July 06, 2008

「住む」夏号・小さな平屋

SumuSummer2008.jpg「住む」夏号 2008年

 先日、季刊「住む」の夏号が届いた。特集は、「小さな平屋」
小さないえに住むということは、壁のむこう側に、まちや庭や自然が多いということだ
平屋に住むとは、天井と屋根のうえには空があり太陽があり、床の下には土があるということだ
ぼくたちが「小さな平屋」に好もしい思いをいだくのはのはそのためなんじゃないか
マンションでは、壁の向こうにも天井の上にも床の下にも隣人がいる
・・・ということをなんとかして忘れたいと思いながら暮らしているし
それを実現するよう心がけながら設計している
住むことを考える雑誌にとって「小さな平屋」は、すこぶる自然なテーマなのだ。

 春に、編集長の山田さんから電話をいただいた。
林芙美子のすまいについてのエントリーをブログで読んだが、次号の特集の「小さな平屋」のひとつとしてこのいえを取り上げたいから、それについて書いてくれないかと。
むろんぼくはそれをお引き受けしたのだが、それが「東西南北 風の吹き抜ける家 林芙美子の終の住処」という4ページになって「住む」夏号が届けられたのだった。
たくさんの小さな写真をちりばめた、スライドショーのような構成になっていた。

Sumu2008NatsuS.jpg このいえは、いまのものさしで面積や敷地を見れば「小さな平屋」とは言えないかもしれない。けれども、ここが芙美子の仕事場であり夫のアトリエでもあったことを念頭において差し引きしてみると、住まいはけっして大きくはない。しかも、苦労の末にベストセラー作家になってやっとつくりあげた「ついのすみか」だ、この際でかい家をつくりたいと思っても当たり前なのだから、それをもうひとつ差し引くと、やはり小さな平屋なんだと思う。
 芙美子が亡くなったあと夫の緑敏が住んだが、彼が亡くなったあとに新宿区が買い上げて、いまは林芙美子記念館となっている。通りがかりにときどき寄るぼくのような人間にとっても、すこしだけれど自分の場所の一部として感じられるということを、このブログで書いた。
「林芙美子の住んでいた家:林芙美子記念館」というエントリーだ。

Umihe1.jpg この「住む」を開いてみると、つい先日はじめてあったばかりの興味深い人もでていたので、やあ先日はどうもという気分になった。微生物が分解しやすくて川や海をよごさない洗剤をつくった人だ。
 6月2つ目の日曜日を前にした木曜日だったか、長女が電話をよこした。
「日曜日に洗剤の話を聞きに行くんだけど、一緒に行かない?父の日だから」
わざわざそんなことを言ってくるんだから、面白い話なんだろうと、わけもきかずに、行くよと答えた。
三軒茶屋のfrom Earth cafe オハナという店が会場で、参加者10人ほどが店の奥の席にいた。数本の試験管を店のカウンターに試験管を数本と沢山の市販の洗剤がならんでいる。それから、およそ3時間、きっとサーフィンのせいで日に焼けた、短パンの人物によって「界面活性剤」がどうやって汚れを落とすのか、それがなぜ海を汚すのかという実験がつづけられた。いくらでも質問を歓迎してくれるから、面白がっているうちに映画2本分の時間が過ぎた。
そのひと木村正宏氏のことが、「界面活性剤って何ですか?」として掲載されていた。父の日のプレゼントには、ちょっと変だけどと娘は言って、ゴムのツブツブを絡ませたタオルと葉っぱの形の布巾、洗濯洗剤を買ってくれた。洗濯洗剤の名は「海へ」という。ちなみに、食器洗剤は「森と」というのだ。

 あらゆる生物は、環境に合わせて自身の生き方と身体を変えて生き続けてきた。ただひとつの例外、人間という種だけが環境を自分に合わせて変えることで生きつづけてきた。人間だけが文明をもっていると言ってそれを誇りにした。その結果、環境がすっかり壊れそうになった。
 環境をまもるのは、つきつめれがかんたんなことだ。小さく生きればいい・・・この特集をふくらませると、そういうことになる。

現実のこの世界は、大きく生きるやつらと、細々と生きてもう少しで生きられなくなりそうな人たちが、同じ時間にいるのだ。


 

 

投稿者 玉井一匡 : 07:00 AM | コメント (13)