December 25, 2011

『いきる 命はすてき』展に行った

InochiSuteki1S.jpg銀座で開かれている『いきる 命はすてき』展に行った。
会場は銀座のギャラリー悠玄、泰明小学校の近くだ。
石井悦子さんという若い女のひとが銀座の画廊の地階から2階までの3フロアを借りきって主催なさり、反原発デモで撮った写真を大きくプリントしたもの展示するのだとmasaさんにうかがった。さらに、新島さんが3.11以後のまちの「音風景」を録音したものを音作品として出展されるとも知った。
 ぼくはこの催しを写真展なんだと勝手に思いこんで会場にゆくと、展示されているものはさまざまで、1階の正面には大きなサイの絵があり、猫のカツラがあり震災体験を書いた文章がある。そうした展示を見て、はじめてこの催しの全体像がつかめた。作品というより行動の展示なのだ。写真を作品として展示しているのはmasaさんだけだが、それも、週末ごとに反原発デモの写真を撮ることで原発をなくしたいという思いをぶつけているという行動の結果だ。

 地階の一番奥の壁に大きなピエロの写真があってこちらを睨みつけている。左奥の壁際に一対のスピーカーが置いてある。空間に詰まっているドラムの音は、そこから出てくるのだ。床には、これからここで演奏が行われることを示す譜面台とスツールが緋毛氈の上に置かれている。

 masaさんの写真には説明がない。その代わりに左手の壁にNiijimaさんのメッセージが書かれている。(Niijimaさんのブログ「Across the Street Sounds」に全文があります)透明のアクリの板にとりつけた電子部品のかげにSDカードが差し込まれた装置が、スピーカーの間に置かれている。

 録音技術者であるNiijimaさんのブログのタイトルが「Across the Street Sounds」であることを、このときにはじめて直接に意識した。「かつてはサイエンス・フィクションの世界だけの出来事であった放射性物質に汚染されたこの国土での生活が、わたしたちの日常となってしまったのと同じく、毎週のごとく行なわれるようになった反原発デモの光景もこれまた日常と化した時代が始まった」と書かれている。放射性物質によって汚染された地球という、SFでは常套手段といわれそうな状況が現実となってしまったのだ。

 顔の表情は、なによりもあからさまに気持ちをあらわす。だからこそ、ピエロは厚い白塗りでつくられた人工の表情の下に真の表情を隠す。それと同時に、その下にはそれほどにして隠さなければならないほどの怒りや悲しみ、あるいは希望を手探りでもとめる気持ちとその表情が秘められていることも示しているのだ。デモという行為、人の感情を揺さぶるドラムという音、幻覚から揺り起こすようにときおり刺さるホイッスル、それは音による白塗りなのかもしれない。激しく表出すると同時に秘めるのだ。

 デモのドラムを聞きながら巨大なピエロを眼にして、そんなことを思った。

■関連エントリー
『いきる 命はすてき』展/kai-wai散策
『いきる 命はすてき』展 (初日)/kai-wai散策
「いきる 命はすてき」展/Across the Street Sounds
「3.11以降に現出した音風景 remix」前口上/Across the Street Sounds
「写真の力。」/う・らくん家

投稿者 玉井一匡 : 09:17 AM | コメント (4)

November 19, 2011

「ハーブ & ドロシー」

HerbDrothy.jpg「ハーブ & ドロシー」:アートの森の小さな巨人/監督・プロデュース 佐々木芽生

 ハーブとドロシーのヴォーゲル夫妻は現代美術有数のコレクターである・・・とは、この映画で知った。このドキュメンタリーフィルムを観ているあいだ、ぼくの体中には温かくおだやかなうれしさと痛快さが満ちてきて、最後までそれは引くことがなかった。

 常盤新平がニューヨークのバーで飲んでいるときにバーテンダーにきいたという話をエッセイで読んだことがある。「ビジネスマンが飲んでいるとアートの話題になるんだが、アーティスト同志だと金儲けの話になる」というのだ。ニューヨーク在住の絵画のコレクターといえば、おおかたは並外れた大金持ちだ。
 ところが、この小柄なふたりは経済的にはまったく「普通のひと」でありながら、アートへの思いの強さ深さ、作者とその仕事に対する接し方がすてきに型破りであるし、売買で儲けようなどという気はさらにない。ひとに見せて自慢しようという気もまったくなさそうだ。好きなものを見つけ出してそばに置いておくだけでいい。そのコレクションときたらさまざまな意味であきれるばかりだ。どんなぐあいにしてそんなことになったのかを、書きたくて仕方ないのだが、この映画を観る楽しみを奪わずにおきたい。

 夫ハーバートは 1922年生まれ、ハイスクールを中退してから1980年に退職するまで連邦郵便局に勤務して仕分けのしごとを続けた。妻ドロシーは1935年生まれ、大学院修士課程を修了、ブルックリン図書館(Brooklyn Public Library)の司書として勤務した。ニューヨークのど真ん中のワンルームのアパートメントに同居するのは、わがもの顔にふるまう猫、水槽の中を徘徊するアロワナ、数匹のカメ。そしてなによりもおびただしい美術品のコレクション。

 もともと美術が好きだったハーブと、結婚してから美術に踏み込んだドロシーは、一緒にニューヨーク大学の講座で絵を学び描くようになったが、やがて鑑賞と蒐集に専念する。以来、ふたりはいつも手をつないでギャラリーをのぞき、アーティストのスタジオを訪ね、電話で様子を聞き、歩きまわる。妻の給料で生活をまかない、夫の稼ぎはすべて作品の購入にあてたということくらいは言ってしまおう。そういう暮らしをするなら、ニューヨークという街に住めば楽しくて楽しくてたまらないことだろう。
 映画の大部分が、このふたりと現代美術のアーティスト、美術館のキュレーター、批評家などのインタビューと会話によって構成されている。二人が大金持ちでないにもかかわらずこんなコレクションをつくり、アーティストたちと特別な世界を築いたというのではない、むしろ普通の立場にある人だからこそできたのだと気づく。ただし、傑出した鑑識眼をそなえている。同じように、この監督はアジア人の、しかも若い女のひとだから彼らの世界に踏み込むことができ、こんなドキュメンタリーフィルムを撮ることができたのだろう。

 残念なことに、劇場上映を見逃してしまったので、ぼくはWOWOWの放送をダビングしたDVDで見たので、機会があればこんどは劇場で見たいと思っています。

■関連ブログ
『ハーブ&ドロシー』/お江戸から芝麻緑豆/ こももさん
■関連ウェブサイト
NATIONAL GALLERY OF ART :ワシントン 国立美術館公式ウェブサイト
Herbert and Dorothy Vogel/Wikipedia:寄贈した美術館、作品を購入したアーティストの膨大なリストがすごい
BROOKLIN PUBLIC LIBRARY:ドロシーが勤務したブルックリン図書館ウェブサイト
■関連エントリー
「美の猟犬」と安宅英一の眼/MyPlace:安宅英一とヴォーゲル夫妻は、まったく立場がちがうけれど、気に入ったものに対する情熱の燃やし方には通じるものがあると思うのだ。

投稿者 玉井一匡 : 02:10 AM | コメント (6)

March 28, 2011

HELTER-SKELTERS:ヘルター・スケルター

Helter-Skelters.jpgClick to PopuP

 根津にあるカフェ・ノマドの店の奥、コンクリートブロックの壁に18枚の小さな絵が展示されている。どれも、上に行くほど細くなって高さを強調する塔に螺旋状のすべり台が巻き付いている。それをHelter-Skelterというそうだ。neonさんこと大倉ひとみさんの、小さな絵の小さな個展だ。
 これまで大倉さんの描いてきたのは、かつて遊郭だった家並みやひとけのなくなったアパートのような、かなしさとさみしさの重ね塗りされたすきまから微かに華やかさがこぼれるような絵が多い。前回の個展では、そういう絵たちの中に、たくさんの風船が浮かぶささやかな夢のようなものが数点あった。
このhelter-skelterたちは、ちょうどあの風船の浮かぶ絵のように、ひとときの、はかない華やかさがチャーミングだ。

 そもそものはじまりはHelter-Skelter/aki's STOCKTAKINGのエントリーだった。その写真を見て、大倉さんは無性に描きたくなったそうだが、ぼくも初めて写真を見て想像がひろがっていった。それは移動遊園地のはなやかさと、やがては終わりがきて日常に取って代わられる儚さのせいなのだろう。
 GoogleでさがすとThe Phrase Finder というサイトがあった。それによれば、ことばの方が先にあって、16世紀に書かれたものの中に残っている。螺旋の滑り台というhelter-skelterは1900年前後のfairground(博覧会のようなものをひらくための広場)から登場したと書かれている。語源が別にあるわけではなく、意味のない同じような音の単語をならべるということばの一種なのだという。この構築物は、1889年のパリ万国博でつくられたエッフェル塔と無関係ではないだろう。そう言われれば、イギリスの4人組グループフェアグラウンドアトラクション(Fair Groubd Attraction)の音楽の雰囲気にぴったりじゃないか。(The First of a Million Kisses/amazon) 彼らのグループ自身も、このアルバムが大ヒットしたが2年後に解散してしまった。仮設的、ノマド(遊牧民)的だ。

 ビートルズの曲にhelter-skelterというのがあることはよく知られているらしいが、ぼくは聴いたおぼえがないから、YouTubeでビートルズの演奏を聴いてみた。どのアルバムに入ってるのか調べてみると1968年の二枚組ホワイトアルバムの中の一曲で、こんな歌詞だ。上昇する前半、滑り降りる後半。ヨーロッパの大聖堂のドームは、てっぺんまで上れるようになっていることが多い。屋根裏の階段を周りながら上昇してたどりついたクーポラ(cupola)からドームの上に出てまちを見おろすと、帰りはまた階段を下るばかり。だが、ヘルタースケルターは小さいけれど、昇ったあとに滑り台を滑走する。それは下降ではなく、むしろ飛翔するための助走なのだ。

 iPodの設定を「repeat1」にして一曲だけを繰り返して聴いたら、ちょうど滑り台を何度も何度も繰り返すみたいだ。すべり降りたら、すぐにそれとつながるように上に昇ってゆくには、滑り台とは逆に回転してゆく螺旋階段が用意されているにちがいない、きっと。

■関連エントリー
展示中/N的画譚
Helter-Skelter/aki's STOCKTAKING
■関連サイト
 helter-skelterは、lighthouseにとてもよく似ている。lighthouseをさがしてみると、こんなにたくさんのlighthouseを紹介しているサイトがあった。
The Lighthouse Directory(世界の灯台についてのサイトが分かる)
wikipediaで「灯台」と「Lighthouseを比較して見ると、日本の古い時代の灯台はまったくちがう姿をしていたんだということがわかる。
Lighthouse/Wikipedia
灯台/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 11:30 PM | コメント (2)

March 11, 2011

「メビウスの環の仲間たち」:齋藤幸恵個展/ストライプハウス ギャラリー

 mebius.jpg先週の土曜日にうかがったのに、エントリーが会期終了寸前になってしまった。ああ、最終日は3月12日の土曜日、明日だ。
ここ数年、齋藤さんはメビウスの帯をつくり続けていらっしゃる。自由学園の明日館を会場にした昨年の個展は、草木染めの植物と織物や糸をならべてわかりやすくみせるものだったが、「メビウスの環の仲間たち」というタイトルと写真でわかるように、今回は織物でつくられたメビウスの輪だ。もちろん帯をつくってから捻ってつなげたんじゃあ面白くない。織りながら捻るのだ。どうやって織るのだろうかという、当然の疑問が浮かぶ。

「経糸を輪にしておいてねじるんでしょ、張っていない糸はどうしておくんですか?」
「織機で織るんじゃないの、枠をつくって織るのよ。」と、こともなげにおっしゃる。
 ほんとうは、もっと詳しくうかがいたいけれど、織り方についての質問はそれだけにしておいた。大変な苦労をして考え、作業をしていらっしゃるに違いないから、素人があまり具体的にうかがうのも申し訳ないし、それにこちらだって疑問をかかえたままであれこれ考えている方が楽しい。
写真は、八重のメビウスの帯だ。

 会場の写真のように、単色の糸でしっかり固い帯は水平の板の上に置かれているが、天井から吊ってあるやつは複数の色で模様を織りこみ、複数の輪をつないで鎖をつくっている。
「形としては、こっちの方が面白いとぼくは思うけれど、固いから大変でしょうね」
「それは、特別な糸をつくってもらって、横糸にしてるから厚いの。それを糊で固めてある。」
板の上のものは複数回とぐろを巻いている。
「奇数回捻ったメビウスは板の上で、偶数回ひねりはメビウスにならないから一回ひねりのものを鎖にして吊ってあるのよ」
メビウスの輪は複数回というのは、知らなかった。複数回捻るのも大変だが、鎖を造りながら1回ひねりのメビウスの環を織ってゆくのだって、ひどく手間がかかりそうだ。しかも円とストライブの模様を織り込んであるんだよ。

個展のタイトルが「仲間たち」というのは、ねじり方つまり捻る回数がいくつもあり、色と模様がさまざまあるからだ。実を言えば、ぼくは何回も捻るメビウスの帯ができるということを知らなかった。
 齋藤さんは、塚原のカミさんの友人で織り仲間だが、もともとは原子物理学者で反原発のために大学の職を辞した人だから、こんな面倒なことをやりたくなってしまうのだ。ご自分でパンも焼いてしまうが、電子レンジは食べ物の分子の配列に影響を及ぼすはずだからできるだけつかわないなんて、このときもおっしゃるから、そうだよな電磁波の害だけじゃあないだろうななんて思ったのに、ぼくはその後も冷凍の古いメシを電子レンジで温めてしまう。

明日の土曜日が最終日ですが、六本木に行ってみてください。
会場がストライプ ハウス ギャラリーであるのもメビウスの帯とストライプの縁なのでしょう。
そういえば、年賀メールに返事をくださって「幸」の漢字の字源を教えてくださったのは、この幸恵さんです。「禍福はあざなえる縄のごとし」っていうのも、メビウスの輪のようだなあと思って、もとにもどります。

投稿者 玉井一匡 : 08:09 AM | コメント (0)

December 29, 2010

池田学展「焦点」とAIRSTREAM

IkedaM2010-2S.jpgClick to PopuPIkedaM2010-1S.jpg

 市ヶ谷から飯田橋に向かって外堀通りと平行する一本裏の道をを歩いていると、にぶい銀色の光を放つアルミのトレーラーが駐車場に置いてあった。AIRSTREAMではないか。
駐車場は、その道と外堀通りの両方に面する小さなブロックをしめる建物のピロティにあって、通り抜けてもいいよという風情だったから僕はすぐに近づいてみた。
かつてパット・メセニーのAmerican GarageというLPをジャケ買いしたことがある。写真には牧場に牛が集うようにこのトレーラーが並んでいた。初めて見てさわる実物はやはりかっこよくて、どこかから舞い降りてきた物体のようだ。

 しばし眺めまわしたあとで外堀通り側に出ると、2階にゆく階段がある。その昇り口に "池田学展「焦点」" と書かれた小さな掲示を見て思いだした。池田学の個展をやっているのだった。上を見上げると「MIZUMA ART GALLERY」と書かれている。2年前の個展が開かれたMIZUMA ART GALLERYは中目黒だったが、あらたにこのギャラリーをつくり、今後はこちらを中心にして、中目黒は若手作家の場にするのだという。

 これまでは、1年も2年もの時間をかけたペン画の、たとえば前回の個展で中心だった「予兆」はフスマ4枚(1.9*3.4m)という大きな絵を描いてきたが、こんどはすべて27cm×22cmという小さな絵で2年ぶりの個展を開いた。個展の案内メールには、これまでの大作から今回は小品にしたことについて書かれている。
「・・・(これまでは)部分を積み上げ、外へ外へと膨らんでいくといったダイナミズムが面白かったが、内へ内へと入っていく世界にも大きな絵にはない面白さが潜んでいるのではないか」と。

 細いペンの線をいくつもいくつもいくつも加えてゆくことで絵をつくりあげてゆく。しかも、ひとたび描いた線は消すことも重ねた線によって覆いかくすこともできないから、はじめから最後まで加え続ける線は完成品の部分をなすのだ。彼の描き方は「部分を積み重ねる」ことから離れることができない。これまでの内から外へという構成は描く方法と一致していたのだが、外から内へという構成をすれば、それは描き方と逆になる。そこで、大きさを小さくするあるいは小さな部分を切り取るという形式が必要になったのではないか。

 左上の写真をクリックすると大きくなってメールに添付されてきた絵が見られる。
この絵が、視点を変えた今回の個展の方向を指し示している・・・・大きな海の一部を27*22cmの長方形の画面から見る。その海の一部を切り抜いたところから旅客機を見下ろす。その下には高速道路が走りビルが林立する都市。夜の窓の中には、これまで池田が描いてきた、たくさんの人間の生活が詰め込まれているはずだが、それは見えない。けれども、切り抜いた海を縁取る防波堤には、数人のおそらくは男たちが釣り糸を垂れている。その先の釣り鉤の餌には魚たちが集まっているだろうが、それは水面と波に隠されて見えない。
 けれども、これまで池田が描き続けてきたものを見ている僕たちは、境界の向こうの見えないところに、いかに多くの命や出来事がつまっているかを知っている。

 おびただしい量の情報に囲まれ首までそれに浸され溺れそうになってしまうぼくたちが、部分部分の情報にいちいち動かされず世界とは何かであるの本質を知ろうとすれば、釣り竿の手応えを感じる力を磨かなければならないのだ。もともとトレーラーは想像力を刺激して世界をひろげてくれるものだけれど、AIRSTREAMは小さな飛行機のような宇宙船のような姿で、さらにぼくたちの想像力をひろげる。

 ぼくにしては珍しく会期を残した時期に行くことができた。会期は2011年1月15日までミヅマアートギャラリー MIZUMA ART GALLERYです。
地図:東京都新宿区市谷田町3-13神楽ビル2F

■関連エントリー
池田学:「予兆」/MyPlace
■関連ウェブサイト
AIRSTREAM JAPAN

投稿者 玉井一匡 : 07:49 AM | コメント (10)

September 12, 2010

LADY BY MAPPLETHORPE:メイプルソープとリサ・ライオン

Mapplethorpe1S.jpgClick to PopuP  LADY BY MAPPLETHORPE/JICC出版局/1992年

「もしよかったら、かえりがけにメイプルソープの写真集をお届けしようかと思うんですが」
Niijimaさんが電話をくださった。
kai-wai散策のコメントで「1ページなしでもよろしければ、今度お持ちしましょう。masaさんと玉井さんで、是非(妖しい)本を回し読みください。」と書いてくださった約束を果たすためにわざわざ届けてくださるというのだ。おそくまでいますから、お持ちしていますと答えたのはいうまでもない。

 ひと月ほど前のこと、kai-wai散策で「二丁目の古書店」というエントリーがあった。写真は新宿二丁目の表通りにある古本屋だ。そこにNiijimaさんのこんなコメントがはじめに書かれた。
「以前、こちらでロバート・メイプルソープが女性ボディビルダーを撮った写真集を買ったことがございます。お店の新宿通りに面している側の右端のショウウインドウ(?)に『訳ありのため激安』と書かれた札とともに飾って(? 置いて)あったのでした。『訳』は1ページ引き千切られていた箇所があったのでした。」

 masaさんと女性ボディビルダーとメイプルソープそれにNiijimaさんが新宿二丁目にある古本屋で一堂に会したのがおもしろいし、なくなっていたというのはどんなページなのか気になって図書館のサイトで検索してみたがこの本はないようだと、ぼくはコメントに書いた。
「1ページなしでもよろしければ、今度お持ちしましょう。」とNiijimaさんがコメントに書いてくださったのだった。

Mapplethorpe2S.jpgClick to PopuP
 問題のページのコピーをとったものが、1ページ目にはさんであった。Niijimaさんが図書館から同じ本を借りて光沢紙にプリントしてくださったのだ。リサ・ライオンのヌードなんだろうと思っていたが、着衣のリサ・ライオンとミック・ジャガーのような風体のメイプルソープが並んでいる。これを持って行った人物は、メイプルソープの撮った写真よりメイプルソープを撮った写真の方に興味があったのだろう。メイプルソープの写真の下には「パティ・スミスに ロバート・メイプルソープ」とある。
 奥付によれば、写真と文章の著作権が1983年とあるから原書 Lady Lisa Lyonから30年、一回目の日本語版は1984年、この二回目の日本語版「LADY BY MAPPLETHORPE」の1992年2月初版から、いまでは20年経った。この間にゲイに対する世の中の意識はずいぶん変わった。日本の選挙にレズを公言して立候補する人がいても取り立てて騒がれることもない。30年前はボディビルの世界チャンピオンだと思ったリサのような肉体も、いまではときどき日本のまちで見かけるようになった。マドンナなど皮下脂肪をしぼっているのだろう、むしろリサよりも筋肉が際だつ。男のボディビルダーより、ぼくは筋肉質の女のひと方に好感を感じるが、それは、男が「男らしさ」をさらに強化しようとしているのに対して女は「女らしさ」に反逆しているからなのだろう。

 この写真集のリサ・ライオンとメイプルソープは、彼女が女であることを消そうとしない。みずからの中に、生物的に女であることとジェンダーとしての女への反逆の両者を重ねているようだ。反逆する筋肉を、女の皮膚で包み込んでいるのだ。さらにそれをLadyの衣服で包んだり暴力的な衣装で梱包したりする。なにごとであれ、対比的な属性あるいは補完的なものごとを共存させながら美しさをつくりだすことは容易なことではないが、重層が世界を豊かなものにする。ゲイの男たちが繊細だとか、心づかいが行きとどいているとか言われるのも、そこに理由があるのかもしれない。

 Niijimaさんは、この本の印刷はあまりよくないが編集がいいとkai-wai散策のコメントに書いていらっしゃる。たしかに、この本は写真そのものより編集あるいは構成で勝負することで、お金をかけなくてもおもしろい本になったので入手しやすくなっている。メイプルソープの写真のシャープなモノクロームは、彼自身の ROBERT MAPPLETHORPE FOUNDATIONのサイトのポートフォリオで見られる。
ところで、カタカナで「メープルソープ」「リサ・ライオン」と書かれているのを見て、かつて僕は「MAPLE SOAP」かと思っていたし、つい先日まで「LISA LION」だと思っていました。

■関連エントリー:二丁目の古書店/kai-wai散策

投稿者 玉井一匡 : 01:25 PM | コメント (4)

August 19, 2009

MUTO:落書が動く

MUTO.jpgclick to see animation on YouTube.

妹の息子マックスが、「これ、すごく面白いよ」とYouTubeを開いて見せた。すでに500万ものアクセスがある。
レンガ塀に描かれた絵がアニメーションとなって動き出す。タイトルは「MUTO」、作者は「BLU」というのだが、個人なのか集団なのかわからない。
どういうやつがつくったのだろうかとGoogleを「BLU」で検索してみると、じつに162,000,000件もあるうちの2番目に「BLU」のウェブサイトがある。ノートの写真をクリックしてVIDEOのタグを選び「MUTO」をクリックすれば「MUTO」のページが開く。

そこにも作者について書かれているものをみつけることができなかったが、アニメーションについては、少しわかってくる。ブエノスアイレスとBADENでつくったというのだが、BADENがどこにあるのか、Googleマップでさがしてもわからない。

「AN AMBIGUOUS ANIMATION PAINTED ON PUBLIC WALLS」というのは、まちの壁に描いた絵が動き出す不思議なアニメーションといったところだろうか。AMBIGUOUSは、辞書には「多義的な」とか「両義的な」と書かれているのだが、はじめに見たときにぼくは、AMPHIBIOUS(水陸両用の)と読み間違えたのだが、壁にも天井もうごきまわる男は、ある意味では両生類(amphibian)だなと思ったからだった。

「 MUTO IS RELEASED UNDER COMMON CREATIVE LICENCE」は、 CREATIVE COMMONの間違いだろう。「利益を目的としてつくられたものではないから、商業的な目的(テレビチャンネルや商業目的のウェブサイトなど)でなければ、複製、転載は自由」と続けられている。ベルリンの壁がそうであったように、「壁」というのは向こう側とこちら側をへだてるのもである。それを自由に動き回ることによって、「隔てるもの」を、自在に移動するフィールドに変えてしまう。箱の中から人体が湧きだし、身体から身体が脱皮する。どこの面も、2次元と三次元の間も自在に動き回る。
だからやはり両生類じゃないかなと、ぼくは思ってしまうのだ。

「Creative Commons」/Wikipedia(英語版)
「クリエイティブ・コモンズ」/Wikipedia(日本語版)
「Amphibian」/Wikipedia(英語版)
バーデンWikipedia(日本語版)

投稿者 玉井一匡 : 01:23 AM | コメント (7)

July 12, 2009

ネオテニージャパン展

IkedaManabuAsahi-S.jpgClick to read this article.
 一月にエントリーした池田学:「予兆」というエントリーに、KARAKARA-FACTORYの野沢さんが、昨日コメントを書いてくださった。上野で開かれている「ネオテニージャパン展」で、池田学の「領域」と「興亡史」を見たことが書かれていて、自身のブログにも「neoteny japan/上野の森美術館」というタイトルでエントリーされている。
ぼくも西洋美術館とネオテニー展を一緒に見ようと思っていたのだが、またしても、終わる間際に行くか、このあとに長岡で開かれるときに行くことになりそうだ。見てからエントリーしようと思っていたけれど、間に合わないかもしれないし、もうひとつの話があるのでとりあえず書くことにしよう。先日、朝日新聞の夕刊に「法廷描く画家が作品」という見出しで池田学が大きく取り上げられていたのだ。

 記事は、写真撮影の禁じられている法廷記事のために被告や法廷の様子のスケッチを描く「法廷画家」の絵が「ネオテニージャパン展」に展示されているというニュアンスだった。だが、それはちょっと違うだろうと思った。彼は、一枚の絵に2年も3年もかけて描いているから、その間に生きるためのしごととして麻原彰晃などの法廷の絵を描くという仕事もした。彼は他にも缶コーヒー「ボス」の絵も描いたりしている。だからといって「缶コーヒー画家」というだろうか。
 ということがぼくには気になったのだが、凶悪な犯罪を犯した人間たちも、法廷ではそんなことをしたようには見えないという思いを重ねているうちに、生と死は近いところにあるのだと思うようになったと書かれている。掲載されないスケッチもたくさん描いただろうし、そもそもスケッチを依頼されてもいない法廷を見ることもあっただろう。そうするうちに、きっと、生と死だけでなく犯罪を犯すということが、ある境界をひとつ飛び越えるということにすぎないのだということも感じたということはあっただろう。
そんなふうに人間のことや世界のことを見るようになれば、それが彼の絵に反映されて、きっと奥行きを深めレイアを増やしてていくのだろう。

■7月31日から10月6日まで「おぶせミュージアム・中島千波館」で「池田学展」が開かれるそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 06:46 AM | コメント (4)

January 18, 2009

池田学:「予兆」

IkedaYocho1S.jpg「予兆」の全図:図録から

 きのうの朝、娘がぼくの携帯電話を鳴らした。
「池田君の個展行った?」
「いや」
「今日が最終日だから、ぜひ行ったほうがいいよ。何かをひとつ越えたみたい。」
「ああいう情熱がいつまでもつづけられものなのかと、はじめの時に思ったけど、どうだった?」
「いや、もっとすごくなっているよ」まだ興奮が持続している。
ぼくが初めて彼の個展を見たとき「存在」という絵の緻密に、2年というのだったか毎日毎日ペンで描き続けて構築したことに、しかもそれを誇らしげでもなく楽しかった旅のことのように語る池田君に、ぼくはなかばあきれひどく尊敬した。しかし、これほどの情熱は時とともに揺らいでゆくものなのかもしれないと、なおのこと「世界」と化したその巨樹のあやうさを貴重なものだと思ったのだ。

昨年、ぼくにも個展を知らせるメールが届いていたのに、11月から長い期間やっていると油断していた。午前中の用事をおえてから、昼すぎに個展を見に行くことにした。

IkedaYocho2S.jpg「予兆」の部分:図録表紙 もとはA4見開き、A3の大きさだから、これではペンのタッチは見えない。

 iPhoneを片手にGoogleマップとストリートビューを見ながら中目黒の駅から川沿いに歩いて4,5分、駒沢通りに出る角の建物だ。
「ここだ、ここだ」とばかり、iPhoneに満足。
ちっともギャラリーらしい建物ではないがMIZUMA ART GALLERYと書かれている。

ドアを開けると正面の壁に、3.4m×1.9mという大きな絵がただ一点、これは 北斎の「神奈川沖浪裏」の、大きな波。
 このひとの絵は、ヒエロニムス・ボッシュペーテル・ブリューゲルがそうであるように、絵はがきほどの小さな部分を切り取っても、それだけでひとつの絵としての密度とストーリーが詰まっている。
だから、だれもが近づいて眼を寄せたくなる。すると、遠くから波と見えたものは、じつは流動化した大地が波のように盛り上がり崩れ落ちようとしている。
白い波頭と見えていたのは、近づけば雪なのだ。

 彼の描いたこれまでの絵は、小さな物語の集合が船となったもの(再生)であり、あるいは大地のような巨大な樹木(存在)だった。見方をかえれば、人間と物語が船や樹木に寄生していた。もうひとつのありようは、城(興亡)やビル(方舟)が無数に集まって九龍城のような巨大な集合体をつくるものだった。

 村上隆、会田誠、奈良美智らは漫画をアートにした。池田学は、その方向を担う作家とされているらしい。しかし、宮崎駿の世界のつよい影響をうけてきた池田学の今回のしごとは、宮崎の呪縛からの自由を獲得しようとしているように思う。
宗達ー光琳ー抱一は時代を共有することも直接の師弟関係もなかったが、彼らが前の走者とその作品を意識して描き続けることで琳派なる一派を形成したのだということを、じつは 昨秋の「琳派展」で、ぼくははじめて知った。彼らも、先行者を追ってゆき格闘し、乗り越えていったのだろう。
 物語がたくさんつまっている池田の絵を見ていると映画が思い浮かぶ。すると、一枚の絵というものがいかに時間から自由であったのか、映画はいかに時間に支配されているかに気づく。映画は、つねにひとつの方向に流れる時間から決して離れることはできないのだ。

 所詮、人間が自然を壊すことなど、できはしない。むしろ自然が人間をほろぼすのだ・・・流動化して波となり人間の文明を呑み込もうとしている大地は、そう言っているのだとぼくは思う。もしかすると池田君は、そういう大きなテーマを意識しないようにして描いているのかもしれない。下書きをせずに毎日毎日丸ペンの細い線を重ね、そのときの思いその時の関心そのときに獲得したものを書き込んでいって2年間を積み重ねた。
これまでの絵は宮崎駿の一部を語るものであるように感じるところがあったけれど、「予兆」では宮崎の影響を受容し肉体化し熟成させて、みずからを乗り越えたのではないか。樹木や船に凝縮していた方向を転じて、小さなよろこびや日々のできごとの向こうにある空間と時間を限りなく広くとらえようとしていると感じられるのだ。

■「予兆」を展示している壁の奥にも小さな絵が二点と彼のしごとが掲載されている本や雑誌があった。その中のひとつによれば、はじめ「予兆」は3枚の「フスマ」で構成していたが、11月に始まる個展をひかえた10月になって4枚にしたくなった。そんな時になって変えたとすれば、それははどこだろうかと絵を見ると、いちばん左の部分しかありえない。だとすれば、それは、北斎の波をほぼそのまま描いているところだ。たしかに、実は大地である右側の大波を、一瞬のあいだ海の波に見せるのには大きな効果がある。

■ART ACCESS INTERNET VERSIONというにサイトにインタビューが掲載されています。
 ART ACCESS INTERNET VERSIONというサイトの、'Round Aboutという、インタビューのコーナーがあって、その第60回が池田学。「予兆」について、下絵についてなど話しています。

■関連エントリー:Psalm of the sea:「池田学」と「満島ひかり」と「北井あけみ」

投稿者 玉井一匡 : 11:58 PM | コメント (6)

November 08, 2008

「彼らの居場所」と「クルディスタンを訪ねて」

KurdCardS.jpgClick to PopuP 

 ふた月も前のことだがアコーディオン奏者の岩城里江子さんからメールをいただいた。友人の写真家が新宿で個展をやっているので時間があったら見てほしい。国を持たない民族クルディスタンを撮り続けている写真家です。明日が最終日なのだが・・・とあった。masaさんと一緒に見に行ったら、玉井にも見せたいといわれたのだという。岩城さん自身のブログ「う・らくんち」に、この写真展についてのエントリーがあった。

 写真展は「彼らの居場所」というタイトルの、トルコのクルド人たちの生活を撮ったものだった。
 女たち子供たちの写真の多くは、こちらを見つめている笑顔が生きる喜びだけからから生じたものではなく、さまざまな悲しみや憤りを包む勁さのあらわれのようだった。
 彼らがイラクやトルコに住む少数民族として弾圧されていることや、かつて難民として受け入れを求めるクルド人を日本政府が強制送還したことを知ってはいた。しかし、イラクやアフガンへのアメリカ侵攻のかげに隠されて、どういう人たちがどんなところにどんな風に生きているのかという具体的なありかたを、これまでぼくは何も知らなかった。知らないということに気づいてさえいなかった。この写真展はそれを気づかせてくれた。
 写真展のタイトルは、このブログのタイトル「MyPlace」と重なる。しかも、佐藤真が監督したエドワードサイードについてのドキュメンタリー映画「OUT OF PLACE」とも関わる。

KurdVisit.jpg 会場には松浦範子さん自身がいらしたので、じかに話をうかがうことができた。じつは、ほんとうに伝えたいことを撮った写真は見せることができないのだという。そこに生活している人たちに迷惑がおよぶからだ。いつまでも会場で話をうかがうわけにはゆかないから、会場に置かれていた本を後日あらためて読んだ。
「クルディスタンを訪ねて」(文・写真 松浦範子/新泉社)
は松浦さんが文章を書き写真を撮った本だ。
 クルディスタンとはクルド人のくに・・・「彼らの居場所」だ。「アフガニスタン」がアフガン人の国であるなら「クルディスタン」はクルド人の国であるはずだ。しかし、クルディスタンは文化を共有するひとびとの集まる「くに」ではあるけれど、制度としての「国家」ではなく国土も持たない。クルド人はトルコ、イラク、イラン、シリアなどの数カ国に分かれて生き、「くに」は思いとして存在するだけだ。いや、クルド人が数カ国に分散して生きているという言い方は正しくない。彼らははるか昔から遊牧民として広大な草原を自分たちの居場所として生きてきたにもかかわらず、あとから来た「先進国」がそこに国境線を引いて、クルド人の生きてきた場所を勝手にいくつかの国に切り分けてしまい、そこに生きる人たちも切り離されてしまったのだ。同じように、現実の人間の生活と無関係に国境線を引いてしまった結果、内戦が生じているところが、世界中のいたるところにある。

 これはただの旅行記ではない。だが、みずから旅をしてさまざまな人やさまざまな出来事にふれ、それらをみずからのうちに肉体化し熟成して印画紙に残し文章にする。その意味では、たしかに旅行記である。はじめ別の目的でトルコを訪れたときに、クルド人の多い東部を訪れる。そのとき、著者はクルド人たちが差別や弾圧を受けている事実を知る。以来、カメラをかかえてクルド人の住むまちを何度もおとずれ、ときに小さなホテル、ときに友人のすまいに泊めてもらう。その家の娘たちの部屋に寝起きして、彼女たちの日常を共にする。女たちや家族のなかに堆積しているトルコ支配の残したきずを記憶に写し取ってきた。
 報道のために来たのかと追及をうける。軍に連行される。観光のために来たのだと言い続ける。みずから戦いの場に行くことはないが、命をかけて独立を勝ち取ろうとする人たちのあることを身近にする。政府によるクルド弾圧の話をしてくれる人たち、宿を提供してくれる人たちがいる。
文章と写真は対応していない。それは、受け容れてくれたクルドのひとびとにおよぼす影響を最小限にとどめようとする配慮からなのだろう。

 はじめに写真展を知らせるメールを読んで、ぼくは大石芳野さんの写真を思った。「クルディスタンを訪ねて」を手にしてみると、腰巻きには、すでに大石さんの推薦文が書かれていた。いずれも、戦いに家族を傷つけられる女たち、こどもたちを撮っている。大石さんは多くの国で、主にこどもたちに眼を向けているが、松浦さんはトルコのクルド人たち、それも女たちに重心が置かれているように思う。

 クルド人たちが自分の国家をもつことは、どうすれば実現できるのだろうかと、ぼくも考えずにはいられない。しかし、ユーゴスラビアやアイルランド、パレスティナ、つぎつぎと悲惨な歴史が思い浮かび、「麦の穂をゆらす風」で見たアイルランドの、肉親やかつての同志と戦わねばならない辛さをぼくは思い出す。
 クルディスタンの実現は可能なのかという思いに、松浦さんは立ち止まることもあるにちがいない。彼らに武器をとって戦うべきだとはいえない。言いたくない。なにをしてあげられるのかと自問するだろう。しかし、この写真や旅行記が、彼らの状況やひとりひとりの人間として生きかたをつたえて、遠くに住む人がそれを知り、思いを分かちあっていてくれる・・・すくなくとも、そう思えることだけでも大きな支えになるだろう。
 たしかなことは、世界中を切り刻んで山分けしようとしたことに対する逃れようのない責任が、西欧先進国にあるということだ。そして、ぼくたちの国家も同じことをしようとした歴史がある。

■追記(2008.11.12)
 松浦さんの2冊目の本が、近々刊行されるそうです。イランのイラク国境近くのクルディスタンを描いたものです。
「クルド人のまち」イランに暮らす国なき民:写真・文 松浦範子/新泉社刊/2300円

投稿者 玉井一匡 : 06:21 PM | コメント (10)

May 24, 2008

「時差ボケ東京」を開く

JisabokeFrontS.jpgClick to PopuP

 昨日の昼前、たまたま矢切にいるときにmasaさんがぼくの携帯電話を鳴らした。
LOVEGARDENに「時差ボケ東京」を納品にいくところなんだという。矢切から飯田橋に帰る途中で電車はLOVEGARDEN最寄り駅の曳舟を通るので、近いうちに寄りたいと思っていたことだし、「時差ボケ東京」を早く見たくもあった。LOVEGARDENで落ち合っていっしょに京島で昼メシを食べようか、ということになった。もちろん主題は昼食ではなく、本と、そこに写された写真だ。
 ぼくが店について少しあとにmasaさん、いやフォトグラファー村田賢比古が現れた。滅多にクルマを使わないmasaさんは、案の定、フレーム付きのバックパックに本を詰めて来た。フレームを開くとスツールになる仕掛けだが、masaさんはそれを写真撮影のときの脚立として使う新兵器。
さて、写真だ。かねてから、masaさんは写真集をつくることにしたと言っていたが、kai-wai散策の路線ではないという。今までだれもやったことのない手法の写真なので、事前に知られてマネをされたりすると台無しになるから、それを避けたいということもあって出版の方法をさぐっていた。が、結局は自費出版という暴挙に踏み切った。昔から、どの世界でもあることだが、何食わぬ顔で他人の苦労してつくったネタをパクる輩が絶えないのだろう。著作権などという金の問題とは別の、人間の誇りにかかわることだ。
デザイナー安田喬氏とふたりでコツコツと作業を進め。印刷や製本もデザイナーの人脈で依頼、ISBNコードさえ個人で取得した。
masaさんによれば、誰が見ても何が違うのかが分かる写真だということだったが、どんな手法で撮っているのか、ぼくは何も知らなかった。ただ、まちを撮ったということだけ。
できた本を見て、ようやく、どんな写真なのかがわかった。

LoveGarden-yukimasa-S.jpgClick to PopuP
 表紙のふしぎな写真を見ただけでは、どうやって撮ったのか、ちょっとわからない。けれども、いくつかの写真を見るうちに謎が解けてくる。周囲の建物や景色がボケているのに、動いているはずのもののどれかにピントが合っている。まちの中を移動するものたち・・・ひと、クルマ、バイク、電車、舟・・・それらの動きに合わせてカメラを動かしているのだ。だから、動くものが静止し、地上に固定したものの画像が動いているという逆説。

 しかし、被写体の動きは一様ではない。あるものは速く、あるいはゆっくり。移動する方向は・・カメラと平行に、斜めに。遠ざかるもの近づくもの。カメラの視線は、あるときは上から見下ろし、あるいは見上げる。フォトグラファーは、あえて難しいさまざまな被写体と動きと位置を選んで、カメラを手持ちして早さ向き方向をそれに合わせて動かす。三脚は、固定された軸を中心に回転するしか能がないから、こういう被写体に使うわけにはゆかない。難易度はきわめて高いのだと、日頃はあれほどに謙虚なmasaさんが言い切るのももっともだ。カメラをきわめて複雑に動かさなければならないのだ。
走るF1を撮るような写真はあるが、F1はどんなに速くても、方向も走る道路もあらかじめ分かっている。三脚を置いて軸の上で回転させるだけだ。こんな複雑な動きを止めた写真を、ぼくたちはこれまでにみたことがない。村田賢比古はそれに気づいて、それに挑戦し、捕らえたのだ。

 もちろん、その結果がすてきな写真になっていなければ、何の意味もないことだが、この写真たちはどれも美しい、魅力に満ちている。動かし方の前に、構成を光の分布を読み取って長方形の枠の中に切り取らなければならない。見開きに並べられた写真は、デザイナーの周到な配慮のもとで組み合わせられているんだと聞いて見直すと、なるほどと思う。本のデザインにかかってから撮り直した写真も少なくないそうだ。
モノとしてのまち東京はボケて抽象のなかに潜み、動くものたちはくっきりと画面に刻み込まれることで、都市はかえって様相を明らかにし美しくなる。ぼくたちは、じつはまちをこんな風に見ているのだ。だから、混乱をきわめる都市にも耐えられるし、ある日空き地になってしまった土地に、それまでどんな建物があったのか思い出せないことが多いのだ。

 この写真たちには、繰り返し繰り返し見てもそのたびに発見がある。しかもそれは、子供でもお年寄りでも素人でも理解し納得できる。なんとなしの気分だけのものがもてはやされる近頃の写真とは一線を画す写真という、masaさんの思いは見事に実現されている。だれにも理解できるが村田賢比古にしか撮れないという写真だ。さらに、いまの一眼レフ・デジタルカメラがなければつくれない初めての価値ある写真集でもある。高い感度(ISO6400、増感すれば25600にもなるんだからとんでもない)、早い連写(9コマ/秒)、短いタイムラグ(0.03秒)、もちろんフィルムを消費することもない。デジタル一眼レフの到達した、そういう能力を使い尽くしている。それらの性能のどれかひとつが欠けても、この写真集(写真の集合体)はできなかっただろう。
おいNikon!村田賢比古のひげ面に熱いKissを贈れよ。
もちろん、ぼくたちは勇気づけられる。ちょっと視点を変えると、この世界にはまだたくさんの発見が身近にあるんだと。

 写真のことをエントリーするというのに、またしてもぼくのデジカメはつづけざまに故障した。だから、このエントリーの写真は、PHOTOSHOPをつかってkai-wai散策の写真を加工したものだ。無断だが、もちろんいいよと村田賢比古さんは言ってくれるだろう。
そうそう、印刷会社の人たちは、「時差ボケ東京」の写真を見て、PHOTOSHOPでつくったものだと思っていたそうだ。
村田賢比古は、デジタル技術をつかって人間が楽をするのではなく、それを徹底的に使い尽くし、人間の手と頭と時間をそれに惜しみなく注ぎ込んで、あえて難しい撮りかたに挑み、美しい画像に沢山の発見を盛り込んだ、しかも集合となってさらに意味を深めるという写真集につくりあげた。ぼくの胸の高鳴りは、まだとまらない。

投稿者 玉井一匡 : 11:53 PM | コメント (18)

May 23, 2008

来た来た・・・「時差ボケ東京」だって

JisabokeTokyo.jpgClick to Jump 「時差ボケ東京」/村田賢比古/3,600円
ずいぶん待たせてくれたが、とうとうmasaさんの写真集ができた。22日の午後にできるときいていたから、どうしたろうと気になっていた。
そういえば、kai-wai散策に何か書いてあるんじゃないかと思って開いてみると、案の定。  出ているではないか。「masa」でなく、「村田賢比古」になっている。

 なにやら仕掛けのある写真なんだと聞いていたが、歩いている人間だけにピントが合っていて、背景も前景も、人間と同じくらいの距離にあるものもボケていて、杉本博司のサヴォア邸のようだ。が、画像の後処理は一切やっていないという。・・・なるほど・・・マネをされる危険を防ぐために、経済的な危険の大きい自費出版に踏み切ったのも納得する。
と、夜半に書きかけているうちに眠ってしまった。

朝になって、寝ボケ眼でもう一度写真を見る。背景から人間たちが湧いて出てきたように見える。どうやって撮ったのか、まだ、ぼくにはわからない。本人に聞こうとも思わない。とても楽しい不思議な写真だが、なぜなのだろう?

エントリーの中で、masaさんは「海馬」について書いている。ぼくたちは外界を見ているとき、意識を向けているものしか見えないし聞こえない、記憶に残らない。ふつうに写真をとったように何もかも公平に見ているわけではない。この本(海馬)には、海馬はぼくたちの脳に入ってくる情報の取捨選択を、つまり情報の編集と加工をするのだということも書かれていた。表紙の写真は、ぼくたちの脳の中を撮ったようなものだ。脳の中を見ているわけだ。

はやく他のページもみたい!品不足を心配しなきゃならないかもしれないぞ、masaさん。コメントを書けないようにしているのもいい。ぼくたち、自分のブログで、急いで書きたくなってしまうから、自動的に同時多発エントリーになってしまうもの。

投稿者 玉井一匡 : 01:50 AM | コメント (4)

January 07, 2008

「美の猟犬」と安宅英一の眼

BinoRyouken.jpg「美の猟犬―安宅コレクション余聞」/伊藤郁太郎著/日本経済新聞社/2940円

 MacBookを引き取りにアップルストアに行く前、閉館3分ほど前に三井記念美術館のミュージアムショップに駆け込んだ。
「安宅英一コレクション」の図録がほしいというと、「いまはもう福岡市美術館に行ってしまったので振込で買って下さい」と言う。
電話をかければよかったと悔やんだ。
 年末に展示を見たときには、あたり前だが実物を見た後では図録の写真とのあいだに違いがありすぎてちっとも惹かれなかったのに、この本を読んだらやはり図録がほしくなってしまった。
 焼き物に詳しいわけでもないのに、12月に安宅コレクション展を見に行ったのは、かつて豊臣秀次がもっていた国宝の油滴天目茶碗が展示されるときいたので、それを見たくなったからだが、他にもうひとつ。自宅の近くにある三井文庫の所蔵品とそれを展示する機能が、一年半ほど前にこの美術館に移されてしまったからだ。三井家の屋敷などありそうもない小さな私鉄駅の近くにひっそりとある三井文庫は、充実した内容の割にあまり多くの人が来ることもなくこぢんまりとしていい雰囲気だったのに美術館が三井本館に移されてしまうと、身近にいたひとが別世界にいってしまったようにさみしくなった。今頃になって、それがどんなところに行ったのかも知りたくなった。

 重要文化財に指定されている三井本館の会議室をほぼそのままに展示室にした堂々たる空間に包まれると、昔の財閥の金の使い方も捨てたものではないと思ってしまう。人も少なくて落ち着いている。目当ての国宝・油滴天目茶碗は思いのほか小ぶりで切れのいい姿も、紋様も美しい。
けれどもそれだけに、世界が完結してしまって広がりがないように感じられた。
もしも「このなかでどれかひとつあげるよ」なんて言われたとしても、ぼくだったらあっちのほうがいいな、などとあつかましいことを思って笑いをかみ殺す。(青磁陽刻 牡丹蓮花文 鶴首瓶/大阪市立東洋陶磁美術館蔵)
 クスリと笑ったのは一度だけではなかった。展示品を護るガラスのところどころに、それを入手したときのエピソードが書かれていて、それが安宅英一と陶磁器とのありようを生き生きと伝え想像力をかきたて、その執着ぶりへの共感と羨望が笑いに導くのだ。
 図録にその文章が書かれているのだろうと思い、帰りにミュージアムショップで開いて見たが、それはない。しかも実物を見た直後では図録の写真がちっとも魅力的に思えず、このときは図録を買わなかった。

 後日、図書館のサイトで「安宅コレクション」をキーワードに検索するとこの「美の猟犬」が出てきた。新刊書で予約はまだだれもいないのですぐに借りることができた。著者は、大学を卒業して安宅産業に就職し、以来、会長の安宅英一の意を受けて美術品の買い付けなどを担当して、篤い信頼を受けていた伊藤郁太郎氏。だから「美の猟犬」とは著者自身のことで、むろんハンターは安宅英一だ。
 安宅産業が倒産したあと、安宅コレクションをそっくり住友商事が引き受け、それを寄贈されてつくられた大阪市立東洋陶磁美術館の館長に伊藤氏がついた。安宅コレクション展の展示物はことごとく東洋陶磁美術館の所蔵品だし、ガラスケースに書かれていた文章は本書からの引用だったのだ。
 その大阪市立東洋陶磁美術館のサイトは、主な所蔵品についてとても丁寧に説明されている。「館蔵品紹介」には「館蔵品カタログ」と「QuickTime VR」のページがあって、前者には写真と解説、後者には油滴天目茶碗など数点をQuickTime VRによって回転させることができるので、器のすべての方向からの姿が見られるのが楽しい。

 Wikipediaの安宅産業の項には、安宅英一は美術品の蒐集などにふけり会社を傾けたと言わんばかりの記述がある。それは、ひとつの真実なのかもしれない。しかし、安宅産業が倒産したあと安宅コレクションを住友グループが一括して引き受けることになったときに残念がる著者に、「誰がもっていても同じことではないですか」と安宅は言ったという。それ以前からも、蒐集したものを日常の自分の身の回りに飾るということにはいっさい興味を示さなかったと、この本に書かれている。
 美術品を手に入れるとき、いや、コレクションに加えるときに示した執着ぶりを、このような態度やことばと共存させた人物を、ぼくは尊いと思う。

■2007年10月から2008年3月まで、東洋陶磁美術館は工事のために休館
 そのおかげで、この巡回展示が可能になったわけですね。

追記:関連エントリー
■kawaさん:Thngs that I used to do. 河:青磁の美 出光美術館

投稿者 玉井一匡 : 11:33 PM | コメント (11)

August 12, 2007

小野寺さんの「ミニ個展」で見つけたこと

 Click
早いもので、 小野寺光子さんのミニ個展にうかがってから、もう1週間が経ってしまった。小野寺さん自身のブログで、イラストの原画に値段をつけるということがどうも難しいんだということを書いていらしたからなのかもしれないが、原画を見ていていろいろと考えてしまったことがある。
ふつうの絵画は、たとえば複製や本に印刷されたものはコピーであり、自らの手で直接に描かれた「原画」というわれるものが本物であるということがはっきりしている。しかし、雑誌やポスターになったイラストは原画のコピーなんだろうか?こんなことは、デザイナーはとうの昔、学生時代に何度も考えたことなのかもしれないが、ぼくにとっては新鮮なことだった。

 ちょうどその翌日、kawaさんの事務所で、彼のオーディオの機械の音を聞かせていただくことになっていた。ぼくのほかに塚原、masaさんfuRuさんが一緒だったが、塚原は友人の母上が亡くなってお通夜が偶然にもとなりの堀之内斎場で行われたので先に帰り、kawaさんは近くに買い物に行って外出中だった。
「玉井さんは小野寺さんの原画を買わなかったんですか」とfuRuさんにきかれた。もちろん経済上の理由にもよるのだが、イラストレーションというものにとっては印刷されたものが本物であって、原画は、建築で言えば設計図のようなもの、最終的な完成品は本やポスターや新聞の方なんじゃないかと思ったんだということを話した。
「小野寺さんのはイラストというより絵なんですよ、原画がとてもいいですからね」とfuRuさんは言う。
 たしかに、原画をそばに置いておきたいという気持ちになる。しかし。
「学生時代に横尾忠則展があって、ぼくは初めてイラストの「原画」を見た。すると、コラージュや手書きの輪郭線の上にトレペが重ねてあって、引き出し線の先にDICのカラーサンプルが貼ってあるだけだった。ぼくは、それを見て横尾忠則をものすごくかっこいいと思ったんだ」というぼくに、masaさんがこう言った。
「その考え方は、篠山紀信と似ていますね。篠山は、自分の写真のオリジナルはあくまでも印刷されたものであって、印画紙に焼き付けたものがオリジナルではないと言ってます」
そうか、篠山はやはりえらいと思った。とはいえ、考えてみれば印刷メディアであれほど使われる篠山なら、焼き付けた写真を売る必要はないということでもある。そういう意味で、彼でしか言えないことばなのだ。
じつはkawaさんが、夕暮れのまちに自転車を飛ばして買いに行ったのはCDのディスクで、それは、彼のコレクションの数枚をコピーしたいという、来訪者の希望に応えるためだったから、このときにぼくたちのしていたことはことごとくコピーとオリジナルというテーマに関わりがある。そもそもオーディオ機械というものは、演奏者がある時間にある場所でつくりだした音の集積をコピーしたものを再現するための機械だ。
この日、ぼくはCDにコピーをしなかった。しかしそれは、ぼくがコピーについて潔癖であるからではなく、MacBookをいつものように連れていたからであって、ちゃんとDinah Washingtonの、「Dinah Washington Goleden Classics」をiTunesに入れていた。

 翌日、kawaさんにお礼のメールを送って、つぎのように書いて、ほかのひとたちにもCCで送った。そういえば、CCはcarbon copyの略だ。
「オーディオについて、コピーというものについて、イラストの原画と印刷物、写真のプリントと印刷物について、いろいろと考えてしまいます。・・・・・・こうやって簡単にコピーをたのしむ一方で、写真表現や音楽表現などで稼いでほしいと思う人たちがまわりにいるので、コピーとはなにかコピーライトとはなんだろうと思わずにいられません。」
最初のお礼メールを送ったのはぼくだったので、皆さんも以後のお礼メールの中でコピーについての意見を書いてくださった。
 そのむかし、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」を読んだ時には、ずいぶんメディアのありかたがちがっていたし、それどころか、あの本に何が書いてあったかちっとも憶えていない。いま読みなおしてみたら、理解のしかたがずいぶん違うんだろうなと思うのだが、さてどこに置いただろうか。

 ぼくは、個展でカードを数枚買ってきたが、まだ小野寺さんの本を買っていなかった。「イラスト会話ブック 韓国」を買いに行こう。

投稿者 玉井一匡 : 09:05 AM | コメント (10)

December 12, 2006

江戸の誘惑


先日のシトロアンネットの集まりで「ぼくは都合が悪くなって行けなくなったから、明後日までだがこれに行かないか」と五十嵐さんが封筒を取り出した。江戸東京博物館の「江戸の誘惑」である。2枚あったチケットをとなりの関根さんと山分けした。ぼくがありがたく誘惑されたのも、それが吉原の誘惑だったからだ。博物館にしては気の利いた外題だが、ボストン美術館の肉筆浮世絵でビゲローコレクションといわれるもので、明治初期にモースの日本に惹かれてアメリカからやってきたウイリアム・スタージス・ビゲローなるひとが寄贈したのだ。ビゲローは、フェノロサのもとで日本の美術品の保存修復につとめ、フェノロサがあまり重視しなかった浮世絵を蒐集し、それを後年ボストン美術館Museum of Fine Arts, Botonに寄贈したという。あまりに数が多く、大部分が手つかずだったものを1997年から日本の研究者の調査も行われて700点ものコレクションであることがわかったのだそうだ。

ビゲローがいなかったら、フェノロサにさえ顧みられなかった浮世絵たちは、とうに焚きつけになっていたかもしれない。伊藤若冲も、やはりアメリカのプライスコレクションがなければ、ぼくたちは見ることができなかったかもしれない。東アジアへ「進出」したアメリカの恫喝で開国した国の廃仏毀釈や西欧化のおかげで吐き出されたものが個人の眼と奮闘のおかげで残されたのだから、思いは複雑だ。
 それは吉原という世界そのものにも通じるところがある。美しくはなやかで教養もある女たちでつくられた別世界である吉原、男ばかりのきらびやかな芝居でもうひとつの別世界をつくった歌舞伎、江戸の洗練された文化をこの「江戸の誘惑」が見せてくれるのだが、一方には、女たちの悲惨な生活や農村での苛斂誅求、河原乞食とさげすまれた芸人や賤民の世界が背景にある。しかし、因果なことにそういう暗さがあってこそ、この華やかな世界は魅力と凄みを増すのだ。
 「吉原御免状」を読んでいるうちに描くようになった町の空間と生活のイメージを、浮世絵で具体的に肉付けできたことがすこぶる楽しかったし、北斎の娘・葛飾応為の一枚だけあって「三曲合奏図」という絵は、alpsimaにエントリーされたのを見て初めて知った「吉原格子先の図」でもそうだったように、あきらかにほかの絵とは異なる独自のものがあって、彼女が特別の才能の持ち主であることを再認識させる。
同じチケットで、アラーキーの写真展「東京人生」も見られるのに、時間の余裕がなくて出直さねばならず後ろ髪を引かれた。見返したところで柳があるわけじゃあないが、アラーキーには毒と華やかさが雑居している。その雑居のかねあいのほどは吉原というよりは岡場所のようなものかもしれない。

追記
iGaさんのコメントで、若冲のコレクターであるプライスは、フランク・ロイド・ライトの設計したプライスタワーという小規模な塔状のビルのオーナーの子息だったことを、ぼくは知りました。現在はプライスタワー・アーツセンターとして使われているようです。これが、そのホームページです。ここにはレストランや宿泊設備もあるようですから、ぼくたちも泊まることができるわけです。このサイトには、実現した唯一の、ライトによるSkyScraperだと書かれています。今の基準で言えば、「空を削る」というほどの高いビルではありませんが、数値としての高さではなくプロポーションや低層部との構成のしかたはいかにも空をめざしているようであるし、このビルの立ち姿はライトの好んだタチアオイを思わせるところもあって、いかにもライトらしいデザインだと思います。

投稿者 玉井一匡 : 08:58 AM | コメント (4)

May 28, 2006

ピアニシモな建築たち


いつもそうなんだ、ぐずぐずしているうちに「ピアニシモな建築たち」も、おわりまぢかの時期になってうかがうことになった。松戸での打合せのあと千代田線で一本、根津の駅から不忍通りに出たが葉書をもっていないことに気づく。このあたりだろうと見当をつけて横道を折れたがわからない。masaさんの携帯にかけたが通じないぞと思った途端に目の前にNOMADがあった。ほのくらさが心地よい。ピアニシモを描いた人はすぐにわかった。絵の雰囲気と同じなのだもの。
小さな絵たちがならぶのを前にして腰を下ろしカプチーノを注文、neonさんの話をうかがった。

じつは、ぼくたちがブログで絵をみて文章を読んでいる時から、この個展が始まっていたのだと気づく。そういう世界の広がりかたが、またひとつブログの力なのだ。
お話をうかがっている途中で、息子さんがいらしたと店のひとがつたえる。ごはんをつくるのでかえらなければならないとうかがっていたから、「じゃあ」と言ったのだけれど「もっと児童館で遊んでくるそうです」とneonさんが戻って来た。いえと学校と児童館と、個展をひらいているカフェが結ばれて多次元をつくっている。ブログによって、もっとたくさんのひとたちとつくられたネットワークを加えれば、何次元あるのやら。そんなふうにこまやかに張りめぐらされたつながりのせいなんだろう、初めて入ったカフェの中なのにとても心地よい。
 これに描いているんですと黒い縦長のノートがテーブルに置かれた。開くと、1ページにひとつずつ中央にスケッチが描かれている。細く黒い線。「ロットリングなんていうのじゃなくて、ふつうの細いサインペンです」本のように丁寧に製本された上等なノートに、すべてサインペンで、躊躇いのない線で描かれている潔さ。しかも、ノートの紙の端が全く汚れていない。優柔不断にして本の汚し屋であるぼくには、とてもありえない。これが、スケッチ帳なのだ。「現場でスケッチするんですか?」「いいえ、現場ではしません」「写真をとってくるだけ?」「そうです」
 絵を描いている人たちはスケッチを重ねてゆくものかとおもっていたけれど、そういう描き方からは、このひとはどうも自然に逸脱してしまうようだが、それは、絵を美大で勉強しなかったという自由のせいなのかもしれない。
 この絵たちからぼくに聞こえる音は、そっと放たれるピアニッシモというよりむしろ、演奏のまえの音合わせに解き放たれたフォルティッシモもピアノもある音たちが、勝手にテンデンバラバラにおしゃべりしてた。それらが消え去ろうとして、そして、これからいっしょに音を出そうとしているわずかな瞬間の音たち。ぼくにはそんなふうに感じられた。ここに描かれた建築たちは、このくにがとりわけそうなのだが、この時代の経済と産業のシステムの中で遠からず消えてゆく。にもかかわらず、これから演奏がはじまるんだと言っているようなのだ。

投稿者 玉井一匡 : 03:03 AM | コメント (2) | トラックバック

December 24, 2005

桑原弘明展 SCOPE

scopecartain.JPG
 ギャラリーに着いたけれど、ドアから2、3mほどのところに黒いカーテンが引いてある。今日は休みなのだろうか?しかし、記名帳が置いてあるぞと思っていると、にこやかに女の人が入ってきて会釈をしながら黒いカーテンの端をすり抜けて行った。そりゃあ暗くしたいのはあたりまえだなと気づいて名前を書いて中に入った。一辺が7、8cmほどの真鍮とおぼしき小さな箱が6つほど、ひとつずつ台の上に載せてある。箱の正面に望遠鏡の接眼レンズのようなものがひとつと、他の面に4つほどのガラスの蓋のついた丸い穴がある。レンズから覗くと、ミニマグライトのような小さなライトを持った人が丸い穴から光を入れてくれる。光を入れる位置と方向を変えると、超広角レンズで見るような箱の中の世界の時刻が変わる。季節が変わる。そして世界が変わるのだ。

 この小さな空間は動かない。視点も視界も固定されている。つくりものなのに、実物がぼくたちにもたらす以上のものを感じさせるのはなぜなんだろうという疑問は帰り道のぼくにつきまとった。
あの黒いカーテンが始まりなのだ。まず、カーテンを引いてギャラリーの中に暗い大きな箱をつくる。その中に8cmの金属の筐。その筐の中に小さな部屋。その奥にもっと小さな窓。窓の外には空がある。空には星が光る。限りない宇宙もこの筐の中にある。暗くすることで、ぼくたちの目はわずかな光も感じ取るようになる。小さくするることで、ぼくたちの注意力のすべてが数センチの範囲に注ぎ込まれ、注意力の密度が高められる。
桑原さんにうかがった話を思い出した。

 見る側と作る側に同じことが起きるのだ。
「やはり実体顕微鏡(両目で見る顕微鏡)もお使いになるんですか」
「ええ、部品をつくるときは実体顕微鏡を使うんですが、それを組み立てるときにはこうやって」
と、桑原さんは片目にレンズを取り付ける動作をしてみせる。昔の時計屋さんのように、眼窩にはめ込むレンズだ。なんと呼ぶのか分からないので、あとで調べると、アイルーペというのだった。
「こういうのもあるでしょ」と、ぼくはサンバイザーのような両目につけるルーペのしぐさをする。
「組み立てるときは、なぜか、片目じゃないとだめなんですよ」
「そうなんですか」
 たとえばICのような小さなものを組み立てるときには顕微鏡で覗きながら作業すると、それに応じた精度で人間の手は動かすことができる。そのことを、ぼくはとても不思議なことだと思っていたが、それと同じことなのだ。筐の中を見る時と同じように、作るときにも小さな範囲に限定すればそこにすべての注意力を集中することができるのだ。ところが組み立てるときには片目のルーペで見ながらでないと駄目だというのは、ちょうど杉本博司がニューヨークの自然史博物館のジオラマを片目で見たというのと同じじゃないか。部分を作る時には事実を両目で見た方がやりやすいけれど、想像力を駆使して世界を作ってゆく時には片目で見るのがいいのだ。液晶ディスプレイで写真を撮るときにも片目で見る方がいいのかもしれないぞ。
 
君好みだよと秋山さんから二度も電話をいただいた。ぼくもみんなに知らせたいが、もう今日で終わる。毎年12月に、このスパンアートギャラリーギャラリー椿とで交互に個展を開いてきたが、来年は今までのものをみんな展示するという。「12月になったら思い出してください」。
「スコープ少年の不思議な旅」をバッグに入れて「来年の手帳に書いておきますよ」といって外に出た。

投稿者 玉井一匡 : 08:08 AM | コメント (4) | トラックバック

November 14, 2005

「時間の終わり」 に片目を閉じて

 2005年11月12日11時55分六本木ヒルズ森美術館。ようやくやってきた「杉本博司展:時間の終わり」は期待を裏切らなかった。エスカレータをのぼりきったところで閉じた推理小説に、山場の10数ページを残していながらぼくはすっかりそのことを忘れてしまった。
チラシとサイト上で見ていた写真で、分からなかったのはジオラマとポートレートだった。会場に書かれた説明によれば、ニューヨークについて間もないしばらくのあいだ、あちこちを見物するうちに自然史博物館に行き、ジオラマを見ていて杉本はあることに気づいたという。片目をつぶって見るとジオラマの立体が写真の画面という二次元になるのだと。画家が片目で見てみるように、あるいは箱にあけた針穴を通った画像を映してなぞったカメラオブスキュラのように、それ自体は新しい発見ではない。しかし、そこはジオラマという特別の場所の前だった。


ジオラマでアザラシを仕留めたシロクマと景色を見るときには、見せるものと見るもののあいだに約束事がある。平面の上に透視図法で描かれた背景と、実物だがすでに生命を失った剥製というニセモノの自然を許容する。しかし、ある一点に立って片目をつぶってみると、背景と剥製という環境が一体化してリアリティをもって見える点があるはずだ。平面と立体(空間)、実物とにせ物(リアリティ)、現在と過去(時間)、明と暗(光)、沈黙と声(音)。彼のすべてのテーマが、ジオラマの前のある一点で片目をつぶったときに見つかったのではないか。片目で見て撮った写真なら、ぼくも片目をつぶって見ることにしようと思った。すると、片目を閉じてジオラマや蝋人形を見ると、立体感がたちまち息を吹き返した。はじめてランダムドット3Dの図を立体視しようと苦労しているときに、やっと焦点が定まると突然、それまで紙に残された印刷だったのが実体のあるものに見えてきたときの驚きがよみがえる。
カメラは、ひとつのレンズで見ているのだから、それを両目で見ると平面の上にのせられた画像にすぎないことを、ふたつの目が見破ってしまうのだが、片目を閉じて視ると、そのむこうの3次元を脳がえがく。 画家のアトリエからぼくたちの見る写真までに繰り返されたイメージの変換は興味深い。モデル→絵→蝋人形→撮影→現像→プリントという伝言ゲームは、3次元と2次元のあいだを行き来しながら、どの変換の過程でも可能な限り忠実に対象を写し取っている。そして、最後にぼくが片目で見ると、忠実な3次元と生命感を回復するのだ。
杉本の写真をみるとき、じつはぼくたち、片目を閉じる前にあらかじめ網膜の一部を閉じている。色彩をなくしているのだから。

片目を閉じてみると、薄暗い展示室に照明を凝らした海たちは波が動きだし、三十三間堂の仏たちの写真を張り合わせた25mにおよぶ仏の海は、光背に光をうけておだやかにうねる波になる。映画の1本分を撮ったスクリーンは、片目を閉じるとますますみずから光を発しているように見えた。無限遠より遠くに焦点を合わせたピンぼけ建築写真は、建築が実現される過程にあったもの、あるいは消えてゆこうとするときに洗い残されるものが見える。三次式を立体にした石膏模型たちだけは、片目を閉じてみなかったのがちょっと心残りだ。ジオラマの説明がそのあとに書かれていたからなのだ。

会場のプロジェクターの映し出す杉本のインタビューは英語で話して日本語の字幕が出る。化石が好きなのだといって、電気オーブンのような、おそらく調温調湿箱の中からアンモナイトをとりだした。ぼくは職人なんだ、ちょっとだけアートをしてる、と言う。「すこしだけのアート」は、時間と光とイメージの変換という目的の設定。「職人」は、人工照明をつかわない光、コンピューターをつかわない画像処理、克明な写実、無限遠よりもっと遠い焦点距離。厳密な技。
 実物を見る前に書いたエントリーで書いたこと「モダン=現在とは、一枚の膜のような時間が自立しているのではなくて、幾重にも過去の累積された層に支えられて、それが一番上にあらわれているにすぎない。」を杉本は表現したいのだと、今もぼくは思う。だから、「時間の終わり」とは、堆積した時間の層のいちばん表面にあらわれているもの、それが現在、それがシャッターを切る時間なのだ。

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杉本博司展 をまだ見ていないのに/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 07:44 AM | コメント (8) | トラックバック

October 31, 2005

杉本博司展 をまだ見ていないのに


このひと知ってる? すごいから行ってみて。きっと大好きになるよ、と娘がチラシをよこした。六本木ヒルズ森美術館の「杉本博司:時間の終わり」だった。おもての写真は、装飾的だが禁欲的な空間、客席に誰もいない奥行きの浅いステージ。モノクロの写真は、布の襞に縁取られた奥にある白い面が柔かな微小な光の粒を放ちあたりをひたしている。「言っちゃうとおもしろくないかもしれないけど」といいながら「映画館のうしろの方にカメラを置いて、一本の映画のはじめから終わりまでシャッターを開きっぱなしにして撮ったんだって」と言っちゃっている。
一枚の写真に映画一本分の映像と時間が残されている。シャッターを開け続けて動きを撮るのはよくあることだが、開き続けることで、これは逆に動きを消してしまい、時間を撮ったのだ。たしかに、なんと形容すればいいのかむずかしいが、とりあえず「すごい」としか思いつかない。

かつて、映画館には上映中の映画のシーンのモノクロの写真が張ってあるコーナーがかならずあった。それらはスチール写真と呼ばれていた。子供の頃の語彙にはスチールという言葉は盗塁か、さもなければ鉄しかなかったから、スチール写真の意味が判らなかった。それが、動く映像にたいするSTILL(静止)映像なんだと気づいたのは、ずーっと大人になってからのことだ。映画の世界では動く映像があたりまえだから、動かない写真にはSTILLとつけなければならない。動く映像と静止画の間には、越えがたい深い溝と距離があったのだ。とりわけ映画の世界では、ふたつの画像の間には、身分の違いのようなものがあったにちがいない。杉本博司は、あえて動く画像の世界に踏み込んで、映画の一本分を1枚のスティル写真に閉じ込めて帰還した。これは英雄的な行為だ。
 この写真のほかにも、チラシの裏にはひどいピンぼけのコルビュジェのサヴォア邸やライトのグゲンハイム美術館の写真がある。これには何が秘められているのか、実物を見るまで説明は読むまいと思った。 ところが先日の「アースダイビング大会」の帰り、masaさんとふたりで遠回りの大江戸線に乗ると、彼は杉本博司展が開かれていることを知らなかったにもかかわらず、いつのまにか杉本の話になった。じつは、masaさんのblogの写真についてエントリーして「かすかな弱い光のもとで見ると、ものが光を反射しているのではなくて物体が光を放っているように感じられる」と書いたとき、ぼくは杉本の写真を思い浮かべていたのだから、ぼくにとっては偶然ではなかった。写真の歴史上初めての天才と言われているんだと、masaさんは杉本の確信犯的ピンぼけ写真の方法を熱く話してくれた。限りない空間と未来を映したのだ。

 スティル写真はシャッタの開く一瞬を切り取るから、つねに現在を記録する。したがって、何を写そうともスティル写真は常にモダンであらざるをえなかった。だが、現在が一番・未来はもっといいという進歩を信じてきたモダニズムに、杉本はこの写真で反旗を翻したのだ。すぐには効果が表れないかもしれない、けれども時とともに少しずつダメージを及ぼし致命傷を与えるボディブローだ。

 ぼくたちの身体はだれでも、それどころがあらゆる生物はすべて、数十億年にわたってとぎれることなく伝えられてきたDNAの記述に基づいてつくられて、いまこの時間この場所にいる。数十億年をずーっと遡る途中でどこかの個体がひとつ欠けていても、ぼくたちはいまここにいない。ひとめ見ただけではわからない、時間の痕跡の集積である杉本の写真は、数十億年の間の数知れない命の結果としてここにあるぼくたちの身体と同じではないか。モダン=現在とは、一枚の膜のような時間が自立しているのではなくて、幾重にも過去の累積された層に支えられて、それが一番上にあらわれているにすぎない。
  ぼくが、杉本博司展を見る前に、彼の本を読まないうちに、杉本のことを書いてしまうことにしたのは、見ることと書くことの時間上の順序を入れ替えようと考えたからだ。

 森美術館の最初の企画は、たしか「モダンてなに?」を副題にしたM0MA展だったが、ぼくはそれを見なかった。見たくなかった。森ビルのような大規模な再開発は、計画に取りかかった時と完成する時の間に、経済や生活のスタイルなどの様々な環境がすっかりかわってしまう。計画にとりかかったころのモダンは、それが完成する頃には、かれらの物差しでは時代遅れという寸法を読み取る。その矛盾を克服しようという、あるいは正当化しようという試みのひとつが、「モダンてなに?」であり杉本の「時間の終わり」の開催だったのではないか。
しかし、一筋縄ではいかないぞ。すでにそこにあるものを読み取ることを知らず、すでにあるものを破壊することでつくられた現在には何の意味も価値もないと杉本の写真は言っている。それを確認すべく、まずは「時間の終わり」のために「M」に行き、そのあとで「苔のむすまで」を読むことにしよう。

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「時間の終わり」 に片目を閉じて/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 12:51 AM | コメント (13) | トラックバック