August 30, 2011

「100,000年後の世界」短縮版を見た

Eternity.jpgClick to jump to WebSIte

 これからの日本の原発をどうするのかを、ろくに議論しないまま民主党の代表選挙がおこなわれ首相になる人が選ばれた日の深夜、NHKのBS-Pで「100,000年後の世界」の短縮版を再放送した。ことしの2月に放送したもので、劇場版1時間19分を49分に短縮してある。ぼくは劇場版を以前に見たから、どう縮めたのかにも興味があった。

 原題は「ETERNITY」つまり「永遠」という。短縮版では、インタビューの大部分を残しながら、深さ500mの地下の世界を映像と音楽と沈黙によって「永遠」を表現しているところが削られている。たしかに、短い方がわかりやすい。けれど、十万年という気の遠くなりそうな時間の長さと重さを、ぼくたちに感じさせる力がなくなっている。そもそも、永遠を感じさせようというのに時間をけずったのだからそれは当然のことかもしれない。両方を見ると、この映画が伝えたかったことがよくわかるから、短縮版にも意味がある。
 

 メッセージの芯にあるものが、このまま原子力エネルギーを使い続けていいのかという修辞的な問いかけであるのはいうまでもないが、テーマはコミュニケーションである。タイトルは十万年後だが、その一点にではなく実は十万年間絶えることなく、延々と「これをとり出したら大変なことになるぞ」ということを伝え続けなければならないのだ。もしも開けようとする生物がいたら、たとえ人間であれその場で殺してでも阻止しなければならない。

 計画に関わる人たちさえ、意見はまとまらない・・・各国語で書いたメッセージをモニュメントに書いておくのか、しかし、何語であれ十万年後に原題の文字を理解できるのか、入るなと言われたら調べてみたくなるのではないか、むしろ何も残さず自然の森に蔽われ注意を引かないようにするのがいいのではないか、そもそも十万年後に人類が残っている可能性はむしろ低いだろう・・・結論は出るはずもない。とにかく、100年後に廃棄物を閉じ込めるというのだ。しかし、地震の多発地帯にありながら原発をつくり、放射性廃棄物の処理についてなにも考えず、何の手も打たずに増やし続ける日本よりは、12億年前の岩盤まで掘り進んで置いておく計画をじっさいに始めているフィンランドのやりかたには、むしろ尊敬の念を抱かされる。極地も近い国にとっては、太陽光も風も潮流も水力も電気に変えるのは容易ではないのだ。

 現在抱えている廃棄物をどう処理すべきかは、とにかく考えなければならないことだが、そもそも廃棄物を出さなければいいのだから、原発を廃止することがもっと大事なことであることをぼくたちは忘れない。「リーダー」の出現を待ち焦これるよりも、エジプトのように、リビアのように、シリアのようにみんなが立ち上がるしかないのかもしれない。

*このドキュメンタリーが短縮版であることをNHKは表示していない。それを意識したのは、たまたま同じ時期に劇場で上映されていたからだ。すくなくともそれを知らせるべきではないだろうか。この映画のテーマがコミュニケーションであるならなおさらだ。

■関連エントリー
*100,000年後の安全/MADCONNECTION
*核の文明を問う 映画「100,000万年後の安全」/池田香代子ブログ

投稿者 玉井一匡 : 08:30 PM | コメント (5)

August 08, 2011

福井県では「一家に一発 広島型原爆」:小出裕章氏の仙台講演から計算するとそういうことになるのだ

MyGenpatsu.jpgClick →仙台講演「3.11からはじまったこと」の録画/USTREAM

<この講演で示されたデータをもとに計算すると、原発の集中する福井県では、じつに県民3.7人あたり1発分ずつ広島型原爆の『死の灰』を持っていることになる>

 8月5日に仙台で開かれた小出裕章氏の講演「3.11からはじまったこと」をUSTREAMで見ることができる。前にエントリーした柳井市の講演から数ヶ月を経た小出氏の講演は、原発そのもののわかりやすい説明から入ることに変わりはないが、その後の状況の変化や仙台が地震の被災地であり福島原発の隣接県であることを踏まえて、汚染や廃棄物についての話に重点がおかれている。さらに、核エネルギーがとてつもない大きく、つくり出す廃棄物が目もくらむほどの長い年月にわたり放射能をもつので、かえってぼくたちは実感をもちにくい。その問題を克服するために、小出氏は表現や尺度にさまざまな工夫をこらしている。
  
 たとえば、放射性廃棄物が無害になるまで100万年かかるという政府の資料を示し、100万年という時間がどれほどの長い時間であるかを、人類の歴史をたどることで示す。また、廃棄物の量について説明するときに示される尺度が、実感として分かりやすい。広島型原爆1発のまき散らした「死の灰」を尺度にするのだ。

 日本で使った核燃料の残した放射性廃棄物の総量は、広島型原爆85万発分の「死の灰」に相当するという。といってもまだ実感としてわかりにくいが、日本人全体でそれを分けるとすれば、150人に1発ずつの広島原爆の「死の灰」が届けられることになるというのだ。そう聞くと、にわかに具体性を帯びる。講演会場に集まっていた人がおよそ300人だから、そこに2発の原爆が割り当てられるのだ。正確に言えば、会場にいるひとたちに原爆2発分の「死の灰」に相当する量の放射性廃棄物を、日本人は抱えているということだ。
 それは、現在ただちに全ての原発を止めたとしての話だから、もしこれからも使い続けるなら、原発1基が1年ごとに広島型原爆1000発分の「死の灰」をつくり出してゆく。これだけのものを、20万年とか100万年というとてつもなく長い時間にわたって人間が近づかないように、地震、水、化学物質、腐食などの影響を受けないように保管しなければならないのだ。
それでもやはり原発を続けたいという人がいるのだろうか?

GenpatsuWakasawan.jpgClick to open GoogleMap
 あとになって考えると、この数字は日本全体で山分けした場合のものだが、じつは原発が集中しているところがある。もし、若狭湾のある福井県で計算したらどうなるか気になった。福井県の人口はわずか806,000人。(都道府県の人口一覧/wikipedia)若狭湾に密集する原発は、敦賀2、美浜3、大飯4、高浜4基もあって、すべて関西電力のもので合計13基、もんじゅを加えれば日本全国の55基のうち14基が、この美しい湾にある。(日本の原子力発電所/wikipedia)
 これをもとに福井県にかぎって計算して、ぼくは唖然とした。

 *広島型原爆1発あたり換算の人口は:806,000人÷(850,000×14/55)=3.7人
 つまり福井県では、3.7人に1発分ずつの広島型原爆が割り当てられることになる。「一家に1発、広島型原爆」という原爆が家庭電化機器のようになる恐るべき話だ。人口1300万以上の東京にはひとつもない。同じく大阪、愛知にも、神奈川、千葉にもゼロだというのに。福井県人よ、かくも莫大な危険を押しつけられてきたのだ。逆にいえば、ぼく自身も含めて東京都民は福島や柏崎に危険を押しつけてきたのだ。

*私は計算間違いをよくするので、できれば上記の講演で示される資料に基づいて、ご自分で計算して確認みてください。間違っているようでしたらご指摘ください。間違いであればいいと思っているので、よろこんで訂正します。

投稿者 玉井一匡 : 01:30 AM | コメント (4)

August 05, 2011

「終わらない悪夢」の再放送

Owaranaiakumu4S.jpg写真:この足の下に使用済み核燃料が埋められている

 7月26日にエントリーした「終わらない悪夢」が、来週の水・木曜日に前後編に分けてBS1で再放送されることになった。これは、アメリカ、ロシア(旧ソ連)、フランスの原子力「先進国」を取材して、使用済み核燃料の処分をどうすべきかを検証したフランス制作のドキュメンタリーで、必見、というよりも必見・必録の番組というべきだろう。なぜなら、放射性廃棄物の処理が不可能であるなら、事故があろうがなかろうが原発というものはやるべきだはないということがよくわかあるからだ。

 これが放送される前の月曜・火曜日には、ドイツで制作されたチェルノブイリについてのドキュメンタリーも再放送される。

■ 第4回もう一度見たい!世界のドキュメンタリー  特別週 検証 原子力発電
8月 8日(月)午後11:00~11:50 「永遠のチェルノブイリ」
8月 9日(火)午後11:00~11:50 「被曝(ばく)の森はいま」
8月10日(水)午後11:00~11:50 「終わらない悪夢」(前編)
8月11日(木)午後11:00~11:50 「終わらない悪夢」(後編)

*再放送についてくわしくはNHKの番組案内サイトへ
*ドキュメンタリーWAVE 「内部被ばくに迫る~チェルノブイリからの報告~」日本の研究者がチェルノブイリを調査したドキュメンタリーがあります。
BS1:8月6日00:00~00:49
   8月7日17:00~17:49 

投稿者 玉井一匡 : 03:36 PM | コメント (2)

August 04, 2011

なでしこの宮間は、いいやつだ

NadeshikoMiyamaSoloS.jpgClick to PopuP:FIFAウェブサイトから

 なでしこの選手たちはそれぞれに個性的で、一途である。
長い間女子サッカーを引っ張ってきた澤については、もう言うまでもないが、宮間の冷静な判断や正確なプレイと人柄はかけがえのない存在だ。 なでしこがPK戦に勝った瞬間、選手が横一線からキーパーの海堀めがけて走り出そうとする瞬間、だれもが前傾姿勢でいる中でただひとり、ニコニコして立っている選手がいる姿をとらえた録画があった。このときに遊びに興じるこどもたちをうれしそうに見ているお母さんのような表情を浮かべている宮間が、喜びの輪に加ったのは、だいぶ後になってからだった。このひとは、そんなことをしても振舞いがすこぶる自然なのだ。

NadeshikoMiyama-Solo2.jpgClick→ソロが宮間のことを語るYouTubeの映像
 そのとき、彼女はただひとり方向を転じてアメリカチームに向かい、戦い終えた相手の選手たちにことばをかけていたのだった。かつて、男子チームがフランスワールドカップの出場を決めた試合のあと、中田英寿がただひとり歓喜のチームをはなれ、芝に腰を下ろしていたのをぼくは思い出した。解き放たれた歓喜の場にあって、ひとり冷静でありつづけられるということは驚くべきことだ。それが、試合中にも冷静な状況判断として役立っているはずだ。
 しかし、中田はそれ以後もチームで孤立し続けたとされているのだけれど、宮間はチームメイトと喜びをともにしながら、敗けたアメリカの選手たちの気持ちを思いやっていたのだ。そのときの宮間のことを、アメリカのゴールキーパー、ホープ・ソロがアメリカのテレビ番組で語っている映像がYouTubeにある。ふたつ目の写真をクリックすれば映像が開いて、ソロの言葉によって、宮間がなにをしにアメリカチームに向かって行ったのかがわかります。
 そういえば、もうひとつ思い出す場面がある。グループリーグの第一線のニュージーランドとの試合で宮間はフリーキックで勝利を決定づけるゴールをきめたのだが、そのとき、選手たちが大喜びで駆け寄る中で当の宮間はすこぶる冷静だった。が、いつのまにか彼女はベンチを目指し全力で駆け寄って控えの選手たちとハグで喜びを分かち合っていた。

 日本の首相や外務大臣の言動が外国の人たちのこころを動かすことは滅多にないが、なでしこたちは、こんな形でもそれをやっていたのだ。だから、首相が偉そうに国民栄誉賞などを贈り、じぶんたちの人気取りに役立てようなどというのは、なんともおこがましい話ではないか。

投稿者 玉井一匡 : 09:00 PM | コメント (6)