February 22, 2007

「ヒストリー・オブ・ラヴ」


「ヒストリー・オブ・ラヴ」:ニコール・クラウス著/村松潔訳/ 新潮社刊
 両親がとても好きだった小説の主人公の名をうけついだ14歳の少女、その小説「ヒストリー・オブ・ラヴ」、それをめぐるひとびとの物語。
作者はまだ30歳を過ぎたばかりの若い女のひとだが、とても、ひと筋縄ではゆかない小説だ。
 カギ括弧の中にまたカギ括弧があるのを読んでいるうちに、括弧というものが箱であるかのような空間的なイメージが浮かんできた。もともと括弧は文章の中に文章を入れ籠にする仕掛けなのだから、それが言葉を詰めた箱のように感じられるのはあたりまえのことかもしれないが、その入れ籠になった箱の一部がもとの箱からはみ出して、さらに次の箱をあけてみると、いつのまにか、また元の箱のなかにもどっているという具合なのだ。
 中に入っている小説を『ヒストリー・オブ・ラヴ』、それを容れたこの小説を「ヒストリー・オブ・ラブ」と書くことにしょう。『ヒストリー・オブ・ラヴ』は、かつてポーランドにいたユダヤ系の若者が描いた小説で、その著者や描かれた人々がアメリカに渡ってからの物語に14歳の少女たちが加わり広がってゆく物語が、この「ヒストリー・オブ・ラヴ」というわけだ。

 「ヒストリー・オブ・ラヴ」という箱を開けてみると、中には数冊の『ヒストリー・オブ・ラヴ』とその作者、その翻訳者、描かれ登場するひとびと、小説を愛する読者たち、それにひとりの少女とその家族と友だち、いくつかの時代、ポーランド・ニューヨーク・ペルーという空間、それらが丁寧に詰めこまれている。
 ぼくにこんな風に見えるのは、すでにこの本を読み終わったからであって、読んでいる間には、ぼく自身ももちろんこの箱の中に入りこんでいた。『ヒストリー・オブ・ラヴ』の中のある人が書いた死亡記事が、とても美しくて記憶に刻まれた。獄中で亡くなった文学者について、彼は文字に書かれていないことを書いたと讃えているくだりなのだ。「ペンギンの憂鬱」の主人公が死亡記事で生計を立てていたことや、網野善彦が「歴史はもっとも語りたいことを書かない」といったことなどをおもい浮かべた。うつくしいだけではなくて、あちらこちらに小さなぼんやりとした、けれども無駄ではない路地が張り巡らされていて、さまざまな記憶に導いてゆく。
 こういう風にして、この物語の箱のなかに入り込み、外に出ては、自分の持ち物をいっしょにならべたり詰め込んだりしている人たちが世界中に何万だか何十万もいるわけだ・・・20もの言葉に書き換えられて。そうやって、さらにもうひとつの箱の中に、この「ヒストリー・オブ・ラヴ」が詰め込まれているのだろう。そんなふうに、たったひとつの小説がことばたちだけでつくりだした場所を、世界中のたくさんの人たちが大切にしているのだということを思うと、もう一度なんだかゆたかな気分になった。

 日本語の世界にこの箱とその中身を組み立て直したのは村松潔さん。いうまでもなく、「さくらんぼのしっぽ」をお書きになったエマニュエルさんを日本に連れて来ちゃった人だ。「旅の終わりの音楽」という小説は、娘が見つけて来て、ぼくたちのすきな本のひとつになったが、それが村松さんの翻訳だということを、ぼくたちはあとになって知った。音楽のユニットの名称としたPsalmということばは、「旅の終わりの音楽」の原題「Psalm at Journey's End」からとったものだ。かなしいけれど、それだけに、とてもうつくしい小説だった。
村松さんの翻訳の「マジソン郡の橋」は、じつをいえばちょっと気恥ずかしくて、まだ読んでいないのだが、そろそろ読んでみようかという気になっている。

投稿者 玉井一匡 : 02:00 AM | コメント (0)

February 10, 2007

「さくらんぼのしっぽ」

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「さくらんぼのしっぽ」/村松 マリ・エマニュエル著/柏書房
 ある文化の中にいるとあたりまえのことが、じつは、外の人間から見ればもっとも興味深いことなのだということは少なくないけれど、何がそれなのかということは、両方の文化を知りものごとを見抜く力のある人でなければ、なかなか気づかない。著者は長年にわたって日本で生活をおくっている。だから、フランスではあたりまえだが日本にとっては当たり前でないことをよく理解し、そのうえでフランスの家庭のお菓子つくりが書かれている。距離と時間を意識した広く透徹する視野があるのだ。 
「さくらんぼのしっぽ」とは、さくらんぼの実のヘタのことだろうとは想像がつくのだが、なぜそれをこの本のタイトルにしたのかは、すぐにはわからない。さくらんぼのしっぽのようにありふれたもの些細なものの背後に、じつはたくさんのことがあるということなのだ、きっと。一見すれば小さなことの中に、家族という身近な歴史の背後に、ゆたかな文化と歴史が織りなされているのだということを、行事やお菓子やという具体的な生活の断片を通じてぼくたちに見せてくれる。

 ケーキをつくるときは、厳密にレシピの通りにやらなきゃならないと、ケーキをつくる人はよく言う。ぼくは料理はするけれどケーキをつくることはしないので、そういうものかと思っていたのだが、この本によればフランスの家庭ではそんな厳密につくりはしないようだ。計量の大さじと小さじでなくスープのスプーンとティースプーンを、計量カップでなくグラスをつかい、強力粉と薄力粉の区別をせず粉をふるいにかけることもしない。バターでなくマーガリンをつかうことが多いという。
「ケーキづくり」をするのではなく、食べて楽しむためにケーキをつくるというわけだ。そうだよなって同感する。ときどきケーキを作ってストレスを発散する、うちの娘に見せたら、レシピの説明が短くて気楽にお菓子をつくろうという気になるよ、たいていは説明が長くてうんざりするけど、こんな本はないとよろこんだ。これまで彼女は、「こどもがつくるたのしいお菓子」という、子供のためのお菓子作りの本を愛用してきた。
 さくらんぼのエピソードはパリコミューンにさかのぼり、ドイツとフランスによるアルザス・ロレーヌの取り合いのおかげで生まれたロマンスがエマニュエルさんをこの世に存在させたこと、エマニュエルさんの叔父上のおかげでコルビュジェがロンシャンの教会を設計することになるいきさつ、etc. そうした家族の歴史と世界の歴史の重なりが楽しいのだ。

 この本は著者が15歳の頃から書きためた料理ノートをもとにしているのだという。(上の写真をクリックすると、そのくだりの書かれたページが開きます)また、この本をつくるときから描くようになったのだという魅力的なイラストも著者の手で描かれた。フランスで知り合った日本人と来日して結婚。日本に住んで15年というときにこの本が書かれ、それからさらに10年ほどが経っている。フランスの家庭でつくられるお菓子の本とされているけれど、そんな枠を軽々と飛び出してしまう。お菓子のつくりかたを書きながら、じつはフランスそのものが書かれている。そして、ぼくたちは、同時にそこから日本を読み取るから、文化の翻訳をした本でもある。なにしろ、フランスで知り合って、のちに結婚した日本人とは翻訳家・村松潔さんなのだ。以前に「HOW BUILDINGS LEARNという本」というエントリーで村松さんのことを書いたことがある。村松さんご家族は、AKiさんの設計されたOMフォルクスハウスにお住みになって約10年。家が生まれたころに、この本もつくられたわけだ。昨年末に出版された村松さん翻訳の「ヒストリー・オブ・ラヴ」という小説は複雑な構成にして、とても美しい物語だ。

■AKiさんが、さっそく、この本と村松さんの家のことをエントリーされた。
aki's STOCKTAKING:さくらんぼのしっぽ

■追記 いま、村松 マリ・エマニュエルさんは、全日空の機内誌「翼の王国」に、「vous aimez les madeleines? マドレーヌはお好き? 」というエッセイとイラストを連載していらっしゃいます。

投稿者 玉井一匡 : 06:10 PM | コメント (21)