March 30, 2008

「住む。」 春号:「ひと と いえ と まち と」

Sumu2008S.jpgClick to PopuPSumuSpring2008.jpg

 先週末に、「住む。」2008年 春号が届いた。
「住む。」のタイトルは動詞である。丁寧に句点までつけてある。いうまでもないが、動詞をタイトルとして選んだのは、住宅を器そのものでなく、そこに容れられているものの側から、その器とのかかわりを考えるという立場をとろうとしているからだろう。器の中味つまり人間の生活についてなら、建築やデザインについての専門知識がなくても、意識をもって生活する人ならだれでも参加できる。
「住む。」2008年 春号の特集は「収納・自在に考える」だ。器と生活のあいだにあるモノたちといっしょにどう暮らすかということだが、小特集「こどもたちに」の一部として「ひと と いえ と まち と」という絵本形式のものを掲載してくださった。この小特集は、生活と器の間にいるこどもたちと一緒にどう暮らすかということなのかもしれない。
 以前に、ぼくたちは「かきの木通り」という20戸に満たないほどのちいさなまちづくりの計画をした。その土地には、かつて畑や庭と住宅が一軒あった。そこに新しい住人が住むようになってから、今年で4年ほどになる。8戸のいえが生活をはじめた段階で管理組合が発足したときに、ぼくは「かきの木通りのこどもたちへ」という絵本形式のものをつくって、それぞれのいえにお渡しした。いえという器にこもらずに、もっとひろく生活することを考えようということを伝えようとしたのだった。
 「住む。」の「ひと と いえ と まち と」は、その文章の一部を変えてあらたにプロのイラストレーターの手による絵が加えられた。それによって、普遍的な内容を持つ、ずっと素敵な絵本になった。

 かきの木通りでは、法的な拘束力のある制度をつかって具体的なルールをつくり建物などのありかたに制限をもうけた。それぞれのいえは少し制限をうけるところもあるけれど、それによって、まちはむしろ住みごこちがよくなる。まちがよくなれば、めぐりめぐって自分のいえも気持ちよく住むことができる。ちいさなコミュニティのよさのひとつは、たがいによく知っているので、そういうことを実感しやすいことだ。
 とはいえ、自分の外にある規則を守ることを求められると、ぼく自身そうだが、その範囲でできるだけ多くのものを手に入れないと損をするような気分になりがちだ。だとすれば、法的な力のない約束ごとがあれば、かえって自発的にそれに沿った暮らし方をえらぶという気持ちになるのではないか。
 建物の中だけが自分のいえではないし、敷地の中だけが自分の場所ではない、もっとひろく自分の場所があると考えた方が、じつはもっとゆたかに気持ちよく暮らすことができる。そういうまちをつくって育ててゆくということを、このまちに住む子供たちに約束する、という絵本をつくろうと思った。このブログのテーマにしているMyPlaceの考え方を絵本にしたものでもある。「ひと と いえ と まち と」は、aki's STOCKTAKINGに紹介して下さったように、つぎのような章立てで構成されている。
 ・曲がりかどには樹が
 ・小道のすきまには草花が
 ・いえといえの間には
 ・古いレンガの塀
 ・このまちのまわりには
 ・きみのいる場所

 Sumu2006AkiFrt.jpgCnfort2007-10.jpg「住む。」2006年 秋号は「小屋の贅沢」という特集だったので、「小屋新聞」というコーナーの1ページで「タイニー・ハウス」について書いて欲しいと注文された。ぼくは「タイニーハウス・ゲーム」というタイトルで、小さいいえだからこそ素敵なことがあるということを書いたのだが、そのときに編集長の山田さんから「かきの木通りのこどもたちへ」のように子供のために書くという形式にしたらいいのではないかと提案された。「かきの木通りのこどもたちへ」は、住民のためにつくったものだから、それまで、ほかの人には見せたことがなかったのだが、こんなものがあるんだと山田さんにお見せしたことがあったからだ。

 もうひとつ、「コンフォルト」の2007年10月号に、かきの木通りのことを取り上げていただいた。「うちの庭は隣の庭」というタイトルで、こちらは具体的に、かきの木通りの状況を写真で伝えてくださった。
 このごろでは、いなかでも珍しいことだが、天気のいい日には子供たちが外に出てきて歩行者のための遊歩道で遊んでいる。どこかのお父さんがよそのうちのボウズを呼び捨てにしている。ヘビがいたよなんてことを知らせるために、よその子たちが呼び鈴をならしてやってくる。レンガの塀を見て生活したいからといって北向きにいえを建てたひとがいる。まちは、以前からそこにあったモノたちやこどもたちやのおかげで、徐々に自在につながってきているようだ。
 「住む。」と「コンフォルト」という、別の時期に発行された別の雑誌がブログによってひとつにつながって、「かきの木通り」のありかたとMyPlaceという考えかたが分かりやすくなるのだとすれば、これはインターネットらしいことだなと、楽しくなった。

KakiFront.jpg「かきの木通りのこどもたちへ」は、ここに住むおとなたちが、子供たちに気持ちのよいまちを残すことを約束するという形式の絵本だ。「ひと と いえ と まち と」との形式の大きなちがいは、イラストでなく生活をはじめて間もない頃の写真を使っていることだ。それに対応する文章を見開きで向き合わせるというレイアウトで、末尾にあげた7つの項目と見開きのマップで構成されている。「住む。」の「ひと と いえ と まち と」は、実物の本で読んでいただくことができるが、(お買い得の充実号です)「かきの木通りのこどもたちへ」は他に読むすべがないので、目次に見開きのページをリンクさせて、見ることができるようにしました。見なおすとあちらこちらに直したいところもあるのだが、資料としてそのままにしておきます。
 ・大通りの曲がり角には木が立っている
 ・いえのあいだには小道がある
 ・かきの木通りのいえにはには塀がない
 ・かきの木通りのまちにはレンガの塀がある
 ・かきの木通りには鳥たちがやってくる
 ・かきの木通りの西側にはひろい道がある
 ・早通のまわりには海のように田んぼがつづいている
 ・地図
 ・きみたちに誓うこと ・約束
 ・わたしの場所・あなたの場所

関連エントリー
季刊「住 む。」春号No.25/aki's STOCKTAKING
季刊“住む”を購入/藍blog
タイニーハウス/MyPlace
「住む。」 秋号:タイニーハウス・ゲーム/MyPlace
ヤマカガシ/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 05:30 PM | コメント (14)

March 23, 2008

開花宣言:小鳥たちにサンキュ

Sakura2008-1S.jpg Sakura2008-2S.jpg きのう、東京でもさくらの開花宣言がされた。
神田川沿いの、椿山荘とならび関口芭蕉庵と水神社の間の坂を上れば永青文庫があるところに橋がかかっている。そのたもとにある桜は、毎年いちばん早く花をつける。その代わり、色がうすくて、ほんのり紅をふくんだ白というところだから夜の水銀灯や曇りの光ではさみしげだが、晴れた日にはほのかなやさしさが好ましい。
Googleマップの衛星写真で見ると、ここも桜の季節だ。
 その花には、かならず雀とひよどりが待ちかねたようにやってきて花をつつく。けしからんやつらだと言えないこともないのだが、毎年ぼくは、通りがかりに彼らが落とした花を拾いあつめる。そのままにしておけば、人や車に踏まれてしまうやつを、器に水を張って浮かべてやるのだ。土曜日だったからゆっくり家を出たので昼過ぎに通りかかると、少し萎れている花がある。ひとつひとつ、水あげしてやろうと思って手に取ると、萼と雄蕊はあるけれど雌蕊がない。雌蕊を残して花びらと雄蕊だけが落とされているのだろうか、それとも雌蕊はたべちゃったのだろうか。だから水あげといっても、柄がないので花びらと萼の根もとをちょっと切るだけなのだ。
 椿の花にやってきて嘴を入れるメジロのように、やはり花の蜜を吸いに来るのだろうか。椿の花は雄蕊がつくる円筒形のうつわの底にあまい蜜がある。桜はどこに甘いところがあるだろう。枝には雌蕊と萼が残されていのだろうか、それとも鳥に食べられてしまっているのだろうか。また明日、枝に残された花の様子を見てみよう。椿の花なら指先を触れてちょっとなめてみれば分かるけれど、ちいさな桜の花では指先は入らない。どうやればいいだろう。

投稿者 玉井一匡 : 02:31 PM | コメント (4)

March 19, 2008

FONナイト08

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ひと月ほど前にfonからメールが届いた。fonの1周年を記念したイベントをひらくので、申し込んだ会員を抽選で招待するというのだった。どういうものか見てみようかと思って応募すると、数日前に招待メールが来た。
FONの創立者でCEOのMartin Varsavskyの挨拶から始まった。提携しているライブドアや九十九電機など各社の社長の挨拶がつづくので、その間にエントリーすることにした。
会場はなかなかの盛況で、行列してピザやパスタという食べ物と、ワイン、ビール、ソフトドリンクを手に入れる。とりあえず腹ごしらえをしたあとでMacBookを取り出し、もちろんfonにつなげてこれを書いている。パナソニックのskype対応WiFiフォンと、ソニー版iPod touchのようなmyloが数台置いてあって試用できるのだが、あまり物欲をそそるデザインではないせいか、skypeで電話をかけてみようという気にならなかったと、あとになって気づいた。

MacBookを開いているやつは、意外にも、ぼくのほかには一人か二人しか見あたらない。
「一宿」はないにしても「一飯」の恩義が生じた身としては、さすがに批判的なことを現場で書くのはきがひける。ここまでで中断した。

 ぼくが勝手に想像していたのは・・・ iPod touchやMacBookを、いやvaioでもいいが、そういうものを開いているやつらが沢山いて、ブログに書き込んだりSkypeで外国と交信したりしているという様子だった。この会場のようすがライブ映像で送られるなんてことは、たいして面倒なことじゃあないだろうに、そんなこともなかった。もっとも、みんながそんなことをしたら、遅くなってしょうがないか。
原宿のYMスクエアという商業ビルの2フロアをつかうトラットリア ベニーレ ベニーレというイタリアンレストランが会場で、5階がパーティー会場、6階にパナソニックとソニーの新製品が展示してあって、そこから吹抜を通して下を見ることができる。アップロードした写真は吹抜から撮ったものだが、これを見ても新製品発表会という趣きだ。
 入り口の近くにはカウボーイハットにショートパンツという若い女の子たちがいる。彼女たちと一緒に記念撮影をとよびかける。しかもポラロイドカメラで写真をとるのだ。広告代理店が既製の販促イベントセットを組み合わせて考えたのだろうか。おい広告代理店、これはメディアの最前線なんだぞ。

 はじめに、Martin Varsavsky氏が話したところによれば、日本のfonは、ユーザー主導という点で特異な存在なのだという。だとすれば、来年も記念イベントをするなら、原宿のようなまちだけに人を集めるより、fonのアクセスポイントをつかって日本中、世界中とつなげるイベントをやるほうがおもしろいんじゃないか。
 なんて、批判ばかりしてしまったが、fon自身がそんなにもうけようというビジネスではないからメーカーの協力をたよりにイベントをしなければならず、つらいところなのかもしれない。fonの画面は、少しずつ着実に変わっているのはたしかだし、博多の天神に数百台のfonを置いてWiFiでカバーするという計画のリポートなどもあった。
 そうそう、ひとり素敵なひとがいた。長身、長い金髪、人混みの中でコンパクトデジカメを高く構えて笑顔の魅力的なひとが。おわりのころに、Martin Varsavsky氏と親しく話していたから、彼の同行者なのだろう。Martin Varsavsky自身も、長身、ひとなつこい笑顔の持ち主で、fonの志は持続してくれることを信じたいと思った。

■追記 あとになって、Martin Varsavskyのブログを見ていたら会場のスナップ写真がある。その中にぼくの写真があった。 会場でストロボに気づいて振り向いたら、上に書いた素敵なお嬢さんがこちらにカメラを構えてにっこりとしてくれたことがあったけれど、たぶんこれがそのときの写真だろう。ぼくも、もちろん、思わずにっこりしてしまいました。その後、よく見ると,53枚の写真のうちにぼくが3枚も登場している・・・これは、ささやかな自慢であります。「ウォーリーをさがせ」のようですが。

投稿者 玉井一匡 : 09:18 PM | コメント (4)

March 12, 2008

春の塔:「ふきのとう」と「とうな」

Fukinotoh1S.jpgClick to OpenPackage

 宅急便の小さな包みがとどいた。送り状のシールの品名欄には「遅すぎた春の香」と書いてあって、ほかに「午前中」と「ナマモノ」というシールが二枚。つつみの軽さとはかなげな手ごたえと「ご依頼主」の氏名から、中に何があるのかは想像がつく。
・・・開いてみると、案の定の香りがこぼれる。ふきのとうだ。
以前に送っていただいたのはいつだったか、エントリーを検索すると「ふきのとう・?・檸檬」というエントリーで、3年前の3月2日だった。
「このくらいに咲いたのが、あと20ケくらい、明日はぐーんとのびて20〜30cmくらいになるでしょう。」と書かれた背の高いのが1本、中くらいのが1本。ぼくたちの食べるふきのとうの茎の5~6倍ある。それを見て、本当はこれが蕗の「塔」なんだと気づいた。

 都会の川の斜面などで、だれにも食われることなく生き延びたふきのとうは、視界に入っていたはずだが初めて見たとしか思えない。無意識のうちに、食えないやつはふきのとうという概念から排除していたのだ。これが「海馬」のはたらきなんだろう。夜には自宅へ連れ帰ったが日付がかわっていたので、天ぷらを揚げて食べようとはさすがに思わない時間になってしまった。とはいえ香りの飛ばないうちに加工しておきたいので、みんなふきのとう味噌をつくった。・・・また飯が進む。

TohnaS.jpgClick to PopuP いま、これを書いている新潟には「とうな」というのがある。冬の終わり春の初めという季節、菜っ葉に塔が立ってはいるが外からはまだ蕾が見えないというくらいのやつを食べるのだ。菜の花は、花のつぼみたちが主役だが、とうなは茎だ。といっても、塔の立った菜っぱの一般ではなくて、そうやって食べるための品種がある。
 おひたし、味噌汁、煮物などにさっと熱を通して食べると、独特の香りとほんのり甘みがあるのうまい。ところがその甘さは、時間とともにみるみるうちに減ってゆく。トウモロコシや枝豆と同じように、とうなはその変化がはやい。だからなんだろうが、かつてはスーパーなどでは買えない季節の味だったが、保存と輸送の技術と品種改良のおかげなのだろう、この頃では地域ブランドをつけた「女池菜」とか「こばり菜」と呼ばれるものがスーパーで買えるようになった。ぼくは「塔菜」なんだと思っていたのだが「冬菜」と書いてあるのもある。しかし、畑からとれたてのやつにはとてもかなわないとおもうのだが。・・・と書いたら、なんと翌朝に、作一さんがとれたてを届けてくださった。

 「ふきのとう」のかすかな苦みや、「とうな」の甘みのようなほのかな味で季節の変わり目を楽しむというのは、いい文化だと思う。

投稿者 玉井一匡 : 12:03 PM | コメント (7)

March 10, 2008

Hopper's Places' Place

AnneHopperS.jpgClick to PopuP
日曜日の閉店間際のカフェ杏奴に寄った。
nOzさんがメールを下さった。「僕らはきのう、杏奴にこっそり本を置いてきました。もちろんママさんには了解を得てあるから、ホントにこっそりではないんだけれど。」というので、その「杏奴でニヤリ作戦」の首尾を、そしてその本を見たかったからだ。平日には営業時間に行くのがなかなか難しくて、土曜日の事務所への行き帰りか日曜日になってしまう。それが、日曜の閉店間際になった。
「いま、いのうえさんがお帰りになったところです」
いのうえさんとはすれ違いが多いのだ。
窓際の席についてMacBookを開いたらつながって、ちゃーんとKARAKARA-factoryが見られる。
「コメントを書いたらnOzさんよろこぶよ」と言ったが
「いままで、休みの時にネットカフェでブログを読むだけで、キーボードで入力できないからコメントも書いたことがないんです」
ぼくがタイピストになって口述筆記で、KARAKARA-factoryにコメントを書きこんだ。
「へーえ、じゃあ今、これをむこうで読めるんですね」
という感動がぼくにも伝染する。

nOzさんのHOPPER'S PLACESという本は、エドワード・ホッパーの絵描いた風景画とそれを描いた場所を同じ視点から撮った写真を並列してあって比較しながら見られるのがとても楽しい。AKIさんも注文して、もう届いたそうだが、ぼくもほしくなってしまった。いのうえさんの本はハードカバーでこれはペーパーバックスの第二版らしい。カフェ杏奴の空気には、ホッパーの描くアメリカの、都会でない風景が合うようだ。
「今とむかし廣重名所江戸百景帖」(暮らしの手帖刊)という本をぼくも持っている。広重の描いた江戸と現在の、といっても今ではもう20年ほど経ってしまいいたのだが、それを見ると東京は、すっかりしかもつまらない方向に変わってしまっている。大都市と小さなまちの違いはあるにしても、大量消費をぼくたちに植え付けたはずのアメリカは、東京とくらべればむかしと変わらない風景を残している。

 杏奴ママが画面をのぞき込んでいるところをMacBookがPHOTO BOOTHで撮った。
「まさかあの写真を載せるんじゃないでしょうね」
「もちろん、のせますよ」と言ったのだが
Photoshopですこし加工しておこう

投稿者 玉井一匡 : 01:00 PM | コメント (6)

March 03, 2008

ひな祭りに

HinaBaraS.jpgClick to PopuP
 まだ冷たい風の中に春が潜むこの季節の気配を感じると、ぼくはなにやらうれしくなって、こころが騒いでくる。
なにも人形が好きだというわけではなくて、そういう理由からなのだが、いい歳をして雛祭りというやつが好きだ。こどもがふたりとも娘であることに乗じてそれらしいものを食べたくなる。一日はやい3月2日だったが日曜日にばらちらしをつくることにした。
 冷蔵庫にレタス、冷凍庫に小エビと生食用のホタテ、正月の残りの手まり麩を発見した。99円ショップで買ったアボガドが窓際にひとつ置いてあった。干し椎茸は探したがみつからない。スーパーで刺身用サーモン、菜の花、穴子を買う。サラダ用にトマト、アスパラガス、カイワレ大根、それにエリンギと卵。
 娘の友人が天草から太刀魚をことづかってきたというメールを受けて、娘が受け取りに行った。持ち帰ったビニール袋には7、8匹ほどが入っていた。そのときにはもう、他のものはできあがっている。さて、どうやって食べようか。早く、そしてなによりもうまく食べたい。ちょっと切って食べてみたら、充分に刺身でも食べられるぞ。
最後に帰ってきた次女は、ケーキを連れてきた。

HinaQuatroS.jpgClick to PopuPHinaSaladS.jpg 献立は、吸い物(手まり麩とエリンギにカイワレを浮かす)、サラダ(レタス・ちびトマト・ホタテ・アボカド・カイワレ)、茶碗蒸し(エビ・ホタテ)、ばらちらし(穴子・エビ・菜の花・サーモン・卵焼き)太刀魚の刺身、太刀魚のムニエル
ぼくの料理はほとんど自己流だが、寿司酢の割合はすぐに忘れるので「美味しい方程式」を参考書にするけれど少し甘すぎるから少し酢をふやす。ばらちらしというやつは、さほど手間がかからないわりに華やかで春めいている。というか、ぼくはそういう風につくりたいのだ。
米を炊くときに昆布と酒をすこし加えるのと、卵焼きをつくり、あとは、生の魚や菜の花を味の濃いダシにしばらく浸しておき、さいごに盛りつけるくらいのものだ。一昨年のクリスマスに、娘の友人がスペイン人の腕によりをかけてパエリアをつくってくれたことがあったが、写真を見てみると、ちらしもサラダも、なんだかパエリアとデザインが似ている。あれに、影響を受けているのかもしれない。同じ材料を繰り返して使っていると、後になって思うが、無意識に材料を節約しているのだろう。
 結局、太刀魚は刺身とムニエルにしたのだけれど、早く食べたい一心で薄い身を三枚におろすのに苦労したから盛りつけがすこぶる雑になってしまった。しかし、天草からわざわざ持ってきてくれただけあって、刺身にして食べたのは初めてだったからなおさらだが、とてもうまい。森枝さんが、自分で釣ってきてくれたのだろう。せっかくなら、もうすこし美しく盛りつければいいのにとあとで思ったが、食べたいばかりに気がはやっていた。おろしながら、半身は自分で食べてしまった。
そういえば、加工する前の太刀魚たちの集合写真を撮らなかった。頭としっぽを裁ち落としてあったので、ちょっと残念だと思ったからなんだろう。

投稿者 玉井一匡 : 11:58 PM | コメント (8)