March 28, 2011

HELTER-SKELTERS:ヘルター・スケルター

Helter-Skelters.jpgClick to PopuP

 根津にあるカフェ・ノマドの店の奥、コンクリートブロックの壁に18枚の小さな絵が展示されている。どれも、上に行くほど細くなって高さを強調する塔に螺旋状のすべり台が巻き付いている。それをHelter-Skelterというそうだ。neonさんこと大倉ひとみさんの、小さな絵の小さな個展だ。
 これまで大倉さんの描いてきたのは、かつて遊郭だった家並みやひとけのなくなったアパートのような、かなしさとさみしさの重ね塗りされたすきまから微かに華やかさがこぼれるような絵が多い。前回の個展では、そういう絵たちの中に、たくさんの風船が浮かぶささやかな夢のようなものが数点あった。
このhelter-skelterたちは、ちょうどあの風船の浮かぶ絵のように、ひとときの、はかない華やかさがチャーミングだ。

 そもそものはじまりはHelter-Skelter/aki's STOCKTAKINGのエントリーだった。その写真を見て、大倉さんは無性に描きたくなったそうだが、ぼくも初めて写真を見て想像がひろがっていった。それは移動遊園地のはなやかさと、やがては終わりがきて日常に取って代わられる儚さのせいなのだろう。
 GoogleでさがすとThe Phrase Finder というサイトがあった。それによれば、ことばの方が先にあって、16世紀に書かれたものの中に残っている。螺旋の滑り台というhelter-skelterは1900年前後のfairground(博覧会のようなものをひらくための広場)から登場したと書かれている。語源が別にあるわけではなく、意味のない同じような音の単語をならべるということばの一種なのだという。この構築物は、1889年のパリ万国博でつくられたエッフェル塔と無関係ではないだろう。そう言われれば、イギリスの4人組グループフェアグラウンドアトラクション(Fair Groubd Attraction)の音楽の雰囲気にぴったりじゃないか。(The First of a Million Kisses/amazon) 彼らのグループ自身も、このアルバムが大ヒットしたが2年後に解散してしまった。仮設的、ノマド(遊牧民)的だ。

 ビートルズの曲にhelter-skelterというのがあることはよく知られているらしいが、ぼくは聴いたおぼえがないから、YouTubeでビートルズの演奏を聴いてみた。どのアルバムに入ってるのか調べてみると1968年の二枚組ホワイトアルバムの中の一曲で、こんな歌詞だ。上昇する前半、滑り降りる後半。ヨーロッパの大聖堂のドームは、てっぺんまで上れるようになっていることが多い。屋根裏の階段を周りながら上昇してたどりついたクーポラ(cupola)からドームの上に出てまちを見おろすと、帰りはまた階段を下るばかり。だが、ヘルタースケルターは小さいけれど、昇ったあとに滑り台を滑走する。それは下降ではなく、むしろ飛翔するための助走なのだ。

 iPodの設定を「repeat1」にして一曲だけを繰り返して聴いたら、ちょうど滑り台を何度も何度も繰り返すみたいだ。すべり降りたら、すぐにそれとつながるように上に昇ってゆくには、滑り台とは逆に回転してゆく螺旋階段が用意されているにちがいない、きっと。

■関連エントリー
展示中/N的画譚
Helter-Skelter/aki's STOCKTAKING
■関連サイト
 helter-skelterは、lighthouseにとてもよく似ている。lighthouseをさがしてみると、こんなにたくさんのlighthouseを紹介しているサイトがあった。
The Lighthouse Directory(世界の灯台についてのサイトが分かる)
wikipediaで「灯台」と「Lighthouseを比較して見ると、日本の古い時代の灯台はまったくちがう姿をしていたんだということがわかる。
Lighthouse/Wikipedia
灯台/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 11:30 PM | コメント (2)

March 16, 2011

「南へ」/NODA MAP

Mjnamihe.jpgClick to Jump to NodaMap 
 野田秀樹の主宰するNodaMapの芝居「南へ」は、2月10日から3月31日まで池袋の東京芸術劇場で上演されている。五十数回の公演すべてが予約満員だったが、こんな状況のために土・日・月の三日間を休演して昨日は4日ぶりの舞台だったそうだが、さすがに2/3ほどの入りだったが芝居の出来はすこぶるよかったという。
そこで、これから残りの公演の売り上げは今回の災害の被害者の支援金として寄付することを野田が発表したそうだ。僕が行ったのは3月9日の夜、地震の2日前だった。

 それというのも、この芝居は「死都日本」と同じく火山の大噴火の芝居だからだ。とはいえ、「死都日本」では噴火そのものが主題であるのに対して、「南へ」は大噴火を目前にすることであらわになる人間たちの奥にあるものを描く芝居である。舞台の文字通りの背景には、火山が大きく描かれている。野田秀樹は、「死都日本」にヒントを得たのにちがいない。

 ここは火山観測所。噴火が近いと言われる目の前の火山の活動を観測している。宝永の大噴火以来300年ぶりの大噴火が起きるかもしれないと口々に言っているから、火山とは富士山のことなのだ。ぼくが観に行ったときも平日というのに立ち見が出る満員だったのは、人気者が出演しているからでもあるだろうが、なにより野田秀樹の芝居そのものへの期待によるものらしい。

 ぼくには、これが初めての野田芝居だった。
伝えたいことはよくわかる。テンポのいい会話と場面のはこびが小気味よい。妻夫木聡は彼らしい魅力をみせ蒼井優にはこれまでに見たことのない側面を発見する。みずからを「天皇」と言う銀粉蝶と「皇后」という藤木孝は二人ならではの別世界の空間をつくり出す。野田秀樹自身は、白い燕尾服のようなモーニングのようなものを着て鳩なのだという。ぼくが見に行ったのは、玉井夕海が出てるからだった。観測所の近くで旅館を営む、噴火予知能力のある三つ子姉妹のひとりとして、おそろいの奇妙なカツラをかぶって舞台を走り回る。前作の「表に出ろいっ」の、野田と勘三郎演じる夫婦の娘役のオーディションを受けたときの縁でこの芝居に声がかかったのだが、CSATには名前がない。

 面白い。野田秀樹の言いたいことはよくわかる。
ただ・・・それなのに感情の奥から動かされないことに不満を抱きながら帰った。
ところが、寝床に入り横になっているうちに
それまで部分的にしかつながっていなかった脳のシノプシスが活性化されたかのように
あちらこちらがつながり始め、ぼくの中の火山が振動を始めた。

 「南へ」とは富士山から南へではない、言いかえれば「北から」ということだ
「天皇夫妻」と「富士山」が象徴する日本に北の「白頭山」からやって来る。
日本人は「北から」来たということなのだろうか
「南のり平」という名の人物が登場する・・・現実の男として・神話の英雄として
「のり平」の「のり」は「詔:みことのり」の「のり」、天皇のことばのことか?
この芝居の初日、2月10日は紀元節二月十二日の前日だった。
「死都日本」の主人公・火山学者黒木は、日本書紀の建国神話と加久藤火山の噴火を重ね、南から北へ進攻したのだという。

この芝居のテーマはアイデンティティである・・・人間の、くにの。
ひとりの人間ひとつのくにの何たるかを証し示すのは、IDカードでも組織への所属でもない、氏名でもない
国家に所属することでも民族に由来することでもない
まして
「星野が好きな人間」であるか「そうでない人間」であるかでもなく
(劇中、渡辺いっけい扮する観測所の所長が星野仙一のファンで、「人間は星野のファンであるか、そうでないかしかない」と言う)
「男」であるか「女」であるかでもない
氏名や写真によってそれと認識されるものでもなく
・・・彼、あるいは彼女自身であるということだ
他者によって限定される何者かではなく、ひとりの人間自身によってつくられる何ものかのことだ。

ところで、MAPとは何だろう。


投稿者 玉井一匡 : 08:32 AM | コメント (4)

March 14, 2011

死都日本

ShitoNippon.jpg死都日本/石黒耀著/講談社
 ひと月ほど前に読んだ本だが、書名があまりにも現在の状況とかさなって重く感じられるかもしれない。たしかに、内容を読むめばさらに現実と重なる。しかし、自宅待機で繰り返し同じような番組のテレビにを見てウンザリするよりは、むしろこの小説を読んで、これから起きるかもしれない事態に腹をくくる方がいいかもしれない。
 この本は、地震でなく霧島の火山群が大爆発して日本全体が存亡の危機に追い込まれるというクライシスノベルだ。これを読んだ当時、現実界では新燃岳の噴火が起きているときだったから具体的な想像がひろがって、読み出すと止まらない。途中でGoogleEarthを開いては地形や位置を確認する。そのころは自転車が壊れていて電車通勤していたから電車の中でもiPhoneを片手からはなせなかった。
 友人にすすめられてすぐに図書館から取り寄せたが、単行本では4cm近い厚さを一気に読み終えた。

 物語の社会的な背景は、長年の保守一党と官僚による支配を選挙によってくつがえし政権交代を実現させたばかりの「共和党政府」が、これまでの負の遺産を受けついで苦労しているところだ。というと現実のできごとに便乗して書かれた代物のようだが、出版は2002年。小泉内閣の時代、日韓ワールドカップの開かれていた年でもあるから、むしろ8年も前に現実を予見しているのだ。首相の姓は菅原といい、それも現実との符合を思わせるが、思想も力量も現実の首相は小説の人物に及ぶべくもない。

 10年近く前の出版だが、いままでぼくはこの本の存在をまったく知らなかったし、世間でも話題になったことはない。主人公は宮崎の大学で教える異色の火山学者。日本の神々による国造り神話は霧島の火山群を中に囲む巨大な加久藤(かくとう)火山の大噴火を象徴化したものだという持論をかねてから展開している。Googleマップの航空写真で見ると、この火山群を中に取り込む大きな火口が地形として残っていることがわかる。天孫降臨の地とされる高千穂峰は霧島山のすぐとなりにある。その霧島が、何万年に一度という規模の大噴火を起こし、日本列島の大部分に壊滅的な被害をもたらすのだ。
 地震ではその地域だけが被害を受けるが、大噴火は上空から降り注ぐ火山灰が遠くの地にも影響を及ぼし天候への影響は全地球に及ぶのだと、この本で知った。しかし、・・・・破壊された原子力発電所は、世界中の空間を汚し、何百年ものあいだ汚染を続けるのだから時間をも汚染する。

 もし、運よく日本が第二のチェルノブイリになることを避けられたら、そのときわれわれ日本は、これまでの国家と電力会社が手を組んで国中につくった原子力発電所をきっぱりとやめ、ほかのエネルギーと負担の軽減という方向転換を目指すべきだ。
そういう目標があれば、「計画停電」であろうが節電であろうが、苦労を希望に変えることができるし、命を奪われた人たちに報いることもできるだろう。

■参考マップ
加久藤火山/Googleマップ
チェルノブイリ/Googleマップ
スリーマイルズ島/Googleマップ 驚くべきことに、この島は内陸の川の中洲なのだ
福島第一原子力発電所/Googleマップ

投稿者 玉井一匡 : 11:11 AM | コメント (12)

March 11, 2011

「メビウスの環の仲間たち」:齋藤幸恵個展/ストライプハウス ギャラリー

 mebius.jpg先週の土曜日にうかがったのに、エントリーが会期終了寸前になってしまった。ああ、最終日は3月12日の土曜日、明日だ。
ここ数年、齋藤さんはメビウスの帯をつくり続けていらっしゃる。自由学園の明日館を会場にした昨年の個展は、草木染めの植物と織物や糸をならべてわかりやすくみせるものだったが、「メビウスの環の仲間たち」というタイトルと写真でわかるように、今回は織物でつくられたメビウスの輪だ。もちろん帯をつくってから捻ってつなげたんじゃあ面白くない。織りながら捻るのだ。どうやって織るのだろうかという、当然の疑問が浮かぶ。

「経糸を輪にしておいてねじるんでしょ、張っていない糸はどうしておくんですか?」
「織機で織るんじゃないの、枠をつくって織るのよ。」と、こともなげにおっしゃる。
 ほんとうは、もっと詳しくうかがいたいけれど、織り方についての質問はそれだけにしておいた。大変な苦労をして考え、作業をしていらっしゃるに違いないから、素人があまり具体的にうかがうのも申し訳ないし、それにこちらだって疑問をかかえたままであれこれ考えている方が楽しい。
写真は、八重のメビウスの帯だ。

 会場の写真のように、単色の糸でしっかり固い帯は水平の板の上に置かれているが、天井から吊ってあるやつは複数の色で模様を織りこみ、複数の輪をつないで鎖をつくっている。
「形としては、こっちの方が面白いとぼくは思うけれど、固いから大変でしょうね」
「それは、特別な糸をつくってもらって、横糸にしてるから厚いの。それを糊で固めてある。」
板の上のものは複数回とぐろを巻いている。
「奇数回捻ったメビウスは板の上で、偶数回ひねりはメビウスにならないから一回ひねりのものを鎖にして吊ってあるのよ」
メビウスの輪は複数回というのは、知らなかった。複数回捻るのも大変だが、鎖を造りながら1回ひねりのメビウスの環を織ってゆくのだって、ひどく手間がかかりそうだ。しかも円とストライブの模様を織り込んであるんだよ。

個展のタイトルが「仲間たち」というのは、ねじり方つまり捻る回数がいくつもあり、色と模様がさまざまあるからだ。実を言えば、ぼくは何回も捻るメビウスの帯ができるということを知らなかった。
 齋藤さんは、塚原のカミさんの友人で織り仲間だが、もともとは原子物理学者で反原発のために大学の職を辞した人だから、こんな面倒なことをやりたくなってしまうのだ。ご自分でパンも焼いてしまうが、電子レンジは食べ物の分子の配列に影響を及ぼすはずだからできるだけつかわないなんて、このときもおっしゃるから、そうだよな電磁波の害だけじゃあないだろうななんて思ったのに、ぼくはその後も冷凍の古いメシを電子レンジで温めてしまう。

明日の土曜日が最終日ですが、六本木に行ってみてください。
会場がストライプ ハウス ギャラリーであるのもメビウスの帯とストライプの縁なのでしょう。
そういえば、年賀メールに返事をくださって「幸」の漢字の字源を教えてくださったのは、この幸恵さんです。「禍福はあざなえる縄のごとし」っていうのも、メビウスの輪のようだなあと思って、もとにもどります。

投稿者 玉井一匡 : 08:09 AM | コメント (0)

March 04, 2011

TechLiteとMINI MAG LITE

TechLightS.jpgClick to PopuP
 ひと月ほど前、aki's STOCKTAKINGにまたしても新しいライトがエントリーされた。もちろんAKiさんは購入済みである。「Light」というカテゴリーのエントリーはずいぶん多いなと思って数えたら、もう42回目で、これもコストコで発見されたものだった。
TechLite LUMEN MASTERという。単4電池を3本を束ねて使うので、ミニマグライトより少し太くずいぶん短い。さっそくぼくはコメントに「こんど、またコストコにいらっしゃる機会がありましたら、私にもひとつというかひとパック、お願いします。」と書いた。3つでひとパックになっているのだ。
そのあとに、ぼくが壊れたモールトンの救いの神が現れたことをエントリーすると
「コストコのライト……三個パックは用意してありますですよ。」と、AKiさんのコメントがあった。

 自転車を取りに行く前の日に、それが宅配便で届けられた。しかし、ライトのことはあらためてエントリーしようと思っていたので、自転車が直ったときのエントリーにはちょっと触れるだけにしておいた。
AKiさんはライトを3つとも付けろとおっしゃるが、いいトシのオヤジとしては、さすがにトラック野郎のようでどうも気が進まない。ご本人だって自分のこととなればそうにきまってる。この写真は広角で撮ったせいもあってずいぶん大きく見えるが、実際にはそれほどではない。

TechLight2S.jpgClick to PopuP
 これまで、自転車のライトには単三2本をつかうLEDのミニマグライトを使っていた。それもコストコでAKiさんに買っていただいたもので、単1電池4本をつかうLEDの大型マグライトとの2本セットだった。夜道を走っていると、100m以上も離れた交通標識が光を反射するのを見ては到達能力に満足するのだ。それが、いちど自転車から外れて落ちてしまった。しばらくして点灯しなくなった。
 代理店に電話をかけて修理についてたずねると、諏訪の工場に送って見積もりをとってくれという。往きの送料はぼくの負担だが送り返すときはむこうの負担だという。
ビニールの梱包材でくるんだのを段ボールのなかにいれて、メール便のサイズにギリギリで持って行ったが、ファミマのお兄さんが一生懸命押しつぶして寸法をクリアさせてくれたので、送料は70円だった。

 それからひと月近く経ってから電話があった。LEDが壊れているようだが、取り替えがきかない部分なので修理ができないんですと言う。お送りくださったライトはどうしますかときかれたが、部品取りには使えるかもしれないし送り返してもらうことにした。見たところとても健康そうに見えるのだが使えない。だからといって同じヤツをすぐにまた買うのはどうも気が進まなくて、その前につかっていたCATEYEの自転車用LEDライトを、気に入っているわけではないがとりあえず使っていた。

 いまはもう点灯しないminiMAGLITEとふたつ並べて比較すれば、ぼくはminiMAGLITEのデザインのほうがが好きだ。これ見よがしのところがなくてほれぼれする。とはいえ、こいつのデザインも機能も悪いわけじゃない。ミニマグライトは首を回転させてスイッチにするのでちょっと億劫だがTechLiteは、後についている半透明のスイッチを押すだけだ。miniMAGLITEは、ポケットに入れておいて間違ってスイッチをおしてしまうことがないという点ではとてもいいのだが、自転車に付けておくにはTechLiteのスイッチが楽だ。スイッチを変えるたびに強・弱と点滅という3種の点灯モードを切り替える。自転車では寿命の長い点滅モードをつかうことが多いから、押すだけですむスイッチがありがたいのだ。
miniMAGLITEにはもうひとつ、SOSモードの点滅がついているのが楽しいのだが。

■関連サイト
MAG-LITEの公式ウェブサイト


 

投稿者 玉井一匡 : 11:04 AM | コメント (2)