July 23, 2009

「フラッシュ オブ メモリー」:三宅一生のニューヨークタイムズへの寄稿

IsseiNYtimesS.jpg これは太陽ではない。原爆なのだ。

 三宅一生が寄稿したメッセージを7月14日にニューヨークタイムズが掲載した記事の冒頭におかれた写真である。あるいは絵かもしれない。
三宅一生がニューヨークタイムズに寄稿し、自身が広島で被爆したことを明らかにしたうえで、8月6日の広島の平和記念式典へ参加することをオバマ大統領に要請した全文が掲載された。そのことを多くの日本のメディアが報道したのだが、そこには「服飾デザイナー」三宅一生が政治的なメッセージをニューヨークタイムズに表明したできごとという意味合いが強くて、このブログの、ふたつ前にエントリーした「ネオテニージャパン展」を伝えたときの「法廷画家」という扱いに共通するところがあるように感じた。寄稿の全文が掲載されていないことも、彼のメッセージの内容よりも服飾デザイナーが政治的がメッセージを明らかにしたことがニュースとして考えられているからではないか。
 しかも、三宅一生のメッセージの中に、「原爆を生き抜いたデザイナー」というようなレッテルつきで見られるのがいやで、これまでは被爆体験を公にしなかったのだが、核兵器の廃絶を目指すというオバマのプラハ演説に動かされて、このメッセージを送ろうと思ったというくだりがあるのも興味深い。
 
 世間やメディアがひとに貼り付けるレッテルから、ぼくたち自身も自由ではない。だからこのニュースも、三宅一生が政治的なメッセージを公にしたということに思いがけないものを感じて関心をもったのだろう。もともと言葉というものは、何が語られたかだけでなく誰がどんな状況で語ったかによって意味は違うものだ。とはいえ、何を述べたのかがもっとも重要であるのはまちがいない。日本の新聞のウェブサイトに全文を紹介するものが見つかるまで、自分で訳してみたものを以下に加えます。オバマの演説も、アメリカ大使館のサイトへのリンクとして末尾に加えてあります。

<三宅一生の寄稿の全文>

「フラッシュ オブ メモリー」

 四月、オバマ大統領は、核兵器をなくし世界の平和と安全を追求することを約束しました。しかも、核兵器を削減するのではなく廃絶すると。その言葉は、これまで私自身が触れたくないと思い、私の裡に深く潜めていたものをゆさぶって目覚めさせました。

 いまこそ私には、みずからについて語る道義的責任があるということに気づいたのです。オバマ氏が「閃光」と呼んだものに遭遇しながら、それを生き抜いたもののひとりとして、私は言葉にして伝えなければならないと。

 1945年8月6日、世界で初めての原爆がわたしの故郷、広島に落とされました。7歳の幼い私は、そのときその場にいたのです。けっして誰にも経験させたくない出来事のありさまが、目を閉じれば今も甦ります。
赤い鮮烈な光、たちまち黒雲が湧き出し
人々が一目散に四方八方に死にものぐるいで走り出す
だれもが、なんとしても逃れようと必死になっていた光景が、まざまざと目に浮かぶのです。
それから3年足らずで、母は被爆が原因で死にました。

 あの日の記憶であれ、それについての思いであれ、これまで私は誰とも分かち合ったことはありませんでした。その記憶をなんとか自分の背後に押しやって、破壊でなく創造を、そして美とよろこびをもたらそうとして、服飾デザインの世界に没頭したのです。それは、今の時間を信じ未来に夢を託す創造的な生き方であると考えたからでもありました。

 わたしは、自分の意志とかかわりなく遭遇させられた過去の体験によって、自分を規定されるのをいさぎよしとしなかった。「原爆を生き抜いたデザイナー」などというラベルを貼り付けられるのがいやで、ヒロシマについての質問はいつも避けてきました。「ヒロシマ」と耳にすると、どうにも動揺してしまったのです。

 しかし、いやしくも世界から核兵器を取り除こうとこころざすなら、ヒロシマについて論議することは避けて通れないと、いまでは確信しています。
いま、オバマ氏をヒロシマに招こうという運動があるのです・・・8月6日に毎年行われているあの運命の日の式典に。彼には、どうかその招請を受け容れてほしいと私は願っています。それは、過去にこだわるからではありません。むしろ、未来に核戦争のない世界をつくることをアメリカの大統領が目指しているのだという徴しを示してほしいと思うからにほかなりません。

先週、ロシアと米国が、核兵器を削減する覚え書きに調印しました。たしかに、これは重要なできごとではあります。しかし、わたしたちはそれだけで満足するほど、もはやナイーブではありません:一人の人間にはもちろん、ひとつの国家の力で核兵器を押しとどめることは不可能です。日本に生きる私たちは、核兵器で身を固める隣国・北朝鮮の脅威に絶えずさらされています。その他にも、核技術を手に入れようとしている国があるという報道があとをたちません。平和への希望を持ち続けるには、世界中の人々がオバマ大統領の声に自分たちの声をつぎつぎに重ねてゆかなねばなりません。

もし、オバマ氏が広島の平和橋を渡ることができればーーその欄干は日系アメリカ人の彫刻家イサムノグチによるデザインで、東西の架け橋となって憎しみを超えて何かを成し遂げようと考えさせますーーオバマ氏の行動は核の脅威のない世界をつくるために、現実に踏み出す一歩が象徴としての一歩として世界平和に近づくでしょう。

 三宅一生は服飾デザイナー、この原稿は、彼のスタッフによって日本語から翻訳された。

2009年4月5日 プラハにおけるオバマの演説日本語訳/アメリカ大使館の日本語版サイト
ニューヨークタイムズの記事の全文/nytimes.com:上の写真をクリックして見られるものと同じだが、nytimes.comで見られなくなったときのためにコピーして、見やすいよう横長のレイアウトにしました。
ISSEI MIYAKE INC.の公式サイトには、このメッセージについて何も書かれていない。

投稿者 玉井一匡 : 01:54 AM | コメント (1)

July 17, 2009

パンクドッグ

PankDog1S3.jpgClick to PopuP

 ぼくは入院も手術もしたことがない。かみさんの出産は別として、子供たちだって入院も手術もしていないのだが愛犬クーが手術で1週間ほど入院した。娑婆に帰ってくると、彼はすっかりパンクになっていた。頭は朝顔のように、下半身はオーブンに入れる直前の子豚の丸焼きのように剃りを入れて素肌が出ている。

 こいつはウチの中では決して排泄ができず、朝夕の散歩が欠かせないのだが、それがさっぱり出てこなくなった。道路に出るとすぐに蹲踞の姿勢になるけれど、以後はそのまま歩き続けるのに空振りに終わるようになって、ただの便秘ではなさそうだった。
かかりつけの動物病院に行くと、診察の結果、手術をすすめられた。直腸の一部が何カ所かふくらんで、(憩室というそうだ)中味がそこに溜まっていて出てこない。とりあえずそれは押し出したが、手術をしなければなおらないと思う。なかなか大きな手術になるので人手が足りないからと、古山先生は大学病院を紹介してくださった。

 数日後、武蔵境にある日本獣医生命科学大学の動物医療センターで1時間ほどの診察の結果、やはり手術が必要だという結論だった。
「直腸を支えている筋肉が、男性ホルモンのために劣化して隙間ができる。そのあいだから腸が膨らんで、そこに溜まってしまう。だから、その筋肉を取って近くの筋肉をもってきて腸を支えるように手術をする。再発を防止するために去勢もしたほうがいい」
クーには申し訳ないが心配より好奇心が先に立った
「どうして男性ホルモンで筋肉が劣化するんですか?」
「原因はまだわからないけれど、メスも若いときに去勢したオスも、こうならないんです。コーギーは、子犬の時に尻尾を切るからそれが筋肉の発達に影響しているかもしれません」
「筋肉ってのは、端を骨に固定されているんだと思いますが、移植する筋肉をどうやって骨につなぐんですか?」
「近くにある筋肉をつかいますから、端は骨についたままで筋肉を引っ張ってきて移動させるんです。」・・・なるほど

 数日後に手術。1時ころに始まって7時頃までかかり、1週間ほど入院した。
人間が勝手に胴長短足の体型の犬をつくり出し、おまけに何のためだか生まれたばかりで尻尾をちょん切ってしまうのだ。オスのコーギーにすれば迷惑なはなしだ。ぼくたちはそんなことは知らなかったなあと思うが、お医者さんだってまだよく因果関係がわかっているわけではないらしい。何億年もかけて到達した現在の生物を、短期間に力ずくで「改良」してしまえば、何らかの問題が生じるのは当たり前のことかも知れない。

 手術後に傷口をなめないように首につけられた「エリザベス」という邪魔者も、手術後10日でようやくはずした。(エリザベスという通称は、もちろんその昔のエリザベス女王の服装から来ているのだが、今の女王の愛犬はコーギーだそうだ。)おしりまわりはピンクの素肌が透けていたところは短い毛に覆われはじめた。そこはいずれ、もとに戻るだろう。
しかし、股間につけている空っぽの小銭入れのようなシロモノは、気の毒だが3次元には戻らないのだ。

投稿者 玉井一匡 : 10:12 PM | コメント (0)

July 12, 2009

ネオテニージャパン展

IkedaManabuAsahi-S.jpgClick to read this article.
 一月にエントリーした池田学:「予兆」というエントリーに、KARAKARA-FACTORYの野沢さんが、昨日コメントを書いてくださった。上野で開かれている「ネオテニージャパン展」で、池田学の「領域」と「興亡史」を見たことが書かれていて、自身のブログにも「neoteny japan/上野の森美術館」というタイトルでエントリーされている。
ぼくも西洋美術館とネオテニー展を一緒に見ようと思っていたのだが、またしても、終わる間際に行くか、このあとに長岡で開かれるときに行くことになりそうだ。見てからエントリーしようと思っていたけれど、間に合わないかもしれないし、もうひとつの話があるのでとりあえず書くことにしよう。先日、朝日新聞の夕刊に「法廷描く画家が作品」という見出しで池田学が大きく取り上げられていたのだ。

 記事は、写真撮影の禁じられている法廷記事のために被告や法廷の様子のスケッチを描く「法廷画家」の絵が「ネオテニージャパン展」に展示されているというニュアンスだった。だが、それはちょっと違うだろうと思った。彼は、一枚の絵に2年も3年もかけて描いているから、その間に生きるためのしごととして麻原彰晃などの法廷の絵を描くという仕事もした。彼は他にも缶コーヒー「ボス」の絵も描いたりしている。だからといって「缶コーヒー画家」というだろうか。
 ということがぼくには気になったのだが、凶悪な犯罪を犯した人間たちも、法廷ではそんなことをしたようには見えないという思いを重ねているうちに、生と死は近いところにあるのだと思うようになったと書かれている。掲載されないスケッチもたくさん描いただろうし、そもそもスケッチを依頼されてもいない法廷を見ることもあっただろう。そうするうちに、きっと、生と死だけでなく犯罪を犯すということが、ある境界をひとつ飛び越えるということにすぎないのだということも感じたということはあっただろう。
そんなふうに人間のことや世界のことを見るようになれば、それが彼の絵に反映されて、きっと奥行きを深めレイアを増やしてていくのだろう。

■7月31日から10月6日まで「おぶせミュージアム・中島千波館」で「池田学展」が開かれるそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 06:46 AM | コメント (4)

July 10, 2009

ソーラーエネルギー

SolarEneryVHS-S.jpgclick to PopuP
 先日、朝の5時にクルマで帰ってきた両親が、眠り込んでいる乳児をふたりそのままクルマにおいて寝かせているうちに死んでしまうという事件が新潟県の三条であった。ぼくは自分がそそっかしいから、そういう話をきくと子供もさることながら自分の不注意で子供を亡くしてしまった若い両親の後悔し続ける生涯を思わずにいられなかった。
 おかげで、前日に友人が貸してくれたVHSのテープをクルマに置きっぱなしだったことを思い出した。建築家フランク・ゲーリーについてのドキュメンタリー映画「SKETCH OF FRANK GEHRY」は、まだ半分しか見ていない。
 行ってみると、ダッシュボードの上で直射日光にさらされていたテープはこんなこわい顔ををしている。近頃のクルマのフロントデザインさながら人相の悪い顔のようだ。どこかの怪しいメーカーの製品だからだろうと思ってよくみればSONYと書かれていた。これも新潟の出来事だ。ゲーリーのビデオは残念なことだし貸してくれた友人には申し訳ないことだが、太陽の熱の力はなかなか大したものだと感心してしまった。

SolarEnergyAfrica.jpgClick to PopuP
 太陽エネルギーというと、なんだか「地球にやさしい」特別のエネルギーのように感じてしまうけれど、じつは地球の生物はすべて太陽の熱や光によって命を育てているし、石油すらそうやって生きていた生物からできたものなのだから、あらゆるエネルギーはすべて太陽から来ているのだから太陽のエネルギーが莫大であることはあたり前なのだ。しかし、あらためて太陽の力をみせつけられて、ぼくはwikipediaを調べてみたくなった。「太陽エネルギー」という項目がある。
 そこには、サハラ砂漠の半分に太陽電池を敷き込めば世界の電力需要がまかなえると書かれていた。地中海をはさむ北アフリカとヨーロッパの地図に添えられた説明には「右からドイツ、EU25カ国および全世界の需要と等しい電力を太陽エネルギーで発電するのに必要な面積」とある。これはサハラ砂漠の半分には遠くおよばないから、そのまま鵜呑みにはできないが、サハラ砂漠の半分としても世界中に分散して太陽光発電をふやして原子力発電をなくすことは不可能ではないだろう。核兵器に対するオバマの姿勢と同じように、少なくともなくすことを目指すべきではないか。
 たしかにまだ困難はある。日照の少ない国もあるし、都市ではビルが影をつくるだろう。直流を交流に変換するか電気製品を直流で動くようにしなければならない。
いま、多くの国家では温暖化を理由に原子力発電の危険を忘れようとしているが、困難と危険性を比べれば太陽光発電の方が可能性は大きいのは明らかだと、ぼくは思う。原発の事故はそのときの被害が莫大であるうえに何百年にもわたる影響を残す。そのうちに原発の廃棄物の危険性をなくす方法がみつかるだろうという執行猶予に頼って地中に埋めている。しかも、原子力発電所でつくり出すエネルギーのうち70%は熱として捨てているのだ。


■wikipediaの英語版で、太陽の熱エネルギーをSOLAR ENERGYといい太陽光発電をSOLAR POWERというのだと知った。
*SOLAR POWER (太陽光発電)
*SOLAR ENERGY (太陽熱利用)
*PHOTOVOLTAICS(太陽電池)

投稿者 玉井一匡 : 04:11 PM | コメント (0)

July 07, 2009

田辺一鶴一門会/松戸「席亭・宇」

Ikkaku0705-1S.jpgclick to PopuP
 ときは平成二十一年七月の五日、ヒゲの講談師田辺一鶴一門による講談の会が開かれた。ところは松戸の「席亭 宇」、料理屋の二階の宴会場として使われてきた和室三部屋、八畳間ふたつと十畳をぶっ通しにしたが、客は露地に見たてた廊下にところせましとあふれた。

 といっても、食い物屋の二階で気まぐれに開く古典芸能の夕べというわけじゃあない。この夜から、この場所を茶会やら仲間の集まりのために貸し出すのだが、ひと月おきに田辺一鶴一門の定席として一門会を開こうという船出。天丼と穴子丼を売り物にする「関宿屋本店」の二階を「席亭 宇」と改めてのこけら落としなのだ。この日は、一門の田辺星之助一乃(かずの)一邑(いちゆう)(出演順)に加えて、ゲストとして若い一龍齋貞鏡(ていきょう)を迎えた。一鶴師匠ははじめとトリの両方で高座に上がり、はじめに客に配った「童話しりとり」で講談の「修羅場」の入門指導の大サービス。
八畳の茶室のためにつくられている庭を舞台の袖に使ったから、弟子たちの高座となれば横の椅子から腰を浮かせて顔をのぞかせ、ついつい自ら仕草も出てしまうという風情に師匠の情があらわれる・・・というのが上の写真だ。弟子たちとゲストはそれぞれに芸風を披露して師匠はもちろん最後に十八番の「東京オリンピック」と「妖怪大戦争」。開会式の入場行進の参加国に、水木しげるの妖怪づくしの「修羅場」を一気呵成、立て板に水と披露して、今年八十の歳をものともしないところを見せた。

 6時から始まる会の前、3時半ころにmasaさんといっしょに会場につくと、師匠はもう二階にいらしてると聞いて階段を上がっていった。さすが高座のある日となればブッとんだ服装の師匠を見て胸が騒いだ。masaさんはカメラを持つ手がウズウズしているだろうから、紹介して写真を撮らせていただいていいでしょうかとうかがうと、いとも簡単にいいよとおっしゃる。ぼくはただ写真をとるmasaさんと撮られる師匠を見ているだけで樂しかったのだろう、気がついたら自分でとった写真は一枚もない。けれど、Kai-Wai 散策には、それはすてきな一枚がある。masaさんもディスプレイを見て大喜びしていた。

Ikkaku0705-2S.jpgclick to PopuP なにさま初めてのこととあって主催者側も勝手がわからないところに、一鶴師匠があちらこちらに声をかけてくださったおかげで朝日・読売・毎日新聞の千葉版に大きな写真入りで掲載されたうえにNHKでも話題にとりあげたから、60人ほどしか入れないところにたくさんのお客さんがいらっしゃるかもしれないと、一階の店にプロジェクターを置いてパブリックビューイングもやろうということになった。日韓ワールドカップの職安通りの様子を思い出させる。予定では、貞鏡さんのあとで中入りをとるはずだったのに、師匠は雰囲気が切れない方がいいからと中入りを取りやめて続けることになった。

 半分は畳に座布団という席のお客さんだったから休憩をとればいいのにと心配していたが、あとになって落語と講談の違いについて考えてみると、一鶴さんの考えも分かるような気がした。落語にとって「間」が重要であるなら講談にとってはとりわけ一鶴師匠の講談にとっては「勢い」で勝負するのだ。講談に出囃子がないのは、それ自身の持つ勢いというリズムや音楽性とぶつからないようにという計算なのではないか。講談の華は、一気呵成、ときには息継ぎもなしで攻めるところにあるのだろう。それを「修羅場」というのだということは、この席亭のための改装にかかわって一鶴さんや星之助さんとお話しているうちに初めて知ったことだ。
 松戸について、関宿については、もっと書くことがあるから、それは別のエントリーにしよう。

■修羅場:iPhoneの「大辞林」の「修羅場」の項目には二番目にこう書いてある。
「② 芝居や講釈などで、激しい戦いの場面。[講談では「しらば」「ひらば」という]」
■関宿屋:あるじの稲葉八朗さん手書きのイラストも含めて、すべて自作の公式ホームページで店の様子がよくわかります。
本店は天ぷらを中心とする料理屋で、となりには弟さんが腕をふるう「そば処 関やど」があります。ここもうまい。
■ゲイツイン ギャラリー 宇:交差点をはさんだ道路の筋向かいにある「ゲイツイン ギャラリー 宇」は、「席亭 宇」と対をなすアートギャラリー。
かつて鰻屋の店だったのを数年前に改装したから、大きく「宇」と書かれた鰻屋当時の看板をそのまま残すことにしてギャラリーの名称にも「宇」を加えた。
きもちのよいカフェではうまいコーヒーと焼き菓子もありますから、こちらにも寄ってみてください。

投稿者 玉井一匡 : 07:55 AM | コメント (9)