April 29, 2007

ナガミヒナゲシ:生き残るための美しさ

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 2,3年前からだろうか、道ばたにオレンジ色の芥子の花が雑草のように咲いているのを目にするようになった。芥子の花はうつくしいけれど、どこかに影がひそんでいて、ちょっと触れると花びらがはらりとおちてしまうところが、あぶない魅力を感じさせるのだが、こいつには芥子らしからぬ健康な若々しさがある。
 いままで名前を調べようと思いはしなかったのに、今年はこの花がとくに多いようだからなのかGoogleであれこれ探したすえに「ケシ 道ばた 空き地」を入れてみたら「ナガミヒナゲシ」という名前にたどりついた。
ウラをとるためにBotanical Gardenで調べると、「地中海沿岸から中欧原産の帰化植物で,生命力旺盛なようです」とある。

ちょっとした空き地や歩道の植え込みなどあれば、そこを借りて勝手に咲いている。なぜか、余裕のある空き地でも、道路の際を選ぶ。だから通りがかリには目につかれずにはいない。かわいいものだから文句を言われることも引き抜かれ捨てられることもないのだろう。「こんにちは!」と、明るい声でさわやかに言われると、ついつい「やあ、元気かい」と答えてしまう。

 いまごろの季節には、もう花が散って雌蕊が実に変わったのがたくさんいるので、なぜ「ナガミ」と名付けられたのかがわかる。ふつうのケシはもっと丸っこい形をしているけれど、これは「長い実」をつけるからなのだ。
 道路のきわの、縁石とアスファルトの間のわずかな隙間でもあれば、その下の土までしたたかに根をのばして平気な顔をしてうつくしい花をつけているのを見ると、こんなわずかな土で生きているのかと思う。芥子はタネが小さいので、わずかな隙間をすり抜けて土のあるところまで到達する。そいつらがこんな花を咲かせるのだ。
 ややくすんだ美しいオレンジ色が群生していると、さすがにぼくも気づく。入り口はわずか数ミリの隙間かもしれないが、じつはこのアスファルトの下にあるのは僅かな土などではなくて、直径が12,000kmの、でっかい土の球なのだと。アスファルトやコンクリードで覆われた表面は、この先の数十年あるいは数百年も、日も当たらず雨も落ちることがない。地球の大きさからすれば大したことではないのか、それとも少しずつ地球を蝕んでいるのだろうか。

追記
Niijimaさんがくださったコメントにアドレスが書かれている。そこには、一年前に撮影されたこの花の写真がありました。
ぼくはそれを見て、同じ花が、モノクロの写真でかくも美しく伝えられるのだと、今さらだが何か新しい世界を知ったようなゆたかな気持ちになった。本来ならこういうときのためにトラックバックがあるはずなのに、スパムトラックバックに辟易して閉じてしまったことをどうしようかと考えてしまう。

投稿者 玉井一匡 : 08:55 AM | コメント (4)

April 22, 2007

Monastery of Sainte-Marie de La Tourette:ラ・トゥーレット修道院

LaTourette.jpg
ラ・トゥーレット修道院 1953-60 ル・コルビュジェ
バナナブックス 写真:宮本和義 文:栗田仁
このバナナブックスシリーズの版型はA5サイズで21cm*15cmほどだからジーンズのポケットにいれるにはちょっと幅が大きいけれど、薄くて軽いからジャケットのポケットに入れて連れて歩くにはちょうどいい。対照的に、ぼくたちが学生の頃から親しんできたADA EDITAのGAシリーズは、ほぼ36cm*26cmという大きな版型だから、本棚には特別席を必要としてきた。しかしGAたちのすてきなところは、そのことをむしろアドバンテージとしたことだ。ぼくたちの記憶の特別席を占める建築たちが特別に大きな写真になって一冊ずつの本に納められていたからだ。
 GAから数十年を経てつくられたバナナブックスは、はじめから日本語と英語で表記するという二川幸夫さんの画期的なスタイルを踏襲していることでもわかるように、GAを念頭においてつくられたにちがいない。うまくいけば、バナナブックスも特別席を占めることができるだろうが、それはGAとはまったく別のところ、たとえばジャケットやバッグのサイドポケットだ。

 修道院という建築は、それ自体がとても魅力的だ。なにしろそこは、日常の生活や生産と同時に、宇宙の無限大への広がりと自らのうちへの探求がひとつの場所で一致する、小さな惑星のようなものなのだから。
 この小さな本には、GAの大きな写真が伝えるのと同じものを伝えることは、けっしてできないし、ひとつの「惑星」を伝えきることもできない。しかし、ページをパラパラとめくって修道院のあちらこちらを瞬時に移動して巡るうちに、小さいおかげで、かえって全体像がぼくたちのなかに作られやすくなる。コンピューターに取り込んだ写真をスライドショーで見る時のように、ぼくの中に保存された。
 図面を自在に拡大縮小できるCADのおかげで、あるいは携帯電話と大きなディスプレイとの間を始終行き来しているおかげで、いつのまにかぼくたちは小さな画像によって想像力をひろげる訓練ができているらしい。飛行機の中で見た小さな液晶画面の「Mr.インクレディブル」(the Incredibles)でも充分に感動したり興奮が残されたりしたから、それをどこで見たものだったかを誤解してしまうほどで、自分でおどろいたことがある。さらにぼくたちは、Google Earthを開けばこのあたりの地形について知ることができるし、日本列島もラ・トゥーレットも、同じ惑星の上に乗っていることを実感として知っている。
 GAシリーズのラトゥーレットがみつからないので、ユニテ・ダビタシオンと並べて記念撮影をした。バナナブックスをGAとならべるとずいぶん大きさの印象が違うのだが、面積で比較するとGAの936cm2に対してバナナブックスは315cm2だから、ほぼ1/3。数字にしてみると思いのほかバナナブックスは大きい。1/3の大きさをいつでも持ち運べるというのはうれしい。
 ラ・トゥーレットはコルビュジェが死ぬ1965年まで5年というときに竣工した。開くことと閉じること、影と光、住宅と教会のためのたくさんのボキャブラリーがのこされている・・・はずだ。AKiさんはおもいのほか小ぶりで驚いたと書かれているが、まだぼくは行ったことがない。訪れる時には、この本をポケットに入れて、本のあちらこちらに書き込みを残してこよう。その時には、MacBookかiPhoneでGoogle Earthをつれていくことになるのだろう。ラ・トゥーレットにはFONがあるんだろうか?そもそも、若い修道士たちは、インターネットをつかっているのだろうか。思いはつきない。

投稿者 玉井一匡 : 06:44 PM | コメント (4)

April 18, 2007

動く芥子の花


 銀鈴会館の管理事務所のSさんから芥子の花をいただいた。黒いスフレの器にプラスティックの剣山を入れて挿した。プラスティックの剣山は透明だからガラスの器に入れても目立たないのだが、軽いのでそのままでは花の重みで倒れてしまう。だから下側に吸盤が着いていて上から押し付けて器の底に貼付けるしかけだ。
 芥子という花は変わったやつで、なんだか動物や昆虫のようだ。つぼみと茎には、産毛というにはたくましい剛毛がびっしりと生えていて、茎の先端を下向きに曲げている。地面を凝視して獲物をさがしている原生動物のようだ。つぼみの殻が少し開いたようすは、ニッと薄笑いをうかべているような表情。あたたかい部屋においておくと、見る見るうちに一輪一輪と動きながら変わってゆく。浅い器に剣山で挿したから茎と茎がはなれているおかげで茎の表情がわかりやすいのだ。しかも、種類によるのだろうが麻薬になるのだから、底の知れないやつだ。花の落ちたあとの雌蕊のところがふくらんで実になり、その中にある小さなタネは「芥子粒のような」というたとえになるくらい小さい。いつだったか売っていたポピーのタネの袋には「タネを蒔いたあとに土をかける必要がない」と書いてあった。小さいから、土の隙間からなかにもぐりこんでゆくのだろう。

 
まずは、つぼみを包んでいる産毛のはえた殻をはらりと落とす。スフレの器のまわりには、蕾の抜け殻がちらばった。殻を脱いだつぼみは、うすい花びらをくしゃくしゃにして固めたようだ、と思う間にそれが少しずつ延びてゆく。蝶やセミの蛹が殻を割って出てくる時に、くしゃくしゃに押し込まれたようなシワシワの羽根をのばしてゆくときと、すこしも変わらない。
 しかも、蕾が開いてゆくにつれて、うなだれていた首が徐々に上を向き始める。花びらを開ききった時には、真上を見あげて、手のひらを上に向けて両手を一杯に開いて、外だったら太陽の光を一滴でもたくさん受け止めようとしているみたいになった。ここでは、かわいそうだが上には蛍光灯があるばかりだ。


 ところが、上を向いた芥子の茎は、まっすぐ伸びて直立するわけではない。うなだれていたときに曲げた首は水平からすこし上を向くくらいまでは角度を変えるのだが、その曲がった部分を少し残したままでそこより少し先でもう一度、上向きに曲がって向きを変える。茎は、二カ所で角度を変えてS字あるいはクランクをつくることで、下向きから上向きに方向を変えるのだ。
 そういえば、フラミンゴやツルの首も、S字型に二カ所で方向を変える。重力をやり過ごす線状の身体は、こんなふうにするわけが、どこかにあるのだろう。
 

投稿者 玉井一匡 : 10:18 PM | コメント (2)

April 09, 2007

空港にFONはあるか

 本来なら、いまごろぼくは、ヴィエンチャンのDAY INNホテルで眠っているかブログを書いているはずだが、ヘルムート・ヤーンの設計であたらしくつくられた、バンコク空港のエコノミーラウンジというところにいる。午前1:23、東京は3:23。
 試してみたら、7つほどの無線LANがリストに出てきた。もしかしたらFONがないだろうかと思っていたが、あたりまえだがやはりない。それらの中でaotwifiというのだけが無料でつながることがわかったので、ひと仕事とインタネットのためにコンセントを探したがなかなかみつからない。business centerという表示の先をたどったが、みつからないので通りがかった職員に聞いたが知らないという。案内板はあるがまだできていないのかもしれない。
 トランジットの客のためのラウンジでは、この時間はたくさんの人がソファで仮眠している。その中央に、スツールとカウンターをそなえたカフェとばかり思っていたところに近づくと、一席ごとにコンセントが備えられていた。しかし、ここには人がいないけれど、どこかにたくさんの利用者がいるのだろうか、おそろしく遅いうえにアップロードはさらに遅くて、あげくは切れてしまう。まずは文字だけでやってみようと何回か試みて、やっとのことでエントリーできたが、始めてから1時間半はかかったろう。
 成田では、開いてみるとすぐにつながったと思ったら一日500円をクレジットカードで払う仕組みになっている。さもなければ機械付きで公衆電話のような、10分100円のコイン式インターネットコーナーがあった。いまだにケチなことをやっている日本の空港にもあきれたが、つながらないのもこまったものだ。

 8日の午前11時に成田を発ってバンコクで乗り換え、ヴィエンチャンに夜8時ころに着くという予定だった。京成を降りてパスポートのチェックを受けると「期限が切れていますよ」という。まだ切れるはずはないのだがと思いつつ目をこらせば、古いパスポートを持って来てしまったのだった。tacに電話をかけて、事務所から現在のパスポートを持って来てもらった。というと簡単そうだが、なかなかみつからない。結局、引き出しからこぼれ落ちたやつが、引き出しのキャビネットの底に眠っていたのだそうだ。tacが推理小説で鍛えた捜査能力が役立った。それを届けてもらったときにはもう12時を過ぎていた。やむなく夕方16:55発の便にとりかえてもらった。さいわいなことに同行者がなく、ぼくひとりだけだったので、ひとさまを心配させることはなかったのだけれど、先行の吉川さんにはメールを送ってお知らせしたら、携帯に電話をいただいて無事に連絡はすんだ。
 
 しかし・・・

付記(わきたさんの要請に応じて)
本来は、11時に成田を出発して午後にバンコク空港着、それから4時間ほど後にバンコクをでて8時ころにはめでたくホテルにおさまるというのが本来の予定でしたが、出発を遅らせたためにバンコク到着は夜の10時過ぎになってしまう。
 それなのに翌朝7時半の出発だから空港には5時半には行かねばならない。駅前ホテルに泊まるには入国と出国の手続きがいるし空港使用料もとられるし、宿泊代もかかる。それなら、空港内のネットカフェのようなものがあれば、朝まで時間をつぶしてもいいなっと思ったのでした。さいわい、隣の席にはタイ人の中年男子二人連れでしたから相談してみました。
「うーむ、新しい空港だからよくわからない。スチュワーデスに聞くのがいいでしょう」といいます。
そうでなくたって、自分の国に帰って来て空港を出ないでヒマつぶしをするなんてことは、めったにあるものじゃないですよね。
込み入った話だから、日本語のできる人をと、頼みました。航空会社はタイ航空でしたから。
かくかくしかじかの事情である。バンコクの空港は、24時間営業でありやなしや。ありとすれば、そこで朝までインタネットをつかえるビジネスセンターのごときもの、ありや?ということをたずねました。
「うーむ、お眠みにならないわけには行かないでしょう。それに、トランジットでは6時間しかいらっしゃれないと思いますから、一度入国なさってください。向かいに、ノボテルがあります」
この年齢の、まっとうな大人は、そうだろうなあ、しかし、ノボテルとはフランス人の経営する上のクラスのホテルです。そんなところにとまって、5時間ほどで一泊を終えるのは我慢がならない。歩いてみれば安ホテルがあるだろうと考えた。スチュワーデスは、安ホテルを勧めるのは失礼だと思って配慮してくれたのかもしれない。
ややあって、彼女が戻って来た。
「 トランジットは、空港に12時間いらっしゃれるそうです。でも、そういう場所があるかどうかは、分かりませんから、お着きになってからサービスカウンターでお尋ねください」という。
だったら、なんとかなるさとひと安心。ここまでは成田の出来事。

 バンコクの空港につくと、すぐさまサービスカウンターに行って尋ねた。今日は事情の説明を何回することだろう。
「エコノミーラウンジにいらっしゃい。たくさんの人が寝ていますよ」
ぼくがほしいのは、寝るところよりも、無線LANとコンセントなのだ。インターネットには朝までつきあってもらうのだから、有料だってかまわないのだが、新らしいちゃんとした空港はユビキタスなのだということを言いたいから、どこでも無料でつながるものがあってほしかった。
 かたわらの椅子に腰を下ろしてMacBookを開いてみた。すると、いくつかのwi-fiが出て来て、そのうちのひとつが無料でつながった。つながったとなればコンセントがほしい。しかし、古い空港にはコンセントがところどころにあったのだが、ここにはまったくない。「テロリスト」に使われるのをおそれているんだろうか。成田でさえ、ところどころにコンセントがあったのに。
それからしばらく、コンセントをさがして空港の中を上に下に右に左に動き回り、やっとのことでラウンジを発見。安心して、マンゴの生ジュースに129バーツなりの空港値段を支払って、カウンターの前のスツールに腰を下ろした。ぼくは満足感に満たされた。
だが、思うようにはつながらないのだった。

 つながりにくいので疲れて、ぼくも欠航になった便の乗客のように、ソファに横になった。エアコンが強すぎて、寒くてたまらないから、安眠もできない。眠気と寒さをかかえて24時間営業のカフェに移動すると、ぼくの他に客はひとりもいない。おかげで店員はやさしく迎えてくれた。冷えきった身体を、アルコールではなく、ホットチョコレートとチキンパイで温めたのだった。

わきたさん、こういう具合でした。とりあえず、写真なしでアップします。
 

 
 

投稿者 玉井一匡 : 03:14 AM | コメント (23)

April 01, 2007

第五回アースダイビング・阿佐ケ谷住宅へ


またまた遅ればせのアースダイビングのエントリーになってしまった。
 縄文時代には、現在よりも海水の水位が高かったから、今では高台とよばれているところが当時は岬であり、現在は低地というまちは海水の下にひそんでいたのだと、ぼくには新鮮な視点を「アースダイバー」が提供してくれた。ちょうどそのころMacでも使えるようになったgoogle Earthで、地球の立体的な表情を遠くからも近くからも自在に実感できるようになった。
 かつて、"POWERS OF 10"という映像をチャールズ・イームズがつくってみせた。日光浴をする男女を見下ろすところからはじまってカメラをどんどん移動させ銀河系の全体を見るところまで離れてから一転して、どんどんと近づいていき分子の大きさまでクローズアップするのだ。Google Earthのおかげで、そのすてきな映像がいつでもぼくたちの手に入るようになったのだ。
 道を歩きながら地形の成り立ちを思い浮かべ、数千年前の岬を想像し、数百年後にはもう人間のいなくなっているかもしれない地球を思う。空間も時間も、ぼくたちは自在にとびまわることができるので、小さな断片から地球や歴史を考えることができる。
 それを実感すべく始められた「アースダイビング」は、縄文の波打ちぎわをたどることを手はじめに少しずつ川をさかのぼり、3月31日は神田川上流の善福寺川の水源に遠からぬところまでやってきた。このあたり、川の護岸は道路より高く積まれているところがあるけれどコンクリートでなく自然石が積まれているから、さながら愛媛県外泊の集落のように、石垣のかげに身を潜めているような家もある。


川のほとりの見事な桜の下にはホームレスとお揃いのブルーシートに思う存分の混乱がくりひろげられていたが、そこから一歩はずれて足を踏み入れると、空気も光も一変する別世界があった。
 はずかしいことに、iGaさんのエントリー「阿佐ヶ谷テラスハウス」と、それにつづくmasaさんのエントリー「阿佐ヶ谷テラスハウス(1)」まで、阿佐ヶ谷住宅のことをぼくは知らなかった。ここが別世界をつくるのは、ひとつには、いうまでもなくそこがすてきな場所だからだが、さらに、やがてなくなってしまう場所だからでもある。前川國男事務所の設計で1958年につくられたテラスハウスは、コンクリートブロック造二階建ての切妻、4戸ほどを単位として連続させてたほぼ同じ構成の棟を配置したにすぎない。今でいえばむしろ素朴な集合住宅と見える。しかし、高さを低くおさえているうえに隣りの棟との間に広く距離をあけているから公園と道が連続している、あるいは全体がひとつのひろい公園で、その中にテラスハウスを散らしているようだ。公園が庭の一部になっている。

 それぞれの住戸は高さを低くおさえることによって、まわりには広々と明るい空間ができる。家の中が小さければ、その分だけ外は広く豊かになる。家は、壁や屋根に囲われた中だけではなく、ウチとソトの両方を合わせたものが住まいなのだから、たがいに自分のすまいを低くすることによって、めぐりめぐって自分も日当りのいい庭とイエをつくることができるのだから、結局は気持ちよい生活を送ることができるのだ。集合住宅はそのことが実感しやすい。
 しかし、土地や住まいを金額に変えることをなりわいにしているディベロッパーにすれば、これは非効率あるいはビジネスチャンスにほかならない。容積に余裕があるから、分譲されたそれぞれの住戸の持ち主も経済的な負担なしに新しい家に移ることができるだろう。建て替えという消費に誘導する制度ができてしまっている環境では、住人がそう考えるのはしかたないことではある。しかし、ぼくたちの島ではすでに人口の減少が始まっている。大都市に高層の集合住宅をつくって人間を集中させるよりも、こういう住まい方によって人口の減少をむしろ豊かさに転換するという選択肢もあるはずだ。

給水塔の足下に切り妻屋根のテラスハウスのならぶ風景からは、なんだか宮沢賢治の世界が思い出された。ぼくたちのかつて住んでいた世界のどこかにあった懐かしいもののようでもあり、遠い異国の風景のようにも感じられる、人間にとって普遍的な風景ということなのかもしれない。

投稿者 玉井一匡 : 11:32 AM | コメント (8)