November 14, 2009

「Walking the High Line」

WalkingHighLine.jpgWalking the High Line/写真: Joel Sternfeld

 「Walking the High Line」が届いた。
amazonで探して新本もあったが古本を注文した。新本より少し安い程度だし時間がかかるだろうがそれよりも外国の古本屋から届けられるということに興味があったからだが、二週間ほどたってとどいたのをみると、ほとんど新本のようにきれいで、送り状にも「Used-Very Good」と書かれている欄があった。
 外国の本には腰巻きがない代わりに裏表紙に説明が書かれていることが多い。この本の裏表紙の解説は、すこぶる簡潔でわかりやすくて、もう余計な説明を必要としないくらいだから、それを訳しておこう。

*裏表紙の解説

 9月11日の攻撃を受けたあと、2001年のニューヨークにつづいた暗い日々のさなか、ジョエル・スターンフェルドはゲルハルト・シュタイデル(でいいんだろうかGelhart Steidelと書かれている)のもとを訪ねると、すぐにも出したい本があるんだと切り出した。
その2年前からスターンフェルドは、マンハッタンのウェストサイドを南北に走る、使われなくなった高架鉄道High Lineの軌道敷の写真を撮り続けていた。それは「フレンズ・オブ・ハイライン」というグループとの協同の活動で、彼らはHigh Lineを解体からまもり公園として蘇らせようとしていた。その不動産価値に目をつけるものや政治的に利用しようとする連中が、ハイラインを解体して跡地を開発する計画を、当時の混乱に乗じて一気に進めようとしていたからだ。
 スタイデルがスターンフェルドの依頼を引き受けると、わずか6週間後には本ができあがってニューヨークにあった。体裁こそ薄かったけれどその本は、それまで秘密に閉ざされていた鉄道敷に、季節ごとの美しい風景があることを、初めてニューヨーカーの眼に教えたのだった。さながら、ウィリアム・ヘンリー・ジャクソンの1870年代に撮ったイエローストーンの写真が、当時の議会を国立公園の設立へみちびいたように、スターンフェルドの写真はハイラインパークの実現への大きな転換点となった。
この、初めての出版から数年が経ったいま、今度は「ウォーキング・ハイライン」の写真に加えて、鉄道がつくられそれが変容していった現在に至るまでを写真と解説によって編年体でまとめ、あらたな一冊の本としてまとめられた。
    *  *  *  *  *

 ぼくは、本をひらいてまず写真を見たから、ページいっぱいの24枚の写真は公園になる前のものばかりであることに、ちょっとはぐらかされる気がしたのだが、そういうわけだったのだ。その写真のハイラインは、ひどく非現実的な印象だった。・・・・・どれも曇り空で、昼間なのに人影はひとつもない。廃止されたレールの上はいうまでもないが、ビルの窓にも人影がない。曇天だから影や太陽を手がかりに時間を想像することもできない。同じような場所で同じ方向を、季節を変えて撮っている写真があるのに、よく見ないとそれも気づかない。線路のずっと向こうまで、周りのビルに焦点が合っているのだ。

 ニューヨークをよく知る人は、見なれた建築、住みなれたまちに、こんな別世界があったことに驚いたのだろう。マンハッタンをつつむ格子状の街路にブロードウェイだけが曲線を描いてニューヨークのリズムに刺激を与えてきたのだが、このハイライン・パークは、クルマもいない空中の公園をニューヨークにつくり出して、素敵な効果を生むにちがいない。Googleマップができたいまは、ぼくたちはいつでも鳥になってHigh Lineを見下ろすことができるようになったのだ。2010年には、残りの工事が終わるそうだ。

■追記:ひと
*ジョエル・スターンフェルド
・Joel Sternfeldのことを、これまで僕は知らなかったが、こんな写真を撮ってきたひとなのだ。
「American Prospects」をはじめとするたくさんの写真集がある

*スティーヴン・ホール
 ウェブサイトで、この計画のコンペの審査員を見ると建築家スティーヴン・ホールの名前があった。彼にはBridge of Housesという計画案がある。高架線の上に集合住宅を載せるというすてきなものだった。それはHigh LIneを生かす提案だったのだと、今になって知った。

■関連エントリー
High Line:ニューヨークの高架鉄道あとの再生

投稿者 玉井一匡 : 09:11 AM | コメント (4)

November 04, 2008

OBAMA

DONATE-OBAMA.jpgClick to open Donate format page

 きのう、妹の亭主スティーブと電話で話した。シアトルのBainbridge Islandというところに住んでいる。

あした鮭を釣りに行くんですよ。
 釣れる数に制限があるんでしょ、何匹まで釣っていいの?
2匹だけど、1匹で充分だから1匹しか釣らないよ。カニの網もセットしておいて、鮭とカニで大統領選挙のあとにお祝いします
 しかし、マケインはまだしもペイリンてのはひどいね。どうしてあんなのを副大統領候補にするんだろう?
アメリカっていう国は、ああいうところがあるんですよ。これでもし共和党が勝ったら、もうアメリカはだめだよ。このあいだ、オバマが30分以上の演説をしたんですよ。
 知ってる。日本でも話題になったよ。
オバマは、ほんとに立派な人ですよ。あんな人、ぼくは見たことがない。
 そうなのか。そういう人が大統領になりそうなのはうらやましいなあ。

 半年ほど前に、オバマのサイトを開いて見たあとにメールマガジンの登録をした。オバマを支持するというよりは選挙とオバマについて知りたいと思ったからだった。以来、毎日のように届くメールにはオバマのメッセージや選挙戦の様子が書かれているが、細かく読んだことはあまりなかった。メールには、かならず 「DONATE」と書かれた赤いタグがある。「寄付を」という単純明快なメッセージだ。クリックすると寄付のフォーマットが開く。これまでの間に、オバマに勝ってほしいと思うようになってきたが、寄付をするなら他にまだあると思って、とうとうクリックしたことはなかった。11月2日にとどいたメールはObama for Amerikaという差出人からYour backstage passというタイトルだった。 Tシャツの写真があって「$30(あるいはそれ以上)の寄付で選挙の夜をOBAMAの仲間として過ごそう・限定Tシャツつき」とあった。タグには「DONATE NOW」とある。開くと、「Make a Donation to Receive Your Shirt -- You Could Get a Front Row Seat to History」「寄付をしてTシャツをもらおう。ーー歴史の最前列の席につける」ちょっとかっこいいTシャツだし少し心が動かされたが、申し込みはしなかった。
 
 以前に「アメリカ再読」というエントリーに書いたことがあるが、スティーブと家族は、7年前までニュージャージーに住んでニューヨークに勤務したあと、会社を辞めて1年ほど休んだあとに、いまのまちに移った。
先日、たまたまリーマンブラザーズの破綻と株の大暴落の直後に電話をかけたときに、アメリカの経済の大混乱について2時間近く話した。(もちろん日本語で)なにしろ彼は投資コンサルタントみたいな仕事をしているから、直接に影響をうけているはずなのだ。
 「大変だろう」と尋ねると
ぼくは二週間前に株は売ったから大丈夫だけれど、とにかくアメリカは大変だよ。こんなことまでは考えられなかった。もうアメリカでは、なにかをつくるという仕事をしている人はすくなくなってしまった。この町なんか、ほとんどいないですよ、ぼくもそうだけど。
 こんなときに大統領になるなんて大変だね。負けた方がよほどいいかもしれないね。イラクだって、撤退すればいいってものじゃないんだし、ブッシュのやったバカなことの後始末するんだからね。
ほんとですよ。こんなときに大統領になろうなんて、考えられない。
・・・なんていう言いかたをしていたのだが、いまは絶賛するようになった。

そろそろ東海岸では投票が始まった。

投稿者 玉井一匡 : 11:19 AM | コメント (12)

November 03, 2005

シェルター

shelter.jpg シェルター/ロイド・カーン/日本語版監修玉井一匡/グリーンアロー社

 この本の著者ロイド・カーンのつくった「HOME WORK」の日本語版が出版されたので、そのことを書きながら「シェルター」にリンクさせようとすると、まだblogには移植していなかったことに気づいた。サイドコラムにはamazonへリンクをはりつけているのに、その本についての文章をblogにのせていなかったのだ。
そこで、まずは「シェルター」をホームページ(PAGE HOME)からこのblogにつれてくることにした。「ホームワーク」のエントリーは、そのあとにしよう。
 以下の文章を書いたのは2001年6月。この3ヶ月後に起きた出来事のあと、ブッシュとアメリカ合衆国はアフガニスタンとイラクに対して言いがかりをつけて愚かな行動に出る。ブッシュと彼を支持する人々の振舞いはアメリカのひとつの側面で、ぼくは大嫌いなのだが、このような本をつくり出すのもやはりアメリカで、それは他にないきわめて優れたところで、ぼくはそれが大好きだ。

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ShelterOriginal.JPGこの本を買ってから何年くらいになるんだろうかと思って奥付をみると、copyright1973、2年間で資料を集め5ヶ月で編集したとある。表紙のデザインも内容の構成からも、一目で「ホール・アース・カタログ」の血筋であることがわかるが、たしかに、巻末のクレジットに11人の編集者の名前などの他に、「ホール・アース・カタログ」の続編「ホール・アース・エピローグ」の予告と編集への参加の呼びかけが、Stuart Brantらの名で書かれている。この本に取り上げられたすまいは地域を選ばず世界中におよび、昆虫の巣や石器時代の竪穴式住居もバックミンスター・フラーのドームも、シェルターという枠でくくって、どんな構造なのかを伝え論じている。

 じっくり読んでみる気になったのは、翻訳の監修をしてくれないかと依頼されたからで、はずかしいことに、これまでの長い間、写真や図を見たが、文は拾い読みした程度だから、本を読んだとはちょっと言えない。翻訳の原稿を読み、原文を読み比べてみてこの本に潜む力のほどがよくわかって来た。ここにはシェルターそのものだけでなく、この本をつくったアメリカという生き方がよく見える。

WholeEarthCatalog.JPG たとえばアドビーについて、といってももちろんPhotoshopをつくっているAdobe社ではなくて日干し煉瓦のことだが、土の選び方に始まって、レンガを乾燥させるときの積み重ね方や壁の積みかたにいたるまでがイラスト入りで書いてある。大部分の日本人にとっては、建築材料から自分たちで作ろうという発想はない。あるいは 、チュニジア民家のドームの屋根をレンガ職人がひとりで積んでいる写真がある。彼は手首に紐の端を結びつけ、もう一方の端をドームを構成する球の中心に固定してある。すると、紐をピンと張るようにして手を動かせば、自然に手は球面上を動くことになる。だから螺旋を描くようにしてレンガを重ねてゆけばドームができてしまうんだという素朴なやり方に、なるほどと感心する。また、丸太から手斧はつりで角材をつくるのに、プロの職人は丸太の上に乗り自分の足元にむかって左側に斧を振り下ろすのだが、これはやはり危険だから私は丸太の前に立って、向こう側に45°の角度の面をつくるようにして手斧はつりをやるんだ、というようなことが図解入りで書いてある。あくまで具体的、体験的、それゆえ根源的にシェルターを考えている。

 日本人にとっては、大工仕事というのは職人の高度な技として受け継がれてきたものだから、素人からは遠く離れた彼方にあるけれど、アメリカという文化にとってはそうじゃないんだということを実感させる。この本のタイトルがHOUSEでなくSHELTERであることもそうした明瞭な意志の表れであって、住宅というものは、まず雨露をしのぎ外敵を防ぐという機能を自分たちでつくることからはじまるのだと彼らは考えているらしい。その同じ文化の上に、社会は自分たちでつくるのだという考えが載っている。だから、陪審員制度のもとに素人が裁判に参加するなどということになるし、まちを自分たちでつくるという意識もつよくなるのだろう。同じ理由から、自分のいのちは自分で護ると言って、あくまでも銃を持つ権利を手放さないことにもなるのだろうけれど。

 使われている資料の多さと広さやレイアウトのしかたを見れば、インターネットという概念はこのような情報の形式の延長線上に自然につくられてきたのだということが分かる。世界中の情報を、多くの人たち多くの場所から集められるということも英語という言語が支配的であるおかげだが、こういう本に安い価格を付けられるのも、英語で書かれているおかげですこぶる大きなマーケットが期待できるからだ。リサイクルや環境の保護という姿勢も、1973という時代に、すでにこの本のあちらこちらに表れている。

(注)Stuart BrantはHow Buildings Learnの著者でもある。

投稿者 玉井一匡 : 02:06 PM | コメント (0) | トラックバック

July 01, 2005

ベインブリッジのオークション

auction.jpg click to jump on the website.
一昨日29日の午後、夏休みに入った2人の娘を連れて、シアトルから妹がやってきた。子供たちはもうすぐ12才と7才、息子は今年から高校だが、父親と残っている。かつて彼らはニュージャージーに住み、夫は大嫌いなマンハッタンに通っていたが、9.11の前、2001年の夏に会社を辞め、家族で国内を旅したあとしばらく新潟の実家ですごし、前から望んでいたシアトルに落ち着いた。
この日に日本に着いたのは、その前の週末に地元のロータリークラブ主催で恒例のオークションがあって、ボランティアを終えてやってきたからだ。毎年の売り上げは2000万円から3000万円にもなるんだという。

サイトを開いてみるとRotary Auction & Rurmmage Saleと書いてある。「rummage sale」って何だろうとexcite辞書を見ると、「《米》 がらくた市; (特に)慈善市 (《英》 jumble sale)」とある。どうしてそんな金額になるんだろう、どんな規模でやるんだろうかと、気になった。妹にきくと、小は衣類やオモチャから、大はクルマやヨットもあるが、実際にオークションをするのは高いものだけ。安いものは値段が決まっているのだそうだ。
去年、パーティでいっしょになった人が、「これ、オークションのときに1ドルで買ったのよ」と、黒いドレスを指して言っていたそうだが、衣類は大部分が1ドル、ブランコやすべり台がいっしょになった数百ドルの遊具が5、60ドルで出ていたという。
催しの規模はシアトル市全体ではなくて、ベインブリッジ・アイランドのロータリークラブが主催だが、客は島の外からもたくさんやってくる。金曜日に下見ができるので、どれを買おうかという目星をつけておく。当日は島はクルマでいっぱいになり、開場とともに、目指すところへ向けて一斉にわれがちに走り出す。
午後2:00をすぎると無料になるので、それをめがけてくる人たちもいて、そのころにはまた人がふえる。中には、ねらいをつけたテーブルと椅子のセットに家族で腰掛けて他の人に近づけさせず、只で手に入れようとした猛者がいて妹の亭主スティーブが憤慨していたという。その一方には、ヨットやモーターボートを寄付する人たちがいるわけだ。

実際にオークションをしたものには何があったのか、いくらだったのか、売り上げたお金はどんな風に何に使われるのか、興味は尽きないが、それは今週末に会ったときにきこう。
こういう話をきくと、モノの所有についての感じ方も、コミュニティとの関わり方も、ぼくたちとはずいぶん違う。ロータリークラブのサイトによれば、毎年200から300人のボランティアが協力してくれると書いてある。出品する人はモノで協力するし、ボランティアは労働力と時間を提供するわけだ。アメリカの推理小説と映画の世界だと思っていた陪審員制度が、いつの間にか日本に裁判員制度として導入されることになった。これは、ひとりひとりがコミュニティをつくるという意味で、ぼくたちの社会をいい方向に変えるんだとぼくは思うんだが。

投稿者 玉井一匡 : 07:27 AM | コメント (1) | トラックバック

October 27, 2004

ChicagoBikemap

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久しぶりにサラ・パレツキーの新作「ブラック・リスト」が出た。女私立探偵ヴィク・ウォーショースキーを主人公とするシリーズだ。シリーズ物の多くが、いつも同じまちを舞台にする例にもれず、ヴィクシリーズはシカゴを舞台にしている。池波正太郎もそうだが、同じまちを舞台にする小説はまちの描写が具体的かつ詳細だから、地図を片手に、あるいは栞がわりにはさんで読むと、楽しみは倍増する。

 これまでずーっとヴィクシリーズを読んで来たのに、なぜかシカゴの地図を見ながら読んだことがない。ぼくの悪いくせで、先入観にとらわれるところがある。なにしろ、いまだにドイツとヒトラーの縁が切れず、ワールドカップではいつもドイツの相手を応援する。ぼくが中国人だったら、競技場で日本チームをののしるのだろう。シカゴに対しては寒く索漠たる都市という勝手な先入観がどこかにある。アル・カポネのせいなんだろうが、ホームアローンも高津臣吾とシカゴ・カブスも、F.L.ライトもシカゴ・トリビューンもミースのレイクショアドライブ・アパートメントも、それを変えられなかった。
 ところが、今回はシカゴの地図を見たくなった。久しぶりのヴィクシリーズだったので、じっくり読みたくなったのだろう。シカゴ市のサイトにはChicago Bike Mapというのがある。地図を開いてみると丁寧で美しい、自転車道路は形式に応じてさまざまな色で表現してある。自動車との共存の仕方や駐輪のしかたも美しくていねいだ。自転車にこんなに親切なまちなんだと思うと、すっかりシカゴ観がかわってしまった。日本にはこんな地図もこんな自転車道路をもっている都市もぼくは知らない。なんのことはない、この地図だけでぼくはシカゴに行ってみたいと思うようになってしまった。

投稿者 玉井一匡 : 09:40 PM | コメント (0) | トラックバック

July 20, 2004

アメリカ再読

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 大きな街路樹がならぶ住宅地:右から2軒目が妹たちの家
 

 カフェ杏奴を教えてくださった「いのうえさん」からつぎのようなメールを頂いた。
「玉井さん、おはようございます。 杏奴ファンのいのうえです。貴Place Runner を掘り起こしましたら、ニュ−ジャージー州リッジウッドの住居について書かれていましたので、偶然とはいえびっくりしました。小生も家族と共に1986年から1992年の足かけ7年、リッジウッド村の北端に住んでおりましたので。世の中本当に狭いというか、これも何かの縁ですね。」

 ニュージャージーは、ニューヨークに勤務する日本人が比較的多く住んでいるところだから必然性がないわけではないけれど、そのなかでもリッジウッドという小さな村だということになると、何かの縁だろうとぼくも思ってしまう。

 「前に書いたものをBlogで公開すればいい」と、秋山さんからも何度かアドバイスを受けていたのだが、他にも書きたいことがいろいろとあったので、なかなかできなかった。この機会に読み直してみると、今年は日米修好150年でもあるし、いまでも通用する話だと思ったので、いのうえさんのメールを機会に、Blogにのせることにした。これは、リッジウッドの家の「ベースメント」で目を覚ました明け方、ノートに書いたものだ。

 1998年秋、アメリカに住む妹たちの家をぼくははじめてたずね、およそ1週間そこに滞在した。13歳も年齢のはなれたただひとりの妹である理子と夫のスティーブは14年前に日本で結婚し、その後、日本とアメリカで何度か住まいを変えたのちに、ニューヨークの郊外、ハドソン川をはさんだ対岸のニュージャージー州のリッジウッドという町に家を買って3年ほどになる。3人の子の親となったスティーブは、ほんとうは田舎に住みたいんだと言いながら、毎朝のように前庭の芝生の上に投げ込まれるビニール袋入りの朝刊をもって車に乗り込み、駅からは電車とフェリーを乗り継いで1時間たらずでニューヨークのワールドファイナンシャルセンターにあるオフィスまで通勤している。

 3月に生れたあたらしい孫ソニアの顔を見がてら、ぼくたちの両親は新潟をはなれて3週間ほどかれらのところに滞在することになった。家族そろって相談したいことがあったので、両親の迎えをかねて最後の1週間をぼくも東京から合流したのだった。
 両親と一緒だったから、いずれにしろあまりうごきまわることはできないし、その1週間を、ぼくは主にこのまちに腰を落ちつけてアメリカの日常的な場所に接することにしようと思った。わずか1週間のあいだだったけれど、地下室に寝起きして、この町とこのいえの住人たちを通じ、アメリカについて実感をともないつつさまざまなことを考えることができた。アメリカについて考える時には、いつも日本のことを考えないではいられなかったから、アメリカを考えるということは実はアメリカという鏡に写した日本をみているのだった。

 この家の面積は地下を除いても屋根裏を含めると延べで40坪ほどだから、日本ならけっして小さいとはいえないけれど、まちを一巡りしてみると、ここでは一番小さい家のひとつではあるようだ。とりわけ、外から見れば小さく見える。玄関ドアの左右に窓がひとつずつならんだ上に平家のようにつくられた屋根に、屋根裏の子供部屋のドーマーウィンドウ(屋根窓)がふたつならび、横にガレージが加えられただけのかわいい家とみえる。
 しかし、ちょっと目をこらしてみれば、この家がただかわいいだけの家ではないことが、いたるところから読み取ることができる。建てられてからすでに50年以上の時を経ていながら外壁も内側の壁もきれいに塗装を施されているので、さながら雪におおわれたまちのように一様に美しく見えるのだが、家に加えられた手の痕跡がそこここにとどめられているからだ。なによりこの家を魅力的に感じさせるのは、古いことを誇らし気にして建っていることだ。とはいえ、骨董品のように古さそのものが価値を持っているわけではまったくない。けれども、使いこまれ大切に手入れされてきた痕跡を感じさせるもののもつ美しさや好ましさがあるのだ。この家だけではなくまわりの大部分の家たち、それらが集まって作られているこのまちそのものにも、同じような好もしさが感じられる。

OLSONDACT.jpg 上の部屋を暖めるダクトはベースメント天井を走る。断熱はない。

 日本でつぎつぎと建てられる家の多くは、作られた当初の輝かしさは時とともにみるみる失われ、粗大ゴミへのみちをひたすらに歩み続ける。土地とともに住宅を売ろうとすれば建物の価値はゼロだと評価され、ときには解体の手間の分だけのマイナスの評価を受けるというぼくたちの社会では、売買の市場に出されたとたんに古い住宅の価値はゼロになってしまう。 けれども、このまちの家たちは時とともに価値を上昇させ、現在の住み手である妹たちも、買ったときよりも高くこの家を売ろうと考えてあちらこちらと手を加えて、よりよい家にしようと努力を惜しまない。終の住処としてひとつの家に住みつづけようと考える日本人よりもむしろ、家族が増えたからここを売ってもう少し大きい家を買おうと気軽に考えるここの人たちのほうがじつは家を大切にしようとしているという逆説はすこぶる興味深い。
 最も私的な建築物である住宅も大きく見れば社会全体の財産だと考えるなら、日本のあり方では、作られた当初に最大だった財産が時とともに減り続け、数年で他者にとってはゼロになる。けれど、100年たった住宅でもそれがちゃんと商品として売買されるこのまちでは、社会の財産は時とともに蓄積されてゆく。あのバブルの時代に日本が世界中からかき集めてきた富は、ただ空しく土地の価格を上昇させ、ゴルフ場を増やし住民に君臨する庁舎をつくり、森を減らしここちよい小さな漁港を埋め立てて終わった。社会に蓄積されたものは少ない。
 そして、今頃になってストックとしての住宅だの100年住宅などと住宅メーカーや役人が口では言いはじめた。もう、大組織や役所の言うことを額面通りには信じない。すくなくともそれを学ぶことができたのがバブルという愚かな時代の残したささやかな財産だ。量から質へというスローガンで新しいマーケットを作ってゆこうというのが最も重要な目的に違いないのだから、モノとして長もちするだけの家がつぎつぎとつくられてゆくのだとしたら、それはもっと悲惨なことになりかねない。シリコンを注入した美貌や肉体のように、年を経てもいつまでも変わらないということが100年持つ住宅なのではないはずだ。    

 だが、紙袋や紙皿やプラスティックのフォークを1回使っただけでゴミ箱に放りすて、冬にはふんだんに暖房をきかせた家の中でアイスクリームを食べ、夏には冷房を効かせた室内でスーツとネクタイをつけるというアメリカの生活を、ぼくたち日本人はあこがれてあとを追ってきた。われわれを大量生産と大量消費の泥沼に誘い込んでおきながら、ここのひとたちは背後にこんな堅実な世界をしっかりと大切に残している。日本にもちこまれた道具や映画からぼくたちは彼らの生活の断片を知ったけれど、それだけではよみとれなかったものがあまりにも大きい。単語をひとつひとつ日本語に置き換えることによって英語ができるかのようにしてぼくたちの英語教育はなされてきたけれど、それが英語という言語体系の全体からかけはなれたものになってしまうように、ぼくたちの読み取った道具や生活の断片という単語は、この国の生き方という言語体系とはかけはなれていたのではないか。

 アメリカのきわめて強い影響のもとに日本人のひとりひとりの生活も社会も作られてきたのは、けっして戦後民主主義の世代だけではない。ペリーが浦賀に押しかけてきてこのかた150年にもわたって、良きにつけ悪しきにつけあるときは進んで模倣をし、あるときは力ずくで従わされながら、くり返しくり返しアメリカのやりかたや在りかたを受け容れてきたのだ。西洋のまねをしたいばかりに、仏教寺院を破壊し仏像を売り飛ばし、古いものをないがしろにして、ほかならぬアメリカ人をはじめとする外国人にたしなめられて、あるいは、ドイツ人にほめられてはじめて桂離宮を見直す始末だった。

 アメリカではおそらく平凡なものである理子たちの家と、そのまちのあちらこちらに、われわれ日本人にとってはきわめて興味深いものが見つかる。外の文化からみて真に興味深いものは、内にとってはあたり前のことにある。モノの集積としての「家」と、そこに作られる場所を読み解くことから、アメリカという、ぼくたちには矛盾に満ちたと見える存在を読み解くカギが見つかるのではないか。進歩と信じて絶え間のない変化を続け、一方ではかつて持っていた世界を壊し、自分たちの世界観を見失おうとしているぼくたちの社会を、アメリカという鏡に自らを映すことで見直して、立ち直るすべを発見することが今から欠かせないだろう。

投稿者 玉井一匡 : 04:31 PM | コメント (6)

December 11, 2003

アメリカ帝国への報復

BlowBackJ.jpgアメリカ帝国への報復 /チャーマーズ・ジョンソン著、鈴木主悦訳 /集英社

 ぼくたちを代表することになっている政府は、強引にイラクへの派兵を決めてしまった。それが、イラクの復興のためよりも日本がアメリカに協力する姿勢を見せるためであることは、だれでも知っていることだ。ここで言う「アメリカ」は「現在のアメリカ政府」を意味するに過ぎないし、「日本」についても同じことだ。大部分の日本人は派兵に反対だし、アメリカでもきっと反対する人は多いに違いない。

 こんなことになったので今年の春に読んだこの本を思い出した。一見したところ刺激的なタイトルは、ひと昔前の教条的なスローガンのようだが、著者は日本とアジアを専門とするまっとうな政治学者なのだ。帝国主義という言い方は修辞的表現ではなく、冷戦が終わったあと、アメリカが経済と文化の上でグローバリゼーションを進め、軍事的にも拡張を続けていることに、帝国主義の属性があるというのだ。アメリカは外国への余計な手出しを止めないと、いずれ、手痛い報復を受けるだろうということを書いている。そしてその通りになった。これがアメリカで出版されたのは2000年だったのだ。

BLOW Back.jpgBLOW Back(原著)
 今年の春、「9月11日を予言することになったので、このあたりの本屋ではベストセラーのひとつになっている」と、シアトルにいる妹が電話でこの本のことを教えてくれた。妹本人はアメリカの本を読むわけではないから、亭主のスティーブが読んだのを伝えたのだった。
著者は、スティーブがUCバークレーの学生時代に先生だったこともあったので、この本を翻訳したらどうだろうといって、しばらくしてから妹が原書を送ってきた。
原題は「BLOWBACK」銃を撃ったときの反動のことだろう。副題の「The Costs and Consequences of American Empire」は、「アメリカ帝国主義のコストと行き着くところ」とあいうところだろうか。

 こんな本の翻訳は急がなければならないから大変だし、ここまで寄り道をしているわけにはいかないよと思いながら序文を読むと「すぐに日本、ドイツ、イタリアで翻訳が出た」と書いてあった。早く日本語で読みたいと思っていたから、内心ぼくはよろこんで、すぐにamazon.comに注文した。日本語訳もすでに2000年に出されていた。
 シアトルでは、数年前にWTOを退治したことがあったくらいだから、反グローバリズムの意識は強いに違いない。シアトルの中心街からフェリーボートで渡るベインブリッジアイランドという島に妹たちは住んでいるが、その町はスターバックスを作らせないのだという。世界中どこにいっても同じ店をつくろうとする「グローバリズム」に反対してのことだ。その話をきいたぼくは、事務所の近くにスターバックスがあるのをかつて喜んだことを口に出せなかった。

投稿者 玉井一匡 : 02:11 PM | コメント (3) | トラックバック