January 25, 2010

初めての相撲:場所と時代と四季

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 両国駅の改札口に立っていると、どこからか甘い香りがやってくる。振り返れば10mほど後ろの階段を若い力士が降りてくる。香りの源は彼の髷なのだ。生まれて初めての相撲見物が鬢付け油の香りという、気配からはじまるのは周到な仕掛ではないか。
取り組み開始の8:45を目指していたのに就寝が4:30になったのですこし遅らせて11:30に到着したが、それでも土俵はまだ三段目で観客はほとんどいない。あまりいい席ではないんだよと言いながら叔父がチケットを渡してくれたのだが、そんなことはない。枡席では前から3番目の西側。テレビで見ていると力士が左右に分かれてにらみ合うのを見るのだが、ここから仕切りを見ると一番手前に西方の力士のお尻がある。いつもと違う見え方がむしろ新鮮で興味深く思われて、ぼくは相撲と方位との関わりについて考えていた。

相撲では、初場所、春場所、五月場所・・・・というが、芝居なら正月興行とでもいうだろうに、なぜ「場所」というんだろうということが、前の日に気になりはじめた。スポーツなら「大会」とでもいうところだろう。相撲博物館に行ったらそのことを聞いてみようと思ったが、席について見はじめると、つぎつぎと興味深いことが続き、6時間以上もの間は退屈するひまも博物館にいく余裕もない。
 そうしてみると、テレビというのは取り組み以外の時間を退屈させる能力があるようだ。何十年もテレビを通して相撲を見てきたが、東の横綱は西向きに西の横綱は東向きに土俵入りをすることに初めて気づいた。目の前で見ていると、取り組みの流れには細かいメリハリがある。行司と呼び出しの衣装や作法は徐々に変わってゆく。弁当も旨い、土瓶と湯飲み茶碗もいい、幕下では三回も同体で取り直しという取り組みがあり、結びでは白鵬が把瑠都に負けて座布団が頭の上を飛んでいった。そうしているうちに6時間以上が瞬く間にすぎた。

SumoSandanmeS.jpg そんなわけで、いつのまにかぼくは「場所」についての疑問をすっかり忘れてしまったのだが、取り組みが終わった帰りがけ、屍のように布に覆われた土俵を見ているうちに、それをふと思い出し、「場所」とよぶ理由にも思いあたった。土俵は布に覆われると、先ほどの番狂わせにたくさんの座布団が投げられた熱がすっかり消えさり、いのちも失ったようだった。失ってみて、それまでのいのちが何だったのか分かったと思った。そもそも土俵は、神を呼ぶために四神の色の柱を立てて砂を盛り結界をつくる。塩を撒いて清める。土俵入りを舞う。力比べをする。それらはすべて、この場所の神への捧げものなのだ。だから、相撲の興業は「場所」でなければならないのだ。初めてのパリ巡業でポスターにつかわれた大乃国の土俵入りの写真に加えられた言葉が「きみは神を見たことがあるか」だったと読んだことがある。ぼくはまだ神もこのポスターも見たことはないが、今度、相撲博物館に行くことがあればポスターを見せてもらおうと思う。ちなみに、場所中でなければ博物館は無料だそうだ。
 相撲には、場所のほかに季節と時代があり、茶屋の賑わいは華やかだし、食い物はうまい。しかも今や、モンゴル、韓国、中国、ブルガリアラトビアグルジア、チェコ・・・はるか遠くに拡がった力士たちと世界をともにして、観客は分け隔てない声援を送るのが気持ちいい。両国の駅に降りてから徐々に始まる別世界が、ほんとうに面白かった。隅田川の橋を自分の足で渡れば、もっといいのだろう。

SumoZabutonUFOS.jpgClick to PopuP そういえば、たしか丸谷才一と山崎正和の対談で、相撲というのは室町江戸明治と様々な時代の衣装・風俗が共存していると言っていたのを思い出した。図書館で借りた本だから図書館のサイトで「丸谷才一 山崎正和」で検索するが出てこない。数日後に自分で図書館に行って本棚をさがしてみると「半日の客 一夜の友」という対談集があった。その本の「藝能としての相撲」という章で相撲について語っているのだ。歌舞伎やシェークスピアにも、時代と風俗の混在があるという。衣装のこと以外はすっかり内容を忘れていたから読み返してもすこぶる面白い。山崎正和も、このとき初めて相撲を見たそうだ。そりゃあこの二人の対談がつまらないはずがない。全体が日本文明論だが、15年経った今でも何も変わっていないことが分かる。そばに置いておきたくなったのでamazonで探すと、すでに絶版になっているのか単行本も文庫もマーケットプレイスの古本しかない。
 さっそく単行本で一番安い1円の古本を注文した。手数料は一律340円。

■追記:朝青龍は、この場所優勝したが、この日の早朝に起こしたとされる暴力事件を理由に退職させられた。

投稿者 玉井一匡 : 01:23 AM | コメント (0)

January 19, 2010

牛の鈴音 

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 韓国のドキュメンタリー映画「牛の鈴音」を観た。といっても、もう10日以上も経ってしまった。
日本でも年末から公開されているが、韓国では昨年公開されるとドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを飛ばした。40歳というおいぼれ牛を使って農業を続ける老夫婦を撮り続けた、すこぶる地味な映画が数多くの韓国人の心を強くゆさぶって、300万人が映画館に足をはこんだ。韓国の人口は約4800万人だから、この割合を日本の人口12800万にあてはめれば、800万人が観たということになる。お金をかけた映画ではないから、純益/制作費の比率では、じつに4300%に達したという。

 わけあって、ぼくはこの映画をできるだけたくさんの人に観てほしいと思い、友人知人にも勧めて特別鑑賞券を買っていただいた。
・・・にもかかわらず、正直にいえば、韓国で300万人動員という現象にふさわしいほどには、ぼくは感動することができなかった。これを見た人たちにたずねても、僕の印象とそれほどにはかけはなれていないようだから、韓国の観客とぼくの受け取り方の違いは、おそらく二つの国の文化的社会的背景に理由があるのだろうと思う。
では韓国のメディアはこの映画についてどう書いているのだろうか、それが知りたくて「中央日報」「朝鮮日報」の日本語サイトを開き「牛の鈴音」と打ち込んで検索した。

 どういうわけだろうか、いずれのサイトでも検索の結果はゼロだった。どちらも取り上げていないのだ。しかしおかげで、この映画とそれに対する観客の受け取りかたについては、なおさら興味がわいてきた。
老人の妻をはじめまわりのだれもがこの牛に農作業は無理だよと言うのに、彼は頑なに耳を貸そうとしない。牛にクルマを引かせて、人間が歩くよりもむしろ遅いくらいゆっくりと山合いの畑にたどりつくと、こんどは鋤を曳かせて土をおこす。牛は40歳、老人は79歳、こどもの頃に不自由になった右足をひきずって歩く。それでも草を牛に食べさせるからと農薬はつかわず、斜面に這いつくばって牛のために草を刈る。

 それほど親密で献身的でありながら、かならずしも牛がかわいいという表情を見せるわけでもない。画面を見ながらぼくも、ジイさん、もういいじゃないかと思い続けた。
そういえば彼は、かくも大切に思いながら牛を名前で呼ぶことがなかったと気づいた。きっと名前をつけなかったのだろう。それは、彼が牛を別の人格とは考えず、あたかも自身の身体の一部であるように思っていたからではないか。同じような理由で畑から離れようとせず、絶えることのない妻の愚痴にも反論しないのだろう。すでに畑も妻も牛と同じように自分の一部と化しているのだ。ぼくたちの愛情は、相手を思いやるところにある。けれども老人の愛情は相手と一体になることにあるのではないか。そして、それに観客は共感したのではないか。
 かつては考えられなかったほどに、日本と韓国の間は近くなった。多くの日本の文化も、おそらくは多くの人間も、朝鮮を通じて日本にやってきたのだろうから日本の文化が韓国と近いことは当然だが、だからといって違いがないわけではない。違いの発見は、むしろ理解への手がかりであることを考えれば、他文化との互いの違いを認めつつ理解しあうというありように近づいているのだとぼくは思いたい。
あの老夫婦と会って話してみたいと、いつのまにかぼくは思うようになったもの。

投稿者 玉井一匡 : 11:24 PM | コメント (0)

January 01, 2010

2010年 新年おめでとうございます

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新年おめでとうございます。
新潟で迎える新しい年は、一面の白に包まれるのだろうと思っていたのに
雪の気配を含ませながら風が玄関の古い引き戸の隙間で音をたてているばかり
近頃にしてはとても寒い2009年最後の夜
近くの小さな神社に、午前零時をまたいで二年詣に行きました。

帰り道、両側に家のならぶ通りでなく、田んぼの脇の道を歩いてくると
だれも歩く人のいない道には、見渡すかぎりの田んぼを越えて容赦なくまともにあたる冷たい風
空には冴え冴えとした月が浮かんでいるのに雪が宙を舞う夜の風花が痛いほどつめたくて
横面を叩いて、今年も、いい年を祈って待つよりも、いい年にしてしまえよと言っている
もとよりそうするつもりです、ことしもよろしく。

■虎の絵は、伝狩野探幽筆、南禅寺方丈の襖絵「群虎図」を加工しました。

投稿者 玉井一匡 : 03:55 AM | コメント (8)