、場所を移すると向きが変わることはあるよ。それより、googleマップで大きくして、それで見る方がいいかもしれないよ」
と、言ったのだが、電話の主・類子さんはgoogleのことを知らない。ぼくは大好きなgoogle Mapについて熱心に説明した。
「そうなのか。じつはね、7,8年前に早稲田の穴八幡のお札をもらったんで貼ってみたのよ。そうしたら、うちは営業ってなーんにもしないのにさ、それからは、うまい具合に切れ目なく仕事が来るもんだから、毎年買ってきて貼るようになったの。それが大晦日か節分の夜中の0時に、その年の決められた方向に向けて貼らなきゃいけないっていうんで、今年は磁石を買ってきて正確に貼ろうかってことになったの」

「へえ、うちも貼ろうかな。だったら、もっと早く教えてよ」
「やってごらんなさいよ。うちの商品を置いてもらっていた倉庫の人に教えてあげたのよね。しばらく経ったらうちの商品を置くのを断ってくるじゃない。よく聞いたら、じつはお札を貼ったら大口のお客が増えたんで、うちのなんか置けなくなっちゃったんだって」
テーブルギャラリーの類子さんは、食器の販売、デザインやテーブルコーディネートをやっている。ぼくにとっては食器の店や、紅茶専門店などのクライアントだが、友人でもある。
「ひどい奴だな」
「ひどいよね」
「でも効くんだ」
「そうなのよ」
というわけで、ぎりぎり当日の今朝、ご近所なので穴八幡に寄ってきた。高田馬場、早稲田通りと諏訪通りの三叉路の高台にあって、半島の先端のようなところだから、代々木八幡と同じような地形にある。地名の由来である馬場に近い。かつて馬場だったところは、早稲田通り沿い北側の細長いブロックとして、穴八幡の参道の北西にそのまま残っている。こういうのが、東京でも残っているのを見ると無性にうれしくなる。そういうことを探してみる気にさせるのも、「馬場」という地名がちゃんと残されているからなのだ。
お守りやお札がいろいろとあるけれど、お目当ては「一陽来復御守」といい七百円なり。長蛇の列じゃないかと心配したが、4〜50人が並んでいるくらいだし、窓口には4人のお兄さんがいるのでどんどん進む。ATMより手際がいいぞ。ぼくの前のおばさんが質問をしている。
「夜中の12時に貼らないといけないんですか?」
「そうです。その時間に貼れないとわかっていらっしゃるなら、むしろお守りをお受けにならない方がいいです」と、きっぱり。
「そうなの。じゃあ、一陽来復をひとつ」と、残念そうだ。
類子さんもちょうど節分の日に日本にいられなくて、休日なのに社員に出てきてもらったという話をしていたことやら、貼り直してはいけないと言われてたのに、一度貼ったお守りが落っこちてしまい、心配になって穴八幡に電話をかけてきいたら「一度貼ったら効果に変わりはありません」と言われ、安心して貼り直したなんてことを言ってたのも思い出した。ぼくは、事務所と自宅用にふたつ。一陽来復と書いた紙を円錐形に丸めて、その中になにやら和紙で包んだものが入れてある。それぞれに説明の紙を一枚ずつ。
今年は巳午(みうし)の方角が恵方というので壁にそのまま貼るわけにはゆかない。斜めにしなければならないのだ。tacがCADソフトで作ったのをケント紙にプリント。方位アダプターを作成してくれた。

投稿者 玉井一匡 : 08:40 PM | コメント (10) | トラックバック

February 01, 2006

第3回アースダイビング大会

 第3回目のアースダイビング大会の翌日、自分も住人のひとりである集合住宅の管理組合総会を終えたあと新潟に行き月曜日の夜に帰京しました。と、エントリーの遅くなったことの弁解から始めなければならないのがなさけない。
 みなさんの充実のエントリーにコメントを書きたいがその前に自分のブロを書かなくっちゃとiBookにデジカメのデータを移して写真を見た。写真から、この道中で好ましく感じたものが分かるのは当たり前だが、それと同時に見たくなかったものもよくわかる。写真はどれも風景とまちの小さな部分や、さもなければ小さなモノちいさな建築たちだった。
 大地の下、あるいは現在の時の下に潜んでいるものは、地表がいづらくなったものたち追いやられたものたちなのだから、その痕跡が小さなものであるのは当然のことなのだろう。

  明治神宮の御苑では、枝をすべて失った赤松に藤とおぼしき蔓植物が巻き付いているところがあった。ここは空洞になった幹の一部にモルタルを詰めた樹木医の仕事かと、ひとまわり見て回ったが、近寄って目を凝らすと樹皮も地表にあらわれた根もすべてモルタルだ。と思いながら見ても半信半疑というくらいよくできている。巻きついた藤をまもるために、枯れかけた松の幹をモルタルでくるんでコテで樹皮をつくったのだろうと見当をつけた。リアカーにFRPのボートをのせた庭師の二人連れに出会ったので聞いてみると、金網にモルタルを塗って赤松の幹を作ったのだと、やや得意げに説明してくれた。一本の藤と風景をまもるために費やされた労力と技と愛情を思った。
 菖蒲池は、周囲にきれいに溝を巡らせて池の水位と湿り気をほどよく調節する仕掛けがほどこされているし、菖蒲の一株ごとに新種を作った人の思いを込めた名を板に墨書して立ててある。茅葺のあずまやの屋根には細く目立たない針金を張って、鳥たちに茅を抜かれないようにしているようだった。
 夕方にたどりついて開館時間がわずかしか残されていなかったので、一同が1000円の入館料を惜しんだ根津美術館には、藁縄を結んで形づくった梅の花が咲いていた。植物をまもる冬支度かと、茎にあたるところを指先でさぐると芯は割竹だった。花の少ない冬の庭に添えるいろどりとして庭師のあそびなのだろう。それとも、春になるとここに何かの花が顔を出すよというしるしなんだろうか。そのまわりだけ地表があらわれている雪がうつくしい。
 そんなふうにして丁寧にまもられる都心の池を水源として、水はゆるやかに谷を流れているはずだが、ひとたび明治神宮、根津美術館を出ると、コンクリートとアスファルトに閉じ込められる。ひとびとは自然を神としてうやまい、神社の水は詣でるひとびとを清めるものであったはずだが、たちまち暗渠の排水管に身を堕とす。
 そういうまちの窮屈さをむしろ楽しんでいる小さな黒い家が西麻布にあった。前後を細い道に面し裏の道は2mほど低い。表からは平屋だが裏からは2階建てで下をガレージにして、半透明のプラスティクの引き戸を透かして黄色いポルシェ356(秋山さんによればレプリカ)が見えた。

 菖蒲池について知りたくて明治神宮のサイトを開いてみると、ここには菖蒲はおろか御苑そのものについてさえ何の記述もない。森や地形や菖蒲を見る目的では明治神宮に来ないでほしいと言いたげに「明治天皇さまの御治世」や「教育勅語」あるいは「武道場 至誠館」などが書かれているばかりだ。だとすれば、菖蒲が植えられたのは美しさを愛でるためではなく、「尚武」のためなのだろう。
 今回の行程とその周辺の高台には、明治神宮、東郷神社乃木神社、旧防衛庁がある。明治天皇、東郷平八郎、乃木希典は、いずれも多くの日本人に敬愛された英雄だったことに乗じて、時の政府は日本の伝統を捨てて自然を神とするのではなく神話の神々よりもこの英雄たちを神に祀り上げた。松っつあんこと吉松さんは大社の宮司の子息だから神道に通じておられるが、英雄を神様にした神社は異例なのだと言われる。神社には、菅原道真や平将門のように無念のうちに世を去った人物が、その祟りを鎮めるべく祀られるものであったはずだ。
高い規律を持って戦ったといわれる日露戦争の英雄を神にして利用しようとしたことは、かえってそれ以後の日本の軍部の堕落を招いたのだろう。そのことと、自然の根源としてぼくたちの祖先たちが大切にしてきた水をただ消費し穢すようになったこととは表裏をなしているように思われてならない。

かつて226事件の本拠となり、その後生産技術研究所となった土地には、黒川紀章の設計で美術館がガラスブロックのかたまりをつくっているのは、もちろんデジカメに残っていない。
三島由紀夫
の自刃した市ヶ谷に居を移した防衛庁が売り払った土地には、東京ミッドタウンなる巨大な建物群が作られている。赤坂の桧町公園を囲む谷地を含めた開発は、六本木ヒルズのように周囲の地形と周囲のまちをいためつけているのが、目にするさえ不愉快だ。かつての日本軍が進めた大鑑巨砲主義のあとをたどるようにひたすら規模の大きさを誇り、ワールドトレードセンターに取って代わろうとでもいうのか、とてもカメラを取り出す気にもならない。三島が知ったら、おれは何のために死んだのかと嘆くだろう。
疲労と空腹を抱えながらそろそろ最終地点というところで、数十年ぶりに赤いBMWイセッタをみつけて、さいごに口直し。「イタリア式離婚協奏曲」でマルチェロ・マストロヤンニが乗っているのをうらやましく見たが、amazon.comで検索しても、もう出てこない。
東京のまちは、時とともにますます悪くなってゆくところが多くてつらい。それだけに、地表を潜れば、捨てられたものの中におもしろいこと魅力的なものがみつかる。
地下水脈をたどったわれら一隊は、地階にある玄挽蕎麦 赤坂「ながら」でこの日の最深地点に達し、いい水を欠かせぬ蕎麦をすすり、下戸ならぬ人々は杯を酌み交わし、めでたくダイビングを終えて帰還したのだった。

投稿者 玉井一匡 : 04:30 PM | コメント (21) | トラックバック