June 23, 2006

ToshoCalcio-3

第3回中間発表/日本のグループリーグ終了:表をクリックすると拡大します。
日本チームのワールドカップは終わってしまいました。クロアアチアが1-0でリード、アレックスの一世一代のパスと玉田のシュートで1点を取った時には、「もしや」の期待で一瞬にして寝ぼけまなこが開きました。しかし、サッカー選手とは思えぬ体形と動きのロナウドに2点をとられ落胆、ほれぼれするようなジュニーニョの弾丸ロングシュートに降参。自在にまわされ時間つぶしに入られたころには、クロアチアも同点に追いつかれて万事休す。
 さて、トショカルチョ第一ステージが終了しました。現時点では日本チームと気持ちを共にしようとした人たちは心意気に殉じてポイント数で低迷、冷静に確率にしたがったひとたちはポイントを稼いで、kad3さんとMIROさんが5ポイントで1位、1ポイント差で4人の方が追走中です。

投稿者 玉井一匡 : 01:17 PM | コメント (22) | トラックバック

June 20, 2006

タチアオイとF.L.ライト

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 ぼくが子供の頃には、タチアオイはあちらこちらの空き地や庭先に咲いているありふれた花だったが、地面に近い下の方の葉っぱが黄色くなりはじめてもいつまでも落ちずについていたり、なぜかハエが葉っぱにやってくるので、ぼくには、ちょっときたない植物のように思われたのだが、じつはおいしい植物だったということなのかもしれない。同じように感じた人が多かったのだろうか、いつの頃からかあまり目にすることがなくなった。
 世の中にハエというものが少なくなったせいなのか、そのタチアオイが咲いているのを道すがら見ることがこのごろは多くなったように思う。いつも通る道の、中央分離帯にタチアオイが咲いているところがある。お役所仕事で部分的にタチアオイを植えているのは見たことがないし、整然とうえてあるわけではないから、近くの住人が勝手に植えたものだろう。そういうことを想像すると、ぼくはちょっと楽しくなる。
「目白・下落合歴史的建物のある散歩道」を見ていたら、目白駅から明日館にむかう道がライトの小径という、ちょっと気恥ずかしい名前をつけられていたので、ライトがタチアオイを好きだったことを思い出した。

  ライトは、古くからパースの前景にタチアオイを描いている。(左図は1901年)彼が植物としてあるいは花としてタチアオイが好きだったからというよりも、水平に伸びる住宅の多いライトのパースには、垂直に立ち上がるタチアオイの対比的な姿は建築をひきたてるからだったのではないか。つまり、タチアオイの姿が好きだったのだろう。ライトがデザインした、縦軸の周囲に小さなあかりが灯る照明器具は、いまでもペンダントやスタンドとして商品化されているが、これはタチアオイの姿をデザインソースにしたものにちがいない。

Barnsdall House(1917~21)ではクライアントのアリーン・バーンズドール夫人が好んだタチアオイ(Hollyhock)をさまざまに幾何学的デザインをほどこして外壁にも柱にも繰り返して装飾として使っているのでHollyhock Houseとも呼ばれた。ライトの住宅集の表紙に、その写真が使われている。(フランク・ロイド・ライト住宅集/A.D.A. EDITA Tokyo)
アリーンは、数年間この家に住んだあと、映画関係者に利用してもらうよう、ロサンジェルズ市に寄付したという。こんな大きな家をつくるのだからずいぶん金持ちなんだと思うが、それをポンと寄付してしまったのだから、もっと金持ちだったのだ。
 
 1932年、当時、MOMAのキュレーターだったフィリップ・ジョンソンが企画して開いたインターナショナルスタイル展への参加を、ライトは拒否したことがある。場所に固有の条件を生かした建築をつくるべきだと考えていたからだ。この家では南アメリカの先住民であるインカのデザインを継承して壁などにタチアオイをつかったレリーフをほどこした。そうやって古来の文化への尊敬を示すことは、当時の白人としては、精一杯のフェアな態度だったろう。
インディアンをだましたり殺したりしたおかげで白人が国土を手に入れたのだという共通認識が、今でさえできているとは思えないのだから。
 ところで、ライトとは何の関係もないことだが、JリーグJ2水戸のチームの愛称をホーリーホックとしたのは、水戸黄門の印籠の印、徳川家の家紋である三葵にちなんだものだろう。

投稿者 玉井一匡 : 09:40 PM | コメント (2) | トラックバック

June 19, 2006

ToshoCalcio 2006-2

第2回中間発表:表をクリックすると拡大します。
 ぼくは考える気力がありませんので細かいことはマスコミに任せるとして、日本のグループリーグ突破にはブラジルに2点差で勝つのは最低条件です。クロアチア1*オーストラリア0/日本2*ブラジル0の場合、日本とクロアチアが勝ち点4、得失点差0でならびますが、総得点で日本3、クロアチア1で日本が2位通過というのがもっとも楽な道です。・・・・・やれやれ。ブラジルがロビーニョを温存してロナウドを使ってくれることを期待しましょう。それにしても、ライバルのはずの韓国は強い。
今回の結果、kad3さんとMIROさんが4ポイントを獲得してトップ。3ポイントの方が4人。16人が0点です。

投稿者 玉井一匡 : 05:07 PM | コメント (4) | トラックバック

June 17, 2006

まちかど建築写真展とガイドマップ


 いま、目白バ・ロック音楽祭という催しがひらかれているが、その一環として「まちかど建築写真展」が三春堂ギャラリーで開かれている、と書くべきなのだが、ぼくは最終日の昨日になってやっとうかがったので、「開かれていた」としか書けないのが残念だ。
開店まで時間があったので、途中でカフェ杏奴に寄ってひと休みした。こういうのをChinchiko Papaがお作りになったんですよと、ママが見せてくださった「目白・下落合歴史的建物のある散歩道」は、すでにブログで知っていたが、とても楽しそうなイラストが入っているし道は正確に書かれているいい地図だった。チャイを一杯飲みながら店の地図を楽しんだ。帰りがけにこれも一部といってレジで渡したらママは怪訝そうな面持ち。三春堂ギャラリーでお求めになったほうがChinchiko Papaさんがお喜びになりますよという。そりゃそうだといって自転車に乗った。

 まだ開いたばかりのギャラリーにはChinchiko Papaがひとり。
「この地図どうですか」と、まずはガイドマップをすすめられた。chinchikopapalogの内容の充実ぶりは、ブログを開いてみると多くの人があきれてものがいえないほどなのだが、そのblogに書かれている数々、現実の町、そしてこの写真たち、ガイドマップはそれらをつないで、ひとつの世界を構成する。「ぼくの学生時代からすれば、こういう建物は半分くらいになりました」というChinchiko Papaの口調には、とてもいたましい思いが込められているようだったが、バブルによる破壊の時代を経たことを思えば50%というのはむしろ奇跡的なほどよく残されていると、ぼくには感じられた。きっと、下落合や目白にはまちを愛している人たちが多いのだ。中村彝のアトリエが、ほとんど手を付けられずにそのまま残されているという奇跡的なことがあったのも、住み手個人のおかげであるのはいうまでもないが、まちのそこここに古い家が生きていることも少なからぬ力を及ぼしたはずだ。
「新宿区の教育委員会が保存するべく調査を進めているそうです。しかし、問題は予算で、現在お住まいの方は、アトリエを含む30坪ほど分けて売ってもいいとおっしゃるんだが、できれば全体を買い上げて保存してほしいですよね」
「まずは、第一歩として一部からはじめるのもいいでしょ。一部の土地でも、アプローチできるんですか?」
「となりに公園があるし、狭い路地もつながっているんです」
不要な道路やダムは、いまでも作られているというのに、重要文化財に指定されている「エロシェンコ像」の描かれたアトリエを残せるかどうか分からないのだ。ともあれ、建物たちはまちの中に分散するおかげで、blogと写真展とまちとひとというレイアをひとつにまとめる写真展だった。

*ガイドマップ「目白・下落合歴史的建物のある散歩道」は、会期後はカフェ杏奴三春堂にて200円で販売します。

投稿者 玉井一匡 : 06:57 PM | コメント (4) | トラックバック

June 13, 2006

ToshoCalcio 2006

日本の初戦を終えたトショカルチョ参加者23人の第1回中間発表:表はクリックすると大きくなります
途中までは期待がふくらんでいただけに日本チームの応援団としてはつらいスタートでした。得点差も含めて当てた方はただ1人(ハヤシチチさん)、日本の負けだけが当たったのは2人(DONさん、MIROさん)でした。
 アレックスなんか使うな、松田と松井をいれておけばいいのになんて思いながら、しかしサッカーに限らず、ひとに決めらてもらわないと行動できない日本の文化を変えることをジーコは考えているのだと、ぼくは思いたい。ひとりひとりが思うように楽しみながらやることが、全体としてもいい結果を生むという社会になってほしいと。
全体としては、2002年とはちがって強いチームが順当に勝っているので、興味深い組み合わせを見られそうですね。
ぼくは、予想というよりは希望をこめてもともと低い確率に投票したのだから、希望は捨てないぞ。

投稿者 玉井一匡 : 08:14 PM | コメント (17) | トラックバック

STEREO VIEWER


週末に新潟に行っていたので、AKiさんが送ってくださった3D VIEWERを手にしたのは。やっと昨日の夜だった。今朝は、ワールドカップのことを思い出したくないので、おのずと別世界に目も心も転じてしまう。僕の希望したのはホッパーの「ナイトホークス」だったのだが、スキャンして上質の用紙にプリントされたブリューゲル「バベルの塔」フェルメール「牛乳を汲む女」も添えられていた。
このふたつが添えられていることが、とても効果的だった。(ワールドカップに加えて、ぼくを悔恨と腹立たしさに沈めることがもうひとつある。デジカメに大けがをさせてしまったのだ。だから、こころならずも携帯電話の写真に、依存することになった。ぼやけた写真はそのためであって、老眼鏡なしの視覚世界を再現したわけではありません)

 三つを見比べると、立体を平面の上に表現するという、絵画の宿命について考えずにはいられない。とかく立体視は、切り抜いた平面を前後に重ねたようにみえるものだが、バベルの塔の表面をつくる曲面、空に浮かぶ雲、広がる大地、フェルメールの人物の顔や胸のふくらみ、テーブルの上の食べ物の立体感、みな生き生きとした奥行きが見える。また、ナイトホークスでは、そこに描かれているもの、あるいは描かれていないもの・・・「そこに何かがない」ということが、いっそうわかりやすい。
 どうやってこれをつくったのか知りたくて、ぼくは右と左の目を交互に開閉して見比べてみた。大きなボリュームは左右の絵をずらし変形してあるようだ。しかし、小さなボリューム、たとえば顔の中の鼻の見えかたまでは変えていないように思える。このような部分的な立体感は、おそらくもともと画家がキャンバスの平面の上で表現した立体表現の力によるものだろう。ビュアーをのぞいてみえるのは、いわばハイブリッドの立体表現なのだ。
 似たようなものがあったなと考えてみると、Google Earthでみる3Dの地形がこれに似たハイブリッドの立体表現ではないか。地形の3D画像の表面に人工衛星からの写真を張り付けただけなのに地形の立体感は胸躍らせるものがある。そういえば、飛行機の中で見た映画「キングゴング」の世界は液晶の小さな画面の中なのに、ときおり飛行機がストンと高度を下げるとエンパイアステートビルをよじ上っていたりしたので、すこぶる緊張感があった。あの空間表現もハイブリッドだなと思い出した。

 コンピューターの手をいっさい借りることなく、画家たちが平面の上に絵具のさまざまな組み合わせをのせるだけで空間と光と影と質感を表現したことに、あらためて驚かずにいられない。同時に、三次元に見事な変換を加えて二次元の世界に取り込んでしまった北斎らの到達した独自の地点をも思わずにいられない。

 五十嵐さんがaki's STOCKTAKINGにコメントとして書いているように、六角柱を変形させることでレンズと絵との距離を変えるという単純きわまりない仕掛けがすてきだ。しかも、六角柱をつぶすと葉書の大きさの平面になってしまうのが3Dビュアーだというのも、ひねりが効いていていて、ぼくはすきだ。

投稿者 玉井一匡 : 08:22 AM | コメント (0) | トラックバック

June 04, 2006

「福祉史を歩く」


福祉史を歩くー東京・明治/河畠修著/日本エディタースクール
 neonさんの装丁された「福祉史を歩く」は、ぼくがかなり長く住んでいたところから5分足らずのまちから始まり、同じまちについての記述で終わっている。ぼくはこの本をまだ読んでいなかったのにneonさんのエントリー「装画の仕事 2」にあつかましくもコメントを書いた。「福祉史を歩く」ということができるのは、福祉が具体的な場所や特定の人とむすびついているからなのだろう、したがってそれは特定の人や特定の施設の献身的な活動に支えられていたのだろうと想像した。制度にたより、場合によっては福祉を金儲けのタネととらえている連中さえいる現代の日本よりも、むしろ志は尊い。そういう事実があったことに、ぼくは、それまで思い至らなかった・・・・と気づいたからだ。

 この本のはじめとおわりに取り上げられているのは四谷鮫ケ橋である。下谷万年町・芝新網町とともに、明治期に東京の三大貧民窟といわれたという。「日本の下層社会」松原源之助著・岩波文庫から多くの引用があって、同時代の目で見た具体的な記述がある。日本で初めての私立幼稚園二葉幼稚園が、この鮫ケ橋につくられた。現在は二葉南元町保育園となっている。こどもたちの労働力さえあてにしなければならなかった人たちのまちでは、とても教育などしてやれない。子供たちの将来のためには、何より教育が必要だと考えて、このまちに飛び込んで幼稚園を作った人たちがいたのだ。
 kai-wai散策で注目されていたころ荒木町の谷戸地形を見に行った数日後、若葉町の丸正のあたりに長屋があったはずだから見に行ってみようと思った。行ってみると、ちょうど新宿通りをはさんだ荒木町の向かいがわの坂道を下り、谷を道なりにたどれば自然に鮫ケ橋にゆきつく。現在の地名は若葉3丁目と南元町。権太原から四谷に抜ける広い道の向かいには東宮御所の門がある。その少し手前右側に、路地をはさむ2組4列の長屋が残っていた。入り口の前には今年の秋に工事に着工するという集合住宅のお知らせ看板が立てられている。この長屋も、この秋でつぶされてゴミになるのだ。
 この本の表によれば、鮫ケ橋は江戸時代にはむしろ景勝地で、落語にでてくる長屋の住人たちのまちだったようだ。それが、明治に入って日本の中央集権が進み、戦費調達のための増税や物価の上昇のために仕事や、その手段を失った人たちで高密度の「貧民窟」になったのだという。近くで育ったおばから、幼少時代にはここに入ることを固く禁じられていたというはなしを聞いたことがあった。
 国家の向上は、必ずしも個人の向上をもたらすわけではなく、むしろ個人の犠牲のもとに国家の成長が実現するのだとすれば、欧米列強に肩を並べようとしていた明治の日本も、「国民の痛み」のもとでの「改革」によって経済を回復し格差を生み出し、税金で助けられた銀行が空前の利益をあげる現在の日本も、基本的な構造は変わらない。

投稿者 玉井一匡 : 08:03 AM | コメント (2) | トラックバック

June 03, 2006

もんしぇんの試写会


もんしぇんの試写会が、渋谷の「シネカノン試写室」で行われた。平日の午後3:30からという時間帯だったのは、きっと費用のせいなんだろうが、40人ほどの小さな試写室はとても見やすい。シネカノンの社長、在日三世の李鳳宇(イ ボンウ)氏がソウルに5スクリーンのシネコンCQNをつくり、その中の一館を韓国ではじめての日本映画専門館にして話題になった。こけら落としが「パッチギ」だったのも、そうした事情にふさわしいが、パッチギがあったからそういう企画を実現できたのかもしれない。かならずしも商業的に成功しそうにない、ロングテールに属する作品を配給上映しながら、なおかつこれだけのことを持続できることはたいしたものだ。
 ぼくは、ふつうは映画は一人で見る方がすきで、誰かと一緒にいっても離れた席に座ることが多いのだが、このときはAKi、iGa、masaのおじさん三氏に同行していただいたとあって、横一列にならんだ。この映画の場合はいつにもましてとなりの三人の反応が気になって仕方ない。
 

ぼくは首を向けはしなかったが、どうも映画を見ているおじさんたちは、寝苦しい夜のベッドの上で寝返りをくりかえしているような気配だった。 映画を見終わったあと、一同は下階のカフェでのどを潤した。どうもこのとき、おじさんたちはポケットの中にたくさんの「?」を詰め込んだままのようで、関係者の一部に足を踏み入れたぼくに、やや遠慮もあったのだろうか、この映画のことを正面から話題にしようとしないような気がした。
 それでも外に出るころには暗くなっているほどの時間をここで過ごし、kai-wai散策の写真の場所を経由して焼き鳥屋に河岸を変えると、蓄積されたアルコールとなかなかいける焼き鳥のおかげなんだろうか、もんしぇんそのものの話題になってきた。
今では、みなさんの発言がまじりあっているけれど、こんなぐあいだった。
「ほとんどが写真だったけれど、一カ所だけムービーになったシーンがあった」
「入れ子になった世界でできているってことを知らせておいた方がわかりやすいんじゃないか」
「トリュフォーやヒッチコックは、自分のつくったものをあそこはこうやったんだ、あれはあの映画のあそこが素敵なんで真似したんだ、なんてことを言うけど、もっとそういうことを言った方がいいよ」
「近藤正臣が、どちら側の人なのか、分からないな」・・・・・・等々
焼き鳥のおかげか、場所がおちついたせいか、つぎつぎともんしぇんについてのことばがでてきた。なにしろ長い時間をかけてできた映画だから、ちょっと手にあまるくらいの沢山のことを盛り込んでいる。いくつかのしかけについて説明すると、それは聞かなきゃあわからない、ある程度説明が必要だと言われた。映画を見る人にそれらをできるだけたくさん掘り出していただくには、いくつかの糸口をあらかじめ観客に渡しておく必要がありそうだ。上映中のあの寝苦しさのような気配、カフェで「もんしぇん」をちょっと遠巻きにしている感じは、説明不足に理由があったのだ。
 カフェにぼくたちの入ったすぐあと、スタッフと夕海と応援団の若者たちがカフェに入って来たが、かれらは、この映画にかかわるさまざまなできごとを谷根千界隈でくわだてるための作戦会議をしていたのだった。それらは、ほかでもない、もんしぇんを掘り出すための糸口だ。。
AKiさんiGaさんmasaさんありがとうございました。

追記
MF247Newsで、「もんしぇん」の公開について掲載されています。

投稿者 玉井一匡 : 08:28 AM | コメント (16) | トラックバック