August 30, 2010

春海運河(はるみうんが)の鉄橋

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kai-wai散策で、豊洲に残されている魅力的な鉄橋の写真を見た。masaさんは、ここはニューヨークのHIGH LINEのようにできるんじゃないだろうかと言って、以前にぼくがエントリーした「High Line:ニューヨークの高架鉄道あとの再生」にリンクしてくださった。Googleマップでここを上空から見下ろすと、大きな橋と伴走するように細い鉄橋が平行していて、運河沿いの遊歩道の対岸には生コン工場がある。かつては、埋め立て地にある工場と港の間を原材料や製品を乗せて行き来する鉄道が運行されていたのだろう。
 HIGH LINEは牛や豚を乗せて港と屠殺場のあいだを行き来する鉄道だったのだから、たしかに共通するところがある。乗客を乗せて行き来することはなかったのだ。ぼくは鉄道ファンではけっしてないけれど、古い時代の鉄道とその施設の無駄のない美しさにひかれる。すぐに見たくなって、masaさんに電話をかけて場所を確認すると、さっそく次の日曜日に行くことにした。masaさんもつきあうよと言う。

 有楽町線の豊洲駅で降り、たくさんの人たちでにぎわうショッピングセンターを通り抜けると目の前に運河が広がった。かつての造船所のドックの一部を再利用して船着場がつくられている。そこに立って川上を見ると前方にあの鉄橋がある。上空からはあんなに細い鉄橋だったのに、こうして見ると鉄橋の方が美しい。横から見ると、けっして細くはないが美しい。
 松本零士がデザインした遊覧船「ヒミコ」が、かつてのドックを改造した船着き場を出て浅草に向かっていった。みるみるうちに運河を遡って、あの鉄橋の下をくぐり隅田川へ消えていった。ヒミコは、連続する一枚の曲面をなす皮膜で覆われている。鉄橋はアーチから下げた直線が橋桁を吊っている。古典的な力学と、いまではもう先端の技術ではなくなった鉄という金属の実直がきわだってとても好ましい。

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 ヒミコを追うように、ぼくたちは運河を左に高層の集合住宅を右に見ながらほとりの遊歩道を歩いてゆく。ヒミコの未来的なかたちがいかに魅力的であろうと所詮はさほどスピードを必要としない遊覧船の表面のデザインであるから、すでに使われなくなった鉄橋の質実に及ばないのは当然だとしても、いま生きている人々の日々の生活がいとなまれる大規模な集合住宅やショッピングセンターがほとんど魅力を感じさせないのは、どういうわけだろう。ぼくたちの生きている現在のこの国この世界に何かが欠けている、あるいは、欠けているところでなく満たされているところにさらに何かを加え続けざるをえないのは、人間の活動として歪んでいるということなのかもしれない。
 
 道からあの鉄橋へ続くところは、案の定ネットフェンスで遮られていた。
もちろん「立入禁止」を表示する板があり、横にはネットを切って子供なら出入りできそうな穴があいている。こういう冒険をする少年、あるいは少女がいるらしいと内心ぼくはニヤリとした。masaさんは一眼レフのレンズを差し込んだ。
 橋は、中央のひとスパンだけをアーチの鉄橋にして橋脚をなくし、船の航行をしやすくしているらしいが、岸に近いところは両側ともコンクリートでつくられている。上から見ると、単線の線路がまっすぐにのびて、その線路敷の砂利の間から植物が生えている。橋脚の足下にはスズキとおぼしき魚が白い腹を上にして浮かんでいる。ここにも生物の世界があるのだ。

 ここを人がわたれるようにしたいな、しかし国交省がこんな面倒なことをやってくれるだろうか、もしかすると小野田レミコンの私有の鉄道だったのかもしれないねなどと話しながら帰ってきた。その2週間後くらいだったろうか、かつて強風で列車が吹き飛ばされる事故の起きた餘部(あまるべ)鉄橋がコンクリートに架け替えられたとニュースが報じていた。もとの鉄橋は、歩行者用になるのだそうだ。そういう前例があるなら、ここも歩行者用に残すことができるかもしれない。もしかするとすでに、そう決まっているのかもしれない。
と、期待したのだが、wikipediaをよく読むと旧鉄橋は全部を残すわけでなく、ほんの一部が残るだけのようだ。

■追記
 ネット検索してみると、ここは「東京都港湾局専用線」という鉄道の一部だったらしい。鉄道愛好家たちのたくさんのサイトがこの鉄道をとりあげている。

・「遠い日の記憶-東京都専用線」「消えゆく東京都専用貨物鉄道 晴海線」
・「晴海埠頭を歩いて 1~6」/「廃線・専用線」
・「廃線探索報告」
・「東京都港湾局専用線」

■関連エントリー
運河に浮かぶ遺構/kai-wai散策
晴海運河風景/kai-wai散策

投稿者 玉井一匡 : 12:43 AM | コメント (7)

August 17, 2010

ワイナリーのしあわせな猫たち

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 ぼくは犬と暮らしたことは多いけれどネコを飼ったことはない。だからネコの生態をあまりよく知らないので、かれらの行動の理由と意味について勝手に想像をめぐらすことができる。
このネコたちは、ぼくがそばを通ってもカメラを向けても、いっこうに気にかけない。すこぶる自由に気ままに、暑い夏を生きているようで、ひんやりとしたタイルの上に爆睡してるやつ、木の枝に下げてもらった手製のネットベッドの上でチェシャ猫を気取って人間を見下ろしているやつ。以前にエントリーしたラオスのホテルにいた犬も、暑さをかわしながらしあわせそうに生きているのが、とても魅力的だったけれど、このネコたちはあの犬とはまた別の自由を生きて人間のそばにいながら超然としている。かなり汚れているから野良ネコと飼いネコと小型野生猛獣のあいだにいるようでかっこいい。
 ここにたくさんのネコがいるのはわけがある・・・と、ぼくは思う。かれらの住んでいるところは「カーブドッチ」というワイナリーなのだ。おそらく、ワイナリーにはネズミが住みたがる、もちろんネズミに住んでもらいたくはない。そこで、かれらの出番になったにちがいない。それに、葡萄は鳥たちの食欲をそそるから、彼らに睨みを利かせてもらう必要もあるだろう。

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 左上の写真の熟睡しているネコの背後には、丸い穴のあいた箱がならんでいる。ネコの巣箱なのだ。合板の箱の中に白い発泡スチロールの箱が入っている。というよりも発泡スチロールの箱をコンパネでくるんで上に鉄板を張ったというべきかもしれない。冬の寒さをしのぐための家なのだ。冬の間、猫たちはこの箱の中で孤独をまもるのだろうか、それともだれかをさそってあたため合うのだろうか。

 このワイナリーは、できてからまだ十数年にすぎないが、鹿児島出身の落さんというひとが日本中をさがしまわって、ここを葡萄とワインをつくるのに一番と見込んだという話を聞いてから十年以上経った。だからカーブドッチ=CAVE D'OCCIは、「落のワイン蔵」というわけだ。何もなかったところに葡萄を育てることからはじめてワインをつくるなどという時間のかかることをよく踏み切ったものだ。はじめに知ったときにはワイン貯蔵庫の他にレストランがひとつあるだけだった。
そのころからあったヴィノクラブというのがいまも続けられていて、10,000円で葡萄の苗木一本のオーナーになると10年のあいだ毎年一本ずつワインをくれる。
 すこしずつ木造の建物を増やしてゆき、いまでは、フランス、ドイツ、イタリア料理などを食べさせるレストラン、小さな音楽ホール、パンとケーキの店、ソーセージ・ハム工場、もちろんワインの売店などに加えて温泉もできた今、小さな村のようになった。どの建物も、とてもよくできている。建物の間から山が見えるようになって、かえって山を印象的に大きく見せて引きたてるのだ。

 はじめから小学生未満の子供はお断りと言ってしまったし、VINESPAと名づけられた温泉は女湯を優遇して面積も広く女性専用のサービスが多い。その半面で、ワイン蔵の見学も自由にできるし芝生も立ち入り禁止が少ない。開くところ閉じるところの勇気ある思い切りも効果を生んだのだろう。日本のこういうところには珍しいことだが、建物が古くなり植物も馴染んできて時とともに村はますますよくなった。念のために付け加えておくけれど、ここにぼくは客としてたまに訪れることと、ヴィノクラブの会員として(それも、10年が終わったのが一昨年だった)以外の関わりはない。

 あの猫たちがいることも、この村の奥行きを深くすることに役だっている。ぼくは子供たちが好きだし、猫をかわいがったこともほとんどないが、子供がいないこと猫がいることによってつくりだされるまちのよさもあるのだ。

投稿者 玉井一匡 : 11:00 PM | コメント (0)

August 14, 2010

それでも、日本人は『戦争」を選んだ

SoredemoSenso.jpg『それでも、日本人は『戦争」を選んだ』/加藤陽子/朝日出版社
  昨年末に本屋で見つけたが、そのときにはやり過ごしたのだがひと月ほど前に新潟のジュンク堂で見つけてレジにもってゆくと、時節柄だろうかすぐわきにたくさん平積みしてあった。
朝日出版社は、かつてレクチャーシリーズというシリーズをつくっていた。あるテーマについて、ひとりの専門家にひとりの聴き手を組み合わせて話を立体的に展開するというものだ。前後関係については定かでないが、この頃、朝日出版社は伊丹十三責任編集の雑誌「モノンクル」を出していた。あまりに手を掛けすぎたからかもしれないが短期間で休刊になってしまったモノンクルと「レクチャーシリーズ」は、形式と分野と顔ぶれが重なっていたから、レクチャーシリーズにも伊丹十三が関わっていたのかもしれない。
 朝日出版社のつくった「海馬」などのペーパーバックスはあきらかにこの流れを継承している。すぐれた話し手と、それと同等のすぐれた聴き手のふたりによるセッションという話の進め方の形式、もうひとつは、人間の根幹をなす思想や先端の研究をテーマとしてとりあげている。

 しかし、この本では話し手と聴き手はけっして同格ではない。前者が日本の歴史の気鋭の研究者であるのに対し後者は高校と中学生徒たちなのだ。ちょうど「海馬」の池原祐二が「進化しすぎた脳」で中高生にレクチャーをしたのと同じ形式だ。話し手は東大の教授だが、自身が歴史に名を連ねて学会の要職に安住するような人ではなくイキがいい。問題を投げかけられる生徒たちは、栄光学園の歴史研究会の部員だるから鋭い反応を返す。

 リンカーンのゲティスバーグ演説をとりあげて、 彼が何を意図してこの演説をしたのかを生徒たちに問いかけることから歴史とは何かについて切り込んでゆく。「government of the people, by the people, for the people 」というくだりが日本国憲法の前文にある「権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とほんど同じであることを示す。このレクチャーの生徒たちはすでに知っていたようでさほど感心しないが、ぼくにとっては初めて知った事実だったから戦後の日本とアメリカについて新しい視点を手に入れた気がする。

 加藤氏は、歴史は、数字や名前を暗記するものではなく、かつてある状況で人間がどのような行動をしたのかを読み取って、行動の拠り所にする科学だという。日清→日露→第一次大戦→満州事変→日中戦争→太平洋戦争と続けざまに戦争をしてきた近代日本の、政府・政党・軍・大衆が戦争をどう見ていたか戦争にどう関わったかを、生徒たちにときに問いかけときにみずから空間と時間を自在に駆けめぐり新しい資料を提示して解きほぐしてみせる。さながら時間のGoogleEarthを手に入れたようにして、歴史の「構造」を見つけ出す。
 
 ぼくたちは、ある行動や言葉が、いつ、誰によって、どんな状況でなされたかによってまったく別の意味をもつことを知っている。いまのできごとについては、それを忘れないようにしているつもりだが、時間が経つにつれてミイラのようになった解釈をそのまま受け取ってしまいがちになる。しかし、つぎつぎと新しい資料がみつかれば、背後にある構造がよく見えてくるものだということを、加藤氏は教えてくれた。
 日本の近代を「戦争」というツールを駆使して生きたものにしてして見せるという逆説が、何よりおもしろかった。松岡洋右についての再解釈も印象深い。

■関連サイト
リンカーンのゲティスバーグ演説/wikipedia日本語版
>リンカーンのゲティスバーグ演説/wikipedia英語版
日本国憲法

投稿者 玉井一匡 : 08:30 AM | コメント (0)

August 01, 2010

LA VIE EN ROSE

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 LA VIE EN ROSEと名付けられたクレープは、渋谷に新しくできたクレープリー ティ・ロランド(Creperie Ti Rolande)の看板メニューだ。なるほど・・・バラの花に見立てたんだね。
 と思いながら、ためらいつつ思い切ってナイフを入れ、フォークですくって口にはこぶと、かすかにバラの香りを漂わせる「花びら」に包まれているのは苺のシャーベットで、透けて見えたのは生のブルーベリー。フランス人の若いシェフ、ジュリアンの力作だ。

 このクレープは特別に華やかだが、他のクレープやガレットはむしろ地味で素朴だ。パリのモンパルナスにはクレープ屋が多いそうだが、中でも一番の老舗 Ti Jos(ティジョス)の女主人ロランドさん直伝のスタイルは円形を二回ふたつ折りにして扇形にたたむ伝統的なやり方だから、中身が見えにくい質実剛健なのだ。両面を焼かなきゃだめよという。
 この店の名の「Rolande」は、彼女の名前からとったのは言うまでもないが、「Ti」はブルターニュ語の「・・・のうちへ」という意味の前置詞で、フランス語でレストランの名前などによく使われる「chez」と同じだ。こういう店名のつけかたは他の国にあるとはきいたことがない。おとずれるひとの動き、むかえるひとの気持ちが思い浮かぶようで、ぼくはとても好きだ。彼女は蕎麦粉選びの相談にも乗ってくれたし、ガレットとクレープはもとよりブルターニュ料理のつくりかたまで教え、開店前には夫妻で日本を訪れ指導してくれた。店の名をTi Rolandeとしたのは、彼女への感謝のしるしなのだ。だから、店の中にはTi Josとそこで仕事をする彼女のモノクロの写真がたくさんある。先日は、日本旅行にきたTi Josの常連がわざわざ訪ねてくれた。

 クレープはブルターニュの地方料理だから、ブルターニュ地方行きの列車が出るモンパルナス駅のあたりにはクレープ屋が多いのだそうだ。クレープは小麦粉を材料にして、デザートとして食べる甘いやつで、蕎麦粉をつかってチーズやハム、卵などを間にいれて焼くのがガレットだ、なんていいながら、ぼくは数ヶ月前にガレットや本格的なクレープを初めて食べたばかりの駆け出しだ。ロランド流のガレットは両面を焼くので、端が薄いクッキーのようにサクッとしているのがいい、なんてことを今では思うようになった。

 この店はあるじの服部さんこそ日本人だが、奥さんのイリーナはロシア人、クレープを焼くジャン・ポールとシェフのジュリアンはフランス人。バングラデシュから来たもうひとりの料理人のジャヒルルは、なんでもうまいものを作ってみせる。ルー・タバキンが、「ぼくたちは、みんな国籍が違うからインターナショナルトリオなんだ」と言うように、ここの人たちはインターナショナルスタッフなのだ。

■関連サイト
クレープリー ティ・ロランドの所在地:東京都渋谷区松涛1-28-11/Googleマップ
Creperie Ti Rorande 公式ホームページ(まだ、口上と地図だけですが)
「Irish meets Latinというライブ」/MyPlace

 

投稿者 玉井一匡 : 05:05 AM | コメント (13)