July 30, 2011

ツユクサの鉢植え

Tsuyukusa2S.jpgClick to PopuPTsuyukusa1S.jpg

 直径60cmほどの浅い植木鉢を道路際に置いてある。春になると苗を買ってきて一年草を植えるのだが、冬には植物がなくなってしまう。今年は何を植えようかと考えているうちにツユクサがふえてきた。それならいっそのこと、ほかの鉢に出てきたやつもここに集めてみることにした。それが、いつのまにかツユクサの集合になり、こぼれんばかりにふくらんで直径90cmほどの半球になった。

 犬の散歩、といってもクーは足がうごかなくなったので、道路のわきまで連れていって用を足させるだけのことで、そのあとに水を撒く。だから、横にあるツユクサにもシャワーをかけてやることにしているので、そもそもツユクサを育てようと思ったのは、クーのために毎朝目にするからだった。
 若い緑を背景に青が浮かぶツユクサの群生は、水を浴びたあとはなおさら、そこから涼やかな風がこぼれてくるようですがすがしく、ぼくはすっかり気に入ってしまった。花としては、撫子よりツユクサの方がすきだ。花をクローズアップした写真をさらに大きくしてみると、青と白の羽をひろげて降りてきた小さな蝶のような姿をしている。そう思って見ると、つぼみの入っていた鞘がサナギの殻のように思えてくる。

Tsuyukusa3S.jpgClick to Jump into wikipedia
 日の盛りのころになると、花びらが萎れてしまうのだが、夜に見ると、しおれた花びらはなくなっている。さりとて、あたりに落ちているわけでもない。どうもサヤの中にいったん戻るらしいと気づいた。そして、翌朝にはまた花を開くのだろう。ちょっとした発見にうれしくなった。サヤの中の花びらはどうなっているんだろうかという疑問を解決するのは、さして難しいことではない。サヤを切ってみればいいだけのことだが、いまのところ、まだその気にならない。

 毎朝、水を遣るほかにもうひとつ、することがある。ところどころに穴の開けられた葉っぱを摘んでやるのだ。摘んでやるというのはツユクサのためのような言いぐさだが、人間の勝手な手出しに過ぎない。穴をあけるといっても、全体にわたって7,8mmの小さな穴を散らすという程度だから、植物を枯らすことはない。5%くらいの面積を食べるのだから、植民地経営としては控えめな搾取だが、観察していると犯人はオンブバッタらしいと気づいてから、見つけると取るようになった。

 ツユクサは、ただの雑草として暮らしていたときには、小さな穴があいたくらいで葉っぱを切られることもなかったろうし、バッタも自由に葉を搾取することができたのに、気の毒なことではある。しかし、穴のあいた葉をとって形をととのえてやると、ずいぶん見栄えがちがうのだ。手をかけてやると、ますますかわいくなってくるのは、星の王子様とおなじだ。
 鉢植えとは人工である。人工とは文明である。ツユクサを鉢植えにして手を入れていると、人間はこうやって自然を飼い慣らしてきたんだなと、文明の発生さえ思ってしまうのだ。

投稿者 玉井一匡 : 10:24 PM | コメント (0)

July 26, 2011

「終わらない悪夢」をYouTubeで

OwaranaiAkumu.jpgClick→YouTubeを開く

 BS1で海外ドキュメンタリー「終わらない悪夢」というフランスで制作されたドキュメンタリーを見た。できるだけ多くのひとに見てほしいと思い、すぐに再放送の予定を探したが、この放送がすでに再放送なのだった。ためしにYouTubeで探すと、7本に分けて全てをアップしてある。遠からずNHKのクレームで削除されるだろうから、いまのうちに多くの人に見てほしいと思う。しかし、これは今年の5月にアップされてまだ残されているようだ。

 これは、アメリカ・ソ連(ロシア)・フランスの3国を行き来して核廃棄物による汚染を現場の線量を測定したり住民や行政府、企業の責任者のインタビューなどで構成したものだ。アメリカとソ連は、核兵器をつくるための原子炉から出た放射性廃棄物の垂れ流し、フランスの場合は電気をつくるために生じる放射性廃棄物の再処理と呼んでいるものである。これら、原子力先進国のしていることが、いずれも隠蔽と欺瞞につつまれていることにあきれ、腹立たしさが、ぼくには元気の素になる。

ドラム缶を船に積み込むシーンから、このドキュメンタリーは始まる。中身は放射性廃棄物だ。海洋投棄は1993年に、やっと禁止された。現在も、海洋投棄は禁止されているが、パイプで沖に導いて廃液を捨てるのは禁止されていない。合法なのだというのだ。

 「核兵器の廃絶」は、配備をなくすということにぼくたちは目を向けてしまう。しかし、兵器に搭載された放射性物質は廃棄しなければならないし、核兵器をつくる段階で原子炉が廃棄物をつくる。
 アメリカは、マンハッタン計画のために、コロンビア川のほとりワシントン州のハンフォードでプルトニウムをつくり、その放射性廃棄物を川に流した。ここは長崎の原発の生まれ故郷なのだ。川の河口にはポートランドがあるのだが、今もここには廃棄物が沢山たくわえられており、ハンフォード核施設からの川の汚染は今も続いている。(英語版のwikipediaは説明も詳しく写真も多い)

 ロシアは、ソ連であった1950年代に核兵器のためのプルトニウムをつくる工場の廃棄物の問題だ。原子炉から排出される放射性廃棄物が、周囲にたくさんある湖や川に捨てられた。wikipediaにも、そこで起きた「ウラル核惨事」が書かれている。貯蔵した廃棄物が爆発事故を起こして周辺を汚染したが、ソ連政府はそれをひた隠しにした。ここには、いまも生活する人たちがチェルノブイリなみの汚染した環境の中に牛を育て牛乳を飲み、日々の生活を続けている。政府は残留放射能と住民の健康について調査を続けているが、結果は住民に公表していない。インタビューに対し当局は「放射能とガンの発生には因果関係があることが分かった」と答えるものの対策をしない。

 フランスでは、いまや日本人になじみ深いアレヴァ(Areva)社の再処理工場が登場する。
使用済み核燃料は、工場で再処理してプルトニウムなどを取り出したあと、高レベル放射性廃棄物は地中の縦穴に保管される。その上の床は厳かに、さながら大聖堂の大理石の床下深く聖人が眠るところのようだ。
 ここで話はロシアとつながる。残りの廃棄物はロシアに送られ、ロシアはシベリアに保管するが、コンテナのようなものに入れて野積みしている。そんなので大丈夫なのかという質問に保管の責任者は「問題はありません。屋根も掛けていないくらいなんだから」という奇怪な論理で答える。アレヴァ社のラ・アーグ再処理工場には、地下貯蔵の廃棄物を攻撃から守るために地対空ミサイルさえ設置して、万全であるという。しかし、ミサイルが敵の爆撃機を撃ち落とす確率はどれほどのものだというのだろう。

OwaranaiAkumu2.jpg ←フランス原子力庁長官ベルナール・ビゴ Owaranaiakumu3.jpg

 さまざまな立場の人々がインタビューに登場する。最後から2番目がフランスの原子力庁長官ベルナール・ビゴ。この人物は、サルコジが事故後の日本に「雨の夜の友人」としてやって来たときに同行したようだが、ものの言い方や表情それに話の組立て方が、なぜか日本の原子力安全委員会・委員長の斑目春樹東大名誉教授と似ている。日本の委員長・東大名誉教授は、「結局はお金でしょ!」と言い放ったが、フランスの長官は、二十万年も廃棄物を保管できるのかという質問に対して「大事なことばがあります。それは『信頼』です。政治指導者、科学者、経営者の責任感、物理の法則・・・そうしたものを信頼しなければどうしようもありません・・・」と薄笑いを浮かべながらぬけぬけと語る。こういう人物やアレヴァのCEOやサルコジを信じて、これからの20万年を託せというのか。

 あきれるほどの愚かなことが今も行われいてる事実を知り、さまざまな発言を聞くにつけ、われわれはどうすべきなのかについて確信を深める。・・・核エネルギーの利用は、やめるよりほかに、すべはないのだと。
 それにしても、現在抱えているこれまでの廃棄物を20万年間も隔離しておかなければならない。これから、どういう生物が生きているかさえわからない未来の20万年間ずっと「これは危険だから、決して開けてはいけない」と伝えなければならないのだ。
 もし、このドキュメンタリーを見てもなお原発を続けるべきだと言うひとがいるとすれば、彼あるいは彼女は、群衆をめがけて自動小銃の弾丸の雨を打ち込むやつと違いはない。ひとのいのちに何の価値も認めないのだから。

■GoogleMap
ハンフォード・サイト/ワシントン州/アメリカ:近くを流れるコロンビア川を河口までたどるとポートランドに行き着く
オジョルスク市/チェリャビンスク州/ロシア:あたりには無数の湖沼がある
ラ・アーグ再処理工場(アレヴァ社)/フランス:ドーバー海峡に突きだした半島

投稿者 玉井一匡 : 07:38 AM | コメント (3)

July 19, 2011

なでしこの優勝

NadeshikoChamp.jpgClick to Jump into FIFAsite

 とうとう、なでしこJAPANは優勝してしまった。
 ぼくはほとんど眠っていないのに、興奮のせいかしばらくは眠れなかったが、8時ころには、快晴の太陽もまだすこしおだやかだったから、日なたで短パン一枚で眠った。11時過ぎまで綿のように眠ると腹・顔・足の前面が真っ赤に焼けていた。翼朝になって、ヒリヒリする痛みから、やっと解放された。
 グループリーグから決勝まで、これ以上考えられないほどの劇的な過程と結果だったから、ハードディスクからダビングしたDVDは、何度も見ることになるだろう。MADCONNECTIONのエントリーに、「男子A代表が常に監督の名を冠としたチーム名で呼ばれているのに対し、女子は大和撫子に因んで『なでしこ』をチーム名としている」ことについて書かれているが同感だ。男子チームは監督が代わるたびにゲームスタイルを変えてきたが、なでしこは同じ名称をもちつづけ、チームの一貫したアイデンティティーをつくりあげてきた。

 彼女たちが最後の最後まで力を振りしぼるのは、この大会に限ったことではなく、何年も前からこういう戦いかたを続けて、ワールドカップやオリンピックの代表権を手にしてきた。だから、ことし5月の遠征の2試合でアメリカ代表に連敗しても、「試合でつかんだものがある」と選手自身が言えば、そうなのかと信じられた。
NadeshikoKuma3S.jpgClick to PopuP
 PK戦で最後の一本を冷静に決めた熊谷は、出発前の韓国との親善試合では試合開始後すぐに頭を蹴られて交代しながら、保冷剤を頭に載せたまま試合を見続け、終了後に病院に行って何針も縫った。おかげでワールドカップのはじめの試合では、傷口をなにやら布で蔽って出場し、20歳の乙女としてははなはだ情けないカッパのような姿でプレーを続け、ドイツの新聞に勇敢を讃えられた。
 だれもがそういうギリギリの戦いを何年も続けて、ワールドカップの決勝で勝つまでレベルを向上させたのだ。

 男子のサッカーを向上させたのは、Jリーグの発足や芝生のスタジアムという環境の整備だったが、なでしこたちをこれほど粘り強くさいごまで全力をつくすようにさせたのは、皮肉なことに逆境だった。女子のサッカーチームは、会社の気まぐれな方針転換で、いとも簡単に廃部になってしまう。だから、所属チームを存続させるためには、とにかく代表チームで結果を出し続けなければならなかったから、最後まで力を振りしぼって戦ってきた。
この優勝で観客が増え、もっといいスタジアムで試合ができるようになり、サッカーをやる少女も増えれば、もう一段階なでしこが成長するだろう。

 サディスティックな猛練習で支配する監督がいるわけでもなく、選手たちひとりひとりが考えることで、あれほどの体格や身体能力の差をもつ相手に技術とチームワークで互角以上にわたりあえるいいチームができたのだ。なでしこの勝利によって、力ずくではないサッカーの可能性を世界に示した。
おそらくぼくたちの住む小さな島のくには、大きさや高さや単なる早さを競う力ずくではなく、鉄の規律でもなく、あたまを使うきめ細かな連携というのが、じつは性に合っているのではないだろうか。
なでしこ:撫子

■関連エントリー
SAY NO TO RACISM:女子ワールドカップと反差別/MyPlace
なでしこの宮間は、いいやつだ/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 05:30 PM | コメント (0)

July 18, 2011

小出裕章氏の講演とインタビュー:原発とは何か+福島原発に何が起きたか、これからどうなるのか

KoideLecture.jpg←原発についての講演(YouTube)KoideInterview.jpg   福島原発のインタビュー(USTREAM)→
*これは4月21日にエントリーしたものですが、新たなエントリーをした場合にはこのエントリーの日付を変えて、当分のあいだはこれが二番目になるようにします。
 原子力発電がどういうものであるかを知るには、小出さんによるこの講演とインタビューにまさるものは他にないだろうと考えるからです。
     *  *  *  *  *  *
 原子力発電とはどういうものかについての講演と福島第一原発の事故についてのインタビューだ。それぞれが1時間をこえる長さだが、これを見れば、小出氏はぼくたちが原発についていだく疑問の大部分を解きほぐし、原発とそれがもたらすものの全体像をぼくたちの目の前に示してくれる。とくに、これまで原発は使わざるをえないのだと考えている方は、ぜひお読みください。

 講演は3月21日山口県柳井市で行われた。福島の事故については冒頭にふれるだけで、チェルノブイリや東海村の事故の被害の大きさと深刻さをふまえて原子力発電そのものについて、すこぶる分かりやすく説明する。講演会場の柳井市は近くに上関原発が計画されているので、聴き手の反応もいいのだろう。小出氏はおしつけがましさや大袈裟なもの言いがなく理路整然と説明するから、ことばは自然に吸収されて聴き手の深いところに届けられる。

 岩上安身氏によるインタビューは4月10日、福島第一原発の事故がどのような経過を経て、いまどういう状態にあるのか、これからどうなるのか、それにどう対処すべきなのかを訊ねる。われわれの知りたいと思っていることを岩上氏は質問してくれる。しめくくりに、そもそも原発なしでわれわれはやっていけるのだろうかという疑問に対して、「計画停電」などしなくても発電量は足りることを具体的に数値をあげて説明する。話の合間に何度となく小出氏がつくため息の深さが事態の深刻さを感じさせ、政治家の集まりで話をする気持ちはあるかと訊ねられ「政治家に話しても無駄です」と返す。その表情は、政治家にはいくら話をしても何もしてくれないという経験が繰り返されたであろうことをものがたる。

 かつて、NATOの空爆にさらされるサラエボ市民の状況が、インターネットを通じてじかに世界に伝えられ、爆撃される側の思いをだれもが共有して空爆の停止への力になった。また、数ヶ月前には、北アフリカの諸国でFacebookによって市民が動き始め、YouTubeで政府側の振舞いが映像として伝えられ市民を鼓舞して長期独裁政権を倒すまでになった。今回の震災と津波の被害を受けた日本に、思いがけないほどの援助が送られたが、それほどひとびとを動かしたのも津波の猛威をまざまざと示したYouTubeだったにちがいない。
 そしていま、小出氏の話でぼくたちは原発撤廃に希望を持つことができた。もしそれが実現できれば、ひとことひとことに込められた細かい思いやニュアンスを感じ取れる映像をとどけられることでYouTubeとUSTREAMのもうひとつの可能性を示すだろう。

Kakusarerugenshiryoku.jpg 小出氏について、wikipediaではつぎのように説明している。
「小出裕章(こいで ひろあき、1949年8月- )は、日本の工学者(原子力工学)。京都大学原子炉実験所助教。これからは石油・石炭でなく原子力の時代、と考えて原子力工学を志したが、現代の原子力工学における放射線被害に鑑み、途中から原子力発電をやめたほうがいいと思うようになり、以来一貫して"原子力をやめることに役に立つ研究"をおこなっている。」
 助教という言葉を、ぼくはこの記述で初めて見たのでやはりwikipediaで調べてみると、ぼくたちのころには助手と言った立場なのだと知った。
 ぼくたちが学生のころに、公害を研究し問題を指摘していた宇井純氏は東大ではずっと都市工学科助手のままだったし、薬害を追及した高橋晄正氏は、東大医学部の講師にとどまった。
 かつて、多くの研究者や学生にとっては大学の独立ということが重要な倫理であり「産学協同」は否定的な言葉として受けとられた時代でさえ、宇井氏や高橋氏のように産業の向かう方向に異議を唱えれば冷遇されたのだから、官僚や産業界の興味をひく研究に研究費が割り振られるであろう現在の学界では、小出氏のような流れに逆らう研究者がいかにすぐれていようと、ひどく冷遇されることは想像に難くない。それだけに、小出氏のことばが聞くもののなかに深く染みこむのだろう。
 講演でも言及される最新の著書「隠される原子力・核の真実」をさっそく探したが、まだ、あるいはもう本屋にはなくて、amazonでも5月1日入荷だという。

■小出裕章氏の講演とインタビュー(上の写真をクリックしても開きます)
小出裕章氏の講演/山口県柳井市/YouTube
岩上安身氏による小出氏のインタビュー/福島第一原発事故について/USTREAM

■上関原発について
上関原子力発電所/wikipedia
上関(かみのせき)原発予定地は、こんなところだ/山口県上関町四代田ノ浦/Googleマップ
 GoogleマップやGoogleEarthで計画地の現状を見ると、ここがいかに美しいところであるか、いいかえれば、失われるものの大きさがよくわかる。

■二酸化炭素温暖化原因説に関するエントリー/MyPlace
 炭素化合物を燃やしてできる二酸化炭素で地球温暖化が進んでいるとする説を、電力会社は原発の正当性の根拠にして、原発による電気はクリーンエネルギーだと主張してきた。しかし、この説には重大な欠陥があり、原因は別にあり。まちがった対策がなされていると指摘する説が以前からある。
 以前にエントリーした以下の三冊は、この問題を指摘している。
「不都合な真実」と「恐怖の存在」2007年1月30日
二酸化炭素温暖化説の崩壊2010年7月27日
正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために2010年11月13日

■関連エントリー
「朽ちていった命」/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 11:59 PM | コメント (6)

July 15, 2011

SAY NO TO RACISM:女子ワールドカップと反差別

NoRacism.jpgClick to jump to FIFA Campaign

 手のひらをかえすというのはこういうことなのか、朝日新聞夕刊を見ておどろいた。
「なでしこ初の決勝」が一面のトップ、社会面は「なでしこ頂点見えた」、もう一枚めくってスポーツ面を見ると「なでしこ 自然体3発」という見出しで、ここもやはりトップという破格の扱いだ。これまで、日本のサッカー協会と歩調を合わせるようにメディアは「なでしこジャパン」を軽んじつづけてきたことを思えば驚くべきことだ。

 ちょうど日本とスウェーデンの準決勝試合前、ならぶ選手たちの前に両チームのキャプテンが立って順番に自国語でメッセージを読みあげた。7月13日はFIFAの「Anti Discriminations Day」(反差別デー)ということで、この日の試合ではみな、このセレモニーがおこなわれたそうだ。録画を繰り返して再生し沢の読みあげたメッセージを書き取った。

「日本代表チームは、人種・性別・種族的出身・宗教・性的趣向・もしくはその他のいかなる理由による差別も認めないことを宣言します。私たちは、サッカーの力をつかってスポーツからそして社会の他の人々から人種や女性への差別を撲滅することができます。この目標に向かって突き進むことを誓い、そして皆様も私たちと共に差別と戦ってくださることをお願いいたします。」沢は、性別による差別が日本には少なくないことを思いつつこの宣言を口にしていたのだろう。この宣言のあと、両チームの選手が並んで拡げた横断幕をかかげた。それには「SAY NO TO RACISM」(人種差別にNO)と書かれていた。

 たとえば、スポニチのウェブ版がつたえるところによれば、サッカー協会が出すワールドカップの報奨金は男子が優勝3500万準優勝2500万に対して、女子は優勝150万準優勝100万という驚くべき格差だ。
 岡田武史がワールドカップで4位以内を目指すと言ったとき、日本の実力はせいぜい30番目くらいだったから唐突に感じてだれも相手にしなかった。その証拠に、ベスト4の目標がベスト16で終わったにもかかわらず、よくやったと言われた。それにひきかえ、なでしこの中心である沢や宮間などは、「なでしこは優勝を目指す」あるいは「優勝します」と公言してきた。すでに彼女たちのチームは世界ランキング4位にあり、技術は一番とされているのだから、その目標は自然なことだ。
 もっとも、男子はいくら高い報奨金を約束したところで払う心配はほとんどないが、なでしこは優勝するかもしれないから安くしておこうと考えた・・・それほど、なでしこを高く評価しているということなのかもしれない。男子の優勝確率は1%もないだろうが、なでしこは大会前でも30%くらいは期待できたのだから。

Nadeshiko1S.jpgClick to Jump to NewYorkTimes
中国で行われた前回の女子ワールドカップでは、なでしこは激しいブーイングにさらされたが、ドイツとの試合に負けたあとに「ARIGATO 謝謝 CHINA」という横断幕をかかげて一礼をした。
それに対して中国では賛辞と、賛辞に対する反論があったと伝えられた。いまのドイツ大会では、試合後に選手たちは横断幕を手に場内を一周する。「To Our Friends Around the World Thank You for Your Support」と書かれていて、世界からよせられた震災へのの支援に対する感謝の気持ちを伝えるためだ。いずれも、ぼくはとてもいいなと感じた。日韓関係は、共催したワールドカップを機に大きく好転した。

 今日のNewYorkTimes ウェブ版のスポーツ欄トップでは、Nadeshikoの快進撃のようすと、決勝であたるアメリカチームのメンバーのインタビューに2ページを割いている。アメリカでプレイしたことのある沢を、チームメイトだったFWのワンバックをはじめ多くのアメリカ選手が知っており、手強い相手だと言う。さらに、ハリケーン・カタリナで被害をうけたニューオリーンズ・セインツがスーパーボウルで優勝したように、地震と津波の被害を受けた日本は、特別な力を発揮するだろうと伝えている。
 国の代表チームの対戦するスポーツは、ときにナショナリズムを昂揚させむしろ対立を深めることがあるが、たしかに人種差別を越え国境をやわらげることもできる。なでしこJAPANの活躍と試合後の努力は、きっと力になるだろう。サッカー協会やマスメディアは、すでに男子チームを凌駕したなでしこに対する「差別」をすぐになくすことがなによりのご褒美、いや、沢のことばによる日本のサッカー協会の約束をまもることだ。優勝しても「国民栄誉賞」などで危篤状態の政府の延命などに利用しないでほしいと、ぼくはいまから心配している。

■関連エントリー
「天から降りてきた日本の真奈」:岩渕真奈/MyPlace(このひとの大活躍が見られれば、サイコーなんだが)

投稿者 玉井一匡 : 07:00 PM | コメント (2)

July 05, 2011

写真展「緑のキャンパス」:ディベロッパーになった大学当局

AichiGeidaiS.jpgClick to PopuP
 先週、神楽坂のアユミギャラリーで愛知芸大のキャンパスの写真展が開かれていた。完成から45年を経たキャンパスを永田昌民さんと訪れた写真家・大橋富夫さんが撮影したものだ。

40年前のSD別冊「空間の生成」で見た写真では、拓かれたばかりの山のキャンパスはむしろ索漠とぼくには感じられたものだが、大きく育った樹木や池と共生する建築たちの現在の写真は、まぎれもない吉村世界をつくりだしていた。ほかに人のいなくなった会場でゆっくり見たあと、地階ではじまっていた初日のパーティーにそっと入ってゆくと、プロジェクターで写真を見せながら永田さんが話をしていらした。

写真展の説明文には「・・・・・自然と建物と人が積み重ねたありのままの時間を、多くの人たちに見て、感じてもらいたい。」と、おだやかに結んでいるのだが、永田さんの話を聞いていると大学当局はこれまでの「ありのままの時間」を消し去ろうとしているらしい。キャンパスの基本的な性格をこわして、つくりかえてしまおうとしているのだ。これは「順ちゃん」への敬愛にささえられた写真展ではなく、この夜の永田さんは愛知芸大当局への憤懣の人だった。
 じつは、愛知芸大がそんなことになっていることを、恥ずべきことにぼくは知らなかった。しかも、一年ほど前には「住まいネット新聞 びお」で小池一三さんが「吉村順三の仕事 愛知芸大キャンパス訪問記」を書いていらしたのだ。永田さんの思いに共感する目で、もう一度写真を見なおしたいと思ったので数日後にまたアユミギャラリーに行くと、その日はもう最終日だった。おかげで、会場にいらした永田さんと大橋さんに、ゆっくり話をうかがうことができた。

AichiGeidaiMap.jpgClick to Jump in GoogleMap
 いま愛知芸大で進められている改築計画には、唖然とするような問題がある。永田さんにうかがったお話とキャンパスのありようをもとに整理すると、すくなくともそれらは3つに集約される。

1)空間を構成する原理からの逸脱:大学当局は、吉村順三のつくりあげたキャンパスのありかたを継承すると言いながら、じつは環境や空間の構成への配慮を軽んじ、吉村順三の原理とはまったく違うものにもとづいてつくろうとしていること
2)施設管理のずさん:当局は建築の老朽化や設計の不備、規模の不足などを改築の理由にしているが、それは大学に施設課さえ置かず、これまで適切な維持管理をせずに老朽化を進むがままに放置してきたことに原因がある。それらは、大部分が改修によって十分に対処が可能であること
3)改築計画の進め方の不明朗:この計画は、委員会を設けて進めるという形式をとっている。しかし、多くの諮問委員会がそうであるように、あらかじめ結論を用意し、それにむけて人選をおこない形式的な反対意見も聞くというものであるうえに、非公開で進められたこと

このうち2)と3)は論外のことで、大学と愛知県の非はあきらかであるし、よその世界のことだ。しかし1)については、建築と、一部とはいえ地球のことだから、ここで考えておかないわけにはゆかない。
 吉村順三のマスタープランでは谷戸を取り込んだ丘という魅力的な地形を活かして、丘を削り谷を埋めることを最小限におさえ、むしろ新たに樹木を植えてゆたかな植生に導いた。それらの樹木が現在は大木に育っている。性格もさまざまな心地よい外部空間を活かすよう配置された開放的な建築を、木々がさらにゆたかにしてる。
 尾根の中心におかれたシンボル的な建築である講義室棟は、中空に持ち上げて地上をピロティーとして解放したから、長い建築も地上に立つひとの視界を遮ることはない。側面は、壁でなく格子で包まれる大きなガラス面だ。現在の奏楽堂が敷地の奥に配置されたのも、キャンパスをボリュームの大きい建物によって分断することを避け、音楽は奥まったおちつきの中で演奏し聴こうと考えたからだろう。

 しかし、日建設計によってつくられている計画では、新しい奏楽堂と音楽学部棟はアプローチのもっとも近くに置かれている。芸術大学の「顔」である奏楽堂は、外来者を迎えるために入口の近くにあるべきだという理屈だ。これは、上記の吉村順三の考え方を真っ向から否定すものにほかならない。しかも140mにおよぶ音楽棟は谷の斜面を蔽ってしまう。そこには、数々の野生の動植物が棲んでいるという。おそらく、奏楽堂を学外に貸しやすいところにつくり、利益を上げようとする意図が働いているのだろう。大学を法人化して利益をあげるように制度を変えた「改革」があと押ししているにちがいない。あたらしく奏楽堂がつくられると、現在の奏楽堂はなんと「楽器庫」にしてしまうのだという。呆れたものではないか、征服された国のお姫さまを奴隷にしてしまえというのだ。

 2005年、このキャンパスの近くで開かれた愛知万博は「愛・地球博」と呼ばれ、少なくとも表向きのテーマは「自然の叡智」ではなかったか。愛知県が主催したのではなかったのか?それに先だつこと30年も前に、吉村順三は建築が技術的にも大きさも不必要に膨張することを戒め、すでにそこにあった地形や生物を大切にしていたと、ぼくは思う。不必要な膨張は、他の人間、他の空間、そして自然への侵略を意味する。知も地も愛することをやめるのか。

 指摘するべきことはまだ多い。しかし、吉村の考え方の根幹を消し去るのが間違いだと指摘するだけで、この改築計画を否定するには十分だ。
地震と原発という災いを契機に、これまでの文明に内在する大きな矛盾を正面から解決することがなければ、日本どころか人類の文明は100年くらいで半減期をむかえるだろう。原発を推進してきた政財官界・御用学者たちが考えをあらためるべきであるのと同じように、愛知芸大の建て替えを進める人々、それに協力してきた研究者・建築家たちは、これまでの非を認めて、吉村順三に立ち返るべきではないか。もう世界は、そんなやり方を美しいとも正しいとも思わないのだ。老朽化して雨が漏っているのは、むしろきみたちの考え方なのだよ。率直に言えば、君たちは退場すべきだ。

■関連サイト
愛知県立芸術大学 建て替えについて
緑ゆたかな愛知芸大キャンパスを活かして行こう会
吉村順三の仕事 愛知芸大キャンパス訪問記/小池一三/びお
「吉村順三の仕事を今、学ぶ」

投稿者 玉井一匡 : 06:34 PM | コメント (2)