August 30, 2008

存在しない少女

EfaNoSchoolS.jpgclick to Jump to Vietnam.
 「お母さんげんきですか?」と書かれた、左上の写真をクリックすると、「エファジャパン紹介映像」というページにゆく。そこにあるふたつ目の写真に「エファジャパンのCM」と書かれている。クリックするとベトナムの少女フォンを紹介するムービーが始まって、彼女の現在の生活とそれをもたらした環境、そこで彼女がどのように生きているのか、彼女をどう支援しているのかを伝える。
ムービーはわずか2分。フォンの屈託のない表情は見るものをむしろ元気づける。
それと同時に、制度というものについて考えさせられる。

 少女の母は刑務所にいる。麻薬を売買したためだ。だから、フォンはみずから生きる糧を手に入れなければならない。親がいても、子供の稼ぎに依存しなければならない家庭では学校に行けない子供たちは多い。ましてや親と暮らすことのできない子供が学校に行けるはずはないだろうが、たとえ母が帰ってきてもフォンは学校には行けない。出生届が出されてなかったからだ。
つまり、この子は制度の上ではこの世に存在しないことになっているのだ。

 少女が出生を認めてもらって学校に行くことは可能なのだろうかと、このムービーを初めて見せてもらったあとにエファの事務局長の大島さんにたずねると、できまないのだと言下にいう。
大島さんは、東南アジアのほかバングラデシュ、ソマリア、エチオピアなどで、何十年も活動を続けてきた人だから、制度がこの少女をどう扱うかをわかっているのだ。
「学校だけでなくて、あらゆる社会サービスを一生受けるられないんですよ。」
これからの数十年の長い時間を、彼女は制度の中には存在しない人間のまま生きなければならない。ここでは、そういう子供はすこしも珍しくないのだ。国が内戦のさなかにあれば、制度に裏打ちされた社会、逆に言えば制度を保証する主体さえ機能しない。建設の途上の国にあって、社会サービスの突出する国がとなりにあれば、そこにひとは集中することになるだろうから、彼女のようなひとを認知させるのは容易ではないわけだ。
 NGOは、国家の制度が作り出す排他的な境界をやわらげるために活動しているのだが、一方では投機として石油を売買し利益をあげ、それによって世界中に物価の高騰をひきおこす連中がいる。

エファジャパンは、旧インドシナ三国のこどもたちを支援しているNGOだが、つぎのような「ミッション」を掲げて活動していることを説明している。
「すべての子どもが生きる力を存分に発揮できる社会をめざし、子どもの権利を実現するために活動します」
・efaとは empowerment for all (すべてのひとに力を)の略だ。(「エファについて」というページを参照してください)
■関連エントリー:大石芳野写真展

投稿者 玉井一匡 : 12:19 PM | コメント (0)

August 16, 2008

七十二候 寒蝉鳴(ひぐらしなく)

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 七十二候ということばをぼくが知るようになってから、じつはまだふた月ほどにすぎない。
「住まいネット新聞・びお」は新聞の体裁をとったウェブサイトだが、そのタイトルのわきの欄、新聞でいえばコラムにあたるような「びお・七十二候」という小さな欄がある。小さな欄といってもクリックすると1ページをつかってその季節とことばについて書かれている。ぼくたちは時間を季節というかたちの環境の変化によって感知しているのだと、読むごとに確認するのがたのしい。
 この72という数は24×3、つまり、二十四節気のそれぞれを三つにわけたものだから、一年で72になる。それを毎年くりかえすという時間の概念は、ぼくたちの住むところが、季節の変化のゆたかな場所であることを物語る。

今日は、七十二候「寒蝉鳴く」。二十四節気でいえば「立秋」、今年は8月8日。
ヒグラシは「蜩」でなくて「寒蝉」とも書くのだと知った。

「住まいネット新聞・びお」をはじめるにあたって、発行人たる小池一三さんは、ほぼ日刊ならぬ「ほぼ週刊」のウェブサイトにしたいのだとおっしゃっていた。その、ほぼ一週間という時間の単位として「節気」を使うことにしたわけだ。上記の逆算で、五日ごとに変わる節気を72あつめれば5×72=360で、ほぼ一年になるというわけだ。

 時間の座標を、季節の変化と人間の暮らしのかかわりかたで表現するというのは、とてもすてきなことだと、つくづく思う。時間を自然環境の変化によって表示するのは、季節の豊かな日本ならではのことだと思ってしまいそうになるが、むしろ、今の日本語のようにドライに数字だけで月をあらわす言語があるとは聞いたことがない。世界を認識するのに、数字でなく自然のありかたを仲立ちにするのは、生物としての人間にとってすこぶる自然なことなのだ。
 動物や植物と気候の変化を時間の指標にしようとすれば、桜の開花時期のように地方によってズレが生じる。だが、国家というものが整備され、情報の交換が進めばどこかの地方の自然の変化を基準にしなければならなかっただろう。だとすれば、ときの中央政府のあったところ、「みやこ」のそれが使われたに違いない。辺鄙な地方に飛ばされた中央の役人などは、歌を詠み手紙を書くたびに時差を実感しただろう。

 1年を12に分割してそれぞれに1から12の数をわりふるというのは、日本に太陽暦が導入されたときに、始められた方法なのだろう。コンピューターを使い始めたころには、数字の大小が時間の位置を表示するのでとても便利だったが、今になってみれば、コンピューターの頭がよくなったから、月を数字で表すメリットはさほどなくなった。
 同じように、住居表示を、丁目・・番・・号という三層の数字によって表すシステムをつくり、町の名称を変えてしまったのも、コンピューターで扱いやすいし全国共通の表示ができるという、一見合理的な理由によるものだったのだろうが、古くから受け継がれてきた地名をぼくたちは数多く抹殺した。それとまったく同じことが、近年の市町村合併でも繰り返されて、たくさんの地名がなくなっている。合併した自治体の名称が、それまでにあったどこかの町や市の名称から継承すると、ほかの自治体が不満を言うのだ。その結果として、たいていはつまらない名になる。
地名を切り捨てて返す刀でちいさなコミュニティを数多くなくしてしまおうとしている。「保守」政党は、こういう「改革」には、なぜかとても前向きなのだ。もっとも、党是に憲法の「改正」を掲げているのだから、不思議なことではないのかもしれない。
 
■追記
これを書いたあと、「住まいネット新聞・びお」の「七十二候」を開いてみると、「寒蝉鳴く」の文章の中に「蝉のカラを集める人」のエントリーを紹介してくださっていたのでおどろいてしまった。

七十二候 (Wikipedia)
二十四節気(Wikipedia)
蝉の殻をあつめる人
蝉のカラ揚げ

投稿者 玉井一匡 : 08:19 AM | コメント (4)

August 13, 2008

蝉のカラ揚げ

SemikaralervesS.jpgClick to PopuP
 ”蝉の殻をあつめる人”のエントリーでChinchiko-Papaのコメントに反応して、蝉の殻を食べてみるとコメントで公言してから、いつのまにか数日が経ってしまった。
意識して引き延ばしたわけではないけれど、ついつい押されてしまったのはやはりいまひとつ美味そうに思えなかったからなのかもしれない。新潟に来た翌日の朝、5匹の抜け殻いや5匹分の抜け殻を集めた。研究する人のために残す配慮はいらないから、すこし多めにとってきたのだ。それを、AKIさんが泊まった昨夜、やっと食べて見た。

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 天ぷらにしてみるかとも思ったのだが、ころもをつけて揚げれば何でも同じ天ぷらになってしまう。もみじの葉っぱなんてうまいはずもないが、天ぷらにして食べるとけっこううまくなる。だから、カラそのものの味を試したいし、かけことばにも惹かれて、カラあげにすることにした。
 何もつけずに、水で洗って乾かしたやつをそのまま油にいれた。ちょっと揚げすぎたのかもしれない、だいぶ黒っぽい色になった。1匹を秋山さんに強引に勧めた。おそるおそる醤油をつけて食べてみる。たとえば小エビのから揚げなら、いかにもうまそうな匂いがするけれど、こいつは匂いというものがなにもない。エビの殻のように揚げたときに膨らむということもない。まだかまだかと揚げているうちにただ黒っぽくなつだけだった。噛むと細かい破片になって口の中にはりついて、ただ食べにくいだけだ。うーむ、残念ながらすこしもうまくない。とにかく、4匹分を食べた。

 人間だって生物である以上、身体が必要とするものは美味しいと感じるようにできているはずだ。だから、ぼくはうまいと感じるものをたべることにしている。
つまり、うまいと思わないものは、身体が必要としていないのだ。・・・と思う。
味覚というものは人間が食べる必要のあるものや食べてはいけないものを選別するために備わった知覚であるにちがいない。
しかし、ぼくたちの祖先は、あるときは飢えとたたかうために、あるときは好奇心からその知覚の境界に挑んで、旨そうには見えないがじつはうまいというものを発見することで、すこしずつ少しずつ範囲を拡げてきたのに違いない。・・・だが、こいつはダメだと、ぼくは結論づけた。

投稿者 玉井一匡 : 03:14 AM | コメント (10)

August 11, 2008

東京新聞:TOKYOどんぶらこ 中井

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 iGaさんが東京新聞の紙面をわざわざスキャンしたのをメール添付で送ってくださった。カフェ杏奴と林芙美子記念館にかかわる記事だった。
落合界隈のなかなか力の入ったイラスト地図と、そこに描かれている店やみどころについて取材した記事「界隈ルポ」、さらに、関川夏央が林芙美子とその住まいについて書いたゴシップ的文章「『庶民』がつくった古里」という三つ。
 このことは、前日に通りかかって立ち話をしたカフェ杏奴のママに聞いていたが、落合のまちのことを掲載するというので取材に来たけれど、その後は連絡がないから、どんなふうに掲載されるのかされないのか分からないということだった。iGaさんが東京新聞の読者だから、こいつは教えなきゃと思っていたところだ。
 あとになって新聞も見せてもらうと、一面をつかってこれらをレイアウトした紙面は、予想以上に充実している。イラストにはカフェ杏奴が大きく描かれているし、カップもLOVEGARDEN製であることが判別できるほどの精度で描かれている。「界隈ルポ」を見れば、店の内部の写真も掲載されているではないか。

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 関川によれば、林芙美子の死んだときに葬儀委員長をつとめた川端康成は、林芙美子は自身の文学的生命のためにひどいことをしたことがあるが許してやってくれと、通夜の挨拶で言ったという。
ところが、正式の儀式が終わったあとに近所のおかみさんたちが100円の香典をもって続々と弔問に駆けつけて参列者を驚かせたそうだ。文士仲間にどういう迷惑をかけたのかは「出版界、とくに女性作家で、彼女のわがままや意地悪に悩まされなかったものはまれだった」としか書かれていないけれど、文士に嫌われたとしてもおかみさんたちに愛されたのだとすれば、すくなくともその逆よりはずっといいじゃないかとぼくは思う。
 「古里をもたない」と放浪記に書いた林は拘束としての古里から自由だったように、モラルという古里からも自由に生き恋愛をしたが、こうして支持してくれた「庶民」の存在とこの家によって自身の「古里」をつくったと関川は言い、林芙美子がつくりあげた家に見られる「『庶民の力量』にただ感嘆するのみであった。」と続けているが、それは日本がかつて持っていた文化の力であり、その文化は庶民に支えられていたということなのだ。しかし、その力量と眼力はいまやことごとくブランドの吸引力に吸い込まれて、うしなわれてしまおうとしている。

■追記
 この新聞のおかげですてきなことがあったと、杏奴ママが教えてくれた。
 新聞が出たあと、店に女の人から電話がかかってきた。
「店の名からすると鴎外の娘の杏奴と何かのご縁があるんでしょうか」とたずねられた。
かつてぼくが同じ質問をしたときと同じように
鴎外の小説が好きだがとりわけ縁があるわけではないけれど、杏奴という名前が好きなので使わせてもらったと答えたのだろう。
「じつは私の母は鴎外の次女・杏奴なので、新聞を見てご縁があるのかと思い電話をかけてみたくなったのです」
いずれ、いちど店を訪ねてみたいと言って電話を切ったという。
・有名な話だが、森鴎外は自分の子供たちにすべてヨーロッパ風の名前をつけた
 長男・於菟、長女・茉莉、次女・杏奴、次男・不律、三男・類

■関連エントリー
1)カフェ杏奴:こだわりのないということ
2)「住む」夏号・小さな平屋
3)林芙美子の住んでいた家:林芙美子記念館

 

投稿者 玉井一匡 : 01:49 AM | コメント (6)

August 06, 2008

蝉の殻をあつめる人


Semikara1S.jpgClick to PopuP

 クーの散歩をさせていると、いろいろなことにであう。
昨夜は雨が強かったので、夜遅く帰ってから朝とは違うルートをぼくがつれていった。その道に、大きな夏みかんの木が道路ぎわにのびる家があって季節には道にたくさんの実を落とす。拾うのはかっこわるいと思うのだろう、誰も拾わないうちにクルマに踏みつけられる。いまはもう時期を過ぎたけれど、たったひとつだが大きな夏みかんが道路に落ちていた。元気そうだったから拾い上げて連れて帰った。ふたつに切って大型のレモン絞り(100円ショップにある)でジュースにすると砂糖と氷を加えて大きなグラスにちょうど一杯分。
 今朝は、公園の柵のまわりでなにやらつまみ上げている人がいた。通り過ぎるときにちらりと見ると、蝉の抜け殻だった。

Semikara2S.jpg そんなことを言ったら、彼は気を悪くするかも知れないけれど、ちょっと見たところ福田康夫を気むずかしくしたような人だったが好奇心は止められない。
ちょっと引き返してたずねた。
「蝉の抜け殻を集めていらっしゃるんですか?」
気むずかしそうな顔が急に笑顔に変わった。
「ええ、生きているのをつかまえるのはかわいそうだから、殻をあつめるんです。ほら、この小さいのはツクツクホウシ
「ツクツクホウシはこんな小さいんですか?このごろ東京にはミンミンゼミが増えましたね。ぼくたちの子供の頃はアブラゼミばかりで、たまにミンミンをみつけると興奮したものですが」
「そうですね、気候が変わったんです。それに、ミンミンゼミは声が大きいから目立つんです。こちらがミンミンでアブラゼミはこれです。触覚を見ると分かります」
と、教えられてもぼくには区別がわからない。あとで調べてみよう。
「どれくらいの時間で何匹くらい見つかるものですか」
哲学同公園からここ(江古田公園)まで30分から1時間足らずで、40匹くらいでしょうか。見落とすのもあるから、昨日のもあるでしょうがね」
といって、重ねて持っていたもう一つの箱を見せた。その箱は、すでに一杯だった。
「漢方薬にも使われているんですよ」

 箱に重ねたノートには、細かく記録が書かれている。聞きたいことはまだたくさんあるけれど邪魔をしてはいけないと、このあたりで切り上げた。殻は逃げることもないから集めやすい。その数と位置と種類によって気候の生物におよぼす影響がわかるはずだ。まして、長年地中にいるセミのことだ、その間のこともなんらかの形でこの殻に書き込まれているのかもしれない。こどもたちが採っていくと数が狂いますねとたずねると、それは大した数ではないがカラスが食べようと待ちかまえているんだという。

■日本人は昆虫が好きだと言われるが英語版wikipediaの「Cicada」の方が、記述が多いのはちょっとくやしい。
・・・・と思ったのだが、じつは日本語のWikipediaの記述はアブラゼミやミンミンゼミなどの種ごとに、むしろ詳細に書かれている。そういえば、妹の亭主はアメリカ人だが蝉の総称としてのcicadaしか知らない。
セミの家というサイトがある。
■セミが、あの臭いカメムシ属なのだということを、Wikipediaを読んでいてはじめて知った。

wikipediaのセミの記述によれば、漢方では蝉退(せんたい)というそうだ。
■漢方薬として蝉退を売っているこんなオンラインショップもある。
この説明によれば薬効はこう書かれている:疏散風熱・利咽喉・退目翳・定驚カン
解熱作用、鎮静・鎮痙作用

■関連エントリー
蝉の殻をあつめる人
蝉のカラ揚げ

投稿者 玉井一匡 : 11:16 AM | コメント (7)

August 02, 2008

レモングラスティー

LemonGrass1S.jpgClick to PopuP

 昨年、園芸店で売れ残りの貧相な、けれども安い苗を買ってきてプラントボックスに植えたレモングラスが、ことしはすこぶる元気よく育った。
小ぶりのススキという風情だが、ススキよりも葉のみどりが深くて、置き去りにされて育った稲のようで美しいから、朝日を受けた葉群れをほれぼれと見てしまう。この株から毎日のように10枚たらずの葉っぱを切り、半分を朝食のときにレモングラスティーにして、のこりを事務所に連れてゆく。
葉を3、4センチの長さに切ったのをポットに入れてお湯を差し、2,3分ほども置いておけば、お湯はうすいきみどり色に染まる。レモングラスというけれど、ぼくは頭の中にすこしもレモンを思い浮かべることはない。レモングラスはレモングラス以外のなにものでもないのだ。

LemongrassTea1S.jpgClick to PopuP ぼくはハーブティーというものはあまり好きになったことはなかったのに、レモングラスティーだけはクセになった。生のやつをお湯に浮かべただけという野趣も手伝ったのだろう。レモングラスティーをうまいと思ったのはラオスのカフェで飲んだときだったが、そのときにはたくさんの茎がカップの表面に浮かんでいて「ティー」の水面の色は見えないほどだった。ポットにいれず、カップに茎をじかに入れてお湯を注いだんだろう。

LemongrassTea2S.jpgClick to PopuP しかし、自分のうちで育てたレモングラスはもったいなくて、まだ茎を切る気にはならない。だから、ひとつの茎から一枚ずつ、葉っぱを徴収する。そうやっている数日のうちに、また新しい葉を伸ばせばいつまでも減らないと期待しているのだ。奥にあるやつは葉っぱの間をかいくぐって葉を取るから、手前の葉で肘から先に小さな切り傷がたえず、血が出るほどじゃないが、しばらくチカチカする。はじめは指先で葉をちぎっていたが、はさみを使うようになって傷が減った。

■追記・葉と茎:カップに入れたふたつの写真を見ると、別物なのだろうかと気になってWikipediaで調べてみた。
日本語のサイトではみどり色の葉を茂らせるやつが生えている写真しかないが、英語のサイトでは市場の店に積み重ねたものの写真もある。説明によれば、葉っぱはティーとして出荷され、残った茎が束になって市場に出てくるのだという。そういえば、レモングラスの香りってのは、菖蒲湯のときの菖蒲の茎に口をあてて空気を吸い込んだ時の味に似ているような気がする。
Wikipedia(日本語版):レモングラス
Wikipedia(英語版) :lemon grass
 

投稿者 玉井一匡 : 09:27 PM | コメント (4)