April 28, 2009

献体

Kentai1.jpgしばらく前から、献体をしたいと母が言うようになった。20年以上前に死んだ義父も、そういっていたが、そのうちにガンがみつかって手術もムリだといわれると、そんな手続きなどすっかり忘れてしまった。
 ぼく自身も死んだら、献体をしてもいいと思っているから「この年まで生きて、もう何の役にもたたないからせめて何かのお役に立つようにしたい」と母がいうのもわかるつもりだ。
「献体」をキーワードにしてGoogleで調べたら53,400件もある。そのうちのトップにあるのが「財団法人 日本篤志献体協会」だ。献体とは何であるかということ、どうやって登録するのかが書かれている。
登録は、協会ではなく実際に献体しようと思う大学などにする。昨今は希望者が増えているのだが、ところによって違いがあり、不足しているところもあれば辞退する大学もあるから、具体的に大学病院に問い合わせてほしいなどと書かれていた。献体登録者の総数が216,420名を越え、そのうちすでに献体した人が81,942名あるそうだ。

Kentai2S.jpg申込書:Click to PopuP
 身内に卒業生がいる地元の大学病院として新潟大学医学部か日本歯科大学と考えたが、新潟大学の窓口がインターネットではわかりにくかったので日本歯科大学のサイトで調べてからに電話をかけると担当者がおおかたの説明をしてくれた。

 後日、A4の封筒に入れられた書類が届いた。青い紙に印刷された説明書類と白い紙の申込書類がそれぞれ数枚あった。
親、子、兄弟など肉親の同意書に署名捺印が必要だという。
ぼくと妹は本人が希望するのだから同意する。母の弟妹も、すぐに同意してくれるだろうと思ったが、郵送というわけにはゆかないから母の弟である叔父一人と叔母二人に会った。前もって母本人から電話で説明しておいてもらったのだ。
母の2才下の叔母
「この年齢になると、お姉さまの気持ちは分かるわ。とにかく、あたしは散骨してもらいたいの。お墓になんか入るのはいやなのよ」
と言ってさばさばと同意してくれた。
しかし、歳のはなれた弟妹がむしろ抵抗があるようだった。
ひとりは「賛成はしないが、子供たちが同意して捺印したあとで印は捺す」といい、ひとりはちょっと顔をしかめた。
ふつうの場合、火葬場に向かう出棺のあと病院に運ばれて、2年後くらいのうちに解剖して火葬したあとに戻ってくるという時間のかかりかたが、二人ともどうも気になるというのだった。
たしかに、具体的な状態を想像すると、あまり気持ちよくはないのはわかる。本人にすれば、どのみち自分がいなくなってからのことだから大して気にならないのだが、残される人間は、いまどうなっているのかということが想像されて抵抗があるからなのだろう。

*送られてきた封筒の中の書類はつぎのようなものだ。
A 説明書類
 ・献体の輪をひろげようー白菊会
   献体とは何だろうか
   献体についての質問と答え
   献体に絶対必要な同意
 ・白菊会の献体のこころ/白菊会・入会のしおり
 ・おねがいー歯科学生のためにも「献体」を
   歯の病気とからだについて
   歯科大学で教えていること
   人体解剖実習について
   献体篤志家について
B 申込書類
 ・入会登録申込書
 ・同意書

■関連エントリー
おにぎりとおむすび/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 03:05 AM | コメント (27)

April 13, 2009

非電化工房探訪記


HoukiS.jpgClick to PopuP

4月8日、JEDI一同6人で那須に行った。目的は「非電化工房」で毎月2回開かれる見学会である。
製品の実物を手に主宰者の藤村靖之氏による非電化についての講義をうけた。工房賭して使われている建物は、かつてバブル時代に、人工池のほとりの傾斜地に貸しスタジオなどが建てられたがその後荒廃していたのを購入し改造したものだという。

 藤村さんの著書のタイトルが「愉しい非電化」であるとおり、我慢をして電気を使わないのではなく、むしろ非電化をたのしもうというのが基本的な姿勢だ。電化生活と同じくらい便利で快適というわけにはゆかないことは承知のうえで、非電化製品には別のたのしさがあるし、環境を傷つけることも少ないから、ぼくたちはむしろきもちよく生きられる。

たとえば、いま開発中の手回しの籾すり機を消費者が使う。消費者は農家から籾のままの米をじかに買う。生産者は農協の買い上げ価格よりも高く売れるし、消費者は米屋で買うよりも安く米を買うことができる。籾のままの米は低温貯蔵しなくても保存できるので原発3基分の電気消費が抑えられる計算だ。

同じように、自分でコーヒー焙煎器をつかって焙れば、ぼくたち消費者は薫り高いコーヒーを飲めるし、ブラジルの農家は苦労をかさねてつくる無農薬コーヒーを生豆のまま消費者に高く買ってもらえる。
モンゴルで板とペットボトルと鉄板でつくったものと同じ非電化冷蔵庫があった。電気のない草原の中で遊牧民が一頭の羊を一週間保存できる。空気がきれいなぶん夜間輻射による熱の放出が大きいので、日本でステンレス製の非電化冷蔵庫以上の性能を得られるのだという。
部屋に入ったとき何本も箒がかかっているのが気になっていた。非電化掃除機もつくったが、箒のほうがいいんだという。カーペットだけは掃除機でないとゴミを取れないが、ゴミもろとも空気を吸い込むというのはすこぶる効率が悪い、名人の箒は8000円するけれど8年も使えるんだと言われたが、うちでは箒も使っているが気合いをいれて掃除をするときには掃除機をつかうのだ。ちょっと考え直そう。HidenkaFujiS.jpg浄水器を手に説明する藤村靖之氏 Click to PopuP

 藤村さんは、思想をもってモノをつくり出す発明家であるが、それにもましてモノを発明しつくることを通じて思想を語る思想家なのだ。
現在の人間社会がかかえる根本的な矛盾は、生産と消費をつねに拡大させなければならないということにあると思う。この経済危機の原因は、どうしてもそこにたどりつく。地球のもっている資源も廃棄物を土に返す能力にも限界があって、今すでにそれを越えていることをぼくたちは知っている。しかもそういう恩恵を受けるのはわずかな「先進国」の住人でしかなく、残りの国には飢餓にさえおびやかされている。
そういう状態をなんとかしなければならないという思いが、電気を使わずにすむ道具を発明するという行動になったのだろうと、発明品の数々を見て彼の話を聞くと理解できる。
電気は、それでなければできない作業のためにつかうべきなのだ。

 火力や原子力の電気は、熱で蒸気をつくりそれを回転運動に変えてつくられる。そこで費やされるエネルギーの数十パーセントが無駄に熱として捨てられる。さらに輸送の途中で送電線から熱として電気を失いながら、ときに数百㎞を経てやっとのことで都市に辿りつく。そんなふうにしてやってきた電気を、また熱にもどして使おうというのが「オール電化」だ。ばかばかしいではないか。しかも、電力会社は「クリーンエネルギー」として原発を増やそうとしている。だから、まずは、電気の消費を減らそうというのが、藤村さんの考え方だ。
①電気を使わず、すこし手間はかかるがたのしく作業ができる。②消費者も生産者(とりわけ農業)も経済的なメリットを得られるようにして金持ちの道楽に終わらせない。③道具はこわれても自分で直せるようにつくる。そうやって長期間使ったあとに、回復ができないほど壊れたなら、そのときにはできるだけ早く土に還るようにする。

 もともと太陽から地球に送られる熱は、大気のない宇宙空間をよこぎって送られた輻射熱だ。あらゆる地球上の活動のエネルギーは、もとをたどれば太陽から送られてくる熱に依存している。地上で受ける太陽の熱の60%もが夜間放射されると藤村さんは説明された。それをつかって非電化冷蔵庫は庫内を冷やすのだ。輻射で放出される熱は宇宙の彼方に送られるが、コンプレッサーから捨てられる熱は空気としてあたりを漂う。工房の暖房は薪ストーブでまかなわれていた。それも輻射熱で暖めるではないか。エネルギーは、形式を変換するたびにロスが生じるから、輻射熱という形式で利用するのは、そういう意味でも効率がいいのかもしれない。

必要のない電化製品をふるい落としていって、ぼくが最後に残すものは一番たいせつなものということになるが、それは何だろうかと考えてみる。
・・・・いろんなことができるというのを別にしても、やはりMacを一台ということになるだろうなあ、やはり。

■追記
モデムの不調やらなにやらあって、ぼくのエントリーはすっかり遅くなってしまったので、JEDIの御一同のエントリーの後塵を拝することになった。この他に、殻々工房と雲海閣でもさまざな発見があったがそれは後日。

■関連エントリー
那須 /春の遠足/aki's STOCKTAKING
那須二大工房巡り/MADCONNECTION
非電化と凧揚げ/kai-wai散策
非電化工房・那須アトリエ見学会/KARAKARA-FACTORY
春の遠足、那須の工房めぐり-1/Things that I used to do.
この他に、翻訳家の村松潔さんがいらした。そもそも昨年のこと、村松さんがコーヒー焙煎を秋山さんに実演して見せたことが、ことの始まりだったのだ。

投稿者 玉井一匡 : 04:35 PM | コメント (8)

April 01, 2009

自由学園明日館

Myonichikan1S.jpg.jpgフランク・ロイド・ライト 自由学園明日館 /谷川 正己 著・宮本 和義 写真 /バナナブックス/1,600円

 この本を読んでいるうちに、ぼくは明日館に行きたくなった。
この建築がぼくたちにとって身近な場所にあるからなのだが、ただ近くにあるというだけではない。明日館は講堂と校舎の敷地の間に4mほどの公道があるので、表紙のように満開の夜桜が見える場所にいつでも立つことができるのだ。
芝生の庭を前にして中央奥にホール、左右から教室棟の腕をのばしてその庭を懐にかかえこんでいるようだから、ぼくたちは道路に立ったままこの建築のつくる「場所」のなかに加わることができる。そして、しかるべき時間には中に入って見学することもできる。

 なろうことなら、帝国ホテルの現場事務所を中年の日本人夫妻がライトを訪ね学校の設計依頼を切り出したところに僕も立ってみたいと思う。谷川正己氏による解説に書かれている具体的な時間経過によれば、学園設立の進み方の早さといったら尋常ではない。

 創設者羽仁もと子は、1920年に女子教育のために学校の設立をこころざすと、翌1921年1月にF.L.ライトのもとを夫の羽仁吉一とともに訪れて設計を依頼するや、2月15日に設計が完了、3月15日には着工して4月には校舎の一部が完成した状態で開校してしまう。初対面からひと月で設計完了、それからひと月で着工、さらにひと月で開校してしまったのだ。

 こんな離れ業ができたのも、羽仁もと子とライトが教育に対する思想で深く強く共鳴したからだろうし、これほどの集中力をライトにもたらすだけのものが羽仁の教育理念にあると理解されたからだろう。母の手作りの教材による独自の教育を受けていたライトと、身近な生活のなかに教育(世界とおのれの見方と生き方をつたえること、だとぼくは思うが)の本質があるという思想を抱いた羽仁もと子の間にどんな議論が交わされるのか知りたいではないか。
 たとえば村山知義がここを本拠地とした婦人之友社から絵本を出版し絵画を教えていたことなどを思いながらこの建築の中にいると、大正の時代が、明治と昭和にはさまれた影の薄いあるいは浮ついた時代ではなく実は短いが豊穣の時代だったのだと思う。Google Earth的に見れば、ロシア革命があり、大戦後のドイツにワイマール共政が成立しバウハウスがつくられた時代。
芸術であれデザインであれ、現代の人間はいまだこの時代の遺産で食っているようなものではないか。

 ライトにとって自由学園は、いつものように設計したむしろ質素な建築のひとつにすぎないのかもしれないが、羽仁もと子とその教育その学校は、建築と同じように日本にとってかけがえのないものだと思う。しかも、それほどの情熱をこめてつくり育てた学校でありながら、ここが教室として使われ文字通り学園であったのは、10年ほどにすぎない。このキャンパスの広さでは不十分だと考えた羽仁は、1927年にこのキャンパスの建築が完成されたあと、こんどは1930から1934にかけて、遠藤新の設計で現在のひばりヶ丘に新たに南沢キャンパスをつくり思い切りよく移転した。しかも、このとき新キャンパスの周辺に住宅地を開発してそれを学園の父母などに購入してもらうことによって費用を作り出した。

 以来、現在にいたるまで、自由学園は生徒・先生・卒業生と父母だけで学校を運営しながら独自の規範によって教育が続けられ、明日館は婦人之友の本拠地と一体で使われている。明日館には大きな手を加えられることなく現在まで来た。おかげで、ここは建築の剥製のようなものにされるようなこともなく、重要文化財となった今も呼吸をし言葉をかわし続けているのだ。

 ライトの残した タリアセン:TALIESINも羽仁もと子のつくった自由学園も、創設者の残した思想を忠実に受け継いでいるおかげで、ぼくたちはそのままに知ることができるのだが、半面ではそれが強いゆえに呪縛のようなもので人が限定されてしまうところがある。アントニン・レーモンドは、ライトの強烈な影響から抜け出すのに苦労したと、wikipediaにも書かれている。

■関連エントリー
*自由学園明日館/aki's STOCKTAKING
*自由学園明日館で/MyPlace
■関連ウェブサイト
*自由学園明日館 公式ウェブサイト
*山邑邸 公式ウェブサイト
*帝国ホテル/明治村公式ウェブサイト
*自由学園の公式ウェブサイト
■地図
*明日館:Googleマップの航空写真

投稿者 玉井一匡 : 08:43 PM | コメント (6)