September 29, 2010

セグウェイは生きている

SegwayCrossing.jpgClick to GoogleMap Chicago
  一昨日、Segwayの会社のオーナーがSegwayを運転していて崖から落ちて亡くなったというニュースを聞いて、発明者なのかと思っておどろいたが、よく読むと会社を金で買収した人物だというので、申し訳ないが正直なところちょっと安心した。ブッシュがSegwayで転んだなんていうのは、いい笑い話だが、オーナーが亡くなったとなればそうはいかない。Segwayのホームページを開くと、お悔やみに対するお礼の言葉が現れる。

 ちょうど先日、サラ・パレツキーの小説を読みながらGoogleマップを開いてストリートビューを見ていると、Segwayにのって信号待ちをしている数人の若者たちに出くわした。これが現実界であれば「おもしろい?」と訊ねるところだがそうはいかないので、「CHICAGO,Segway」と打ち込んでGoogleを検索してみた。
すると、City Segway Touursというのがある。アトランタ、ベルリン、ブダペスト、シカゴ、ミュンヘン、パリ、サンフランシスコ、ウィーン、ワシントンDCの各都市を、Segwayで巡るツアーらしい。で、いくらなんだろうか気になったので、もちろん Chicagoを開いてみた。シカゴは、世界ではじめてSegwayによるツアーを始めたところで、このツアーには2時間と3時間のものがあって、それぞれ費用は60ドルと70ドルだという。安いとは言えないがSegwayの講習とまち歩きの入門教育をしてくれるんだと思えば、もしぼくがシカゴに行くことがあればやってみるだろう。

 ツアーは、はじめて訪れた人たちがざっと都市を把握するもののようだが、そういう目的なら自転車で回っても不便はないどころかむしろ便利だろうだから、やはりこれはSegwayの試乗と販促の意味合いが大きいのだろう。
文末には「大切なおねがい」としてこう書かれている。「ツアーのはじめに30分間のオリエンテーションを行い、全員がSegwayに慣れてシカゴを征服できるようになるまで練習していただきます。Segwayは、年齢12才以上体重100ポンド以上の方ならどなたでもお乗りになれます。ただし、酩酊状態の方、妊娠中のご婦人の参加は、残念ながらお断りしますのでご了承ください。」
つまり、30分の練習で自在に乗れるようになるということだ。

ところで、もし、日本でセグウェイを買ったらいくらするんだろうかと気になってセグウェイジャパンのサイトを開いてみたが、基本モデルで935,000円もするんだ。こりゃあ買わないだろうな。

投稿者 玉井一匡 : 11:17 PM | コメント (0)

September 27, 2010

「ミッドナイト・ララバイ」:サラ・パレツキーと村木厚子氏

MidnightLalaby.jpgミッドナイト・ララバイ/サラ・パレツキー著・山本やよい訳/早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 女私立探偵のハードボイルド小説作家としてスー・グラフトンについては以前に「ロマンスのR」をエントリーしたが、彼女とならぶサラ・パレツキーの新刊を読み終わった。
 いつもどおり密度が高い構成で、時代のかかえる問題を衝くテーマに正面からぶつかり、けっして期待を裏切ることがないので、広告で知ってからずっと待っていた。この写真は、書店の包装紙で表紙を覆われたままにした。安っぽい漫画のようなデザインで内容まで安っぽく見えるのが耐えがたいからだ。「ミッドナイト・ララバイ」なんていう甘ったるい日本語タイトルの原題は「HARD BALL」だ。とはいえ、いつもは単行本を出してしばらくして文庫になるのに、今回、早川はいきなり文庫を出してくれた。

 主人公の探偵ヴィク・ウォーショースキーは、かつて刑事弁護士だったが仕事に嫌気がさして探偵に転じた。シカゴのサウスサイドに生まれ育ったが、そこは貧困や黒人たちのすみついた工場地帯だったから、社会をさまざまに分かつカテゴリーの境界を間にして生じる矛盾をヴィクはするどく感じ取り、それに対して強くときに過剰に反発する。たとえば白人と黒人、金持ちと貧乏人、権力を持つ者と持たざる者、さらに男性と女性。
 その境界のウチとソトのつくりだす不平等をなくすために作れたはずの法そのものも、それによって護られる者と護られない者・支配する者と支配されるものをつくりだすということについて、ヴィクは我慢がならない。だから境界の存在をいつも嘆きつつも、かえって気持ちを奮い立たせて行動の原動力に変えて、有利な立場を利用するやつらに果敢にあるいは無謀に戦いを挑まずにいられない。

 警察官・検事という人々と被疑者の間には、とりわけ堅固な境界があって、極端なワンサイドゲームをおこなわれることが法によって容認されている。そこでは、一方が相手を監禁して情報を遮断し、強者は望むとおりの言葉と態度をひきだすことができる。それは、国民を護るためにつくられ容認された徹底的に不平等な法なのだ。それを、おのれという一個人のために、あるいは、ある集団のために利用しようとすればどんなことでも可能になってしまうのはあたりまえのことだ。
 そういうことをするやつらに我慢のならないヴィクは、真実や公正よりも利益を第一に考えるマスコミ、警察や検察とも対立を繰り返すから、自身がいつもあぶない立場に立たされる。にもかかわらずそういう生き方を保ち続けられるのは、身のまわりや遠くにさまざまな友人たちがいるお蔭なのだ。ヴィク自身がそうであるのはいうまでもないが、彼女たち彼らは、みなそれぞれにとても魅力的な人たち。シリーズものの推理小説は、登場人物が魅力的でなければつづけられないのだ。

 いま、こうしてヴィク・ウォーショースキーをみると、村木厚子さんのことを思わずにいられない。検察官いや検察そのもの、もしかするとその上位にあったものたちの意図によってなされた証拠捏造で、突然、犯罪者に仕立てられた彼女の無念と絶望、やり場のない怒りが思い浮かぶからだ。彼女の勤務した厚生労働省とは、皮肉なことに不公正の被害者を応援するための部署だ。
 村木氏が、獄中で読んで勇気づけられた本の二冊のひとつに、ウォーショースキー・シリーズの第一作「サマータイム・ブルース」の一節をあげている。無罪判決直後の週刊朝日(9月24日号)のインタビューだ。「ミッドナイト・ララバイ」が本屋に並んだのはさらにそのあとだが、もしかすると彼女は店頭に並ぶ前にこの新作を読んでいたかも知れない。これまでのシリーズの中でもヴィクの本領がもっともつよく発揮されているし、村木氏のおかれた状況と重なるところが多い。

 いま、サラ・パレツキーは国際ペンクラブの大会に出席するために日本に来ている。それに合わせてこの本が出版されたそうだ。だとすれば、パレツキーと村木氏の対談を実現して本にほしいものだ。それを考えつかない編集者がいるとは思えないから、近い将来にそれを読むことができるかもしれない。

 ぼくが週刊朝日を読みはじめたのは、秋山さんからの電話によるすすめのためだった。大新聞やテレビ局による反小沢キャンペーンに対して、ブログやtwitterなどの新しいメディア、週刊誌などの非記者クラブメディアを通じて上杉隆岩上安身らが展開する主張、つまり、小沢バッシングは、既得権益を守るために官僚+大マスコミの連合体によってなされているのだという指摘を読むべきだと秋山さんは力説した。ぼくは、テレビや新聞の報道をそのまま信じようとは思っていないが、twitterは何ヶ月も開いていないし週刊誌は生まれてから10冊とは買ったことがなかった。菅直人が消費税10%を言い出したのは官僚と結託したからだとtwitterに書かれていると聞いたのも秋山さんからだった。

 週刊朝日に引用されていた「サマータイム・ブルース」の文章はつぎのような件りである。
「あなたが何をしたって、あるいはあなたに何の罪もなくたって、生きていれば、多くのことが降りかかってくるわ。だけど、それらの出来事をどういうかたちで人生の一部に加えるかはあなたが決めること」

投稿者 玉井一匡 : 11:47 AM | コメント (4)

September 17, 2010

二代目のウエストポーチで思い出す三つの「ウエスト」

WaistPouch1S.jpgClick to PopuP

ちかごろ、ウエストポーチがひどく傷んできてみすぼらしいと言われるようになった。夕方、買い物に出たついでに、前に買った「Coco Carco」に様子を見に行ったら、同じものがひとつ置いてある。ちょっと寸法が大きくなっているので、やや不満に思いながら店の奥さんとおぼしき女のひとにたずねた。
「かたちを変えたんですね」
「いいえ、長い間おなじものです」
そうかなあと半信半疑のぼくは外してみせた。
「かたちが馴染んだんですよ」というから中身を取り出してふくらみをたたいてかたちを整えてみると、うーむ、たしかに同じ寸法ではないか。そうなのか。有り体に言えばかたちが崩れたのだ。並べてみるとずいぶんくたびれている。
「iPhoneが発売される前の年のはじめに買ったから3年弱だなあ、その間に2回修理している」というと、「いえ、もっと経っているはずです」といわれるとそんな気がするがiPhoneの発売を物差しにすると3年のはずだ。
帰ってから前回のエントリー「ウエストポーチ」を開いて日付を確認すると2007年1月。iPhoneは予告してから1年半で発売したことになり、こいつは4年近くつかったわけだ。

 ところで、少年の頃ぼくたちがよく耳にした「ウエスト」というカタカナ語には三種類あるようだった。西部劇や「日劇ウエスタンカーニバル」なんていうときに「ウエスタン」として使われた「ウエスト」、野球でピッチャーがわざと高めにはずす「ウエストボール」、そしてバスト、ウエスト、ヒップと三つ並べてつかわれることの多かった「ウエスト」だ。なんか違うようだとは思っていたが、それらが、westとwasteとwaistという別の英語であるんだということは、英語を習うようになってからやっとわかった。
 カタカナ語として耳にはいると、こんなふうに別の外国語が同じ表記をされてしまうことがあるが、逆に同じ外国語がカタカナ語ではまったくべつの表記をされてしまうこともある。なぜそんなことに気づいたがは記憶にないが、もしかしたらオードリー・ヘップバーンの「ヘップバーン」はヘボン式ローマ字の「ヘボン」と同じなんじゃないかと思って辞書を調べてみたことがある。両方とも「Hepburn」だった。

 ウエストポーチということばを使うたびに、この三つのウエストをぼくは思い出してしまう。「ウェイスト パウチ」というのが近いんだろうが、どのみちカタカナを使って外国語の発音を正確に表記するわけにはゆかないのだから別の言葉だと思ってつかえばいいと思うのだ。

■追記
wikipediaを見ると、おどろいたことにふたりのHepburnは同じ一族だと書いてあった。

 

投稿者 玉井一匡 : 11:03 PM | コメント (6)

September 12, 2010

LADY BY MAPPLETHORPE:メイプルソープとリサ・ライオン

Mapplethorpe1S.jpgClick to PopuP  LADY BY MAPPLETHORPE/JICC出版局/1992年

「もしよかったら、かえりがけにメイプルソープの写真集をお届けしようかと思うんですが」
Niijimaさんが電話をくださった。
kai-wai散策のコメントで「1ページなしでもよろしければ、今度お持ちしましょう。masaさんと玉井さんで、是非(妖しい)本を回し読みください。」と書いてくださった約束を果たすためにわざわざ届けてくださるというのだ。おそくまでいますから、お持ちしていますと答えたのはいうまでもない。

 ひと月ほど前のこと、kai-wai散策で「二丁目の古書店」というエントリーがあった。写真は新宿二丁目の表通りにある古本屋だ。そこにNiijimaさんのこんなコメントがはじめに書かれた。
「以前、こちらでロバート・メイプルソープが女性ボディビルダーを撮った写真集を買ったことがございます。お店の新宿通りに面している側の右端のショウウインドウ(?)に『訳ありのため激安』と書かれた札とともに飾って(? 置いて)あったのでした。『訳』は1ページ引き千切られていた箇所があったのでした。」

 masaさんと女性ボディビルダーとメイプルソープそれにNiijimaさんが新宿二丁目にある古本屋で一堂に会したのがおもしろいし、なくなっていたというのはどんなページなのか気になって図書館のサイトで検索してみたがこの本はないようだと、ぼくはコメントに書いた。
「1ページなしでもよろしければ、今度お持ちしましょう。」とNiijimaさんがコメントに書いてくださったのだった。

Mapplethorpe2S.jpgClick to PopuP
 問題のページのコピーをとったものが、1ページ目にはさんであった。Niijimaさんが図書館から同じ本を借りて光沢紙にプリントしてくださったのだ。リサ・ライオンのヌードなんだろうと思っていたが、着衣のリサ・ライオンとミック・ジャガーのような風体のメイプルソープが並んでいる。これを持って行った人物は、メイプルソープの撮った写真よりメイプルソープを撮った写真の方に興味があったのだろう。メイプルソープの写真の下には「パティ・スミスに ロバート・メイプルソープ」とある。
 奥付によれば、写真と文章の著作権が1983年とあるから原書 Lady Lisa Lyonから30年、一回目の日本語版は1984年、この二回目の日本語版「LADY BY MAPPLETHORPE」の1992年2月初版から、いまでは20年経った。この間にゲイに対する世の中の意識はずいぶん変わった。日本の選挙にレズを公言して立候補する人がいても取り立てて騒がれることもない。30年前はボディビルの世界チャンピオンだと思ったリサのような肉体も、いまではときどき日本のまちで見かけるようになった。マドンナなど皮下脂肪をしぼっているのだろう、むしろリサよりも筋肉が際だつ。男のボディビルダーより、ぼくは筋肉質の女のひと方に好感を感じるが、それは、男が「男らしさ」をさらに強化しようとしているのに対して女は「女らしさ」に反逆しているからなのだろう。

 この写真集のリサ・ライオンとメイプルソープは、彼女が女であることを消そうとしない。みずからの中に、生物的に女であることとジェンダーとしての女への反逆の両者を重ねているようだ。反逆する筋肉を、女の皮膚で包み込んでいるのだ。さらにそれをLadyの衣服で包んだり暴力的な衣装で梱包したりする。なにごとであれ、対比的な属性あるいは補完的なものごとを共存させながら美しさをつくりだすことは容易なことではないが、重層が世界を豊かなものにする。ゲイの男たちが繊細だとか、心づかいが行きとどいているとか言われるのも、そこに理由があるのかもしれない。

 Niijimaさんは、この本の印刷はあまりよくないが編集がいいとkai-wai散策のコメントに書いていらっしゃる。たしかに、この本は写真そのものより編集あるいは構成で勝負することで、お金をかけなくてもおもしろい本になったので入手しやすくなっている。メイプルソープの写真のシャープなモノクロームは、彼自身の ROBERT MAPPLETHORPE FOUNDATIONのサイトのポートフォリオで見られる。
ところで、カタカナで「メープルソープ」「リサ・ライオン」と書かれているのを見て、かつて僕は「MAPLE SOAP」かと思っていたし、つい先日まで「LISA LION」だと思っていました。

■関連エントリー:二丁目の古書店/kai-wai散策

投稿者 玉井一匡 : 01:25 PM | コメント (4)