April 27, 2006

「立花隆が探るサイボーグの衝撃」

BrainMachine0.jpg
 4月24日の22:00からNHKで放映された「立花隆が探るサイボーグの衝撃」は、文字通り衝撃的な内容だった。昨年末に放送された「サイボーグ技術が人類を変える」という番組を再編集したものらしい。人間の脳について、つまり「人間とは何か」について、これまで立花隆は探求して来た。人間の脳と身体を技術と結ぶ接点にあるのがサイボーグ技術である。さまざまなサイボーグ技術とサイボーグになろうとしている人たちと、その研究者たちに立花がインタビューをしてまわる。この技術が人間に何をもたらすのかを考えようというのだ。かつて、SFの世界のことだと考えていた技術が現実になろうとしているのがわかる。
 サイボーグとは、身体の一部を機械によっておきかえた人のことだから、現在でも、入れ歯や心臓のペースメーカーを使っている人は広義にはサイボーグなんだとアニメーション作家押井守は言うが、手足を動かすこととのあいだには大きな飛躍的な違いがある。心臓や入れ歯とはちがって、腕や足は人間の意思によって自在に動かさねばならない。したがって人間の脳から信号を送るのに加えて、脳に信号を送り返す技術を必要とする。コンピュータの指示で機械が動くことは、限定された範囲でロボットたちが実現した。もうひとつ先へゆくことが、遠からずできるというのだ。これらの技術が実現しようとしていることは、SFの想像力の世界ではとうに語り尽くされたことかもしれない。しかし、それが小説や映画のなかにあって、いつかはできるだろうと思うことと、近い将来に現実に可能性をもつこととは、はかりしれない違いがある。ぼくたちはだれもがいずれは死んでしまうことを知っていることと、ガンで余命を告知された現実の死ほどに違うだろう。

BrainMachine3.jpg BrainMachine4.jpg事故で両腕を失った人がでてくる。切断された腕や手に代わって機械仕掛けの腕を肩に取り付けて、脳から肩の筋肉まで届けられた電気信号を拾って指と腕を動かす。人間の身体的な障害をおぎなってくれる感動的な技術だ。
 身体を動かす信号の授受をさらに進めて、神経や筋肉を介在させずに脳の電気信号そのものによって、人工的な身体を直かにコントロールすることもできる。たとえば、眼鏡に取り付けたビデオカメラの映像を脳に送って、眼球を失った人に視覚を復活させることが、不十分ながら実現している。ここまでは神の技術だ。
しかし、脳と機械をじかに電気信号でむすぶという技術は、別の目的に使えば、目で敵をみつけ、銃を構え狙いをさだめ発射するという動作を、脳からの信号をじかに機械的な腕に送り、武器を発射するまでの時間を極端に短縮することができる。
 情報を遠隔地に送ってサイボーグを制御する実験も見せる。ラップトップ・コンピューターからインターネットを通じてネズミの脳に電気信号をおくり、右折左折を指示して自在に行動させるのだ。ネズミの頭の上に取り付けたビデオカメラが取り込んだ画像を、やはりインターネットを介して逆にコンピューターに送り、ネズミのいる場所の画像をディスプレイで見る。たとえば、遠い国のどこかの部屋の中を、リアルタイムの映像として盗み見ることができるわけだ。脳の信号をうけとってそれをインターネットで送り、地球上のどこにあるのもであろうと、機械を思うように動かすことができるとすれば、どこかの超大国の大統領が考えるだけで、「ならず者国家」の「抵抗勢力」を殺すことができる。SFで見慣れた、ロボットによる代理戦争まで、あと一歩のとろころまで来ているのだ。「われわれがやらなければ、どこか他の国がつくるだろう。そうならないために、われわれはこういう研究を続けなければならないんだ」と米軍は言う。

 技術が存在すれば、かならず発達し使われる。ひとつの技術に、障害者や高齢者のためのやさしいつかいかたと、人を殺し街を破壊する使い方の対極があるのは、あらゆる技術に共通することだ。サイボーグ技術は障害者のハンディキャップをなくすだろうが、もっと多くの障害者や死者をつくりだすだろう。そう思うと、番組を見終わって、ぼくはひどく無力感に教われた。
こういう未来と技術に対して人間はどうあるべきかについて、立花が河合隼雄に意見を求めるが、軍事利用の危険を語るものの、これに対して人間がどう向き合うべきかについては、ユング派心理学の権威すらまだ何も言えない。だとすれば、まずは気を取り直して僕たちは、現在あるもの今ある生命をよく識り大切にすること、生きることがすてきなことだと、だれもが思えるようにするということか。
東大立花隆ゼミのつくるサイト「サイ」(SCI)には、サイボーグ技術など、先端技術についての詳しいレポートがある。

投稿者 玉井一匡 : 11:00 AM | コメント (7) | トラックバック

April 23, 2006

駒ヶ根の桜

  
信州、駒ヶ根に行った。4月20日の朝、厚い雲と雨を覚悟で東京を出発したのに、寝不足気味のぼくは、運転する塚原に申し訳ないが途中から助手席でぐっすりと眠りつづけ、駒ヶ根の少し手前で目を覚ましたころには霧が晴れて、連なる山並みがうつくしい。駒ケ根は、おそらく天竜川の流れがつくった伊那谷の細長い平地にあって東西を山並みにまもられている。
「エッセンシャルタオ」の著者である加島祥造氏とご子息の裕吾氏ご夫妻にお会いするためにだったが、この日になったのは、ちょうど桜が満開でみごろだとうかがったからだ。帰りがけに、教えていただいた駒ヶ根と高遠のさくらを巡った。この日が特別でもあったのかもしれないが、駒ヶ根と高遠は桜のあり方については、対照的だとぼくには思われた。

 雨上がりの青空と満開の桜、しかも雨のあととあって人出も少ないという思いもかけぬ幸運な巡り合わせで、駒ヶ根の桜はあたりの風と光さえ、さくらに染まっているようだった。4、5人が一眼レフを持って写真を撮っていたが、古寺の山門をガレージのようにしてジープタイプの消防ポンプ車が待機してるのがかえってのんびりとして見えた。フロントグリルの消防署のしるしは、ちゃーんと桜印なのだ。
 門の脇には、まるで岩の固まりのような太い幹からじかに枝をのばす枝垂れ桜の古木があって、そのまま、すでに加島祥造氏の水墨画のような姿をしている。ここの桜はそれぞれの木の一本ごとに魅力的だ。もうひとつの桜は、田んぼの中にのこされた墓を覆うようにしてただ一本立っていた。ここにも三脚を構えた人たちが3、4人いたので、ぼくはあぜ道に腹這いになって、枯れ草で人影をかくした。桜の背後には、仙丈ヶ岳だろうか、白い雪が雲と溶けあうようにして手前の山の間から顔を出している。そもそも色の淡い桜は、光のありかたや環境と背景、そしてまわりにいる人間の様子をそのままに吸い込んでしまう。あるいは吸い込まれてしまうのだろうか。
高遠はまちの真ん中にある城跡を埋めつくす桜が遠くから美しいが、近くにゆくと人出や屋台の数が多くて、花よりもむしろにぎわいを楽しむ場所になっていた。人が来てくれなければ観光は成り立たない、しかし人が多すぎれば、その場所のもっているよさを損なってしまう。期間がきわめて短い桜は、短期集中型の日本の観光地の典型だから、ひとにきてもらうことと気持ちよい場所であることを両立できるかというテーマを検証するには、高遠はとてもいいまちだと思った。が、それはあとのことで、駒ヶ根と比べると人出が多すぎることに、やや落胆してしまった。とはいえ、駒ヶ根でも、はじめに寄ったお寺は桜の名所で、観光バスやテレビ局のバスまで来ていたので、ぼくたちは車さえおりなかった。そういうぼくたちも、じつは環境汚染の一部なのだと考えると、文句を言えた筋合いではないのだが。

投稿者 玉井一匡 : 12:20 PM | コメント (3) | トラックバック

April 19, 2006

一輪のハナニラ


 刑部アトリエの前庭には、ヤマブキやシャガやニリンソウ、フッキソウなどもあったのに、うっすらと青い花は取り残されたようでとりわけ印象深かったのだろう、ロワジール別館漂泊のブロガー2Roc写真箱などに写真や文章があった。この季節には、道ばたなどでよく目にするのに僕はこの花の名を知らなかったのだが、おかげでハナニラというのだと知った。ああそうかなんて、記憶のすみにあったのをつまみ上げて思ったのだが、それは誤解で、ぼくの知っていたハナニラは食べられる別物だ。食用のニラを切らずにおくと、まっすぐに延びた茎が先端に小さなネギ坊主のようなつぼみを付ける。この状態のやつを集めてくると、ニンニクの芽のように炒めればニラの葉よりもむしろうまい。と、ぼくは思っている。葉っぱよりも数がすくないから、商品になりにくいのだろうが、中華街などでは束ねて売っていることがある。さらにそのまま放っておくと、そのつぼみの包みをやぶって四方八方に伸ばした手のそれぞれの先に水仙のミニチュアのような花(写真はBotanicalGardenより)をつけるのが愛らしいのだが、切り口から匂うのが難点だ。じゃあ、観賞用のハナニラも、その名にふさわしい匂いがするのだろうかと茎を折ってかじってみた。なあるほどニラの一族にちがいない。
これは最後の晩餐。キリストが「これは私の肉、私の血」だと、弟子たちにパンとワインを振舞ったように。

 とうとう門だけを残して、刑部アトリエはあらかた解体されてしまった。その、大谷石の擁壁の上に咲いていたハナニラなのだ、これは。そういえば、林芙美子記念館の池のまえに立って鯉に餌をやっていらした方が「わたしはこの隣に住んでいるんだ」とおっしゃったことがある。「おさかべさんですか?表札にありましたが」とうかがうと「よくお読みになれましたね。だいたい部という字がついている姓は専門職の帰化人が多いから、きっと先祖は朝鮮渡来の首切り役人だったんだろう」などと言われる。「いや、検事だったんじゃないですか」などと言ったのを思い出した。
咎なくて死す刑部アトリエのために、ぼくはそのハナニラを一輪だけ連れてきた。一輪だけの花があるときに、事務所では愛用の水滴に水を入れて小さな穴に茎を挿す。この水滴は、魚の形をしている。・・・・サカナはキリストのシンボルだったっけ。このあとイエは復活するのだろうか。

投稿者 玉井一匡 : 08:17 PM | コメント (6) | トラックバック

April 17, 2006

刑部アトリエと林邸と四ノ坂 けさ

 東西に長い刑部アトリエは東側から解体が始まり、林芙美子邸と向き合う西よりの棟はまだ残されていたが、今朝からはとうとう丸太の足場をかけてシートを張っている。 このあたりの上下の道をつなぐ坂には、山手通り際の一ノ坂から二ノ坂と名付けられ、林邸と刑部アトリエの間にはさまれているのは四ノ坂、というよりも、むしろふたつの緑ゆたかな家につつまれているというべきだろうが、坂は途中から御影石の階段に変わる。おかげでクルマが通らない。左右の家のありかたといい坂の勾配といい、さまざまな要素がこの坂道をここちよくさせている。みちのたたずまいをつくるという意味では、この西棟の方が、まちにおよぼす影響は大きい。

二つの家には、いずれも屋根におおわれた門がある。数段の階段を上り林邸には和瓦、刑部アトリエには大谷石の門柱にスペイン瓦をのせた門だ。門は、とかく排他的な印象を作り出すが、屋根がかけられると、それがむしろやわらげられて人を迎え入れる気配が生じる。 屋根付きの門には格式を示す意図もあったろうが、この家たちの門の2mそこそこの低い軒高は、むしろ人間的なスケールをつくりだす。しかも、坂道に面しているので階段を設けるから門は道路から退がる。おかげで道の空間はすこしふくらんで、坂道にゆたかな場所ができる。ケヤキはたおやかな枝に若葉をつけ、残りすくない花をつけた桜、ぼってりとした花を開き始めた八重桜、そして林邸には、かつて庭の大部分をしめていたという孟宗竹が塀の背後にきっぱりと立っている。これがどう変えられるのだろうか。
日ごとに切り取られてゆくまちを見たあとの気分を変えたくて、牡丹寺の通称がある薬王院の門前の通りがかりに自転車をとめて開花の様子をのぞいた。一面の牡丹のうち3株ほどが開花しているが、いまにも開きそうに色を浮かべてつぼみをふくらませるものが2、3割ほどあるけれど、そのほかはまだ緑色のつぼみをつけている。カメラを首にかけたお年寄りに声をかけた。「もう一息ですね」「今週末でしょう」といわれる言葉には、開くまでの数日のときをむしろ楽しむ思いがひそんでいるようだった。

投稿者 玉井一匡 : 01:40 PM | コメント (1) | トラックバック

April 13, 2006

刑部人アトリエ 消失

   

月曜日、洋館は足場につつまれながら建っていた。カメラを構えたら電池がない。火曜、水曜は雨だったので電車で来たから前を通らない。今朝、曇りがちだけれど、ひさびさにあたたかい。自転車を走らせるとやがて汗ばんだ。刑部アトリエの前にくると足場の上に顔を出していた家はもうない。工事用のシートの隙間、かつて「いえ」だったものが物体と化して堆く積まれている。割れたスタッコの壁、崩れたスペイン瓦。最後の瞬間を見届けたいともつらいとも思いながら雨にゆだねた。建物が消えると、かつてそこにあったものが何だったかがわかる。ここに生きたひとびと、通り過ぎた人たち、降り積もった時。そして、切り取られたまち。

関連エントリー
MyPlace 「洋館に綱が:刑部人アトリエ」
chinchikopapalog 「いいなぁ、文京区の「目白台公園」

投稿者 玉井一匡 : 11:15 AM | コメント (10) | トラックバック

April 11, 2006

REVOLUTION in The VALLEY:サインパーティー

 REVOLUTION in The VALLEY/Andy Hertzfeld著/柴田文彦訳/オライリー・ジャパン発行

  ぼくの知っている限り歴史上もっとも素敵な箱・初代Macintosh、それを若者たちがつくりだした過程が108のエピソードで再生されているこの本は、どこを何度くりかえして読んでも楽しい。ぼくにとっては、第一世代のMacは、とうとう自分のものにすることがなかったミッシングリンクだが、この本を読んだおかげで、第一世代のMacも、やっとぼくのものになった気がした。
Apple Ⅱ plusは、AKiさんが(勝手に)注文して宅配までしてくださったおかげで僕の機械になったのだが、そのあとの第一世代Macは、あんなにも魅力的なやつなのに、優柔不断のせいでとうとう買えなかったのだ。
 この本のことはaki'sSTOCKTAKINGに紹介されているのを見て知ったのだが、ここに書かれている数々のエピソードは、そういうぼくをMac誕生にいたる物語に参加させてくれた。だから、われわれ素人にはとてもむずかしい話もあるけれど、それでも楽しく読むことができる。
 ところで、どれかひとつを選ぶとしたら、きみはどれがいい?と誰かにきかれたらぼくはどうしようかなと考えてしまった。どれも捨てがたいので随分悩んだ末に「Signing Party」というエピソードを選ぶことにした。(この本では、固有名詞は英語のまま書かれているので、ここではそれに従うことにした。おそらく、本のレイアウトを原書と同じにするために、文字数を減らしたかったのだろう。それでも文字が小さくて、眼鏡なしではとても読めないんだが。)

 このエピソードの内容はこんな具合だ。
 Macは芸術作品だと、つねづね言っていたJobsが、Macチームのメンバーのサインをケースに残そうと思いついた。ここでいうケースとは段ボールの箱のことじゃない、「筐体」なんてばかにむずかしい日本語をあてられる、Mac本体の外皮のことだ。大部分の人間が見るはずのないケースの裏側なのにサインを残そうとするには、まず金型に刻み込まなければならないのだ。それは1982年2月というとき。1979年11月にはじめの3人の男たちが、そのうちのひとりJef Raskinの自宅にあつまってMacのスタートを切らせたときから2年と少し、1号機が完成する1984年1月までは、あと2年という、スタートから完成までのちょうど中間の時期だ。金型というのはもっとも製作時間のかかるものなのだそうだ。
ミーティングのあとでサインパーティーが開かれた。Jobsの指名で、初めにBurrell Smith(はじめの3人のひとり)がサインをしたあと、チームの35人が製図用紙にサインを書き込み、最後にsteve jobsが小文字でサインを加えるまで40分間。その場にいなかったBill Atkinsonほかの数人が後に加わったが、製作の過程で少しずつ名前が減って行った。この本の表と裏の表紙の見返しにサインの写真があるが、これがいつの段階のものかは、書かれていない。

 Jobsが、Macを芸術作品と言ったのは「最終目標は、競合する相手を打ち負かすことでも、多大な収益を上げることでもなく、可能な限り最高の仕事、それをわずかでも超えるような仕事をすることだった」と書かれている。並外れた才能に満ちたチーム、過酷だが適切な目標を設定し彼らに要求したJobs、この少人数のチームは、わずか128Kという、いまなら携帯電話の写真一枚にも満たない小さなメモリーの中で、helloの挨拶から始まり、絵を切り抜いてみせ、アイコンをゴミ箱に入れるとフロッピーディスクを吐き出した。自分は持っていなかったからなおさらそれは、ぼくにとってうっとりするような、すてきなふるまいだった。マウスを見たのも、そのときが初めてのことだった。
 この本の著者、Andy Hertzfeldはインタビューの中でこういっている「初代Macに比べると、ハードウェアの性能は飛躍的に向上しました。夢のような話です。これに対して、ソフトウェアにはがっかりさせられます。Macintoshの登場以降、基本ソフトウェアはのろのろとしか進化していない。ユーザビリティの面では、後退したといっても過言ではありません。」と。
 ハードウェアが進歩したといえ、それは処理スピードが早く、容量が大きくなり、画像の密度が増え画面が大きくなるという、量的な拡大の結果として数値的な質が向上したにすぎない。パーソナルコンピューターは、あの時期に成し遂げたものの余禄で成長しているのではないか。だからこそ、この本に登場するMacチームの成し遂げたことはRevolutionと呼ぶにふさわしい。現代のデザイン、建築、思想、そして科学は、20世紀初頭の奇跡的な時代に作り上げられたもののおかげで、いまも世界の多くは動いている。ものごとの動きは、短い変化の時期と長い平穏あるいは停滞の時期がくりかえされるものなのだ。

 ぼくたちはMacを「うちのパソコン」とは言わない。「ぼくのMac」と、固有名詞のつもりで呼んでしまう。ユーザーインターフェイスのありかたが魅力的だから、Macを「種」としてではなく「個体」として感じてしまうからにちがいない。人間が「いい奴」かどうかは、ひとと接するあり方、つまりインターフェイスの能力をいうようなものだ。Jobsが「Macは芸術作品なんだ」というのも、「Macを、かけがえのない命を持った生き物のようにしよう」ということではないか。・・・・いいやつとは言いがたいJobsだが。
ところで、この本を読んだ他のひとたちは、どのエピソードを選ぶかな。

■追記
*AKiさんは、これを選ぶそうだ: REVOLUTION in The Valley:角丸長方形だらけ!
*iGaさんは、コメントで「USフェスティバル」がいいと表明:US Festival/wikipedia
A・ハーツフェルドが語る「Macの誕生と、その他の物語」/CNET Japan

投稿者 玉井一匡 : 10:22 PM | コメント (6) | トラックバック

April 06, 2006

I love カメレオン:Tokyo Jungle


 先日、masaさんを誘惑して、麻布の谷戸と思いがけぬジャングルをめぐったことはkai-wai散策の「麻布ジャングル冒険記」にくわしい。途中、爬虫類の入った水槽をならべた店を見つけた。ぼくは爬虫類は苦手なんだと腰の引けるmasaさんにちょっとごめんなさいを言いながら箱に近づくと・・・・ゲッコーという名前が多い。ゲッコーとはgecko:ヤモリのことだが日本のそれとくらべればずっと大きくて20cmほどもあるけれど、これをいやがってたら南方では暮らせないからヤモリは大丈夫になったんだと、masaさんは気を取りなおす。トカゲにはまぶたがあるがヤモリにはなくて、当たり前だが瞬きをしないんだそうだ。
奥の上の段に1匹だけ、カメレオンがいた。・・・・・・・美しい。masaさんはカメレオンも好きだという。なんだ、けっこう好きなんじゃないか。これはエボシカメレオンというのだがマダガスカルからもらったので、手放すわけにはいかないんだそうだ。部屋に置いた観葉植物にカメレオンをとまらせておいたら面白いいだろうと、ぼくは前からあこがれている。かつて指に掴まらせてみたら、その感触がとてもよかった。

餌はなにをやるんですか?  コウロギをやります。
何匹くらい?  一日に1匹です。
えっ、そんなものですむんだ。何年ぐらい生きるんですか?  10年ぐらい生きますよ。
名前呼んだら来ます?  カメは来ますけど、カメレオンはそこまではしないですね。
おなか空くと、近づいて来たりして?  こっちの方をむいて、舌を伸ばしたりします。
ほかの箱は、床に砂や何かが入れてあるのに、なぜカメレオンには何も入ってなんですか?  カメレオンは水をかけてやるんで、床には何もなくしておかないと、汚ならしくなるんです。
ぼくは10年くらい前にグリーンイグアナを飼ってたんだけど、死んじゃってから、あれよりかわいい奴に会ったことないんだよ。でも、イグアナにかわいいのとそうでないのがいるっていう話をしても、なかなかわかってもらえないんだよね。   そうなんですよ。見てると分かるようになるんですよね。
かわいいなあ。  写真とっていいですよ。ストロボさえつけなければ大丈夫です。
もし、これを売ってもらえるとしたら、いくらくらいなんですか?とmasaさん  3万円くらいです。
へえ、このかわいらしさの割からすれば安いなあ。ワシントン条約はクリアしてるの?  もちろん。
また来ますね。  いつでも寄ってください。

出がけに確認すると、店の名は「TOKYO JUNGLE」とあった。
インターネットでカメレオンをさがすと、こんなサイトがある。
爬虫類の好きな人は、いるもんだと感心した。

投稿者 玉井一匡 : 11:00 PM | コメント (14) | トラックバック

April 04, 2006

目白の馬

 いつもの道を自転車で走っていると、仮にそんなことができたとしてだが、目をつぶっていてもどこにいるのか分かるところがふたつある。いずれも、ぼくにとっては好ましい匂いが漂うのだ。ひとつは神田川沿いの精養軒の工場、もうひとつは高台にある学習院の南向きの斜面、Chinchiko Papalogで知った言葉によればバッケの足元だ。食べ物の香り、生き物のにおい、一方はケーキを焼く香りともうひとつは有り体に言えば馬糞のにおいだ。さらに秋になると、道路には沢山の銀杏の実が落ちる。それを通り過ぎる車たちが踏みつぶして球体を二次元化するときに植物というよりは動物的な匂いに変えてゆく。ガラスを閉じた車には分かるはずもないが、歩行者と自転車には、その匂いがしっかりと記憶に残される。 春には、斜面を背景に咲くサクラが美しい。樹木が多いから、初夏には若葉の青臭いかおり。夏のさなかにも、ぼくは好き好んで日向を走るのだが、ここを通り過ぎるときには、あきらかに空気がかわる。ひんやりとした空気が降り注ぐのを感じるのも楽しみだ。この写真は、ネットフェンスの網目の間にレンズを入れてとったものです。
ここで、先日はタヌキに出くわした。Chinchiko Papaによれば、あのタヌキは学習院の血洗いの池あたりに住む一家らしい。

山手線のトンネルをくぐると、道路際の細長い一画を別にすれば学習院のキャンパスがはじまる。その一画の景色が、すっかり変わってしまった。中層の高級マンションが、まもなく完成する。地上11階地下1階、396戸という、都心では大規模な高級マンションがフェンスのように立ち上がる。「目白ガーデンヒルズ」といいながら、丘の上ではなく丘の足元にたっているから地形を壊しているわけではない。なにしろ斜面は学習院の土地なのだから当たり前のことだが、その豊かなみどりをしっかり借景として取り込んでいる。その分だけ街には崖を構築した。道路際に1mほどの窮屈な歩道を提供しているが、背後の斜面を感じられる隙間は作られていないようだ。
まだ、完成したわけではないから、これからゆっくり観察してゆこうと思うが、せめて馬がクサいなどという文句を言うような住民は住まないようにしておいてほしいものだ。ここは都心にありながら先住民の馬やタヌキが共存しているという、えがたい環境なのだから。

投稿者 玉井一匡 : 07:39 AM | コメント (14) | トラックバック

April 01, 2006

桜と小鳥:桜を食べる 2

 クーのための朝の散歩も、さくらの咲いているころはとりわけ心地よい。まだ咲ききらない桜の樹の下にいると一輪ごとクルクルとまわりながら花が落ちて来るときがある。見上げると、枝にはヒヨドリがいる。花を食べようとしているのか戯れているだけなのか分からないが花をつついているのだ。つつかれた花たちがきれいに開いたままひらひらと落ちてくる。
 神田川の橋のたもとではスズメたちが一番乗りの桜をつついていた。それらが足もとのドウダンツツジの枝にとまって、まだちいさな芽を出したばかりの枝に桜の花を咲かせているようだ。地面にもたくさんの花が落ちていたから、ぼくは帽子を脱いで花をあつめ、あたまを下に向けそっと帽子をのせて事務所に運んだ。

かつて写真の現像に使われていたらしい白い長方形の皿に水を張って桜を浮かべたけれど、白を背景にあわい桜色では映えない。こんなにうすい色だったのかとあらためて気づいて隣のビルの植え込みから椿の葉を数枚つれてきたのを浮かべ桜の背景にした。皿に入れると、箸先でつまんでたべてみたら案外旨いのかもしれないと思わせる。
それを打合せテーブルに置いて3日目になるけれど、そのあいだに神田川の桜は見る間に満開になったが白い皿の上の花はいまも元気だ。そればかりではない。このさくらたちはわずかな日を経て、花びらの付け根の雄蕊にちかいところにほのかな赤みをわずかに増した。ちょっとした発見だった。

投稿者 玉井一匡 : 01:33 AM | コメント (21) | トラックバック