July 19, 2007

ヤマカガシ(じつはアオダイショウのチビ)


新潟の、母の家で玄関のチャイムがなった。
「おっ、どうした」ちいさなお客さんだった。
「玉井さん、うちにヘビがいた」
「へえ、つかまえて食うか」
「森に放すんだよ」なんて、いいことをいう。
行ってみると、その子のうちの玄関ポーチの隅に小さなやつが丸まっている。
捕虫網のフレームの一部を直角に曲げて、角に押し付けてその中に追い込もうとしても、頑固に丸まって動こうとしない。網の棒でつつくと、口を開いて一人前に威嚇する。
やがて、5、6センチの球体から40cmほどの長さの曲線に姿を変えて移動して出てきたので、首の後ろをつかまえた。

Yamakagashi1.2.jpg「ほら、よく見るとかわいい顔をしてるよ」
ぼくの左手に巻き付くやつを見せると、子供たちの表情がもっとかわいい。
好奇心とちょっとこわいのとの混じりあいだ。
「さわってごらん」
手を伸ばして、そっと触れる。
「・・・・・・」ことばにならない。
「ヘビと記念写真をとろう」というと、ふたりにはちょっと安堵の表情が浮かんだ。
「さて、逃がしてやろうか」小さな「森」の中に放してやると、するすると草の下をすべってゆく。子供たちにとっては小さな冒険、ヘビにとってこれまでの生涯一番の恐怖の時が終わった。お母さんたちによれば子供たちのお父さんは二人とも、朝に起きた柏崎の地震のために休日の途中で急遽出勤になったという。

 ヤマカガシは、ぼくたちが子供の頃には毒のないヘビだと言われていたのだが、このごろでは毒ヘビとされている。やたらにヘビを怖がるなよと伝えたくて子供たちに触わらせたりしたけれど、そのことを言わなかったなと思い、googleで調べた。
wikipediaによれば、かつて毒がないと思われていたわけは、ヤマカガシは口の奥の歯が毒を出すために、口の中に指を入れたりしないとそれにやられないからで、しかも、ヤマカガシは臆病だからマムシとは違ってむこうから襲うことがない、しかし、毒はなかなか強いのだという。こどもたちに、もうちょっと説明しいなくちゃあならないと思った。

■追記
コメントに「通りすがり」さんからコメントをいただいた。
こいつは、ヤマカガシではなくアオダイショウのチビだということが分かりました。つまり、毒ヘビではないということで、ひと安心。
アオダイショウの幼蛇の写真はここ
ヤマカガシの写真はここ

投稿者 玉井一匡 : 08:23 AM | コメント (16)

July 02, 2007

サヴォア邸 / Villa Savoye


サヴォア邸/写真 宮本和義/文 山名善之/発行 バナナブックス
 バナナブックスから、ラ・トゥーレットにつづいてコルビュジェのサヴォア邸が出た。現代の文化や思想もデザインも、大部分が、このサヴォア邸のつくられた1920〜30年頃の豊穣な時代に生み出されたものをもとにして、以後は、それを洗練させているか、悪く言えばその時代の蓄積を食いつぶしているのだなと思うことがある。建築もその例にもれず、現代のヴォキャブラリーの大部分はコルビュジェの中にあるのではないかと思うが、サヴォア邸にはとりわけその重要なものがある。その意味では、サヴォア邸がコルビュジェのデザインの箱詰めであるように、この本はコルビュジェのデザインの詩集のようなものなのかもしれない。

 もう何十年も前から知っている住宅でありながら、この本を見て読んで、ぼくにはまだ3つの発見があった。 ひとつ目、この住宅の主はこんな大きないえに住む人でありながら、運転手ではなく自分でハンドルを握ることを大切にしていたらしいこと。2つ目はコルビュジェにとって「屋上庭園」というのは大地から持ち上げたものではなくて天から降りてきたものであったらしいこと。3番目に、このいえは住む機械であるとしても草原で草を食む牛のようにふるまう動物だったらしいということだ。電気羊でなく、時計仕掛けの雌牛だろうか。

 1つ目:クルマがピロティの中で方向転換しやすいように一階をU字型にしたことは、平面図を見れば一目瞭然だ。運転手が玄関前でサヴォア氏をおろしたあとでガレージにクルマを入れるのだろうと、なんとなくぼくは思いこんでいた。このピロティにはクルマから見て家の右端から入ってゆき、左回りにまわってもとに戻ることはガレージのクルマの置き方からもわかるし、解説にもそう書いてある。(平面図の、玄関前の車路にいるクルマと、移動方向を示す矢印はぼくが書き込んだ)
 方向を左に90度変えると、クルマの左に玄関ドアがある。運転者がすわるのは左だから、もしも後ろの座席にサヴォア氏がいるなら彼は右側、玄関の反対側にいる。すると、運転手がドアを開けにくるのを待ち、彼が外にでると玄関と自分の間にはクルマがあるということになるが、それはちょっとありえない。
むしろ、サヴォア氏は自分で運転しいえに近い側の座席にすわってピロティの空間の変化を楽しんだあとにクルマを玄関前に置いてすぐ前にある玄関ドアを開いて家に入っていく。あるいはガレージにクルマを入れて、脇のドアからスロープの下からホールの中に入ったのだろう。
1階には使用人の個室が2つとゲストルームがある。当初の計画では、このゲストルームは運転手の住まいだったと解説にもある。自動車と住人のこの関係は、サヴォア氏自身の望んだことだったのだろう。さらにそれは、コルビュジェにとっても歓迎すべきことだったろう。

 2つ目:フランス語のコルビジェ作品集を持っていながら、これまでぼくは気づかなかったことだが、「屋上庭園」とよばれるものは、フランス語では「jardin suspendu」というのだとこの本に書かれている。直訳すれば「吊り庭園」。だとすれば、それは地表を持ち上げたものではなくて天から吊り下げられた庭園なのだ。建物を支える柱は大地から生えているのではなく、むしろ飛行機の車輪のように上から下ろした脚であり、スロープは飛行機のタラップのように下ろされたものなのかもしれない。この庭を包み込んだ住宅は、地上を離れたのではなく、地上に舞い降りたのだ。ここは、パリからクルマで30分、背後にセーヌを見下ろす高台、天から舞い降りるには相応しい台地だ。(google Earth/N48°55′26.47″)

 3つ目:完成後にコルビュジェがアルゼンチンで講演した時に描いたというスケッチがある。それは、樹木の枝にサヴォア邸が実のようになっているようにも見えるし、牧畜のさかんなアルゼンチンのことだから、これは草原で草を食む牛たちも思わせる。「住むための機械」は、無機的で巨大かつ排他的な機械的生物ではなくて、同時に生物的なメカニズムの世界なのだ。しかも、排他的な土地の所有権を主張する所有形式でなく地表を共用する遊牧的な土地の所有形式をこころざしていたのだと、ぼくは読み取りたい。

 20年以上も前にぼくがサヴォア邸を見に行った時には、改修ができていなかったから建物の中に入ることができなかった。にもかかわらず道路の近くに門番小屋はあるが門も塀もなくて、敷地のなかには自由に入ることができたから、ぼくはガラスに顔と両手を押し付けるようにして住宅の中を見た。道路と敷地のあいだは、プライバシーの密度を段階的に変えながら連続しているのだ。
 ちょうど昨日のことだが、成城の古いすてきな家に住む友人のお宅にうかがった。小さな頃からそこで育ったその人の子供時代の、興味深い話をきいた。
 幼稚園のころ、近くに、小さな山が庭にあるうちがあって、その奥にはいったい何があるのかを知りたくて仕方なかったという。塀があるわけでもないから中に入ってゆくこともできたのだが、それはいけないことであると思っていた。ともだちに話すと、行ってみようよという。意を決して、ふたりは探検に乗り込んだ。その家は、1階がピロティになっていて玄関だけがあったはずだ。やがてその家のご夫妻が降りていらしたので、少女はそこに探検に来たわけを一生懸命に話した。そこの主は彼女の話を聞いたあとで二人にお菓子を手渡して、気をつけてお帰りなさいと言ってくれたというのだった。そこは、ほかでもない、丹下健三の住まいだった。
 モダニズム建築の継承者たる丹下にとって、この住宅がサヴォア邸と無関係ではありえなかったはずだ。彼にとっても本来、ピロティは自由に開放された空間であってほしかったにちがいない。さりとて、日本、東京の住宅地という現実の中に置かれた庭の中は、アルゼンチンのスケッチのように自由に出入りするという空間ではない。が、幼いこどもたちがおそらくは手に手をとり勇気をふりしぼってやってくるという微笑ましい振舞いは、きっと丹下にとってみれば、この家とまちとの、いちばんうれしいありかた関わりかたのひとつだったろう。お菓子は、彼女たちの訪問への感謝のしるしだったのだ。
この住宅は丹下のしごとの中でも屈指のものだとぼくは思う。にもかかわらず、これはすでにない。

関連エントリー: aki'sSTOCKTAKING/Villa Savoye

投稿者 玉井一匡 : 03:34 PM | コメント (6)