November 21, 2010

「警視の覚悟」とナローボート

「警視の覚悟」/デボラ・クロンビー 著/西田 佳子 訳/講談社文庫

KeisiKakugo.jpgKeisiKakugoBoat.jpg アメリカ人の著者がスコットランドヤードの警察官を主人公に書いている推理小説のシリーズで、それぞれに魅力的なレギュラーメンバーをはじめとする登場人物たちが生きていて、といってもかならず誰かが殺されるんだが、ストーリーも面白くて読み続けているうちに、いつのまにかこれが11作目になった。このシリーズも作者が女性なのだ。その方が登場する女たちや世界の描写にしっかりしたリアリティを作り出すことができるからなのだろうか。
 主人公の警視たちは、彼の両親の住むイングランドのナントウィッチという町へクリスマス休暇を過ごしにゆく。文庫本の表紙カバーの写真でわかるように、まちを通る水路とナローボートが重要な役を演じているのだ。本とGoogleマップやストリートビューのあいだを行き来して、ナローボートに乗せてもらったり水路にボートが浮かぶ景色を上からみたりしているようで、それが犯人さがしにもまして楽しい。原題は「WATER LIKE A STONE」といって、「警視の覚悟」よりは気の利いたものなのだが、このシリーズはすべてが「警視の・・・」で統一しているので、つらいところなんだろう。

 舞台になっているナントウィッチは、ロンドンの北西方向、リヴァプールの少し手前という位置にある、小さく美しいまちなのだという。

KeisiKakugoCabinPlanS.jpgClick to PopuP

 物語の中に「NARROW BOAT」という本が登場する。警視の父が、このまちで古本屋をいとなんでいるということもあって、事件とナローボートに加えて「本」がもうひとつの背景をつくっているのだ。amazonで「NARROW BOAT」をさがして開いてみると中味検索があった。そこにナローボートの平面図のあるページがあって、ボートの幅はおおよそ2.1mだそうだからそれを基準に縮尺をあわせてCADソフト(VectorWorks)に読み込んでみると、長さは20mほどだ。ボートが水路の幅に合わせてあるにしろ、その逆であるにしろ、おそらくボートの幅はどれも共通しているはずだ。
 平面図を見ればボートの中の生活がおおよそ想像できる。石炭のストーブを置いてあるリビングルームをはさんで寝室とバスルームのあるゾーンと、キッチン+ゲスト用のベッドルームに変えられるダイニングルームなどのゾーンが並んでいる。水路にはT字路もあるから、長いボートは直角に曲がるのにひどく苦労するから、長さと快適さが比例するというわけではなさそうだ。

 かつてボートで荷物を下流に運んだあと、馬や人間が水路の脇の道をロープで曳いて水路を溯った。そのための細い道が今も残っていて「トウパス」と呼ぶことを、この本で知った。「toe path」かと思ってwikipediaを探したがそれらしいのが見つからない。これではないかと「towpath」が書かれていた。つまさき(toe)で立って歩くほど細い道ということなのかと思ったが大間違いで、「tow」というのは牽引することなのだ。そりゃあそうだね、「爪先立つ」は日本語のいいまわしだ。
 トウパスも狭いみちなのだろうが、水路そのものもボートの左右にわずかな隙間しか残らないほど狭い。そんな水路でボートをあやつるにはなかなかの技術がいるようだが、その技を磨くことを楽しむためにボートを持っている連中と、定住できないので子供を学校にも行かせられない水上生活者が、この水路という場所で生活を共にすることになるのだ。
 ナローボートでは遭難や転覆する心配はないだろうが、海を滑るヨットと比べれば行動の範囲はこの狭い水路に限られる。むしろさまざまな不自由を楽しむものなのだろう。大きなヨットは金持ちの道楽にすぎないが、小さなキャビンの中で広い海に出るのも細い船・狭い水路で広い牧草地をゆくのも二畳台目の茶室で茶を点てるのも、屈折した楽しみがあって、どこか通じるところがある。ミニがイギリスで生まれたのも、そういうことなんだろう。

 ナントウィッチのまちの西端をかすめる水路をたGoogleマップでどってゆくと、水路の一部が広がってナローボートの集まっているところがある。駐車場の風景はすこしも魅力的ではないけれど、どうして船が並んでいると楽しいんだろう。ナントウィッチ・カナルセンターという、ナローボートのマリーナなのだ。こういうところにボートを停めて、給油やボートの底の清掃塗り替えなどをやってもらうのだ。Googleマップを見始めると、小説の世界からやってきたことを忘れた。たくさんのレイアでさまざまに楽しめるようになった。

 ナローボートについていろいろなサイトを見てみると、当然ながら今ではナローボートと水路は生活の場というよりは楽しみの場になっていることがわかる。古いもの古いまちを生かすには、「観光」という方法がまずは頼りになるのは、日本もイギリスも同じなのだろう。しかしここでは、われら日本の観光地のように、せっかくの場所のよさを消費して使い捨てにすることにはならないのはなぜなのだろうか。

■関連エントリー
オックスフォード便り(5)/kai-wai散策
平底船:ナローボート/MyPlace
■関連Googleマップ、ストリートビュー
ナントウィッチ・カナルセンター/Googleマップ
ナントウィッチ・チェスターロード水道橋/Googleマップ
チェスターロード水道橋を下から見る/ストリートビュー
ポントカサルテ/Googleマップ
 ■関連サイト
「英国運河をナローボートで旅するには?」:以前にコメントをくださった「ナローボーター」さんのナローボートによる旅行ガイド

投稿者 玉井一匡 : 11:34 PM | コメント (0)

November 13, 2010

正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために

TadasikusiruOndanka.jpg正しく知る地球温暖化/赤祖父俊一/誠文堂新光社

 この夏、ぼくたちはこれまで経験のないようなひどい暑さを経験した。にもかかわらず、今年の新聞やテレビがそれをCO2のせいだとした報道を、ぼくは読んだことも聞いたこともなかった。この本を読んだあとだったから、CO2温暖化説は間違いかもしれないという考え方をマスコミが受け容れたのではないかと思った。

 著者は、地球の温暖化は人間の活動によるCO2の排出よりも地球の自然現象が原因である可能性が高いと言う。それを裏づける多くの側面からの論証がデータと共に示してあって説得力がある。
 人間の生産と消費が急増してCO2の排出量が増えるようになる時期は1940年頃だが、それよりずっと前から、もともと地球は温暖化の基調にあって人間のCO2排出が増えてから温度の上昇率は変化したわけではない。したがって、人間の排出するCO2のために気温が上昇したわけではないと指摘する。地球は長期的には小氷河期からの回復期つまり温暖化の過程にあるのだと。

 以前にエントリーした「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」で広瀬隆氏が繰り広げた地球温暖化のCO2素原因説に対する批判の論拠は、広瀬氏自身が書いているように本書の著者・赤祖父氏に多くを負っている。広瀬氏がアジテーターであるとすれば赤祖父氏は理論的支柱なのだ。広瀬氏が語ると、その口調が熱いあまりにセンセーショナルに感じられてしまうけれど、この本で著者の展開する説明は、すこぶる冷静かつ具体的なので、IPCCはノーベル賞を返上せよという広瀬氏の主張ももっともだと考えさせる。

 本書は、CO2が地球の温暖化に影響を及ぼすことそのものを否定しているわけではないし、CO2の排出を減らす必要はないと言っているわけでもない。しかし、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は次のような間違いをおかしているのだと指摘している。
・すでに共通の認識となっている小氷河期の存在を考慮に入れていない。そのために、地球がそこからの回復過程の大きな周期の温暖化傾向にあることを見ずに、短期的な変動をもって人間由来のCO2排出によるものと見誤っている。
・IPCCは、世界中の研究者たちにスーパーコンピューターをつかってシミュレーションをおこなわせ気温の上昇を算出したが、考慮すべき条件で無視しているものがあり、その上でどのようなシミュレーションをしたところで正しい結論は得られない。
・本来、科学とは、仮説を提示したあとでさまざまな検証を経てそれが認められ、そのうえで必要であれば政治的な対応が図られるものである。にもかかわらず、CO2による温暖化については、まだ十分な検証がなされないまま、政治の道具にされている。

その結果、次のような問題が生じている。
・CO2排出制限の方法をめぐり先進国と新興国・途上国の対立が顕著になった。
・飢餓、汚染、乱獲、森林伐採、など、直接に多くの人命や環境に関わり緊急に取り組むべき問題があるにもかかわらず、それらへの対処が後回しになっている。
・CO2排出に焦点があたるようになった結果、電気をクリーンエネルギーとして、原子力発電を容認しようとしている。

 温暖化を象徴する現象としてぼくたちが何度も何度も見た映像には、温暖化とは無関係な、できごとが使われていることも指摘する。たとえば氷河がドドウと崩壊するショッキングな映像に、ぼくたちは大変なことが起きていると驚愕する。しかし、そもそも氷河というものは山の上から下に移動してくるものだから、その先端では氷が割れて崩れ落ち、最後には海に流れるものなのだ。
 原子力は、電気を消費するときにも発電時にもCO2を出さないかもしれない。しかし、原発が作り出すエネルギーのうち電気になるのは30%にすぎず残りは熱として捨てられる。言い換えれば直接に海や大気を暖めているのだ。さらに核物質には、事故が起きれば広大な範囲の莫大な生物に対して被害を及ぼし、長期的に影響がつづき、廃棄物の処理や原子炉の解体にともなう危険の問題も解決していない。すぐに原子力発電をやめるのは無理であるとしても、少なくとも将来はやめることをめざすべきだと、多くの国で考えられていたはずだ。

 赤祖父俊一氏は、オーロラなど極地気象の世界的権威で、アラスカ大学地球物理学研究所教授を経てアラスカ大学国際北極圏研究センターの所長をつとめ、極地の気候についての研究を総合的に見るという立場にあった人である。つまり、温暖化の影響が直接的に表れる場所の気象を総合的に研究してきた人だ。他者の研究に対しても自身の眼で評価することができる人だと考えるのが自然だろう。
 かつて、同じように間違った状況認識にもとづいて主要な国が行動したことがあった。大量破壊兵器が作られているとするアメリカが主張し、それにわれわれの政府も同調してイラクを攻撃した。その結果が、いまも双方に作り出されている多数の死と憎しみではないか。

■関連エントリー
「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」/MyPlace
「不都合な真実」と「恐怖の存在」/MyPlace
■参照ウェブサイト
赤祖父俊一/wikipedia
■以下の参考ウェブサイトは、「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」/MyPlaceにも挙げてあります。
IPCC公式ウェブサイト
*地球環境・気象/気象庁公式ウェブサイト
地球温暖化/wikipedia
気候変動に関する政府間パネル 略称:IPCC/日本語wikipedia
Intergovernmental Panel on Climate Change/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 04:38 AM | コメント (2)