December 29, 2009

戦場でワルツを:WALTZ WITH BASHIR

WaltzBasilS.jpg「戦場でワルツを」公式サイトへ

 「おくりびと」がアカデミー賞をもらった直後にインタビューをうけると、監督ははしゃいで語るばかりだったが、主役の本木雅弘は「ぼくは、イスラエルのアニメーションがもらうと思っていました」と答えたのを聞いて興味をもち、その後、映画の内容について知るようになってますますこの映画を見たいと思ってきた。
 1982年、イスラエル軍のレバノン侵攻のときに起きたパレスティナ難民キャンプでの虐殺を題材にしたドキュメンタリーを、アニメーションという形式でつくったものだ。

 監督のアリ・フォルマンはこのとき19歳、兵士としてレバノンに送られていた。虐殺現場の近くにいたはずだが、友人はしばしばその時の悪夢におそわれるというのに、彼にはレバノン侵攻のことをまったく思い出せない。いまわしい記憶をいつのまにか消してしまったのだ。自分が何を見たのか、何をしていたのかを発掘して事実に向き合うために、彼は戦友をたずねたり医師に相談をしたり、話をきいてまわる。

 多くの日本人もそうだろうが、ぼくはこの虐殺事件をほとんどおぼえていなかった。一方、フォルマンは、あまりに深く記憶を刻まれたために、それを呼び起こすことができなくなった。敵意と憎悪と恐怖の詰めあわせの箱のような状況に、頭の先まですっぽり押しこまれたイスラエルの若者フォルマンが置かれた状況と、無知であるだけのぼくたちは、全く対極にあるけれど、どちらも、どういう状況で何がおこなわれたのかを分からない。それを知りたいという点では僅かに一致するから、フォルマンが事実を発掘してゆくのにぼくたちは同行することができる。
 アニメーションを使うことで画像が抽象化されると、問題がいっそう普遍的なものとしてぼくたちに見えてくる。アウシュビッツを思い、ベトナムのソンミ村や、南京大虐殺英語版wikipedia)を考え、カティンの森を想起させる。
 これらの虐殺は、すべて加害者が外国に行ったときに行われている。それは、けっして偶然ではないのかもしれない。加害者側は、敵を制圧して組織としては圧倒的な優位にありながら、ひとりひとりの兵士は周囲のすべてを「敵」に囲まれている恐怖、他者のものであるべき場所を暴力によって支配していることが不安でたまらない。それが相手を圧倒する火器を手にしたとき、侵入者を残虐な行為に向かわせるのではないだろうか。そう考えると、虐殺という許し難い行為の中にも、人間の行為としてごくかすかではあるが救いを感じとることができる。それでも、ナチのアウシュヴィッツは別格としか思えないが。

 原題の「WALTZ WITH BASHIR」をそのまま日本語にすれば「バシールとワルツを」だ。
バシールとはこの事件の少し前に暗殺されたレバノンのキリスト教系政党であるファランヘ党のリーダー、バシール・ジェマイルのことであることを、映画のあとに調べて知った。1982年8月に大統領に選出され、翌9月に暗殺された。日本語のwikipediaには項目がないが英語版wikipediaにはBachir Gemayelの項目がある。この虐殺は、バシールの殺害によって和平への期待を打ち砕かれたイスラエル軍の絶望と恐怖が、さらに背中を押したと作者は考えているのだろう。

『戦場でワルツを』メーキングDVD上映会が開かれます。
 1月15日 21:00 シネスイッチ銀座。(半券が入場券代わりで無料)

投稿者 玉井一匡 : 02:00 PM | コメント (0)

December 24, 2009

天使さまのおくりもの

AngelGiftS.jpgClick to PopuP

 次女は、自由学園の幼稚園というべき「幼児生活団」というところに通っていた。
そこは新宿区の落合にあったから「落合幼児生活団」といった。
と、過去形にしたのは、落合にはその後なくなったからだが、全国では今も12個所あるという。
ここには毎日通うのではなく一週間に一回だけ、その代わり朝から夕方までいる。
親もいっしょにいて、昼の給食をつくったりしながら、生活を通じて教育をすることについて教育をうけるのだ。
 ひばりヶ丘の自由学園の隣にある自由学園幼児生活団だけは
2007年に幼稚園としての法的な位置づけを得て毎日開かれるようになったそうだ。
自由学園は羽仁もと子流に解釈されたキリスト教が背景にあるからクリスマスを大切にしているが
そのときの習慣のひとつに「天使さまがくださるおくりもの」というのがあった。
クリスマスの前にこどもたちが描いた絵を、「天使さま」がぬいぐるみにしてくれるのだ。

天使さまたちは寝る間を惜しみ必死でおくりものをつくる。
なにしろおおかたの天使さまは女性であり、子供と同じ家に住んでいる。
だから、作業はこどもが寝静まってからにしなければならない。
それがクリスマスの日に子供たちに生活団で渡されるというのは、天使さまにとってはなかなか大変だけれど、それだけにすてきな慣わしだった。
ところが、クリスマスの日に贈り物をうけとると、うちの娘は天使さまたちの見まもる中でそれを手に泣き出した。
「あたしの絵は、こんなへたじゃなかった・・・」と
ぼくはその現場には居合わせなかったが、これをつくった天使さまは、けっして手先の器用とは言い難いほうだが
刺繍やアップリケがなかなかよくできたと満足していたから、ひとかたならぬ落胆に見舞われたことだろう。
もう20年も前のことだから、ずいぶんぬいぐるみはくたびれてしまった。
でもぼくは、このぬいぐるみをなかなか気に入っているのです。

■ところで、日本時間では午後4時に、サンタクロースがソリを出発させます。NORADによる追跡放送はこちらです

投稿者 玉井一匡 : 01:39 PM | コメント (10)

December 22, 2009

等々力渓谷から九品仏:第7回アースダイビング

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「第7回アースダイビング」は、等々力渓谷を起点に九品仏まで歩き、終点をBe-h@usと合同の忘年会とした。
今回もまた、ルートの提案から資料作成まで五十嵐さんに依存してしまい、その資料を読んで初めて知ったことが多かった。
・・・九品仏浄真寺は、江戸時代に奥沢城跡につくられたこと、その城の周りにめぐらされた堀を埋め立て、今では住宅地に変わっていること・・・いや、堀をつくったのではなく、川がふくらんでできていた池を利用して高台に城を築いたのだろう。
川と時代をさらに溯れば、等々力渓谷の谷沢川とこの九品仏川はつながっていたのも、五十嵐資料で知ったことだ。

 初めて等々力渓谷へ行ったとき、東京にかくも深閑たる渓谷があることに目を瞠ったが、その思いはまた変わらない。しかし、ひとつ、あたりまえだが新たに気づいたことがあった。谷というものは底が深いのではなく、周りが高くてはじめてできるのだということを、実感として気づいた。それも、地形の分かる地図を手にしながら歩いていたから分かったことだ。終着点の九品仏も、いろいろな意味で思いがけない寺だった。

ED7KuhonbutsuS.jpgClick to Jump to GoogleMaP
 九品仏浄真寺は、おもいがけず広い境内に独特の伽藍配置をもつ寺院だった。Googleマップの写真を見れば一目瞭然だが、本堂と向き合って東向きに三つの阿弥陀堂が並んでいる。それぞれの御堂に阿弥陀像が三体ずつならぶので、本堂の西方に阿弥陀さまが9人も勢揃いする。
立て札の説明によれば本堂の建つところが此岸、三つの阿弥陀堂が並ぶ側が彼岸と見立てている。
 三つならぶ阿弥陀堂と本堂の間の庭には桜の大木があって、春にはさぞ美しかろう。
しかし、此岸と彼岸をへだてる空間が、どうにも間が抜けているように思えてならない。
ここは池があるべきだ。池があれば、彼岸と此岸をへだてる。へだてられてこそ浄土の価値がたかまるというものだ。朝には水面が太陽の光を阿弥陀像に反射し、夕べには夕日が阿弥陀像の背後にまわって美しい浄土を現出させただろう。
 これだけの情熱を投じて寺と仏像をつくりながら、ここに池をつくらないということはありえないと思うのだが、インターネットで調べた限りでは、ここに池があったという記述は見つからない。またここに行って質問してみたい。

 三つの御堂は、上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)という、往生のしかたの三つの段階に対応しているという。さらに、それぞれの品に上生・中生・下生という三つの段階があるから、ぜんぶで上品上生から下品下生までの九つの往生のありかた、つまり「九品」になるというわけだ。だからひとつの御堂に三体ずつの阿弥陀仏があって、あわせて九体の阿弥陀像がある。3×3で9を構成するというのは曼荼羅の構成と同じで、とてもわかりやすい。

京都の浄瑠璃寺には、やはり九体の阿弥陀像があると、立て札の説明にある。(九体の阿弥陀像、像をおさめる本堂は国宝)しかし、浄瑠璃寺公式サイトの写真によれば浄瑠璃寺の阿弥陀堂は三棟ではなく、池を前にして一棟に九体の阿弥陀像をおさめている。

■追記:アースダイバー
 アースダイビングは、中沢新一の著書「アースダイバー」にもとづいている。
アメリカインディアンのある部族の国つくり神話に、水中に長い時間潜っているカイツブリが水底から泥を持ち帰り、それによって国をつくったというものがあり、それをアースダイバーとよぶところから本のタイトルにした。
ちなみに、カイツブリは小さな水鳥なのだが、足は大きく平たくて、泳ぐには適している。
指と指の間をつなぐような水かきはないけれど一本一本の指がこんなふうに平べったくできている。しかも、それが身体の一番うしろについているので、歩くにはすこぶる不自由にできているし、水の上でも、きっとのんびり泳ぐよりも潜るのに向いているようだ。だから、歩いているカイツブリって見たことがないのだろう。

■関連エントリー
「谷沢川vs九品仏川」河川争奪戦/MADCONNECTION
JEDI / 7th Earth diving/aki's STOCKTAKING
petit-earthdiving091219(1)/Across the Street Sounds

投稿者 玉井一匡 : 09:58 PM | コメント (2)

December 17, 2009

MacBookの帰還:8回目の入院から

MacBookReturnS.jpgClick to PopuP
 3週間強の入院を終えてMacBookが帰って来た。
 メーカーの保証期間1年+AppleCareが2年=合計3年。この間は、落としたり水没させたりしなければ無償で修理してくれる。その3年がことしの秋で終わるということは分かっていた。こまかな問題で何度もアップルストアにいくのは面倒だから、保証期間の終わり近くにまとめて直してもらおうと思っていた。ある日、そろそろだと思って保証書を見たら、すでに3年は過ぎていた。
 しかし、ぼくはあわてない。そんなこともあろうかと、ちゃーんと販売店の保険も加えておいた。それで、もう2年延長できる。
と、思いながらなかなか手許から離しがたくて使い続けているうちに、ディスプレイを水平から45°くらいの角度まで倒さないと消えてしまうようになった。その角度が段々水平に近づいて来たのだが、ある日とうとうディスプレイがまっ黒になった。
ヒンジの部分の故障なのだろう。

 ディスプレイ交換1回・キーボード交換2回・マザーボード交換・筐体交換・DVDプレーヤー交換・ハードディスク交換というぐあいだったから、総ての肉体は入れ替わった。生物のように、身体が変わりながらアイデンティティーを維持してきた。5,6回入院したと思っていたが、書類を確認したら7回。今回が8回目なのだ。
*上の写真は、プチプチシートに包まれて帰ってきたMacBookと、入院履歴を示す書類です。それにしても、コンピューター用語でしかお目にかからない「筐体」なんていうむずかしい漢字をつかうことになったんだろう。

 かつてはクイックガレージに持っていくと目の前で修理をしてくれるのが感動的で、それを見るのが楽しみだったのだが、のちに部品供給の方法が変わって客の目前での修理という離れ業を披露できなくなり、アップルストアの方が早く修理できるようになった。それ以来、アップルストアに大変お世話になった。有償で修理代を払っていたら、すでにマックブック2台分近くになっているかもしれない。

 AppleCareの切れた今回は、ヨドバシカメラの保険を使った。これは、5年間有効なのだが、保険で負担できる金額が、購入した商品の価格を基準に一年目の100%から一年ごとに10%ずつ減る。今回は4年目に入ったので購入金額の70%が上限となった。
1年間の補償と2年間のAppleCareの間は、ユーザーに過失がなければ修理の回数と金額に上限はなかったけれど、ヨドバシの保険では金額が徐々に減るうえに、使える回数は一回だけに限られる。だから、今回が最初にして最後の無償修理だ。
今回は、①ディスプレイが消えてしまう②キーボードの周囲が4カ所割れてしまい、透明ガムテープを貼って保たせていたので、キーボードをそっくり交換、③筐体の裏にひびが入ってきたので筺をキーボード側ディスプレイ側もろとも交換、④DVDプレーヤーにディスクが入らなくなったのを修理してくれた。費用は8万円弱だったので、保険で全額をまかなうことができた。

 いつどこへ出かけるにも連れて行くほどのMacへの愛情ゆえに壊れたことを理解してくれたのだ。感謝に堪えない。現在のMacBookの筐体がアルミの削出しになったのは、この世代のMacBookの筺が弱かったことを反省したからにちがいない。キーボードも、割れやすい構造を反省して改良した現在の白いMacBookのものに取り替えてくれた。
白くすべすべの肌、しっかり角度をたもつディスプレイ。ぼくは、この白いMacBookのデザインが好きだけれど、つぎに買い換えるときにはアルミ削りだしのやつにしようと思うが、AKIさんはMacBookAirのソリッドステートドライブつきが故障しにくいよとおっしゃる。こいつが元気な間に、ゆっくり考えることにしよう。
なにはともあれ、感謝の気持ちをAppleだけではない、AppleCareを申し込みながら利用しなかった諸兄諸姉にもささげたい。

投稿者 玉井一匡 : 09:17 AM | コメント (4)

December 12, 2009

鮭の焼き漬け

SakeYakizukeS.jpgClick to PopuP
 ぼくの病弱なMacBookが6回目の入院をしている。おかげで、自宅ではMacをさわることのできない日々が続く。かえって自由だと思うこともあるけれど、おおかたは不便なことが多くてとりわけblogのエントリーが億劫になった。娘のMacBookを借りて冬の雪国の食べ物でもエントリーしておこう。
 半月ほど前まで、新潟のスーパーマーケットでは生の筋子を安くたくさん置いてあった。となりには、三枚におろした生鮭を三つほどに切り分けたパックが並んでいる。腹を割かれた上に筋子との親子の中も引き裂かれたんだろう。値段のシールに書かれている用途は、生の筋子が「醤油漬けに」、成魚は「鍋物、バター焼きなどに」とあるけれど「焼き漬けに」とはない。小ぶりなやつだが鮭の半身まるごとが500円ほどのパックがひとつあったから筋子を三つとそれを買った。

 夕食のあとにイクラは醤油漬けに、鮭は焼き漬けにした。近頃、醤油漬け用の生筋子は東京でも買えるから作り方も知られているが、焼き漬けは昔から新潟でつくられてきた保存食で、すこぶる簡単にできるし旨いのだがあまり知られていないようだ。

 新潟の鮭の伝統的な切り身は独特の切り方をする。ふつうの切り身は切口が背骨と直交する方向に切るけれど、新潟の伝統的な切り方では、背骨と平行な方向を大きな切り口になるようにするのだ。
老舗「小川屋」の鮭だとこんなふうに切る のだが、これは大きい上等な鮭の場合で、ぼくがスーパーで買ってきたこの鮭は小ぶりだし上等でもないから肉が薄いので扁平にならざるをえないが、焼き漬けにするには、この切り方の方がくずれにくい。
 それを、中まで火が通り表面がうっすらと焦げ目のつくほどまで焼く。その間に浸け汁をつくる・・・といっても簡単この上ない。なにしろ、酒5:醤油5:味醂1くらいの割合を軽く火に掛けてアルコール気を飛ばす。焼けた鮭を容器に入れて上から付け汁を注いで、冷蔵庫に入れておくだけだ。翌日にはもう食べ始めた。あまり上等でない鮭でも、味付けで補うことができる。
 真空パックで中身が見にくいが、いい材料をつかった「小川屋」の鮭の焼き漬けは、こんなぐあいだ。できばえも違うが値段もちがう。

投稿者 玉井一匡 : 08:20 AM | コメント (2)