September 26, 2008

ヤマボウシの実を食べてみる

Yamabohshi1S.jpgClick to PopuP
 先日、昼メシの帰りに飯田橋駅前を通る道を歩いていると街路樹の半分ほどが舗装の上に小さな実をたくさん落としていた。
直径1cmほどの実に4cmほどの柄があってサクランボを小さくしたような姿をしている。外側が赤い色をしているのだが歩行者たちに踏んづけられ中味の黄色が押し出され道路を、汚らしくしている。とはいえ、銀杏のような悪臭がないから歩く人も避けて通るわけではない。
木を見上げて葉を見ればヤマボウシのようだが、木や花には申しわけないことに、ここの街路樹がヤマボウシだったという記憶がぼくにはなかった。ヤマボウシとハナミズキは花が似ているのに、これは実の形がまったく違う。ハナミズキは、アオキの実のような細長くて真っ赤なやつを数個、枝先にじかにつける。
 実をひとつ拾い上げて、セミの抜け殻以来クセになったのかもしれないが食べてみようと思った。「毒かも知れない」と言われたが、植物は鳥たちにタネを運んでもらいたいから、大部分の植物の実はうまいと思ってもらえるようにつくられているはずだと思った。

Yamaboushi3S.jpgClick to PopuPYamabohshi2S.jpg 小さな実は表面がざらっとしているのに柔らかくて、指先でつまんでみるとポニョポニョして犬の足の肉球のような手応えだ。それを二つに分けて見ると、中味は黄色くてネットリ、ベトベトしている。
 食べてみる。・・・・甘い。なかなかいけるではないか。ちょうどマンゴーのようだ。たくさん集めれば、ヤマボウシジュースができるだろう。ただし、ひとり人分のジュースをつくるには、一体どれほどの数が必要だろう。写真にとって拡大してみると、なかなかグロテスクな面構えではないか。味もそうだが、姿も南国の植物のようだ。
 もどってからWikipediaをひらくと、たしかに書いてある。マンゴーのような味だと。それだけではない。皮も、熟したものはシャリシャリした歯ごたえで甘みがあると書いてある。それをもう一度たしかめて追加しよう。英語版に飛んで見ると、実が皿の上に載っている写真もある。

 ハナミズキは桜のように、葉のでない春先のうちに花をつけるのがうれしいし、紅葉もきれいなうえに実をつけるから野鳥がやってくる。文字通り一石三鳥だと思って、ぼくもひところ植栽につかったけれど、かつて尾崎咢堂(行雄)が東京市長のときにワシントンに贈ったさくらのお返しに日本に来たという来歴のおかげもあって、かなり街路樹などに流行した。できれば植物は在来のものを植える方がいいだろうとぼくは考えるようになったので、その後はあまりつかわなくなった。
ヤマボウシは花より先に葉をつけるし、色も白しかないからずいぶん地味だけれど、日本の在来種だ。両方ともミズキ科だから花の形は似ているけれど印象はずいぶん違う。ところでミズキっていうのはどんな木なのか、ぼくは知らなかったことにきづいた。調べてみたら、なあんだ、いつも公園でみかけながら、なんという木だろうかと気になっていたやつだった。
たしかに、花は違うけれど葉っぱはヤマボウシとよく似ている。

■参照
 ヤマボウシ/Wikipedia
 ヤマボウシ/Wikipedia英語版
 ハナミズキ/Wikipedia
 ハナミズキ/Wikipedia英語版
 ミズキ/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 11:03 PM | コメント (21)

September 23, 2008

老検死官シリ先生がゆく

DoctorSiri.jpg「老検死官シリ先生がゆく」(文庫本)
著者:コリン コッタリル/翻訳・雨沢 泰
出版:ヴィレッジブックス 
価格:945円
 これまでにぼくが読んだ小説でラオスが登場するものといえば、30年近く前に読んだジョン・ル・カレのスパイ小説「スクールボーイ閣下」で、ヴィエンチャンの銀行をつかって資金洗浄をするところが数ページあったくらいのものだ。ラオスを舞台にした小説が日本で出版されたのは、きっとこれが初めてだろう。しかも、革命直後のヴィエンチャンを舞台にする推理小説で、探偵役は老検死官という屈折した設定だ。
 1975年、革命が成功したばかりのヴィエンチャン。主人公である72才の医師シリ先生は、これまで北部のジャングルでパテト・ラオの一員に加わっていた。革命も成就して、やれやれ老後をのんびりすごそうと思っていたのに、革命でみんな逃げてしまって専門家が足りない。検死官になるよう求められるが、シリ先生は生きた人間の治療しかしたことがないと、必死で辞退する。
 しかし、「能力に応じてはたらき、必要に応じて分配する」というコミュニズムの「原理」を持ち出されて、「君には能力があるのだ、能力のある限りは社会のためにつくすべきだ」と言われては抗いようがない。設備も薬品もなく写真のフィルムは1件に3,4枚しか使えないという乏しい状況で、二人の助手とともにラオスでただひとりの検死官として解剖台に向かうことになった。ただひとりだから、ヴィエンチャンだけが守備範囲ではないのだが、そのわりにはのんびりした日々ではじまる。

DoctorSiri2.jpgThe Coroner's Lunch(検死官の昼食)というのはこのことなのだ。わずかな距離を隔てる川の対岸は隣国のひとつであるタイ、この当時はまだ緊張をはらんでいる。作者がラオスの、この時代を選んだのも、緊張とのんびりの対比と重なりを描きたかったからなのだろう。
 そうした日常の中でシリ先生の見つけた事実は、立場と命をあやうくするのだが、やむなく引き受けた検死医のポストだ。もとより先生はポストなんぞにいささかの未練ももたず、クビさえ恐れることもない。あくまでも疑わしい事実を極めようとする。
社会的規範からの逸脱をおそれず、おのれの設けた規範は命をかけて遵守する。
老先生はハードボイルドなのだ。

 革命直後のラオスの様子が描かれているのが興味深いが、著者は1952年生まれバンコク在住のイギリス人で、体育の教師をした後オーストラリアに渡り、のちにタイ、ラオスなどでUNESCOやNGOのもとで活動したそうだから、本人は当時のラオスにいた年齢ではないが、オーストラリアへ逃げ出したラオス人たちに200時間ものインタビューをしたという。
だからなのだろうが、モノが足りない様子や、腐敗を一掃するための革命のあとにまた別の腐敗が始まっている様子をややコミカルにあるいは揶揄するように書いている。けれど、それと戦うシリ先生も、彼に協力する仲間たちも心からラオスのゆるやかな世界を愛している。

 ぼくはこの小説をとても気に入ったのだが、ヴィエンチャンは小さな都市というよりまちだ。シリ先生が自転車やバイクで移動すると、ぼくにはききおぼえのある通りや場所の名がでてくる。重要な協力者である化学の先生が教える国立高校は、ヴィエンチャン市立図書館のために敷地の一画を提供してくれてお隣になったところだ。そういうなじみの場所がでてくるという個人的な事情も、ぼくが気に入った理由のひとつではある。
 ひとつ、推理小説としてはちょっとぼくの気に入らない、超自然的な話が出てくるところがある。推理小説は論理が生命だから、超越的な能力が登場しては台無しになる。さいわいこの小説ではそれが論理を損なうことにはならないのは、謎解きの本筋ではないことと、霊を信じるということがラオスの社会の背景となる事実でもあるからだろう。いまもラオスのひとたちは超自然的な話を信じていると、ヴィエンチャン在住の日本人にうかがったことがある。建物を建てるときに、先祖が夢に出てきて発言したというので家族会議が開かれて議論が深夜に及んだというのだ。そういうところが、社会主義といってもこの国ではゆるやかなものになる理由のひとつかもしれないし、これからは自然をまもることにも力になるかもしれない。

 ラオスびいきの過大評価ではないこと、それに超自然的な話が出ることが本筋にさしたる影響をおよぼさないことを証言してもらうために賞の助けを借りておこう。2004年にアメリカで出版されたが、2007年にはフランス語訳がフランス国鉄ミステリー賞受賞、同年イギリスでは、もっとも権威あるCWA(英国推理作家協会)最優秀長編賞にノミネートされたそうだ。それなのに、はじめに出版したアメリカでは賞をもらっていない。ベトナム以上の爆弾を落としたともいわれるラオスに対してのひけめや忘れたい記憶が、マイナスに働いているんだろうか。

投稿者 玉井一匡 : 10:57 PM | コメント (2)

September 19, 2008

ナローボートのマリーナ

NarrowboatMarinaS.jpgClick to Jump to GoogleMap

 モールトン屋敷のあたりをGoogleマップで散策を続けると、いろいろなものが見つかる。モールトン屋敷の南側の川沿いの工場はモールトン家の家業のゴム製造工場だったのだろうと秋山さんがコメントされたが、そこから南東に1.5kmほどのところに、水路の一部が膨らんだように寄り添う池がある。モールトン家の前に流れるのはBradford Riverとあるから川だが、これは運河だ。岸の近くに碇泊している細長い船たち。ナローボート(narrow boat)ではないか!
 池には、桟橋に舳先を寄せてたくさんのボートが身を浮かべて、揺れる水に身をまかせてのんびりとしているようだ。サムネイルをクリックすると「Marina at Widbrook Nr Trowbridge」と書かれた写真が見られる。たしかにマリーナなのだ。アンカレッジの水上飛行機たちを思い出した。こういうのを見つけると胸が高鳴りつつ、自分がボートや水上機になったつもりか、のんびりした気分になる。

 このcanalをたどって南西に移動してみてください。こんな仕掛けがある。これは水位の差を調整するためにつくられた「Lock」というものだと知ったのは、kai-wai散策の川と船についてのすてきなエントリーのひとつオックスフォード便り(11)だった。
さらに西に追ってゆくと、運河と川が交差している。 川と道路の上をこえるcanalのための石積の立体交差だ。 

 canalとは、水そのものの利用もしくは船の移動のために人工的につくった水路だとWikipediaには定義されている。これは後者だろうが、産業革命以前につくられたcanalは、鉄道や自動車が発達したのちには、大量輸送の役割を果たすことはなくなったはずだ。にもかかわらずnarrow boatはたのしみのための船として、ここではcanalやlockという仕掛けをしっかりと活かしている。
 この豊かさは、かつてイギリスが世界を経済力で支配していた時代に、外国からすいあげたもので蓄えられたはずだ。アフリカで、インドで清朝中国で、さらに中東諸国で、現在の世界に満ちている争いの多くは、この国をはじめとする西欧の国々がまき散らしたものだ。・・・しかし、その結果として築き上げたものを、この国の人たちや西欧はけっしておろそかに消費してしまうことがないようだ。ヨーロッパの川は、多くの国を経て海にいたるので、勝手にそれをいじるわけにはゆかないということもあるのだろう。ヨーロッパ中に水路のネットワークが巡らされているので、カヌーでヨーロッパをめぐることができるのだという話をきいたことがある。canalは、単独では成り立たない大きなシステムをつくる重要な一部なのだ。miniやモールトンの自転車も、それに道路を加えた大きなネットワークをつくっているのだ。

 それにひきかえぼくたちのくにの近代は、うつくしく豊かな山や川や海を持ちながら、入り江や湾を埋め、わずかな距離を縮めるためとして橋をかけ山を穿ち、あまり必要のないダムをつくり、とりかえしのつかない無駄な土木工事を続けてしまった。さきごろ川辺川のダムの計画を中止するとした熊本県の決断は、方向を変えてくれるのかもしれない。せっかく費用をかけるなら、役に立つことに使えばいいだけのことではないか。

■関連エントリー
オックスフォード便り(5)/kai-wai散策
オックスフォード便り(9)/kai-wai散策
オックスフォード便り(10)/kai-wai散策
オックスフォード便り(15)/kai-wai散策
平底船:ナローボート/MyPlace
柳川堀割物語/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 07:50 AM | コメント (8)

September 11, 2008

アレックス・モールトン屋敷

MoultonEmblem.jpgClick to Jump to MoultonSite

 モールトンの自転車の正面についているエンブレムを見ると、「Alex Moulton」の文字の上に立派な館のレリーフがある。これは、自転車を設計したアレックス・モールトン博士のすまいであり、モールトン自転車の本拠地でもある。

 このごろは、とくに外国の小説を読むとき、物語の背景を理解するためにGoogleマップをひらき、舞台として登場する場所を見て想像力を広げるようになった。ディック・フランシスの競馬シリーズ推理小説の新作を読みはじめたがこの前に読んだときにはまだGoogleマップなんてものは世の中になかったんだなと感慨にひたりつつイングランドの郊外の、競馬の厩舎や馬場がたくさんあるまちニューマーケットを上空から眺めているうちに、アレックスモールトンの屋敷もこんなところにあるのだろうかと思って「Holt Road,Bradford on Avon」と打ち込んで検索した。
 Holt Roadはすぐに見つかったが道路沿いを探してもモールトン屋敷はなかなかみつからない。この道を中心にして捜索の範囲を拡げてあたりを巡っているうちに、航空写真を精一杯拡大してたどっていくと、やっと見つけた。

 三つの切妻が連続した屋根と二つの切妻の連続をつくってそれを直角に交差させるという形式の屋根、テラスのかたち、いずれもモールトンのエンブレムに使われているモールトン屋敷の絵とピッタリ符合する。屋根の影が地面に落ちているのを見れば、エンブレムと同じであることが分かる。工場としては、かつて馬小屋や納屋などに使われていた離れを使っているようだ。かつて、松任谷正隆が司会をするテレビの番組カーグラなんとかというやつでモールトンが紹介されたことがあった。工場では、アムステルダムのオリンピックで優勝したというジイさまが、一本ずつスポークを組み立てていた。

 間違いない。ここがアレックスモールトンの屋敷だ。会社の本社でもあるのだろう。聞きしにまさる、いい家だ。

AlexMoultonPrfile.tiff  アレックス・モールトンに、まだなじみのないかたのために付け加えておこう。モールトン卿は、自転車をつくる前に、あのminiのための独創的なサスペンションを設計して会社を起こし製造した人だ。といっても、曾祖父はグッドイヤーと提携し、家業はゴムにかかわるものの製造を受け継いでいる。モールトンと共同開発した自転車を製造しているのがブリジストンであるのも、ゴムと自転車をつくるという共通項でつながりがあったのかもしれない。(ブリジストン モールトン)

 miniというクルマをつくるにあたって、設計者アレック・イシゴニスはあの小さなボディの中に最大の居住空間と可能な限りの性能を盛り込むための、ありとあらゆる方法をつくした。
 大部分の部品はあたらしく開発するのではなく、既存のものを利用して、そのレイアウトによって最大の居住スペースを捻出したのだ。モーリスマイナーに使われていた既存のエンジンを横に向けておきボンネットを短くした。変速機は、そのエンジンの下に潜り込ませた。FFにしてフロアシャフトをなくし、運転席のドアをえぐって薄くするためにガラスは引き違いにした。座席の背を立てて客室の長さを食わないようにした。だからハンドルは大分上を向いていた。そして、タイアが室内に膨らまないように、あんな小さなタイアをつかった。それは、車体の重心を低くして安定をもたらす結果も生んだ。そういうあたまの使い方が、ぼくは大好きだ。
 小さなタイアは道路のデコボコからの振動を拾いやすい。それを吸収するために円錐形の小さなゴムの塊でつくられたモールトンのサスペンションは、miniの奇跡を実現するために大きな貢献をしたのだ。

 スエズ動乱で運河をつかえず石油はが急騰したときに、モールトンはガソリンのいらない乗り物として自転車をつくり、miniのトランクに入るように小さく分割できる自転車をつくった。楽にタイヤを回せるように小さいタイアをつけた。が、小さな車輪が道路のデコボコを拾いやすいのはクルマとおなじことだ。
 だから、モールトンは自転車にゴムのサスペンションをつけた。

 モールトンの家が聞きしにまさる、いい家だと書いたが、それは、この敷地内の庭や建物がいいということにとどまらない。この屋敷を含めた周りの環境、それをつくりだすシステムがすてきだということなのだということが、Googleマップでこのあたりを散策してみるとわかってくる。

■参照
アレックス・モールトン/Wikipedia
Alex Moulton/英語版 Wikipedia

■関連エントリー
Alex Moulton AM-5/aki's STOCKTAKING
自転車通勤/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 11:19 PM | コメント (5)

September 07, 2008

「特集上映 佐藤真監督回顧」

SatoMakoto-1S.jpgClick to PopuP
9月6日(土)から、ドキュメンタリー映画の佐藤真監督のしごとが、「特集上映 佐藤真監督回顧」として連続上映されている。映画のほかにテレビのためにつくられた映像も網羅している充実だ。会場は6日から渋谷のユーロスペース、16日からは、お茶の水のアテネフランセ文化センター。(詳細については文末から会場のサイトに跳んで確認して下さい)
 佐藤真がみずから命を絶って、この9月で1年になった。
有機水銀で汚染された阿賀野川流域で生活するひとびとを描いた「阿賀に生きる」や、遺作となった「OUT OF PLACE エドワード・サイード」などがあるのだが、関連の本を読んでから見ようなどと思ってグズグズしているうちに、ぼくはいずれも見損なってしまった。
 ただひとつ、写真家牛腸茂雄(ごちょうしげお)を描いた「SELF AND OTHERS」しか見ていない。この機会に、すくなくとも阿賀とサイードの二本は見ようと思う。
 夭折した人が遺したしごとというのは、短い時間のあいだに凝縮されたもののひと揃いを手のひらに載せるようにして見ることができるし、やり残されたはずのしごとも余韻としてききとることができる。49才を夭折というのには異論があるかもしれないが、ものをつくる人間としては、早すぎる死だ。
 「SELF AND OTHERS」を見たのには、じつはいささか個人的な理由があった。

 牛腸茂雄は、ぼくには身近だったまちの出身で、そこは新潟の市内から30kmほど離れたところにある落ち着いてこぢんまりとしたいいまちなのだが、その郊外の県道沿いに彼の育った家があって、ぼくは何度もその前を通ったことがあるはずだった。映画には牛腸自身を写した映像がほとんどなくて、彼が残した写真と本人の声や写真を撮った場所を素材にしているということにも興味をひかれた。
 佐藤の映画はこのひとつしか見ていない、しかも数年の時を経たという時点で考えることを、門外漢の気楽と性急さで書きはじめてしまうことにする。ドキュメンタリー映画は、事実の痕跡を宿す断片を撮って、それをある意図のもとに編集構成し、それによって、その中や背後にひそむ真実を発見し表現するものだろう。その意味で、じつはドキュメンタリー映画は主観とは無縁ではありえないはずだ。
ぼくたちはだれもが無数の現実に接しながら数十年の時間を生きつづけて、その最後あるいは生きている時々刻々に、世界とはなにかということを感じ考え、そのたびに自分はなにものであるかを知る。他者を編集し構築するドキュメンタリー映画作家は、同時に自身を編集し再構成するはずだ。そのとき彼はたえず生と死をくりかえし確認していたのかもしれない。
「阿賀に生きる」にはじまり「SELF AND OTHERS」を経て「OUT OF PLACE」に至る間に構築されたいくつもの現実と真実が詰められたたくさんの小筐が、この連続上映もしくは佐藤真という箱の中に、入れ籠になっているようなものだろうと、ぼくは期待しているのだ。その箱たちの全体が集まったものから、ぼくたちは何かあたらしいものを読み取ることができるのではないか。

■9月10日・佐藤真監督追悼番組 衛星劇場「日常という眼差しー映画監督佐藤真の軌跡ー」の上映と山本草介(構成・編集)のトークに行こうと思っている。が、もう明日になってしまった。
山本草介は、「SELF AND OTHERS」を見て佐藤真に弟子入りした。のちに映画「もんしぇん」の監督
・9月10日21:00から/ユーロスペース/同時上映「花子」

■映画上映の日時と場所・上映作品は、下記のサイトを参照してください。
*ユーロスペース:9月6日〜12日
*アテネフランセ文化センター:9月16〜20日、9月24〜27日、9月29日

投稿者 玉井一匡 : 05:01 PM | コメント (4)

September 03, 2008

ヘクソカズラはくさいか?

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 世の中にひどい名前というものはいろいろあるが、「ヘクソカズラ」は、中でも一二を争うものだろうと前々から思っていた。漢字にすれば「屁糞葛」ということになる。あまりではないかと思っていたのに、これまで自分でにおいを嗅いでみたことがない。さぞかしひどい匂いがするだろうと思って気が進まなかったのかもしれない。
 公園のフェンス沿いの雑草にからみついているやつの花に、おそるおそる鼻を近づけて嗅いでみた。・・・が、これは悪臭とはいえないぞ。匂いでなく香りと言いうべきだ。むしろ芳香かもしれない。いったいどういうわけで、こんな名をつけられたんだろうか。

Hexokazura2S.jpgClick to PopuP

 「草木花 歳時記」という本がある。その夏の巻、末尾の索引から探してみるとヘクソカズラはあった。
あるにはあるのだが、本文の見出しには「灸花(やいとばな)」という名が使われていて、その下に別名として「へくそ葛、早乙女花」。「かわいい花に似合わず、茎や葉にいやな匂いがあるので屁糞葛の名のほうが一般には通りがよい」と書かれている。

「やいと」とはお灸のことだ。花のかたちが、盛り上げたモグサのようだし花を外側から見れば白いのに内側が濃い赤なので、白い肌を透かして赤い色が見える。それが、ちょうど火をつけたお灸が中の方で燃えているさまに似ているからだと説明されている。歳時記に書かれている別名というのは、とかく気取ったものいいにつかわれそうなものが多いけれど、さすがにこいつは特別扱いをしてやりたい。
この本の解説には葉や茎に悪臭があるのが、へクソカズラの名の由来だと書いてあった。花ではなくて、茎と葉がくさいのかと思って、茎と葉の匂いを嗅ぐために、また公園に寄ってみた。

葉と茎に鼻を寄せてかいでみるがどちらにも、なんの悪臭もない。つまんでつぶしてみたが悪臭はない。
ためしに、茎と葉を少し食べてみた。が、ただ青臭いだけだった。
何の恨みがあるんだろうか、ひどいぬれぎぬではないか。そうは思うものの、すでに深くぼくの記憶に刷り込まれた「ヘクソカズラ」は、もう消しようがない。ちっとも臭くないんだと知ってからは、こういう名称をあたえた人間たちを「ヘクソカズラ」が、むしろあざ笑っているように思われる。お前はやはり、ヘクソカズラと呼ばれながら、じつはなかなかいい香りがするんだと思いながら大きな顔をしているがいい。

■関連エントリー:「季語」/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 11:06 PM | コメント (6)