April 29, 2008

マーフィーの戦い

MurphyNovel.jpg/「マーフィーの戦い」/マックス・カトー著 佐和誠訳/早川書房/今は古本しかないが初版1972年に560円

なぜか先週から新たに写真をアップロードすることができなくなってしまったが、原因がわからないままに、ふたたび写真をアップロードできるようになって、図書館から借りた「マーフィーの戦争」の写真を加えたので、初めての文字だけのエントリーはなくなった。
先日、aki's STOCKTAKINGでラジコンの水陸両用飛行機を紹介するエントリー「Grumman J2F5 Duck」があった。東事務所時代の秋山さんの同僚で、ぼくにとっては事務所の先輩である坂本宏昭さんが、映画「マーフィーの戦い」を再現したくなって、ラジコンのGrumman Duckをつくってしまったのだという。離着陸するDuckのビデオも添えられていて、ラジコンであることをつい忘れてしまい、胸おどらさずにはいられない。kawaさんとiGaさんのコメントへの返信コメントに、小説もあると書かれていたので、中野図書館で検索して注文したとコメントを書いた。するとAKIさんから電話の追撃。
ピーター・オトゥールがマーフィーを演じ、たったひとり水上飛行機を操縦して、アマゾンに浮かぶ島を舞台にドイツのUボートと戦うのだという。なるほど、ピーターオトゥールか。
「最後はねえ・・・・」と、AKIさんは続けようとした。・・・おっと、待ってほしい。
ぼくはまだ読んでもいない見てもいないのだ。まだ結末は聞きたくないと、なんとか押しとどめた。

弱い立場のやつが強いやつらを退治するという物語は、四十七士や高倉健の任侠ものから舞の海に至るまで日本人の大好きな判官贔屓だが、ホームアローンや真昼の決闘、ロッキーなど、ハリウッド映画にもたくさんあるところを見れば、世界共通の普遍的な好みでもあるわけだ。やむにやまれぬ弱者の力の行使は、いま目の前のチベットの抵抗も、古くはベトナム解放戦線やカストロという実例があったが、国家としてのアメリカは臨機応変に応援したりテロリストだとののしったりしている。

いまはGoogleマップやGoogle Earthという強い味方がぼくたちにはある。まずは、物語の始まるところ、ナイジェリアのラゴスの地形やまちを見る。物語に従って、ときに近づきあるいは上空に高くのぼり、地図に変え、マーフィーのあとを追う。戦いの背景に想像がふくらんでゆく。

おんぼろの艦載機をふるいたたせてUボートに戦いを挑む主人公の行動は、いってみれば常軌を逸している。にもかかわらず、読者も周囲の登場人物も、彼と行動をともにさせてしまうだけの現実感が、この物語にはある。しかもマーフィーは黒人にいわれなき差別意識をもっている。腹に蛇の彫物をつけ、女をまずはセックスの対象として見るようなやつだ。にもかかわらず、ぼくたちは彼を愛し行動をともにすることができる。それは、作者が配した登場人物のつくりかたに多くをよっているのだろう。学校にも行かなかったのに、マーフィーよりもはるかに知的な「二グロ」、いやマーフィーだって孤児だったからやっとのことで生き抜いてきたというやつなのに聖書やギリシャ古典の引用が口をつく。軟弱なやさしいフランス人、お祖父さんがアフリカ人だったベルギー人の看護婦。
Uボートに乗っているドイツ兵もひとりの人間として描かれているし、艦長はポーランド系だ。彼らにも奪われた平和なときや、享受すべき喜びがあったことも伝えられる。敵と味方、善と悪という単純なレイアで構成されているわけではない。もちろん、戦場の悲惨も充分に描かれる。シルベスタ・スタローンでなく、ピーター・オトゥールが演じたということをぼくは知っているから、それだけでも、読み方が変わるのだ。

図書館から借りてきた朝は雨が降っていた。
だから、ぼくは自転車でなく電車で行けることを喜んだ。本を読めるからだ。スワンタッチもつかえる。
にもかかわらず、その朝ぼくは、自宅にこの本を置き忘れてしまった、悔しい人として一日をすごした。
そして、以後、引き込まれた。
ストーリーの展開を書くわけにはいかないのが残念だが、面白かった。
TSUTAYAのサイトでは、レンタルのビデオもDVDもまだみつからないので、映画は見ていないのだが、離水するところが見たいものだ。Uボートも。

投稿者 玉井一匡 : 07:45 AM | コメント (8)

April 18, 2008

伊東屋のアイコン:クリップと月球儀

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 鉛筆、消しゴム、パステル、定規、ハサミ・・・たくさんの種類の文具がMacの中に置き換えられるようになって二十有余年。そうしてMacを愛しているにもかかわらず、ぼくたちは自分の手で書いたり切ったりする道具のことを大好きだと、いまも想いつづけている。そういう時代にあって文具をあつかう店の「看板」として何を選ぶかというのは、当事者にとってはなかなか大変な、はたからすればとても興味深いことだ。伊東屋は、それにジェムクリップを選んだらしいと、つい最近になって気づいた。

 先日、銀座の伊東屋に行ったとき、スワンタッチといっしょに、もうひとつ買ったのが赤い大きなジェムクリップだった。ひとつ350円は、クリップとしてはとても高いかもしれない。しかし、ぼくはネクタイピンとして使おうと思ったから、そう考えればとても安いということになる。かつて、クロムメッキのジェムクリップの大きいやつをタイピンにしていたことがあるのだけれど、ほどよい大きさのやつがない。これでも少し小さいしバネが強すぎるけれど、伊東屋のアイコンでもあるから、間に合わせでやっているとは思わせないところがある。

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 うちの事務所には小物の文具をいれておく3段の小さな引き出しがある。ぼくはそれを「書く」「切る」「つなぐ」の3種類に分類した。ほんとうはもうひとつ「測る」の引き出しがほしいのだが、測った結果はぼくのメモリーのどこかに書き込むわけだから、それは「書く」に入れることにする。そうすれば、おおかたの文具はこの3つの分類のどれかにおさまるのだ。ふつうのジェムクリップは、「つなぐ」のひきだしに入れてある。
文具屋のアイコンを決めるにあたって、伊東屋は「つなぐ」ということを大切にしたいと考えたのだろう。それは、とてもすてきなことだと思う。しかし、ぼくの個人的な思い出としては月球儀が伊東屋のアイコンで、ぼくを伊東屋につないでくれるのだ。

 ぼくたちの学生だった時代、宇宙船によって月の裏側が見えるようになったので月は大きな関心の対象だった。だからだろう、銀座伊東屋の地球儀を置いてあるコーナーに「月球儀」というのが置かれるようになった。それにはひとつ、地球儀とはちがうところがあった。固定する軸がなくプラスティック製の円筒の上にスイカのように載せられているだけだった。
もちろん、それを手に取って見たのだが、ぼくは手に汗をかく質なので、ツルリと手から離れて地球の引力に負けた。拾い上げると、当然のように大きくひびが入っている。たしか2万円以上だったから、持ち合わせなどあるはずもないけれど、レジの近くに年配の男の人がいたので、それを持っていって謝った。
 すると、「固定していないので気をつけてくださいということを表示していなかったのは私どもの手落ちです。けっこうです。」と言ってくれた。以来、ぼくは伊東屋に恩を感じ続けている。だから、ぼくにとって個人的な伊東屋のアイコンは、いつまでも月球儀なのだ。先日、その置き場を見てみると、あのときと同じコーナーに、やはりプラスティックの低い円筒の台に月球儀は載っていた。しかし、いまでも、落とさないようにという注意書きはない。

 ぼくは一年のうち350日前後をジーンズですごすのだが、それにワイシャツとネクタイといういでたちが好きなのだ。
しかし、扇情的な口紅のような赤い色のクリップは、どのネクタイに合うだろうと考えると、なかなかむずかしい。

投稿者 玉井一匡 : 11:12 AM | コメント (6)

April 11, 2008

スワンタッチ:次のページに移ってくれるしおり

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先日、何回目かの入院をしたMacBookを引き取りにアップルストアに行ったとき、銀座の伊東屋に寄った。
aki's STOCKTAKINGにエントリーされていたSYROの秤を伊東屋であつかっているというのでそれを見ようと思ったのだが、展示はしていなかった。なかなか高いらしいからすぐに注文をするというわけでもないので、在庫をたずねるのは遠慮して、あちらこちらを見て回っているうちに、興味深いものがあった。
「はさみかえ不要のしおりスワンタッチ」というものだ。ぼくには、本を読む時にしおりが欠かせない。学生時代から新潮文庫には紐のしおりがついているので好きだったが、紐しおりのある本は近頃は少ない。だから、このごろは付箋紙の大きいやつをしおりとメモを兼用させて使うことが多い。
 このスワンタッチは、読み進んでもしおりを差し替えないでいいというのだ。しかも150円だ。じっさいにどういう具合なのか早く知りたくて、店を出ると歩道で包みを開きさっそく試してみた。

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その名の通りスワンの形をした薄いポリプロピレンの板にすぎない。色は、赤、黄色、緑、水色などがあるが黒にした。裏側に両面テープ(はがせるタイプ)がつけてあるので、スワンの首と本の上端の間に1〜2mmの隙間をあけて終わりのページの左上の隅に貼りつける。そして、しおりとしてスワンの頭を件のページにはさむ、それだけ。・・・ページをめくると、頭も自動的に次のページに移動する。くちばしの曲線と首の長さ、板の弾性と厚さ、それらのバランスが絶妙なのだ。
かくもシンプルな仕掛けでありながら、すこぶる具合がよい。しおりを落とすこともない。すてきな発明だ。こういうのを頭のいい発明というのだとぼくは思う。そして感動する。
 当然ながら、どんな人が考えたのだろうと知りたくなる。Googleでさがすと、発明者である板橋区赤塚の高橋健司さん(高橋金型サービス)のインタビューがあった。いたばし らいふ.comというサイトの「板橋なひと」というインタビュー欄だ。プラスティック製品の金型の職人として45年、これをつくってからすでに15、6年も経つというのに、どうして、今まで知らなかったのだろう。
 プラスティックの板を型抜きしたものだとばかり思っていたが、じつは金型をつくり二個所から流し込んで1mmの厚さのスワンをつくるのだと目もくらむようなことを聞けば、ますます尊敬せずにはいられない。注入したのはどこなのだろうと気になってさがしてみると、なるほど2個所みつかった。端に表面のエンボスがなくて、やや光沢のあるところがある。首の折れ目にひとつ、尾にあたるところにひとつ。材料が回りやすいという点からも、ここにちがいない。
さらにもうひとつ、すてきなことがある。製造は、近所にある赤塚福祉園という福祉施設が担当しているのだという。
しいて難をいえば、パッケージがちょっと垢抜けないが、それも町工場でつくられたしるしだと思えば、むしろいとおしい。スワンタッチという商品名は、スワンとワンタッチをつなげたものなんだろう。
東急ハンズやLoftなどでも売っているそうです。

投稿者 玉井一匡 : 09:46 AM | コメント (10)

April 06, 2008

自立する水槽

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自宅の玄関前に甕をおいてある。
水面にほそい葉を延ばすヒメイグサと浮き草は園芸店で買ってきた。買ったのはそれだけだ。
甕は畑にころがっているのをもってきたもので、もしかすると肥溜めとして使われていたのかも知れない。さくらの花は、一輪ずつヒヨドリが道に落としたものを朝の散歩で拾った、水面でいたんだやつを少しずつあたらしいものととりかえる。浮き草の隙間に一輪ずつ置いたさくらはよほどの風でも吹かないかぎり移動しないので、自在に画を描くことができる。枝についているさくらを生けるよりかえっておもしろいかもしれない。水面下にいる金魚はすんでのところで捨てられようとしていたのをもらってきた。

高級種のランチュウだが、選別されてはねられたやつらなのだ。友人の知人にランチュウの稚魚を選別するプロがいて、まだ黒くて体長が2cm足らずの稚魚のときに素性の善し悪しをみわける。選ばれなかったやつは、ほしければいくらでもあげるっていうんだが何匹ほしいかと友人が言ってくれたので、10匹ほどをもらって小さい頃はガラスの水槽で育て、色がついた頃にここに入れた。ランチュウは、本来は頭がデコボコにふくらむものだが、このなかでふくらんだやつは1匹もいなかった。畏るべき眼力だ。ぼくはむしろ頭のデコボコはないほうがいいなと思っている。
 浮き草はアマゾンフロッグピットという種類らしいが、たいへんな繁殖力で表面をおおいつくしてランチュウを猫からまもり、その金魚はボウフラを食べてくれる。もう何年も蒸発した分の水を補給するだけで掃除というものをしたことがない。藺草かホテイアオイについてきたタニシが、金魚の排泄物をなんとかしてしまうのだろう。ランチュウのエサは、このシステムの外から供給するが、ほぼ独立した生態系ができている。(冬は冬眠するからだろうエサをやらなくても大丈夫)それが人間の作ったシステムから捨てられたようなものだけで成り立っているのが、なんだかちょっといい気分なのだ。

投稿者 玉井一匡 : 10:36 AM | コメント (0)