November 25, 2007

アンカレッジ空港の水上機

Click to FlyToAirport

 飛行艇の写真を載せて坂本宏明さんのラジコン飛行艇を紹介したAKiさんのエントリーを見て思い出したことがある。
Google Earthでアンカレッジ空港に行ってみると、その北東の一部あるいは北東のとなりに、面白いものがあると、いつだったか本間さんが教えてくれた。ナスカの地上絵のハチドリような複雑な形をした池があるのだ。この地図をクローズアップしてみると、さまざまな色をしたちいさな飛行機たちが池の周囲に羽を休めているのが見える。水面を飛び立とうとしているやつもいて、いまにも動き出しそうだ。ハチドリの翼のでこぼこのかたちは、水上飛行機のための桟橋のようなものらしい。
Google Earthなら 、61°10'46.44"N 149°58'26.67"W

「紅の翼」でポルコロッソが水上飛行機を着水させていたのは、海に面する小さな漁港のような湾だったと記憶しているけれど、水上機にしてみれば海よりも池の方が波もないから離着水しやすいだろうし、塩分で機体を傷めることも少ない。たしかに、こういう水面の方が水上飛行機には向いている。映画「インソムニア」でアル・パチーノが舞い降りたのも湖だったように思う。大きな水面は、均す必要も雑草を刈る必要もない天然の滑走路なのだと、あらためて気づいた。
AKiさんのエントリーを読むと、飛行艇ということばと水上飛行機ということばが書かれているのだが、どうちがうのだろう。と、思ってwikipediaを開いてみると、さすがに丁寧な説明がある。胴体で直接に水に浮かぶやつを飛行艇、フロートのついているのをフロート水上機といい、それを総称して水上飛行機というのだそうだ。ポルコロッソが乗っていたのはフロート水上機というのだ。(ぼくの記憶をたよりにこう書いたら、コメントでAKiさんが間違いを指摘してくださったので、最後に追記しました。)

英語版のwikipediaには、もっと説明がくわしい。飛行艇はflying boat、フロート機は float planeというようだ。Air Boat, Sea Plane, Amphibious Plane なんていうことばもある。Amphibianが両生類。Amphibiousはクルマで言えば水陸両用車、水上機の場合には車輪が出てきて地上でも離着陸できるやつのことだそうだ。しかし、飛行機にしてみれば車輪を胴体にしまい込むのはふつうのことだから、飛行艇は大部分がAmphibiousなのだろう。

たいていの少年は乗り物が大すきだ。それは、別の世界やべつの場所に行けるからだが、それにもまして、別の世界や状態に移るということそのものがすきなんだ。Amphibiousの飛行機は、水と陸と空という三つの世界を移動するのだから、少年にとっては、たまらない憧れののりものであるのはあたりまえだね。

*追記
秋山さんの指摘によれば「ポルコロッソが乗っているのが飛行艇で、敵役のカーチスがフロート水上機」が正解だそうだ。眠気にまけておこたってしまった裏付け検索をすると、紅の豚の水上機のプラモデルと、そのパッケージの写真があった。なるほど、翼のためのフロートはあるが、機体の本体が直かに水に浮いている。

投稿者 玉井一匡 : 01:34 PM | コメント (4)

November 21, 2007

第三の脳

dai3nonoh_.jpg「第三の脳——皮膚から考える命、こころ、世界」/傳田光洋/朝日出版/1575円

 本当におもしろい本だ。世界観ということばのように身体観というものがあるとすれば、この本は、ぼくのそれを一変させるものだったから、読み終わると、ひと仕事片づけたあとのように気分がいい。
 「第三の脳」が皮膚を意味することは、副題からすぐに分かる。しかし、なぜ第三なのか第二は何かと、だれしも思う。「第二の脳」は胃なのだ。では、なぜ胃が第二の脳なのかという説明のために、かつてアメリカの学者が行なった実験が紹介されている。ハムスターの消化器系、つまり食道から肛門までを取り出す・・・というところで、ぼくは「世界屠畜紀行」を思い出した。あちらは、消化器系の中に入っている消化中の食べ物がこぼれて肉を汚さないように解体して、しかもそれを食べられように切り分けるためだったが、こちらは消化器系だけを脳の支配から切り離すためだ。取り出した消化器系は培養液に入れられるとしばらくは生き続ける。
さて、取り出されたハムスターの喉に錠剤のようなものを入れてやる。すると、消化器は順に動き出して、錠剤を肛門まで送り届けるという見事なパスワークをやってのける。監督の指令など何にもなしにだ。つまり、喉には何かが入ると、脳へ報告して指令を受け取るなんてことをするまもなく、そのできごとをみずから感知し反応し、それをつぎの器官へ知らせ、消化器たちはひとつのシステムとして機能する。脳の指図なしに自分で判断する。そういう消化器のありようを「第二の脳」と表現したのだ。

 ある実験によって、皮膚も同じように振る舞うことに著者は気づいたので、それを「第三の脳」と言った。皮膚の細胞は外からの刺激をうけると神経を経由して脳に送るまでもなく→自分でそれを感知し→どう行動するかを判断したのちに→皮膚の他の部分に伝え→皮膚が傷つけば自分で修復してしまう。それが「第三の脳」という表現になった。

 著者は資生堂の研究者だが、生物や医学の研究者だったわけではなく、大学では生化学を勉強したという。入社後、製品設計というのをしていたが、30歳のときに基礎研究をしたいと希望して皮膚の研究をする部門に移動する。医学や生物学の勉強は、それからはじめた。研究者にありがちな重箱の隅をつつく視点にとどまることなく広くシステムを考えることができたのは、そうした経歴が影響しているのだろう。さらに、彼の情熱を後押ししたのは、自身がアトピー性皮膚炎を抱えていたことだ。それが、偏狭な研究領域の縄張り意識からの自由を与えたにちがいない。
 途中まで書いたままでいたら、今朝の新聞に出ていた記事がこの本に書かれていたことを思い出させた。「人の皮膚から万能細胞」という見出しで、ES細胞は受精卵からつくられるが、それとはちがう万能細胞(iPS細胞)を、皮膚からつくる実験に成功したというニュースだ。
 受精卵の成長の過程をたどれば、卵の同じ部分の一部は皮膚になり、ほかの一部は変形して脊髄や脳になる。だから脳と皮膚は生まれが同じだと、この本に書かれていた。それを逆にたどって皮膚の細胞からなんでもつくれるというのも、当たり前のような気がしてくる。
 皮膚というやつを、ただの上っ面という過小評価をしていたことを、ぼくは深く反省した。

 読み始めれば面白い本なのに、はじめの数章は中学高校の教科書を思い出すような挿絵があるのが、かえって読む気を萎えさせる。それを、須曽さんによる表紙と扉のイラストがおぎなって、おもしろい気分で読めるようにさせてくれる。これがあるおかげで、きっと10倍の読者を獲得することができるだろう。 
 じつはこの本は、「楽しいカタチの帽子」といっしょに須曽さんが送ってくださったものだ。そういえば、カエルの皮膚は人間の皮膚と似ているなんてことも書いてあった。

投稿者 玉井一匡 : 11:39 PM | コメント (4)

November 14, 2007

楽しいカタチの帽子

SusoBookBoshi.jpg楽しいカタチの帽子/スソアキコ/文化出版局/1,680円
 イラストを担当されたもう一冊の本と一緒に、須曽明子さんがこの本を送ってくださった。そのもう一冊は、いま読んでる途中なのだが、おもしろそうなことがはじまるので、それに遅れちゃあいけないと思ってまずはこの本のことをエントリーすることにした。11月中旬からスソさんの帽子のレンタルを始めるというのだ。しかも、週末に寄った江古田図書館の新着図書の本棚にこの本があったので、ぼくはなんだかうれしくなってしまい、自分の本を持っていながら借りてしまった。だから、この本の写真は、表紙に分類のシールが貼ってある。
須曽さんは、イラストレーターとして、独特の世界をつくっちゃう人だが、ぶっ飛んだ帽子もデザインしてつくっちゃう帽子のデザイナーでもある。わきたさんも、スソ世界にはまっちゃったようだ。

 ぼくも何度か個展にうかがったことがある。それでも、帽子は好きなのだが、自分でかぶるとなるとなかなか勇気が取り出せないような個性あふれる帽子たちだ。あのやせがえるが即身成仏したアトリエの真ん中にミシンを置いて、まわりをところ狭しと材料や型が埋め尽くし、仕事場の空間はイラストより帽子の方が圧倒的優勢だった。
 衣類がどれもそうであるように、帽子のデザインは、二次元の材料である布を切り抜いて3次元に変身させてしまう魔法だ。からだを包むというところは衣類と変わらないけれど、脳が特別な存在であるのと同じように、帽子は特別に象徴的なものだから、須曽さんの帽子をかぶるのはちょっと決心がいるのだ。と、書いたあとでスソさんが送ってくださったもう一冊の本のタイトルは「第三の脳」であることを思い出した。第三の脳とは皮膚のことなのだ。だったら、衣類は第二の皮膚、帽子は第二の顔でもある。

この本に、男女のモデルが帽子を頭にのせた写真がたくさんあるし型紙も豊富に折り込んてある。「楽しい帽子を自分でデザインして自分でつくり自分で かぶってみようよ」といいたいのだ。

投稿者 玉井一匡 : 08:46 AM | コメント (2)

November 09, 2007

インテリジェンス

 インテリジェンス・武器なき戦争/手嶋龍一・佐藤優/幻冬社/777円
 AI はArtificial Intelligence:人工知能、CIA はCentral IntelligenceAgency:中央情報局だ。この本のタイトルは、知能の意味ではなくてCIAの「I」の方なのだろうとは、対談するふたりから察しがつく。数限りなく入って来る情報(インフォメーション)を、その価値や信頼性を評価し取捨選択してそれらをシステムとしてくみたて意味を読みとって国家の行動のもとにする能力。そうやって精選された情報。それらをインテリジェンスというらしい。それが個体としての能力であれば前者の意味になり、国家のような組織体の能力であれば後者になるわけだ。

 佐藤優は鈴木宗男とともに逮捕され葬り去られたものと誰しも思っていたが、刑事事件の被告という立場を持続しながら数年にして表舞台に浮上するという離れ業をやってのけた。外務省は休職中とある。手嶋龍一はNHKのワシントン支局長としてワールドトレードセンターの崩壊をニュースで伝えた。この本のあとに佐藤の書いた「国家の罠」「自壊する帝国」、手嶋の「ウルトラ・ダラー」を読んだが、「インテリジェンス」が期待させたとおり、佐藤は傑出したハードボイルド探偵で同時にすぐれた著者だ。以前に、ロマンスのR:女ハードボイルド探偵というエントリーで、ハードボイルドについてつぎのように定義したが、彼はまさしくこれに適合する。
「ハードボイルドは2つの要件を満たさねばならない。
(1)みずからに課した掟は徹底的にまもる。そのためであれば、社会的な約束事から逸脱することもいとわない。おそれない。
(2)みずから事件の中に飛び込んで事件の動きにかかわり、ときに流れを変える。 」
かつて佐藤は、ソビエト連邦と共産党という堅固な制度の腐敗と崩壊の近くに立ち会った。その状況に、日本の現在のありようが似ていると危惧している。省庁という制度の中での位置の上昇競争を最大の関心事としているキャリア官僚たちにとっては、制度の腐敗や老朽に対する関心も「インテリジェンス」の活用にそそぐ情熱も薄くならざるをえない。こういう日本の官僚世界と佐藤優が背反することは、いずれにしろ必然だったのだ。

 かつて二人が属していたNHKと外務省という組織は、日本ではもっとも情報を集めやすいはずだ。報道機関にとっては情報そのものが最終的な商品だけれど、外交にとって情報は道具あるいは材料にすぎない。「インテリジェンス」は、それを現実の世界に活用しなければ意味がないからだ。それを生かすためのパートナーと見込んで、佐藤は鈴木宗男を選んだ。

 うどんなどを旨く食べるために、それだけではとても口にできない唐辛子などを、ぼくたちは薬味としてわずかに散らすのだが、この本ではそれが逆になっているかのようだ。佐藤優という痛烈な毒を初めて吞み込むには、手嶋龍一をふりかけると喉ごしがいいのだ。しかも、対談という形式が、もっと口当たりをよくしている。
 ・・・・というところで一度は終わらせていたら、手嶋龍一をいいと思うのかと友人に聞かれた。そういうつもりはまったくないので、誤解されないようにすこし付け加えておこう。手嶋による「ウルトラダラー」は、北朝鮮が偽札をつくるというおもしろい題材をあつかった小説であるにもかかわらず、リアリティがすこぶる希薄なのだ。人間のディテールを描けば描くほどステレオタイプにおちいる。持ち物や着ているのものや車のブランド、組織の地位などで表現するしか方法を知らない。そんな表面的なことでしか人間を表現できない人に「インテリジェンス」を読み取る力が備わっているとはとても思えない。上記の友人に言わせれば「偽ドルはCIAの仕業だというのが常識になってるんだろ」という。

投稿者 玉井一匡 : 10:08 PM | コメント (2)