December 25, 2011

『いきる 命はすてき』展に行った

InochiSuteki1S.jpg銀座で開かれている『いきる 命はすてき』展に行った。
会場は銀座のギャラリー悠玄、泰明小学校の近くだ。
石井悦子さんという若い女のひとが銀座の画廊の地階から2階までの3フロアを借りきって主催なさり、反原発デモで撮った写真を大きくプリントしたもの展示するのだとmasaさんにうかがった。さらに、新島さんが3.11以後のまちの「音風景」を録音したものを音作品として出展されるとも知った。
 ぼくはこの催しを写真展なんだと勝手に思いこんで会場にゆくと、展示されているものはさまざまで、1階の正面には大きなサイの絵があり、猫のカツラがあり震災体験を書いた文章がある。そうした展示を見て、はじめてこの催しの全体像がつかめた。作品というより行動の展示なのだ。写真を作品として展示しているのはmasaさんだけだが、それも、週末ごとに反原発デモの写真を撮ることで原発をなくしたいという思いをぶつけているという行動の結果だ。

 地階の一番奥の壁に大きなピエロの写真があってこちらを睨みつけている。左奥の壁際に一対のスピーカーが置いてある。空間に詰まっているドラムの音は、そこから出てくるのだ。床には、これからここで演奏が行われることを示す譜面台とスツールが緋毛氈の上に置かれている。

 masaさんの写真には説明がない。その代わりに左手の壁にNiijimaさんのメッセージが書かれている。(Niijimaさんのブログ「Across the Street Sounds」に全文があります)透明のアクリの板にとりつけた電子部品のかげにSDカードが差し込まれた装置が、スピーカーの間に置かれている。

 録音技術者であるNiijimaさんのブログのタイトルが「Across the Street Sounds」であることを、このときにはじめて直接に意識した。「かつてはサイエンス・フィクションの世界だけの出来事であった放射性物質に汚染されたこの国土での生活が、わたしたちの日常となってしまったのと同じく、毎週のごとく行なわれるようになった反原発デモの光景もこれまた日常と化した時代が始まった」と書かれている。放射性物質によって汚染された地球という、SFでは常套手段といわれそうな状況が現実となってしまったのだ。

 顔の表情は、なによりもあからさまに気持ちをあらわす。だからこそ、ピエロは厚い白塗りでつくられた人工の表情の下に真の表情を隠す。それと同時に、その下にはそれほどにして隠さなければならないほどの怒りや悲しみ、あるいは希望を手探りでもとめる気持ちとその表情が秘められていることも示しているのだ。デモという行為、人の感情を揺さぶるドラムという音、幻覚から揺り起こすようにときおり刺さるホイッスル、それは音による白塗りなのかもしれない。激しく表出すると同時に秘めるのだ。

 デモのドラムを聞きながら巨大なピエロを眼にして、そんなことを思った。

■関連エントリー
『いきる 命はすてき』展/kai-wai散策
『いきる 命はすてき』展 (初日)/kai-wai散策
「いきる 命はすてき」展/Across the Street Sounds
「3.11以降に現出した音風景 remix」前口上/Across the Street Sounds
「写真の力。」/う・らくん家

投稿者 玉井一匡 : 09:17 AM | コメント (4)

December 09, 2011

ゆたかなバックグラウンド:タトーン村コミュニティ図書館のまわり

LaoTatohnGoalS.jpgClick to PopuP

 タトーン村のコミュニティ図書館の運営は校長先生が兼ねていらっしゃる。先生にいい話をたくさんうかがったあと、ぼくは牧草を横切って校庭の向こう側まで歩いて行った。丸太を2本立ててその間にもう一本を水平に掛け渡してあるから、それがサッカーのゴールであることはすぐに分かった。門をくぐってすぐに、これが気になっていたのだ。
ゴール裏に立って振り返ると、校舎とさっきまでいたコミュニティ図書館が樹木に融けこんでいる。それがゴールの額縁に切り取られていて、そこからこぼれ出すゆたかな風景の力が、ぼくの眼を通さずにじかに胸の中に染みこんで来た。

 ビエンチャンの市街から車で3,40分も走ったらもう農村地帯になる。集落内の道路に入っていくつか角を曲がれば小学校に着いた。ここにつくられたコミュニティ図書館がどのような背景におかれていて、それがどのように使われているのかを見ることが目的だったので、まずはまわりのことを書いておこう。

LaoTatohnClassS.jpgClick to PopuPLaoTatohnCabinS.jpg
 インタビューを終えたときはまだ授業中だったから、あらかじめお願いしておいたので教室の中をのぞいたり、まわりを歩いたり自由にさせてくださった。5つの教室がつらなる教室棟は波板の鉄板一枚だけの屋根、壁は外側にはモルタルを塗ってるが内側はレンガのまま。壁と屋根の間には隙間があるし壁の上部の一部分には、通気のために穴のあいたレンガが使われている。いちばん端の教室だけは壁の一部がレンガではない。コンクリートの柱の間に木のフレームをつくって、そこに竹を編んだスクリーンを張ってある。なおさら涼やかに感じられる。

 校舎のはずれに高床の小屋があった。その高床の下に数人の男の子たちの黒いズボンの脚が見えたから近づいてゆくと、5,6人の男の子たちがあわてて散っていった。おいおい、言いつけようというわけじゃないよ、一緒に遊ぼうと思っただけだと、声に出さずにつぶやきながら裏に回ると、なんて素敵な廃屋。死へ向かって醜く朽ちてゆくのでなく、別の命に変わろうとしているようだ。

 裏の道にまわって教室棟を見ると、これもいい感じだ。長さも向きも太さもてんでんばらばらの木の幹を地面に立てて、いくらでも通り抜けられるような隙間をあけて鉄条網が張ってある。それともこどもたちが拡げたんだろうか、これなら子供たちは自在に出入りするだろう。ゆるやかな境界。

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 裏の道をはさんだ向かいには、きっと住宅の玄関につづくんだろうが、日本の農家にありそうな気持ちよい入口があった。それを通り越すと駄菓子屋があった。小学校の前に、あるいはキャンパスの中には、この国ではかならず文房具や駄菓子と軽い食べ物を置いく店があって、休み時間や放課後にこどもたちがあつまる。日本の大病院のまわりの薬局のようではあるけれど、薬局には経済しかないが駄菓子屋には文化がある。この学校のゲートの周囲にはこういう店が3軒あった。さっきの住宅の敷地の中に、道路にむいてそういう店がつくられている。ぼくが店の写真を撮っていると、若者が不審そうにやってきた。万国共通の言語、笑顔をもって語りかけると、英語で話しかけてきたから「あなたも、この学校でべんきょうしたの?」ときいたら、うれしそうに頷いた。

 どうぞ入ってという身ぶりに素直にしたがって駄菓子屋の脇を抜けて敷地の中に入ると、父親とおぼしき品のいい人が、寝ている幼児を寝かしつけている。
「お父さん?」と訊くと「いや、義理のオヤジです」という。こんどは、駄菓子屋から母親だろうか、ペットボトルの水を2本もってきて、ぼくと、同行の宮原さんにくれた。
 寝ている子は生後6ヶ月の甥であること、若者は大学でexplosionを学び、mininngに関わる仕事をしていること、父はsoldierであったことを彼は話してくれた。ぼくたちは、この学校の図書館の使われかたを見るために来たことを話した。
いい庭だねと言ったら、見てもいいと中に案内してくれる。熱帯の林のような庭だった。ぼくたちは他にも3人の同行者があるんだということをつげて、そこでお礼を言って学校にもどった。タイと同じように「こんにちは」も「ありがとう」も、この国では祈るように手を合わせる。ほんとうにありがとうと感じたときの表現には、とてもふさわしいと思うのはこういうときだ。
 このあと校長先生が、近くの店で昼食をごちそうしてくださったから、同じように手をあわせて「コプチャーイ」と言った。

投稿者 玉井一匡 : 01:33 AM | コメント (0)