November 27, 2006

PICTAPS:描いた絵がペラペラダンサーの群舞に

 アースダイビングの続編をエントリーする前に、ちょっと寄り道をしないではいられなくなった。
「これはすごいです」というタイトルのメールが来た。友人・本間さんからで、アドレスをひとつペーストして「これはすごいです。恐るべし。」とだけ書いてある。すぐにアドレスのブルーの文字をクリックしてみたら、本当にすてきなことが起こるのでびっくりしてしまった。2次元の絵がゆっくり宙を回転して降り立つと、形代(かたしろ)のようなペラペラの人形になって、リズムに合わせて踊りだした。跳ねる、回る、腕を振る、上体を後ろに反らせる。つぎからつぎへといろいろの人形が出て来る。へたくそな絵も丁寧につくられたやつもあってさまざまだが、みんなそれなりにおもしろい。絵じゃなくて、動きと展開が面白いからなのだ。MASAYUKI KIDOという福岡在住1975年生まれの日本人がつくったとプロフィールにある。

*しかし! このサイトはアクセスが殺到してサーバーがパンクしたようで開かなくなっちゃったようなので、少し細かく説明を加えることにしました。

もしかしたら、この人形は自分でつくれちゃうっていうことなのかと思って探してみると、たしかにできそうだ。
ぼくはさらに興奮した。
 簡単なお絵描きソフトがついていて、それを使ってツールと色を選んで人の絵を描くとパーカッションだけのバックに合わせておどりだすのだ。ひとりが、新聞紙の折り紙でつくったような小さなステージの上に乗り、沢山のクローンがまわりを遠巻きにして群舞を繰り広げる。
ぼくも、自分でそのソフトをつかって絵を描いて、動かしてみた。クリスマスツリーの上に「I want to dance with you,not mes」と書いた。「きみと踊りたいのに、まわりじゅうオレと同じやつばっかりだよ」というところだろうか。そんなものは、文法にないだろうが「mes」はmeの複数形のつもりだが、文法に従えば本当は「mies」とするべきだったのかもしれないとあとで思ったが、それもご愛嬌だということにして、つぎに「OK」のボタンを押す。
首・胴・腰の3つ、そこからから出ている四肢は、腕と脚はヒジとヒザを境に二分されるから合計11の部分に分かれて動くようになっている。「CANVAS EDIT」というボタンを押すと11のパーツの範囲を変えることができるのだが、それからはみだした部分は、切り落とされて「ひとがた」ができて形代ダンサーになるはずだ。
「OK」のボタンをクリックすると、描いた絵の全体が鉛直の軸を中心にしてクルクルと回り始める。それが宙を飛んでいき、形代ダンサーになってステージに降り立つと、上のような群舞がはじまる。・・・・ 上の絵は、その群舞のスティル写真のようなもの。クリックすると、踊りだします。
あーおもしろい。 みなさんもぜひお試しください。    

* 11月29日現在googleで「PICTAPS」を検索したら329,000 件、ちなみに僕が上記のダンサーに「TREEJOY」と名付けて登録したときには、そのID番号が247339でした。かならずしも、これが1からはじまったというわけではないかもしれませんから、これだけの人形が今は楽屋で出を待っているというわけではないのかもしれませんが。

投稿者 玉井一匡 : 10:51 PM | コメント (35)

November 25, 2006

第四回アースダイビング:王子の玉子・むこうじまのもんじゃ-1

EdvgOgiya2.jpg
都電早稲田駅に集合して電車で王子に行き、あたりを巡ったあとで三ノ輪まで都電で移動。音無川づたいに吉原をかすめて向島まで歩いた。
そのルートはMADCONNECTIONに、写真はkai-wai散策に丁寧にエントリーされているが、かつて川は場所と場所を結ぶものだったから、それをたどって歩くと積み重なった思いもかけぬ時間の層をみつけることができる。MADCONNECTIONのエントリーで「扇屋」の木造三階建ての写真を見て、王子という場所の意味を分かっていなかったことをいまさら知ることになったので、ぼくは扇屋に行ったら玉子焼きを買おうと思っていた。
 飛鳥山の周辺をひとしきり巡ったあとで、ここが扇屋だとiGaさんにいわれてぼくは唖然とした。なんとなく、まだ木造三階建ての店があることを思い描いていたらしい。いまは玉子焼きだけを売っているのだという店は、一坪ほどの屋台のようなものだった。
AKiさん、まっつあんのあとに注文した玉子焼きを包むあいだに、というよりもそれをきったけに店のオヤジさんがあれこれと古い話を話を聞かせてくれた。
「木造の建物は10年くらいまえにビルにしました。そこに書いてあるでしょ」と指先を見れば背後にあるテナントビルの前にはたしかに「扇屋ビル」とある。いささか落胆したぼくを、そのあとオヤジさんはもういちど驚かせてくれた。

「じゃあ、この写真のお店はいつ頃まであったんですか」とベアトの写真のプリントアウトを指す。
「もともと、この店は都電通りの向こう側にあって、この場所は庭だったから川越しに庭と神社を見るようになっていたんです。写真を見ますか?」
「ぜひ、お願いします」
玉子焼きは注文のたびにビルの横手を回って奥から取り出すようだが、オヤジさんこんどはアルバムを抱えている。それを開くと、中には店の古い写真やら箸袋やら扇屋の描かれた銅版画なんぞが満載されている。
「こういうのもありますよ」と取り出した和綴じの本が数冊
江戸名所絵図の本物だ。
「写真を撮らせていただいていいですか」とiGaさんがたずねると、もちろんいいよという笑顔
「おーい、masaさん、すごいよ」
「いやあー、これはすごいですね。改めてうかがいますから、そのときにまたゆっくり見せてください」とんで来たmasaさんは興奮の体
「いいですよ」とオヤジさんは相好をくずす。
「この鼻眼鏡を憶えておいてください」と、ひとをなごませずにはおかないmasaの笑顔の力だ。
masaさんはとりあえず記録班と化して写真を数枚。
「江戸時代、音無川はここまではのぼることができたから、お城の女たちの宿下がりのときに、船に乗ってお堀から神田川を下って大川へ出てすこし上ってから音無川をここまで上ってくるんですよ。店の前あたりは浅いから水に入れる。店の中にいて川の中に小判を投げると、それを女たちが水に入って拾うために裾をたくしあげているのを見て楽しんだりしたんです。」
「やなやつだなあ」
「いや、そういう遊びがあったんだ」
「へえー」と聞いていたが、投げるやつは誰なのだろう、貴重な宿下がりのときを割いてまでそんなことをして男をよろこばせてやらなきゃあならないんだとしたら、そいつは殿様だろうか、あとになって疑問がいろいろ湧いてきた。
「お花見のときには『かそう』が許されたんだよ」
「家の相ですか?」
「いや、衣装の仮装」
「武士たちが?」
「庶民が仮装したんです」
「じゃあ、浮世絵にあるんでしょうね。仮装した花見のやつが」
祭りというものは、時間限定・地域限定で日常の生活から離れるものだろう。仮装というのは、きびしい身分精度から解き放たれるということで、当時のひとびとにとっては、ぼくたちの想像以上に、大きなことだったのかもしれない。・・・・・そんな具合に興味深い話がつきないから、ついつい玉子焼きを買おうとして包装を待っていたことをすっかり忘れていた。
「きみたちのおかげで、お客さん10人くらい逃がしたよ」と、先に玉子焼きを手に入れて、ちょっとはなれて待っていた余裕の隊長は大人の発言。お二人はちゃんと箱に入れて包み紙をひもで結んでもらったがぼくたちはプラスチックの箱に入れてビニール袋をもって帰ることになった。しかし、それは盛りだくさんの話がおぎなって余りある。思いはすでに王子にあそびに来たひとたちの水路の道筋にあった。江戸城を出て外堀から江戸川(神田川)を経て柳橋に至り、そこから大川を少しさかのぼって三谷堀に入り、音無川を王子までやってきた一行の道中を、ぼくたちは歩いて逆に下るのだ。

(はじめの玉子焼きの写真は1/2サイズの630円、クリックすると1260円サイズになりますが、これはフォトショップによる合成です。ぼくが大きいサイズを頼んだけれど、iGaさんが半分サイズを注文したところ店先には大ひとつぶんしかありませんでした。オヤジさんがわざわざ奥までとりに行かなくてもすむように、二人で半分ずつわけたのでした。)

日曜日、西友に買い物に行った帰りに自転車を倒してしまい、玉子が4つ割れてしまった。扇屋を思い出して大きな出汁巻き玉子をつくることにした。ワンパック10個をみんな使ってしまおうかと思いながら、何かのために残しておこうなんて考えて、けっきょく6個にした。扇屋と比べるとちょっと甘さと出汁の汁気が少なかったようだ。なにしろ、23日は扇屋の玉子焼きをビニールの袋にいれてバッグで半日持ち歩いていた。帰りがけの電車で「かくれさと苦界行」を開いたらバッグに雨が当たった気配はないのに本が濡れている。さわるとベトベトする。玉子焼きのせいだったのだ。それくらい汁っけが多かった。しかし、ここだけのはなしだが、ぼくの作ったほうがきれいにはできているとひそかに思っているのです。

続く

投稿者 玉井一匡 : 01:57 AM | コメント (41)

November 12, 2006

吉原御免状


吉原御免状/隆慶一郎/新潮文庫/700円
 時代小説の話をしていたら隆慶一郎を読んだことがあるかときかれた。読んだことはないというと、まずはこれを読んでみてとすすめられた。題のとおり吉原を舞台にした小説だから、まさかその人から吉原の小説をおもしろいと言われようとは思わなかったので、そのことにまず興味を抱いた。なにしろ彼女は、DV(ドメスティックバイオレンス)被害者を救済するシェルターの全国組織で事務局長として活動しているひとなのだ。かつて、救世軍がシェルターとしての活動もしていたことがあったそうだが、それは遊郭から足抜けした女たちを守るためだったはずだ。
 かつて人形町のあたりにあった吉原を、明暦の大火のあとに日本堤の近くに移して新吉原がつくられた。その成り立ちを経にした波瀾万丈の小説で、吉原のまちの構成についても、むろんそこでのしきたりや暮らしについても、池波正太郎の小説がそうであるように、すこぶる丁寧に書かれている。・・・・・面白い。

 新潮文庫には紐のしおりがついているのが、ぼくは好きなんだが、この本はそれだけでは足りない。吉原の地図が書かれたページがふたつあるので、それぞれに付箋を貼り、先を読み進みたい気持ちをかかえながら、なんどもそれを開く。吉原と、その近辺の江戸のまち歩き、とはいえ登場人物はいのちがけのまち歩きをする。ぼくの方は、そのうえにときどきgoogleマップを開いては、吉原の現在とつきあわせて街路がそのまま残されていることを確認してみる。
Kagemusha.jpg作者の隆慶一郎は、黒澤明の「影武者」の原作である「影武者徳川家康」や、今村昌平の映画「にあんちゃん」の脚本など(本名・池田一朗で)を書いた人だ。吉原というところは、売りとばされ、あるいはかどわかされた女たちにとっては地獄のような場所で、そこからの脱出を企てた女が捕まれば死ぬほどのリンチを加えられるのだとぼくは思っていたし、おおかたはそう考えいているだろう。ところが、吉原はそうじゃないんだというところから、この本は出発している。じつは、吉原は女たちのためにつくられたと。
家康にはもうひとり影武者がいたんだという、おおいにあり得る設定をして、この作者は影武者の物語と日本の歴史を構築したように、吉原の成り立ちのわけをすっかりひっくり返した設定でこの小説をはじめる。
だとすれば、かつて博打うちや白拍子などの移動民も一種の技術者あるいは芸能とされていたのだという網野史観と通じている。吉原は地獄どころか、むしろ女たちにとってアジールだったという、まったく正反対の価値観から出発しているのだ。これをはじめとする意表をつくさまざまな設定を歴史的な事実とつきあわせて、それらがみな符合する世界を構築する。その力業と緻密には、文句のつけようがない。あくまでこれはフィクションであることは言うまでもないが、この小説の世界では花魁たちがたとえ悲劇的であれ、だれもが主体的に生きている。
「影武者徳川家康」も読まずにはいられなくなった。

投稿者 玉井一匡 : 12:52 AM | コメント (25)

November 11, 2006

カマトンカチ


 aki's STOCKTAKINGで、AKiさんが買った赤いiPodの「REDプロジェクト」を取り上げて (RED) というタイトルでエントリーした。エイズ、結核、マラリアの患者の救済のために、売り上げから一部を寄付するというプロジェクトについて「これが新しいcommunismの方法なのだ」と書いたら、これに「通りすがり」なる人物がコメントでかみついた。
「世界を牛耳るアメリカ大企業の商業チャリティがcommunism??
アメリカ主導のグローバル資本主義に反旗を翻しつつある南米の
左派反グローバル活動家が聞いたら呆れると思いますが」と。
ただ単純に読み取れば、それはその通りだ。・・・しかし、と言って反論することはせずに、AKiさんはオトナらしく「communism」を「commies」と訂正した。commiesということばそのものに含まれる逆説的な含意に下駄をあずけたわけだ。AKiさんは思想堅固なコミュニストなんかじゃないし、ジョブズがコミュニストだと思っているわけでもない。AMEXやconversは、通りすがりさんのいうような矛盾を両手からこぼれるほど、いや、トレーラーに積み残しができるほど抱えているやつらだということを、当然わかったうえで括弧付きのcommunismと書いたのだ。皮肉や逆説というのはなかなか高度な言語表現と読み取りの遊びだ。だれがどういう事象についてどういう背景でどういう時期にいっているのか、たくさんの意味のレイアを同時に読み取らねばならない。REDというのは血の色であって、三つの感染症は血と深い関わりがある。
おなじようなことを、つい2月ほどまえに僕自身も感じたことがあった。ビエンチャンで「カマトンカチ」印のTシャツを買った時だ。

「ビエンチャンこどものいえ」に行った時のこと、エリート然としたお父さんが奥さんを連れてやって来た。彼は真っ赤な胸に「カマトンカチ」の黄色く染め抜かれた真新しいTシャツを着て、髪はハサミも櫛もきれいに跡が残っているような様子だったから、「あれは党のエリートでそのお印にあのTシャツを着ているのだろう」などと、僕たちは話していた。ラオスは社会主義国で、ラオス人民革命党がただひとつの政党。ソ連にならって鎌とハンマーを交差させたやつがシンボルになっている。とはいえ、けっこうゆるやかで、ひとびとは自由にくらしている。あれはなかなか買うわけにはいかないのでしょうねと、くわしい日本人にきくと「なにも、そんなものじゃなくて、市場にいけばいくらでも売ってますよ」という。じゃあ、ひとつ買いにいこうよというわけで、その日の午後に市場に行ってみた。

「いまは、赤いのはないなあ。でも黒ならあるよ」と店の奥から引っぱりだしてくる。同行者は、黒ならいらないというが、なかなかかっこいいと思ったので、ぼくは黒をひとつ買うことにした。たしか2ドルだった。
「けっこう、これを着るのはむずかしいね」
「マジで着ていると思われるとちょっとちがうからなあ。赤だったら、もっとマジだと思われるぞ」
「だから、もし赤を買って行くとしても、パジャマにするんだよ」
「そうだよな、きみだったらまともに受け取られちゃうかもしれないな」といってぼくは黒のTシャツを買ったけれど、まだだれにもあげず、自分で着てみたこともない。やはり、これは強力なメッセージがあることをつい考えてしまうのだ。
はじめて、試しに着てみたら、けっこういい。

追記
「カマトンカチ」は英語では Hammer and sickle というようだ。

投稿者 玉井一匡 : 02:27 AM | コメント (4)

November 05, 2006

狛犬かがみ


 「狛犬かがみ」/文・写真: たくき よしみつ/出版: バナナブックス/1,700円

ずいぶん前に、狛犬のサイトを見たことがあるけれど、そのときにはさほどでなかった狛犬に対する興味が、この本によって目覚めさせられた。本とインターネットの、メディアとしての性格の違いにというものなのだろう。「かがみ」とは「鑑」、図鑑の「鑑」なのだ。ある世界を一望にするには、本というメディアが向いているのはたしかだ。秋山さんがaki's STOCKTAIKINGに書かれたように、石原秀一さんが送ってくださったのだが、ごめんなさい、エントリーがおそくなってしまった。前に見た狛犬のサイトは、秋山さんも紹介された「狛犬ネット」だ。
 オリエントや中国では王や神を護るものとして一対のライオンや唐獅子が置かれていたのが、日本にやって来て、唐獅子と狛犬で一対をなすようになったという。宮中のしきたりについて書かれた平安末期の「類聚雑要抄」という本に、玉座の右左に獅子と「胡麻犬」をおくことが書かれているのが、狛犬についてのもっとも古い記述なのだそうだ。中国の獅子、朝鮮の犬というわけだ。獅子の一方が犬に変えられた平安時代は、仮名のつくられた時代でもあったことは偶然ではないのかもしれない。

仏教寺院の山門に、仁王の阿像と吽像が置かれたのにならって神社には狛犬の阿吽像の一対がおかれるようになったが、それにも獅子風の形式張ったものと犬風のくつろいで親しみやすいものがあるという。漢文が公式の文書に使われ、仮名や仮名まじり文が私的な文書に用いられたのとちょうど重なるではないか。左右対称をくずすことで、肩の力が抜ける。それと同時に対比的なふたつの概念は「すべて」を表すことができる。「色」と「空」が世界のありようをふたつにわけるものであるように、「阿」と「吽」の対も世界のありようの全体を示しているのだろう。

 狛犬は親しみやすさ、とぼけた味が本来の持ち味なのに、戦争時になってつくられた護国神社のような「公式の」神社の狛犬は、力みかえって胸を張り、王宮の衛兵のように取りつく島のないきちんとしたやつなのだ。「しゃちほこばる」ということばは、城の天守で凍りついたように固まっているシャチホコの様子を言っているのだろうが、護国神社系の狛犬はそれだ。ロンドン郊外のキューガーデン(Royal Botanic Gardens)の、ドーム型のガラスの温室の前に置かれた一対の石のグレイハウンドが胸をそりくり返らせているのが、ちょうどドームの曲線と同じだなと一人で笑ったことを思い出した。
 もともと自然を神とする神社には、人間の姿をした神の像はない。神を護る狛犬を置いて狛犬の様子で間接的に神を表現したのは、おもしろい表現だ。おおかたの狛犬好きは無邪気で自由な狛犬を好むだろうが、それは、神社が戦の勝利やお国のためを誓うところではなく自然をうやまい豊穣を祈るところであることなんだと狛犬が言ってくれるからだと、この本は教えてくれる。

投稿者 玉井一匡 : 08:00 AM | コメント (4)