August 24, 2007

NAT KING COLE EN ESPANOL

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 amazonの正方形の段ボール包装が宅配便で事務所に届いた。iGaさんからではないか。急いで開いてみると、予想通りCDだった。NAT KING COLE EN ESPANOL。
うーむ、MADCONNECTIONのエントリーに書かれていた、あのION iTTUSB05 USB Record Player をつかってLPからGarageBandでMacに取り込んだやつからつくられたCDだ。「こんど会ったら聴かせてね」という、かわいいコメントを書いたので、残暑見舞いとして送られたのだろう。人間、正直でなければならないということだなあ。サンキュ、iGaさん。
さて、さっそくCDプレーヤーに入れてみた。

 なかなかの音ではないか。スクラッチノイズは聞こえない。いつのまにか、素直にナット・キング・コールの美声にひかれてしまう。音のジューシーなところは少々減るのかもしれないが、それは音楽そのものの力によって補われるのだろう、期待以上の音だ。iPodに入れて一晩、冷凍庫で冷やしてから海岸に持って行って日向のキャンバスチェアに寝転がって聴くなら、とてもしあわせだろう。なんとかダイキリを片手に・・・、なんてことを言えないのが悔しいですが。
 と、思ってヘッドフォンで聞いてみると、この時代と今の音作りの違いというものか。スピーカーで聴いた音からすると、すっかり魅力が減ってしまう。スクラッチノイズを消すときに一緒に消されてしまうものがあるのだろう。CDで、オジさんらしく落ち着いてスピーカーで聴くというのがよさそうだ。Macの内蔵スピーカーで聞いても、ヘッドフォンよりもずっといい。
キング・コールの歌だけは、スピーカーでもヘッドフォンでも魅力を失わないのは、さすがだなあ。
iGaさん、あらためてありがとうございました。

投稿者 玉井一匡 : 04:10 PM | コメント (9)

August 16, 2007

パンダの赤ちゃん・8月3日誕生・サンディエゴ動物園

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 8月3日、サンディエゴ動物園のパンダが子供を産んだ。この写真をクリックすると少し大きくなるが、お母さんのバイユン(白雲・Bai Yun)が、仰向けになって胸の上に乗せたチビをかわいがっているところだ。(現地時間で8月16日23:33:36、日本時間8月17日15:33:36)生まれてから、まだ2週間しか経っていないから、文字通り舐めるようにしてかわいがっている。
サンディエゴ動物園の公式サイトの中に「Panda Cam」というのがあって、パンダの動く様子を24時間リアルタイムで流してくれる。この写真は、その動画の一瞬を残したものだが、こんな風にチビの全身がしっかり見えるチャンスは少ない。モノクロの画像なのだが、なにしろ相手が黒白のパンダなので、はじめは画像がカラーでないことに気づかないのだ。


画面に書かれているC14という記号は、カメラのナンバーらしい。オトナのパンダ4頭の小舎のそれぞれに3台から5台、合計で17台のカメラがあって、そのうちBai Yunの産室ということなのだろう「Bai Yun den」には3台、C13,C14,C21が取付けてあるようだ。その17台のうちのどれか1台の画像が、常にPanda Camで公開されている。今は、当然のことだがチビのいる部屋のカメラの画像が送られている。バイユンが姿勢を変えると、チビを見やすいように別のカメラに切り替えられるから、飼育係が24時間態勢で観察して操作しているようだ。バイユンが寝返りを打つたびに、下敷きにしないかと、ぼくたちはハラハラしてしまう。

 2005年に、このサイトのことをPanda Camというタイトルでエントリーしたことがある。それは11月17日だったから、8月2日に生まれた子パンダは100日目にスーリン(蘇琳)という名前に決められた少し後のころだ。しかし、今年の子パンダには名前はまだない。8月3日、スーリンと2歳年下、1日違いの誕生日に生まれて、まだ10日とすこししか経っていない。母親のバイユンとお父さんのGao Gao、両親ともスーリンと同じだ。
VIDEO ARCHIVEというページからは、誕生のときの様子をビデオで見ることができる。ぼくたちも、飼育係のように24時間態勢で観察することになりそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 04:35 PM | コメント (2)

August 12, 2007

小野寺さんの「ミニ個展」で見つけたこと

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早いもので、 小野寺光子さんのミニ個展にうかがってから、もう1週間が経ってしまった。小野寺さん自身のブログで、イラストの原画に値段をつけるということがどうも難しいんだということを書いていらしたからなのかもしれないが、原画を見ていていろいろと考えてしまったことがある。
ふつうの絵画は、たとえば複製や本に印刷されたものはコピーであり、自らの手で直接に描かれた「原画」というわれるものが本物であるということがはっきりしている。しかし、雑誌やポスターになったイラストは原画のコピーなんだろうか?こんなことは、デザイナーはとうの昔、学生時代に何度も考えたことなのかもしれないが、ぼくにとっては新鮮なことだった。

 ちょうどその翌日、kawaさんの事務所で、彼のオーディオの機械の音を聞かせていただくことになっていた。ぼくのほかに塚原、masaさんfuRuさんが一緒だったが、塚原は友人の母上が亡くなってお通夜が偶然にもとなりの堀之内斎場で行われたので先に帰り、kawaさんは近くに買い物に行って外出中だった。
「玉井さんは小野寺さんの原画を買わなかったんですか」とfuRuさんにきかれた。もちろん経済上の理由にもよるのだが、イラストレーションというものにとっては印刷されたものが本物であって、原画は、建築で言えば設計図のようなもの、最終的な完成品は本やポスターや新聞の方なんじゃないかと思ったんだということを話した。
「小野寺さんのはイラストというより絵なんですよ、原画がとてもいいですからね」とfuRuさんは言う。
 たしかに、原画をそばに置いておきたいという気持ちになる。しかし。
「学生時代に横尾忠則展があって、ぼくは初めてイラストの「原画」を見た。すると、コラージュや手書きの輪郭線の上にトレペが重ねてあって、引き出し線の先にDICのカラーサンプルが貼ってあるだけだった。ぼくは、それを見て横尾忠則をものすごくかっこいいと思ったんだ」というぼくに、masaさんがこう言った。
「その考え方は、篠山紀信と似ていますね。篠山は、自分の写真のオリジナルはあくまでも印刷されたものであって、印画紙に焼き付けたものがオリジナルではないと言ってます」
そうか、篠山はやはりえらいと思った。とはいえ、考えてみれば印刷メディアであれほど使われる篠山なら、焼き付けた写真を売る必要はないということでもある。そういう意味で、彼でしか言えないことばなのだ。
じつはkawaさんが、夕暮れのまちに自転車を飛ばして買いに行ったのはCDのディスクで、それは、彼のコレクションの数枚をコピーしたいという、来訪者の希望に応えるためだったから、このときにぼくたちのしていたことはことごとくコピーとオリジナルというテーマに関わりがある。そもそもオーディオ機械というものは、演奏者がある時間にある場所でつくりだした音の集積をコピーしたものを再現するための機械だ。
この日、ぼくはCDにコピーをしなかった。しかしそれは、ぼくがコピーについて潔癖であるからではなく、MacBookをいつものように連れていたからであって、ちゃんとDinah Washingtonの、「Dinah Washington Goleden Classics」をiTunesに入れていた。

 翌日、kawaさんにお礼のメールを送って、つぎのように書いて、ほかのひとたちにもCCで送った。そういえば、CCはcarbon copyの略だ。
「オーディオについて、コピーというものについて、イラストの原画と印刷物、写真のプリントと印刷物について、いろいろと考えてしまいます。・・・・・・こうやって簡単にコピーをたのしむ一方で、写真表現や音楽表現などで稼いでほしいと思う人たちがまわりにいるので、コピーとはなにかコピーライトとはなんだろうと思わずにいられません。」
最初のお礼メールを送ったのはぼくだったので、皆さんも以後のお礼メールの中でコピーについての意見を書いてくださった。
 そのむかし、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」を読んだ時には、ずいぶんメディアのありかたがちがっていたし、それどころか、あの本に何が書いてあったかちっとも憶えていない。いま読みなおしてみたら、理解のしかたがずいぶん違うんだろうなと思うのだが、さてどこに置いただろうか。

 ぼくは、個展でカードを数枚買ってきたが、まだ小野寺さんの本を買っていなかった。「イラスト会話ブック 韓国」を買いに行こう。

投稿者 玉井一匡 : 09:05 AM | コメント (10)