January 30, 2007

「不都合な真実」と「恐怖の存在」

   地球の温暖化に対してまったく違う立場をとっているこの2冊の本を、いずれ読もうと思いながら、ぼくはまだ読んでいないし、映画も見ていない。
しかし、MADCONNECTIONaki's STOCKTAKINGで「不都合な真実」のことが話題になっているのでコメントを書きかけたが、ちょっと長くなりそうなので自分でエントリーすることにした。
マイクル・クライトン( amazonと早川書房の表記はマイクル・クライトンだがwikipediaやNHKはマイケル・クライトン )は、「ジュラシックパーク」「アンドロメダ病原体」などで先端技術の問題点を指摘し、TVドラマ「ER」でアメリカの医療現場や社会の問題を指摘してきたが、そのクライトンがNHKの正月のインタビュー番組で、小説「恐怖の存在」について話した。彼によれば、CO2による地球の温暖化はコンピューターによる予測であり現実にはまだそれほど進行しているわけではないが、現実に深刻な事態になっている問題が他にも多い。だから、まずはその問題の解決に取りかかることが重要ではないかというのだ。

 アル・ゴアの「不都合な真実」は買って読もうと思っていたけれど「恐怖の存在」はつまらなかったら悔しいから図書館のサイトでしらべてみると、たいていの図書館に置いてあるようだ。
 数年前、東電に勤務する友人が「原子力発電はクリーンエネルギーだ」と言った。冗談かと思ったらまったくの本気で、CO2の排出が少ないからだと得意になっているのにあきれたものだが、このごろでは、この論理が当然のように言われるようになった。「ホワイトハウスに招かれたそうですね」と、クライトンにインタビュアーがたずねた。無論、京都議定書を批准もしていないアメリカは、ブッシュが石油の利権を大切にしているからそうしているわけではないとする理屈がほしかったにちがいない。クライトンは積極的に話したい話題ではなかったのだろう、うなずいただけだった。温暖化を原発推進に利用しようとするやつ、クライトンの説をCO2削減策をおこたる理由に使ってしまおうとするやつ。まったく厚かましいかぎりだ。

 さまざまな科学的事実や理論は、経済理論と同じように政治的な立場や経済的な利害にもとづいて自在に解釈されてしまう。そして、マスコミに批判能力が乏しければそれをそのまま、あるいは増幅し変形させて伝え広げる。そういうありようは、いつの時代も繰り返されてきたことではある。しかし現代は、変化の大きさと早さがかつてとは比較にならない、おそろしい、けれども興味深い時代にぼくたちは居合わせたようだ。

まったくの余談だが、クライトンは2mを越える長身なのだそうだ。

■関連サイト
Michael Crichton公式ホームページ

投稿者 玉井一匡 : 11:51 PM | コメント (12)

January 20, 2007

ウエストポーチ

Click to PopuP
 かつて何回か財布を失くしたことのあるぼくが、30年ほど前にウエストポーチを使うようになってからは一度も失くしたことがない。今ではぼくにとって不可欠のものになった。これまで使っていたやつがボロくなったので後継機種を探していたら、年末に神楽坂と並行する軽子坂にある COCO deux というバッグ屋でいいのを見つけた。ウエストポーチは、上にジャケットを着ると前を押し上げてしまうから腹が膨らんだようになる。しかし、こいつは薄くできているので、あまりふくらまないのだ。しかし、ひとつだけ気になるところがあった。たいていのウェストポーチは中央が深く両脇が浅い。正面につけて腰掛けたときに、脚の付け根がポーチの両端とぶつからないようにしてあるのだ。自転車に乗れば、腿はのべつ上に高く上がるから、ポーチと腿は、もっとぶつかりやすい。だからウエストポーチを正面から見るとパンティー形をしているのが多い。しかし、軽子坂で見つけたやつは、正面から見ると横長の長方形なのだ。

 あれこれ考えたのだが、自転車に乗る時はウェストポーチを回転させて、左の腰に移動させることにすればいいと思い、今年になってすぐに買った。パンティ形だと飛行機の搭乗券の角がぶつかってしまうが、これならそのままチケットが納まる。 これでいいと満足していたら、またあらたな心配が生じた。iPhoneの登場である。
今は、正面からみて左端のポケットに携帯電話をいれている。縦長できちんとはいるのが気持ちいいのだが、2008年に日本にも来るというiPhoneは携帯電話より幅がひろいけれど、ここに入るだろうか?
そこでさっそく、AKiさんのエントリー「My iPhone」でリンクされているサイトでiPhoneの切り抜き実物大模型の型紙をダウンロードし、組み立ててウェストポーチに入れてみた。紙模型は実物より左右2ミリくらいずつ大きいし、実物は周囲が丸くなっているはずだ。模型の大きさと形でもちょうどすっぽりと納まる。これはiPhone用のウェストポーチなのかもしれない。

投稿者 玉井一匡 : 04:23 PM | コメント (2)

January 15, 2007

ワインとパンと雑煮


 年末に「わがやのお雑煮大会」への参加をよびかけたのに応えてたくさんの方がそれぞれのブログでエントリーしてくださった。
 まちには大型店が道の両側を埋めて地元の商店を閉店に追い込み、日本中のどこもかしこも同じ町並みにしてしまうこの時代にあって、雑煮には「場所の力」がいまもって健在であることが確認された。それには、いまでは生活慣習となっている正月が、もとは宗教的な行事であり雑煮がその重要な一部であることが大きな影響を及ぼしているのだろう。
「石川県加賀のシンプル雑煮」のエントリーに「この雑煮は神饌のお下がりを戴く正月の儀式の一部なんでしょうね。」とiGaさんがコメントを書かれたので、僕はカトリックの聖体拝領について触れた。いささか軽卒で乱暴な書き方をしてしまったので、後日その部分をすこし書き変えたのだが、それにはつぎのような経緯があった。

 「わがやのお雑煮大会」におさそいしたkadoorie-aveさんから1月6日にメールをいただいた。三が日あけに締め切りというしごとが3つも入っていたので遅くなったけれど、やっと雑煮エントリーをしたというおしらせだった。だが、そのメールには次のような件りがあった。すこし長くなるけれど、大切なことだと思いkadoorie-aveさんの了解をいただいたので引用する。
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「それで...あの...。
先程、玉井さんの「石川県加賀のシンプル雑煮」のエントリーを感心しながら拝見していたのですが
コメント欄の「カトリックの聖体拝領は、キリストの血として赤ワインと肉の代わりの種無しパンを食べるわけだから、キリストを食べちゃおうっていうずいぶん野蛮な宗教だと、よく思います。」というところに、少々悲しい気持ちになりました。
私は、その野蛮なカトリック信者です。
「キリストの血として...キリストを食べちゃおうっていう」というのは
すっかり間違いとはいえないのですが、なんだか少々違う。
「好き・嫌い・肌に合わない」ということならば、誰でも好みは自由だから構わないと思いますし、なるほど的を射た指摘だ...と思えることは、批判的な内容であっても
考えるきっかけになるのですが。。。
「野蛮」というのは、なににつけ、相手への無理解と軽蔑の意味を含んでいて、同意できる大多数のお仲間の間では問題がないのでしょうが、それ以外の人々を疎外する、寂しい言葉だと思うのです。
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 これは抗議というようなものではなかったが、そのとおりだと軽卒を反省してぼくはつぎのように書き替えた。「カトリックの聖体拝領は、キリストの血として赤ワインと肉の代わりの種無しパンを食べるわけだから、キリストが肉体を分け与えることを思うたびに、肉食文化の神であることを実感します」と。
最後の晩餐で、キリストが弟子たちに別れを告げながらワインとパンを与え、わたしの血と肉だといったのを儀式化したのが聖体拝領だ。けっしてぼくはカトリックに否定的なわけではないのに、それをもって「キリストをたべちゃう」「野蛮な宗教」なんていう書きかたをしてしまった。ぼくはカトリック系の幼稚園にゆき、母方の祖父が長崎県の出だったから平戸出身でフランシスなんていう洗礼名をもつ農家出身の学生が身近にいた。井上ひさしによれば、カトリックはじつは異教に対して寛容なのだと書いていたのを読んだことがある。南米や日本での布教にあたっては、既存の神の形式を残したままでキリスト教との共存を認めていた、日本のマリア観音などのように・・・というようなことだった。カトリックのそういう在りかたをぼくはすきなのだ。だからかえって友人のことを荒っぽい調子でいうような感じでこう書いてしまったのだった。

 「一神教の奴らのせいで戦争が起こるんだ」というようなことをいわれることもあって、神経質になってしまったかもしれないと、kadoorie-aveさんはおっしゃってくださった。そうした荒っぽい理解と論理でひとの根源に関わるようなことをことばにすること、さらに否定することこそ、じつは「一神教」であること以上に対立を引き起こすのかもしれない。ぼくの書き方もそのひとつだった。「一神教」を信じる人の意思を尊重することをせず、勝手に「多神教」の神のひとりとして祀り上げてしまうということを、ぼくたちの多神教の国がやった歴史がある。だとすれば、ことは神の数ではない。
 宗教にかぎらす、たがいに異なるもの同士が接することはかならず生じる。だとすれば、それらのあいだを分離するような壁をつくることで問題を避けるのではなく、混在しやすい領域を、その間にもうけて共存をはかることで、解決に近づくことができるのではないだろうか。
kadoorie-aveさんは幼児洗礼をお受けになったから聖体拝領がすでに身についていらっしゃる。そのときの気持についてこう書いていらした。「聖体拝領は、週一回、日常から切り離されてキリストを『思い出す』ための嬉しい『しかけ』です」と。聖体拝領のときの気持ちを、ひとにたずねたことは、これまでぼくは一度もなかった。しかし、そういわれれば分かるような気がする。

それぞれに別々のルーツをもつ人々の共存する家庭という場所にあって、さまざまな形式と歴史をもつ雑煮が、あるいは日を分けあるいは融合しつつ共存していることが分かったのは、なにはともあれ目出たいお雑煮大会であった。

投稿者 玉井一匡 : 08:20 AM | コメント (2)

January 05, 2007

石川県加賀のシンプル雑煮


 昨夜、かきのきのくらさんから、こんなメールをいただいた。ぼくがお願いしたので、お雑煮の写真が添付してある。
「お雑煮の写真ですが、いざ撮ろうかなと思ったら、母が『ネギだけじゃ恥ずかしいから、菊と三つ葉を入れちゃおう』ということで、若干見栄はり石川雑煮です。
少しピンボケで、すいません。」
さらに時をさかのぼる昨日1月4日の昼過ぎ、「わがやのお雑煮大会:三日目に」のエントリーにこんなコメントが書き込まれていた。

「遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
さて、わが実家(石川県加賀)のお雑煮ですが、
これが実にシンプルというかわびしいというか…。
まず、昆布で出汁をとった鍋で餅(丸)を煮ます。
それとは別の鍋でスルメと昆布と醤油で汁を作ります。
あとはそれらをお椀に入れて、
刻みネギを散らすだけ。ただそれだけ。
すうどんならぬ、す雑煮。
なぜ、このような質素な具材なのかは、
いろいろとリサーチしましたが、不明。
飽食の時代に流されるな、というメッセージを噛みしめろ!
という勝手な解釈をしながら美味しくいただきました。
まさに、わが実家に欠かせない、お正月清貧です。」

そもそも、かきのきのくらさんは「おにぎりとおむすび」のエントリーに、石川県のご実家のお雑煮についてのコメントで、「我が家の雑煮バトル大会」に石川県代表として参戦します」と、こんなぐあいに予告された。
「『わが家のお雑煮話し』をすると、
口の悪い友人は『ひょっとして、小さい頃、ビンボーだった?』
と言われるくらい、シンプルというか、とても質素です。」

ということだったから、ぼくは興味津々でレポートを待った。くらさんはブログをつくっていらっしゃらないから、メールが届いたら、このブログにエントリーしようと思っていたのだ。母上のご努力の結果から、三つ葉と菊の花びらをとり、お椀の下に敷かれた南天と松の葉を取り去った状態は容易に想像がつく。焼き物も塗り物も、日本で屈指の産地であり、海産物は豊かであるはずの地なのに何たる質素。どういうわけなのだろう。
母上の「見栄」も微笑ましいが、なにもない雑煮の潔さが、僕にはここちよい。

 追記:1月8日成人の日に、初めて加賀雑煮をつくった。ダシと餅だけで勝負するだけに、加賀雑煮はむずかしい。前日から昆布とスルメを水に冷やかしておいたダシには鰹もアゴもつかわない。ただ、酒は少し入れてわずかに醤油を落とし、最後に青い葱を散らした。
いささかも貧しくはない、ストイックでむしろ気高い雑煮かもしれない。朝早く起きたので、家族が起きるのを待たずにぼくはひとりでつくりひとりで食べた。この雑煮には、その方が相応しい気がしたのだ。
これからも、ときどき挑戦してみたいと思う。

そのあとしばらくしてから、スーパーが開店してすぐに新潟雑煮の材料を買いに行った。東京ではまだつくっていないのだ。それに新潟でも自分ではつくってはいない。小松菜の一把、蒲鉾の一本、鮭の切り身一切れが百円均一になっていた。イクラの小さなパックだけは300円を超えたが、大根はうちにまだあるし、松もあけたあとの雑煮もいいもんだ。餅の上につゆをかけるスタイルにした。すこし、わがやの伝統から逸脱したが、新潟のご近所でもそうやっているところもあるそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 08:50 PM | コメント (12)

January 03, 2007

わがやのお雑煮:三日目に


 一昨年の春から新潟市に加わったが、長い間新潟市の郊外の田園地帯だったこのあたりでは、三が日は朝に雑煮をたべて昼飯は抜きということになっている。現在は新潟市亀田早通という。どこまでがそうなのか分からないから、とりあえずは限定しておくのだが、そういうところは少なくないようだ。今朝は、料理を教えている叔母におそわった雑煮だ。油で揚げた餅と、出汁に大根おろしをいれたみぞれ汁。油のくどさをおろしでやわらげる。
教わったといっても、揚げ餅にみぞれ汁ということをきいただけだが、それに二つのコツを教わった。「角餅を揚げると角が割れてふくらんじゃうけれど、丸餅だと真ん中がきれいにふくらむ」「おろしは、ザルで水を切っておくくらいの水っけがちょうどいい」・・・口伝である。そして、叔母は丸餅のパックをくれた。

具は、昨日の雑煮のトッピングの残り、薄焼き玉子の細切り、ゆでたホウレンソウ、かまぼこをつかった。
揚げた餅をお椀に入れて、上に具をのせ、みぞれ汁をかける。残り物の具はすっかり冷えているから、器といっしょに湯通ししてあたためた。大根おろしのむこうに鮮やかな色が透けて見えるようにしてイクラだけを最後に散らす、というつもりだったが、ゆずを底に潜めるのを忘れたので、それも上にのせた。よくばって餅を三つも入れたのでおつゆの水位が餅とくらべて低くなったが、餅をひとつにしておけばおつゆの水面がもう少し広くなって、もっと美しくできたろう。ダシは、アゴダシのパックという手抜きです。これも、叔母がくれたのでした。
去年も一度つくったのだが、娘たちは揚げた餅はとてもうまいけれど油が心配だといいながら、それでも喜んで食べた。ことしの新潟の正月には、娘たちは同行していない。

投稿者 玉井一匡 : 12:20 PM | コメント (30)

January 01, 2007

わがやのお雑煮大会

 雑煮はぼくがつくるつもりだったが、沈丁花の霜よけをつくったあとで買い物をして帰ると、雑煮はすでに母がつくってくれていた。おかげで楽をしたのだが作る過程の写真がなくなった。ご近所や来客に、それぞれのお雑煮についてたずねてみると、あたりまえだが細かいところでは家によって違いがあるようだ。
そうして洗い出した新潟の雑煮の基本形は、餅は焼くのではなく水でゆでること、短冊に切った大根を中心とする具に醤油味の汁が骨格をなす。 ダシは干し貝柱でとった。
 ゆでた餅とおつゆが、うちでは祖父母の時代から別々の器で出されていた。雑煮のおつゆのほかに、きな粉と餡が別々の器にいれて出され、雑煮を食べたあとに餡をかけたり、きな粉をつけたりして食べたからだったのだろう。相当な大食を前提とした形式だ。たいていの男たちは十数個の餅を食べた。父など20個以上も食べたことが自慢だったが、それはなにもうちの家族だけの特性ではなくて、米どころ新潟の意地や勢いに支えられたところもあったろうが、男たちは普通に十数個は食べた。しかも、大きさはいまの市販のものの3〜4倍はあるのだから、いまの餅で換算すれば30〜40個に相当する量を食べていたことになる。

 おつゆというよりも大根の煮物というべきものには、ほかにもさまざまなものを加える。必須は新潟で「塩びき」という新巻鮭を賽の目に切ったもの、それにハサミで細く切ったスルメも加えるので、さらに豊富なダシが出る。植物性材料は銀杏、干し椎茸をいれた。
 これをお椀についで、トッピングを加える。蒲鉾、いりたまごあるいは薄焼き玉子の細切、茹でたほうれん草、ゆでたイクラ(こども言葉ではトトマメと呼んでいた)などをのせるのだが、そういえば赤白黄緑といういろの取り合わせは、前のエントリーの「びゃっけ」の色紙の鮮やかを思い出させる。

 新潟ではおせち料理を正月にはたべない。お年夜(おとしや)とよぶ大晦日に、おせちのような料理を食べて、正月三が日は毎朝雑煮で昼食を抜く。お年夜の必須メニューは鮭の塩引き。なぜか新潟では、塩びきの切り方は普通の切り身とはちょっと違う。三枚におろした半身を縦に長く二分する。背の身を7〜8cmに切って、大きな物であればそれをさらに縦に二分する。こうして切り分けた背の部分が、いちばん上等な部位とされる。格下とされる腹の部分を賽の目に切って雑煮に使ったんだと、作一さんにきいた。いまでは脂ののった部分としてむしろ旨いとされる部位なのだが、むかしの鮭は保存のために今よりもずっと塩からかった。たっぷり塩を詰めた腹はとりわけしょっぱかったからという理由もあるだろう。今では最も人気と価値の上がったマグロのトロが、かつては捨てられたり、ネギマ汁に使われたのと似ているかもしれない。 

追記
みなさんをおさそいするにあたって「影響をおよぼしたであろうご家族の出身地やお住まいの場所についてのご説明をお加えください」と書いておきながら、自分で書き忘れてしまいました。
おにぎりとおむすびというエントリーのコメントでちょっと書きましたが、ぼくの母方の祖父が平戸藩、祖母は水戸藩の出身だった。武士は喰わねど高楊枝で、あまりたべものに執着しなかったのかもしれません。父方の祖父母は新潟の出身でいとこ同士でしたから、血が濃かったのでしょう。うちのお雑煮は新潟風です。


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投稿者 玉井一匡 : 08:20 PM | コメント (43)

あけましておめでとうございます


あけましておめでとうございます。ことしの元旦は、お雑煮大会のエントリーが控えているので、早々の年賀エントリー。
数年前のこと、本屋で見つけた「神々の里の形」という本を開いて、ぼくは唖然としてしまいました。(味岡伸太郎著・山本宏務写真、 この本、絶版になったようで、ぼくが買ったときには初版第一刷で3800円だったのが、amazonで12,000円もしています。)「苟くも民間芸術を談ずるの士は之を知らなければ恥」と柳田国男をして言わしめたと書いてありましたが、この祭りについてぼくはなにも知りませんでした。一月二日におこなわれる、愛知県北設楽郡東栄町古戸の花祭りで使われる衣装、飾り、面。それらの構成。そのどれをとっても、そういっては失礼なのを承知で言えば、これほどのものがこんな小さなまちで伝えられてきたということに奇跡的なできごとのように感じました。

 この年賀状の色とりどりは、祭りの中心の場をつくる「びゃっけ」とよばれる天蓋の写真です。本では見開きの2ページの写真で中央に綴じ代があってスキャンできないので、左の三分の一をスキャンして、さらにPHOTOSHOPでそれを反転したものを右と中央に並べて、3つを合成しました。これは「ひいな」つまりお雛さまが三体つながったもののようです。それが正方形をなすようにつなげて四面を囲んで一種の結界をつくり、そこに神を招くのです。人間と神と共有するMyPlaceというわけです。

 じつは、先日エントリーした「ペラペラダンサー」を見たときにぼくは、形代を、そして次にこの「びゃっけ」を思い出しました。本当は、色紙を切って自分でつくってみようと思っていたのですが時間が切迫してしまい、やむなく本の写真を加工することにして、その中に、「一陽来復」と「丁亥元旦」の文字を包みました。
よい年は、勝手にやってきてはくれそうもないから、力ずくで、今年をいい年にしてしまいましょう。

投稿者 玉井一匡 : 12:25 AM | コメント (8)