November 13, 2011

「Steve Jobs 」英語版が届いた

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 大きい、厚い、しかし軽い。キッチンスケールで計ってみると英語版990g日本語版2冊合計985gで、ほとんど差がない。「Steve Jobs 」の英語版がやっと届いた。
 表と裏の表紙の見返しは、見開きで全面にジョブズが書斎の机の前に座っている同じ写真だ。机の上のiMacのディスプレイの中では、妻のローリーンが息子のリードの肩に腕をかけて笑顔がこぼれている。サンダルを履いたジョブズは椅子を下げてうしろに寄りかかっていて、黒のタートルをパンツインといういつもの姿で、デスクトップには目の前に愛用の眼鏡、右端には小さな箱が無造作にかさねられている。彼のボブ・ディランへの傾倒ぶりからすれば,この箱はブルースハープが入っているのではないだろうか。ディスプレイの上にはiSightカメラがついているし、SKYPEで2人と話しているという風情だ。こういうジョブズがあったのかと感じさせるいい写真だが、日本語版では下巻のとびらの「スティーブ・ジョブズ Ⅱ」という文字の下に小さく印刷されているにすぎない。同じ写真でも、扱い方ひとつで伝わるものがまったくちがうことがよくわかる。

 日本語版を初めて手にして開いたとき、ぼくは内容を読む前にデザインを不満に思った。表紙は英語版に日本語を加えたくらいのことだからそれほど悪くなりようがないが、目次と本文のページがどうにも間が抜けているし、写真はそれ自体ひと昔前の新聞のようなぼやけた代物であるうえに文字との関係もしまりがなくて愛情をこめてつくった本にはとても感じられず、読者であるぼくの方も愛情をいだけない。著者と主人公の国でつくればまさかこんなものにはしないだろうから、やはり英語版がほしいと思った。おおよそは、先に届いていたAKiさんの電話でうかがっていたが、日本語版と英語版は大違いだった。しかも、むこうは値段が安いんだ。:英語版 2,131円、日本語版上下合計3,990円なのに、日本語版は内容を省略、デザイン省力、編集簡略なんだから、為替格差のせいにはさせない。

 日本のamazonで1,400円台のペーパーバック版を見つけて注文したが、数日経っても発送通知のメールが来ない。amazonを見直すと、スペイン語版であることがわかった。あわててキャンセルの手続きをすると、さいわい間に合った。それからまた数日経、発送のメールが来ない。こんどは、まだ注文手続きを完了していなかったらしい。三度目の正直の注文をすましてやっと届いたのだった。
 日本語版を読み終わると、ありったけの力をそそぎ製品を生み出したジョブズの生涯を描く本を、こんなもので済ますはずがないと思ったとおり。日本語版は多くを省いている。aki's STOCKTAKINGにあるように、「ACKNOWLEDGMENTS(謝辞)、SOURCES(出典)、NOTES(覚書)、INDEX(索引)、ILLUSTRATION CREDITS(挿絵クレジット)」それに登場人物リストも削除。英語版の写真ページは紙質も印刷もきれいで文章のページの間にあるが,日本語版は文字と同じ紙に印刷して巻頭にまとめる。さらに、英語版では各章のはじめにあるスティーブの写真も日本語版では捨ててある。

 もうひとつ、理由の分からない違いがあるのに気づいた・・・章の数が違うのだ。英語版は42章あるのに日本語版は41章。つきあわせて比較すると内容が削られているのではない。英語版は20章の「A Regular Guy: Love Is a Four-Letter Word」、21章の「Family Man: At Home with the Jobs Clan」とあるものを、日本語版では第20章の「レギュラーガイ:凡夫を取り巻く人間模様」のひとつにまとめている。
 ジョーン・バエズをはじめいくつかの恋、生みの母と妹や父の消息探し、かつて認知を拒んだ娘リサなどを書いた第20章。ローリーン・パウエルとの出会いから結婚を経て3人の子供たちと築いた家庭、そこでリサもハイスクール時代を過ごす第21章のプライベイトな世界。その2章である。テレビのバラエティ番組のような副題「凡夫を取り巻く人間模様」とは、大切にしているとは思えない。別れた人たちを辿る第20章と、安定した家庭を築く第21章は、GuyとMan、RegularとFamilyを対比させる。それをひとまとめにして俗な副題をつけるどんな理由があるのか想像もつかない。表紙の見返しの大きな写真も、ジョブズの激しい生き方とは別のレイアに「Family Man」の穏やかな日々があったことを感じさせる。ちなみに、A Regular Guyとは、実の妹モナ・シンプソンが兄をモデルに書いた小説のタイトルである。

 日本語版は、編集時間が少なかったのは分かる。といって、削除しなくてもどれだけの時間がかかっただろう。まして上下巻にわけるなら、下巻を少し遅らせればいい。今からでも、削除したものを別冊にして店頭で配布してくれないか。それもできないなら、ウェブサイトに公開すれば費用はかからないし、PDFでなくテキストで公開すれば、編集もプリントも製本も読われわれが自由にできる。
 パーソナルコンピューターが先頭を切っていた時代はそろそろ終わるという意味でも、ジョブズのインタビューをもとにした伝記は最初で最後という意味でも、これが大切な本であることが理解されていない。内容も理解しないまま、つくられたのかもしれない。APPLEなど知らない「ビジネスマン」なら人間の名前など興味がないし、APPLEを好きなやつは、すでに分かっていると思ったのか。日本人の読者には少しでも安いことが重要だとみくびったのか。・・・だとしたら、日本語版にかかわった諸君、もう一度この本を読んでみてくれないか、そういうものじゃないとジョブズが教えてくれるだろう。
SteveJobsHarmonica.jpgClick to PopuP
■追記  上の写真で机の右端に積んである小さな箱はブルースハープだろうと思って、裏をとろうと写真を検索したがみつからない。写真を添付してmasaさんにメールで質問すると、しばらくして返信がきた。「やはり、Hohner社のmarine bandというシリーズのハーモニカの箱ですね、間違いないと思います」という。Hohner社のサイトを見てみると、なるほど間違いなさそうだ。ボブディランのサイン入りのものもあって、ちょっと魅力的なのだ。wikipediaの「ハーモニカ」には、ブルースハープという名称はホーナー社の商品名だったのが、単音10穴のハーモニカを言うようになったとある。ジョブズがもうすこし長生きしたら、Garage Bandのレッスンストアで、ボブディランがハーモニカを教えてくれたかもしれない。

投稿者 玉井一匡 : 01:45 PM | コメント (8)

November 09, 2011

「スティーブ・ジョブズ Ⅰ,Ⅱ」

SteveJobs1「スティーブ・ジョブズ」/ウォルター・アイザックソン 著/井口耕二 訳 /講談社
 小さな筺の中に完結したひとつの世界が詰め込まれているというものが僕は好きだ。
図鑑、博物館、動物園、植物園、調和水槽、Mac、そして、伝記。もちろん、それが魅力的につくられたものでなければならない。
 これはジョブズがうなずく最初で最後の伝記なのだ。なにしろ、本人の依頼ではじまったインタビューは2年以上の間に40回を重ね、何を書いても構わない内容に口出しをしないという言葉をジョブズと妻ローリーンはまもり、著者ウォルター・アイザックソンはその信頼を正面から受け止めて、批判も賞讃もほめられない事実も詰め込みながら、透明な美しい筺にしてジョブズに手渡したのだから。

 しかし、日本語版にはジョブズが笑みを浮かべるわけにはいかないだろう。表紙に日本語が割り込むのは当然としても、ページを開くと中身の薄いビジネス書のように平凡で間のぬけたデザインが期待はずれだった。
 この伝記は、完璧なものをつくることを目指してジョブズがいかに生きたかを書いた本である。ジョブズの最期のときに作る本に、そのことを反映させないとはどういうわけだろう。もとの本はこうではないだろうと思ってぼくは英語版を読みたくなり、amazonに注文した。しかし、二度の間違いによってまだぼくは英語版を見ていない。(11月11日に、やっと届いた)

 たしかにジョブズは、多くの敵、競争相手、交渉の相手を罵倒し、ときには仲間さえ切り捨てた。そして、MacOSを他のメーカーのマシンに提供せず、iPod、iPhone、iPadとMacをitunes、icloudによって家族のように結びつけてきた。そういうことが、ジョブズ個人の「攻撃性」と、ジョブズを含めたAPPLEの「閉鎖性」として何度も批判の対象にされてきた。しかしその激しさと執着は、いずれも完璧な製品とシステムをつくるという目的への抗いがたい情熱のなせるものだったということが、この伝記の重要な軸である。

しかし、AKiさんが入手して英語版と比較されたところによると、(Steve Jobs/aki's STOCKTAKING)間が抜けているどころか日本語版では削除されたり改悪されているところがたくさんあるそうだ。文字通り一部分が抜けているのだ。
*索引→削除 登場人物リスト→削除 (ぼくは、登場人物リストの代わりに「REVOLUTION in The Valley」を横に置いて読んだ) インタビュー記録→削除 *出典→削除 *謝辞→削除 写真のクレジット→削除 *英語版では写真ページは紙質と印刷がいい→文章と同じ紙質と印刷 *英語版では写真ページを文章のページの間に入れてある→巻頭に写真を集める・・・・こんな具合だ。
 この本の重要な軸を無視してまでページ数を減らし、編集の手間と時間を節約するために構成を変え、結果としてジョブズを侮辱し日本の読者を欺いた。落丁本として受取人払いで送り返したいところだが、戻ってこないと癪だしなあ。少なくとも講談社は削除したものを小冊子にして配布するくらいはしたっていいだろう。索引や人物リストは、別冊になっていた方が使いやすいということもある。講談社はこの本で大儲けするはずだもの。

 本の内容に戻ろう。  この伝記はジョブズが死をおだやかに語って終わるが、そこで読者にも安らぎをもたらしてくれる。ジョブズは、かつて認知を拒んだ娘Lisaも引き取って他の子供たちと一緒に育てていたこと、妻は進んでそういうことを引き受けることのできる人であったこと、自分が養子に出されたあとに生まれた実の妹Mona Simpsonと生みの母を見つけ出し、最期のときにも妹はそばにいてくれたこと、育ての父と母を愛し誇りに思っていたこと。そういう時と人々がジョブズのまわりを包んでいたことを知って、ジョブズとAPPLEのファンであるぼくたちは安堵して読み終えることができた。

 そうそう最後にもうひとつ、iPhone4のアンテナに欠陥があるとして世界中で非難にさらされたとき、緊急の取締役会をひらくためにジョブズは旅行先から飛んで帰る。そのピンチを自分の眼で見ておけといって息子リードを呼んで立ち会わせるというエピソードもいい話だった。息子にAPPLEを継がせようなどというさもしい根性ではない。ギリギリのピンチに父がどう立ち向かうかを見ておいたほうがいいというのだ。息子は医学部で遺伝子を研究している。
 ジョブズがマシンたちに与えようとしたものは、いつだって何よりもユーザーインターフェイス、つまり人と機械がこころを通わせることだったじゃないか。

■ジョブズの遺伝子
*APPLE追悼セレモニーにおけるジョニー・アイブ(APPLEのデザイン責任者)のスピーチ:英文・日本語訳・映像/maclalala2
*スタンフォード大学メモリアル チャーチの追悼式における妹 Mona Simpsonの弔辞:英文・日本語訳/maclalala2
*フォスターアソシエイトの設計によるApple Campus 2の計画/CUPERTINO市 公式ウェブサイト
*1984年スーパーボウルにおけるCM:ジョブズが、いつまでも反抗者でありつづけようとしたステイトメント/YouTube
all about Steve Jobs.com:ジョブズ情報満載のWebSite
APPLE追悼セレモニーの映像:10月19日 Apple Campusの中庭・晴れ

投稿者 玉井一匡 : 11:10 PM | コメント (0)

October 16, 2011

「福島の原発事故をめぐって-いくつか学び考えたこと-」

GenpatsuMegutteS.jpg「福島の原発事故をめぐって-いくつか学び考えたこと-」/山本義隆著/みすず書房
 9・19さよなら原発デモの解散地点の近くで山本義隆氏とおぼしき人物の姿を目にした。そのあとで、原発が引き起こした現在の事態についてあの人はどう考えているだろうと思っていたら、9月29日の朝日新聞に高橋源一郎が「論壇時評」でこの本を取り上げていた。
 新聞の1ページを担当していればそうもなるんだろうが、ただひとり脱原発の立場とされた大臣をマスコミが退陣に追い込んだことについて触れながら、高橋源一郎は正面からのマスコミ批判を避けようとしているのがどうにも食い足りない。この「福島の原発事故をめぐって」のとりあげかたも気に入らない。おかげで、ぼくはぜひ読みたくなった。

 100ページに満たない紙数で、日本に原子力を導入した政治的背景、技術的な問題点を語った上で、著者のフィールドである科学技術史の中に原発を位置づけ、その結論として脱原発を導くという内容は深い。

 ぼくたちの世代にとっては説明するまでもないのだが、若いひとたちは山本義隆氏を知らないのかもしれないということに気づいて、このエントリーをすっかり書き直すことにした。
 著者は、理学部物理学科大学院の博士課程で量子論を専攻する学生だったときに東大全共闘の代表などというものになってしまった。彼がセクトに属するいわゆる活動家でなく、したがって、生涯をかけて研究したいことを持ちながらそれを捨て退路を断つ覚悟で先頭に立ったことが、その他のノンセクトの学生も動かし、反目するセクトさえひとつにまとめる一時期ができたのだと思う。それから安田講堂の攻防があり、長い法廷と「塀の中」の時間があった。
 その後長いあいだ、ぼくは彼の消息を知らないでいたが、2003年に「磁力と重力の発見」(以前に書いたのに、なぜかエントリーせずにいたのを改めてエントリーしました)という3巻からなる科学技術史の本を書いて大きな注目を浴びた。

「あとがき」に、この本を出すことになった経緯が書かれているし、山本氏の人となりがそれとなく感じられるので、その全文を引用しておこう。
 *** みすず書房の編集部から雑誌『みすず』に原発事故についてなにか書いてくださいと依頼され、なんとか原稿を書いたのですが、少し長くなってしまいました。連載にしてもらえるかと思っておそるおそるお渡ししたのですが、いっそのこと単行本にしましょうと言われました。そんなつもりはなかったので少々面食らったのですが、有難くお受けすることにしました。こうして出来上がったのがこの本です。原子力(核エネルギー)技術の専門家でもなく、特別にユニークなことが書かれているわけではありませんが、物理教育のはしくれにかかわり科学史に首を突っ込んできた私が、それなりにこれまで考えてきた、そしてあらためて考えた原子力に反対する理由です。
2011年7月24日 山本義隆 ***

 山本氏による科学技術の流れにおける原子力の位置づけを、間違いをおそれずに思い切って縮めると、つぎのようなものだ。
 「科学」とは、論証の学問から出発したが、自然を定量的に理解し実験による検証を経て獲得された法則性を提示するものであるのに対し、「技術」は技術者や職人の経験と試行錯誤を蓄積したものだ。「科学技術」とは、その科学と技術を並べたものではなく、「科学」の普遍的な法則性を適用してつくりだされた「技術」のことである。
 科学と技術がそのように統合されたのは産業革命もワットの蒸気機関の発明に至ったときで、その後、電磁気学から電気という動力がつくり出される。大恐慌に対して、アメリカはニューディールという、国家主導の強力で大規模な経済対策を行ったが、その延長線上に、同じように国家が研究者を結集して原爆製造を実現するマンハッタン計画があった。

 水蒸気でタービンをまわし電磁誘導で電気をつくるのが発電機だ。原子力発電とは、その水蒸気をつくるための熱源として原子力を利用するものにすぎない。これは、科学技術のたどった上記の過程をひとつにまとめたものであって、巨大な規模と限りない危険のために国家の経済的・法的な後ろ盾なしには進められないという点でもマンハッタン計画と通じるものだ。
 著者は、原子力を「ここにはじめて、完全に科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる」と書いて、特別な科学技術だとする。
 その原子力の利用は「それまですぐれた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティーの許容範囲の見極めを踏み越えた」ものであることに本質的な問題を抱えているとして、こう締めくくる。・・・日本はアメリカやかつてのソ連とならんで、大気中に放射性物質を大量に放出した国の仲間入りをした以上、「事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、そのうえで、率先して脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。」

■参照サイト
GenpatsuManhat.jpgManhattan Project/wikipedia
 マンハッタン計画について英語版wikipediaは日本語版よりもはるかに記述が多い。ぼくはマンハッタン計画というのはこっそり行われた陰謀のように感じていたけれど、この英語版の書き方の充実ぶりを一瞥すれば、アメリカにとってマンハッタン計画は大成功をなしとげた大規模な国家事業だったことが感じとれる。スーツを着たご婦人たちが颯爽とならぶ写真には、「オークリッジのウラニウム精製施設Y-12の勤務交代時 Clinton Engineer Worksでは1945年5月までに82,000人が雇用された」と説明されている。

 Project Sitesという項目には、全国に分散したマンハッタン計画関連施設の地図がある。そのひとつは、ドキュメンタリーフィルム「終わらない悪夢」で廃棄物垂れ流し施設として報じられている3カ所のうちのひとつ Richland(Hanford Engineer Works)である。この地図を見れば、マンハッタン計画がどれほどの力を結集してつくられたものであるかがわかる。しかし原爆が完成したときには、想定していたナチスドイツは降伏していた。せっかくつくったものを使わないのはもったいないとばかりに広島に原爆を落とし、それだけで、すでに日本は戦意を無くしていたのに、タイプの違う原爆を試したくて長崎にもうひとつ落としたのだ。
そして、原爆の副産物である原発を日本に売りつけようとしたアメリカに、岸・中曽根・正力などの面々がよろこんで飛びついたのだとすれば、ひどい話だ。

投稿者 玉井一匡 : 09:41 AM | コメント (4)

September 13, 2011

「香港 路地的 裏グルメ」

HonkongRojiteki2.jpg香港路地的裏グルメ/池上千恵 著・小野寺光子 イラスト/世界文化社

 ぼくが日頃から愛読しているブログのひとつ、いやふたつ、おっと三つだ。「お江戸から芝麻緑豆」「開心香港街市」の"こももさん"こと池上千恵さんが著者、「ONE DAY」の小野寺光子さんがイラストをお描きになったガイドブック仕立ての本が出た。「香港 女子的 裏グルメ」の続編である。
 おふたりのブログは、たべものに向ける情熱の大きさと熱、その書きっぷりが楽しい。それが二人分重なるんだから、この本がおもしろくないわけがない。さっそく買ってきた。
香港が好きで好きで好きでたまらないふたりが、その思いのたけをそそぐ、香港の裏通りにあって地元のひとびとが日常的に通う店の、内臓のうずたかく乗せられた麺やお粥や丼もの・点心、そしておやつの数々。

 異文化を理解するなら、まず好きになることからはじめるのがいいに決まってる。だとすれば、人間に普遍的な興味である「食べること」を手がかりにするのは相互理解の王道だ。国家というヤツは、国境はここだあそこだと押し合いへし合いして、のべつ排他的にならざるをえない。しかしひとりひとりの人間はそれとちがって、店のオヤジが「これはうまいよ」と言って皿に盛った料理を出し、それを食べた客が「なんてうまいんだ!」と喜べばそれだけで、たがいに理解と信頼を結ぶことができる。それが路地的裏グルメの力だ。

HongkongRojiteki2S.jpgClick to PopuP
 期待にたがわず、書かれているもののどれもこれもが旨そうで、しかも20〜30香港ドル(1ドル=10円)から、50$に届かないくらいのものばかり、手当たり次第に食べあるいたら何日かかるだろう。その安い旨い繁盛する店の背後にある主の人柄、店構え、やってくる常連たちの振る舞いにいたるまで、記述は著者の主観であるとおっしゃる。そうやってひとりの人間が自分の数枚のコインと責任をもって評価を下してこそ、料理と店のありようと著者自身を、ぼくたちは感じとり信じられるのだ。だれの眼鏡をかけて見たものなのかわからない新聞の記事や世論調査など、ぼくは信じない。全ての店名、食べ物の名称に広東語読みでルビがふってあるから、多少は広東語を勉強できる。それもまた、いつか香港で不器用な友情を構築する助けになるだろう。

 こももさんと光子さんには香港とは別に大きな情熱を傾ける対象があるが、その情熱のあまりの大きさと深さは、ぼくの理解のかなたにある。V6レスリー・チャンである。V6は香港とは関わりがなさそうだが、情熱のほどを知るにはブログのバックナンバーを探す必要がある。( 補記:そう書いたら、こももさんのコメントで、V6にハマったのは香港公演を見て以来だと訂正があった。じつはV6とも香港を通じてのご縁なのだ )光子さんがONE DAYの新しいエントリー「すべてはレスリーから始まった」にくわしく語っていらっしゃるように、レスリー・チャンと香港への愛情は分かちがたく結ばれている。彼女は、この本でたくさんのイラストを描いていらっしゃるが文章はないだけに、香港について語ればとどまるところを知らないと言われる情熱のすべてがイラストに姿を変えているにちがいない。
出版記念のトークショーを聞きに行こうと思っていたが、またたく間に予約が埋まったそうだから、人気のほどが知れる。
最後にひとつ付け加えておこう、ふたりは軽挙妄動を気取っていらっしゃるが、そのかげに品の良さがところどころで見え隠れするのがこの本の味わいをいいものにしている。

かつてスパイ小説で読んだ香港ははるか遠くにあったが、いまはなんて近くにあるんだろう。・・・といってもぼくは、現実には返還前に一度行ったきりだから、そう感じるのはこの本とおふたりのブログのお蔭なのだ。

■こんな催しがひらかれます
 池上千恵著『香港路地的裏グルメ』出版記念
「香港“女子的&路地的”裏グルメ 小野寺光子 ILLUSTRATION原画展」
 会期:2011年9月18日(日)〜22日(木)10:30~18:00(22日は15:00終了)
 会場: SPACE K代官山
■追加情報
iPhoneのアプリケーションに、こんなものがあるのを見つけました。
料理の広東語表記があって発音を聞けるのは、とてもたのしいのだが、もうすこし料理の種類をふやしてほしい。
バージョンアップしてくれることを期待しよう。いずれも250円
飲茶点心ー中華料理(香港飲食)
香港茶餐廳 - Cha Chaan Teng(飲食店_喫茶・軽食)
Yum Cha Dim Sum (Food_Hong Kong):上記の「飲茶点心」の英語版

投稿者 玉井一匡 : 08:15 PM | コメント (4)

June 21, 2011

神の火

Kaminote.jpg神の火/高村薫/現在は文庫/新潮社

 いつものように、表紙の見返しに書かれた短い解説さえ避けて読みはじめた。とはいえ、サスペンス+スパイ小説であることは知っていたし、「神の火」というタイトルが原子力を意味することは容易に想像がつく。どのみち2,3ページも読めばすぐに原発をテーマにしていることがわかるのだから、すこし背景について書いてしまおう。

 あえて規範から逸脱することをおそれない、にもかかわらず、ひとに深い愛情を持つことのできる男たちを著者は共感をもって描写するので、男たちはそれぞれ魅力に満ちている。
2段組で325ページにおよぶ厚い本は、原発をテーマにして今から20年前、9.11から10年も前、ソ連が崩壊した年に出版された。小説の中では、巨体をもてあまして余命いくばくもないソ連が、肩で息をしている頃らしい。

 冒頭の、巨大な建築物の工事現場の描写をちょっと読めば、いまのぼくたちにはすぐに原子力発電所であることがわかる。さっそくGoogleマップを開き地図モードで「音海(おとみ)」というキーワードを打ち込むと、若狭湾の中に複数の半島が延びてつくりだしている小さな湾のひとつにぼくたちは跳ぶ。
 おだやかな水面に浮かぶ生け簀、繋留された漁船、潮の香り、地図を見るだけでうっとりするような湾がつらなる。原発は、かならずそういう美しい海を狙ってやって来るらしい。音海のある半島の根元に関西電力の高浜原発がある。

TakahamaNS.jpg高浜原発:Click to Open GoogleMap
 モードを航空写真に切り替えると高浜原発の施設が見える。拡大してゆくと、これが平時の原発なのだと気づくが、ぼくは水素爆発したあとのとっ散らかった原発にばかり関心をもっていたのだ。半島の東西の湾に水路がつながっているから、一方が冷却水の取り入れでもう一方が排出用の水路なのだろう、ふたつの水路が半島を横断して根元で断ち切っている。水路の泡立ちで、西側の内浦湾が排水口であることがわかる。原発は健康だが、じつは半島と湾は根本で断ち切られている。おそらく住民の間にも険しい対立をつくりコミュニティを分断したのだろう。

 「神の火」は、この原発をモデルにしているに違いないが、「音海原発」はこの敷地のすぐ北あたりに位置する。小説には地形が具体的に書かれているから、GoogleEarthを見ながら読まずにいられないのだが、そのあたりを写真モードで見ようとすると、なぜか白い雲におおわれている。事故後にGoogleマップを曇り空にするようだれかが要請したのだろうか。あるいはもっと早く手を打ってたのだろうか。
 原子力発電所内部についても詳細な描写があるから、平面図をおおざっぱに書いて見ながら読んでいきたいところだが、ストーリーを追いたいスピードにとっては、そんなことをしている余裕がない。またあらためて原発研究のために音海原発にもどることにした。

 巻末にはこう書かれている、「1991年8月、単行本として刊行された『神の火』は、文庫化にあたって全面的に改稿が施され、単行本は絶版になった。本書は文庫判を底本として、新潮ミステリー倶楽部の一冊として新たに刊行したものである。」と。
高村薫は改版するときには原稿に手を入れるひとであるとは聞いていたが、そのときに電力会社や経産省からの「強い要望」があったのだろうか、出版社の自主的な政治的配慮もはたらいたのだろうか。興味はつきない。

 このひとはジョン・ル・カレが好きなんだろうなと思いながら読んでいたが、図書館で手に取ったジョン・ル・カレのスパイ小説の腰巻きに、高村薫の言葉があった。
 たしかに、ベルリンの壁がなくなってから、ジョン・ル・カレもフリーマントルも読んでいて緊張感を失った。にもかかわらず、今になってもこの小説が緊張感を持って読めるのは、北朝鮮がまだあいかわらず生きているからでもあり、それにもまして「核」が冷戦構造と同じくらいの断層、ベルリンの壁のような排他的な閉鎖社会をつくり暗黒を抱えこんでいるからなのだろう。

投稿者 玉井一匡 : 01:00 AM | コメント (1)

May 17, 2011

原発を推進した人たち

HiroshimanoGenbaku.jpg
 池田香代子さんのtwitterに、彼女の友人が二日前にブログを始めて「広島は福島に謝らねればならない」とエントリーしたことが書かれている。
どういうことなのだろうかと興味をおぼえて、それを開いててみた。
「残しておきたいこと」というタイトルのブログだ。一昨日に書き始めたから、今日は「広島は福島に謝らなければならない(3)」という三つ目のエントリーだった。
 広島生まれではないが長く広島に住み、原爆についてきかれたときには、相手が子供であるときにかぎらず『絵で読む 広島の原爆』という、すぐれた本をすすめることにしていると、この人は書いている。ところが、この本に添えられた年表の記述に「1955年1月 米下院議員、広島に原子力発電所建設提案」とあったのにおどろいて、ブログを書くことにしたというのだった。

 それというのも、戦後間もないこのときは原爆を落とされた広島を原子力の平和利用の出発の地にしようとしていたのであろうが、広島の市長からもむしろアメリカに働きかけたというのだ。
 現在の文脈で言えば、アメリカ人は原爆を落としたうえに原発まで押しつけようとしたのかと腹立たしく感じる。しかし、この広島市長の考え方は、当時にすれば大部分の日本人の考え方だったかもしれない。原子力の平和利用とされた原子炉というものがどれほどの大きな危険をはらんでいるのかなど、われわれはまったく想像していなかった。鉄腕アトムが10万馬力で空を飛んだり「悪い」ロボットと死闘を演じるときには、日本を原子炉の落下と爆発の危険に曝していたんじゃないかと、僕が気づいたのはスリーマイル島事件の起きたあとのことだ。「アトム」の生みの親・手塚治虫は、その後も原発の広告に積極的にかかわっていた。

 正力松太郎や仲曽根康弘などの政治家が先頭に立って原発を進めたのは、視界の半分に利権をとらえていたにしても、エネルギー確保という問題を解決しようという、当時はまっとうな動機も一部にはあったこともたしかだろう。出発点では同情に値するかもしれない。
しかし、今回の事故が生じた後になってもなお読売新聞はいち早く朝刊の一面に仲曽根康弘の意見を掲載した。そこで彼は、事故を克服して原発をすすめるべきだと主張している。

Koide*Ohashi.jpgプルサーマル原発の是非をめぐる討論(2005)の映像(3/3)

 東大大学院教授である 大橋弘忠氏(システム量子工学専攻)は、原発の危険の可能性について十分に想像できる現代にありながら、あえて原発を推進する論陣を張ってきたようだ。さいわい、2005年に開かれたプルサーマル原発の是非を問う公開討論で、小出裕章氏との論争がYouTubeで見られる。(左上の写真をクリックしてください)この映像は2012年6月2日現在 削除されている
 こういう映像を、きちんと公開できることでYouTubeは世界を変える有力な武器になるだろう。ここでぼくたちは双方の論議そのものの正否を判断できるばかりでなく、周囲の人間を見下したような大橋氏の態度が、科学者としていささか見苦しいものであることも映像によって感じ取ることができる。

 二酸化炭素が地球温暖化の原因であるとする理論が、原発を再び推進する論拠になってきたが、それは原因の一部分に過ぎないとする見方がある。二酸化炭素の影響を否定するわけではないが、長期的に見れば地球は小氷河期からの回復過程にあり温暖化はその要因が大きいとする考え方である。ぼくは、むしろその説の方に理があると思っているが、いまふたたび温暖化についての論議を深化して、YouTubeやUSTREAMで公開してほしい。

■敬称について
上記の記述で、人名に敬称をつけている人がありながら、場合によっては省いている。省いた人は、すでに歴史上の人物であるからであって、好き嫌いや善悪で区別しているわけではない。大橋氏は、実在の「プルト君」としてプルトニウムは飲んでも大丈夫だと上記の討論でも主張し、原子力推進に影響を持つ人であり敬称をつけている。しかし、大橋研究室のサイトには、なぜか研究テーマの中に原子力発電の推進が書かれていない。みずから原発については歴史上の人物たらんとしているのかもしれない。

■地図
玄海原子力発電所/Googleマップ

■討論
プルサーマル原発の是非を問う公開討論/YouTube(1/3)
プルサーマル原発の是非を問う公開討論/YouTube(2/3)
プルサーマル原発の是非を問う公開討論/YouTube(3/3)(上記のものと同じ)
■関連エントリー
「正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために」/MyPlace
「二酸化炭素温暖化説の崩壊」/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 10:00 PM | コメント (2)

May 01, 2011

「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録」

KuchiteittaInochi.jpg「朽ちていった命」-被曝治療83日間の記録 /NHK「東海村臨界事故」取材班/新潮文庫

 小出裕章氏は、先にエントリーした講演の中で2枚の写真を見せて、この本と事故について触れている。
 1999年9月30日、燃料をつくる作業の途中でウランが臨界状態に達して放射線を発し、作業をしていた人たちがそれを浴びた。この本で焦点をあてる大内久さん(35歳)は83日後に、もうひとりの篠原理人さん(40歳)は211日後に亡くなった。小出氏が見せたのは大内さんの腕の、事故当日と10日後の写真だ。当日は、ちょっと腫れているという程度だったものが、10日後には皮膚がすっかり剥がれている。原爆の被災者の皮膚がごっそり剥げ落ちるという記述は、何度か読んだことがある。それが、日常的な作業の過程で原爆とおなじことが起きたのだ。劇映画でさえ、ぼくは残酷なシーンでは目をつぶることが多いが、写真を見てこの本を読まなければならないと思った。
大内さんと治療に当たった医師団そして家族の、おそらくは敗北におわることを自覚した戦いを描いたドキュメンタリー番組をNHKが制作し、それを本にまとめたものだ。

 小出氏の話によって、原発が事故を起こせば想像をこえる広大な範囲に被害をもたらすこと、しかし、じつは原発をやめることは可能であることをぼくたちは知った。そしてこの本で、被曝したひとが想像を絶する苦しみを強いられた挙げ句に、たったひとつの命を奪われることを知る。

 福岡伸一の「生物と無生物のあいだ」は、生命とは何かという命題について納得できる説明をしてくれた。生物は、摂取したものを分子レベルまで解体して、それをあらたな細胞として構築してみずからを更新しつづけているのであると。

 放射線によって遺伝子をこわされれれば、細胞を再生産することができなくなる。とりわけ皮膚や粘膜、血液のような新陳代謝の活発な部分が機能しなくなるのだ。皮膚を「第三の脳」と呼んだ本も、かつて生命について新たな眼を開いてくれたが、大内さんは、放射線を受けなかった背中が健康な状態でありながら、照射された身体の正面は皮膚が再生産できなくなり、表皮のない状態のまま表面から体液が失われていき、体内への侵入者とたたかう細胞や血液をつくることができなくなった。細胞の再生産と外敵の排除という、生物の根幹をなす機能がうしなわれたのだ。
この事故の、大内さんの被曝量は20シーベルトとされた。

 何億年もの進化を経てつくられた、巧妙精緻のかぎりをつくした生命というシステム、それを含む自然というさらに大きなシステムを、ただ大量にお湯を沸かすというだけの単純きわまりない目的のためにつくられた原子炉という巨大な道具のために無残に踏みにじられるのだ。大規模な爆発が生じれば、何万の人間が大内さんの苦しみを味わう。あまりの不条理というものではないか。こんなものをつくり続け使い続けることは、どうみても間違っている。

■ 関連エントリー
小出裕章氏の講演とインタビュー/MyPlace
「生物と無生物のあいだ」/MyPlace
「第三の脳——皮膚から考える命、こころ、世界」/MyPlace

■ 関連ウェブサイト
高木学校:原子力の危険性について警鐘を鳴らし続けてきた高木仁三郞氏が科学教育のために設立した。そのホームページでは、放射線量は1ミリシーベルトをこえてはならないと訴えている。
よくわかる原子力/原子力教育を考える会・持続可能な社会をめざして・・・・
東海村JCO臨界事故/wikipedia
シーベルト/wikipedia:すっかりお馴染みになった単位だが、なにをどう表示するのかと考えるとよく知らないことに気づいてwikipediaをひらく。
生体の放射線被曝の大きさの単位だから線種によって重さをつけているのだ。通常の行為で受ける被曝量のリストがwikipediaに出ていて、単位はミリシーベルトで表記されている。
CTは7-20ミリシーベルトとなっている。だから現在の放射線量は大したことはないという文脈で語られるけれど、医療現場では「屋内待避」するほどの放射線を浴びせているという言い方もできる。
大内さんの受けた20シーベルトは20,000ミリシーベルトだから、とんでもない被曝をしたわけだ。

投稿者 玉井一匡 : 06:00 PM | コメント (0)

April 12, 2011

ここが家だ/ベン・シャーン画/アーサー・ビナード構成・文

KokoieS.jpgここが家だ/ベン・シャーン画/アーサー・ビナード構成・文

 MADCONNECTIONでこの絵本を知り、「このような時期に、公営の図書館がしかるべき役割を果たして欲しいと思いました。」(栗田さん)というコメントに共感してすぐに中野区立図書館を検索すると8冊の蔵書があるのにだれも借りだしていなかった。すぐに予約できたが、この時期に、この本を読もうとする人が一人もいないというのは残念なことでもある。

 絵を描いたベン・シャーンは、ぼくたちが学生の頃にはだれもが知っている画家だった。アメリカの月刊誌に掲載されたルポルタージュの挿絵として描かれた絵をもとに「ラッキー・ドラゴン」という連作として発表されたものを、日本在住の詩人アーサー・ビナードが日本語で文章を書いて絵本にした。図書館の分類では児童書のカテゴリーに含まれているが、こどもたちのためという形式をとった詩画集というべきだろう。

 船第五福竜丸でマグロ漁にでかけたが、ビキニ環礁のアメリカの水爆実験に遭遇して放射能を帯びた灰を浴び放射線障害で亡くなった乗組員と船の物語だから「ラッキードラゴン」とは「福龍」の英語訳であることはすぐにわかるけれど、「ここが家だ」というタイトルは、どういう意味だろうか。
巻末をひらくと、著者が引用しているベン・シャーンのことばがある。

「放射能病で死亡した無線長は、あなたや私と同じ、ひとりの人間だった。第五福竜丸のシリーズで、彼を描くというよりも、私たちみなを描こうとした。久保山さんが息を引き取り、彼の奥さんの悲しみを慰めている人は、夫を失った妻の悲しみそものもと向き合っている。亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ」

 久保山愛吉さんがマグロ漁船という特別な場所にいてこの災難に遭遇したという特別なできごとを描きながら、船という「家」にいた男たちの普遍的な生活が、水爆実験という特殊なできごとによって破壊された。久保山さんを、家でくつろいでいるあなた自身という特別な人に置き換えて考えようとのベン・シャーンの思いをこめて詩人はこの本に「ここが家だ」というタイトルをつけたのだ。

 そもそも核兵器はできるだけ多くの人間を殺すことを目的につくられるものだ。その点で、技術は確実に目的を実現した。だからこそ、オバマは核兵器の廃絶に動き出した。しかし、原子力発電は快適な生活や美しいもの人間の能力をたすけるものをつくることを目的にしている。しかし、それはいま人間の生命と生活をおびやかし、技術にはあきらかな限界があることがわかった。安いとされた原発は、じつはこうした社会的損失を考慮すれば莫大なコストがかかることも実感された。だとすれば、核兵器が、技術の達成したもののために段階的に廃棄されるように、原発は技術が達成できないものがあるのを知ったいま、同じように段階的にであれ原発をなくすべきではないか。

 もし、この事態を原発の修復や耐震強化のような対症療法で済ませ、根源的な危険に眼をつぶるなら、日本はハンディキャップを負って競争相手をあとから追いかけるにすぎなくなり、世界中に原発の数と事故の機会はますます増えてゆく。しかし、これを契機にまず福島原発を廃炉し、以後は原発をやめる方向に舵をきりかえ、電気の消費を減らすよう生産と消費の体制を転換することができれば、エネルギーシステムを変えることで、むしろ世界に多大な貢献ができるだろう。

■関連エントリー
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸/MADCONNECTION:3つの映像へのリンクも貼ってあります
■関連サイト
BEN SHAHN/ARTCYCHLOPEDIA:ベン・シャーンの作品が見られます(英語サイト)
アーサー・ビナードの著作
第五福竜丸展示館
関西電力「オール電化情報サイト」:東電はさすがにオール電化のサイトを休止したが、関西電力は4月11日現在いまもって公開している

投稿者 玉井一匡 : 05:47 AM | コメント (4)

March 14, 2011

死都日本

ShitoNippon.jpg死都日本/石黒耀著/講談社
 ひと月ほど前に読んだ本だが、書名があまりにも現在の状況とかさなって重く感じられるかもしれない。たしかに、内容を読むめばさらに現実と重なる。しかし、自宅待機で繰り返し同じような番組のテレビにを見てウンザリするよりは、むしろこの小説を読んで、これから起きるかもしれない事態に腹をくくる方がいいかもしれない。
 この本は、地震でなく霧島の火山群が大爆発して日本全体が存亡の危機に追い込まれるというクライシスノベルだ。これを読んだ当時、現実界では新燃岳の噴火が起きているときだったから具体的な想像がひろがって、読み出すと止まらない。途中でGoogleEarthを開いては地形や位置を確認する。そのころは自転車が壊れていて電車通勤していたから電車の中でもiPhoneを片手からはなせなかった。
 友人にすすめられてすぐに図書館から取り寄せたが、単行本では4cm近い厚さを一気に読み終えた。

 物語の社会的な背景は、長年の保守一党と官僚による支配を選挙によってくつがえし政権交代を実現させたばかりの「共和党政府」が、これまでの負の遺産を受けついで苦労しているところだ。というと現実のできごとに便乗して書かれた代物のようだが、出版は2002年。小泉内閣の時代、日韓ワールドカップの開かれていた年でもあるから、むしろ8年も前に現実を予見しているのだ。首相の姓は菅原といい、それも現実との符合を思わせるが、思想も力量も現実の首相は小説の人物に及ぶべくもない。

 10年近く前の出版だが、いままでぼくはこの本の存在をまったく知らなかったし、世間でも話題になったことはない。主人公は宮崎の大学で教える異色の火山学者。日本の神々による国造り神話は霧島の火山群を中に囲む巨大な加久藤(かくとう)火山の大噴火を象徴化したものだという持論をかねてから展開している。Googleマップの航空写真で見ると、この火山群を中に取り込む大きな火口が地形として残っていることがわかる。天孫降臨の地とされる高千穂峰は霧島山のすぐとなりにある。その霧島が、何万年に一度という規模の大噴火を起こし、日本列島の大部分に壊滅的な被害をもたらすのだ。
 地震ではその地域だけが被害を受けるが、大噴火は上空から降り注ぐ火山灰が遠くの地にも影響を及ぼし天候への影響は全地球に及ぶのだと、この本で知った。しかし、・・・・破壊された原子力発電所は、世界中の空間を汚し、何百年ものあいだ汚染を続けるのだから時間をも汚染する。

 もし、運よく日本が第二のチェルノブイリになることを避けられたら、そのときわれわれ日本は、これまでの国家と電力会社が手を組んで国中につくった原子力発電所をきっぱりとやめ、ほかのエネルギーと負担の軽減という方向転換を目指すべきだ。
そういう目標があれば、「計画停電」であろうが節電であろうが、苦労を希望に変えることができるし、命を奪われた人たちに報いることもできるだろう。

■参考マップ
加久藤火山/Googleマップ
チェルノブイリ/Googleマップ
スリーマイルズ島/Googleマップ 驚くべきことに、この島は内陸の川の中洲なのだ
福島第一原子力発電所/Googleマップ

投稿者 玉井一匡 : 11:11 AM | コメント (12)

December 05, 2010

卵をめぐる祖父の戦争

「卵をめぐる祖父の戦争」デイヴィッド・ベニオフ 著, 田口俊樹 (翻訳) /ハヤカワ・ポケット・ミステリ

CityOfThieves.jpgCityOfThievesE

 ひと月ほど前にaki's STOCKTAKINGのエントリーでこの小説を知って読みたくなったが、読みかけの本があったのでとりあえず図書館のウェブサイトに予約した。忘れたころに知らせが来た。
この本を読み始めたとAKiさんへのメールに書いたら、さっそく電話が来た。
「・・うふふ、どこまで読んだ?」・・・AKiさんが大好きな物語だから話したくてウズウズしているのだが、読んでいないヤツにあまり話せない隔靴掻痒が手に取るようにわかる。
 はじめの状況設定だけで当時のレニングラードの様子と戦争そのものへの批判的な姿勢をのみこませてしまう着想が見事だ。原題の CITY OF THIEVES(盗人たちの都市)よりも「卵をめぐる祖父の戦争」という日本語のタイトルの方がずっと魅力的に感じた。・・・物語に入り込みはじめたばかりだったぼくは、そんなことを話した。

 この戦いは、極寒のスターリングラード(サンクトペテルブルク)をナチスドイツ軍が包囲して補給を断ち、市民とソ連軍を窮乏に追い込もうとしていたということぐらいしか、ぼくは知らなかった。AKiさんの頭の中では、大好きな戦車T-34キューベル・ワーゲンなどが走り回っているのだろう。ぼくは、12個の卵が並ぶ表紙のデザインが気に入っていた。ほら、原作とならべて較べれば、こっちの方がいいでしょ?・・・その後も、二日続けてAKiさんの電話があった。

 早川書房のポケット・ミステリー・ブックは裏表紙にあらすじが書かれているけれど、ぼくは読む前にストーリーを知りたくないので本文を読み終わってから目を通すことにしている。自分でネタをバラしたくないが、多少の説明をしないとAKiさんとの会話ほども話すことができないから、そのあらすじをそのまま引用してしまおう。

・・・「ナイフの使い手だった私の祖父は十八才になるまえにドイツ人をふたり殺している」作家のデイヴィッドは、祖父のレフが戦時下に体験した冒険を取材していた。ときは一九四二年、十七歳の祖父はドイツ包囲下のレニングラードに暮らしていた。軍の大佐の娘の結婚式のために卵の調達を命令された彼は、饒舌な青年兵コーリャを相棒に探索に従事することに。だが、この飢餓の最中、一体どこに卵なんて?ーーー戦争の愚かさと、逆境に抗ってたくましく生きる若者たちの友情と冒険を描く歴史エンタテインメントの傑作。・・・

City25thHour.jpg 目をそむけずにいられない残酷なエピソードがところどころにあるのに、読後には爽快感が残った。残酷は、この時の物資の窮乏のほどとナチスのふるまいを伝える。それを主人公と読者が乗り越えられるのは、相棒のコーリャが徹底した自信家で楽観主義、絶えることのない下ネタ混じりだが饒舌なインテリであることも効果的だが、それにまして物語の構成が複雑で巧みなのだ。凝っているけれどわかりやすい。

 物語の書き手はデイヴィッドという小説家、この本の著者と同じ名だ。プロローグは、フロリダに移り住んで隠居生活を送る祖父を訪ねてレニングラード包囲戦の話を聞くところから始まる。「現代ー悠々自適の老人ーフロリダ」という時間・人間・空間の組み合わせが、「1942年ー少年ーレニングラード」という組み合わせと重なりかみあってつくられる世界がおもしろいんだ。ナチスドイツとスターリンソ連の作り出す凄惨で凍てつく寒さの世界の物語も、フロリダという未来が約束されていることをぼくたちは知っているから楽しむことができる。
 プロローグでは地の文の語り手デイヴィッドは「私」と書かれているが、物語の本文に入ると祖父のレフが語り手になって「わし」になる。彼は物語の中では17歳のレフだが、現代にいて1942年のできごとについて話している語り手としては、すでに老人なのだ。「わし」を目にするたびに、これは昔の話だということをぼくは再確認して、すこし安堵する。英語はどっちにしろ「I」なんだから、「わし」を選んだのは、もちろん翻訳者のしわざだろう。

 読後感が爽快なのは、これが戦争そのものについての物語であるよりはレニングラード包囲戦を背景にした青春の冒険物語だからだろう。青春は、己が何ものであるか、つまり世界とは何であるかを知ってゆくことだ。大佐の娘の結婚式のための12個の卵を手に入れるという、平時ならさしたる価値のないもののために命がけの行動に踏み出さざるをえない理不尽にあって、レフはすこしずつしたたかに変わってゆく。ぼくたちは、その体験をレフと共有することがうれしい。

 この著者のデビュー作だという「25時」(原題:The 25th Hour)は、スパイク・リーが監督した映画ギンレイホールで観た。これも、翌日の25時までの一夜という圧縮された状況を描いて、緊迫感に満ちていた。本はまだ読んでいないが、日本語訳は新潮文庫の「25時」がある。
この小説も、きっといつか映画になるだろう。

 この本は、自分のものとしてそばに置いておきたいと思った。紙を重ねた小さな直方体の中にある世界を、ぼくのものにしておきたいからだ。このごろ、amazonはもっぱらインデックスとして利用して、多少とも本屋の役に立つように店に行って買うことにしている。

■追記
amazonのCITY OF THIEVES のレビューを見たら、表紙の絵でふたりが雪の中を歩いている先にニワトリがいると書いてあった。絵を拡大してみるとなるほどその通りだった。もしやと思ってニワトリの足跡の数を数えると・・・12だ。卵の数と同じではないか。日本版のデザインの方が、ずっと上だと思ったが、あちらも頑張っているのだ。

投稿者 玉井一匡 : 03:14 PM | コメント (2)

November 21, 2010

「警視の覚悟」とナローボート

「警視の覚悟」/デボラ・クロンビー 著/西田 佳子 訳/講談社文庫

KeisiKakugo.jpgKeisiKakugoBoat.jpg アメリカ人の著者がスコットランドヤードの警察官を主人公に書いている推理小説のシリーズで、それぞれに魅力的なレギュラーメンバーをはじめとする登場人物たちが生きていて、といってもかならず誰かが殺されるんだが、ストーリーも面白くて読み続けているうちに、いつのまにかこれが11作目になった。このシリーズも作者が女性なのだ。その方が登場する女たちや世界の描写にしっかりしたリアリティを作り出すことができるからなのだろうか。
 主人公の警視たちは、彼の両親の住むイングランドのナントウィッチという町へクリスマス休暇を過ごしにゆく。文庫本の表紙カバーの写真でわかるように、まちを通る水路とナローボートが重要な役を演じているのだ。本とGoogleマップやストリートビューのあいだを行き来して、ナローボートに乗せてもらったり水路にボートが浮かぶ景色を上からみたりしているようで、それが犯人さがしにもまして楽しい。原題は「WATER LIKE A STONE」といって、「警視の覚悟」よりは気の利いたものなのだが、このシリーズはすべてが「警視の・・・」で統一しているので、つらいところなんだろう。

 舞台になっているナントウィッチは、ロンドンの北西方向、リヴァプールの少し手前という位置にある、小さく美しいまちなのだという。

KeisiKakugoCabinPlanS.jpgClick to PopuP

 物語の中に「NARROW BOAT」という本が登場する。警視の父が、このまちで古本屋をいとなんでいるということもあって、事件とナローボートに加えて「本」がもうひとつの背景をつくっているのだ。amazonで「NARROW BOAT」をさがして開いてみると中味検索があった。そこにナローボートの平面図のあるページがあって、ボートの幅はおおよそ2.1mだそうだからそれを基準に縮尺をあわせてCADソフト(VectorWorks)に読み込んでみると、長さは20mほどだ。ボートが水路の幅に合わせてあるにしろ、その逆であるにしろ、おそらくボートの幅はどれも共通しているはずだ。
 平面図を見ればボートの中の生活がおおよそ想像できる。石炭のストーブを置いてあるリビングルームをはさんで寝室とバスルームのあるゾーンと、キッチン+ゲスト用のベッドルームに変えられるダイニングルームなどのゾーンが並んでいる。水路にはT字路もあるから、長いボートは直角に曲がるのにひどく苦労するから、長さと快適さが比例するというわけではなさそうだ。

 かつてボートで荷物を下流に運んだあと、馬や人間が水路の脇の道をロープで曳いて水路を溯った。そのための細い道が今も残っていて「トウパス」と呼ぶことを、この本で知った。「toe path」かと思ってwikipediaを探したがそれらしいのが見つからない。これではないかと「towpath」が書かれていた。つまさき(toe)で立って歩くほど細い道ということなのかと思ったが大間違いで、「tow」というのは牽引することなのだ。そりゃあそうだね、「爪先立つ」は日本語のいいまわしだ。
 トウパスも狭いみちなのだろうが、水路そのものもボートの左右にわずかな隙間しか残らないほど狭い。そんな水路でボートをあやつるにはなかなかの技術がいるようだが、その技を磨くことを楽しむためにボートを持っている連中と、定住できないので子供を学校にも行かせられない水上生活者が、この水路という場所で生活を共にすることになるのだ。
 ナローボートでは遭難や転覆する心配はないだろうが、海を滑るヨットと比べれば行動の範囲はこの狭い水路に限られる。むしろさまざまな不自由を楽しむものなのだろう。大きなヨットは金持ちの道楽にすぎないが、小さなキャビンの中で広い海に出るのも細い船・狭い水路で広い牧草地をゆくのも二畳台目の茶室で茶を点てるのも、屈折した楽しみがあって、どこか通じるところがある。ミニがイギリスで生まれたのも、そういうことなんだろう。

 ナントウィッチのまちの西端をかすめる水路をたGoogleマップでどってゆくと、水路の一部が広がってナローボートの集まっているところがある。駐車場の風景はすこしも魅力的ではないけれど、どうして船が並んでいると楽しいんだろう。ナントウィッチ・カナルセンターという、ナローボートのマリーナなのだ。こういうところにボートを停めて、給油やボートの底の清掃塗り替えなどをやってもらうのだ。Googleマップを見始めると、小説の世界からやってきたことを忘れた。たくさんのレイアでさまざまに楽しめるようになった。

 ナローボートについていろいろなサイトを見てみると、当然ながら今ではナローボートと水路は生活の場というよりは楽しみの場になっていることがわかる。古いもの古いまちを生かすには、「観光」という方法がまずは頼りになるのは、日本もイギリスも同じなのだろう。しかしここでは、われら日本の観光地のように、せっかくの場所のよさを消費して使い捨てにすることにはならないのはなぜなのだろうか。

■関連エントリー
オックスフォード便り(5)/kai-wai散策
平底船:ナローボート/MyPlace
■関連Googleマップ、ストリートビュー
ナントウィッチ・カナルセンター/Googleマップ
ナントウィッチ・チェスターロード水道橋/Googleマップ
チェスターロード水道橋を下から見る/ストリートビュー
ポントカサルテ/Googleマップ
 ■関連サイト
「英国運河をナローボートで旅するには?」:以前にコメントをくださった「ナローボーター」さんのナローボートによる旅行ガイド

投稿者 玉井一匡 : 11:34 PM | コメント (0)

November 13, 2010

正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために

TadasikusiruOndanka.jpg正しく知る地球温暖化/赤祖父俊一/誠文堂新光社

 この夏、ぼくたちはこれまで経験のないようなひどい暑さを経験した。にもかかわらず、今年の新聞やテレビがそれをCO2のせいだとした報道を、ぼくは読んだことも聞いたこともなかった。この本を読んだあとだったから、CO2温暖化説は間違いかもしれないという考え方をマスコミが受け容れたのではないかと思った。

 著者は、地球の温暖化は人間の活動によるCO2の排出よりも地球の自然現象が原因である可能性が高いと言う。それを裏づける多くの側面からの論証がデータと共に示してあって説得力がある。
 人間の生産と消費が急増してCO2の排出量が増えるようになる時期は1940年頃だが、それよりずっと前から、もともと地球は温暖化の基調にあって人間のCO2排出が増えてから温度の上昇率は変化したわけではない。したがって、人間の排出するCO2のために気温が上昇したわけではないと指摘する。地球は長期的には小氷河期からの回復期つまり温暖化の過程にあるのだと。

 以前にエントリーした「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」で広瀬隆氏が繰り広げた地球温暖化のCO2素原因説に対する批判の論拠は、広瀬氏自身が書いているように本書の著者・赤祖父氏に多くを負っている。広瀬氏がアジテーターであるとすれば赤祖父氏は理論的支柱なのだ。広瀬氏が語ると、その口調が熱いあまりにセンセーショナルに感じられてしまうけれど、この本で著者の展開する説明は、すこぶる冷静かつ具体的なので、IPCCはノーベル賞を返上せよという広瀬氏の主張ももっともだと考えさせる。

 本書は、CO2が地球の温暖化に影響を及ぼすことそのものを否定しているわけではないし、CO2の排出を減らす必要はないと言っているわけでもない。しかし、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は次のような間違いをおかしているのだと指摘している。
・すでに共通の認識となっている小氷河期の存在を考慮に入れていない。そのために、地球がそこからの回復過程の大きな周期の温暖化傾向にあることを見ずに、短期的な変動をもって人間由来のCO2排出によるものと見誤っている。
・IPCCは、世界中の研究者たちにスーパーコンピューターをつかってシミュレーションをおこなわせ気温の上昇を算出したが、考慮すべき条件で無視しているものがあり、その上でどのようなシミュレーションをしたところで正しい結論は得られない。
・本来、科学とは、仮説を提示したあとでさまざまな検証を経てそれが認められ、そのうえで必要であれば政治的な対応が図られるものである。にもかかわらず、CO2による温暖化については、まだ十分な検証がなされないまま、政治の道具にされている。

その結果、次のような問題が生じている。
・CO2排出制限の方法をめぐり先進国と新興国・途上国の対立が顕著になった。
・飢餓、汚染、乱獲、森林伐採、など、直接に多くの人命や環境に関わり緊急に取り組むべき問題があるにもかかわらず、それらへの対処が後回しになっている。
・CO2排出に焦点があたるようになった結果、電気をクリーンエネルギーとして、原子力発電を容認しようとしている。

 温暖化を象徴する現象としてぼくたちが何度も何度も見た映像には、温暖化とは無関係な、できごとが使われていることも指摘する。たとえば氷河がドドウと崩壊するショッキングな映像に、ぼくたちは大変なことが起きていると驚愕する。しかし、そもそも氷河というものは山の上から下に移動してくるものだから、その先端では氷が割れて崩れ落ち、最後には海に流れるものなのだ。
 原子力は、電気を消費するときにも発電時にもCO2を出さないかもしれない。しかし、原発が作り出すエネルギーのうち電気になるのは30%にすぎず残りは熱として捨てられる。言い換えれば直接に海や大気を暖めているのだ。さらに核物質には、事故が起きれば広大な範囲の莫大な生物に対して被害を及ぼし、長期的に影響がつづき、廃棄物の処理や原子炉の解体にともなう危険の問題も解決していない。すぐに原子力発電をやめるのは無理であるとしても、少なくとも将来はやめることをめざすべきだと、多くの国で考えられていたはずだ。

 赤祖父俊一氏は、オーロラなど極地気象の世界的権威で、アラスカ大学地球物理学研究所教授を経てアラスカ大学国際北極圏研究センターの所長をつとめ、極地の気候についての研究を総合的に見るという立場にあった人である。つまり、温暖化の影響が直接的に表れる場所の気象を総合的に研究してきた人だ。他者の研究に対しても自身の眼で評価することができる人だと考えるのが自然だろう。
 かつて、同じように間違った状況認識にもとづいて主要な国が行動したことがあった。大量破壊兵器が作られているとするアメリカが主張し、それにわれわれの政府も同調してイラクを攻撃した。その結果が、いまも双方に作り出されている多数の死と憎しみではないか。

■関連エントリー
「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」/MyPlace
「不都合な真実」と「恐怖の存在」/MyPlace
■参照ウェブサイト
赤祖父俊一/wikipedia
■以下の参考ウェブサイトは、「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」/MyPlaceにも挙げてあります。
IPCC公式ウェブサイト
*地球環境・気象/気象庁公式ウェブサイト
地球温暖化/wikipedia
気候変動に関する政府間パネル 略称:IPCC/日本語wikipedia
Intergovernmental Panel on Climate Change/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 04:38 AM | コメント (2)

October 03, 2010

サマータイム・ブルース:村木厚子さんが読んだ

SummerTimeBluesS.jpgサマータイム・ブルース≈/サラ・パレツキー 著/ 山本やよい 訳/ 早川書房 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
(これも表紙が気に入らないのでA3の裏紙にタイトルをプリントしてカバーにした)

 村木厚子さんが拘束されているときに読んで勇気づけられた二冊のひとつだというので、ヴィク・ウォーショースキー シリーズの第一作「サマータイム・ブルース」を読み返した。
文庫本の奥付には1983年発行、1992年17刷と書かれているから、20年近く前に読んだ本だ。とはいえ、まったくストーリーを憶えていない。つまらなかったからではなく、推理小説にありがちのことで先を急いだせいだ。今回も読みはじめたら夢中になってしまい、村木さんの記事に引用されていた一節を探そうという当初の動機を忘れてしまった。1ページほど先まで読み進んだあと、そういえばさっきのところと気づいた。

 ぼくが想像していたのとは違う種類の人に、思い描いていたのとは違う状況で話していたことも見落とした理由だが、もうひとつわけがある。週刊朝日の記事で引用された文章では一部分がはずされていたのだ。ストーリーの骨格が分かってしまう出来事が書かれている、わずか21文字。

 ぼくは、村木さんが週刊朝日の記者にコピーした1ページを渡しながら念を押す様子を思い浮かべた。彼女は線で消したその半行を指さして、きっとこう言っただろう。
「ここは、かならず抜いてくださいね。これを読んだら読者がストーリーを分かっちゃって台無しになりますから。おねがいします」
週刊誌が校正刷りを持ってくることはないだろうから、彼女はインタビューのときにそれを渡しながら「文章の改竄を頼んでいるのね」なんていう冗談を記者に言ったのかもしれない、などと彼女の人柄を作り上げて、ぼくは勝手に好もしく思った。

 ことばで何かを伝えるときには、だれに伝えるのかによって受け取り方が違うから、その言い方書き方を変えるものだ。逆に、ことばや資料からそれがものがたる真実を探そうとするときには、それらをもとにして仮説を立て、その上で仮説に対してみずから疑いをもって検証を重ね、正しい結論にたどり着かなければならない。そうあることをおのれに課さなければならないのは、それがみずから事件に踏み込んで犯人を探すハードボイルドの探偵であれ、自然の真実を探求する科学者であれ、クライアント、町並み、あるいは社会にとって何が必要なのかを模索する建築家であれ同じことだろう。

 にもかかわらず、検察がみずから立てた仮説について検証を省いたり、あまつさえ仮説を強化する証拠を捏造したりするのは、よくいって頑なな正義感、有り体に言えば出世欲、権力の誇示、組織への忠誠、あるいは上位の権力への追従のなせるものだ。
 組織というものは、政府・マスコミ・企業から暴力団にいたるまで、みんなこういうところがあるんだということを分かったうえで、検察や警察の行動を観察し、新聞やテレビを見抜くことが我々の正しい態度であるんだと明らかにしてくれた。それが、この事件の収穫ではないか。しかも、そういうことを伝えるべきマスメディアは、同じような欺瞞にもっと深くつかっているのだ。

 前々回のエントリーに引用しておいたが、週刊朝日に書かれていたのは、主人公のヴィク・ウォーショースキーが語る、次のことばである・・・・・「あなたが何をしたって、あるいはあなたに何の罪もなくたって、生きていれば、多くのことが降りかかってくるわ。だけど、それらの出来事をどういうかたちで人生の一部に加えるかはあなたが決めること」というのだった。

■関連エントリー
「ミッドナイト・ララバイ」:サラ・パレツキーと村木厚子氏/MyPlace
「ザ・コーポレーション」試写会

投稿者 玉井一匡 : 11:20 PM | コメント (0)

September 27, 2010

「ミッドナイト・ララバイ」:サラ・パレツキーと村木厚子氏

MidnightLalaby.jpgミッドナイト・ララバイ/サラ・パレツキー著・山本やよい訳/早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 女私立探偵のハードボイルド小説作家としてスー・グラフトンについては以前に「ロマンスのR」をエントリーしたが、彼女とならぶサラ・パレツキーの新刊を読み終わった。
 いつもどおり密度が高い構成で、時代のかかえる問題を衝くテーマに正面からぶつかり、けっして期待を裏切ることがないので、広告で知ってからずっと待っていた。この写真は、書店の包装紙で表紙を覆われたままにした。安っぽい漫画のようなデザインで内容まで安っぽく見えるのが耐えがたいからだ。「ミッドナイト・ララバイ」なんていう甘ったるい日本語タイトルの原題は「HARD BALL」だ。とはいえ、いつもは単行本を出してしばらくして文庫になるのに、今回、早川はいきなり文庫を出してくれた。

 主人公の探偵ヴィク・ウォーショースキーは、かつて刑事弁護士だったが仕事に嫌気がさして探偵に転じた。シカゴのサウスサイドに生まれ育ったが、そこは貧困や黒人たちのすみついた工場地帯だったから、社会をさまざまに分かつカテゴリーの境界を間にして生じる矛盾をヴィクはするどく感じ取り、それに対して強くときに過剰に反発する。たとえば白人と黒人、金持ちと貧乏人、権力を持つ者と持たざる者、さらに男性と女性。
 その境界のウチとソトのつくりだす不平等をなくすために作れたはずの法そのものも、それによって護られる者と護られない者・支配する者と支配されるものをつくりだすということについて、ヴィクは我慢がならない。だから境界の存在をいつも嘆きつつも、かえって気持ちを奮い立たせて行動の原動力に変えて、有利な立場を利用するやつらに果敢にあるいは無謀に戦いを挑まずにいられない。

 警察官・検事という人々と被疑者の間には、とりわけ堅固な境界があって、極端なワンサイドゲームをおこなわれることが法によって容認されている。そこでは、一方が相手を監禁して情報を遮断し、強者は望むとおりの言葉と態度をひきだすことができる。それは、国民を護るためにつくられ容認された徹底的に不平等な法なのだ。それを、おのれという一個人のために、あるいは、ある集団のために利用しようとすればどんなことでも可能になってしまうのはあたりまえのことだ。
 そういうことをするやつらに我慢のならないヴィクは、真実や公正よりも利益を第一に考えるマスコミ、警察や検察とも対立を繰り返すから、自身がいつもあぶない立場に立たされる。にもかかわらずそういう生き方を保ち続けられるのは、身のまわりや遠くにさまざまな友人たちがいるお蔭なのだ。ヴィク自身がそうであるのはいうまでもないが、彼女たち彼らは、みなそれぞれにとても魅力的な人たち。シリーズものの推理小説は、登場人物が魅力的でなければつづけられないのだ。

 いま、こうしてヴィク・ウォーショースキーをみると、村木厚子さんのことを思わずにいられない。検察官いや検察そのもの、もしかするとその上位にあったものたちの意図によってなされた証拠捏造で、突然、犯罪者に仕立てられた彼女の無念と絶望、やり場のない怒りが思い浮かぶからだ。彼女の勤務した厚生労働省とは、皮肉なことに不公正の被害者を応援するための部署だ。
 村木氏が、獄中で読んで勇気づけられた本の二冊のひとつに、ウォーショースキー・シリーズの第一作「サマータイム・ブルース」の一節をあげている。無罪判決直後の週刊朝日(9月24日号)のインタビューだ。「ミッドナイト・ララバイ」が本屋に並んだのはさらにそのあとだが、もしかすると彼女は店頭に並ぶ前にこの新作を読んでいたかも知れない。これまでのシリーズの中でもヴィクの本領がもっともつよく発揮されているし、村木氏のおかれた状況と重なるところが多い。

 いま、サラ・パレツキーは国際ペンクラブの大会に出席するために日本に来ている。それに合わせてこの本が出版されたそうだ。だとすれば、パレツキーと村木氏の対談を実現して本にほしいものだ。それを考えつかない編集者がいるとは思えないから、近い将来にそれを読むことができるかもしれない。

 ぼくが週刊朝日を読みはじめたのは、秋山さんからの電話によるすすめのためだった。大新聞やテレビ局による反小沢キャンペーンに対して、ブログやtwitterなどの新しいメディア、週刊誌などの非記者クラブメディアを通じて上杉隆岩上安身らが展開する主張、つまり、小沢バッシングは、既得権益を守るために官僚+大マスコミの連合体によってなされているのだという指摘を読むべきだと秋山さんは力説した。ぼくは、テレビや新聞の報道をそのまま信じようとは思っていないが、twitterは何ヶ月も開いていないし週刊誌は生まれてから10冊とは買ったことがなかった。菅直人が消費税10%を言い出したのは官僚と結託したからだとtwitterに書かれていると聞いたのも秋山さんからだった。

 週刊朝日に引用されていた「サマータイム・ブルース」の文章はつぎのような件りである。
「あなたが何をしたって、あるいはあなたに何の罪もなくたって、生きていれば、多くのことが降りかかってくるわ。だけど、それらの出来事をどういうかたちで人生の一部に加えるかはあなたが決めること」

投稿者 玉井一匡 : 11:47 AM | コメント (4)

September 12, 2010

LADY BY MAPPLETHORPE:メイプルソープとリサ・ライオン

Mapplethorpe1S.jpgClick to PopuP  LADY BY MAPPLETHORPE/JICC出版局/1992年

「もしよかったら、かえりがけにメイプルソープの写真集をお届けしようかと思うんですが」
Niijimaさんが電話をくださった。
kai-wai散策のコメントで「1ページなしでもよろしければ、今度お持ちしましょう。masaさんと玉井さんで、是非(妖しい)本を回し読みください。」と書いてくださった約束を果たすためにわざわざ届けてくださるというのだ。おそくまでいますから、お持ちしていますと答えたのはいうまでもない。

 ひと月ほど前のこと、kai-wai散策で「二丁目の古書店」というエントリーがあった。写真は新宿二丁目の表通りにある古本屋だ。そこにNiijimaさんのこんなコメントがはじめに書かれた。
「以前、こちらでロバート・メイプルソープが女性ボディビルダーを撮った写真集を買ったことがございます。お店の新宿通りに面している側の右端のショウウインドウ(?)に『訳ありのため激安』と書かれた札とともに飾って(? 置いて)あったのでした。『訳』は1ページ引き千切られていた箇所があったのでした。」

 masaさんと女性ボディビルダーとメイプルソープそれにNiijimaさんが新宿二丁目にある古本屋で一堂に会したのがおもしろいし、なくなっていたというのはどんなページなのか気になって図書館のサイトで検索してみたがこの本はないようだと、ぼくはコメントに書いた。
「1ページなしでもよろしければ、今度お持ちしましょう。」とNiijimaさんがコメントに書いてくださったのだった。

Mapplethorpe2S.jpgClick to PopuP
 問題のページのコピーをとったものが、1ページ目にはさんであった。Niijimaさんが図書館から同じ本を借りて光沢紙にプリントしてくださったのだ。リサ・ライオンのヌードなんだろうと思っていたが、着衣のリサ・ライオンとミック・ジャガーのような風体のメイプルソープが並んでいる。これを持って行った人物は、メイプルソープの撮った写真よりメイプルソープを撮った写真の方に興味があったのだろう。メイプルソープの写真の下には「パティ・スミスに ロバート・メイプルソープ」とある。
 奥付によれば、写真と文章の著作権が1983年とあるから原書 Lady Lisa Lyonから30年、一回目の日本語版は1984年、この二回目の日本語版「LADY BY MAPPLETHORPE」の1992年2月初版から、いまでは20年経った。この間にゲイに対する世の中の意識はずいぶん変わった。日本の選挙にレズを公言して立候補する人がいても取り立てて騒がれることもない。30年前はボディビルの世界チャンピオンだと思ったリサのような肉体も、いまではときどき日本のまちで見かけるようになった。マドンナなど皮下脂肪をしぼっているのだろう、むしろリサよりも筋肉が際だつ。男のボディビルダーより、ぼくは筋肉質の女のひと方に好感を感じるが、それは、男が「男らしさ」をさらに強化しようとしているのに対して女は「女らしさ」に反逆しているからなのだろう。

 この写真集のリサ・ライオンとメイプルソープは、彼女が女であることを消そうとしない。みずからの中に、生物的に女であることとジェンダーとしての女への反逆の両者を重ねているようだ。反逆する筋肉を、女の皮膚で包み込んでいるのだ。さらにそれをLadyの衣服で包んだり暴力的な衣装で梱包したりする。なにごとであれ、対比的な属性あるいは補完的なものごとを共存させながら美しさをつくりだすことは容易なことではないが、重層が世界を豊かなものにする。ゲイの男たちが繊細だとか、心づかいが行きとどいているとか言われるのも、そこに理由があるのかもしれない。

 Niijimaさんは、この本の印刷はあまりよくないが編集がいいとkai-wai散策のコメントに書いていらっしゃる。たしかに、この本は写真そのものより編集あるいは構成で勝負することで、お金をかけなくてもおもしろい本になったので入手しやすくなっている。メイプルソープの写真のシャープなモノクロームは、彼自身の ROBERT MAPPLETHORPE FOUNDATIONのサイトのポートフォリオで見られる。
ところで、カタカナで「メープルソープ」「リサ・ライオン」と書かれているのを見て、かつて僕は「MAPLE SOAP」かと思っていたし、つい先日まで「LISA LION」だと思っていました。

■関連エントリー:二丁目の古書店/kai-wai散策

投稿者 玉井一匡 : 01:25 PM | コメント (4)

August 14, 2010

それでも、日本人は『戦争」を選んだ

SoredemoSenso.jpg『それでも、日本人は『戦争」を選んだ』/加藤陽子/朝日出版社
  昨年末に本屋で見つけたが、そのときにはやり過ごしたのだがひと月ほど前に新潟のジュンク堂で見つけてレジにもってゆくと、時節柄だろうかすぐわきにたくさん平積みしてあった。
朝日出版社は、かつてレクチャーシリーズというシリーズをつくっていた。あるテーマについて、ひとりの専門家にひとりの聴き手を組み合わせて話を立体的に展開するというものだ。前後関係については定かでないが、この頃、朝日出版社は伊丹十三責任編集の雑誌「モノンクル」を出していた。あまりに手を掛けすぎたからかもしれないが短期間で休刊になってしまったモノンクルと「レクチャーシリーズ」は、形式と分野と顔ぶれが重なっていたから、レクチャーシリーズにも伊丹十三が関わっていたのかもしれない。
 朝日出版社のつくった「海馬」などのペーパーバックスはあきらかにこの流れを継承している。すぐれた話し手と、それと同等のすぐれた聴き手のふたりによるセッションという話の進め方の形式、もうひとつは、人間の根幹をなす思想や先端の研究をテーマとしてとりあげている。

 しかし、この本では話し手と聴き手はけっして同格ではない。前者が日本の歴史の気鋭の研究者であるのに対し後者は高校と中学生徒たちなのだ。ちょうど「海馬」の池原祐二が「進化しすぎた脳」で中高生にレクチャーをしたのと同じ形式だ。話し手は東大の教授だが、自身が歴史に名を連ねて学会の要職に安住するような人ではなくイキがいい。問題を投げかけられる生徒たちは、栄光学園の歴史研究会の部員だるから鋭い反応を返す。

 リンカーンのゲティスバーグ演説をとりあげて、 彼が何を意図してこの演説をしたのかを生徒たちに問いかけることから歴史とは何かについて切り込んでゆく。「government of the people, by the people, for the people 」というくだりが日本国憲法の前文にある「権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とほんど同じであることを示す。このレクチャーの生徒たちはすでに知っていたようでさほど感心しないが、ぼくにとっては初めて知った事実だったから戦後の日本とアメリカについて新しい視点を手に入れた気がする。

 加藤氏は、歴史は、数字や名前を暗記するものではなく、かつてある状況で人間がどのような行動をしたのかを読み取って、行動の拠り所にする科学だという。日清→日露→第一次大戦→満州事変→日中戦争→太平洋戦争と続けざまに戦争をしてきた近代日本の、政府・政党・軍・大衆が戦争をどう見ていたか戦争にどう関わったかを、生徒たちにときに問いかけときにみずから空間と時間を自在に駆けめぐり新しい資料を提示して解きほぐしてみせる。さながら時間のGoogleEarthを手に入れたようにして、歴史の「構造」を見つけ出す。
 
 ぼくたちは、ある行動や言葉が、いつ、誰によって、どんな状況でなされたかによってまったく別の意味をもつことを知っている。いまのできごとについては、それを忘れないようにしているつもりだが、時間が経つにつれてミイラのようになった解釈をそのまま受け取ってしまいがちになる。しかし、つぎつぎと新しい資料がみつかれば、背後にある構造がよく見えてくるものだということを、加藤氏は教えてくれた。
 日本の近代を「戦争」というツールを駆使して生きたものにしてして見せるという逆説が、何よりおもしろかった。松岡洋右についての再解釈も印象深い。

■関連サイト
リンカーンのゲティスバーグ演説/wikipedia日本語版
>リンカーンのゲティスバーグ演説/wikipedia英語版
日本国憲法

投稿者 玉井一匡 : 08:30 AM | コメント (0)

July 27, 2010

二酸化炭素温暖化説の崩壊

Co2Earth.jpg『二酸化炭素温暖化説の崩壊』/広瀬隆/集英社新書

 地球温暖化が二酸化炭素によって引き起こされているということは、いまやほとんど疑う余地のない人類共通の認識のようなものになっている。だからといって、二酸化炭素の排出が少ない原子力発電は環境にやさしいクリーンエネルギーなんだと電力会社にいわれると、どこかおかしいんじゃないかと思わずにいられない。
 かつてマイクル・クライトンが小説「恐怖の存在」で二酸化炭素による地球温暖化説を批判し、NHKの長時間インタビューでこの本のことを語っているのを見た。二酸化炭素を減らすことに集中するあまり本来するべき対策を怠ることになるのは危険だと主張していた。以前にこのブログでも、そのことを「不都合な真実」と「恐怖の存在」というタイトルでエントリーしたことがある。
 ぼくはどちらの説も一方だけを信じる気にはなれないが、その後マイクル・クライトンが世を去り、鳩山由紀夫やオバマまでいずれも原子力発電の推進を温暖化対策の重要な柱にすると言い出すようになると、さすがに心配になった。余談だが、前後関係を調べているうちに、マイクル・クライトンが死んだ2008年11月4日はオバマの大統領選挙勝利が決まった日だということを知った。

 著者の広瀬隆は、30年ほど前に「東京に原発を」という本を書いた。いうまでもなくこのタイトルは逆説で、主旨は反原発である。安全だというなら、原子力発電所を新宿の新都心にでもつくれば廃熱を地域冷暖房に活用できる。でもそれをやれずに日本海がわに原発をつくるという非効率をあえてしなければならないのは、原発が危険であることを知っているからだという主張だ。この本でぼくは、原発というものは核反応による熱で水を温めて蒸気をつくり、それでタービンを回すというだけの装置にすぎず、核エネルギーのうち2/3は利用しないまま熱として海に捨てられ、電気になるのはわずか1/3であることを知った。

 本書では、二酸化炭素地球温暖化説の根拠とされている数々の現象を取り上げて、その仮設が間違であると指摘し、むしろ太陽の活動やエルニーニョ現象、冷房によるヒートアイランドなどが原因であると主張する。異常な高温と裏腹に起きている異常な低温についてはメディアもあまり報道しないという。具体的なグラフなどを提示しての論理には説得力があり、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)はCO2による地球温暖化の研究でアル・ゴアとともに2007年のノーベル平和賞を受賞したが、データの使い方を意図的に曲げているところもあり、ノーベル賞を返還すべきだとしている。まして、CO2 削減の対策として原子力発電を増やそうとしているのは大きな間違いだとしているのは、いうまでもない。

 著者・広瀬隆は、こう言う・・・多くの資料は、だれもが入手できるものだから、私の言うことをそのまま信じないで、自身で調べて確認してほしいと。(じつは、読み終わった本をすぐにあげてしまったので手許にないから、ぼくは正確な引用ができない)ぼくは、まだそれを確認していないから、温暖化についての彼の説が正しいかどうかはまだ自分では確信できない。
 しかし、仮にCO2が地球温暖化の原因だとしても、その対策としてエネルギーを原子力に頼ろうというのは間違いだとは思う。炭酸ガスは、動物が生きているかぎり必然的に排出するものだから、それが増えたとしても量の増加に過ぎないが、順調に動作しているときでさえ原子力発電がつくり出す放射性廃棄物や、事故がおきれば大量にまき散らされる「死の灰」は、もともと自然状態では地球上に存在しなかったものだ。われわれ人間は、それをどう処理すればいいか今も知らないから、そのうち誰かが何かの方法を考えつくまで地下深く貯蔵しておくことにしている。

 かつて学んだ確率論の基礎の基礎を、ぼくだって今も少しは憶えている。ものごとの起きる確率とそれによって得られる利益の大きさの積を「期待値」という。たとえばルーレットのルールでは、どういう賭け方をしても期待値が同じになるようになっている。調べてみたら英語では「Expected value」。それが「マイナスの利益」つまり損害をもたらすときには「期待値」はマイナスになるはずだが、マイナスの期待値を何と呼ぶのかを僕は知らない。
 これまで原子力発電所でときどき起きた事故を見れば、事故の確率はそれほど低いとは言い難い。一方、それのもたらす「マイナスの利益」はどれだけ拡がるか、どれほど深いものであるか見当がつかないほど大きく放射能がひどく長くつづくことは分かっている。しかも遺伝による被害が何世代伝えられるものなのか、想像がつかないほど大きい。・・・だから「マイナスの期待値」はとてつもなく大きいのだ。だとすれば、ぼくたちは原子力エネルギーの利用に対してはあくまでも慎重でなければならないと考えるのは、あたりまえのことではないか。

■関連エントリー
正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために/MyPlace
「不都合な真実」と「恐怖の存在」/MyPlace
■参考ウェブサイト
IPCC公式ウェブサイト
地球環境・気象/気象庁公式ウェブサイト
地球温暖化/wikipedia
気候変動に関する政府間パネル 略称:IPCC/日本語wikipedia
Intergovernmental Panel on Climate Change/Wikipedia
 

投稿者 玉井一匡 : 11:18 PM | コメント (0)

May 30, 2010

「想像の共同体」とiPad

SozoKyodotai.jpg「想像の共同体 」/ベネディクト・アンダーソン 著/ 白石隆 白石さや訳/

 ぼくは自分ではまだiPodを買っていないし、TVや印刷メディアで取り上げたものもあまり見ても読んでもいない。日本での発売前に、打ち合わせでお会いした人のものを触わったことがあるだけだ。秋山さん五十嵐さんのiPodについてのさまざまなエントリーを読みながら、世間のメディアがiPadを本を読む道具としてばかり取り上げているのは、彼らはiPadがこわくて仕方ないからなんだろうと思いながら、ちょうどいま読んでいる途中の「想像の共同体」のことを思い浮かべ日本語について思った。

「想像の共同体」は、以前にエントリーした「日本語が亡びるとき」の議論で主要な拠り所としている本だ。そのときに、ざっと目を通したり拾い読みしたりしたままだったのだが、いまごろになって読みたくなった。
 「想像の共同体」の軸をなす論理は、国民国家という形式が作られてゆくにあたって「出版語」というものの存在がきわめて重要であったということだ。ここでは共同体とは国家のことを意味している。かつてはアジアであれヨーロッパであれ、地方によってさまざまな言語が使われていたが、印刷という技術と出版という事業が広まることで共通言語が確立してゆき、それによって国民国家という概念が作られていったのだとしている。反グローバリズムとしてのナショナリズム評価に取り上げられているようだ。
 そうした立場から見ると、iPadは出版というビジネスの形式にとっては脅威にもなり変える力にもなるだろうが、同時に日本語が滅びようとする流れを変えるかもしれないとぼくは思いはじめた。

 「日本語が亡びるとき」の論旨を荒っぽく縮めてしまうと、こうだ。
もともと英語は現在の世界語となっているが、インターネットによってますます力を増すとともに、放置すれば日本語は滅びてゆくというのだ。いや放置ではなく、学校教育で国語の時間を減らして英語を増やして日本語の滅亡に国家が手を貸している。しかし、自分で英語を学ぶ機会や方法などいくらでもあるのだから、むしろ母国語をきちんと教育するべきだ。文学は母国語でなければ書けない。書かれなければ読まれない・・と。「日本語が亡びるとき」では、もう少し丁寧にせつめいしてあります。

 空間がかぎりなく拡がること、つまり最新の世界中の情報と過去の情報が、画像や映像や音楽もふくめて拡がることをぼくたちはすでにパーソナルコンピューターで知っている。そこに「本」が置かれることになるのだ。
 iPadでは、日本の古典文学がインターネットの情報と同じポジションに置かれる。しかも青空文庫を開けば、漱石などの大部分とかなり多くの古典さえすぐさま読むことができる。むしろ、蓄積された自国の文学や思想といまの文学、いまの外国の本や新聞を同じ大きな机の上に拡げるようにして読むことができるということだ。
もし、Googleが考えているように、世界中の図書館の本をスキャンして読むことができるようになったときには、情報は空間ばかりでなく時間も広がる。さらに、各国の言語でそれがなされるようになれば、むしろグローバリズムが世界を均質化するという問題に立ち向かうための重要な武器になるのかもしれない。


投稿者 玉井一匡 : 07:25 AM | コメント (3)

May 03, 2010

VevtorworksではじめるCAD

VectorworksCAD-S.jpgVectorworksではじめるCAD 2010/2009/2008対応 /五十嵐 進 著/ソーテック社/3,800円
 宅配便で本が届けられた。さっそく開いてみると長年愛用しているVevtorworksのマニュアル本の新バージョン「VevtorworksではじめるCAD」だった。いうまでもなく著者は五十嵐進さんだ。すでに、この本のことは五十嵐さん自身によるMADCONNECTIONのエントリーを読んで知っていた。
 その後、愛用のMacBookがふたたび変調をきたして連休中に入院することになった。おかげで外に出るときも自宅にいるときも隣にいたMacがいない。iPhoneでは物足りない。喪失感とはこういうことかと絶えず感じる羽目になった。
 言いかえれば、それほどにMacが肉体化しているわけで、それはぼくの身体(手と脳)の能力を延長したものとして感じられるように、Macができているからなのだ。Vectorworksは、もともとMac用につくられたアプリケーションだったから、Macそのものと同じように、いまではぼくの身体の一部となってしまった。
 しかし、初心者だった頃には、分からないことがあると五十嵐さんに電話をかけて質問して迷惑をかけたが、そのうち、Vectorworksについて質問の電話をかけることがなくなった。ひとつには、ぼくの上達したせいでもあるが、もうひとつには、彼の書いたマニュアル本ができたので、それに相談すればすむようになったからだ。もしかすると、うるさい電話から解放されようという思いがこの本を書かせる力になったのかもしれない。

 このCADの入門書に目を通しているうちに、かつて、手描きからCADに移るのを躊躇していたことを思い出した。図面として建築を表現するのは、ほかの人に計画を伝えるためである前に頭の中で思い描いている建築を図形にして空間を客観的にみるためでもある。自分の頭の中にあることを言語にすることによって思考を客観的に対象化できるのとおなじことだ。
 しかし、機械を間に介したCADでは、それが思うようにできないだろうと思っていた。ワープロ専用機を使い始めた頃には、キーを打ち込んで文章をつくることと考えることがつながるまでには2年くらいかかった。ところが、MiniCAD(Vectorworksの前身)を使い始めたときには、すぐに、考えることと画面に現れるものがつながるようになった。マウスによって、おおよその位置や大きさを画面に描くことができるし、機能の選択もキーボードでなくマウスで選ぶことができたからだ。それに、平面図の壁に高さを与えてやれば、すぐ3次元に姿を変えた。
 さらに、スケール感が長年身体に染みこんでいるのに、1/50の図面1/20の図面がディスプレイの中ではさまざまな大きさに変えられるということに、感覚的に対応できるだろうかと疑問に思っていたが、それにも何の抵抗もなく適応した。よく言えば、人間の感覚というのはとても幅の広い適応能力をもっているらしい。わるく言えば、身体にしみついたスケール感なんていいかげんなものだったんだといわれるかもしれない。
 こういうことをしたいのだがと思ってメニューバーをあちこち探してみると、それらしき機能が必ずどこかに見つかった。ぼくはますますMacとMiniCADが好きになった。

 とはいえ、どんな建築をつくるかを他の人に伝える図面には厳密な寸法で描くことが欠かせない。それはCADには必須の機能であって、それにはどうしたって数字(digit)や文字をキーボードで打ち込まなければならない。マウスをつかう感覚的な入力だけではすまないのだ。
そうなると、マニュアルやマニュアル本が必要になってこの本の登場するというわけだ。

投稿者 玉井一匡 : 02:59 PM | コメント (2)

January 25, 2010

初めての相撲:場所と時代と四季

SumoSajiki.jpg弁当セットへClick
 両国駅の改札口に立っていると、どこからか甘い香りがやってくる。振り返れば10mほど後ろの階段を若い力士が降りてくる。香りの源は彼の髷なのだ。生まれて初めての相撲見物が鬢付け油の香りという、気配からはじまるのは周到な仕掛ではないか。
取り組み開始の8:45を目指していたのに就寝が4:30になったのですこし遅らせて11:30に到着したが、それでも土俵はまだ三段目で観客はほとんどいない。あまりいい席ではないんだよと言いながら叔父がチケットを渡してくれたのだが、そんなことはない。枡席では前から3番目の西側。テレビで見ていると力士が左右に分かれてにらみ合うのを見るのだが、ここから仕切りを見ると一番手前に西方の力士のお尻がある。いつもと違う見え方がむしろ新鮮で興味深く思われて、ぼくは相撲と方位との関わりについて考えていた。

相撲では、初場所、春場所、五月場所・・・・というが、芝居なら正月興行とでもいうだろうに、なぜ「場所」というんだろうということが、前の日に気になりはじめた。スポーツなら「大会」とでもいうところだろう。相撲博物館に行ったらそのことを聞いてみようと思ったが、席について見はじめると、つぎつぎと興味深いことが続き、6時間以上もの間は退屈するひまも博物館にいく余裕もない。
 そうしてみると、テレビというのは取り組み以外の時間を退屈させる能力があるようだ。何十年もテレビを通して相撲を見てきたが、東の横綱は西向きに西の横綱は東向きに土俵入りをすることに初めて気づいた。目の前で見ていると、取り組みの流れには細かいメリハリがある。行司と呼び出しの衣装や作法は徐々に変わってゆく。弁当も旨い、土瓶と湯飲み茶碗もいい、幕下では三回も同体で取り直しという取り組みがあり、結びでは白鵬が把瑠都に負けて座布団が頭の上を飛んでいった。そうしているうちに6時間以上が瞬く間にすぎた。

SumoSandanmeS.jpg そんなわけで、いつのまにかぼくは「場所」についての疑問をすっかり忘れてしまったのだが、取り組みが終わった帰りがけ、屍のように布に覆われた土俵を見ているうちに、それをふと思い出し、「場所」とよぶ理由にも思いあたった。土俵は布に覆われると、先ほどの番狂わせにたくさんの座布団が投げられた熱がすっかり消えさり、いのちも失ったようだった。失ってみて、それまでのいのちが何だったのか分かったと思った。そもそも土俵は、神を呼ぶために四神の色の柱を立てて砂を盛り結界をつくる。塩を撒いて清める。土俵入りを舞う。力比べをする。それらはすべて、この場所の神への捧げものなのだ。だから、相撲の興業は「場所」でなければならないのだ。初めてのパリ巡業でポスターにつかわれた大乃国の土俵入りの写真に加えられた言葉が「きみは神を見たことがあるか」だったと読んだことがある。ぼくはまだ神もこのポスターも見たことはないが、今度、相撲博物館に行くことがあればポスターを見せてもらおうと思う。ちなみに、場所中でなければ博物館は無料だそうだ。
 相撲には、場所のほかに季節と時代があり、茶屋の賑わいは華やかだし、食い物はうまい。しかも今や、モンゴル、韓国、中国、ブルガリアラトビアグルジア、チェコ・・・はるか遠くに拡がった力士たちと世界をともにして、観客は分け隔てない声援を送るのが気持ちいい。両国の駅に降りてから徐々に始まる別世界が、ほんとうに面白かった。隅田川の橋を自分の足で渡れば、もっといいのだろう。

SumoZabutonUFOS.jpgClick to PopuP そういえば、たしか丸谷才一と山崎正和の対談で、相撲というのは室町江戸明治と様々な時代の衣装・風俗が共存していると言っていたのを思い出した。図書館で借りた本だから図書館のサイトで「丸谷才一 山崎正和」で検索するが出てこない。数日後に自分で図書館に行って本棚をさがしてみると「半日の客 一夜の友」という対談集があった。その本の「藝能としての相撲」という章で相撲について語っているのだ。歌舞伎やシェークスピアにも、時代と風俗の混在があるという。衣装のこと以外はすっかり内容を忘れていたから読み返してもすこぶる面白い。山崎正和も、このとき初めて相撲を見たそうだ。そりゃあこの二人の対談がつまらないはずがない。全体が日本文明論だが、15年経った今でも何も変わっていないことが分かる。そばに置いておきたくなったのでamazonで探すと、すでに絶版になっているのか単行本も文庫もマーケットプレイスの古本しかない。
 さっそく単行本で一番安い1円の古本を注文した。手数料は一律340円。

■追記:朝青龍は、この場所優勝したが、この日の早朝に起こしたとされる暴力事件を理由に退職させられた。

投稿者 玉井一匡 : 01:23 AM | コメント (0)

November 14, 2009

「Walking the High Line」

WalkingHighLine.jpgWalking the High Line/写真: Joel Sternfeld

 「Walking the High Line」が届いた。
amazonで探して新本もあったが古本を注文した。新本より少し安い程度だし時間がかかるだろうがそれよりも外国の古本屋から届けられるということに興味があったからだが、二週間ほどたってとどいたのをみると、ほとんど新本のようにきれいで、送り状にも「Used-Very Good」と書かれている欄があった。
 外国の本には腰巻きがない代わりに裏表紙に説明が書かれていることが多い。この本の裏表紙の解説は、すこぶる簡潔でわかりやすくて、もう余計な説明を必要としないくらいだから、それを訳しておこう。

*裏表紙の解説

 9月11日の攻撃を受けたあと、2001年のニューヨークにつづいた暗い日々のさなか、ジョエル・スターンフェルドはゲルハルト・シュタイデル(でいいんだろうかGelhart Steidelと書かれている)のもとを訪ねると、すぐにも出したい本があるんだと切り出した。
その2年前からスターンフェルドは、マンハッタンのウェストサイドを南北に走る、使われなくなった高架鉄道High Lineの軌道敷の写真を撮り続けていた。それは「フレンズ・オブ・ハイライン」というグループとの協同の活動で、彼らはHigh Lineを解体からまもり公園として蘇らせようとしていた。その不動産価値に目をつけるものや政治的に利用しようとする連中が、ハイラインを解体して跡地を開発する計画を、当時の混乱に乗じて一気に進めようとしていたからだ。
 スタイデルがスターンフェルドの依頼を引き受けると、わずか6週間後には本ができあがってニューヨークにあった。体裁こそ薄かったけれどその本は、それまで秘密に閉ざされていた鉄道敷に、季節ごとの美しい風景があることを、初めてニューヨーカーの眼に教えたのだった。さながら、ウィリアム・ヘンリー・ジャクソンの1870年代に撮ったイエローストーンの写真が、当時の議会を国立公園の設立へみちびいたように、スターンフェルドの写真はハイラインパークの実現への大きな転換点となった。
この、初めての出版から数年が経ったいま、今度は「ウォーキング・ハイライン」の写真に加えて、鉄道がつくられそれが変容していった現在に至るまでを写真と解説によって編年体でまとめ、あらたな一冊の本としてまとめられた。
    *  *  *  *  *

 ぼくは、本をひらいてまず写真を見たから、ページいっぱいの24枚の写真は公園になる前のものばかりであることに、ちょっとはぐらかされる気がしたのだが、そういうわけだったのだ。その写真のハイラインは、ひどく非現実的な印象だった。・・・・・どれも曇り空で、昼間なのに人影はひとつもない。廃止されたレールの上はいうまでもないが、ビルの窓にも人影がない。曇天だから影や太陽を手がかりに時間を想像することもできない。同じような場所で同じ方向を、季節を変えて撮っている写真があるのに、よく見ないとそれも気づかない。線路のずっと向こうまで、周りのビルに焦点が合っているのだ。

 ニューヨークをよく知る人は、見なれた建築、住みなれたまちに、こんな別世界があったことに驚いたのだろう。マンハッタンをつつむ格子状の街路にブロードウェイだけが曲線を描いてニューヨークのリズムに刺激を与えてきたのだが、このハイライン・パークは、クルマもいない空中の公園をニューヨークにつくり出して、素敵な効果を生むにちがいない。Googleマップができたいまは、ぼくたちはいつでも鳥になってHigh Lineを見下ろすことができるようになったのだ。2010年には、残りの工事が終わるそうだ。

■追記:ひと
*ジョエル・スターンフェルド
・Joel Sternfeldのことを、これまで僕は知らなかったが、こんな写真を撮ってきたひとなのだ。
「American Prospects」をはじめとするたくさんの写真集がある

*スティーヴン・ホール
 ウェブサイトで、この計画のコンペの審査員を見ると建築家スティーヴン・ホールの名前があった。彼にはBridge of Housesという計画案がある。高架線の上に集合住宅を載せるというすてきなものだった。それはHigh LIneを生かす提案だったのだと、今になって知った。

■関連エントリー
High Line:ニューヨークの高架鉄道あとの再生

投稿者 玉井一匡 : 09:11 AM | コメント (4)

October 17, 2009

牛を屠る

UshiwoHofuru-S.jpg牛を屠る/佐川光晴著/解放出版社
(左の、本の表紙をクリックすると作業の流れ図が見られます)

 先日エントリーした「内澤旬子と三匹の豚」へのコメントで、AKIさんが朝日新聞の書評を読んでこの本を注文したと書いていらしたのを見てぼくも読みたくなってしまった。その後、AKIさんは自身のブログaki's STOCKTAKINGで「牛を屠る」についてエントリーをされた。どうしたって、ぼくはこれを内澤旬子の「世界屠畜紀行」と比較せずにはいられなかったが、著者自身も「世界屠畜紀行」について文中でふれている。
 内澤が「屠殺」でなく「屠畜」ということばを使いたいと言っているが、佐川は自分の実感としては「屠畜」ではなく「屠殺」なのだという。それが、佐川と内澤との立場の違いをあきらかにしているのだ。

「屠」を訓読みすれば、この本のタイトルのとおり「ほふる」だ。このごろはあまりつかわれない言葉だが、かつてスポーツ紙の相撲の見出しなどで相手を「ほふった」という言い方をすることがあった。iPhoneの国語辞典「大辞林」に相談してみるとつぎのように書かれている。
<①鳥や獣の体を切りさく「牛をー・る」 ②試合などで相手を打ち負かす「優勝候補をー・る」>
 内澤は、全体の工程からすれば殺すという行為はほんの一瞬のできごとであるから、屠殺より屠畜のほうがふさわしいと、まえがきにも書いているのだが、これに対して佐川はまったく別の感じ方をしている。死んだ牛たちの体は、しばらく体温を持ち続けるから作業場はとても暑くなり、作業に関わる人たちは体を動かすからでもあるが、体を牛たちに密着させていて体温を受けつづけると汗びっしょりになり、佐川の長靴の中には汗がいっぱいたまってしまうほどだという。それは、二人の立ち位置の違いによるものであるのはいうまでもない。内澤は各国の屠場をめぐってイラストルポを書いたすぐれた観察者であるが、佐川は浦和の屠場の中で10年近く働いてみずからの手で牛を屠り、その結果として屠殺がふさわしいと思うようになったのだ。

 作業の中にいた佐川は、毎日ていねいにナイフを研ぎ何百という数の牛に密着して皮と肉の間にナイフを入れる。この作業が、牛の解体の中で、もっとも熟練を要するしごとで、刃の微妙なあつかいしだい、それがもたらす表面の状態しだいで、あとの作業のしやすさも肉のできも左右される。一頭ごとに千差万別である牛の状態を敏感に読みとりらなければならないはずだ。だとすれば、牛たちを、死んで食材と化したものにすぎないと感じることはできないのだろう。機械が額を叩く一瞬を境に生命が終わるのではなく、まだ生命はありつづけるのかもしれない。
皮肉なことに、いや、もしかすると当然のことなのかも知れないが、佐川をはじめとして同僚たちは、ぼくたち消費者がもっぱら調理と食べるだけで牛豚に接しているよりもはるかに牛たちの生命を感じ大切にしているように感じられた。

 ぼく自身の感じかたにも思いがけないところがあった。たしかに、一頭の牛を食材に変えるまでのさまざまな過程を読むと、つらい思いをさせられるところがある。だが、それよりもはるかに感覚的にこわさを感じてぞくっとするようだったところがあった。著者が、ナイフを握る手を滑らせて指を深く切ってしまうくだりで、ぼくは読みたくなくて途中でページを飛ばしてしまった。たまたまそのあとにAKIさんから電話があった。ぼくはそれを話題にしたわけではないのだが「ナイフで怪我をするというようなのは苦手なんだ」とAKIさんもおっしゃる。
だとすれば、人間の指の一部を切るという怪我が、牛を殺すことよりもはるかに強く想像力を刺激するという反応は、人間が自分をまもるために身につけた大切な仕掛けのひとつなのかもしれないと思った。そのあとで気を取り直して、ぼくはもう一度もどってそこを読み直した。

■関連エントリー
「世界屠畜紀行」/MyPlace
「牛を屠る」/aki's STOCKTAKING
「内澤旬子と三匹の豚」/MyPlace
生活の設計/aki's STOCKTAKING
 
 

投稿者 玉井一匡 : 05:06 PM | コメント (0)

October 12, 2009

中村俊輔 スコットランドからの喝采

Shunsuke.jpgマーティン・グレイグ 著/田澤 耕 訳 /東本 貢司 監修/集英社
 numberの書評でみつけた。グラスゴー出身のイギリス人である著者が本人の独占インタビューをせずに徹底的に周辺取材をし、日本人読者のためにではなくセルティックのサポーターのために書いた本だから、日本語への翻訳も当初は予定されていなかったというので読みたくなった。中村俊輔のプレーと態度が、セルティックを愛する人たちにどのように受けいれられたのかが、チーム関係者、選手、ファン、友人の言葉によって書かれているのだ。
 原題の「THE ZEN OF NAKAMURA」は、おそらく中村俊輔を通じて見た日本文化観を示しているのだろうが、ぼくたちからは、セルティックファンの俊輔観を通じて、スコットランドのひとびとについても知ることができる。

 2006年11月20日に俊輔の成功させた一本のキックに、冒頭から53ページをついやしている。チャンピオンズリーグマンチェスター・ユナイテッドを破りグループリーグを突破してベスト16へみちびいたフリーキックを、世界中のセルティックファンがどこでどんなふうにして見たかを発掘する。トロントにはじまり、シチリア→ロンドン→ナッシュヴィル→ラスヴェガス→オンタリオ→リオデジャネイロ→ヨハネスブルグ→埼玉→そして、あの試合の行われた地元のグラスゴーに戻ってくる。
 当時世界で一番強いと考えられていたし、結果としてこの大会で優勝したチームの、やはり世界で1,2のゴールキーパーを相手に、ほかのだれの力も借りずにフリーキックを成功させたことも、それがチームを初めてのベスト16を決定づけたこともぼくたちは知っていた。
しかし、セルティックのサポーターたちがどんな風に、そしてどれほどこのフリーキックをよろこんだかを知ることで、ぼくたちはこのゴールと俊輔の意味がわかる。それだけでなく、スコットランドの人たちについて理解することができる。よろこびを露わにすることのなかった俊輔に彼らが謙虚を読み取ってくれる。それによってぼくたちの方も彼らのことを知るのだ。

 NBAにも同じ「セルティック」という名称のチームがある。ボストンには、同じケルト人のアイルランドからの移民が多いからだ。かつてwikipediaのないとき、「セルト」というのは「ケルト」のことなのだと、気づくまでずいぶん時間がかかった。ボストンがアメリカの独立戦争に点火したのも、アイルランドのイングランドに対する強い反抗心があったからだろう。イギリスは、サッカーでは4つの国に分かれているようなもので、得か損かわからないがナショナルチームが、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四つに分かれていることも、イギリス本国さえUnited Kingdom(連合王国)のようなものなんだということを実感させる。古いものを残そうという意志がヨーロッパに強いのも、そういう根が深いからなのだろう。
 日本が、どこもかしこも同じようなまちになってしまうのはまったくつまらないことだが、大国が強引に力で併合したわけでもなさそうなのにユーゴスラビアのように反目して人は殺し合い、都市を破壊しあう。それは、もっとつらいことだ。

俊輔の決めたフリーキックの映像:2006年チャンピオズンリーグでマンチェスターUtd.相手の二本

投稿者 玉井一匡 : 08:39 AM | コメント (0)

September 21, 2009

「生物と無生物のあいだ」

Seibuts-Museibutsu.jpg「生物と無生物のあいだ」/福岡伸一/講談社現代新書
 近隣のブログでこの本が話題になっていたころ、ぼくはなにか他の本をよんでいて話に加わることができなかった。以来そのままだったのだが先日になって読みたくなってしまった。
福岡氏の本は初めて読んだが、なるほどおもしろい。おもしろいというだけではない、生命とは何であるかという、すくなくともぼくにとっては何よりも重要なことについて、明快な答えが示されている。
ひとがものごとを理解するには、まず、知りたいという好奇心が必要だ。好奇心があってこそ、ある事実を提示されたときにそれを貪欲に吸収し理解することができる。それよりもさらに激しい知的な飢餓感があってこそ、まだ誰も知らない事実の発見という地点に到達することができるのだ。
 福岡氏が文章にすぐれているという定評があるようだが、ここでは門外漢である読者さえ知的好奇心を抱くように導いて、研究者たちの知的な飢餓感を満たされたときのよろこびの一部を共有させるのだ。

 ここに書かれているルドルフ・シェーンハイマーの実験は、ネズミに重窒素を含むアミノ酸のある餌を与えて重窒素がどこにあるかを追跡する。体外に排出されるのは、その3割ほどにすぎず、7割ほどがすぐに別のかたちのアミノ酸として体内のあちこちの部分に取り込まれ古いものと置き換わることを発見する。アミノ酸は、つねに新しいものによって置き換えられつづけるのだ。この実験と発見は1935年という昔のことで、きわめて重要なことであるにもかかわらず、この実験そのものもそれがあきらかにした事実も、ぼくは知らなかった。
・・生物というものは、つねにそれを構成する分子が、体内に摂取された新しいものとごく短い時間で入れ替わり続け、古いものは捨てられる。・・・この「動的平衡」状態(つねに一部が替わりながら、同じ状態を保ちつづけること)と、DNAによって自己複製できることをもって生物を定義するというのだ。
wikipediaを探してみたら日本語のwikipediaには「ルドルフ・シェーンハイマー」の項目はない。英語に切り替えてみるとRudolph Schoenheimerの項目はある。あるにはあるが、この指摘の重要性からすれば書き方はけっして丁寧に書かれているわけではない。あまり重視されていないのかもしれない。しかし、ぼくには、とてもわかりやすく自然の根幹を理解させてくれた。

Seibt-MuseibtIse.jpgClick to Jump to 伊勢神宮website
 これを読みながら、ぼくは伊勢神宮の式年造替(しきねんぞうたい:伊勢神宮のサイトには「式年遷宮」と書かれている)を思い出した。式年造替は、20年ごとにまったく同じ社殿をとなりに建て、あたらしい建物ができると古いものを解体する。物体としての神殿を定期的につくりかえることによって、様式やそれをつくる技術などを維持し続けるという逆説的なありようがとてもおもしろくてぼくはすきなのだ。じつは、生物体内の分子レベルでも、それと同じようなことがはるかに短い時間で、つねにおきているというわけだ。
 そういう思いがけない一致にも、ぼくは神の存在を感じるわけではない。けれどもこの事実は、ぼくたち人間が、文字通り自然という大きな流動的なシステムの一部分であるということを証明してくれる。
 生物の個体であるぼくという人間が、分子のレベルでは他の生物の部分と共通のものからつくられ続けている。ぼくという生物は、文字通り自然の一部として存在するこの瞬間の状態のことなのだ。

 「生物学と有機化学の年表」/wikipediaによれば、シェーンハイマーの実験は1935年に行われた。
この同じ年には、コンラート・ローレンツによる「刷り込み」理論も発表されている。
なんという輝かしい年なんだろう。

■追記
 このエントリーを書いたとき、日本語のwikipediaには「ルドルフ・シェーンハイマー」の項目はなかった。久しぶりにこの本のことを思い出して、自分のブログを読み直した。自分がどう考えたかを忘れてしまうときに、とても役に立つから、本についての記述は、自分自身のための記録なのだ。ついでにwikipediaで検索すると、、ルドルフ・シェーンハイマーの項目がつくられているのをみつけた。英語版を翻訳しただけの内容だが、もう少し丁寧に書いてくれればいいのにと思う。

■近隣エントリー
生物と無生物のあいだ/aki's STOCKTAKING
生物と無生物のあいだ/MADCONNECTION
生物と無生物のあいだ/ CHRONOFILE

投稿者 玉井一匡 : 11:03 PM | コメント (0)

September 07, 2009

差別と日本人

SabetsuJapan.jpg「差別と日本人」/野中広務・辛淑玉/角川oneテーマ21(新書)

 野中広務氏と辛淑玉氏というふたりが、「差別と日本人」というテーマで対談をするとすればおもしろくないはずがないと、広告を見てすぐに読みたくなった。
野中氏は自民党の実力者でありながら、イラクへの自衛隊派兵に正面切って反対したし、いわゆる被差別部落の出身者であることをみずから公言、複雑なレイアを重ねている人であることは知っている。しかし、ぼくは辛氏については著書を読んだこともなかったしテレビで見たこともなかった。
 読んでみると、案の定とても刺激的で、たちまち読み終わった。自分自身と周囲の人たちの受けた差別、それに対していかに戦いどう克服して来たかを、一方がきき手となり他方が語る。伝聞ではなく自分自身の体験を、同じような体験を共有するもう一人が引き出すのだから、言葉は強く重い。

 野中は、差別される人たちの状況を向上させようとするに留まらず、差別される人たちが過剰に補償を求めることにも、それがむしろさらなる差別を生むとして批判してきた。そういう批判を説得力のあるものとするのは、この人の言葉でなければできないだろう。
 章の終わりごとに辛による解説が書かれている。そこだけは文字がゴシック体で強調され、辛が野中の発言と行動について、ときに共感しときに率直な批判を加えるが、基本的には野中広務という存在を肯定した上で書かれていることが読み取れる。野中は、校正の段階でも、この文章に目を通しているはずだから、彼はそれを受け容れているのだ。
辛は、「辛淑玉公式サイト」で、ダイバーシティー(多様性)ということを会社のミッションとして掲げている。そのひとと、自身が多様性に満ちた活動をしてきた野中の面目躍如たるものだ。

 麻生太郎や石原慎太郎、小泉純一郎、安部晋太郎についての歯に衣着せぬ批判も痛快このうえない。彼らはいずれも少なくともある時期には人気をもっていたが、彼らに対する批判的な見方が浮上し政治的な大転換が起きようとしている現在、その人気が何に基づいたものだったのかを確認しておくべきだろう。彼らには差別をうけるものや弱者の立場に対する想像力が欠けているために、その行動や発言を一見すると、あたかも明快で歯切れよく決断力があるように見えるからなのだ。
 ナチによってあれほど悲惨な目に会わされたユダヤ人が、イスラエルという国家をつくりあげるやパレスティナ人に対してナチのような態度を取ろうとしている現実を見ても、ことは人間のかかえている普遍的な問題なのだ。だとすれば、おなじような考え方の芽が自分の裡にも潜んでいるかもしれないことを自覚して目を光らせていなければならないだろう。

辛淑玉/wikipedia
野中広務/wikipedia
辛淑玉公式サイト

投稿者 玉井一匡 : 02:59 AM | コメント (6)

June 08, 2009

ディビザデロ通り

Divizadero.jpg「ディビザデロ通り」 (新潮クレスト・ブックス)/マイケル・オンダーチェ著/村松潔訳/新潮社

 この小説を読みながら、ぼくは何度か星座のことを思い浮かべた。
昔の人たちは、数知れぬ星たちの中からいくつかを選び出して、 そこに動物や神話の生き物、人物や物語を読みとった。しかし、それらの星は、じつは空間もたがいにはるかに離れているし、同時に見る星の光は、それぞれ別の時間に放たれたものだ。
 さながら、そのようにして星座を構成する星たちのように、互いに離れた時間と空間に散在している複数の物語によってこの小説はつくられている。
 ひとりをのぞいて、たがいに血のつながりのない3人の子供たちと父親、娘がふたりと男の子がひとり。カリフォルニアの田舎で生活を共にしていたこの家族が、あるときビッグバンのように飛び散ったのだ。

 小説や映画について書くとき、ぼくはストーリーを書かないようにしているのだけれど、こればかりはストーリーについても書かないわけにはゆかないようだ。断片となった物語は、因果関係も時間の前後関係もたがいに知らない。読者は物語の結末を手にすることはできない。多くの物語は、混沌から一つの世界の構築に向かうものだから、フィルムを逆転しているようだ。にもかかわらず、ぼくは気持ちよく読み続け、読みおわっても満たされない思いを抱くわけでもなかった。ひとつには、それぞれの断片につくられる世界には痛切な思いが流れ続けながら、とても美しいからだ。

これまでに読んだ村松潔訳の小説は、以前にエントリーした「ヒストリー・オブ・ラヴ」も、「旅の終わりの音楽」も、いずれも悲しく美しい物語だった。それぞれ別の著者の書いたものだから、じつは村松さんの文章によるところが大きいのかもしれない。その中で、ただ「ディビザデロ通り」だけは物語の結末を読者に置いていってくれない。

 しかし、結末よりも大きなものを残されたとぼくは思う。ぼくたちはこの世界の全体像をどうやって構築しているのかをつたえるのだ。
 三人の若い登場人物の世界が断片となってからの物語を生きるとき、彼らはたがいの世界を知らないが、生き方にある共通点をもっている。いずれも、手元にない時空の断片を探し出して組み立てるという仕事にたどりついているのだ。
 娘のひとりは、ある小説家の生涯を掘りおこす研究に没頭している。もうひとりの娘は裁判のために必要な資料を探し出す調査員としてすこぶる有能なひとになっている。そしてかつての少年は天才的なギャンブラーとなった。ギャンブラーは、カードという断片からある秩序を構築するものではないか。
かくしてぼくたち読者と登場人物は、同じようにふるまうのだ。しかし、推理小説であれば最後に約束されるはずの謎ときやハッピーエンドというカタストロフィーもない。

 この三人のように、そして読者がそうであるように、ぼくたちひとりひとりはこの世界について断片とさえ言えないようなわずかなことを、一生をかけて知るにすぎない。にもかかわらず、それぞれに世界の全体像を作り上げることができる。あるいは世界のすべてを把握したと思うことができる。これまでぼくたちは、神や運命や科学の力を信じ、そして想像力を動員することによってそれを実現してきた。

 しかしいま、断片化された物語がかくも大量かつ瞬時に、出所があいまいなまま世界に届けられるようになった。ぼくたちはそれらをもとに大きな世界像を作り上げる想像力をそなえておかなければならなくなった。その一方では、それらが断片に過ぎないこと、ときには偽物の世界像さえ完成されて届けられるかもしれないということに意識的でいなければならない。さもないと、宅配される情報がたちどころに人間を危険な行動に導く時がくるかもしれないからだ。
 きわどい時代をぼくたちは生きることになったものだが、どのみちここに遭遇したのなら、せいぜいそれを面白がってやろうと思う。

投稿者 玉井一匡 : 10:56 PM | コメント (0)

May 05, 2009

「日本語が亡びるとき」

NihingogaHorobiru.jpg日本語が亡びるとき/水村美苗/筑摩書房

 漱石の絶筆となった「明暗」のつづきを文体そのままに書いた「続 明暗」を読んで大胆さにおどろかされたが、それ以後この人が小説を書いたことは知っていたものの読んだことがなかった。
 日本語の乱れについての嘆きと腹立たしさについて書かれたエッセイだろうかと読み始めると、日本語論でもエッセイでもなく、普遍語としての英語と、その他の言葉の関係の現在と遠からぬ未来のありようを真正面から論じたものだった。ここ数年で、もっとも刺激的で面白い本だと思った。図書館で予約しておいたのがしばらく経ってから届いたのを読んだのだが、返却したあとに本屋で買ってもう一度読みかえし、あちらこちら存分に付箋と鉛筆の書き込みを加えた。

 この本では、ことばを意味する語がはなはだ多くつかわれている。それらをざっとあげてみると、拾い落としもあるだろうが、それでもこんなにある。
<普遍語><国語><公用語><現地語><方言><書き言葉><読まれるべき言葉><聖典><話し言葉><外の言葉><図書館><大図書館><母語><ボゴ><「蓋付きの大箱」に閉じこめられた言葉><自分たちの言葉><口語><俗語><口語俗語><非西洋語><学問の言葉><母国語><多重言語者><三大国語><文学の言葉><数式><国語の祝祭><自国語><出版語><聖なる言語><書き言葉><言文一致体><真名><仮名>
これら、言葉に関わることばの数々を組み合わせれば、この本の全体像ができあがる。さながらそれはジグソーパズルのようでもあるが、ジグソーパズルはどういう結果に至るのかがはじめから分かり切っている。ぼくは、それを面白いと感じられることが理解できないのだが、その点ではこの本はジグソーパズルとは、むしろ対極にあるのかもしれない。
著者がどのような立場に立っているのかについて、「續明暗」を読んだだけのぼくには前もっての知識が皆目なかったおかげで、どんな結論に導こうというのか最後まで分からないから、推理小説を読んでいるようだった。帰りがけにこの本を読みたくて、自転車を置いて電車で帰る途中、乗り換え駅のコンコースで紙面から目を離せず、靴の底で黄色いタイルをたどりながら歩くくらいなのだ。
さらに、この本の論理の軸をなす「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン/山口隆、白石さや訳)という本について知らなかったことも好奇心を刺激したのだと、あとで思った。
空腹は最良のソースなのだ。Shishosetsu.jpg 著者は12歳のときに父の転勤で両親と姉と自身4人の家族としてアメリカにゆくが、ひとり部屋にこもって日本文学全集で漱石、鴎外、一葉、二葉亭四迷、谷崎ら日本の近代文学小説を読みふけり英語の世界あるいはアメリカ世界になじむことがない。たいそう偏屈な少女なのだ。「続 明暗」のころに初めて著者の写真を見たとき、だれかの目つきに似ていると思ったが、不思議の国のアリスだ。生きのいい悪意を秘めている。
このひとの二つ目の小説である「私小説 from left to right」には、大学院でアジア系学生として生きる主人公の目がこの間に読み取ったものを書いている。日本語の文章に英語による会話を混じえるため横書きというまれな形式を選んだ。だから「from left to right」という副題を添えたのだと、本書に書かれている。
 長じて日本に戻ったときの、このくにの文学の世界についての印象をこう書いている。
「いざ書き始め、ふとあたりを見回せば、雄々しく天をつく木がそびえ立つような深い林はなかった。木らしいものがいくつか見えなくもないが、ほとんどは平たい光景が一面に広がっているだけであった。『あれ果てた』などという詩的な形容はまったくふさわしくない、遊園地のように、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景であった。」
辛辣きわまりない書きようだが、外の世界から見ているぼくたち読者には痛快このうえない。
 日本の文学に対する、こうした嘆きと怒りを燃料に、「想像の共同体」という概念をエンジンとして搭載した乗り物で、日本語の世界に単身で乗り込んだのが本書なのだ。ひとの見方の影響をうけたくないので、ぼくは書評をまだよんだことがないけれど、批判的な指摘として「想像の共同体」の論理そのままではないかという人がきっといるだろう。だが、それでいいのだ。エンジンだけでは世界を変えられないのだから。それでどんな乗り物を作りどこに行き、何を見るのか何を伝えるかが問題なのだ。
 
本書の論旨は、およそつぎのようなものだ。アイオワにおける国際ワークショップ、パリの国際会議での経験によって生じた認識をもとに、「想像の共同体」による理論を駆使して日本の文学と日本語の歴史そのありようについて論じている。
・日本は、非西洋にあってほぼ唯一、自国語による近代文学をもつことができた。中国文化圏にあって、さまざまな幸運な条件のおかげで独特の文化受容をなしとげたこと、そしてやはり幸運のはからいで西洋の植民地となることを免れた。
・さらに、戦争の過程でアメリカは日本研究のためにきわめて優秀な人材を投じ、その結果、戦後にドナルド・キーンやサイデンステッカーのような人たちがやってきて源氏物語や明治の日本文学を英語で紹介した。おかげで、日本語は主要な文学をもつ言葉のひとつとして認識されるようになった。文学とは、自分の母語として身につけた言葉でしか書くことができないものであるから、そうやって伝えられ評価を受けた日本の文学と言葉はきわめて幸運な立場にある。
・しかし、明治以来、日本の政府は日本語をないがしろにしつづけた。初代文相の森有礼は英語を国語として採用しようとしたし、戦後に定められた「当用漢字」とは、いずれ表音文字化すべき日本語で当面つかいつづける漢字として定められたものだった。
・一方、英語は、アメリカの経済力・軍事力のおかげで、「普遍語」の地位を獲得した。
普遍語とは、かつてラテン語があるいは中国語(漢文)やフランス語がそうであったように、周辺の国々のある階層の人々のみが書き、それを読むことができるのだが、それによって人間の「叡智」が蓄えられうけつがれ磨かれてゆくものだ。
「ある階層の人々」は、自国語と普遍語のふたつを自在に使う人のことだが、インターネットの出現によって、英語は普遍語としての地位をますます強化してとどまるところを知らない。
・それでは、これから日本語はどうすればいいのか。というのが、本書が最後に掲げる命題である。推理小説の謎解きを書いてしまうことになるが、著者の結論は、公教育において英語の教育を強化するよりもむしろ日本語の教育を充実せよというのだ。英語の勉強を深める機会など、この時代はその気にさえなればどこにでも無料でころがっているのだからと。

 この結論そのものは、かならずしも独自のものではないかもしれない。しかし、本書の価値は結論に至るまでのところにあり、そこに持ってゆくまでの著者のものの見方の大部分にぼくは同意するし、著者の憤りにも価値観にも共感した。

投稿者 玉井一匡 : 05:00 AM | コメント (6)

April 01, 2009

自由学園明日館

Myonichikan1S.jpg.jpgフランク・ロイド・ライト 自由学園明日館 /谷川 正己 著・宮本 和義 写真 /バナナブックス/1,600円

 この本を読んでいるうちに、ぼくは明日館に行きたくなった。
この建築がぼくたちにとって身近な場所にあるからなのだが、ただ近くにあるというだけではない。明日館は講堂と校舎の敷地の間に4mほどの公道があるので、表紙のように満開の夜桜が見える場所にいつでも立つことができるのだ。
芝生の庭を前にして中央奥にホール、左右から教室棟の腕をのばしてその庭を懐にかかえこんでいるようだから、ぼくたちは道路に立ったままこの建築のつくる「場所」のなかに加わることができる。そして、しかるべき時間には中に入って見学することもできる。

 なろうことなら、帝国ホテルの現場事務所を中年の日本人夫妻がライトを訪ね学校の設計依頼を切り出したところに僕も立ってみたいと思う。谷川正己氏による解説に書かれている具体的な時間経過によれば、学園設立の進み方の早さといったら尋常ではない。

 創設者羽仁もと子は、1920年に女子教育のために学校の設立をこころざすと、翌1921年1月にF.L.ライトのもとを夫の羽仁吉一とともに訪れて設計を依頼するや、2月15日に設計が完了、3月15日には着工して4月には校舎の一部が完成した状態で開校してしまう。初対面からひと月で設計完了、それからひと月で着工、さらにひと月で開校してしまったのだ。

 こんな離れ業ができたのも、羽仁もと子とライトが教育に対する思想で深く強く共鳴したからだろうし、これほどの集中力をライトにもたらすだけのものが羽仁の教育理念にあると理解されたからだろう。母の手作りの教材による独自の教育を受けていたライトと、身近な生活のなかに教育(世界とおのれの見方と生き方をつたえること、だとぼくは思うが)の本質があるという思想を抱いた羽仁もと子の間にどんな議論が交わされるのか知りたいではないか。
 たとえば村山知義がここを本拠地とした婦人之友社から絵本を出版し絵画を教えていたことなどを思いながらこの建築の中にいると、大正の時代が、明治と昭和にはさまれた影の薄いあるいは浮ついた時代ではなく実は短いが豊穣の時代だったのだと思う。Google Earth的に見れば、ロシア革命があり、大戦後のドイツにワイマール共政が成立しバウハウスがつくられた時代。
芸術であれデザインであれ、現代の人間はいまだこの時代の遺産で食っているようなものではないか。

 ライトにとって自由学園は、いつものように設計したむしろ質素な建築のひとつにすぎないのかもしれないが、羽仁もと子とその教育その学校は、建築と同じように日本にとってかけがえのないものだと思う。しかも、それほどの情熱をこめてつくり育てた学校でありながら、ここが教室として使われ文字通り学園であったのは、10年ほどにすぎない。このキャンパスの広さでは不十分だと考えた羽仁は、1927年にこのキャンパスの建築が完成されたあと、こんどは1930から1934にかけて、遠藤新の設計で現在のひばりヶ丘に新たに南沢キャンパスをつくり思い切りよく移転した。しかも、このとき新キャンパスの周辺に住宅地を開発してそれを学園の父母などに購入してもらうことによって費用を作り出した。

 以来、現在にいたるまで、自由学園は生徒・先生・卒業生と父母だけで学校を運営しながら独自の規範によって教育が続けられ、明日館は婦人之友の本拠地と一体で使われている。明日館には大きな手を加えられることなく現在まで来た。おかげで、ここは建築の剥製のようなものにされるようなこともなく、重要文化財となった今も呼吸をし言葉をかわし続けているのだ。

 ライトの残した タリアセン:TALIESINも羽仁もと子のつくった自由学園も、創設者の残した思想を忠実に受け継いでいるおかげで、ぼくたちはそのままに知ることができるのだが、半面ではそれが強いゆえに呪縛のようなもので人が限定されてしまうところがある。アントニン・レーモンドは、ライトの強烈な影響から抜け出すのに苦労したと、wikipediaにも書かれている。

■関連エントリー
*自由学園明日館/aki's STOCKTAKING
*自由学園明日館で/MyPlace
■関連ウェブサイト
*自由学園明日館 公式ウェブサイト
*山邑邸 公式ウェブサイト
*帝国ホテル/明治村公式ウェブサイト
*自由学園の公式ウェブサイト
■地図
*明日館:Googleマップの航空写真

投稿者 玉井一匡 : 08:43 PM | コメント (6)

January 30, 2009

クルド人のまち:イランに暮らす国なき民

KurdTown.jpg「クルド人のまち」/写真・文 松浦範子/新泉社/2,415円 

「クルディスタンを訪ねて」につづく、松浦範子さんのクルドの本ができた。
前作の舞台はトルコだったが、これはイラン。ふたつの本の違いは国のほかにもうひとつ、そのタイトルにこめられていると、読み終わって気づいた。
「クルディスタンを訪ねて」では、著者と友人は別の目的で写真を撮るためにトルコを訪れ、たまたまクルド人たちの住む地に行く。まっとうな知的好奇心に満ちた旅行者として、二人の日本人女性は、日常生活をいとなむ人たちのできるだけ近くに視線を寄せて異文化を見ようとしていたが、ある出来事によって、そうした旅行者の好奇心が生活者の思いとはかけ離れたところにあったことに気づかされる。
 クルド人たちが古くから生きてきた場所が複数の国に切り分けられ、そのひとつであるトルコという国家の中で生きるのがどういうことであるかを感じ取った。以来、彼女はクルディスタンについてできるだけ深く知り、それを伝えようと踏み込むことのできるぎりぎりのところにゆき写真を撮り続ける。あの本の表題が「訪ねて」という動詞だったのは、初めて訪ねたときの行動で知ったことを深く受け止めて、それが後の行動を決めたからだ。

 この本のタイトルは名詞だ。「まち」だ。「町」は、制度として行政区画としてのニュアンスが大きいが、「まち」は、そこに生活するひとりひとりの人間や積み重ねられた歴史、文化、といったものの堆積があるように感じる。意識的に「クルド人のまち」と名づけたのだろう。イランでは、トルコのクルド人よりもアイデンティティを表に出せるだけの歴史があり、生活のスタイルも生活する場所も受け継がれのこされているらしい。

Mahabad.jpg 表題にまちという名詞を選んだわけが、おそらくもうひとつある。
「クルディスタンを訪ねて」に、イランでクルド人が独立国家を樹立したことがあったと書かれていた。それがどんなものだったのか気になっていたのだが、この本でその疑問が解けた。

第二次大戦直後の1946年、わずか11ヶ月とはいえクルドの国、「マハバド(Mahabad)共和国」が存在していたのだ。その共和国の大統領となったガジ・ムハンマドの秘書として近くで時間をともにした彼の甥ホマヨーン氏に松浦さんは会う。共和国が倒されたときにガジが従容として敗北を受け容れる話に、ホマヨーン自身の松浦さんに対する接し方に、短命だった共和国の記憶が清冽によみがえる。クルド人が、文化や生活としてだけでなく国を持ったことがある徴(しるし)として、国をつくるもとになるはずの「まち」ということばを、松浦さんは選んだのだろう。

 この本が出たら、読んだあとに松浦さんに会おうと岩城さんmasaさんと話していたので、秋山さん五十嵐さんにも声をかけて、先日、神楽坂のキイトス茶房に集まった。
いろいろ聞こうと思っていたことがあったのに、ぼくはいろいろ忘れてしまった。
しかし、クルドの文化はペルシャと共通するところが多いのだと松浦さんはおっしゃる。いまもイランにはコルデスタンという州の名称が残されている。トルコとくらべればイランのクルド人には、自分たちの文化を表現する自由がある。それは、共有する文化的背景があるからなのだ。

 クルドのために立ち上がるべきだと言われることがあるけれど、それはちがうように思うと彼女は言う。たしかに、かつてひどい仕打ちを受けたユダヤ人たちが、ガザにおいてパレスティナ人にとった行動を見れば、もしもクルド人が物理的な力で自分たちの国家を作り上げたとしても、それはまたいつかは暴力となって返ってくる、絶えざる応酬がつづくだろうと思う。
世界中、そういう苦しみがつづいているのだ。だとすれば、ほかのみちがどこかにあるのではないかとぼくは夢想する。たとえば、複数の国に分けられたクルド人はふたつずつの国籍を持ち、自由に複数のクルド分配国家を移動できる特権を与えるというようなことはできないだろうか・・・などと。

投稿者 玉井一匡 : 11:31 PM | コメント (10)

December 17, 2008

「図書」臨時増刊号「わたしのすすめる岩波新書」

Shinsho70.jpg
きのう、AKiさんが突然いらした。そのときに岩波の「図書」の最新号を見せられたのをぼくが興味深く見たので、「また本屋でもらうから」と置きみやげになり、それがさっそくaki's STOCKTAKINGにエントリーされた。コメントを書きはじめたらかなり長くなりそうなので自分でエントリーすることにした。

 218人が3冊ずつ人によっては1冊もしくは2冊の岩波新書を選んで、それに簡潔なコメントを書いている。その中からさらに「各界の読書人218人のアンケートから精選した50点54冊」を選び創刊70周年記念フェアをおこなっている。
 先日亡くなったばかりの加藤周一「羊の歌」を選んでいる人も多いが、加藤周一自身も選者のひとりであるはずだから彼は何を選んでいるのかと思ってさがして見ると、「万葉秀歌 上・下」「物理学とは何だろうか上・下」「昭和史 新版」という、すこぶる基本的原理的なものを挙げている。そんなぐあいに見てゆくと、ああ、この人はこういう本を選ぶのかと納得したり、これを読みたいなと思ったりして、すこぶる楽しい。無料でくれる小冊子なのに永久保存版にしたくなる。

 選者たちが書き残したコメントはとても短いのだが、おそらくだれもが本気で記憶を洗い出して選び、それらについてとても丁寧に考えたものにちがいない。ざっと流し読みすると、書かれた時代と著者と選者、さらに、対象となっている世界の起伏ゆたかな地形が眼下にひろがっているようで、Google Earthの画面を思い浮かべた。

なにしろ増刊号だから、「図書」では異例のカラー表紙で絵が描かれている。宮崎駿の手になる三枚翼の飛行機が沢山の乗客を乗せて離陸したばかりで草を揺らしている。AKiさんの説明によれば「伊カブローニ社の Ca48 旅客機」なのだという。もしかすると、この飛行機に乗って、Google Earthのように世界を一望にしようよと、宮崎さんは言いたいのではないか。
 アンケート以外にも岩波新書についての興味深い文章が書かれていて、その中に、宮崎駿の表紙のわけが潜んでいるように思った。吉野源三郎が岩波新書の創刊当時のことを書いた文章がある。企画がはじまったのは創刊前年の1937年のことだったそうだが、ナチの台頭以後ドイツで出版が弾圧されて日本に入らなくなり、ペンギンブックスやペリカンブックスのようなアメリカの本がリベラルな思想を運んで来た。こういう本をつくらないかと、同じ課にいた小林勇と一緒にとりかかり、そこに三木清を引きこんで50冊ほどの目録を決めてあれこれ練っているころ、新しい小説も含まれていた。「そういううちにサンテクジュペリの「夜間飛行」がはいっていたのを覚えています」と、吉野は書いているのだ。宮崎駿はサンテクジュペリの「夜間飛行」が好きで、かつてNHKの「わが心の旅」という番組で、サンテクジュペリが不時着した砂漠に行ったことがあって、ほんとうに無邪気なよろこびをあらわしていた。表紙に宮崎さんを選んで飛行機の絵を依頼したのは、そんなわけだったのではないかとぼくは思った。

もしも毎日、朝から晩まで本を読んでいることができたら、このなかの本のを手当たり次第に読んでいくと何日で読み終わるだろう。きもちのいい「昼夜飛行」だろうが、あちらこちらで不時着することになりそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 11:52 PM | コメント (4)

December 07, 2008

「憲法って こういうものだったのか!」

KenpouKouiu.jpg「憲法って こういうものだったのか!」/姜尚中、寺脇研/ユビキタ・スタジオ/1785円

 図書館の新着図書の書棚に置かれていた本のタイトルと表紙のデザインが目をひいた。表紙のデザインは、中央にタイトルを置いてその左右に二人の氏名がある。「憲法って、こういうものだったのか!」というのは、もちろん二人の発言ではなく、この本を読んだ読者が発するであろうことばだ。じつはぼくの読後感もこういう思いだった。
姜尚中氏は、ぼくにとってその発言に同感するところの多い人だが、寺脇研氏のことを、ぼくは名前さえ知らなかった。かつて文部官僚として、ゆとり教育を中心になってすすめ、のちに、学力低下を招いたとして批判にさらされ2006年に退官した。こういう経歴とこの対談の発言からすると、ぼくたちが官僚についてつくりあげている概念からは大きくはずれた人物のようだ。概念という型にはめて人を見たりものごとを理解することことのあやうさは自覚・自戒しているのだが、概念がはずれたことがうれしい。

JapanKenpo.jpg この二人は、対照的な経歴をもっていながら価値観には重なるところが多い。姜尚中は学生時代のある時期までは日本名永野鉄男を名乗る在日韓国人として、自分は日本国憲法の枠の外にいるととらえていただろうが、寺脇研は日本国憲法という枠組みの只中で国家を運営する立場にあった。憲法に対してかくも対照的な位置にあったふたりが、いまは前者が公務員の一員として、後者は公務員という枠組みから自由になって、この本では日本国憲法を論じているのだからおもしろいのは当たり前かもしれない。
 自分が生まれ育った場所については、よく知っていると思うから地図をみることが少ない。意識的な対象として場所を見ることが少ないのだ。外からその場所にやってきた人は、地図を手にしてまちを把握するので、かえって全体的な構成やありようを認識することができる。姜尚中は自己の外にあるものとして日本という国家を対象化したのに対して、寺脇は国家公務員として自己を律するツールとして憲法を対象化していたのだ。

 寺脇によれば、国家公務員がはじめに辞令をもらうとき日本国憲法のもとにつぎのような宣誓をするという。「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行にあたることをかたく誓います」と。 
ぼくたちは、官僚とは国民を支配する法令をつくり運用する権力者と思いがちだが、憲法は公務員を国民に「奉仕」するものとしているのだ。寺脇のことばでこれをきくと、公僕ということばがただの建前ではながったのかもしれないと感じる。憲法には、国民が公務員を選ぶと書いてあって、政治家が国民を支配するのでもなく、官僚が国家を操作するのでもなく、国民の代理人の集合としての国会が法をつくり、多数党の代表がつくった内閣が法にもとづいて国を運営する。その源は国民なのだというだれもがわかりきったつもりの原理が感覚としてわかるのだ。

 この本では天皇についての言及が思いのほか多い。「第一章 天皇(一条から八条)」と「第二章 戦争の放棄(九条)」は一体のものだという指摘が、ぼくには新鮮だった。文化的存在としての天皇を象徴とすることによって、武力でなく文化によってこの国をたててゆくことを示したもので、天皇はそれを意識しているからこそ訪中やサイパンの慰霊訪問を実現させ、いずれは韓国訪問も実現させるだろうという。
 
 Wikipediaでふたりについての記述を読んで気づいたが、この二人の接点はコリア国際学園にあるのではないか。サイトにアクセスしてみると、寺崎が役人の時代に設立されたとおぼしき在日韓国・朝鮮人のための小規模な中学・高校で、「越境人」を育てるとしている。ほんとうはコリア越境学園としたいところだったのかもしれない。興味深い学校だ。

 じつを言えば、これまでぼくは姜尚中の著書を読んだことがなかった。テレビや新聞・雑誌での発言には同感するところがとても多いので、本を読まなくとも何が書いてあるかわかると感じたのかもしれない。けれども、この本を読んだあとでは、彼の著書を読みたいと思った。寺脇研については何も知らなかったから、ゆとり教育について書かれたものを読みたいと思う。

■ 日本国憲法全文を掲載したサイトがあります。
■携帯用の日本国憲法(上の写真):昨年、「川の地図辞典」を買いにいったときに、信山社・岩波ブックセンター「日本国憲法」小さな学問の書①/童話屋編集部 発行/300円という薄い文庫本を見つけて買ってきました。
日本国憲法の全文に英語訳と教育基本法が加えられています。こどもたちにあてた2ページの「まえがき」のほかには、何も余分なむずかしい解説がないので、憲法ってこんなに少ないのかと、身近に感じることができるような気がします。
■関連エントリー:「映画 日本国憲法」

投稿者 玉井一匡 : 10:35 PM | コメント (4)

September 23, 2008

老検死官シリ先生がゆく

DoctorSiri.jpg「老検死官シリ先生がゆく」(文庫本)
著者:コリン コッタリル/翻訳・雨沢 泰
出版:ヴィレッジブックス 
価格:945円
 これまでにぼくが読んだ小説でラオスが登場するものといえば、30年近く前に読んだジョン・ル・カレのスパイ小説「スクールボーイ閣下」で、ヴィエンチャンの銀行をつかって資金洗浄をするところが数ページあったくらいのものだ。ラオスを舞台にした小説が日本で出版されたのは、きっとこれが初めてだろう。しかも、革命直後のヴィエンチャンを舞台にする推理小説で、探偵役は老検死官という屈折した設定だ。
 1975年、革命が成功したばかりのヴィエンチャン。主人公である72才の医師シリ先生は、これまで北部のジャングルでパテト・ラオの一員に加わっていた。革命も成就して、やれやれ老後をのんびりすごそうと思っていたのに、革命でみんな逃げてしまって専門家が足りない。検死官になるよう求められるが、シリ先生は生きた人間の治療しかしたことがないと、必死で辞退する。
 しかし、「能力に応じてはたらき、必要に応じて分配する」というコミュニズムの「原理」を持ち出されて、「君には能力があるのだ、能力のある限りは社会のためにつくすべきだ」と言われては抗いようがない。設備も薬品もなく写真のフィルムは1件に3,4枚しか使えないという乏しい状況で、二人の助手とともにラオスでただひとりの検死官として解剖台に向かうことになった。ただひとりだから、ヴィエンチャンだけが守備範囲ではないのだが、そのわりにはのんびりした日々ではじまる。

DoctorSiri2.jpgThe Coroner's Lunch(検死官の昼食)というのはこのことなのだ。わずかな距離を隔てる川の対岸は隣国のひとつであるタイ、この当時はまだ緊張をはらんでいる。作者がラオスの、この時代を選んだのも、緊張とのんびりの対比と重なりを描きたかったからなのだろう。
 そうした日常の中でシリ先生の見つけた事実は、立場と命をあやうくするのだが、やむなく引き受けた検死医のポストだ。もとより先生はポストなんぞにいささかの未練ももたず、クビさえ恐れることもない。あくまでも疑わしい事実を極めようとする。
社会的規範からの逸脱をおそれず、おのれの設けた規範は命をかけて遵守する。
老先生はハードボイルドなのだ。

 革命直後のラオスの様子が描かれているのが興味深いが、著者は1952年生まれバンコク在住のイギリス人で、体育の教師をした後オーストラリアに渡り、のちにタイ、ラオスなどでUNESCOやNGOのもとで活動したそうだから、本人は当時のラオスにいた年齢ではないが、オーストラリアへ逃げ出したラオス人たちに200時間ものインタビューをしたという。
だからなのだろうが、モノが足りない様子や、腐敗を一掃するための革命のあとにまた別の腐敗が始まっている様子をややコミカルにあるいは揶揄するように書いている。けれど、それと戦うシリ先生も、彼に協力する仲間たちも心からラオスのゆるやかな世界を愛している。

 ぼくはこの小説をとても気に入ったのだが、ヴィエンチャンは小さな都市というよりまちだ。シリ先生が自転車やバイクで移動すると、ぼくにはききおぼえのある通りや場所の名がでてくる。重要な協力者である化学の先生が教える国立高校は、ヴィエンチャン市立図書館のために敷地の一画を提供してくれてお隣になったところだ。そういうなじみの場所がでてくるという個人的な事情も、ぼくが気に入った理由のひとつではある。
 ひとつ、推理小説としてはちょっとぼくの気に入らない、超自然的な話が出てくるところがある。推理小説は論理が生命だから、超越的な能力が登場しては台無しになる。さいわいこの小説ではそれが論理を損なうことにはならないのは、謎解きの本筋ではないことと、霊を信じるということがラオスの社会の背景となる事実でもあるからだろう。いまもラオスのひとたちは超自然的な話を信じていると、ヴィエンチャン在住の日本人にうかがったことがある。建物を建てるときに、先祖が夢に出てきて発言したというので家族会議が開かれて議論が深夜に及んだというのだ。そういうところが、社会主義といってもこの国ではゆるやかなものになる理由のひとつかもしれないし、これからは自然をまもることにも力になるかもしれない。

 ラオスびいきの過大評価ではないこと、それに超自然的な話が出ることが本筋にさしたる影響をおよぼさないことを証言してもらうために賞の助けを借りておこう。2004年にアメリカで出版されたが、2007年にはフランス語訳がフランス国鉄ミステリー賞受賞、同年イギリスでは、もっとも権威あるCWA(英国推理作家協会)最優秀長編賞にノミネートされたそうだ。それなのに、はじめに出版したアメリカでは賞をもらっていない。ベトナム以上の爆弾を落としたともいわれるラオスに対してのひけめや忘れたい記憶が、マイナスに働いているんだろうか。

投稿者 玉井一匡 : 10:57 PM | コメント (2)

July 06, 2008

「住む」夏号・小さな平屋

SumuSummer2008.jpg「住む」夏号 2008年

 先日、季刊「住む」の夏号が届いた。特集は、「小さな平屋」
小さないえに住むということは、壁のむこう側に、まちや庭や自然が多いということだ
平屋に住むとは、天井と屋根のうえには空があり太陽があり、床の下には土があるということだ
ぼくたちが「小さな平屋」に好もしい思いをいだくのはのはそのためなんじゃないか
マンションでは、壁の向こうにも天井の上にも床の下にも隣人がいる
・・・ということをなんとかして忘れたいと思いながら暮らしているし
それを実現するよう心がけながら設計している
住むことを考える雑誌にとって「小さな平屋」は、すこぶる自然なテーマなのだ。

 春に、編集長の山田さんから電話をいただいた。
林芙美子のすまいについてのエントリーをブログで読んだが、次号の特集の「小さな平屋」のひとつとしてこのいえを取り上げたいから、それについて書いてくれないかと。
むろんぼくはそれをお引き受けしたのだが、それが「東西南北 風の吹き抜ける家 林芙美子の終の住処」という4ページになって「住む」夏号が届けられたのだった。
たくさんの小さな写真をちりばめた、スライドショーのような構成になっていた。

Sumu2008NatsuS.jpg このいえは、いまのものさしで面積や敷地を見れば「小さな平屋」とは言えないかもしれない。けれども、ここが芙美子の仕事場であり夫のアトリエでもあったことを念頭において差し引きしてみると、住まいはけっして大きくはない。しかも、苦労の末にベストセラー作家になってやっとつくりあげた「ついのすみか」だ、この際でかい家をつくりたいと思っても当たり前なのだから、それをもうひとつ差し引くと、やはり小さな平屋なんだと思う。
 芙美子が亡くなったあと夫の緑敏が住んだが、彼が亡くなったあとに新宿区が買い上げて、いまは林芙美子記念館となっている。通りがかりにときどき寄るぼくのような人間にとっても、すこしだけれど自分の場所の一部として感じられるということを、このブログで書いた。
「林芙美子の住んでいた家:林芙美子記念館」というエントリーだ。

Umihe1.jpg この「住む」を開いてみると、つい先日はじめてあったばかりの興味深い人もでていたので、やあ先日はどうもという気分になった。微生物が分解しやすくて川や海をよごさない洗剤をつくった人だ。
 6月2つ目の日曜日を前にした木曜日だったか、長女が電話をよこした。
「日曜日に洗剤の話を聞きに行くんだけど、一緒に行かない?父の日だから」
わざわざそんなことを言ってくるんだから、面白い話なんだろうと、わけもきかずに、行くよと答えた。
三軒茶屋のfrom Earth cafe オハナという店が会場で、参加者10人ほどが店の奥の席にいた。数本の試験管を店のカウンターに試験管を数本と沢山の市販の洗剤がならんでいる。それから、およそ3時間、きっとサーフィンのせいで日に焼けた、短パンの人物によって「界面活性剤」がどうやって汚れを落とすのか、それがなぜ海を汚すのかという実験がつづけられた。いくらでも質問を歓迎してくれるから、面白がっているうちに映画2本分の時間が過ぎた。
そのひと木村正宏氏のことが、「界面活性剤って何ですか?」として掲載されていた。父の日のプレゼントには、ちょっと変だけどと娘は言って、ゴムのツブツブを絡ませたタオルと葉っぱの形の布巾、洗濯洗剤を買ってくれた。洗濯洗剤の名は「海へ」という。ちなみに、食器洗剤は「森と」というのだ。

 あらゆる生物は、環境に合わせて自身の生き方と身体を変えて生き続けてきた。ただひとつの例外、人間という種だけが環境を自分に合わせて変えることで生きつづけてきた。人間だけが文明をもっていると言ってそれを誇りにした。その結果、環境がすっかり壊れそうになった。
 環境をまもるのは、つきつめれがかんたんなことだ。小さく生きればいい・・・この特集をふくらませると、そういうことになる。

現実のこの世界は、大きく生きるやつらと、細々と生きてもう少しで生きられなくなりそうな人たちが、同じ時間にいるのだ。


 

 

投稿者 玉井一匡 : 07:00 AM | コメント (13)

May 24, 2008

「時差ボケ東京」を開く

JisabokeFrontS.jpgClick to PopuP

 昨日の昼前、たまたま矢切にいるときにmasaさんがぼくの携帯電話を鳴らした。
LOVEGARDENに「時差ボケ東京」を納品にいくところなんだという。矢切から飯田橋に帰る途中で電車はLOVEGARDEN最寄り駅の曳舟を通るので、近いうちに寄りたいと思っていたことだし、「時差ボケ東京」を早く見たくもあった。LOVEGARDENで落ち合っていっしょに京島で昼メシを食べようか、ということになった。もちろん主題は昼食ではなく、本と、そこに写された写真だ。
 ぼくが店について少しあとにmasaさん、いやフォトグラファー村田賢比古が現れた。滅多にクルマを使わないmasaさんは、案の定、フレーム付きのバックパックに本を詰めて来た。フレームを開くとスツールになる仕掛けだが、masaさんはそれを写真撮影のときの脚立として使う新兵器。
さて、写真だ。かねてから、masaさんは写真集をつくることにしたと言っていたが、kai-wai散策の路線ではないという。今までだれもやったことのない手法の写真なので、事前に知られてマネをされたりすると台無しになるから、それを避けたいということもあって出版の方法をさぐっていた。が、結局は自費出版という暴挙に踏み切った。昔から、どの世界でもあることだが、何食わぬ顔で他人の苦労してつくったネタをパクる輩が絶えないのだろう。著作権などという金の問題とは別の、人間の誇りにかかわることだ。
デザイナー安田喬氏とふたりでコツコツと作業を進め。印刷や製本もデザイナーの人脈で依頼、ISBNコードさえ個人で取得した。
masaさんによれば、誰が見ても何が違うのかが分かる写真だということだったが、どんな手法で撮っているのか、ぼくは何も知らなかった。ただ、まちを撮ったということだけ。
できた本を見て、ようやく、どんな写真なのかがわかった。

LoveGarden-yukimasa-S.jpgClick to PopuP
 表紙のふしぎな写真を見ただけでは、どうやって撮ったのか、ちょっとわからない。けれども、いくつかの写真を見るうちに謎が解けてくる。周囲の建物や景色がボケているのに、動いているはずのもののどれかにピントが合っている。まちの中を移動するものたち・・・ひと、クルマ、バイク、電車、舟・・・それらの動きに合わせてカメラを動かしているのだ。だから、動くものが静止し、地上に固定したものの画像が動いているという逆説。

 しかし、被写体の動きは一様ではない。あるものは速く、あるいはゆっくり。移動する方向は・・カメラと平行に、斜めに。遠ざかるもの近づくもの。カメラの視線は、あるときは上から見下ろし、あるいは見上げる。フォトグラファーは、あえて難しいさまざまな被写体と動きと位置を選んで、カメラを手持ちして早さ向き方向をそれに合わせて動かす。三脚は、固定された軸を中心に回転するしか能がないから、こういう被写体に使うわけにはゆかない。難易度はきわめて高いのだと、日頃はあれほどに謙虚なmasaさんが言い切るのももっともだ。カメラをきわめて複雑に動かさなければならないのだ。
走るF1を撮るような写真はあるが、F1はどんなに速くても、方向も走る道路もあらかじめ分かっている。三脚を置いて軸の上で回転させるだけだ。こんな複雑な動きを止めた写真を、ぼくたちはこれまでにみたことがない。村田賢比古はそれに気づいて、それに挑戦し、捕らえたのだ。

 もちろん、その結果がすてきな写真になっていなければ、何の意味もないことだが、この写真たちはどれも美しい、魅力に満ちている。動かし方の前に、構成を光の分布を読み取って長方形の枠の中に切り取らなければならない。見開きに並べられた写真は、デザイナーの周到な配慮のもとで組み合わせられているんだと聞いて見直すと、なるほどと思う。本のデザインにかかってから撮り直した写真も少なくないそうだ。
モノとしてのまち東京はボケて抽象のなかに潜み、動くものたちはくっきりと画面に刻み込まれることで、都市はかえって様相を明らかにし美しくなる。ぼくたちは、じつはまちをこんな風に見ているのだ。だから、混乱をきわめる都市にも耐えられるし、ある日空き地になってしまった土地に、それまでどんな建物があったのか思い出せないことが多いのだ。

 この写真たちには、繰り返し繰り返し見てもそのたびに発見がある。しかもそれは、子供でもお年寄りでも素人でも理解し納得できる。なんとなしの気分だけのものがもてはやされる近頃の写真とは一線を画す写真という、masaさんの思いは見事に実現されている。だれにも理解できるが村田賢比古にしか撮れないという写真だ。さらに、いまの一眼レフ・デジタルカメラがなければつくれない初めての価値ある写真集でもある。高い感度(ISO6400、増感すれば25600にもなるんだからとんでもない)、早い連写(9コマ/秒)、短いタイムラグ(0.03秒)、もちろんフィルムを消費することもない。デジタル一眼レフの到達した、そういう能力を使い尽くしている。それらの性能のどれかひとつが欠けても、この写真集(写真の集合体)はできなかっただろう。
おいNikon!村田賢比古のひげ面に熱いKissを贈れよ。
もちろん、ぼくたちは勇気づけられる。ちょっと視点を変えると、この世界にはまだたくさんの発見が身近にあるんだと。

 写真のことをエントリーするというのに、またしてもぼくのデジカメはつづけざまに故障した。だから、このエントリーの写真は、PHOTOSHOPをつかってkai-wai散策の写真を加工したものだ。無断だが、もちろんいいよと村田賢比古さんは言ってくれるだろう。
そうそう、印刷会社の人たちは、「時差ボケ東京」の写真を見て、PHOTOSHOPでつくったものだと思っていたそうだ。
村田賢比古は、デジタル技術をつかって人間が楽をするのではなく、それを徹底的に使い尽くし、人間の手と頭と時間をそれに惜しみなく注ぎ込んで、あえて難しい撮りかたに挑み、美しい画像に沢山の発見を盛り込んだ、しかも集合となってさらに意味を深めるという写真集につくりあげた。ぼくの胸の高鳴りは、まだとまらない。

投稿者 玉井一匡 : 11:53 PM | コメント (18)

May 11, 2008

「ゴシップ的日本語論」は、何度読んでもおもしろい

GossipJapanese.jpgゴシップ的日本語論/文春文庫/丸谷才一著

 スポーツの放送につきものである解説者の話は、おどろくような事実を話してくれることも、なるほどと感心する見方を教えてくれることも滅多にない。だから、できれば何も言わずにじっと座っていてほしいと願わずにいられない。
 けれども、丸谷才一の講演と対談という話し言葉をあつめたこの本には、その両方がたくさん入っている。つまり、ここでは「おどろくような事実」とは「ゴシップ」のことで「なるほどと感心する見方」は、さまざまな「日本語論」だ。
aki'sSTOCKTAKINGにこの本のがエントリーされたとき、すぐに買ってすぐに読んだ。読み終わったあとで、どの章をひとつ取り出しても繰り返し読んでも、そのたびに面白いんだ。

 連休の数日のあいだ、日本国憲法や昭和天皇を理由にした休日がつづくし、映画「靖国」が話題になったので、この本のことをぼくは何度か思い出した。とくに表題となった章「ゴシップ的日本語論」は、30ページにすぎないけれど、その中にはたくさんの事実と視点が詰まっている。

 昭和天皇が教育の失敗によって言語力のはなはだ乏しいひとになったということが2つの本(「昭和二十年」「昭和天皇」)に書かれているという指摘はこの中で最大のゴシップだが、さらには小林秀雄と中村光夫の評論の比較がおもしろい。明治憲法の文章は「立派で、なんだかドスーンと肝にこたえる」のに意味が分からないけれど、新憲法は「文章は本当に下手へたであるけれどもよくわかる」という対比を小林の評論と中村の評論の比較に重ねて、「私はこれでいいんだと思う」とする。明治憲法には不備があって、天皇が最終的な決断をしなければならない事態が生じるシステムだった。ところが、昭和天皇は言語によるコミュニケーションをとることがほとんどできなかったために、さまざまな事態に対処できず軍部の暴走をゆるし、日本と日本人それに周囲の諸国(これは書かれていないが)にとって悲惨な結果をもたらしたというのだ。

 明治維新と第二次大戦敗戦の二回、日本には、いっせいにヨーロッパとアメリカから近代文明と文化が押し寄せて、それを受容するために日本語はさまざまな方法をつくして対応した。しかし、その結果として生じた混乱を、いまにいたるまで脱していないどころかさらに混乱は深まっていることを指摘する。最後に、教育なんていう面倒くさいことは、たいへんな情熱をもってやらなければならない。だから教科書の検定をやめて、学校別に、できれば教師ひとりひとりが情熱をいだけるような教科書を選べるようにしなきゃあならない。言語教育は国運を左右し文明を左右するから、おろそかにしてはならないんだと結ぶ。

 この時代に生きるぼくたちの身に染みついた性で、ついつい積み重ねられた言語の層のもっとも新しいところだけをつかっているように思ってしまうけれど、丸谷はつねに日本語を古代から現代に至るまでの言語の長い流れと層の積み重ねとして考える。そのような意味で、丸谷は保守主義者である。しかし、同時に制度として形式としての伝統に固執しようとはしないから、天皇や明治憲法を神聖にしておかすへからさるものとはとらえない。
もし、生物の発生以来ぼくに至るまでのどこか一匹の動物が、ちょっとした気まぐれで別の行動をとっていたら、あるいはひとつの気まぐれがなかったなら、ぼくのかかえているDNAはいまここにはない。つまり、ぼくはここに存在しない。ぼくたちは、積み重ねられたDNAの層によってつくられた存在なのだ。ゆっくりと環境の変化に対応して書き替えられてきたDNAのように、ことばというものは少しずつすこしずつありようを変えてきたはずだ。しかし、環境に大変化が生じたときに、言語を制度として大変化させることによって対応せざるをえないときがある。そのときに間違いをおかすと、とんでもない結果になるぞということを丸谷は言いたいのだ。制度としての言語とは憲法であり、教育である。
数々の丸谷の発言を読んでいると、そのまま日本のまちあるいは都市のありように重なる。ゴシップから日本語論にみちびかれ、もういちど空間的ゴシップにもどり、終わることがない。だから、何度読んでも、この本はおもしろいのかもしれない。

■excite辞書にはgossipはこう書かれている
gos・sip /gsp|gs‐/→
1a [具体的には ] (人の私事に関する)うわさ話,世間話.
b (新聞雑誌にのる名士などに関する)うわさ話,ゴシップ.
2 人のうわさをふれ回る人,おしゃべり(女), 金棒引き.
動(+前+(代)名)
1 〔…と〕〔…について〕うわさ話をする 〔with〕 〔about〕.→
2 〔…について〕うわさ話[ゴシップ]を書く 〔about〕.
古期英語「名づけ親」→「親しい人同士のむだ話」の意; gossipy

投稿者 玉井一匡 : 09:28 AM | コメント (0)

April 29, 2008

マーフィーの戦い

MurphyNovel.jpg/「マーフィーの戦い」/マックス・カトー著 佐和誠訳/早川書房/今は古本しかないが初版1972年に560円

なぜか先週から新たに写真をアップロードすることができなくなってしまったが、原因がわからないままに、ふたたび写真をアップロードできるようになって、図書館から借りた「マーフィーの戦争」の写真を加えたので、初めての文字だけのエントリーはなくなった。
先日、aki's STOCKTAKINGでラジコンの水陸両用飛行機を紹介するエントリー「Grumman J2F5 Duck」があった。東事務所時代の秋山さんの同僚で、ぼくにとっては事務所の先輩である坂本宏昭さんが、映画「マーフィーの戦い」を再現したくなって、ラジコンのGrumman Duckをつくってしまったのだという。離着陸するDuckのビデオも添えられていて、ラジコンであることをつい忘れてしまい、胸おどらさずにはいられない。kawaさんとiGaさんのコメントへの返信コメントに、小説もあると書かれていたので、中野図書館で検索して注文したとコメントを書いた。するとAKIさんから電話の追撃。
ピーター・オトゥールがマーフィーを演じ、たったひとり水上飛行機を操縦して、アマゾンに浮かぶ島を舞台にドイツのUボートと戦うのだという。なるほど、ピーターオトゥールか。
「最後はねえ・・・・」と、AKIさんは続けようとした。・・・おっと、待ってほしい。
ぼくはまだ読んでもいない見てもいないのだ。まだ結末は聞きたくないと、なんとか押しとどめた。

弱い立場のやつが強いやつらを退治するという物語は、四十七士や高倉健の任侠ものから舞の海に至るまで日本人の大好きな判官贔屓だが、ホームアローンや真昼の決闘、ロッキーなど、ハリウッド映画にもたくさんあるところを見れば、世界共通の普遍的な好みでもあるわけだ。やむにやまれぬ弱者の力の行使は、いま目の前のチベットの抵抗も、古くはベトナム解放戦線やカストロという実例があったが、国家としてのアメリカは臨機応変に応援したりテロリストだとののしったりしている。

いまはGoogleマップやGoogle Earthという強い味方がぼくたちにはある。まずは、物語の始まるところ、ナイジェリアのラゴスの地形やまちを見る。物語に従って、ときに近づきあるいは上空に高くのぼり、地図に変え、マーフィーのあとを追う。戦いの背景に想像がふくらんでゆく。

おんぼろの艦載機をふるいたたせてUボートに戦いを挑む主人公の行動は、いってみれば常軌を逸している。にもかかわらず、読者も周囲の登場人物も、彼と行動をともにさせてしまうだけの現実感が、この物語にはある。しかもマーフィーは黒人にいわれなき差別意識をもっている。腹に蛇の彫物をつけ、女をまずはセックスの対象として見るようなやつだ。にもかかわらず、ぼくたちは彼を愛し行動をともにすることができる。それは、作者が配した登場人物のつくりかたに多くをよっているのだろう。学校にも行かなかったのに、マーフィーよりもはるかに知的な「二グロ」、いやマーフィーだって孤児だったからやっとのことで生き抜いてきたというやつなのに聖書やギリシャ古典の引用が口をつく。軟弱なやさしいフランス人、お祖父さんがアフリカ人だったベルギー人の看護婦。
Uボートに乗っているドイツ兵もひとりの人間として描かれているし、艦長はポーランド系だ。彼らにも奪われた平和なときや、享受すべき喜びがあったことも伝えられる。敵と味方、善と悪という単純なレイアで構成されているわけではない。もちろん、戦場の悲惨も充分に描かれる。シルベスタ・スタローンでなく、ピーター・オトゥールが演じたということをぼくは知っているから、それだけでも、読み方が変わるのだ。

図書館から借りてきた朝は雨が降っていた。
だから、ぼくは自転車でなく電車で行けることを喜んだ。本を読めるからだ。スワンタッチもつかえる。
にもかかわらず、その朝ぼくは、自宅にこの本を置き忘れてしまった、悔しい人として一日をすごした。
そして、以後、引き込まれた。
ストーリーの展開を書くわけにはいかないのが残念だが、面白かった。
TSUTAYAのサイトでは、レンタルのビデオもDVDもまだみつからないので、映画は見ていないのだが、離水するところが見たいものだ。Uボートも。

投稿者 玉井一匡 : 07:45 AM | コメント (8)

April 11, 2008

スワンタッチ:次のページに移ってくれるしおり

SwanTouch0S.jpgClick to PopuP
先日、何回目かの入院をしたMacBookを引き取りにアップルストアに行ったとき、銀座の伊東屋に寄った。
aki's STOCKTAKINGにエントリーされていたSYROの秤を伊東屋であつかっているというのでそれを見ようと思ったのだが、展示はしていなかった。なかなか高いらしいからすぐに注文をするというわけでもないので、在庫をたずねるのは遠慮して、あちらこちらを見て回っているうちに、興味深いものがあった。
「はさみかえ不要のしおりスワンタッチ」というものだ。ぼくには、本を読む時にしおりが欠かせない。学生時代から新潮文庫には紐のしおりがついているので好きだったが、紐しおりのある本は近頃は少ない。だから、このごろは付箋紙の大きいやつをしおりとメモを兼用させて使うことが多い。
 このスワンタッチは、読み進んでもしおりを差し替えないでいいというのだ。しかも150円だ。じっさいにどういう具合なのか早く知りたくて、店を出ると歩道で包みを開きさっそく試してみた。

SwanTouch1S.jpgClick to PopuP
その名の通りスワンの形をした薄いポリプロピレンの板にすぎない。色は、赤、黄色、緑、水色などがあるが黒にした。裏側に両面テープ(はがせるタイプ)がつけてあるので、スワンの首と本の上端の間に1〜2mmの隙間をあけて終わりのページの左上の隅に貼りつける。そして、しおりとしてスワンの頭を件のページにはさむ、それだけ。・・・ページをめくると、頭も自動的に次のページに移動する。くちばしの曲線と首の長さ、板の弾性と厚さ、それらのバランスが絶妙なのだ。
かくもシンプルな仕掛けでありながら、すこぶる具合がよい。しおりを落とすこともない。すてきな発明だ。こういうのを頭のいい発明というのだとぼくは思う。そして感動する。
 当然ながら、どんな人が考えたのだろうと知りたくなる。Googleでさがすと、発明者である板橋区赤塚の高橋健司さん(高橋金型サービス)のインタビューがあった。いたばし らいふ.comというサイトの「板橋なひと」というインタビュー欄だ。プラスティック製品の金型の職人として45年、これをつくってからすでに15、6年も経つというのに、どうして、今まで知らなかったのだろう。
 プラスティックの板を型抜きしたものだとばかり思っていたが、じつは金型をつくり二個所から流し込んで1mmの厚さのスワンをつくるのだと目もくらむようなことを聞けば、ますます尊敬せずにはいられない。注入したのはどこなのだろうと気になってさがしてみると、なるほど2個所みつかった。端に表面のエンボスがなくて、やや光沢のあるところがある。首の折れ目にひとつ、尾にあたるところにひとつ。材料が回りやすいという点からも、ここにちがいない。
さらにもうひとつ、すてきなことがある。製造は、近所にある赤塚福祉園という福祉施設が担当しているのだという。
しいて難をいえば、パッケージがちょっと垢抜けないが、それも町工場でつくられたしるしだと思えば、むしろいとおしい。スワンタッチという商品名は、スワンとワンタッチをつなげたものなんだろう。
東急ハンズやLoftなどでも売っているそうです。

投稿者 玉井一匡 : 09:46 AM | コメント (10)

March 30, 2008

「住む。」 春号:「ひと と いえ と まち と」

Sumu2008S.jpgClick to PopuPSumuSpring2008.jpg

 先週末に、「住む。」2008年 春号が届いた。
「住む。」のタイトルは動詞である。丁寧に句点までつけてある。いうまでもないが、動詞をタイトルとして選んだのは、住宅を器そのものでなく、そこに容れられているものの側から、その器とのかかわりを考えるという立場をとろうとしているからだろう。器の中味つまり人間の生活についてなら、建築やデザインについての専門知識がなくても、意識をもって生活する人ならだれでも参加できる。
「住む。」2008年 春号の特集は「収納・自在に考える」だ。器と生活のあいだにあるモノたちといっしょにどう暮らすかということだが、小特集「こどもたちに」の一部として「ひと と いえ と まち と」という絵本形式のものを掲載してくださった。この小特集は、生活と器の間にいるこどもたちと一緒にどう暮らすかということなのかもしれない。
 以前に、ぼくたちは「かきの木通り」という20戸に満たないほどのちいさなまちづくりの計画をした。その土地には、かつて畑や庭と住宅が一軒あった。そこに新しい住人が住むようになってから、今年で4年ほどになる。8戸のいえが生活をはじめた段階で管理組合が発足したときに、ぼくは「かきの木通りのこどもたちへ」という絵本形式のものをつくって、それぞれのいえにお渡しした。いえという器にこもらずに、もっとひろく生活することを考えようということを伝えようとしたのだった。
 「住む。」の「ひと と いえ と まち と」は、その文章の一部を変えてあらたにプロのイラストレーターの手による絵が加えられた。それによって、普遍的な内容を持つ、ずっと素敵な絵本になった。

 かきの木通りでは、法的な拘束力のある制度をつかって具体的なルールをつくり建物などのありかたに制限をもうけた。それぞれのいえは少し制限をうけるところもあるけれど、それによって、まちはむしろ住みごこちがよくなる。まちがよくなれば、めぐりめぐって自分のいえも気持ちよく住むことができる。ちいさなコミュニティのよさのひとつは、たがいによく知っているので、そういうことを実感しやすいことだ。
 とはいえ、自分の外にある規則を守ることを求められると、ぼく自身そうだが、その範囲でできるだけ多くのものを手に入れないと損をするような気分になりがちだ。だとすれば、法的な力のない約束ごとがあれば、かえって自発的にそれに沿った暮らし方をえらぶという気持ちになるのではないか。
 建物の中だけが自分のいえではないし、敷地の中だけが自分の場所ではない、もっとひろく自分の場所があると考えた方が、じつはもっとゆたかに気持ちよく暮らすことができる。そういうまちをつくって育ててゆくということを、このまちに住む子供たちに約束する、という絵本をつくろうと思った。このブログのテーマにしているMyPlaceの考え方を絵本にしたものでもある。「ひと と いえ と まち と」は、aki's STOCKTAKINGに紹介して下さったように、つぎのような章立てで構成されている。
 ・曲がりかどには樹が
 ・小道のすきまには草花が
 ・いえといえの間には
 ・古いレンガの塀
 ・このまちのまわりには
 ・きみのいる場所

 Sumu2006AkiFrt.jpgCnfort2007-10.jpg「住む。」2006年 秋号は「小屋の贅沢」という特集だったので、「小屋新聞」というコーナーの1ページで「タイニー・ハウス」について書いて欲しいと注文された。ぼくは「タイニーハウス・ゲーム」というタイトルで、小さいいえだからこそ素敵なことがあるということを書いたのだが、そのときに編集長の山田さんから「かきの木通りのこどもたちへ」のように子供のために書くという形式にしたらいいのではないかと提案された。「かきの木通りのこどもたちへ」は、住民のためにつくったものだから、それまで、ほかの人には見せたことがなかったのだが、こんなものがあるんだと山田さんにお見せしたことがあったからだ。

 もうひとつ、「コンフォルト」の2007年10月号に、かきの木通りのことを取り上げていただいた。「うちの庭は隣の庭」というタイトルで、こちらは具体的に、かきの木通りの状況を写真で伝えてくださった。
 このごろでは、いなかでも珍しいことだが、天気のいい日には子供たちが外に出てきて歩行者のための遊歩道で遊んでいる。どこかのお父さんがよそのうちのボウズを呼び捨てにしている。ヘビがいたよなんてことを知らせるために、よその子たちが呼び鈴をならしてやってくる。レンガの塀を見て生活したいからといって北向きにいえを建てたひとがいる。まちは、以前からそこにあったモノたちやこどもたちやのおかげで、徐々に自在につながってきているようだ。
 「住む。」と「コンフォルト」という、別の時期に発行された別の雑誌がブログによってひとつにつながって、「かきの木通り」のありかたとMyPlaceという考えかたが分かりやすくなるのだとすれば、これはインターネットらしいことだなと、楽しくなった。

KakiFront.jpg「かきの木通りのこどもたちへ」は、ここに住むおとなたちが、子供たちに気持ちのよいまちを残すことを約束するという形式の絵本だ。「ひと と いえ と まち と」との形式の大きなちがいは、イラストでなく生活をはじめて間もない頃の写真を使っていることだ。それに対応する文章を見開きで向き合わせるというレイアウトで、末尾にあげた7つの項目と見開きのマップで構成されている。「住む。」の「ひと と いえ と まち と」は、実物の本で読んでいただくことができるが、(お買い得の充実号です)「かきの木通りのこどもたちへ」は他に読むすべがないので、目次に見開きのページをリンクさせて、見ることができるようにしました。見なおすとあちらこちらに直したいところもあるのだが、資料としてそのままにしておきます。
 ・大通りの曲がり角には木が立っている
 ・いえのあいだには小道がある
 ・かきの木通りのいえにはには塀がない
 ・かきの木通りのまちにはレンガの塀がある
 ・かきの木通りには鳥たちがやってくる
 ・かきの木通りの西側にはひろい道がある
 ・早通のまわりには海のように田んぼがつづいている
 ・地図
 ・きみたちに誓うこと ・約束
 ・わたしの場所・あなたの場所

関連エントリー
季刊「住 む。」春号No.25/aki's STOCKTAKING
季刊“住む”を購入/藍blog
タイニーハウス/MyPlace
「住む。」 秋号:タイニーハウス・ゲーム/MyPlace
ヤマカガシ/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 05:30 PM | コメント (14)

February 11, 2008

オン・ザ・ロード

OnTheRoad.jpg「オン・ザ・ロード」/ジャック・ケルアック著/青山南訳/河出書房新社/2800円

 ぼくは手に汗をかくたちなのですぐに本を汚してしまう。持ち歩くときに表紙が、読む間にはページの下と縦の端がよごれる。だから、読んでいるあいだは表紙の上からもう一枚カバーをかける。単行本は大きさも厚さもまちまちだからA3のコピー用紙をつかう。せっかくなら読んでいる本のデザインを持ってたいから表紙をA3の紙にコピーする。白黒コピーだからその上に色鉛筆で記号のように色を加える。あるいはamazonから取り込んだ表紙の写真をカラーでプリントする。
 「オン・ザ・ロード」の装丁はうつくしい。ターコイズブルーの一歩手前の明るいブルーにタイトルと著者・翻訳者の名前があるだけのシンプルな表紙カバーでつつまれている。さらに藤原新也の写真の腰巻きが加わる。色だけの表紙をきれいにプリントすることはできないからA3の白紙をカバーにしていたが、もの足りなくて外してしまった。

 若者が主人公のこの小説は、かつて「路上」というタイトルだった。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」とともに、学生時代の旧友であるような気がする。高校までぼくは地理という学科がきらいで、地理的な概念というものにもあまり興味をもたず、今にしてみればずいぶん損をしたものだが、そういう地理嫌いをすっかり洗い流してくれた。

 復員兵を支援する制度で大学に行き文学を志す若者サル・パラダイスが、友人ディーン・モリアーティーと一緒に何度も旅に出て、1950年前後のアメリカを縦横無尽に走り回る。ニュージャージー、ニューヨーク、シカゴ、デンバー、サンフランシスコ、ニューオリンズ、メキシコシティ。ドラッグを人間にしたようなディーンと二人で、狂気に駆られるようにクルマにムチを入れ、自分とクルマの限度を超えてもなお酷使する。ときに自分の車、あるいは友人に借りたクルマ、陸送を引き受けたキャディラック、盗んだ車。前に読んだときにはディーンの強烈な毒も元気の素になったが、今度は、おいおい、そこまでやるのかと心配になる。40年近くも経てば、こちらは大人になってしまう。ちなみに、アレン・ギンズバーグが、カーロ・マルクスという名前で登場している。

 その間にぼくたちもいろいろなことが見えるようになった。AKIさんにお借りした「パソコン創世記・第三の神話」を読みはじめると、このON THE ROADについて触れているところがあった。パーソナルコンピューターの草創期は、サル・パラダイスことジャック・ケルアックたちがアメリカ中を走り続けていた頃とちょうど重なっているのだ。可能性の限界までクルマを走らせ、ホーボーや黒人、メキシコ人たちの世界に飛び込むことで日常の枠の外、感性と身体の限界のむこうに何があるかを知ろうとしていたビートジェネレーションの若者は、コンピューターに人間の能力を拡大してくれる能力を夢見る若者と、世界を共有していたのだろう。ボブ・ディランが「ON THE ROAD」から大きな影響を受け、スティーブ・ジョブズがボブ・ディランの大のファンだというのも、そんなつながりがあるのかもしれない。

Click to PopuP この新訳では、巻頭に見開きでアメリカの地図が加えられてずいぶん親切になったのだが、ぼくはもっとくわしい地図を見ながら読むために地図を一枚コピーしてたたみ栞にして、さらにMacでGoogleマップを開いていた。
すいぶん読み進んでから、A3の紙に地図をプリントアウトして表紙カバーにすればいいじゃないかと思いついた。
Googleマップのアメリカが画面の左右いっぱいに入る大きさにしてプリントアウトした。彼らの移動の拠点のひとつデンバーの下に「ON THE ROAD Jack Querouac Tamai Kazoumasa」と打ち込んでぼくの名前もケルアックのようにフランス風のスペルにして、やっと満足すべき表紙カバーができた、と眺めていたら著者のスペルが間違っている。紙ももったいないからもうこれでいいことにした。

 この本の映画化権をF.コッポラが手に入れて、脚本を二度書かせたが気に入らない。で、「モーターサイクルダイアリーズ」の脚本家に依頼しているそうだ。どこをどんなふうに切り取るべきか難しいのだと著者の後書きにあるが、そりゃあそうだろうな。
インターネットの網を、自分たち自身が走り回っているようなものだから、それを2時間ほどのフィルムにまとめるのは容易なことじゃないだろう。

投稿者 玉井一匡 : 02:23 AM | コメント (8)

January 26, 2008

デートDV

DateDV.jpgデートDV /遠藤智子/1,260円

1月20日につくばみらい市の市役所が、公民館でDV(ドメスティック・バイオレンス)についての講演を開く予定だったが中止された。講演に反対するメールが多数送られ、スピーカーを市庁舎に持ち込んで反対した男たちがいたので、混乱を避けるとして市がこれを中止したというのだ。夫や同居する男に暴力で支配される女のひとたちを救おうとする行動に反対するということがまず分からない。それを強引にやめさせようとする人間の主張を、市役所が受け入れる論理がわからない。
 2004年の警察の統計で、夫による妻の殺人は1年に127件という。3日にひとりの妻が夫に殺されたことになる。殺される前の暴力にさらされている人たちはそれよりもはるかに多いはずだ。しかし、そういう深刻な事態はあまり知られていないし、ぼく自身、娘がDVシェルターに実習で行っていたときに知ったことだった。それを広く知ってもらうために開こうとする講演を力ずくで中止させようとするには、どういう論理があるのだろう。
 現在あるいは過去の婚姻や内縁関係にある男女間のDVには、充分ではないにせよDV法がつくられている。しかし、この法は恋愛関係にある男女間の暴力は対象にされていない。「デートDV」は、そういう暴力が想像以上に多いこと、その予防や対処について書かれた本だ。

「デートDV」をキーワードにGoogle検索をしてみると267,000件あった。それは、もちろん、問題の多さを示しているのだが、中にはデートDVを防止しようという活動に反対するサイトも含まれていて、つくばみらい市のできごとを反映している。著者の遠藤智子さんはDVシェルター全国ネットのNPOの事務局長。この本の前にも、共著の「女性たちが変えたDV法」がある。国会にはたらきかけて超党派の議員たちと協力してDV法の改正にこぎつけた経過を書いたものだ。「デートDV」の印税はNPOに寄付されます。

つくばみらい市の講演中止に抗議し、改めて開催を求める署名活動が行われている。締め切りが1月28日で、もう駆け込みになってしまいましたが、下記の書き込みサイトから即時ネット署名できます。
 署名フォームはこのサイトへ:1月28日締め切り
■新聞による報道
「DV防止法:反対団体の抗議で講演会中止 つくばみらい市」@毎日新聞(1/18)
「抗議受け市の講演会中止に DV被害支援めぐり」@MSN産経(1/17)
「DV防止法講演会 団体抗議で中止に つくばみらい」@東京新聞茨城版 (1/18)

*このブログでエントリーした「吉原御免状」は、遠藤さんに教えてもらった本だ。

投稿者 玉井一匡 : 02:14 PM | コメント (6)

January 17, 2008

「20km歩き」と「川の地図辞典」

Click to PopuP
 前回のエントリーを書いている途中で、なぜか後半部分が消えてしまった。それを書き直すと、ちょっと長くなりすぎたので別にエントリーすることにします。

 次女が小学生のとき、夏休みの宿題に20キロ歩きというのがあった。どこでもいいから20km歩いて、そのレポートを提出するというものだ。何回かに分けて歩いてもいいのだが、ちょうどいい機会だから、ぼくは娘を誘導して近所を流れる妙正寺川づたいに海まで下ることにした。海まで歩いてみたいとは、前から思っていたことだった。町の中を歩くからお弁当ではなくて途中のホットドッグやかき氷などを約束した。小滝橋で神田川に合流して海までいくとおよそ20㎞になる。端数は寄り道して調整すればいい。

 わが家の夏休みの宿題の常として決行は8月も末になったが、たまたま前日にすこぶる強力な台風がやってきた。しかし当日はうって変わって雲ひとつない快晴のうえ、大雨が地盤を傷めたので総武線、中央線は運休、川底は水がさらってくれたので粗大ゴミが転がっているところなどない。おそらく何年に一度あるいは生涯に一度の美しい川のほとりを歩くことができたのだろう。前日より水量が減ったとはいえ、底のコンクリートを感じさせないくらいの深さはあった。
 恥ずかしながら、このときに歩いて、ぼくは神田川と隅田川の合流点が柳橋であることをはじめて知った。自宅の近くに2軒ほど江戸小紋という小さな表札を出している家があるが、それは妙正寺川が近く、布を晒すのに都合がいいからであることもこのときに知った。落合や早稲田のあたりにも染め物にかかわる家がいくつかあったから気づいたことだった。
 柳橋で隅田川沿いに右折して海にゆくはずだったが変更して左折、両国で橋を渡ってほぼ無人の江戸東京博物館をめぐり、浅草に行くと思いがけずその日はサンバカーニバルだったので気前のいい肌の露出にあずかった。稲荷町まで行ってもういちど雷門に戻り20kmを達成して天丼でゴールとなった。

 「川の地図辞典」を開いて、この川下りのあとを辿ってみると、p269-268から→ p87-86→ p101-100→ p23-22→ p39-38→ p123-122の雷門まで、この本の12ページ分にわたるのを確認して、ちょっとした満足を得る。

 このとき僕は川を知りたいと思うよりも、川をひとつの切り口に東京というまちを縦断することによって身体的に実感したいと思っていたのだが、川とまわりの地形は記憶に深く刻みこまれたらしい。その後、事務所を飯田橋に近い神楽坂に移したとき、自転車通勤のルートは自然に川沿いのみちをとることにした。それなら、きっと往きは下り一方にちがいないと思ったからだ。
しかし、走っているうちに川べりの道は歩行者優先や建物が際まであったりすることがわかった。さりとて表通りはクルマが多くて気持ちよく走れない。川からすこし離れて並走する道に落ち着いた。これは、落合から目白を経て江戸川橋につながる高台の足下を蛇行している。だから片側にはいつも高台が控え、そこへ登る坂道と交差する。

 地形が明確であるところ、構成が把握しやすいまちにいるのは、とて気持ちよいものだ。そして、まちには重層する時間や生活が感じられるほど味がある。この本は、地形や町の構成を把握するのに、そして時間を遡るのにも有能な相談相手になる。つまり、まちを気持ちよく面白くするためのいい道具なのだ。
もしも、この20km歩きの時に「川の地図辞典」を持っていたら、ぼくはどうしていただろうと考える。他の川との合流地点や神田上水にも寄り道をしたかもしれない。そして、隅田川に着いてからは、枝分かれする堀を探しただろう。それにあのころは池波正太郎もまだ読んでいない。もう一度、こんどは上流をすこし省略して、椿山荘の足下の水神社あたりから、花見を兼ねたころにでも歩いてみるか。

投稿者 玉井一匡 : 03:27 AM | コメント (18)

January 09, 2008

川の地図辞典 江戸・東京/23区編

KawanoChizujiten.jpg川の地図辞典 江戸・東京/23区編/菅原健二著/之潮(collegio)刊/3,800円+消費税

 現在の東京23区の白地図に川の位置を描きこんだものと、同じ場所の明治初期の地図をとなり合わせのページにならべた地図帳(アニメーションのように素早くページを繰れば残像を利用して比較しやすい)。それに、川ごとの説明が分かりやすく書かれている川の辞典という構成。だから「川の地図辞典」である。現代の地図は、国土地理院の二万五千分の一に、暗渠になったものも含めて川を分かりやすく書き加え、明治の地図は明治10年代の陸軍測量局によるものを使っている。

 ものごとを知るには、まったく逆の二つの方向がある。ひとつは、自分自身が直接に接する具体的な事柄から疑問をいだき、そこから普遍的な原理に至る方法。もうひとつは、まず普遍的な原理を知り、それを物差しにして具体的なものごとを理解してゆく方法だ。
この分け方で言えば、一見したところこの本は二つ目の方法をとっている。ただし、読者はひとつ目の方法をすでに身につけていることを前提にしているから、じつは二つの方法で攻めようというのだ。さらに、Google Earthの併用も考えているのかもしれない。この一冊で、川という要素を主要なツールとして東京23区の地形全体を表現しているのだ。原理を提供し、読者それぞれが具体的な接点を発見し書き加え肉付けしてゆく。
 ぼくは、小世界をポケットにいれるような、こういう本が大好きだ。たとえば日本野鳥図鑑であれば、鳥によって日本の全体を表現する、日本という世界のミニチュアを一冊の本にしてポケットにいれて運ぶことができるわけだ。広辞苑は持ちあるくのにはちょっと重いけれど、ことばという網で掬い上げた日本のミニチュア。つまり、「川の地図事典」は川という網で掬いとった東京都23区のミニチュアなのだ。

この本が、kai-wai散策の1月3日のエントリーで紹介されると、つぎつぎとコメントが増えていき、1月12日,15:46 現在で100を超えた。エントリーの前日、1月2日のkai-wai散策のエントリーへのコメントで、わきたさんがこの本のことを紹介されたことがそもそものはじまりだった。 
発行元・之潮(コレジオ)の代表の芳賀さんは、「川好きotoko」という名でコメントに加わり、つづいて「川好きonna」さんも登場して、ブログと本の世界がつながるべくしてつながった。それをつなげたのは、川とまちを歩くという現実世界での行動であることがとてもすてきなことだ。

追記
下記のブログで「川の地図辞典」についての「同時多発エントリー」をくわだてましたので、まだでしたらお読みください。
■masaさん:kai-wai散策:「川の地図辞典
■わきたけんいちさん :Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」:「『川の地図辞典』(菅原健二/著)
■M.Niijimaさん :Across the Street Sounds:「川の地図辞典
■じんた堂さん:東京クリップ:「フィールドワーク:尾根を行く川
■光代さん:My Favorite Things:「川の地図辞典」
■AKiさん:aki's STOCKTAKING:川の地図辞典
■IGAさん:MADCONNECTION:川の地図辞典-1

投稿者 玉井一匡 : 10:32 AM | コメント (10)

January 07, 2008

「美の猟犬」と安宅英一の眼

BinoRyouken.jpg「美の猟犬―安宅コレクション余聞」/伊藤郁太郎著/日本経済新聞社/2940円

 MacBookを引き取りにアップルストアに行く前、閉館3分ほど前に三井記念美術館のミュージアムショップに駆け込んだ。
「安宅英一コレクション」の図録がほしいというと、「いまはもう福岡市美術館に行ってしまったので振込で買って下さい」と言う。
電話をかければよかったと悔やんだ。
 年末に展示を見たときには、あたり前だが実物を見た後では図録の写真とのあいだに違いがありすぎてちっとも惹かれなかったのに、この本を読んだらやはり図録がほしくなってしまった。
 焼き物に詳しいわけでもないのに、12月に安宅コレクション展を見に行ったのは、かつて豊臣秀次がもっていた国宝の油滴天目茶碗が展示されるときいたので、それを見たくなったからだが、他にもうひとつ。自宅の近くにある三井文庫の所蔵品とそれを展示する機能が、一年半ほど前にこの美術館に移されてしまったからだ。三井家の屋敷などありそうもない小さな私鉄駅の近くにひっそりとある三井文庫は、充実した内容の割にあまり多くの人が来ることもなくこぢんまりとしていい雰囲気だったのに美術館が三井本館に移されてしまうと、身近にいたひとが別世界にいってしまったようにさみしくなった。今頃になって、それがどんなところに行ったのかも知りたくなった。

 重要文化財に指定されている三井本館の会議室をほぼそのままに展示室にした堂々たる空間に包まれると、昔の財閥の金の使い方も捨てたものではないと思ってしまう。人も少なくて落ち着いている。目当ての国宝・油滴天目茶碗は思いのほか小ぶりで切れのいい姿も、紋様も美しい。
けれどもそれだけに、世界が完結してしまって広がりがないように感じられた。
もしも「このなかでどれかひとつあげるよ」なんて言われたとしても、ぼくだったらあっちのほうがいいな、などとあつかましいことを思って笑いをかみ殺す。(青磁陽刻 牡丹蓮花文 鶴首瓶/大阪市立東洋陶磁美術館蔵)
 クスリと笑ったのは一度だけではなかった。展示品を護るガラスのところどころに、それを入手したときのエピソードが書かれていて、それが安宅英一と陶磁器とのありようを生き生きと伝え想像力をかきたて、その執着ぶりへの共感と羨望が笑いに導くのだ。
 図録にその文章が書かれているのだろうと思い、帰りにミュージアムショップで開いて見たが、それはない。しかも実物を見た直後では図録の写真がちっとも魅力的に思えず、このときは図録を買わなかった。

 後日、図書館のサイトで「安宅コレクション」をキーワードに検索するとこの「美の猟犬」が出てきた。新刊書で予約はまだだれもいないのですぐに借りることができた。著者は、大学を卒業して安宅産業に就職し、以来、会長の安宅英一の意を受けて美術品の買い付けなどを担当して、篤い信頼を受けていた伊藤郁太郎氏。だから「美の猟犬」とは著者自身のことで、むろんハンターは安宅英一だ。
 安宅産業が倒産したあと、安宅コレクションをそっくり住友商事が引き受け、それを寄贈されてつくられた大阪市立東洋陶磁美術館の館長に伊藤氏がついた。安宅コレクション展の展示物はことごとく東洋陶磁美術館の所蔵品だし、ガラスケースに書かれていた文章は本書からの引用だったのだ。
 その大阪市立東洋陶磁美術館のサイトは、主な所蔵品についてとても丁寧に説明されている。「館蔵品紹介」には「館蔵品カタログ」と「QuickTime VR」のページがあって、前者には写真と解説、後者には油滴天目茶碗など数点をQuickTime VRによって回転させることができるので、器のすべての方向からの姿が見られるのが楽しい。

 Wikipediaの安宅産業の項には、安宅英一は美術品の蒐集などにふけり会社を傾けたと言わんばかりの記述がある。それは、ひとつの真実なのかもしれない。しかし、安宅産業が倒産したあと安宅コレクションを住友グループが一括して引き受けることになったときに残念がる著者に、「誰がもっていても同じことではないですか」と安宅は言ったという。それ以前からも、蒐集したものを日常の自分の身の回りに飾るということにはいっさい興味を示さなかったと、この本に書かれている。
 美術品を手に入れるとき、いや、コレクションに加えるときに示した執着ぶりを、このような態度やことばと共存させた人物を、ぼくは尊いと思う。

■2007年10月から2008年3月まで、東洋陶磁美術館は工事のために休館
 そのおかげで、この巡回展示が可能になったわけですね。

追記:関連エントリー
■kawaさん:Thngs that I used to do. 河:青磁の美 出光美術館

投稿者 玉井一匡 : 11:33 PM | コメント (11)

November 21, 2007

第三の脳

dai3nonoh_.jpg「第三の脳——皮膚から考える命、こころ、世界」/傳田光洋/朝日出版/1575円

 本当におもしろい本だ。世界観ということばのように身体観というものがあるとすれば、この本は、ぼくのそれを一変させるものだったから、読み終わると、ひと仕事片づけたあとのように気分がいい。
 「第三の脳」が皮膚を意味することは、副題からすぐに分かる。しかし、なぜ第三なのか第二は何かと、だれしも思う。「第二の脳」は胃なのだ。では、なぜ胃が第二の脳なのかという説明のために、かつてアメリカの学者が行なった実験が紹介されている。ハムスターの消化器系、つまり食道から肛門までを取り出す・・・というところで、ぼくは「世界屠畜紀行」を思い出した。あちらは、消化器系の中に入っている消化中の食べ物がこぼれて肉を汚さないように解体して、しかもそれを食べられように切り分けるためだったが、こちらは消化器系だけを脳の支配から切り離すためだ。取り出した消化器系は培養液に入れられるとしばらくは生き続ける。
さて、取り出されたハムスターの喉に錠剤のようなものを入れてやる。すると、消化器は順に動き出して、錠剤を肛門まで送り届けるという見事なパスワークをやってのける。監督の指令など何にもなしにだ。つまり、喉には何かが入ると、脳へ報告して指令を受け取るなんてことをするまもなく、そのできごとをみずから感知し反応し、それをつぎの器官へ知らせ、消化器たちはひとつのシステムとして機能する。脳の指図なしに自分で判断する。そういう消化器のありようを「第二の脳」と表現したのだ。

 ある実験によって、皮膚も同じように振る舞うことに著者は気づいたので、それを「第三の脳」と言った。皮膚の細胞は外からの刺激をうけると神経を経由して脳に送るまでもなく→自分でそれを感知し→どう行動するかを判断したのちに→皮膚の他の部分に伝え→皮膚が傷つけば自分で修復してしまう。それが「第三の脳」という表現になった。

 著者は資生堂の研究者だが、生物や医学の研究者だったわけではなく、大学では生化学を勉強したという。入社後、製品設計というのをしていたが、30歳のときに基礎研究をしたいと希望して皮膚の研究をする部門に移動する。医学や生物学の勉強は、それからはじめた。研究者にありがちな重箱の隅をつつく視点にとどまることなく広くシステムを考えることができたのは、そうした経歴が影響しているのだろう。さらに、彼の情熱を後押ししたのは、自身がアトピー性皮膚炎を抱えていたことだ。それが、偏狭な研究領域の縄張り意識からの自由を与えたにちがいない。
 途中まで書いたままでいたら、今朝の新聞に出ていた記事がこの本に書かれていたことを思い出させた。「人の皮膚から万能細胞」という見出しで、ES細胞は受精卵からつくられるが、それとはちがう万能細胞(iPS細胞)を、皮膚からつくる実験に成功したというニュースだ。
 受精卵の成長の過程をたどれば、卵の同じ部分の一部は皮膚になり、ほかの一部は変形して脊髄や脳になる。だから脳と皮膚は生まれが同じだと、この本に書かれていた。それを逆にたどって皮膚の細胞からなんでもつくれるというのも、当たり前のような気がしてくる。
 皮膚というやつを、ただの上っ面という過小評価をしていたことを、ぼくは深く反省した。

 読み始めれば面白い本なのに、はじめの数章は中学高校の教科書を思い出すような挿絵があるのが、かえって読む気を萎えさせる。それを、須曽さんによる表紙と扉のイラストがおぎなって、おもしろい気分で読めるようにさせてくれる。これがあるおかげで、きっと10倍の読者を獲得することができるだろう。 
 じつはこの本は、「楽しいカタチの帽子」といっしょに須曽さんが送ってくださったものだ。そういえば、カエルの皮膚は人間の皮膚と似ているなんてことも書いてあった。

投稿者 玉井一匡 : 11:39 PM | コメント (4)

November 14, 2007

楽しいカタチの帽子

SusoBookBoshi.jpg楽しいカタチの帽子/スソアキコ/文化出版局/1,680円
 イラストを担当されたもう一冊の本と一緒に、須曽明子さんがこの本を送ってくださった。そのもう一冊は、いま読んでる途中なのだが、おもしろそうなことがはじまるので、それに遅れちゃあいけないと思ってまずはこの本のことをエントリーすることにした。11月中旬からスソさんの帽子のレンタルを始めるというのだ。しかも、週末に寄った江古田図書館の新着図書の本棚にこの本があったので、ぼくはなんだかうれしくなってしまい、自分の本を持っていながら借りてしまった。だから、この本の写真は、表紙に分類のシールが貼ってある。
須曽さんは、イラストレーターとして、独特の世界をつくっちゃう人だが、ぶっ飛んだ帽子もデザインしてつくっちゃう帽子のデザイナーでもある。わきたさんも、スソ世界にはまっちゃったようだ。

 ぼくも何度か個展にうかがったことがある。それでも、帽子は好きなのだが、自分でかぶるとなるとなかなか勇気が取り出せないような個性あふれる帽子たちだ。あのやせがえるが即身成仏したアトリエの真ん中にミシンを置いて、まわりをところ狭しと材料や型が埋め尽くし、仕事場の空間はイラストより帽子の方が圧倒的優勢だった。
 衣類がどれもそうであるように、帽子のデザインは、二次元の材料である布を切り抜いて3次元に変身させてしまう魔法だ。からだを包むというところは衣類と変わらないけれど、脳が特別な存在であるのと同じように、帽子は特別に象徴的なものだから、須曽さんの帽子をかぶるのはちょっと決心がいるのだ。と、書いたあとでスソさんが送ってくださったもう一冊の本のタイトルは「第三の脳」であることを思い出した。第三の脳とは皮膚のことなのだ。だったら、衣類は第二の皮膚、帽子は第二の顔でもある。

この本に、男女のモデルが帽子を頭にのせた写真がたくさんあるし型紙も豊富に折り込んてある。「楽しい帽子を自分でデザインして自分でつくり自分で かぶってみようよ」といいたいのだ。

投稿者 玉井一匡 : 08:46 AM | コメント (2)

November 09, 2007

インテリジェンス

 インテリジェンス・武器なき戦争/手嶋龍一・佐藤優/幻冬社/777円
 AI はArtificial Intelligence:人工知能、CIA はCentral IntelligenceAgency:中央情報局だ。この本のタイトルは、知能の意味ではなくてCIAの「I」の方なのだろうとは、対談するふたりから察しがつく。数限りなく入って来る情報(インフォメーション)を、その価値や信頼性を評価し取捨選択してそれらをシステムとしてくみたて意味を読みとって国家の行動のもとにする能力。そうやって精選された情報。それらをインテリジェンスというらしい。それが個体としての能力であれば前者の意味になり、国家のような組織体の能力であれば後者になるわけだ。

 佐藤優は鈴木宗男とともに逮捕され葬り去られたものと誰しも思っていたが、刑事事件の被告という立場を持続しながら数年にして表舞台に浮上するという離れ業をやってのけた。外務省は休職中とある。手嶋龍一はNHKのワシントン支局長としてワールドトレードセンターの崩壊をニュースで伝えた。この本のあとに佐藤の書いた「国家の罠」「自壊する帝国」、手嶋の「ウルトラ・ダラー」を読んだが、「インテリジェンス」が期待させたとおり、佐藤は傑出したハードボイルド探偵で同時にすぐれた著者だ。以前に、ロマンスのR:女ハードボイルド探偵というエントリーで、ハードボイルドについてつぎのように定義したが、彼はまさしくこれに適合する。
「ハードボイルドは2つの要件を満たさねばならない。
(1)みずからに課した掟は徹底的にまもる。そのためであれば、社会的な約束事から逸脱することもいとわない。おそれない。
(2)みずから事件の中に飛び込んで事件の動きにかかわり、ときに流れを変える。 」
かつて佐藤は、ソビエト連邦と共産党という堅固な制度の腐敗と崩壊の近くに立ち会った。その状況に、日本の現在のありようが似ていると危惧している。省庁という制度の中での位置の上昇競争を最大の関心事としているキャリア官僚たちにとっては、制度の腐敗や老朽に対する関心も「インテリジェンス」の活用にそそぐ情熱も薄くならざるをえない。こういう日本の官僚世界と佐藤優が背反することは、いずれにしろ必然だったのだ。

 かつて二人が属していたNHKと外務省という組織は、日本ではもっとも情報を集めやすいはずだ。報道機関にとっては情報そのものが最終的な商品だけれど、外交にとって情報は道具あるいは材料にすぎない。「インテリジェンス」は、それを現実の世界に活用しなければ意味がないからだ。それを生かすためのパートナーと見込んで、佐藤は鈴木宗男を選んだ。

 うどんなどを旨く食べるために、それだけではとても口にできない唐辛子などを、ぼくたちは薬味としてわずかに散らすのだが、この本ではそれが逆になっているかのようだ。佐藤優という痛烈な毒を初めて吞み込むには、手嶋龍一をふりかけると喉ごしがいいのだ。しかも、対談という形式が、もっと口当たりをよくしている。
 ・・・・というところで一度は終わらせていたら、手嶋龍一をいいと思うのかと友人に聞かれた。そういうつもりはまったくないので、誤解されないようにすこし付け加えておこう。手嶋による「ウルトラダラー」は、北朝鮮が偽札をつくるというおもしろい題材をあつかった小説であるにもかかわらず、リアリティがすこぶる希薄なのだ。人間のディテールを描けば描くほどステレオタイプにおちいる。持ち物や着ているのものや車のブランド、組織の地位などで表現するしか方法を知らない。そんな表面的なことでしか人間を表現できない人に「インテリジェンス」を読み取る力が備わっているとはとても思えない。上記の友人に言わせれば「偽ドルはCIAの仕業だというのが常識になってるんだろ」という。

投稿者 玉井一匡 : 10:08 PM | コメント (2)

October 01, 2007

東京たいやきめぐり

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東京たいやきめぐり/くいしんぼ倶楽部/バナナブックス/1000円
18のたい焼きと、その店がでている。ぼくもかつて行列するたい焼きというエントリーをしたことがあるから、たい焼きはすきなのだ。「ウィンナを入れたのがたい焼きかよ?」「あそこのたい焼きは入っていないのかな?」なんて、勝手なことを言いながらページをめくる。しかし、この本は「たいやき」のガイドブックであるより、「たいやきの世界」の本あるいはガイドブックなのだ、きっと。どのみち誰もが満足するように店を選ぶことなどできやしないことなのだから、「たいやきの世界」を伝えるには、邪道といわれようが外道と非難されようが、こんなたい焼きもあるんだということを言わなければならない。邪道の存在は、むしろたい焼きという概念と世界の大きさと力を物語るのだ。

日本の文化にあって、鯛という魚は特別な位置を占めている。地鎮祭に生で供え、婚礼に飾り、えびすさまが抱え、正月の食卓の主賓となり、初詣で売られる飾りものにも酉の市の熊手にも鯛は欠かせない。海の幸を代表する鯛という文化の存在を、ぼくたちは無意識のうちに了解してたい焼きを食べる。
バナナブックスには、いまのところ名建築シリーズとジャポニカシリーズがあって、これはジャポニカシリーズの一冊だ。いずれのシリーズも「ひとつの完結した世界」をテーマにしているとぼくは勝手に思いこんで、それを評価している。それを小さな器の中に詰め込めば、なおさらぼくは好きだ。
辞書、図鑑、夭折した詩人の詩集、歳時記コルビュジェの「小さな家」、列車時刻表、地図帳などがそうであるように、本の中にひとつの世界を詰め込んであるものが、ぼくはすきだ。それをまるごとポケットにいれて外に出るのは、こころ浮き立つことだから、それが小さくて軽ければもっといい。この世界はかぎりない数の小さな世界が入れ籠になっている。それを感じる楽しさを、このシリーズで育てていってほしい。このシリーズは英語でも解説と文章が書かれていて外国人に見せることを意図した本でもある。たい焼きを入り口に鯛と日本文化について豆を甘くして食べるアジアの文化について、西欧文化圏の外国人に語ってやりたいと思いながら気づいた。メキシコのお寺で合気道を教えるアレハンドラが、1年近く前にルイス・バラガンのすてきな作品集を送ってくれた。そのお礼としてこのシリーズをことづけよう。

投稿者 玉井一匡 : 10:31 AM | コメント (8)

September 16, 2007

世界屠畜紀行

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世界屠畜紀行  内澤旬子/解放出版/2200円
家畜の解体と加工にかかわるひとたちが、どうして差別されなければならないんだという義憤、動物の解体はどのようになされるのかという好奇心。そのふたつが、著者にしてイラストレーターであるこのひとをつき動かして世界の屠畜の現場を回らせた。内澤旬子は、「印刷に恋して」「本に恋して」のイラストを描いている。出版社や印刷会社の多い神楽坂の本屋には、かつてこの二冊が平積みされていた。このひと、じつは革を使って装丁もするそうで、本から装丁、装丁から革へとつながってこの本のテーマにたどりついたというわけだ。ぼくは、イラストレーターとしてしか知らなかったから、masaさんにこの本のことをきくと、読みたくて仕方なくなった。さっそく近くの大きな本屋を2軒まわったが見つからずamazonに注文した。

 芝浦、沖縄、韓国、エジプト、モンゴル、チェコ、インド、アメリカなどを巡って、規模の大きいあたらしい屠畜場から個人の家での昔ながらの屠畜と解体にいたるまで、食用にする動物の解体を観察し話をきく。ときに作業の一部をやらせてもらう。そのときに、どこでもかならず質問することがある。「家畜を解体する人が差別を受けることがあるか」ということだ。差別は日本がもっとも強く、儒教の国韓国や、カーストの国インドでもある。しかし、その他の国では差別されることはあまりないようだ。
豚、牛、羊は言うに及ばす駱駝などのめずらしい動物を食べるときの解体の方法が、具体的なイラストとともに書かれている。写真では正視できないだろうが、描写がことこまかで具体的であるにもかかわらず、イラストであることで、かわいそうな気持ちはずっとやわらげられる。とはいえ、つらいことには変わりがないけれど、うまいといって食べるからには、生物の命を奪って、そのおかげでぼくたちは生きているのだということを、せめて自覚していたい。

 この本を読んで、屠畜がどのようになされるのかをぼくは初めてくわしく知ったのだが、それだけではない。動物の、ひいては人間の身体のしくみについて、とても明快に理解できるようになった。人間は、食べ物を口から入れて肛門から出すチューブのようなものだという言いかたをされることがよくある。三木成夫の本にも、そんなことが書かれていたと思うが、それが実感としてわかるのだ。
 肉を汚さずうまくたべられるようにするために大切なことがふたつある。ひとつは血を抜くこと、もうひとつは消化器の中に入っているものが外に出ないようにしておくことだ。身体のシステムでいえば循環器系と消化器系の2系統。あとは情報系(そういう言い方はないのかもしれないが)と呼吸器系の内蔵だろうが、これはよごすことはあるまい。
 血を抜くには、たとえば豚が身体は動かなくなり意識もなくなったけれど心臓は動いているという状態のうちに頸動脈を切る。すると、内蔵されたポンプつまり心臓が、その切り口から血を送りだしてくれる。心臓が動きにくくなったら、さいごには前足をふいごのように動かして、手動で心臓ポンプを動かせば残りの血が出てゆく。なるほど、じつに理にかなっている。
消化器系の中身を閉じ込めるには、肛門の周囲を丸く切り抜いて腸を分離し、それを縛っちゃう。入り口側は、食道の途中から切ってこれもしばってしまうと、長い袋の中に、食べ物のさまざまな消化段階のものを閉じ込めることができる。あとは、消化器系を傷つけないように腹を切って、その袋を取り出せばいい。これも、試行錯誤の末のことだろうが、鮮やかだ。
なんと明快ではないか。こうして取り出した消化器系はシロモツになり、循環器系はアカモツになる。血は、ちゃんと受けておいて、それがソーセージになるのだ。

 子供たちのイジメが問題になるたびに、昔はこうじゃなかったという大人たちが多い。しかし、その「昔」という時代には、個人として社会として部落出身者や韓国・朝鮮人を差別していた。いまの子供たちの大部分は、おそらくどちらの差別意識ももたない、あるいは希薄だ。だとすれば、社会をあげてイジメを構造としていたひとたちが現代の子供のイジメを、自分は別のところにいるかのようにして批判する資格はないはずだ。イジメは、だれもが自分自身のなかに抱えている何ものかがあって、それが社会的な仕組みや刺激によって増幅することによるものだということを、自覚することから始めなければならないだろう。
 殺生を禁ずる仏教の教えが、それを生業とする人たちに対する差別を生んだのだろうという仮説のもとに著者はこの取材をはじめ、途中さまざまに考え続ける。何年もかけたこのルポルタージュを、著者は自費で取材した。彼女は企画を出版社にもちこんで、雑誌の連載になり単行本になった。雑誌は「部落解放」、単行本も、この雑誌を出している解放出版から出版されている。おそらく、彼女は立場を明確にするために、この出版社をえらんだのだろう。つよいひとだと思う。彼女のブログ「空礫日記」を読むとその思いを強め、とてもおもしろく魅力的であることを再認識するのはいうまでもない。

■関連エントリー:内澤旬子と3匹の豚

投稿者 玉井一匡 : 12:48 PM | コメント (6)

May 21, 2007

新宿文化絵図

ShinjukuBunkaFront.jpg
新宿文化絵図-重ね地図付き新宿まち歩きガイド
新宿区地域文化部文化国際課 編集・発行 1,260円

「新宿区の中央図書館の建物は、新宿区の図書館で一番古くてきたないかもしれないけれど、資料がとても充実しているんですよ」
「そうなんですか、23区の図書館でいちばん陰気で、ボロくて、なんだか入りたくならないとおもっていましたが」
ひさしぶりに寄ったカフェ杏奴で、もっとひさしぶりにChinchiko Papaといっしょになったので、あれこれ新宿のことが話題になった。この本のことは話題になったわけではないが、その日の夕方に本屋に寄ると、入り口の近くに平積みになっていた。副題には「重ね地図付き新宿まち歩きガイド」とある。狭義の新宿ではなく新宿区についての本だ。手に取ってパラパラと中身をのぞいてみると、新宿区はなかなかやるではないか。あまり意識したことはないけれど、ぼくはこれまでの半分以上の年月を新宿区に住むか仕事をするかしてきたし、自転車通勤では毎日のように新宿区を横断するので、ここには少なからぬ愛着がある。
A4版219ページの本体に特別付録(初版限定)「江戸・明治・現代重ね地図」9冊もついてケースに入っているこの本の、腰巻きに書いてある価格を見て驚いた。1260円で、amazonに注文したら送料がかかるという値段は、どうみても普通の値段の半値以下だ。

 本体は2部に分かれ、「第1部 新宿町歩き10コース」9〜162ページと「第2部 新宿 漫華鏡」163〜205ページ、巻末に「新宿ゆかりの精選120人・新宿人物事典」という人名事典と最後に索引も用意されている。
 *第1部には、それぞれのコース順にまちと歴史と人について書かれた文章に写真と図版が豊富に加えられている。
 じつをいえば、はじめぼくはガイドマップがあるのを気づかずに、この本は「コース」といいながら地図を入れないのは勇気あることだといたく感心した。手厚い情報にならされていると、ついついガイドマップがあれば、そのルートに従って歩いてしまう。すると、せっかくの時間と空間と人の織りなす複雑な世界を、ひと続きの線状の理解に閉じ込めてしまう。だからあえてルートマップをなくして読者の自由な想像力に任せようというつもりなのかと、勝手に想像したのだった。しかしそれはぼくの早とちりで、実はれぞれのコースの扉にルートを描き込んだイラストマップがあった。ちょっと、興奮して損をしたような気がした。とはいえ、それでも力作ではある。

 *第2部の 「新宿漫華鏡」は、さまざまな切り口で九人の著者が新宿を書いている。たとえば川本三郎の「シネマの町新宿」、海野弘の「新宿戦後グラフィティ」、交通博物館学芸員の奥原哲志氏による「120年を超える新宿駅の歩み」などがある。

*別冊の「重ね地図」も力作だ。A3の厚手の紙を二つ折りにしてむろん表側は表紙だが内側の右に現代の地図がある。左側は凡例で、トレーシグペーパに印刷した江戸の地図の右端をそれにのりづけしてある。さらに、右ページの現代の地図の右端にはトレペに印刷した明治時代の地図の端を接着してある。つまり、現代の地図の左右に江戸と明治の地図があって、好きな方を折って現代に重ねれば、現代と比べながら見られるというわけだ。
 新宿区のサイトによれば,この本は初版5000部がつくられ区内の一部の書店で販売されているそうだが、ぼくは飯田橋の芳進堂という書店でみつけて買った。皮肉なことに、この本屋の入っているのは江戸城の外堀を埋めるという蛮行によって東京都が作ったテナントビル「ラムラ」なのだ。
重ね地図は、初版だけの特別付録なのだそうですよ。

*追記
新宿区中央図書館の建物をけなしているようだけれど、とかく公共施設は器ばかりに金をかけて中身がないものが多いことを考えれば、これは悪口ではなくてむしろ褒め言葉なのです。新宿区は、地域図書館はきめ細かく配置されているし、新宿御苑の入り口の近くの図書館は、数年前にあたらしく建て替えられた建物で区の出張所などと一緒の建物だが、とてもきもちよくできている。
ONE DAYで最近エントリーされた「図書館に行く!そしてカフェ杏奴でひとやすみ」でも、カフェ杏奴といっしょに新宿区の中央図書館のことが書かれています。このときカフェ杏奴でもOVE DAYとkadoorie-aveさんのことが話題になっていたのでした。

投稿者 玉井一匡 : 01:25 PM | コメント (19)

April 22, 2007

Monastery of Sainte-Marie de La Tourette:ラ・トゥーレット修道院

LaTourette.jpg
ラ・トゥーレット修道院 1953-60 ル・コルビュジェ
バナナブックス 写真:宮本和義 文:栗田仁
このバナナブックスシリーズの版型はA5サイズで21cm*15cmほどだからジーンズのポケットにいれるにはちょっと幅が大きいけれど、薄くて軽いからジャケットのポケットに入れて連れて歩くにはちょうどいい。対照的に、ぼくたちが学生の頃から親しんできたADA EDITAのGAシリーズは、ほぼ36cm*26cmという大きな版型だから、本棚には特別席を必要としてきた。しかしGAたちのすてきなところは、そのことをむしろアドバンテージとしたことだ。ぼくたちの記憶の特別席を占める建築たちが特別に大きな写真になって一冊ずつの本に納められていたからだ。
 GAから数十年を経てつくられたバナナブックスは、はじめから日本語と英語で表記するという二川幸夫さんの画期的なスタイルを踏襲していることでもわかるように、GAを念頭においてつくられたにちがいない。うまくいけば、バナナブックスも特別席を占めることができるだろうが、それはGAとはまったく別のところ、たとえばジャケットやバッグのサイドポケットだ。

 修道院という建築は、それ自体がとても魅力的だ。なにしろそこは、日常の生活や生産と同時に、宇宙の無限大への広がりと自らのうちへの探求がひとつの場所で一致する、小さな惑星のようなものなのだから。
 この小さな本には、GAの大きな写真が伝えるのと同じものを伝えることは、けっしてできないし、ひとつの「惑星」を伝えきることもできない。しかし、ページをパラパラとめくって修道院のあちらこちらを瞬時に移動して巡るうちに、小さいおかげで、かえって全体像がぼくたちのなかに作られやすくなる。コンピューターに取り込んだ写真をスライドショーで見る時のように、ぼくの中に保存された。
 図面を自在に拡大縮小できるCADのおかげで、あるいは携帯電話と大きなディスプレイとの間を始終行き来しているおかげで、いつのまにかぼくたちは小さな画像によって想像力をひろげる訓練ができているらしい。飛行機の中で見た小さな液晶画面の「Mr.インクレディブル」(the Incredibles)でも充分に感動したり興奮が残されたりしたから、それをどこで見たものだったかを誤解してしまうほどで、自分でおどろいたことがある。さらにぼくたちは、Google Earthを開けばこのあたりの地形について知ることができるし、日本列島もラ・トゥーレットも、同じ惑星の上に乗っていることを実感として知っている。
 GAシリーズのラトゥーレットがみつからないので、ユニテ・ダビタシオンと並べて記念撮影をした。バナナブックスをGAとならべるとずいぶん大きさの印象が違うのだが、面積で比較するとGAの936cm2に対してバナナブックスは315cm2だから、ほぼ1/3。数字にしてみると思いのほかバナナブックスは大きい。1/3の大きさをいつでも持ち運べるというのはうれしい。
 ラ・トゥーレットはコルビュジェが死ぬ1965年まで5年というときに竣工した。開くことと閉じること、影と光、住宅と教会のためのたくさんのボキャブラリーがのこされている・・・はずだ。AKiさんはおもいのほか小ぶりで驚いたと書かれているが、まだぼくは行ったことがない。訪れる時には、この本をポケットに入れて、本のあちらこちらに書き込みを残してこよう。その時には、MacBookかiPhoneでGoogle Earthをつれていくことになるのだろう。ラ・トゥーレットにはFONがあるんだろうか?そもそも、若い修道士たちは、インターネットをつかっているのだろうか。思いはつきない。

投稿者 玉井一匡 : 06:44 PM | コメント (4)

February 22, 2007

「ヒストリー・オブ・ラヴ」


「ヒストリー・オブ・ラヴ」:ニコール・クラウス著/村松潔訳/ 新潮社刊
 両親がとても好きだった小説の主人公の名をうけついだ14歳の少女、その小説「ヒストリー・オブ・ラヴ」、それをめぐるひとびとの物語。
作者はまだ30歳を過ぎたばかりの若い女のひとだが、とても、ひと筋縄ではゆかない小説だ。
 カギ括弧の中にまたカギ括弧があるのを読んでいるうちに、括弧というものが箱であるかのような空間的なイメージが浮かんできた。もともと括弧は文章の中に文章を入れ籠にする仕掛けなのだから、それが言葉を詰めた箱のように感じられるのはあたりまえのことかもしれないが、その入れ籠になった箱の一部がもとの箱からはみ出して、さらに次の箱をあけてみると、いつのまにか、また元の箱のなかにもどっているという具合なのだ。
 中に入っている小説を『ヒストリー・オブ・ラヴ』、それを容れたこの小説を「ヒストリー・オブ・ラブ」と書くことにしょう。『ヒストリー・オブ・ラヴ』は、かつてポーランドにいたユダヤ系の若者が描いた小説で、その著者や描かれた人々がアメリカに渡ってからの物語に14歳の少女たちが加わり広がってゆく物語が、この「ヒストリー・オブ・ラヴ」というわけだ。

 「ヒストリー・オブ・ラヴ」という箱を開けてみると、中には数冊の『ヒストリー・オブ・ラヴ』とその作者、その翻訳者、描かれ登場するひとびと、小説を愛する読者たち、それにひとりの少女とその家族と友だち、いくつかの時代、ポーランド・ニューヨーク・ペルーという空間、それらが丁寧に詰めこまれている。
 ぼくにこんな風に見えるのは、すでにこの本を読み終わったからであって、読んでいる間には、ぼく自身ももちろんこの箱の中に入りこんでいた。『ヒストリー・オブ・ラヴ』の中のある人が書いた死亡記事が、とても美しくて記憶に刻まれた。獄中で亡くなった文学者について、彼は文字に書かれていないことを書いたと讃えているくだりなのだ。「ペンギンの憂鬱」の主人公が死亡記事で生計を立てていたことや、網野善彦が「歴史はもっとも語りたいことを書かない」といったことなどをおもい浮かべた。うつくしいだけではなくて、あちらこちらに小さなぼんやりとした、けれども無駄ではない路地が張り巡らされていて、さまざまな記憶に導いてゆく。
 こういう風にして、この物語の箱のなかに入り込み、外に出ては、自分の持ち物をいっしょにならべたり詰め込んだりしている人たちが世界中に何万だか何十万もいるわけだ・・・20もの言葉に書き換えられて。そうやって、さらにもうひとつの箱の中に、この「ヒストリー・オブ・ラヴ」が詰め込まれているのだろう。そんなふうに、たったひとつの小説がことばたちだけでつくりだした場所を、世界中のたくさんの人たちが大切にしているのだということを思うと、もう一度なんだかゆたかな気分になった。

 日本語の世界にこの箱とその中身を組み立て直したのは村松潔さん。いうまでもなく、「さくらんぼのしっぽ」をお書きになったエマニュエルさんを日本に連れて来ちゃった人だ。「旅の終わりの音楽」という小説は、娘が見つけて来て、ぼくたちのすきな本のひとつになったが、それが村松さんの翻訳だということを、ぼくたちはあとになって知った。音楽のユニットの名称としたPsalmということばは、「旅の終わりの音楽」の原題「Psalm at Journey's End」からとったものだ。かなしいけれど、それだけに、とてもうつくしい小説だった。
村松さんの翻訳の「マジソン郡の橋」は、じつをいえばちょっと気恥ずかしくて、まだ読んでいないのだが、そろそろ読んでみようかという気になっている。

投稿者 玉井一匡 : 02:00 AM | コメント (0)

February 10, 2007

「さくらんぼのしっぽ」

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「さくらんぼのしっぽ」/村松 マリ・エマニュエル著/柏書房
 ある文化の中にいるとあたりまえのことが、じつは、外の人間から見ればもっとも興味深いことなのだということは少なくないけれど、何がそれなのかということは、両方の文化を知りものごとを見抜く力のある人でなければ、なかなか気づかない。著者は長年にわたって日本で生活をおくっている。だから、フランスではあたりまえだが日本にとっては当たり前でないことをよく理解し、そのうえでフランスの家庭のお菓子つくりが書かれている。距離と時間を意識した広く透徹する視野があるのだ。 
「さくらんぼのしっぽ」とは、さくらんぼの実のヘタのことだろうとは想像がつくのだが、なぜそれをこの本のタイトルにしたのかは、すぐにはわからない。さくらんぼのしっぽのようにありふれたもの些細なものの背後に、じつはたくさんのことがあるということなのだ、きっと。一見すれば小さなことの中に、家族という身近な歴史の背後に、ゆたかな文化と歴史が織りなされているのだということを、行事やお菓子やという具体的な生活の断片を通じてぼくたちに見せてくれる。

 ケーキをつくるときは、厳密にレシピの通りにやらなきゃならないと、ケーキをつくる人はよく言う。ぼくは料理はするけれどケーキをつくることはしないので、そういうものかと思っていたのだが、この本によればフランスの家庭ではそんな厳密につくりはしないようだ。計量の大さじと小さじでなくスープのスプーンとティースプーンを、計量カップでなくグラスをつかい、強力粉と薄力粉の区別をせず粉をふるいにかけることもしない。バターでなくマーガリンをつかうことが多いという。
「ケーキづくり」をするのではなく、食べて楽しむためにケーキをつくるというわけだ。そうだよなって同感する。ときどきケーキを作ってストレスを発散する、うちの娘に見せたら、レシピの説明が短くて気楽にお菓子をつくろうという気になるよ、たいていは説明が長くてうんざりするけど、こんな本はないとよろこんだ。これまで彼女は、「こどもがつくるたのしいお菓子」という、子供のためのお菓子作りの本を愛用してきた。
 さくらんぼのエピソードはパリコミューンにさかのぼり、ドイツとフランスによるアルザス・ロレーヌの取り合いのおかげで生まれたロマンスがエマニュエルさんをこの世に存在させたこと、エマニュエルさんの叔父上のおかげでコルビュジェがロンシャンの教会を設計することになるいきさつ、etc. そうした家族の歴史と世界の歴史の重なりが楽しいのだ。

 この本は著者が15歳の頃から書きためた料理ノートをもとにしているのだという。(上の写真をクリックすると、そのくだりの書かれたページが開きます)また、この本をつくるときから描くようになったのだという魅力的なイラストも著者の手で描かれた。フランスで知り合った日本人と来日して結婚。日本に住んで15年というときにこの本が書かれ、それからさらに10年ほどが経っている。フランスの家庭でつくられるお菓子の本とされているけれど、そんな枠を軽々と飛び出してしまう。お菓子のつくりかたを書きながら、じつはフランスそのものが書かれている。そして、ぼくたちは、同時にそこから日本を読み取るから、文化の翻訳をした本でもある。なにしろ、フランスで知り合って、のちに結婚した日本人とは翻訳家・村松潔さんなのだ。以前に「HOW BUILDINGS LEARNという本」というエントリーで村松さんのことを書いたことがある。村松さんご家族は、AKiさんの設計されたOMフォルクスハウスにお住みになって約10年。家が生まれたころに、この本もつくられたわけだ。昨年末に出版された村松さん翻訳の「ヒストリー・オブ・ラヴ」という小説は複雑な構成にして、とても美しい物語だ。

■AKiさんが、さっそく、この本と村松さんの家のことをエントリーされた。
aki's STOCKTAKING:さくらんぼのしっぽ

■追記 いま、村松 マリ・エマニュエルさんは、全日空の機内誌「翼の王国」に、「vous aimez les madeleines? マドレーヌはお好き? 」というエッセイとイラストを連載していらっしゃいます。

投稿者 玉井一匡 : 06:10 PM | コメント (21)

January 30, 2007

「不都合な真実」と「恐怖の存在」

   地球の温暖化に対してまったく違う立場をとっているこの2冊の本を、いずれ読もうと思いながら、ぼくはまだ読んでいないし、映画も見ていない。
しかし、MADCONNECTIONaki's STOCKTAKINGで「不都合な真実」のことが話題になっているのでコメントを書きかけたが、ちょっと長くなりそうなので自分でエントリーすることにした。
マイクル・クライトン( amazonと早川書房の表記はマイクル・クライトンだがwikipediaやNHKはマイケル・クライトン )は、「ジュラシックパーク」「アンドロメダ病原体」などで先端技術の問題点を指摘し、TVドラマ「ER」でアメリカの医療現場や社会の問題を指摘してきたが、そのクライトンがNHKの正月のインタビュー番組で、小説「恐怖の存在」について話した。彼によれば、CO2による地球の温暖化はコンピューターによる予測であり現実にはまだそれほど進行しているわけではないが、現実に深刻な事態になっている問題が他にも多い。だから、まずはその問題の解決に取りかかることが重要ではないかというのだ。

 アル・ゴアの「不都合な真実」は買って読もうと思っていたけれど「恐怖の存在」はつまらなかったら悔しいから図書館のサイトでしらべてみると、たいていの図書館に置いてあるようだ。
 数年前、東電に勤務する友人が「原子力発電はクリーンエネルギーだ」と言った。冗談かと思ったらまったくの本気で、CO2の排出が少ないからだと得意になっているのにあきれたものだが、このごろでは、この論理が当然のように言われるようになった。「ホワイトハウスに招かれたそうですね」と、クライトンにインタビュアーがたずねた。無論、京都議定書を批准もしていないアメリカは、ブッシュが石油の利権を大切にしているからそうしているわけではないとする理屈がほしかったにちがいない。クライトンは積極的に話したい話題ではなかったのだろう、うなずいただけだった。温暖化を原発推進に利用しようとするやつ、クライトンの説をCO2削減策をおこたる理由に使ってしまおうとするやつ。まったく厚かましいかぎりだ。

 さまざまな科学的事実や理論は、経済理論と同じように政治的な立場や経済的な利害にもとづいて自在に解釈されてしまう。そして、マスコミに批判能力が乏しければそれをそのまま、あるいは増幅し変形させて伝え広げる。そういうありようは、いつの時代も繰り返されてきたことではある。しかし現代は、変化の大きさと早さがかつてとは比較にならない、おそろしい、けれども興味深い時代にぼくたちは居合わせたようだ。

まったくの余談だが、クライトンは2mを越える長身なのだそうだ。

■関連サイト
Michael Crichton公式ホームページ

投稿者 玉井一匡 : 11:51 PM | コメント (12)

November 12, 2006

吉原御免状


吉原御免状/隆慶一郎/新潮文庫/700円
 時代小説の話をしていたら隆慶一郎を読んだことがあるかときかれた。読んだことはないというと、まずはこれを読んでみてとすすめられた。題のとおり吉原を舞台にした小説だから、まさかその人から吉原の小説をおもしろいと言われようとは思わなかったので、そのことにまず興味を抱いた。なにしろ彼女は、DV(ドメスティックバイオレンス)被害者を救済するシェルターの全国組織で事務局長として活動しているひとなのだ。かつて、救世軍がシェルターとしての活動もしていたことがあったそうだが、それは遊郭から足抜けした女たちを守るためだったはずだ。
 かつて人形町のあたりにあった吉原を、明暦の大火のあとに日本堤の近くに移して新吉原がつくられた。その成り立ちを経にした波瀾万丈の小説で、吉原のまちの構成についても、むろんそこでのしきたりや暮らしについても、池波正太郎の小説がそうであるように、すこぶる丁寧に書かれている。・・・・・面白い。

 新潮文庫には紐のしおりがついているのが、ぼくは好きなんだが、この本はそれだけでは足りない。吉原の地図が書かれたページがふたつあるので、それぞれに付箋を貼り、先を読み進みたい気持ちをかかえながら、なんどもそれを開く。吉原と、その近辺の江戸のまち歩き、とはいえ登場人物はいのちがけのまち歩きをする。ぼくの方は、そのうえにときどきgoogleマップを開いては、吉原の現在とつきあわせて街路がそのまま残されていることを確認してみる。
Kagemusha.jpg作者の隆慶一郎は、黒澤明の「影武者」の原作である「影武者徳川家康」や、今村昌平の映画「にあんちゃん」の脚本など(本名・池田一朗で)を書いた人だ。吉原というところは、売りとばされ、あるいはかどわかされた女たちにとっては地獄のような場所で、そこからの脱出を企てた女が捕まれば死ぬほどのリンチを加えられるのだとぼくは思っていたし、おおかたはそう考えいているだろう。ところが、吉原はそうじゃないんだというところから、この本は出発している。じつは、吉原は女たちのためにつくられたと。
家康にはもうひとり影武者がいたんだという、おおいにあり得る設定をして、この作者は影武者の物語と日本の歴史を構築したように、吉原の成り立ちのわけをすっかりひっくり返した設定でこの小説をはじめる。
だとすれば、かつて博打うちや白拍子などの移動民も一種の技術者あるいは芸能とされていたのだという網野史観と通じている。吉原は地獄どころか、むしろ女たちにとってアジールだったという、まったく正反対の価値観から出発しているのだ。これをはじめとする意表をつくさまざまな設定を歴史的な事実とつきあわせて、それらがみな符合する世界を構築する。その力業と緻密には、文句のつけようがない。あくまでこれはフィクションであることは言うまでもないが、この小説の世界では花魁たちがたとえ悲劇的であれ、だれもが主体的に生きている。
「影武者徳川家康」も読まずにはいられなくなった。

投稿者 玉井一匡 : 12:52 AM | コメント (25)

November 05, 2006

狛犬かがみ


 「狛犬かがみ」/文・写真: たくき よしみつ/出版: バナナブックス/1,700円

ずいぶん前に、狛犬のサイトを見たことがあるけれど、そのときにはさほどでなかった狛犬に対する興味が、この本によって目覚めさせられた。本とインターネットの、メディアとしての性格の違いにというものなのだろう。「かがみ」とは「鑑」、図鑑の「鑑」なのだ。ある世界を一望にするには、本というメディアが向いているのはたしかだ。秋山さんがaki's STOCKTAIKINGに書かれたように、石原秀一さんが送ってくださったのだが、ごめんなさい、エントリーがおそくなってしまった。前に見た狛犬のサイトは、秋山さんも紹介された「狛犬ネット」だ。
 オリエントや中国では王や神を護るものとして一対のライオンや唐獅子が置かれていたのが、日本にやって来て、唐獅子と狛犬で一対をなすようになったという。宮中のしきたりについて書かれた平安末期の「類聚雑要抄」という本に、玉座の右左に獅子と「胡麻犬」をおくことが書かれているのが、狛犬についてのもっとも古い記述なのだそうだ。中国の獅子、朝鮮の犬というわけだ。獅子の一方が犬に変えられた平安時代は、仮名のつくられた時代でもあったことは偶然ではないのかもしれない。

仏教寺院の山門に、仁王の阿像と吽像が置かれたのにならって神社には狛犬の阿吽像の一対がおかれるようになったが、それにも獅子風の形式張ったものと犬風のくつろいで親しみやすいものがあるという。漢文が公式の文書に使われ、仮名や仮名まじり文が私的な文書に用いられたのとちょうど重なるではないか。左右対称をくずすことで、肩の力が抜ける。それと同時に対比的なふたつの概念は「すべて」を表すことができる。「色」と「空」が世界のありようをふたつにわけるものであるように、「阿」と「吽」の対も世界のありようの全体を示しているのだろう。

 狛犬は親しみやすさ、とぼけた味が本来の持ち味なのに、戦争時になってつくられた護国神社のような「公式の」神社の狛犬は、力みかえって胸を張り、王宮の衛兵のように取りつく島のないきちんとしたやつなのだ。「しゃちほこばる」ということばは、城の天守で凍りついたように固まっているシャチホコの様子を言っているのだろうが、護国神社系の狛犬はそれだ。ロンドン郊外のキューガーデン(Royal Botanic Gardens)の、ドーム型のガラスの温室の前に置かれた一対の石のグレイハウンドが胸をそりくり返らせているのが、ちょうどドームの曲線と同じだなと一人で笑ったことを思い出した。
 もともと自然を神とする神社には、人間の姿をした神の像はない。神を護る狛犬を置いて狛犬の様子で間接的に神を表現したのは、おもしろい表現だ。おおかたの狛犬好きは無邪気で自由な狛犬を好むだろうが、それは、神社が戦の勝利やお国のためを誓うところではなく自然をうやまい豊穣を祈るところであることなんだと狛犬が言ってくれるからだと、この本は教えてくれる。

投稿者 玉井一匡 : 08:00 AM | コメント (4)

October 12, 2006

「住む。」 秋号:タイニーハウス・ゲーム

 
「住む」秋号/農山漁村文化協会 季刊/1200円
日々めまぐるしく進んでゆく時間を、ときに季節として感じることができるのはうれしい。季節は自然のもつ時間だから、季節を感じると、どこにいても自分が自然の一部であることを感じることでもある。「住む」は、季刊の雑誌だ。ぼくたちが書店で目にする雑誌で、季刊の雑誌は「暮らしの手帖」くらいしか思い浮かばないが、発行する期間をひろげれば、小さなチームでも余裕をもって質のいい仕事ができるし、長い間書店に置いてもらえるわけだ。
「住む」の秋号は、たまたまぼくのいない間に届けられたので、ぼくが読んだころには秋山さんがとうに紹介してくださっていたから、それに甘えてエントリーがおそくなった。おかげで、季節はすっかり秋らしくなった。

「タイニーハウス」について、あるいはタイニーハウスをネタにイエの本質にふれることを書いてほしいという注文だった。1ページだけ、1000字ほどだというので気軽に引き受けた。小さな家は、そのなかに生活のすべてがおさまりきらないから、生活が外にこぼれだす。だから、ほかの人たちの生活と重なり合いまじりあう。そこがいいんだということを言いたかったから、小さなページから、内容がこぼれだすようなものを書こうと思った。1ページしかないということが、タイニーハウスというテーマにちょうどぴったりだ。
 そう考えたもので、ぼくはかえって大きなものを書こうとしてしまったようだ。字数もぴたり1000にして送ったら、平易に本質にふれるような書き方がいいと、編集長の山田さんに注文をつけられた。もとよりそれはぼくが本当はこころざしている書き方だ。20戸たらずの小さなまちの計画をぼくがつくって、その上に建つ住宅の基本設計をしているところがある。そのまちに住むひとたちに、「かきの木通りのこどもたちへ」というタイトルの小さな絵本のようなものをつくって各家族にお配りした。それを、たまたま山田さんにお見せしたことがあった。「あれみたいなスタイルで書けないだろうか」とおっしゃるのだ。
 成文化した住民協定とか住民憲章のようなものでなく、住むときの心構えをゆるやかに共有できるようなやくそくごとのメディアにしようと考えてつくったものだった。「住む」の1ページをそういう形式にすることに、ぼくは、もちろん異論はない。むしろそうさせてと、こちらが言うべきだったくらいだ。というわけで、「タイニーハウスゲーム」というタイトルは、こどもたちにゲームを説明するというスタイルで小さな家について語るということにしたのだった。「サイダーハウス・ルール」と重ねたつもりのタイトルだ。

投稿者 玉井一匡 : 07:08 AM | コメント (4)

October 04, 2006

草家

草家/写真 黄憲萬(ファンホンマン)/文 金鴻植、朴泰洵、林在海/翻訳 李仁貞/日本語版監修 金京希/ワールドフォトプレス/3600円/237ページ

 韓国の藁葺きの家とその集落に生きる人たちを撮った写真集を日本語訳したものだ。巻末の解説には、建物としての側面、集落の生活の側面、そして宗教的な側面が書かれている。
 茅の収穫は農繁期と重なるのだが、藁は米の収穫のあとにできるから藁葺き屋根は農閑期に集落の共同作業で行われた。藁葺きは2年ほどしかもたないが、そのあとで家畜の飼料や敷き藁に使い、最後は田畑に鋤き込んで肥料になったと書かれている。
環境との共生という現在の側面から見ればこのうえなく理にかなった住居と農業の関係だ。しかし、2年ごとに葺き替えるのだとすれば、とても大変な作業だ。30年くらいもつという茅葺きの方が合理的だろうにと思うのだが、他にも何かわけがあるんだろう。
 草家の写真は美しい、けれども、家が集まり集落となって人が住む写真は悲しげだ。人が少ない。笑顔がすくない。若ものがほとんどいない。若者のわずかな写真は、まわりに不似合いなスリーピースのスーツが、たまに帰省したときに撮った写真だともの語っている。

 ファン氏の短いあとがきによれば、1970年代はじめから1980年代なかばまでコツコツと撮り続けたもので、原著「チョガ」の出版は1990年12月25日。ソウルオリンピックはいつだったっけと調べてみたら1988年とある。その直後なのだ。このときにすでに、草家はなくなろうとしていたと書かれている。
 江戸時代の日本では瓦屋根は富や権力をもつものにだけ許されたように、韓国でも、もともと藁葺きはそれらから無縁のひとびとのものだったらしい。だから、経済的な成長をめざす時代の草屋は貧しさの象徴でもあったようだが、写真家は草家と集落の生活の中につらぬく力強さを見抜いている。すこし距離を拡げて上空から集落を撮った写真を見れば、生命と意思を持ったような家とその集落は、一転してふてぶてしいほどの力強さをもつ原生動物のようだ。根源的ないえ根源的な生活は、ぼくたちの中心を構成するものを直かにゆすぶる。縄文土器がそうであるように力強く、民族をこえる普遍的な力をもっているのだろう。

 この本は、ワールドフォトプレスから送ってくださった。すべてモノクロの写真で、こんな地味で厚い、こんな高い本を売り出すなんて企画は、K社では絶対に通らないよと、K社にいた友人は言った。monoマガジンのように新しいモノ大好きという雑誌などをつくる一方で、こんな本やアメリカインディアンの本などをつくってしまうなんて、感心してしまうが、ぼく自身どっちも好きだ。社長の今井さんが気に入ると、先頭に立って大胆な企画を一気にやってしまう。彼自身がカメラマンで、サイゴン陥落のときには現地に残ったそうだが、いまも自分の写真を雑誌に使う。レイアウトまでやっちゃうことも少なくないんだと、数年前にきいたことがあるが、いまはどうなんだろう。

目 次
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 写真/黄憲萬
   原型
   生
   神様

 the Culture of Choga(英語によるsummery)

 草家の仕組み/金鴻植

 民族の生活様式と「悲しい近代化」 
   消えてゆく草家に送る言葉/朴泰洵

 草家の儀式、その信仰と奉祀の世界/林在海

 写真作家の文/黄憲萬

この本は、なぜかamazonには出ていない。・・・なんて書いちゃったけれど、そういえば「ちょが」っていうんだから、「草屋」じゃなくて「草家」じゃないか、と思って本を見たら草家だ。amazonで検索したら、ちゃんと出ていました。

投稿者 玉井一匡 : 12:45 AM | コメント (12)

October 01, 2006

としょかん と もんしぇん:おわりとはじまり

 9月は30日までしかないことに気づき、MyPlaceの更新が10日にしたきりになっていたことも思い出してあわてたのだが、結局10月になってしまった。
 この週末、9月29日には「もんしぇん」の一角座での上映が終わった。ブログ仲間のたくさんの方々が「もんしぇん」のことをいろいろと書いてくださり、そして映画やPsalmのライブを見てくださった。さらにまた、改めて映画のことをエントリーしてくださったりチケットの販売まで協力してくださった。応援団も結成された。ほんとうにありがとうございました。辛口をもって鳴る諸氏も、補助輪を外したばかりの自転車乗りには、まずは拍手を送って激励してくださった。ぼくも応援団の一員でもあるけれど感謝にたえません。
 ちょうど、「もんしぇん」の上映が終わった日に先立つこと一週間。9月22日には、基本設計をした小規模な図書館+ホールが自治労からヴィエンチャン市に引き渡された。建物の工事が終わったとは書きたくないのは、図書館が、さまざまな意味でままだまだ未完。ようやく動き始めたところで補助輪は外せないからだ。
写真は、図書館の入り口に張り渡された花たち。引渡式でビエンチャン市長がいらしてテープカットをするというから、ぼくは布のテープを想像していたのだが、行ってみると入り口には花のテープが張ってあり、花屋さんが飾り付けをしているところだった。

 この図書館には、まだ本が十分にはない。ラオ語で書かれた本は年間の出版点数が50から60といわれる国だから、多くの図書館員さえ、図書館とは何かをあまり体験していない。建物は必要最小限しかこしらえていない。いずれも、資金がたっぷりあれば、形の上でははじめから解決できる問題かもしれない。しかし、出版とは何か図書館とはなんだろうということから出発して、これから構築しようとしている。しかも、ラオスの子供たちは本を求めている。現在のメディアは、そうしたラオスの状況を、むしろアドバンテージにしてしまえるところにあるのかもしれないと、ぼくは思う。
 本が少ないから、本棚には、背表紙ではなく表紙を正面に向けてならべてある。おかげで本の顔がよく見える。建物と本が手渡されたが、開館はまだ3ヶ月先に予定されているので、隣にあるヴィエンチャン高校、中学の生徒たちは、昼休みには図書館に興味津々で窓の中をのぞきに来る。
「子供のいえ」へ放課後にやってくる子供たちは活気にあふれている。利用者も図書館員も、図書館とは何なのかさえ、まだわからない。情報というものならインターネットによって得ることができるし、本そのものもインターネットで読むことができるようになろうとするこの時代に、図書館の概念をつくることからはじめるのだから、固定観念から遠い彼らはむしろ自由に時代の変化に適応できるだろう。子供たちは、知的好奇心と適応力のかたまりなのだ。

もんしぇんは、作り手のひとりが天草の海をおとずれてその語りかけるものを映画というかたちに表したいと思いつづけ、さまざまな力を蓄え、少しずつ共犯者を増やし10年もの時間がかかったが、その間に世の中では映像を伝える技術がめまぐるしく変化した。時間も空間も遠まわりをしてつくられた小さな映画そのものは、デジタル技術からもっとも遠いところにあったのに、劇場公開と同じ日にウェブ上からダウンロードして映画を買える、日本で初めての映画に「もんしぇん」はなった。さまざまに宮崎駿から学んだろうが、「映画は、ひとこまごとの間に闇がはさまれていることが大切なんだ」といわれていたことも、その重要なひとつなのだと思う。その理由をどう説明されたのか、ぼくはよく知らない。だが、それはこういうことだろうと思う。映画のフィルムは1/24秒ごとに点滅して静止画像を映し、くりかえしくりかえし残像として人間の記憶の奥に刻み込み、ときにそれらが意識の表に浮かび上がってくるのではないか。アニメーションを作るひとは画像の一画面ごとを丁寧につくってゆかねばならないから、ことのほかそのことに意識的であるにちがいない。
 一冊の本とスクロールして画面で読まれる情報の違いを、ぼくたちはどうしても感じないではいられないのだが、それはぼくたちの育った時代のせいではなくて、映像の場合のように記憶の蓄えられ方がちがうからなのではないだろうか。

そんなことを考えると、本と映像というふたつのメディアの、誕生に近いところに接することができたのは、幸運なことだったと思う。

投稿者 玉井一匡 : 11:59 PM | コメント (0)

August 21, 2006

ハノイと「建築のハノイ」


「建築のハノイ」写真 増田彰久 文 太田省一/白楊社/2800円
 日本からラオスには直行便がないので、バンコクかハノイを経由してゆく。今回ははじめてハノイ経由でラオスに行くので、同行のEFAジャパンの黒岩さんがメールで「建築のハノイ」という本を教えてくださった。彼は司書なのだ。間際になってamazonで調べて注文、出発の前日に届いたのをパラパラとのぞいただけでハノイの建築の写真たちはぼくのベトナムに対する見方をすっかり変えてしまった。
ベトナム戦争のころ、マスコミはハノイのことを「アジアのパリ」などと安っぽい表現で書いていたから、日本中のいたることろにある「なんとか銀座」という商店街の延長線上に、ぼくの想像力は導かれていたのだが、この本の写真はフランスのアジア統治にとってベトナムが特別なものであることをつたえる。とはいえ表紙にはあいかわらず「ベトナムに誕生したパリ」などと書いてあるし、腰巻きにも「東洋のパリ」とある。

 ベトナム戦争のころ、おおかたのマスコミはベトナム贔屓だったけれど、じつは彼らもアメリカの側から北ベトナムを見ていたのだろう。パリのようだなんていう表現をほめ言葉としてつかおうとするのはベトナム文化を過小評価していたわけで、解放戦線の力を見くびったアメリカと似たようなものだ。
 あるアジア通の友人は、「ベトナムはラオスの3000倍くらい・・・」といってその後の言葉をためらって呑み込んだように感じられたが、ぼくはあえてその先を訊ねなかった。自分でそれを感じたいと思ったからだが、ハノイに行ってみると、ことごとにその言葉が思い出された。何がどう3000倍くらいなのかを言葉で言うことは、たしかにむずかしいが、たとえばハノイの建築と都市に対するフランスの力の入れようをラオスのそれとくらべるとかけ離れている。ここをフランスがいかに特別な場所と考えていたのかが、残された建物の出来と規模や数、広い歩道、大部分の道路にある大きな街路樹にあらわれている。歩道の縁石と側溝の蓋にすら、なめらかな石が使われてたところがあるほどだ。とはいえ、フランスが植民地として重視したことと、そこの人びとの能力や価値とは別のはなしだ。
 かつて植民地だった都市は、そこが解放されたのち、統治し支配するために作られた建築、都市と統治システムが時間と本来の住民によって融解され変化熟成する。宗主国は、支配するしかけとして自分たちの文化をそのまま持ち込むけれど、植民地はそれを自在にすり替えて、いずれその土地に適応させてしまうのだ。
ところで、宗主国といういい方に対して支配される国のことはなんていうんだろうかと思ったが、そもそも自治権のないところは「国」ではなく植民「地」にすぎない。ベトナムが19世紀末から1970年代まで戦い続けたのは、「地」から「国」になるという志がささえていたのだ。
 ハノイは、残された建築やまちの変質熟成のしかたが格別で、「東洋のパリ」などという枠にはおさまりきらないなにものかをつくり出している。かといって、フランスの持ち込んだものを消し去ろうとはしていない。ぼくたちは革命博物館を地図にみつけて入ったが、フランスの過酷な支配を示すギロチンの実物や手枷足枷をされたベトナム人の写真、処刑された人たちの辞世の漢詩などが生々しい。にもかかわらず、フランス支配のしるしである建築からフランスらしさを消し去ろうとはしないしたたかさ、あるいは加減のほどよさが、このまちにはあるのだ。

 本屋の集まる一劃があった。小さな本屋が数軒ならび満員の盛況で、その近くにも4階建てで紀伊国屋ほどの大きな本屋がある。日本の本屋でもっともにぎわいを見せる雑誌や文庫は、ここには置いていないのに、たくさんの客がひしめいている。それを見て黒岩さんは、20万点くらいの本が流通している感じかなと言った。年に60点というラオスの出版の状況と比較すると、200.000÷60=3,300。ベトナムはおよそラオスの3000倍の・・・・という表現説が数値として実証される。

ハノイを考えながら、一方ではラオスのことを思う。フランスの残した遺産もこれほど多くない、残されたフランス時代の建築は小さく少ない、そして開発の「進んでいない」ラオスは、どうすればいいのか。ラオスは、「ない」ということをむしろアドバンテージに転換する道をとるのが最善の方法だろうと結局は思う。たとえば本が年に60点しか出版されないという状況は、デジタル化への転換に利用することができる。過去にさかのぼって出版された書物の全点をPDFデータ化することもさしたる手間ではないし、これからはすべてデジタルデータの提出を求める。出版が少ないという現状を逆手にとって全点デジタルデータ化で、自由に閲覧できるようになれば世界のトップランナーになるだろう。
開発が進んでいないということは、破壊されていない自然が豊かであることだ。住宅のとなりにいきなり超高層が立ち上がって生活を台無しにしているところもない。ルアンパバンの路地はとても心地よく美しかった。路地は、そこに住むひとりひとりの住民がつくり育てる場所だから住民のありようが反映される。人間同士、人間と自然の共存する方法を心得ている。おだやかな人と自然という資源、資産がラオスにはある。

投稿者 玉井一匡 : 06:59 PM | コメント (9)

August 04, 2006

「子犬のカイがやってきて」

「子犬のカイがやってきて」 清野恵里子・文、スソアキコ・絵 幻冬社刊 1300円

イラストを描いたからと須曽明子さんが送ってくださったこの本は、なかなか難物だった。とはいっても、難解なわけではない。犬との暮らしを綴った本なのだから、犬党のぼくにとってはのんびりひなたぼっこをしながら読むにはもってこいのはずなのだが、とんでもない。

ぼくが勝手に思い描いている晩年の生活には犬がいる。たとえば以前にエントリーしたヴィエンチャンのDAY INN HOTELの人なつこい犬のように穏やかな犬が一匹、そしてMacが一台あれば、あとは自分でいくらでも幸せな晩年をつくり出せるなんて思っている。
ところが、この本には、どのページも犬との暮らしの大変さであふれていて、この人たちは全盛期には7匹の犬と生活をともにしていたという。そいつらがつぎつぎと引き起こす苦労の数々。ところがそれに対して得られるはずの幸せな報いについてはほとんど書かれていないので、好き好んでの茨の道に胸が痛んでしまう。スソさんとはときどきお会いするが、著者やプーさんとは一度ぐらいずつしかお会いしたことはないのに間接的にはとても近いところにいらっしゃるので、なおさら大変さに実感が伴う。しかし、犬を愛する人にとってみれば、かわいさについてはあえて言うまでもないのだ。だから、ここにもあまり書かれていないのだろう。読み終わったあとでそう気づいた。
いつもの須曽さんのイラストの人物は、どこかに意地悪さや毒をひそめていて、ムーミン村のミーのようなところがあるのだが、この本のイラストには毒が少ない。ここでは、むしろ悪戯の証拠のイラストさえどこかにかわいらしさがひそんでいるようで、いつもとは逆だ。スソさんのサイトには、写真を添えて、この本の裏話も書かれている。

こういう話を聞くと、ぼくはミヒャエルエンデのことばを思い出すことがある。友情や愛や勇気という、だれもが肯定するようなものは、「・・・ゆえに」ではなく、「・・・であるにもかかわらず」持つことができてこそ、尊いのだと。

投稿者 玉井一匡 : 10:22 PM | コメント (13)

June 04, 2006

「福祉史を歩く」


福祉史を歩くー東京・明治/河畠修著/日本エディタースクール
 neonさんの装丁された「福祉史を歩く」は、ぼくがかなり長く住んでいたところから5分足らずのまちから始まり、同じまちについての記述で終わっている。ぼくはこの本をまだ読んでいなかったのにneonさんのエントリー「装画の仕事 2」にあつかましくもコメントを書いた。「福祉史を歩く」ということができるのは、福祉が具体的な場所や特定の人とむすびついているからなのだろう、したがってそれは特定の人や特定の施設の献身的な活動に支えられていたのだろうと想像した。制度にたより、場合によっては福祉を金儲けのタネととらえている連中さえいる現代の日本よりも、むしろ志は尊い。そういう事実があったことに、ぼくは、それまで思い至らなかった・・・・と気づいたからだ。

 この本のはじめとおわりに取り上げられているのは四谷鮫ケ橋である。下谷万年町・芝新網町とともに、明治期に東京の三大貧民窟といわれたという。「日本の下層社会」松原源之助著・岩波文庫から多くの引用があって、同時代の目で見た具体的な記述がある。日本で初めての私立幼稚園二葉幼稚園が、この鮫ケ橋につくられた。現在は二葉南元町保育園となっている。こどもたちの労働力さえあてにしなければならなかった人たちのまちでは、とても教育などしてやれない。子供たちの将来のためには、何より教育が必要だと考えて、このまちに飛び込んで幼稚園を作った人たちがいたのだ。
 kai-wai散策で注目されていたころ荒木町の谷戸地形を見に行った数日後、若葉町の丸正のあたりに長屋があったはずだから見に行ってみようと思った。行ってみると、ちょうど新宿通りをはさんだ荒木町の向かいがわの坂道を下り、谷を道なりにたどれば自然に鮫ケ橋にゆきつく。現在の地名は若葉3丁目と南元町。権太原から四谷に抜ける広い道の向かいには東宮御所の門がある。その少し手前右側に、路地をはさむ2組4列の長屋が残っていた。入り口の前には今年の秋に工事に着工するという集合住宅のお知らせ看板が立てられている。この長屋も、この秋でつぶされてゴミになるのだ。
 この本の表によれば、鮫ケ橋は江戸時代にはむしろ景勝地で、落語にでてくる長屋の住人たちのまちだったようだ。それが、明治に入って日本の中央集権が進み、戦費調達のための増税や物価の上昇のために仕事や、その手段を失った人たちで高密度の「貧民窟」になったのだという。近くで育ったおばから、幼少時代にはここに入ることを固く禁じられていたというはなしを聞いたことがあった。
 国家の向上は、必ずしも個人の向上をもたらすわけではなく、むしろ個人の犠牲のもとに国家の成長が実現するのだとすれば、欧米列強に肩を並べようとしていた明治の日本も、「国民の痛み」のもとでの「改革」によって経済を回復し格差を生み出し、税金で助けられた銀行が空前の利益をあげる現在の日本も、基本的な構造は変わらない。

投稿者 玉井一匡 : 08:03 AM | コメント (2) | トラックバック

May 08, 2006

「ウェブ進化論」


「ウェブ進化論」/梅田望夫/ちくま新書
町田の馬肉料理屋「柿島」でAkiさんにこの本を勧められ、吉松さんには文春新書「グーグル」をすすめられた。後日、aki's STOCKTAKINGのエントリーを読んでなおさら、この本が読みたくなった。
文句なく面白い。もともとGoogleは贔屓だったが、認識がすっかり改められた。これまでにも、ぼくにとってのGoogleは、検索エンジン→GoogleマップGoogleEarth というぐあいに、どんどん新しいサービスを提供し別の存在に変わってきた。実際に何かを買ったことはないがGoogle Catalogsにもおどろいた。これらがすべて無料で使えるようになっている。ぼくはすっかりGoogleの世界の住人になった。にもかかわらず、しかし、・・・という気持ちが疑問と不安があった。
疑問:どうやって利益があがるんだろうか?
不安:世界についてこれほどの情報をたったひとつの組織が握って大丈夫なのか?
この本は、その疑問にこたえ、ウェブ社会の可能性について言及する。

 疑問に対する答えはこうだ。googleの利益の大部分は広告による。Googleが、膨大な情報の流れを握っていること(この本では、この状態を情報発電所という)に不安はやはりあるとぼくは思う。
 Googleは、インターネットの両極の力を備えている。一方には「ロングテール」「オープンソース」「ブログ」というキーワードに示される、小さなものを集積させることによる効果を引き出すというインターネットの側面である。これは、小さなもの弱いものの味方としてふるまう。
 「ロングテール」ということばも概念も、ぼくは初めて知った。ものごとの分布の状態をグラフにすると、密度の高い「恐竜の首」のように突出する部分と、少なくひろく広がっている恐竜の尻尾(ロングテール)の部分がある。これまでのものごとは、恐竜の首を対象にしていたけれど、ロングテールの部分のひとびとが発言し、ロングテールを対象にしてものや情報を提供できるようになってきた。Googleの広告収入にとっても、ロングテールの存在が欠かせない。途上国ならア、ひとりの人間がマゾンンからの収入で生活費にあてることができる。それを可能にするのも、インターネットによって膨大な情報が無料あるいはきわめて安いコストで提供されることになったからだ。
 ウェブサイト検索エンジンは、あらゆるウェブサイトについての情報を提供する。Googleだけは、地図情報を自前でつくり無料で提供した。Google Earthは、それだけでぼくたちを興奮させるに十分だったが、おそらくGoogleは、これによって情報検索を空間化しようとしているのだろう。そういうことを、googleが可能にしたのは、自らの手でGoogleだけのためのコンピューターをつくることのできる、コンピューターメーカーでもあるからなのだという。しかも、サービスを向上させるために、きわめてすぐれたひとたちが張り付いて管理している。だから、ソフトウェアもハードウェアも、随時改良することができる。提供する情報はあくまでもオープンソースだが、それを整理し送り出すシステムをつくり管理するひとたちは、極めて優秀な少数のチームなのだ。yahooやマイクロソフトはGoogleに追随しようとしているが、この点では、追いつけないだろうと著者はいう。これが、インターネットのもうひとつの力の極だとぼくは思う。

 これらは、Google自身が莫大な情報をたくわえ世界中の情報を整理して放出する、著者のいう「情報発電所」となっているからだ。すべてが、ここで加工されて配給されることに問題はないのか。Googleが上場する際にSECに提出した書類の中に、創業者から将来の株主にあての手紙があって、そこにはMAKING A WORLD A BETTER PLACEという志が書かれていたという。これは、すこぶる異例のことなのだそうだ。Googleはこのことばの通りに「すてきな世界をつくること」を目指しているのだろう。これは、ぼくの思うすてきな世界ととても近い。MyPlaceは、世界中の場所のオープンソースでもあるのだ。いずれにせよ情報を整理配給するシステムが必要であるとすれば、それが、金銭的な利益を目的とする企業でもなく、外国や世界の支配を目指す国家でもなく、このような志にもとづいたGoogleというチームだったことをぼくはさいわいなことだと思う。そういう結果に導いたこの世界のシステムは、捨てたもんじゃない。かつてCIAやKGBが集めて隠していた情報を、コンピューターとインターネットの環境さえあればという限定がつくが、世界中のだれもが、ほぼ無料で利用できるのだ。
 彼らが「持続する志」を持つことを期待するが、この発電所がハイジャックされることがあるかもしれない。あるいは、それと気づかれないように情報に毒やよけいな栄養剤を添加して送られるかもしれない。志を保つために、われわれサポーターは、ロングテールの一員として、情報の点検と味見と、そして批判を怠らないようにしよう。

投稿者 玉井一匡 : 12:08 AM | コメント (7) | トラックバック

April 11, 2006

REVOLUTION in The VALLEY:サインパーティー

 REVOLUTION in The VALLEY/Andy Hertzfeld著/柴田文彦訳/オライリー・ジャパン発行

  ぼくの知っている限り歴史上もっとも素敵な箱・初代Macintosh、それを若者たちがつくりだした過程が108のエピソードで再生されているこの本は、どこを何度くりかえして読んでも楽しい。ぼくにとっては、第一世代のMacは、とうとう自分のものにすることがなかったミッシングリンクだが、この本を読んだおかげで、第一世代のMacも、やっとぼくのものになった気がした。
Apple Ⅱ plusは、AKiさんが(勝手に)注文して宅配までしてくださったおかげで僕の機械になったのだが、そのあとの第一世代Macは、あんなにも魅力的なやつなのに、優柔不断のせいでとうとう買えなかったのだ。
 この本のことはaki'sSTOCKTAKINGに紹介されているのを見て知ったのだが、ここに書かれている数々のエピソードは、そういうぼくをMac誕生にいたる物語に参加させてくれた。だから、われわれ素人にはとてもむずかしい話もあるけれど、それでも楽しく読むことができる。
 ところで、どれかひとつを選ぶとしたら、きみはどれがいい?と誰かにきかれたらぼくはどうしようかなと考えてしまった。どれも捨てがたいので随分悩んだ末に「Signing Party」というエピソードを選ぶことにした。(この本では、固有名詞は英語のまま書かれているので、ここではそれに従うことにした。おそらく、本のレイアウトを原書と同じにするために、文字数を減らしたかったのだろう。それでも文字が小さくて、眼鏡なしではとても読めないんだが。)

 このエピソードの内容はこんな具合だ。
 Macは芸術作品だと、つねづね言っていたJobsが、Macチームのメンバーのサインをケースに残そうと思いついた。ここでいうケースとは段ボールの箱のことじゃない、「筐体」なんてばかにむずかしい日本語をあてられる、Mac本体の外皮のことだ。大部分の人間が見るはずのないケースの裏側なのにサインを残そうとするには、まず金型に刻み込まなければならないのだ。それは1982年2月というとき。1979年11月にはじめの3人の男たちが、そのうちのひとりJef Raskinの自宅にあつまってMacのスタートを切らせたときから2年と少し、1号機が完成する1984年1月までは、あと2年という、スタートから完成までのちょうど中間の時期だ。金型というのはもっとも製作時間のかかるものなのだそうだ。
ミーティングのあとでサインパーティーが開かれた。Jobsの指名で、初めにBurrell Smith(はじめの3人のひとり)がサインをしたあと、チームの35人が製図用紙にサインを書き込み、最後にsteve jobsが小文字でサインを加えるまで40分間。その場にいなかったBill Atkinsonほかの数人が後に加わったが、製作の過程で少しずつ名前が減って行った。この本の表と裏の表紙の見返しにサインの写真があるが、これがいつの段階のものかは、書かれていない。

 Jobsが、Macを芸術作品と言ったのは「最終目標は、競合する相手を打ち負かすことでも、多大な収益を上げることでもなく、可能な限り最高の仕事、それをわずかでも超えるような仕事をすることだった」と書かれている。並外れた才能に満ちたチーム、過酷だが適切な目標を設定し彼らに要求したJobs、この少人数のチームは、わずか128Kという、いまなら携帯電話の写真一枚にも満たない小さなメモリーの中で、helloの挨拶から始まり、絵を切り抜いてみせ、アイコンをゴミ箱に入れるとフロッピーディスクを吐き出した。自分は持っていなかったからなおさらそれは、ぼくにとってうっとりするような、すてきなふるまいだった。マウスを見たのも、そのときが初めてのことだった。
 この本の著者、Andy Hertzfeldはインタビューの中でこういっている「初代Macに比べると、ハードウェアの性能は飛躍的に向上しました。夢のような話です。これに対して、ソフトウェアにはがっかりさせられます。Macintoshの登場以降、基本ソフトウェアはのろのろとしか進化していない。ユーザビリティの面では、後退したといっても過言ではありません。」と。
 ハードウェアが進歩したといえ、それは処理スピードが早く、容量が大きくなり、画像の密度が増え画面が大きくなるという、量的な拡大の結果として数値的な質が向上したにすぎない。パーソナルコンピューターは、あの時期に成し遂げたものの余禄で成長しているのではないか。だからこそ、この本に登場するMacチームの成し遂げたことはRevolutionと呼ぶにふさわしい。現代のデザイン、建築、思想、そして科学は、20世紀初頭の奇跡的な時代に作り上げられたもののおかげで、いまも世界の多くは動いている。ものごとの動きは、短い変化の時期と長い平穏あるいは停滞の時期がくりかえされるものなのだ。

 ぼくたちはMacを「うちのパソコン」とは言わない。「ぼくのMac」と、固有名詞のつもりで呼んでしまう。ユーザーインターフェイスのありかたが魅力的だから、Macを「種」としてではなく「個体」として感じてしまうからにちがいない。人間が「いい奴」かどうかは、ひとと接するあり方、つまりインターフェイスの能力をいうようなものだ。Jobsが「Macは芸術作品なんだ」というのも、「Macを、かけがえのない命を持った生き物のようにしよう」ということではないか。・・・・いいやつとは言いがたいJobsだが。
ところで、この本を読んだ他のひとたちは、どのエピソードを選ぶかな。

■追記
*AKiさんは、これを選ぶそうだ: REVOLUTION in The Valley:角丸長方形だらけ!
*iGaさんは、コメントで「USフェスティバル」がいいと表明:US Festival/wikipedia
A・ハーツフェルドが語る「Macの誕生と、その他の物語」/CNET Japan

投稿者 玉井一匡 : 10:22 PM | コメント (6) | トラックバック

January 10, 2006

「ペンギンの憂鬱」


 ペンギンの憂鬱:新潮社/アンドレイ・クルコフ 著/ 沼野 恭子 訳
 だいぶ前に本屋で平積みになっている表紙とタイトルに目をつけていた。その後にNumber plusで、ACミランとウクライナ代表のフォワード、アンドレイ・シェフチェンコの長いインタビューを読んだ。バロンドールを受賞した2004年のNumberのインタビューよりも、生き方やウクライナとの関わり方にまで踏み込んで、ユーシェンコが毒を盛られた話や、シェフチェンコがその対立候補ヤヌコーヴィチ首相を支持したことにもふれていた。その中にこの本の著者のことが話題に出ていたので、ぼくは読みたくなって、tacが図書館で借りてきた本を読んだ。日向でのんびりコーヒーを飲みながら、小説の作る世界を味わうのがたのしい。と、はじめは表紙の絵の通りだが、それだけではない。

 キエフの動物園が餌代にも事欠くようになってペンギンをもてあました。それを引き取った小説家が家の中で共同生活しているという意表をついた設定がすてきだが、それは、物語が事実にもとづくものではありませんよという宣言でもある。 
ソ連動物園の経営不振に乗じてウクライナは檻の外に出たが、動物園は、ウクライナを放し飼いにしてでもなんとか園内にとどまらせかっただろう。wikipediaでウクライナを読んでも、天然ガスをネタの国家的脅迫をみても、黒海へつながるこの国の重要性が読み取れる。ロシアにとってウクライナは、動物園にとってのペンギンよりもはるかに重要な存在で、ただ約束事の国境で区切られただけのヨーロッパの小国がアイデンティティをまもるということは容易なことではないのだと見てとれる。天然ガス問題がかえってアイデンティティを強化してくれただろうがシェフチェンコの重さは、われわれにははかりしれないほどのものがあるのだろう。
 弱者の受け継いできたものを強者が勝手に塗りつぶすという構図は、日本のあちらこちらの灰色の男たちの振舞いといささかも違いがない。憂鬱症とされているこのペンギンは鬱病のことなのだろうが、南極から動物園に連れてこられれば鬱病にもなるさと思っていた。しかし、映画の「皇帝ペンギン」を見れば、もともと南極にいたときさえ彼らの人生は甘いもんじゃない。にもかかわらず、何百万年もの時間をかけてみずから選び取った環境のなかで獲得した生きかたは、かけがえのないものなのだ。

投稿者 玉井一匡 : 10:40 AM | コメント (0) | トラックバック

December 16, 2005

THE PLACE OF HOUSES

 THE PLACE OF HOUSES
 Charles W. Moore, G. Allen , D. Lyndon , W. Turnbull
 MADCONNECTIONのおかげで「美の巨人たち」のチャールズ・ムーアとシーランチの2回目は見ることができた。見そこなった1回目では、シーランチとムーアについて「あまり有名でない」という解説が加えられたというので、ぼくはちょっと驚いてしまい、この本について書いておこうと思った。このBlogのタイトルMyPlaceは、この本とすくなからぬ関わりがあるから、いずれ書くつもりではいたが、先日、「アースダイビング@下北沢」にトラックバックされた脇田さんのblogでも「場所」と「空間」についてふれられていた。

 ぼくが、「場所」と「空間」を対立概念として意識するようになったのは、いまから30年も前にこの本を読んで、それから数年経ってからのことだ。ムーアはこの本のタイトルとして、SPACEと音を合わせるようにPLACEということばを選び、対立概念としたのではないかと気づいた。だとすれば、近代建築の中心をなすのはなによりもまず空間つまりSPACEだから、この本はまずタイトルがモダニズム批判なのだが、そこはムーアらしく正面からSPACEを批判したわけではなく、本の形式もその道具のひとつとして使っている。 建築の専門家に向けてではなく、自分のイエを建てようとしている人たちに向けて書くという形式をとったのだ。 
 序文には、スタイルブックのような本を作りたかったのだと書いている。住宅はかくあるべしと論じるのではなく、イエのさまざまなあり方を示し、住宅の「スタイル」を具体的に見せる。しかし、スタイルブックだからといって、モノとしての住宅を羅列するのではない。まちのありかた、生活、イエの構成のスタイルを具体的に説明しているのだ。これらは、そこから直接的に何かを学ぼうという実例であるよりは、むしろ根源的なところで共通する意味を読み取る寓話あるいは神話のようなものかもしれない。モダニズムは、普遍と純粋を目指したのに対して、住宅とまちの個別なありかたを具体的に語ったこの本の形式そのものが、実はモダニズムに対する異議申立てである。

 「THE PLACE OF HOUSES」をamazonで検索すれば、「なか見検索」で表紙と目次、本文の一部、索引を見ることができる。内容は、およそ4つの章からなり、それにチェックリストや索引が加えらるという親切な構成だ。
1)Houses of several places
2)The three orders
3)Setting out choices
4)Inflecting the scheme
「places」ということばは、1章目のタイトルに使われる。この章ではアメリカの、性格の異なる3つのまちをとりあげてまちと住宅の関わり方を示す。いいまちにいいイエがつくれられ、いいイエがつくられることでまちがよくなるのだというケーススタディである。
ニューイングランドの古いまちエドガータウン、大地震のあとに意識的にスペイン風の町づくりをしたサンタバーバラ(マイケルジャクソンが住んでいるので有名になった)、そして「美の巨人たち」に取り上げたシーランチはカリフォルニアの海岸の崖の上の別荘地。
これらは、すでに存在するものたち、周囲の自然環境、まち、これまで生きてきた人々、これまでに存在してきたまちのありかたを読み取り、それらを大切にした積み重ねがいいまちをつくった。シーランチでは、はじめの志とは少しずつはなれていった失敗についてもふれている。
1章目でまちとイエについて論じたあと、2章目以下では住宅の中身のスタイルに向かい、ひとつの住宅をつくることに目を転じる、つまり、イエがつくりだすPLACEである。
MOORE.jpg 「空間」は抽象的な概念だから取り替え可能なものであるのに対して、「場所」は、他にないそこだけそれだけの取り替えのきかない具体的なもの、たとえばひとりひとりの命のようなものだ。
 難しいことばをつかうのが好きな建築家たちは「ゲニウスロキ(地霊)」とか「トポス」なんて言葉を新兵器にして、かつてポストモダンを気取った。その追従者たちは過去の貯蔵庫からデザインのネタを取り出してきて不足を補うというぐあいに自分の表現の道具にした。しかし、ムーアは分かりやすいものやありふれたものを駆使して、たのしい気持ちいい場所をつくりだし、それが軽やかにモダニズム批判となったのだ。
 
 たとえばモダニズムに邁進するディベロッパーだって、彼らなりにいい都市、いい住宅、いいオフィスをつくることを目指している。しかしそこでは、すでにあるまちも、すでに住んでいる人たちも、積み重ねられた時間の痕跡も、現実に象徴的に清算してあらたに「現在」を塗り重ねる。それは、ニューヨークであれ上海であれ同じ広さおなじ形の土地であれば置き換えが可能な都市だ。ひとりひとりの命に想像力を及ぼすことなく、兵士の数の減少とその補充を考え、自分たちは命の危険にさらされることのない参謀本部のようなものだ。

 実を言えば、ぼくは厚い英語の本を進んで読み通すほどのことはしない。これを読んだのは、石井さんが翻訳しないかといってるけどどうだと難波が言ったからだった。面白そうだから、そしてなによりムーアの建築が大好きだったから、単行本の翻訳はしたこともなかったのに引き受けることにしたが、ずいぶん長い時間がかってしまった。石井さんはそのころイェールにいて、その間とうとう一度も会わずに翻訳をすすめて本になった。タイトルは「住宅とその世界」と提案したのがそのままつけられたが、本の性格からすればWhole Earth Catalogのような気軽なペーパーバックにしてほしかったがハードカバーの立派なものになって4000円近くになった。その後は再版されずに、絶版になってしまったが、原書はまだ買うことができる。鹿島出版会で担当してくださった編集の京谷さんは翻訳をとてもほめてくださったのだが、いまになって読み返すとアラが目について、できるものならやりなおしてもっと気楽な本にしたいものだ。このあと、やはりムーアの「BODY, MEMORY and ARCHITECTURE」(Kent C. Bloomerとの共著)という本も訳した。これも日本語訳はなくなったが原書はamazonで検索できる。ぼくはたしかそのまま日本語にして「身体 記憶 建築」というようなタイトルを提案したが、やはり立派な装丁で、「建築デザインの基本」なんていうつまらないタイトルになってしまったのに、なぜかこちらは再版された。

投稿者 玉井一匡 : 01:10 PM | コメント (12) | トラックバック

November 06, 2005

ホームワーク

homework.jpg ホームワーク/ロイド・カーン/川村喜代子訳/ワールドフォトプレス

「SHELTER」をつくったロイド・カーンの「HOME WORK」日本語版をワールドフォトプレスの今井さんが送ってくださった。「シェルター」はモノクロだったが「ホームワーク」は大部分がカラーなので、ずいぶん印象が違う。前書きには、この本をつくるまでの経緯が書いてある。1973年に「シェルター」をつくったあと建築以外の本もつくったが、その間もつねに建築をつくることや建築を作る人々に関心を持ち続け、写真を撮りインタビューをした。それで30年の間に山のようなインタビューの原稿と写真が蓄積された。編集のマスタープランもなく、はじめはどんな本にするかも決まらないままに、1ページずつ作ってゆくうち徐々に本ができていって、それが進むごとにどんどんはかどらせたんだという。

 「シェルター」がモノとしてのイエに重点があったのに対して、「ホームワーク」は住み手、多くの場合は同時に作り手でもあるひとたちとイエの関わり方に重点が寄っているようだ。だから、文章を読んでストーリーを知ったほうがおもしろい。その意味でも日本語版がありがたい。正直なところ、英語版では読まなかったところを読むようになるから、写真の伝えるものが変わってくる。
 このイエたちは、その作り手が住み手と同一だから設計図なんてものにもとづいてイエを組み立ててゆく必要がない。材料は、周囲にあるものを使う。自分で住む、また変えてみる。そんな風にして、そこで生活しながら作ってゆくうちに、どんどん魅力を増していったものたちだ。だから、この本の作り方も同じようにしてマスタープランをもたず編集が進められたのだろう。ロイド・カーンは、かつてジオデシックドームのとりこになって、みずからもいくつかのドームをつくり、「ドームブック」を出版したほどだったが、のちに「ドームブック2」を絶版にし自分のドームは売り払い、「シェルター」ではドームを否定した。「ドームブック」は、文明をはなれてコミューンをつくる若者たちにとても大きな影響を及ぼしたことを思えば、それにはとても大きな決断とそれをせずにはいられない大きな理由があったはずだ。
 「シェルター」と「ホームワーク」のやりかたは、その土地にあるものを使って住人が自分の手でつくり、周囲にとけこみ、あまり費用のかからないイエ。つまり、そこに生活する人と、その場所に固有のものを大切にする。
そういう立場に立とうとすれば、普遍的なイエとしてはドームを否定しなければならなかっただろう。球形の空間は間仕切りや増築がむずかしいと「シェルター」に書いていたが、それよりも大きな理由がある。どんな場所に誰が住んでも球という同じ形体をつくろうという考え方は、それぞれの固有の環境と条件を大切にする立場とは相容れない。それは、地球上のどこもかしこも同じもので覆い尽くさずにはいないグローバリズムのわがもの顔と通じるところがある。
 ところが、「ホームワーク」の表紙の62枚の写真を見れば、球形のドームこそないが床の平面が円形のイエは少なくない。個人的な好みとしては、いまでも実はバックミンスター・フラーのドームが好きなんじゃないか。ぼくだってロイド・カーンの考え方には賛成だし好きだがフラーが好きだし尊敬しているもの。
この本の中で、ところどころイエの本を紹介しているが、そこに「小屋の力」や「シェルター」「Tiny House」も含まれている。巻末のクレジットには、使ったハードウェアとしてMacのG3とG4、ソフトウェアはQuarkExpress, Photoshop, Wordなどがあげられている。クレジットの少し前のページには、樹木に囲まれて木造の建物群が散在している上空からのイラストがある。この本を作った本拠地シェルター本部だ。インターネットとMacを道具に、こういう環境の中でこの本が作られたのをみると、Macやインターネットが、そもそも何のために作られたのかを再確認する。ぼくも少しだけ翻訳のお手伝いをしたので最後のページの一番最後にひっそりと「Special Thanks to Kazmasa Tamai」と書いてあるのがなんだかうれしい。

投稿者 玉井一匡 : 04:10 PM | コメント (4) | トラックバック

November 03, 2005

シェルター

shelter.jpg シェルター/ロイド・カーン/日本語版監修玉井一匡/グリーンアロー社

 この本の著者ロイド・カーンのつくった「HOME WORK」の日本語版が出版されたので、そのことを書きながら「シェルター」にリンクさせようとすると、まだblogには移植していなかったことに気づいた。サイドコラムにはamazonへリンクをはりつけているのに、その本についての文章をblogにのせていなかったのだ。
そこで、まずは「シェルター」をホームページ(PAGE HOME)からこのblogにつれてくることにした。「ホームワーク」のエントリーは、そのあとにしよう。
 以下の文章を書いたのは2001年6月。この3ヶ月後に起きた出来事のあと、ブッシュとアメリカ合衆国はアフガニスタンとイラクに対して言いがかりをつけて愚かな行動に出る。ブッシュと彼を支持する人々の振舞いはアメリカのひとつの側面で、ぼくは大嫌いなのだが、このような本をつくり出すのもやはりアメリカで、それは他にないきわめて優れたところで、ぼくはそれが大好きだ。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *
ShelterOriginal.JPGこの本を買ってから何年くらいになるんだろうかと思って奥付をみると、copyright1973、2年間で資料を集め5ヶ月で編集したとある。表紙のデザインも内容の構成からも、一目で「ホール・アース・カタログ」の血筋であることがわかるが、たしかに、巻末のクレジットに11人の編集者の名前などの他に、「ホール・アース・カタログ」の続編「ホール・アース・エピローグ」の予告と編集への参加の呼びかけが、Stuart Brantらの名で書かれている。この本に取り上げられたすまいは地域を選ばず世界中におよび、昆虫の巣や石器時代の竪穴式住居もバックミンスター・フラーのドームも、シェルターという枠でくくって、どんな構造なのかを伝え論じている。

 じっくり読んでみる気になったのは、翻訳の監修をしてくれないかと依頼されたからで、はずかしいことに、これまでの長い間、写真や図を見たが、文は拾い読みした程度だから、本を読んだとはちょっと言えない。翻訳の原稿を読み、原文を読み比べてみてこの本に潜む力のほどがよくわかって来た。ここにはシェルターそのものだけでなく、この本をつくったアメリカという生き方がよく見える。

WholeEarthCatalog.JPG たとえばアドビーについて、といってももちろんPhotoshopをつくっているAdobe社ではなくて日干し煉瓦のことだが、土の選び方に始まって、レンガを乾燥させるときの積み重ね方や壁の積みかたにいたるまでがイラスト入りで書いてある。大部分の日本人にとっては、建築材料から自分たちで作ろうという発想はない。あるいは 、チュニジア民家のドームの屋根をレンガ職人がひとりで積んでいる写真がある。彼は手首に紐の端を結びつけ、もう一方の端をドームを構成する球の中心に固定してある。すると、紐をピンと張るようにして手を動かせば、自然に手は球面上を動くことになる。だから螺旋を描くようにしてレンガを重ねてゆけばドームができてしまうんだという素朴なやり方に、なるほどと感心する。また、丸太から手斧はつりで角材をつくるのに、プロの職人は丸太の上に乗り自分の足元にむかって左側に斧を振り下ろすのだが、これはやはり危険だから私は丸太の前に立って、向こう側に45°の角度の面をつくるようにして手斧はつりをやるんだ、というようなことが図解入りで書いてある。あくまで具体的、体験的、それゆえ根源的にシェルターを考えている。

 日本人にとっては、大工仕事というのは職人の高度な技として受け継がれてきたものだから、素人からは遠く離れた彼方にあるけれど、アメリカという文化にとってはそうじゃないんだということを実感させる。この本のタイトルがHOUSEでなくSHELTERであることもそうした明瞭な意志の表れであって、住宅というものは、まず雨露をしのぎ外敵を防ぐという機能を自分たちでつくることからはじまるのだと彼らは考えているらしい。その同じ文化の上に、社会は自分たちでつくるのだという考えが載っている。だから、陪審員制度のもとに素人が裁判に参加するなどということになるし、まちを自分たちでつくるという意識もつよくなるのだろう。同じ理由から、自分のいのちは自分で護ると言って、あくまでも銃を持つ権利を手放さないことにもなるのだろうけれど。

 使われている資料の多さと広さやレイアウトのしかたを見れば、インターネットという概念はこのような情報の形式の延長線上に自然につくられてきたのだということが分かる。世界中の情報を、多くの人たち多くの場所から集められるということも英語という言語が支配的であるおかげだが、こういう本に安い価格を付けられるのも、英語で書かれているおかげですこぶる大きなマーケットが期待できるからだ。リサイクルや環境の保護という姿勢も、1973という時代に、すでにこの本のあちらこちらに表れている。

(注)Stuart BrantはHow Buildings Learnの著者でもある。

投稿者 玉井一匡 : 02:06 PM | コメント (0) | トラックバック

October 24, 2005

「アースダイバー」とアースダイビング大会

 アースダイバー/中沢新一/講談社 左図はアースダイビングマップ
 中沢新一が「アースダイバー」に持ち込んだ道具は、縄文海進期のEARTH DIVING MAPただひとつなのに、ぼくたちの東京の読み取り方をすっかり変えた。アースダイビング探検隊で、その思いを新たにしたのだが、出だしでぼくは躓いた。タクシーに置き忘れたデジカメの代わりを何にしようかとあれこれ悩んだ末に、kawaさんがblogに書いていたリコーCaplioGXのコストパフォーマンスに抗いがたく注文したのがギリギリで、届くのをまっているうちに集合地点の六本木バーガーインには間にあわずに、ノアビルから合流したのだった。アースダイビング大会の隊員は、原、、松、井、それに。ことごとくわれらの風景あるいは風土を形成する文字だ。力士の醜名ならずとも、日本人の姓は地と分ちがたく結びついている。

 歩いているとゆるやかな傾斜にはなかなか気づかないのに自転車では上り下りに敏感だ。ぼくの自転車通勤ルートは、川沿いの道には上り下りが少ないだろうと考えて、新井薬師から神楽坂までの妙正寺川から神田川にのほとりをなぞっている。できるだけ川のそばを走りたいと始めたが、気持ちよく走りやすいところを探しているうちに、ちょっと離れた高台の足元の道を走るようになった。その高台は南斜面だから緑が多いし、道から川までの平らな土地は、上流から川が運んだ土砂で作ったものだろうと思いながら走るのはきもちいい。縄文時代にはまだこのあたりは海の底だったという想像はたのしさを倍加した。そういう高台のひとつに林芙美子の住んだ家がある。

 探検隊は六本木から緩やかに坂を下り、狸穴をへて白井晟一のノアビルの前を通って東京タワーにのぼり、上空から東京の地形を確認。芝丸山古墳を見たあと、増上寺の大門をくぐって焼きトンの秋田屋に漂着した。縄文地図をみれば、自転車通勤のルートは海岸のおおきな形に添って平行に海底を走っているのだが、探検隊は東京湾に触手のようにのびている岬を上り下りしてあるいた。海と陸地がたがいに食い込むフィヨルドのさまを実感するには、自転車より徒歩がいい。それほどに細かく海と陸が入り組んでいる。いいかえれば、陸地と海の接する波打ち際は、今よりもはるかに長い。ぼくたちが海を好きなのは当たり前なんだ。  東京タワーの上から見下ろすと、高層ビルのおかげで地形はほとんどわからない。ただ、樹木の多いところがあると、あそこは何だろうかと気づく。その多くは、公園でなければ神社、寺、皇室の住まいのどれかだ。モダニズムは「いま」にしか価値を置かないから、古いものに未練を持たない。上から見れば緑があるばかりだが地図をたよりに行ってみると、思いのほか前方後円墳はちゃんと残っているものの、円形の頂は容赦なく平らに削られている。公園にするからといっても、平らである必要はあるまい。おい、元の地形に恨みでもあるのか。広大な土地に巨大な構築物をねじこんでいったアメリカ文化の荒っぽいところをコピーして、変化に満ち緑豊かなこの島に貼付けたのだ。 古墳とプリンスタワーホテルの礼拝堂とおぼしき建物のあいだに、立派な看板があった。「管理責任者東京プリンスホテルパークタワー支配人」なるものによってつくられているのをみてmasaさんと苦笑した。「土地の形質を変更すること」を禁ずるという。アメリカが、大量破壊兵器の所持を他国に禁ずるようなものだ。傷つけられた古墳と裸にされた由緒ある寺と名前だけの王子さま、そして形だけのチャペルでつくられる王国の樹立宣言。やはり、アースダイバーのように泥にまみれてつくらなければいい国はできない。
「アースダイバー」とは、アメリカインディアンの建国神話のひとつ、水の中に潜ってくわえてきたもので国をつくったカイツブリあるいはアビなのだという。中沢ダイバーは、もちろん東京タワーの展望台から地上にダイブしようというのではない。意味の海にのんびり浮かんでいるとみるや、クルリと身をひるがえしては水面を切り裂いて、つぎからつぎへと嘴にくわえて水面に飛び出し、波打ち際に獲物を並べてゆく。それらは、新しくつくられたものではなくむしろありふれたものや古くさいものでさえあるのに、ちょっと並べ方を変えただけで、すっかり意味を変える。
 すでにあるものを壊そうとはしない。ただ、すでにあるものの組み合わせを変え意味を変え価値を変えるのがアースダイバーのやりかた。「縄文海進」さえ、意味の海の底にすでにあったのを見つけてきたものだ。中沢ダイバーは、最後にはこともあろうに天皇制すらくわえて浮上してきた。それを「森、縄文、南方、女性」というカテゴリーに置くと、天皇制は女性天皇の誕生をもって近代天皇制に別れを告げ、グローバリズムに対抗するアジール(あらゆる権力のおよばない避難所)として天皇はこう宣言するのだという。「わたしたちの日本文明は、キノコのように粘菌のように、グローバル文明のつくりだすものを分解し、自然に戻してゆくことをめざしている、多少風変わりな文明です。そしてわたしはそういう国民の意思の象徴なのです」と。

投稿者 玉井一匡 : 01:33 AM | コメント (13) | トラックバック

October 22, 2005

ナイトホークス

 nighthhawks.jpg ナイトホークス/ マイクル・コナリー/古沢 嘉通/扶桑社

 漂泊のブロガーを見たら「エドワード・ホッパーの描く民家にちょっと似ていませんか?」なんてことがかいてあるので、おやと思ってしまった。ちょうどその日、ぼくは文庫本2冊の推理小説を読み終わったのだが、そのタイトルが「ナイトホークス」だったからだ。「Nighthawks」は、エドワード・ホッパーの中でも、ぼくたちにいちばん馴染み深い絵のタイトルで、人通りもなくなった深夜の街、バーのカウンターの向こう側に男と女がならびこちら側に男が一人腰掛けているやつだ。

 原作も同じタイトルなんだろうかと思って本の扉を見ると「THE BLACK ECHO」というのだった。そのままだってべつに悪いことはないと思うけれど、この絵が小道具として登場するのでナイトホークにしたかった気持ちはよくわかる。なにしろ主人公の名は愛称ハリー、正式にはヒエロニムスでファミリーネームはボッシュ、人間や社会の表層の奥にひそむものを表にださないではいられない画家ヒエロニムス・ボッシュと同じ名前を作者は主人公に与えたのだ。画家と同じように、そこまでしなくてもいいだろうにというくらいに真実を掘り出してゆく。NighthawksがあるのはThe Art Institute of Chicagoだが、小説の舞台はロサンジェルスだ。組織の中に収まりきれない刑事を主人公にするハードボイルドで作者のデビュー作だが評判がよくてシリーズになった。構成力、人間を描写する力、すっかり世界に取り込まれてしまった。推理小説は、さまざまな事象とそれらを結びつける因果関係を発見する過程を楽しむものだとぼくは思うが、その必然性を疑わせるところがない。重層するのに無駄な事象がほとんどない。ぼくは推理小説ファンのつもりなのに1992年に書かれたこの本をまだ知らなかったことがうれしい。シリーズの残りが、これから書くものも含めればまだたくさんあるのだから。

投稿者 玉井一匡 : 12:22 AM | コメント (2) | トラックバック

October 19, 2005

エッセンシャル タオ

 「エッセンシャル タオ」加島祥造著 講談社

 ぼくたちの住む島は、地球上のもっとも大きな大陸の東のはずれにある。船をはこぶ帆のように、魚をとらえる網のように膨らんで、いつも西から新たにやってくる風やものたちを受け止め、選別し加工して取り込んできた。
 そうやってとらえたものの中でも最も重要な獲物のひとつである漢字を手に入れると、それを自分たちのことばに利用する調理法を考えた。文章の文字の配列をそのままに日本語として読みくだす。表意文字を変化させて仮名という表音文字をつくりだす。漢字と仮名を混合させるという三つの方法だった。

 しかし、つい二世代ほど前までは当然のものだった漢籍の素養、つまり中国語の表記をそのまま日本語として読み替えるという能力は、もうわれわれの世代にはほとんど消滅して、その立場は英語に取って代わられ、それと一緒に漢籍によって伝えられた思想や文化も遠ざかった。
 ぼくたちには、老子の説く思想「道」を西欧文化が「TAO」と呼んでも、すでに違和感がないほどだ。この本は漢文の老子でなく、英訳された「老子」の81篇がそれぞれ加島氏の中に呼び起こしたものと、それに加えられる解説である。かつては中国から東に向かって日本に来た老子の思想が、逆に西に向かってアメリカ大陸に渡り、さらに海をこえて東から日本に届いたのだ。漢文を中国語という外国語として受けとるアメリカの大学で学んだ加島祥造氏がそれを運んだ。きわめてわかりやすく平易に書かれている。原文の読み下しと英訳をくらべると、日本人にとっても英語訳の方が分かりやすい。そして、英訳をもとにした、加島老子はさらにわかりやすい。加島氏には老子の著作がすでに数点あり、ポー、イェーツ、フォークナー、アガサ・クリスティなどの翻訳者でもある。
たとえば、冒頭の一編を、読下し、原文英語訳と比較すると興味深い。

「エッセンシャル タオ」はこう書かれている。

道(タオ)だといっても
それは本当のタオでもない
初めは名のない領域だったのだ
そこから出たものに、人間が名をつけたーー
天、地、そして万物
このように人間が名をつける以前の、根源の働きーー

玄の向こうにある玄、それを
かりにTaoー道ーと呼ぶのだ
入り口には衆妙の門が立っている
森羅万象のあらゆるもののくぐる門だ

 漢字を受け継いだ日本では老子の言葉を切り分けて、いまでは酒の銘柄や断片的な名言として生きているにすぎない。それにひきかえ中国から漢字のない西に向かった老子は、断片ではなく全体を受け取って、宇宙を包む大きな思想として受容した。スターウォーズの、善と悪は表裏一体であるとする考え方は、あきらかに老子の影響をうけている。ためしに「TAO,STAR WARS」とgoogleしてみたら、「The Tao of Star Wars」というサイトがはじめに出てくる。F.L.ライトは老子を引用して「壷の本質は、壷そのものにではなくその内側のからっぽにあるんだ」と、建築を語っている。といっても、ライトはかっこいい壷を作っているし、スターウォーズは戦いを続けるんだが。

 自然界のあらゆる生物は、徹底的に自然環境に合わせて生き方と身体の構造すら変化させてきた。にもかかわらず、人間だけが環境を作り替えあるいは破壊して自分の生活のやりかたに合うようにして、それをみずから文明と呼び人類の証しとしてして誇りにしてきた。このまま行けば、人間のありかたが環境もろともみずからを滅ぼすときが来る。
 「365日世界の旅」のエントリーに書いたことだが、かつてニュース23にゲストとして出演したビヨークに驚かされたことがある。「日本にはシントーという宗教があって、自然を神としているそうですね」と言ったのだ。いまでこそ自然を神とする宗教と先進技術を同時にもつのは少ないことかもしれない。しかし、かつて自然を神としたのは日本だけではなくて、大部分の人間が別々のところで同じものを畏敬の対象としていたに違いない。老子と仏教の根源にある「空」は、「自然」と同義語といってもいいくらい近い所にあって、その思想は古い時代にまで届く根を今も残しているはずだ。その層では、地表の分断や亀裂とはかかわりなく、宗教や文化以前の古い層がひろくつながっている。そこまで降りてゆけば、宗教は対立ではなく共生のための力になるだろう。
 
塚原がこの本を定年前の最後のしごとに選んだのはよかったなと思う。加島祥造氏は、「碁のうた碁のこころ」の表紙の水墨画を描いたひとでもある。

関連エントリー:駒ヶ根の桜

投稿者 玉井一匡 : 01:59 AM | コメント (7) | トラックバック

September 22, 2005

プルートウ

 浦沢直樹の「プルートウ」の第2巻をHさんが持ってきてくれた。前にエントリーしたが、彼は読み終わった本をDVDに保存する。背表紙の部分を裁断機で切断し、自動スキャナーで取り込んでDVDにしてしまったので持ってきてくれたのだった。いらなきゃ捨てていいよというが、ぼくの好きそうなやつを選んでくれるから、ぼくは捨てない。パンチで穴をひとつあけてリングを通した。第1巻は、まだ裁断していないのを持ってきてくれたのが事務所に置いてあったから、それはHさんに返した。
「プルートウ」は、鉄腕アトムの生まれた2003年4月7日を記念して浦沢が書いた鉄腕アトムの物語なので、表紙には作者として「浦沢直樹×手塚治虫」とある。雨の中で傘をさしたアトムがカタツムリを見つけるという登場で第1巻は終わった。だから、アトムが本格的に出てくるのはこの2巻からなのだ。浦沢がこの企画を虫プロに持ち込んだときのことを、手塚治虫の息子である手塚眞があとがきに書いている。一旦は婉曲に断ったのに、試作版をもって再度訪れたので、さすがに了承せざるをえずに浦沢に注文をつけたのだそうだ。キャラクターも浦沢流で描いて手塚治虫にガチンコ勝負を挑んでほしいと。

その注文のとおり、お茶の水博士、田鷲警視、アトム、そしてウランちゃんも登場するが、浦沢流の人物になっていて、長いあいだぼくの記憶に固定されてきたものとの違いが、彼らの登場のたびに感慨をあらたにする。たとえば漫画を実写版の映画にしたときの違いとは、別の違いがあるんだ。
人間をはるかに越えた能力を持ちながら限りなく人間に近い感性をもつロボットの苦悩は、アシモフ原作のアイロボットがそうであったようにロボットSFに共通のテーマだが、浦沢が丁寧につくりなおしたキャラクターは手塚が書かなかったものを表現する。手塚の人間たちはロボットのように見えるが浦沢のアトムは人間にしか見えない。手塚のアトムは未来とロボットを考えさせたが、浦沢アトムはロボットを通じて現在の世界と人間を考えさせる。イラク侵攻の問題も取り込む。浦沢が「やわらちゃん」を書いた人でもあることを思えば、かくも性格の違う漫画を描いてしまう才能に敬服する。
ところで、plutoは冥府の神、惑星の名では冥王星だ。海王星はなんとなくtitanだと思いこんでいたのだが、調べてみたら大間違いでtitanは土星の第6衛星。カタカナで使われると、あるときは金属のチタンになり、ロケットならタイタンと表記される。船の名になればタイタニック。つまり、titanは太陽系の惑星とはレイアがひとつ違うのだった。海王星はneptune。
2巻の最後のページには、それまで後ろ向きだった少女が憤慨してふりかえるクローズアップのウランで終わる。

投稿者 玉井一匡 : 02:30 PM | コメント (0) | トラックバック

August 21, 2005

海馬

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*「海馬」/脳は疲れない ほぼ日ブックス (ほぼ日ブックス) 池谷 裕二 糸井 重里 /¥ 1,785 新潮文庫¥620

 「海馬は読んだ?」ときかれて、読みましたよと答えたが、内容について話をききながら、どうも記憶から掘り出せない。ひところ「ほぼ日」で話題になっていたから、そのころに買ったはずのが本棚に並んでいる。akiさんの電話を切ってから、本棚から手に取ってみたがどうもはじめの方くらいしか記憶にない。昼飯を食べながら読み始めると、おそろしくおもしろいんだ。こんな本を途中でやめるってのはいったいなにがあったのか不思議だ。tacにそう言ったら「玉井さん読んでいないですよ。本の端がきれいだもの」と物的証拠を突きつけられた。そのとおり、ぼくが読むと、本のページの下の部分がかならず汚れるのだが、こいつにはそれがない。

 ぼくたちは、一日中さまざまなものを見たり聞いたりさわったり、とてつもない量の経験をしているけれど、それらのうち、どれを自分のものとして記憶に残しどれを捨てるかという判断をするのが海馬の働きなのだという。
 脳は一生のうちに2%くらいしか使われないんだと言われている。生まれてから、1秒にひとつくらいずつのいきおいで脳細胞は死んでひたすら減ってゆき再生産されることがないのだが、海馬の神経細胞だけは増えてゆくのだそうだ。つまり、暗記のような単なる記憶は若いときの方がいいけれど、年齢を重ねてゆくほどに賢くなるということじゃないか。うーん、そうだったのかとにわかに覚醒してきた。

  世の中には、すでに限りないほどの沢山の事象がある。それらを選別して法則性をみつけることが発見であり、集めたものごとの一部を膨らませたり縮めたりしてつなぎ変えることが発明や芸術というものではないか。発明も発見も芸術も、「すでに世の中にあるもの」を編集することなのだ。海馬の役割は、脳の受けとった莫大な量の刺激と経験の中かから何かを選び出し組み立て直すという編集作業にほかならない。そして、その能力は、使い続ければ衰えないばかりか成長しつづけるというのだ。
 さまざまな事象の関係や、脳細胞をむすぶシノプシスがつくりだすシステムのことを糸井が「つながり」ということばで言っている。脳細胞の一つ一つだけをみれば大したことを記憶できるわけじゃないのにそれらのつなげかた次第で、素敵なものができる。 まちや建築のつくりかたのこともぼくは思い浮かべた。すでにあるものをつなぎあわせ組み合わせて新しい価値を作り出すというしごとは海馬のようだ。

 池谷はこんなことも言っている。このごろはインターネットのおかげで、研究の成果を仮説の段階で公表することがある。それを見た人があとを引き継いで証明してくれるというぐあいになってきた。オープンソースなんだ、脳というやつが固定したものではなくて、その時々のプロセスであるというのと同じなのです。・・・・blogというメディアそのもののいいところも、そういうところだ。まずはエントリーして、違っていたら訂正して徐々によくしていけばいい。それに、ほかの人が手を加えたり口を出す。そうやっているうちに、やがて洗練されてゆく。

  ところが、日本の国道や県道沿いの町では、それまでにあった田んぼや古い商店や住宅を一掃してしまう。「すでにあるもの」に蓄えられたものを選んでつかうのでなく、それらを無視して一掃し何もない状態にしてから、前よりもいいところもあるにはあるが、多くの場合には悪いところをたくさん秘めたもので置き換える。どこでも同じ大型店を大きな看板といっしょに並べる。そして、ちょっと離れたところにある古くからの商店街には、閑古鳥の群れを入れた籠のふたを一斉に開く。本当はいろんなものがもっと蓄積されている古い町は風化し腐敗してゆく。そういうまちのつくりかたは、効率と利益を行動の規範にしてインターネットで大儲けをたくらむ奴らと同じやりかたなのだ。数量しか気にしない。

shinkablane.jpg  この2人の話を読んでいると、つぎつぎにいろんなことを考えてしまう。この人たちはそもそもそういう資質にあふれたひとだろうが、対話という形式がとてもすぐれた表現の方法であることがわかる。ひとりで書く文章は、どうしたって文字を順番に並べるという形式にならざるをえない。線形、一次元なのだ。ところが、すぐれたくみあわせすぐれた人による対話では、それが一変して平面にひろがり立体に膨らむ。そのふくらみを、読者であるぼくたちもまたさらに膨らませたくなってくるのだ。
 かつて朝日出版社がレクチャーシリーズというのを作っていたことがある。ある分野の専門家ひとりと、門外漢の聞き手ひとりを組み合わせて精神分析や相対性理論などのテーマを一対一で講義するというもので、ちょうど海馬と同じ形式をとっていた。とてもすぐれたシリーズだったが、今はもうなくなってしまった。朝日出版社は、伊丹十三責任編集の雑誌「モノンクル」を出していたところでもあるから、レクチャーシリーズにも伊丹がからんでいたのだろう。伊丹が死んだ現在、かれの代わりをするひとは糸井重里だと、この本を読んだあと、ぼくは確信した。そして、会ったこともないが池谷さん糸井さんのふたりにありがとうといいたくなった。そういえば、池谷さんの「進化しすぎた脳」を、ぼくはまだ読んでいないけれど朝日出版から出ている。

 脳の話をきいていると、いろんなものごとが脳とおなじようにできていると思った。あれも、これも。
しかし、それは当然のことなのかもしれない。ぼくたちはものごとを脳で理解して脳に記憶するのだから、世界は脳の形式にしたがって整理されるはずだ。だとすれば、それらが脳のありかたに似ているのではなくて脳の構成に則ってぼくたちが世界を認識しているということなんじゃないか。

投稿者 玉井一匡 : 06:38 AM | コメント (0) | トラックバック

August 10, 2005

夕凪の街 桜の国

yunagi-sakura.jpg「桜の国」の舞台は、中野通りの桜、片山橋、水の塔公園、みんな近いぞと、秋山さんからのメールをいただいた。早速aki'sSTOCKTAKINGに書かれた「夕凪の街 桜の国」を読んでコメントを書き始めたのだが、長くなりそうだしまわりのまちをまた書きたいこともあるので、コピー&ペーストでここにつれてくることにした。

<aki'sSTOCKTAKINGへ書きかけたコメント>
きのう買ってきて読みました。これほどの重く深いテーマを、60年の時間と場所を隔てながら、こんなに短くみごとに表現できたものだと思ったけれど、じつは短くしたからこそそれが可能だったのだと、あらためて思います。4つの時と2つの場所は、たがいの残像が残されているくらいの短い間に行き来することで、過去と現在が深く関わるものであることを実感します。
 この物語は、1945年8月6日のヒロシマでのできごとそのものは直接に描くことをせずに、その日に遭遇し、そこで起こったことを受け止めて生きる人たちのつよさ、勇気、やさしさをきめ細かく描いている。それをもたらした悲惨さと残酷を間接的に表現しているところがぼくは好きです。だからこそ、ぼくたちは自分の日常と重ねてよみとることができるのでしょう。

 それにしても、ことは原爆に限らず被害を受けた人たちが、むしろ肩身の狭い思いをして生きてゆかなければならないという理不尽なことは、ことによると人間の世界の常であるのかもしれませんが、とりわけこの国では多いような気がします。たとえば公害の被害者として名乗り出る人に対する後ろ指や、イラクで捕まった人たちに対する自己責任なる非難、レイプやストーカーの被害にあった人にも同じような視線が向けられるといいます。
この物語の主人公たちは、そういう風土の中にあって、無意識になかば後ろめたい気持ちで生きてきた。だから自分たちの生きる場所は、ほかの人たちとは別の場所でなければならないと無意識のうちに感じてしまうが、事実を正面から受け止めながら強くしなやかに乗り越えてゆくことに、ぼくは尊敬と共感をおぼえました。

 読み終えた本を娘にわたした。
「これ知ってる?」
「えーっ、あたし買ったよ。でも読む前にどこかに消えちゃったから、見つけたら誰かに売りつけるからいいよ」
「これ、8月6日のヒロシマと、新井薬師や桜の中野通りが出てくるの知ってたかい? うちのあたりが舞台だぞって秋山さんに聞いたんだ」
「知らなかった。なんかよさそうだから買ったの」
 長女は8月6日が誕生日で、わが家の最寄り駅は新井薬師、ぼくたちは毎日のように水の塔を遠くに見て中野通りを行き来する。8月6日は偶然ではない。帝王切開だったから、ある程度の範囲で誕生日を選ぶことができたので僕たちはこの日を選んだのだが、この日にヒロシマにいた人たちの多くは、このことを思い出したくないと感じるだろうと思えば、軽々しく口にできることではないのだと、あらためて思う。

投稿者 玉井一匡 : 10:30 PM | コメント (6) | トラックバック

August 04, 2005

ロマンスのR:女ハードボイルド探偵

RisforRico.jpgロマンスのR /スー グラフトン著・ 嵯峨 静江 訳/早川書房
 スー・グラフトンの、アルファベットシリーズの主人公、キンジー・ミルホーンは、サラ・パレツキーのヴィク・ウォーショースキーと並ぶハードボイルド女探偵の双璧だ。「アリバイのA」からはじまって、アルファベット順にタイトルをつけた作品をつぎつぎに書いてきたが、早いもので、とうとうRまで来てしまい、あと残すのは8つになった。「アリバイのA」の原題は「A is for alibai」だったからAとアリバイのつながりはわかりやすい。が、つぎの「泥棒のB」は「B is for burglar」。burglarを日本語にして「泥棒のB」だが、ちょっと考えないとわからない。こんどの「ロマンスのR」は、いずれでもない形式で、一見すると「R is for Romance」なのかと思うが表紙にも書いてあるように原題は「R is for Ricochet」、見たこともない単語だったからexcite辞書で調べると
1 跳飛 《弾丸・石などが平面や水面に当たって斜めに跳ね返ること》.
2 跳飛した弾丸,跳弾. (〜ed /d/; 〜・ing //) 〈弾丸・石などが〉跳飛する 〈off〉.フランス語から
とある。読み終わった今になってみれば「流れ弾」といったところだろうと思うが、まったく関係のないロマンスという言葉に置き換えてある。キンジーが恋に落ちるストリーだからRとつながるロマンスにしたわけだ。

ハードボイルドは2つの要件を満たさねばならない。
(1)みずからに課した掟は徹底的にまもる。そのためであれば、社会的な約束事から逸脱することもいとわない。おそれない。
(2)みずから事件の中に飛び込んで事件の動きにかかわり、ときに流れを変える。
こいつが正しいと思えば、経済的な見返りがなかろうと、家宅侵入ぐらいのことはやろうと、そいつのためにまっしぐら。しかし銃は持たない使わない。かつては持っていたが、危ない目にあってからかえって銃を持たない方が安全だということになった。
アルファベットシリーズの初期のものに、クルマで張り込みをしているときには空き缶で用を足すこともあるなんてことが書いてあったが、女ハードボイルド探偵は、社会的に決められた男女の区別、ジェンダーには否定的であることはいうまでもない。P.D.ジェイムズには「女には向かない職業」というのがあるが、これは、私立探偵だった父が死んだためにやむなく探偵になる若い娘のはなしだ。もちろん、気が進まずにやっているうちに能力を発揮する。じつは彼女は探偵に向いているのであって、やはりこれもジェンダーフリーである。なにごともそうだが、多くの場合「・・・・だから」ではなく「・・・にもかかわらず」ということの方がおもしろい。「にもかかわらず」のほうが、意味のレイアが複雑なのだ。女であるにもかかわらず探偵であることは、この物語を面白くするために重要なポイントのひとつになっている。
 この「ロマンスのR」では、キンジーが恋をすることによって普通の女になり、やや精彩を欠いてしまう。そいういうところを見ても、ありきたりの女らしさからの逸脱にキンジーの魅力と力の源の一端があることがわかる。しかし、作者はそれを補うように、もうひとりの女を登場させる。キンジーはこの物語ではジェンダーの枠にからめとられるが、この一人の登場で物語としてはジェンダーフリーを補完することを忘れていない。
 このシリーズを読んでいていつも気になることがひとつある。キンジーの住むまちは、スペイン風の町並みを保存しているところをみるとサンタバーバラをモデルにしているようだ。ここは、マイケル・ジャクソンが住んでいることでも有名だが、もっと前から町並みの保存で知られている。だから、このシリーズではスペイン風の屋根瓦のことがときどき描かれるのだが、シリーズのはじめからそれを「屋根タイル」と書いてあるのが気になって、初めて気づいたときに葉書を送ったが、10年以上経ったこの本でも「屋根タイル」が使われている。roof tileは、やはり瓦のほうがいいと思うんだが。

投稿者 玉井一匡 : 12:27 PM | コメント (0) | トラックバック

July 27, 2005

アメリカンチョイス

amwricanchoice.jpg

 この本は、雑誌「PEN」の書評で青山南が取り上げているのを見つけた。それが可能な環境にありながらブッシュという人は、大統領になるまで一度も外国に行ったことがない。自分の住むテキサスの隣国メキシコも例外ではなく、彼には他者に対する関心というものがなく、想像力がとぼしいからなのだという発言を紹介しているのにひかれたのだった。「アメリカンチョイス」とは、昨年、アメリカ人が大統領を選んだときの「選択」のことだなのろう、同時にそれは、アメリカの国民が選択した4年間の未来でもある。
 星条旗をもとにした表紙に赤い腰巻きをつけると、表紙デザインと書面のレイアウトは、中味の安っぽい本のように想像させるが、じつはすこぶる内容が濃いうえに読みやすい。腰巻きを外せば、表紙の印象も向上する。
アメリカ在住20年の英米文学批評家、翻訳家、新元良一氏が、アメリカの20人の物書きにインタビューしたものだ。新元氏が共感するこの20人にたいして、ほぼ同じ質問をする。

1)9.11のとき、どこにいて何をしたか、どう感じたか
2)ブッシュをどう考えるか
3)イラク侵攻をどう考えるか
 これらのインタビューは大統領選挙の前と後にまたがっているので、2)については前と後で訊き方がちがっている。選挙前には「誰を大統領にしたいか」だが選挙後には「ブッシュが大統領になったことをどう考えるか」である。
じつは、ぼくはこの人たちの本はどれも読んでいない。著者は、もう一人、話をききたいと思っていた人がいたが、体調がよくないのでちょっと待って欲しいと言われ、結局はガンで亡くなってしまい、話をきくことができなかったという。スーザン・ソンタグだ。ぼくが読んでいるただ一人のひとだけ、話をきくことができなかったわけだ。彼女が書いて9月24日にニューヨーカーに掲載された文章と彼女自身が袋だたきにあっただけに、なおさら彼女の意見を聞きたかったのがなにより残念だ。
新元氏が共感を持っている人たちを選んでいるからだろう、このひとたちの基本的な立場は共通している。だから、だれが何を言ったのか、いまぼくは正確に記憶してはいないけれど、このひとたちの集積がひとりの人格を形成したとしても、決して不自然ではないくらいの共通する思想領域をもっている。

 この20人すべてがブッシュを大統領にすることに否定的で、イラク侵攻に反対している。だからアメリカの物書きの一般を示すわけではないのは間違いない。
 とはいえ、かれらは決して極端な思想の持ち主ではなく、むしろまっとうな意見を述べるにすぎないが、メディアに意見を表明できる機会がこのごろ減っていると多くの人が指摘している。アメリカではまっとうな意見が排除されようとしているのだ。メディアの自主規制的な戦時の言論自粛なのか、はたらきかけのようなものがあるのだろう。
就任演説の中で三十数回も「自由」を声高にさけんだというブッシュのもとで、ほかならぬ発言の自由がせばまっているのだ。平和のためといって軍事力が強化されるように、自由の名の下に他者の自由が抑圧される。このことから、世界中の他者の自由を自分たちにとっての自由の支配下に置こうというのがグローバリズムであることが、よくわかる。
 複数の自由がかさなりあいながらほかの自由を尊重しつつ共存する自由の市場(いちば)、「共通性なきコミュニティ」を困難を承知の上でつくることが、ぼくたちのめざすべきものだと確認できる。アメリカ合衆国はそれをめざしていたはずではないかと、この20人はみな言いたいのだ。

投稿者 玉井一匡 : 06:31 AM | コメント (1) | トラックバック

July 13, 2005

浴書3:フロンティア文庫

frontier.jpg
東京駅に妹親子を見送りに行ったかえり道、OAZOの丸善丸の内本店に初めて寄った。風呂で読む本(フロンティア文庫)を買うためだ。ほかには、新宿の東急ハンズくらいしか置いていない。店員に尋ねると、すぐに連れて行ってくれた。すべて同じ大きさのリングファイルで製本してあるし、ページ数に関わりなく一律に税込み1050円という設定も割り切りがいいと感心する。塩ビの紙というよりは板というくらいしっかりした厚さだから、温泉の帳場に置いて客に貸しても傷みそうにない。末尾に「本書の表記について」というページがあって、そのさらに末尾につぎのような一文がある。「*このテキストは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)でつくられました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」 やはり青空文庫を利用しているんだ。

 風呂場に置いて少しずつでも読めるには、詩集がいいと決めていた。小説のように止まらなくなるような本だったら、のぼせるか外に持っていってしまうだろう。萩原朔太郎の「月に吠える」を買うつもりだったが、立ち読みしていると、やはり一日の終わりに風呂の中で読みたいとは、思わなかった。迷った末に、かつて愛読した中原中也に落ち着いた。そういえば、中原中也は山口県の湯田温泉の出身だったんだぞ。 帰ると、さっそく風呂に入った。濡れることに何にも気をつかわないでいいという感じが不思議だ。
魚を水中めがねごしに見ると大きく見えるから、水の中で見たら老眼鏡がいらないかもしれないと事務所で思っていたのを、すっかり忘れていた。腰にタオルを巻いて探したが水中めがねは見つかったけれどシュノーケルがない。諦めていっぱいに息を吸い込んで浴槽の中に両手と本をひたす。半身浴どころか全身浴ができるんだと、つまらない感心をする。頭を水中に没すると、うーむ、やはり老眼鏡が要る。あたりまえだ。すべてのページの間に水が入ってしまったからすっかり開きにくくなって、全部タオルで拭くはめになった。
帰ってきた娘とひとしきり詩談義をしたあとに言われた。「フロンティア文庫って風呂だからなの?とうさんの世代なんだね、ハハハハ」  迂闊にも気づかなかったが、おい、もしかしたらフロンティアってのは風呂とボランティアをくっつけたのか。潜って本をよむやつはフロッグマン。次に出す本は精神分析入門かい、なんて、もうとまらない。

投稿者 玉井一匡 : 02:10 AM | コメント (0) | トラックバック

July 10, 2005

カヤック

kayakmokufu.jpg
 阿佐ヶ谷の木風舎というアウトドアショップからメールが来た。「ご注文いただいた「カヤック」という本が入荷しましたので、ご来舎をおまちしております。お代は伏見さまよりいただいております」すごくいい本だからと伏見さんが快気祝いとしてプレゼントしてくださったのだった。この店は日曜祝日が定休日だというので、土曜の夜に読みたくて午前中に取りに行った。木風舎は、JRの高架線の近くに店を構え、あるじが自分の好きなアウトドアの本や道具をすこしずつ並べている。「木風舎 アウトドアスクール」と看板に書かれた店は、入りにくくて地味で好ましい。店というよりミュージアムショップのようだ。
 こいつは、伏見さんらしい本だ。一目見ただけで一筋縄でいかないやつであることがわかる。まず、全編手描きのイラストに、文字まで手描きだから、翻訳者は言葉だけでなく文字まで日本語に書き換えなければならなかったわけだ。おかげでこちらは気楽に読むことができる。

つぎに、カヤックの本でありながらその楽しさについてはひとことも語らない。カヤックの技術についての説明はことごとく具体的かつ論理的だが、ひたすら、遭遇する危険をどうやり過ごすかという立場をはなれない。水の中にモノが置かれたときの水の振舞いについての記述で一貫している。ひとことで言えば流体力学だが、とっつきやすくて面白い。ここでは水力学と書かれている。システムに人間とカヤックが加えられているからなのだろう。
 じつは、カヤックについての本であるよりも、カヤックをタネに流体力学あるいは川の力学を語る本なのかもしれない。読者は水の上でなく川岸にいて、愚かな振舞いをする自分自身をわらい、あわてる仲間を救うことを考えながら力学を学ぶ。1993年初版、1997年6刷とあるから、もう絶版なんだろうかと、amazon.comを調べたら、ちゃんとあった。カヤック—カヌー乗り必携!イラストで見る究極の川下りマニュアルそういえば、シトロエンが車種の頭にCをつけるようになったのはCXが初めてだったが、それは流体力学の抵抗係数がCxという記号で表示されるのをつかったのだから、カヌーはシトロエンとあながち縁がないわけではない。
 かつてぼくは小松左京の日本沈没を読んで、地震にたいする気持に変化がおきた。地球にとってみれば、地震とは日常的な活動の、ささやかな結果にすぎないと知ってから、あまり恐怖感を感じなくなった。恐怖感はパニックのモトだ。この本は、川の危険について同じような効果をもたらす。あるいは、サッカーにおけるすぐれたミッドフィルダーが、他のプレイヤーと同じ高さの視線にありながら、全体の状況を把握しゲームの流れを予測をできるように、客観的に川の危険がわかるようになるのだろう。

「だろう」と終わらせなければならないのはつらいところだが、なにしろ、ぼくのカヌー歴ははなはだ浅い。カヤックも何も持っていない。この本を贈ってくださった伏見さんがぼくのカヤックの師匠だというのも小声でいわなければならないほどの駆け出しというより見習いにすぎない。一昨年からわずか2回、奥利根湖に1回と佐原の堀割から利根川を横断して潮来まで行ったのが1回きりだ。伏見さんはカヤックを貸してくださり、初心者向けの場所につきあい、教科書を送ってくださった。伏見さんは塚原のかみさんの友人にして彼女のカヤックの師匠である。そのおかげで、ぼくは「弟子」となることができたのだった。

 この本はカヤックの危険とそれに対する対処に終始しているところをみると。読者がカヤックを嫌うことを恐れていない。それは、おもしろさに確信があるからなのだ、きっと。もちろん、危険のとなりが面白いんだという事実もあるだろう。しかし、水と一体になる快感は、スキューバ・ダイビングとは質の違う、けれども同等以上のものがあると,ぼくのささやかな経験でさえ思う。水と空気の境界を、すべるように移動すれば、水鳥が水面をたたきながら飛び立ち、スキーのように足をそろえて着水するのと同じ高さにぼくはいる。水を叩く大きな音たちに振り返ればハクレンの群れが、ぼくの目の高さより上まで行っては水面を切り裂いていた。掘割から見上げれば江戸時代の町の見え方を理解する。今でも使っていたのかとおどろかされた閘門は、近所の老夫婦が管理をしているので、開くのを待ちながらの世間話。川を道のようにして行き来する楽しさを過去のものにしてしまうのはもったいない。
 ちなみに、この著者はマウンテンバイクの本も書いている。「カヤック」の表紙の裏には、自宅の裏に置かれた飛行機とならんだ写真がある。

投稿者 玉井一匡 : 05:39 PM | コメント (12) | トラックバック

June 21, 2005

「タイニーハウス」レスター・ウォーカー著/玉井一匡・山本草介訳/ワールドフォトプレス

CLICK tinyhouse-thumb.jpg

ずいぶん前からのことだが、サイドコラムに「タイニーハウス」と「シェルター」のamazonへのリンクをつくることを秋山さんからすすめられていた。昨日の電話で「タイニーハウスのことを書いたからエントリーするよ」と言われては、グズグズするわけにはゆかなくなった。そしてaki's STOCKTAKINGに「タイニーハウス」というエントリーができる寸前にやっと不完全だがリンクを作った。なんていうと自分ひとりで作ったように聞こえるだろうが、LandShipのミネ君のご指導のおかげでやっとたどりついたのです。しかし、自分のブログにエントリーがないのではまずいなと、ホームページ(PageHome)に書いてあったものに少し手を入れて移植することにした。
 春のBe-h@us展に出したプロジェクトに、Be-h@us tinyというタイトルをつけたのは、もちろん「タイニーハウス」のことを意識してのことだが、五十嵐さんが出した「パラディオのTinyHouse "Little Emo"」も、この本に触発されて、教えている大学で学生にタイニーハウスを課題として出したときに作ったものだったそうだ。

      *       *       *       *
”TINY HOUSES”という本の翻訳ができた。原題をそのままカタカナに変えて「タイニーハウス」となった。
 ヘンリー・ソローの「森の生活」に書かれたウォールデンの家のように、存在はよく知られているが具体的にはどんな家なのか知らないというものもあれば、アメリカの第二代大統領トマス・ジェファーソンがみずから設計した自邸モンティセロ(monticello)は名高いが、その一部につくられた新婚時代の家などは、大抵の人は存在も知らないだろう。そんな伝説的なものばかりではなく、サンフランシスコの震災に際して大量に作られた避難小屋にいたるまで、43の小さな住宅ばかりを集めたものだ。
 5.5平方フィートのバス停留所は別格としても、多くの部分をなす100平方フィート前後のものから100平方フィートを3階重ねて延べ300平方フィートのものまで、すべてが一貫した形式で書かれている。家たちの作られた背景と構成を、文章と写真、イラストとともに、すべてに同じ縮尺の平面図と立面図のほかに「パターン」という図がある。起こし絵のように切り抜いて折り目を折って貼りあわせれば、同じ縮尺のシルエット模型が43戸できるのだ。

 序文によれば、宇宙船が実現してからというもの、すみずみまで考えつくした極限の小さな家にというものにとりつかれた著者は、素人でも短期間に自分の手で作れるような小さな家を集めた本をつくろうと思い立った。人が集まっているときに、「こういう本を作っているんだ」と水を向けると、だれもが話に加わって熱くなってきたと書いている。たしかに、このイエたちの大きさと作り方ならだれでも自分の頭で考え自分の手で作れるような気になる。
末尾の説明の原稿を書いたが、はじめは編集者からダメが出た。ちょっと過激、あるいは個性的に過ぎるという。ぼくも、しぶしぶ納得して書き直したが、ボツになったのはつぎのようなものだった。

 ・・・小さな家が面白いよなんてことを、なんでよりによってアメリカ人に教えてもらわなきゃあならないんだ、一人あたりにしても10倍以上も国の大きさに違いがあるんだよ。
ところが、「できるだけ小さな家をつくろう」というルールをひとつ加えるだけで、たちどころにイエの大きさはどこの国に行こうとさして変わりがなくなって、だれもが同じグラウンドでゲームを楽しむことができるようになる。ちっぽけなイエの中じゃ、どっちみち納まりはしないから、生活が外にこぼれだす。すると、イエはドアの中だけではなくて、その外側の森の中やマチの中というグラウンドにもあったんだということに気付いて1点。そこに通りがかったやつらが「おめでとう」といってハイタッチしてくれたら、両方にもう1点。その前に、かっこいい家ができたら1点だった。という具合に、だれもが勝者になれるゲームらしいよ。タイニーハウスは。・・・・

 これくらいの小さな家なら、だれもが生活のしかた生き方について同じ地点に立って家を考え語ることができる。地球を100人の村にして考えるのと同じことだ。小さければ、部分を考えながら全体のシステムを考えることができる。アメリカでもアフガニスタンでも日本でも同じように。それにもうひとつ、家が小さければ土地は相対的に広くなる。家が小さければ外にでて生活をする。いや、このタイニーハウスはむしろ外に出て生活することや、ソトにも生活空間があることを前提にして小さく作られたものが少なくない。マチや森をイエの一部分として考えられているのだ。それが、いいマチいい自然をつくることになるだろうと思う。
TinyHousesE.jpg
そういうことを、ぼくはいいたかったのだ。

追記
■英語版:この本は再版されていないので、amazonでも古本がなかなか高い値段がついています。
むしろ、アメリカのamazonから英語版を買う方が安く手に入ります。
文章はもちろん英語ですが、写真と図面は変わりません。
アメリカのamazon、TINY HOUSESのページはここです
■関連エントリー:「アメリカ再読」/アメリカの住宅の住み方について

投稿者 玉井一匡 : 05:32 PM | コメント (8) | トラックバック

June 08, 2005

浴書2:風呂で読む文庫

furobooks1.tiff 
click to jump to this SITE
「玉井さん向けのものがありました。」というメールが秋山さんから届いた。サイトのアドレスが添えてある。「風呂で読む文庫」のことだ。ぼくは現場に出ていたので、このメールを見られなかったあいだに「風呂で読める本のコメントはすでにありましたね」という第2便がつづいていた。

「そうなんです・・・・・」とぼくは返信した。以前に「浴書」というエントリーで、風呂で本を読む苦労とたのしさについて書いた。
この「風呂で読む文庫」のサイトには朝日新聞の記事が紹介されているが、それには半身浴で長く入浴するときのためとして取り上げられている。ぼくが書いたのは、むしろ全身浴のときの読書だった。そのときに、松代さんが、コメントでこの耐水文庫本のことを教えてくださった。秋山さんの第2便にはそのことについて書かれているのだ。
 松代さんのコメントに対してぼくは、「10冊セットだとちょっと買いにくい」と書いたのだったが、タイトルが増えただろうかと思って久しぶりにサイトを開いて、よーく見ると、1冊ずつ買うこともできるじゃないか。前の時に見落としていたのか、販売方法がかわったのか。しかし、「10冊単位のセット販売も始めました」という書き方をしているから、ぼくが見落としたようだ。ごめんなさい松代さん。ありがとうございました秋山さん・・・・そうなると、話はちょっと変わってくるぞ。送料の350円がしゃくだから、本屋に行って買おうと思う。販売店のリストを見ると新宿か渋谷の東急ハンズがいちばん近い。
 ところで何を読もうかと、本のリストを開くと、選んだ人の好みの「偏向」が読み取れてちょっとニヤリとする。いずれも、古いものが並んでいるのは、はやりすたりのないことを意図したのだろうが、その理由はもうひとつあるにちがいない。これは、青空文庫を利用したのだろうと気づいた。いくつかを対照してみたが、ぼくが書名すらしらなかった本も含めてサンプリングしたものは、たしかにみな重なっている。たしかに、青空文庫を利用しない手はない。だから、安くつくることができる。青空文庫の存在意義がもうひとつひろがったということがうれしい。しかも、塩ビを使っているから、不要になった本は回収して有毒ガスの出ない方法で焼却するという配慮も忘れていない。
液晶は見にくくなるので、青空の下ではiBookは読めないけれど、これなら露天風呂で読めるわけだ。
 まずは、月に吠えてみるか。

投稿者 玉井一匡 : 06:59 AM | コメント (4) | トラックバック

May 14, 2005

満州走馬燈

「満州走馬燈」 小宮清著 ワールドフォトプレス刊 1982年
aki's STOCKTAKINGでくわしく取り上げられたので、満州走馬燈をひさしぶりに読んだ。かつては拾い読みをしていったから、読んでいないところがたくさんある。こんどは註にいたるまでみんな読んだ。奥付を見ると昭和57年、1982年刊行で、もう23年前になるのだ。
 じっくり読み返すと、ほんとうに良くできた本、いい本だ。子供の視点、大人の視点、歴史的視点。それら3つがきちんと書かれていて、子供の視点を中心にすえている。終戦直後の日本でも、戦火のアフガニスタンやイラクでも、悲惨な環境にありながら多くの子供たちは明るい表情をしていた。この本を読むと、彼らの環境へのとてつもない適応力がなぜなのか分かる気がした。

大人にとってはつらいばかりの生活の中にさえ、こどもたちは楽しさと驚きを発見する。きっとこどもはそういうふうにできているのだ。生きてゆくためにまず必要なことは、生きるのはすてきなことなんだと思えることなのだから。
 主人公「きよし」(少年時代の著者)の記憶に刻まれたできごとや行動そしてモノを、具体的でていねいなイラストと文章で描写されている。それが全体で62項目あって、それぞれがかならずしも因果関係で結ばれることはなく独立している。それがいいんだ、きっと。たしかに、こどもの世界はひとつひとつのできごとが独立したデータベースのように一旦は完結していて、あるできごとある一日が終わるとまずはリセットボタンが押される。子供たちは立ち直りが早くて、しかもときに大人たちの驚くような視点をもつことがあるのは、そのためにちがいない。大人たちの経験は、それを得たときすでに他の多くの経験や知識とリンクされ意味づけされてしまうけれど、子供の世界では、それぞれが完結した経験は自由に組み合わせ変えることができるから。
 この本で、ぼくたちはまず満州でのたのしさやよろこびを発見することを知る。各章に1部ずつ、3ページ分の大きさの地図が綴じられている。ページが進んでも、拡げておけば地図をいつでも見ることができる。だから独立したそれらの経験を整理することができるのだ。それらをもとにして経験を組み立てると、さまざまな経験の背後になにがあったのかが感じられてくる。小さな字で描かれた、ときには数ページにわたるコメントは、そのちいさな地図の範囲を超えたところでなにが目論まれていたのか、何がなされていたのかを伝える。
 そのうえに、きよしの育った斑代開拓団の人たちがいかに悲惨な運命に遭ったのかを、生き残ったひとの手記と団員の消息のリストが具体的に語る。きよしの直接のものでない経験には、絵がない。しかしぼくたちにも充分な想像力ができている。
 中国の反日デモの背景に現在の中国の状況が潜んでいるにはちがいないが、しかしその底には日本への反感が生き続けているとしても当然のことだ。さらに、その中国人からの怒りと憎しみを引き受けた満州開拓団のひとたちがやっと帰り着いた戦後のこの国の、ぼくの子供時代を思いかえすと、「引揚者」に対してのまなざしは決して暖かいものではなかったように思う。だから、できるだけ多くの人にこの本を読んでほしいと思うけれど、文庫さえ新本がないというのは残念だ。
 つけ加えておきたいことがあった。大人と子供の世界の構成にあるもうひとつの違い。大人の世界は時間で構成されることが多く子供の世界は空間で構成されるのだと。この本の副題に「メモリーマップ」とあるけれど、それこそ、時間のなかにあるメモリーと空間を包み込んだマップを重ねたものがこの本なのだ。ぼくたち、建築に関わる人間がしなければならないことは、たいせつな時間に心地よい空間を加え、空間の中でいい時間がつくられる仕掛けをつくること、それが統合されていい「場所」というものがつくられるのだとぼくは考えている。

投稿者 玉井一匡 : 01:57 PM | コメント (2) | トラックバック

May 09, 2005

HOW BUILDINGS LEARNという本

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秋山さんからの電話:「ぼくのブログでリンクをはりつけたのに、きみの(PageHomeという)サイトのしかるべきページになかなか行き着けないよ。」  たしかにそうなのだ。ブログとホームページの棲み分けをどうやったらいいんだろうかと、はじめの頃から悩んでいたが、このブログを開いてからというもの、ほとんどむこうは面倒を見てやらなくなってしまった。移動させた方がいいよと前からも言われていたことだが、まずは2000年に「HOW BUILDINGS LEARN」のことを書いたページを移動させることにする。
  この本の日本語訳を出すことにはさまざまな困難はあるけれど、ぼくはまだ諦めてはいない。



*   *   *  以下PageHomeより移動  *   *   *
1960年代末のアメリカで『the Whole Earth CATALOG』という本が作られた。スチュワート・ブランドを中心にしてつくられたこの本は、カタログという形式を借りて本や道具というモノを通してそれらを言語としながら、人間とはなにか、世界とはなにかを表現したものだ。現在のインターネットによってむすばれる世界を、本にしたようなものだ。言い換えれば、インターネットの時代を予見したものだ。

昨年(1999年)のある日、秋山さんからemailが届けられた。「BBC のテレビ放送で知ったのだが、スチュワート・ブランドの書いたHOW BUILDINGS LEARNという本がいいから、ぜひみんなに読んでほしいと思うので翻訳して出したいんだがいっしょにやらないか」ということだった。仲間を募って建築家仲間が何人かで翻訳を分担したのを村松潔さんに手を入れていただて本にしたいというのだった。村松さんは秋山さんのクライアントの一人で、「マジソン郡の橋」の翻訳をした人だ。そうとは知らずに読んだ「旅の終わりの音楽」という美しくてかなしい物語も村松さんの翻訳だった。

 数日するとこの本のペーパーバック版が1冊、宅急便で送られてきた。すぐさま秋山さんがAmazon com.に注文したものだった。ざっと目を通して、おもしろしろそうだとぼくも思ったので、一度会って相談しようという呼びかけに秋山さんの事務所LandShipに集まった。ところが村松さんに言わせると、素人が翻訳をしたあとで手を入れるというのはむしろ足手まといで、それくらいならはじめから自分で翻訳した方がましだよ、むしろ逆に、技術的な問題や事実関係のチェックなどをあなたたちがするという形のほうがいいよということを、もちろんもっとやさしい表現でだけれど言われたのだった。言われてみればそれはそうだろうと、すぐに納得がいってしまったのは我ながら情けないが、事実だからしかたない。

それぞれに関係の出版社をいろいろと探ってみたがなかなか思うようにはゆかない。ちゃんと作れば金がかかる。いい本だがそれほど数が出るとは思えない。部数が少なければ価格が高くなる。高くなれば買う人が減る。という悪循環に陥るだろうというのだった。これが英語であれば、マーケットの大きさが違うから、読者の割合が少なくても世界中ではある程度の数の読者がいるので、「いい本だけれど読む人が少ない」という本でもちゃんと日の目を見ることができるわけだ。しかし日本では、翻訳が出ないのをいいことに、外国語の本を密かにタネ本として自分の思想のような大きな顔をする学者がいたりする。日本語という言語のマーケットの小ささのために、いい本ほど出版されにくいということになってしまう。だから、文化はますます堕落するのだということを実感としてわかってきた。
まずは動き出そうということで、とりあえず村松さんが要約を作ってくださった。さすがに早いものだ。

aki's STOCKTAKINGに村松潔さんによる要約がある。

投稿者 玉井一匡 : 10:45 PM | コメント (0) | トラックバック

May 07, 2005

となり町戦争

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 aki's STOCKTAKINGのこの本についてのエントリーを読んで「戦争がふたつの村だったらっていうお話なのでしょう。」などと、この本の存在すら知らなかったぼくはコメントを書き、後日、電話で勧められたときには、ぼくはまず「半島を出よ」を読みたいなどと言ってしまった。きのう、通りがかりだからと飯田橋の改札口に、半島を出よの上巻と一緒に秋山さんが届けてくださったので、昨夜から今朝にこの本を読んだ。たしかに、秋山さんのコメントの通りに、ぼくの考えていたような本ではなかった。数年に一度しか会えないような小説だった。同じ「戦争」を描いていても、半島を出よとはまったく別の戦争、まったく違う種類の小説だ。
 戦争・自治体・役場・コミュニティ・死・家族・境界・共同事業・業務・恋・・・・・ありふれたもの、ありふれたことば、ありふれた状況に、あたらしい世界を見つけ思いがけない意味を与えるのが芸術というものだとぼくは思うが、これはそういう小説だ。こういうものを書いてくれる人がいるということが、こういう視点を持っている人がいるということが、そしてそれがきもちよく共鳴できるものであることが、ぼくは無性にうれしくてたまらない。
三崎亜記著・集英社刊

投稿者 玉井一匡 : 01:51 PM | コメント (0) | トラックバック

May 04, 2005

半島を出よ・下

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 連休中、雑用に追われているあいだに秋山さんに追い越されて,「いやぁー、面白かったぞ」と書かれたaki'sSTOCKTAKINGを横目で見ていたが、自分で読了して、やはり「ああ面白かった」と思う。 この本を読みながら、ぼくはずいぶん沢山のことを考えずにはいられなかった。そのうえ途中、北朝鮮がミサイルを発射し、ワールドカップ予選の日本対北朝鮮の試合を中立国で観客なしでやるというニュースもあった。新たな「拉致認定」なるものを政府が公表した。おびただしい数の登場人物、どんどん広がってゆく世界、キーワードと登場人物がでてくるので、ファイルメーカーでデータベースにしようかという誘惑にもひかれた。あとがきによれば、韓国で十数人の脱北者に3時間ほどのインタビューをし、「13才のハローワーク」のための幻冬舎のチームに引き続き協力してもらったという。調査にも力を注いだらしい。「ハローワーク」は、この本の取材の副産物だったのかなと思いながら読んでいたが、そうではなかったようだ。

 物語の多くは北朝鮮の若者たちの視点から書かれ、それが成功している。ぼくたちのパスポートに唯一除外すると書かれている国の若者を内側から描き、日本はむしろ外側から描写していることによって、理解するための想像力が強められた。北朝鮮のコマンドを語り手に引き込まなければならないと思いつつ、そんなことはできないだろうと思いながら書き始め、そう思い続けて書いたそうだ。
 いわゆる情報量の多さにはじめはむしろじゃまをされるが、やがてそれらをはなれて一気にストーリーにひきずり込まれる。少数者が、力を握った多数のやつらを相手に戦い、上から下へ中央から周辺へという力のシステムに対して独立した等価のネットワークで戦いを挑むことに、胸のすく思いをした。
 技術というものの大部分は、できるだけ小さな力を加えできるだけ大きな結果を生むことを目的にしてきた。だから、技術そのものが、少数者によるドンデン返しの可能性を秘めているはずなのだ。そして、エネルギーとは別の技術が大きなネットワークを構築したいま、なにかを起こすことができるかもしれないという日頃の思いが、ひそかに勇気づけられた。村上龍は、オンディマンドで本を出版したり、希望の国のエクソダスの若者たちにインターネットを武器として提供した人でもあった。
半島を出よ・下 / 村上龍著/幻冬舎刊

投稿者 玉井一匡 : 01:48 PM | コメント (0) | トラックバック

April 16, 2005

半島を出よ・上


  手に汗をかくからだろうか、ぼくが本を持ち歩いているとすぐに汚れてしまう。教科書などすぐに読み込んだようになったから、学生時代にはたいへんな勉強家の本のように誤解された。だから本を買うときにはカバーをつけるかと尋ねられると必ずお願いしますと言う。でも表紙を見ていたいと思う本のときには、スキャナーで読み込んでプリントアウトしてカバーをつくる。
 この本の表紙は、博多の地図にヤドクガエルの写真をちらしてある。カエルだけが光沢のあるインクで印刷されていて、それがあざやかで毒々しい。ヤドクガエルというのは、この写真で初めて知った。Googleで検索してみると、800件あまりある。いちばんうえのサイトを開いてみるとペットショップで売っているらしい。南米の蛙で、毒矢をつくるのに使われたが、強い毒があるのは種類が限られるしペットとして与える餌では毒がつくられないと説明がある。毒ができないというのは、きっとウソあるいは謙遜にちがいない。飼ってみたいとおもった。

 まだ上巻の半分を読んだにすないが面白い。世界に引き込まれる。村上龍の小説は限りなく透明に近いブルーとコインロッカーベイビーズしか読んでいないけれど、それは好きじゃないからではなくて、出版されてすぐに読んでとてもいいと思ったから、気楽に読み流せないからなんだろう。コインロッカーベイビーズのあとがきに、著者は100メートルを走るようにして42.195キロを走ったと書いていた。
 「半島を出よ」は、13才のハローワークのように登場人物がやたらに多くて、だから履歴書のようにひとりひとりの背景説明を書いているし登場人物のリストもので読みにくい。それでもおもしろいと思えるのは、日本の現在のありかたについての批判を、北朝鮮の若者たちの目を通して描いていることに同感するからだ。9.11にワールドトレードセンターにつっこんだ若者たちは、きっとただの狂信者ではなく、別れを惜しむ人たちが沢山いたはずで、それを捨てて飛び立ったに違いないが、大部分のメディアは、ひとりの人間として彼らを描写することがなかった。だから、彼らの目を通してアメリカのあり方、それに追随するぼくたちのありかたを問うことはなかった。
 いまもぼくたちは中国のデモのなかに、自分の気づかないあるいは気づかないふりをしている日本のあり方を、読み取らなければならいはずだ。
 

投稿者 玉井一匡 : 09:07 AM | コメント (3) | トラックバック

February 26, 2005

浴書


 トイレで本を読むのが好きだという人がいるが、ぼくはお風呂に入って本を読むのが好きだ。
 水と湿気のあるところに紙を持ち込めるようないい発明がなにかないかと思いつつ、長い間、同じやりかたを続けている。浴槽の中に身体を沈めて首だけを出し風呂のふたをする。正確に言えば、ふたの上にあごをのせて手をやはりふたの上に載せる。そうすればふたの上に載せた手で本を持ち、水と湿気から本をまもることができる。

 たまには居眠りをして手から本を滑らせて、一緒に入浴させることがある。そういうときは、すばやく救出すればページの端から1センチくらいしか濡れない。すぐに、水をバスタオルで拭き取ったあと新聞紙を持ってきて、1/4か1/8くらいに新聞紙を切って、それをすべてのページの間にはさんでゆく。もちろん、2枚はさんだ方が吸水する容量はふえるのだが、そうするとページ数が3倍になるわけだから本には無理な状態を強いることになるので、はさむのは1枚ずつがいい。つぎに、本の上に辞書などの重しをのせて押さえておく。翌日に開いてみれば、紙はよれよれになることはない。
 こういう読書は、本を大切にしないといわれるのか、それとも本を愛してると言えるのか、自分でもわからない。紀伊国屋が、本の川柳のコンテストをやったことがあった。ぼくは5つほど送ったが、何の音沙汰もなかった。
・さらし首を思い浮かべつつ・・・・・・・・・湯の蓋に 首と手の載る 読書かな

投稿者 玉井一匡 : 08:00 AM | コメント (11) | トラックバック

November 30, 2004

僕の叔父さん網野善彦

mononcle.jpg 「ぼくのおじさん」といえばジャック・タチの映画をだれもが思い出す。伊丹十三の責任編集で朝日出版が出した「モノンクル」は、この映画の原題mon oncleからとったのだろう。岸田秀、小此木圭吾、山口昌男、蓮實重彦、南伸坊などといっしょになって精神分析や映画や文化人類学を遊んでしまおうという雑誌で、ぼくは毎号愛読していたのだけれど、わずか6号ほどで夭折した。
 中沢新一の書くものに、ぼくはこのごろとくに共感することが多いので、新聞の広告に「僕の叔父さん網野善彦」をみつけると、モノンクルのような知的で楽しい本を期待して、すぐさま新聞を切り抜いて手帳にはさんだ。たしかにモノンクルと通じるところがないではないが、想像とはまったく性格の違う、しかしひどくおもしろい本だった。

 中沢の少年時代、叔父と甥という斜めの関係をもつ位置に、父の妹の配偶者として登場した背の高い若者は「悪党」について研究していた。社会の枠から逸脱する悪党というフィルターから日本の歴史に新しい視点を持ち込もうとしている若い歴史学者なのだった。
 少年は直感的に、このあたらしい叔父さんに好感をもつ。叔父さんの方は知的好奇心に満ちた少年に対してきちんと正面から接したから、子供の視点の中に実は本質的な問題意識がひそんでいるということを知る柔軟な思考のひとであると、少年は感じ取ったにちがいない。
 好感をもって網野善彦を受け容れたのは、少年だけでなく父やその兄弟も同じだった。かれら自身も民俗学や技術史の研究者だったし、その父つまり少年新一の祖父も生物の研究者という背景があって、ここは家族の中で歴史や天皇についての議論がかわされるような場だった。父は大学のような機関に所属せず、したがって制度や組織の小社会政治には巻き込まれない立場にあって、みずからを「農民」だといいながら民俗学の研究をつづけた。

 少年の父は研究者としては制度や組織から自由だったが、一方では共産党の熱心な活動家だったから、大学や学会とはべつの、固い組織にあった。構築されつくした組織をもつ党などに、流動的知性を受け容れる器量などあるはずもないから、のちに父はそこからも除名され、より自由になる。
 中沢は、「わたしはコミュニストであったことは一度もない」と言いながら、敬愛する網野を「終生コミュニストだった」といい、みずからを「コミュニストの子供」という。それは、コミュニストを親に持った子供という意味にはとどまらない。個体発生が系統発生を繰り返すという生物の発生の原則のように、「コミュニストの子供」は、コミュニズムの発生の根源に近いところにいるということでもある。
 かつて権力を手にするや抑圧者に堕落した、制度としてのコミュニズムではなく、組織に属するコミュニストでもない。自由に動き自由に発言できる共同体と普遍的な価値、そしてそれ自身のうちに持っている力を信じるのが「コミュニストの子」なのではないか。
 網野史学の立場から「もののけ姫」をつくった宮崎駿は、「風の帰る場所」で、インタビュアー渋谷陽一が宮崎さんはコミュニストだからというのをあえて否定はしない。しかし、 網野善彦も宮崎駿も、コミュニストより普遍的根源的であるという意味では、むしろ「コミュニストの子供」なのかもしれない。

 こういう豊かで深い家族という最小共同体に置かれた「僕の叔父さん」が次々に生み出してゆく研究と、さらに叔父さんとその成果をも加えた土壌に育った少年。この本の歴史的生態学は、網野史学と中沢世界の重層的なガイドブックとしても興味がつきない、元気の出る本だ。  
中沢新一著 集英社新書780円

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秋山さんにこの本を薦めたら、読み終わるとすぐに電話が来た。おれもそうなんだが、きみはコミュニストの子供なんだ、というのだった。意識してそう読みはしなかったが、たしかにそうかもしれないと、「コミュニストの子供」がことさら気になって来た。

投稿者 玉井一匡 : 05:35 PM | コメント (2) | トラックバック

September 16, 2004

碁のうた碁のこころ

gonouta.jpg 碁のうた碁のこころ 秋山賢司著 講談社

 ぼくは一度も碁を打ったことがない何も知らない門外漢なのだが、読み始めたら思いがけずおもしろい。友人が企画編集した本をくれたおかげだが、さもなければ自分で買って読むことはなかったはずの本だ。
 囲碁の本とはいえ碁そのものについてではなく、碁のことをよんだ俳句や短歌や詩について書いてある。紫式部、清少納言、子規、菅原道真など、だれもが知っている人たちの短歌、俳句や漢詩をとりあげる。対局の観戦記を長年書いてきた著者の雑誌連載が単行本になったものだ。
 詩は、直接に囲碁そのものを語りはしない。普遍的な真実をかたり、多くの人に共有されている歴史を背景にしているから、素人でも分からないというところがない、むしろ、そこから逆に囲碁の何たるかについて読み取ることができる。頭の悪い著者が書くと、そういう人はシロウトには何が分からないのかという想像力がないから、わかりにくいつまらない本になるものだ。しかしこれはシロウトでもおもしろい、きっと碁を知っている人にはもっとおもしろいのだろう。
 読み進むうちに、さらにもう一度、急におもしろくなった。

 囲碁の盤面は、そもそもそれ自体が定型詩なんだと気づいたのだ。1行に19文字で19行という制限の中で、白と黒というふたつだけの文字で書かれる詩ではないか。別の言い方をすれば19行19列の2進法、石のないところも含めれば3進法による行列(マトリクス)である。その文章は、上から下に右から左に書かれるのではない。どこからでも書き始めることができるから、文字のなすパターンは時とともに変化する。もしかすると、そんなことは囲碁を打つ人にとってみればあたり前のことなのかもしれないが、ぼくにしてみればちょっとした新鮮な発見だった。
 定型詩のさまざまな約束事は世界を小さくするのでなく、むしろ大きく深くする。枕詞や季語は制約ではなく、むしろ語数の制限を突き抜けるためのツールとしてつくられたにちがいない。
 約束事はかたちを制限して秩序立てるものだが、その制限があってこそ、そこからの逸脱という創造行為が可能になり、むしろ表現がゆたかになる。豊かな逸脱を生むものがすぐれた約束事、いいかえればよくできたあそび、すてきな世界なのだ。
 おそらく囲碁の世界では、勝ち負けだけではなく、そこに内在する白と黒という文字のおりなす「うた」を大切にするのだろう。時とともに、勝負という結果より「うた」が輝きをおびてくるのだろう。まだ打ったこともない囲碁の世界について、ぼくはそう思うようになった。

投稿者 玉井一匡 : 07:08 PM | コメント (2) | トラックバック

August 24, 2004

366日空の旅

366days.jpg
 366日空の旅/写真:ヤン・アルテュス・ベルトラン/ピエ出版 3990円
 Earth from Above: 366 Days/Yann Arthus-Bertrand
 厚さ6センチほどもある本は、手に取ればズシリと重い。1月1日から12月31日までの毎日に1ページずつをつかった航空写真と解説が見開きになっている。表紙をみてざっと中に目を通すと、タイトルも楽しそうだから、うっかりすると美しいだけの本だと思ってしまうが、内容はさらに重い。10 年の時をかけて作られたという。

 美しい自然や人間の構築物を空高くから撮した写真とならんで、人間によって自然が蹂躙されたり、弱者が他の人間の犠牲になっていることを知らされる写真は、美しいだけに、なおのこと重く感じられる。 その中に明治神宮を飛行機から撮った写真がある。そこには「日本人は自然を神とする宗教を持っている」ということが書かれていたり、別のページには、日本では都市化が進むけれど、外で忘れ物をしてもちゃんと持ち主に戻ってくる、安全な社会でもあるというようなことも書いてある。写真家はフランス人だ。フランスではまだ日本のそういう側面を評価してくれているらしい。 ニュース23だかニュースステーションだったか、かつてテレビのニュース番組に出演したビヨークが話していたことを思い出した。「日本にはシントーという宗教があって、自然を神として大切にするそうですね」と。
 
 ここにはしかし、好意的な誤解がある。明治神宮が神としているのは自然よりもむしろ天皇であって、それが作られた時代には、それまであった多くの土地固有の神社をなくして神々の中央集権化をはかったこと、近頃は凶悪な犯罪が著しく増えていることも、ぼくたち自身は知っている。それどころか、日本と周囲の国々で徴用された軍人に加えて敵味方の民間人さえ大量に死に追い込んだ人間も神として崇める神社があり、首相がそこを公式に無批判に参拝する。
 この本の著者やビヨークの好意的な誤解は、その背後にもっと広く日本に対する好意的な誤解があるためなのかもしれない。たしかにそれは誤解であるにせよ、かつての日本はそうであったことは事実だし、すくなくとも、自然を神のように大切にすることが人間の生き残る唯一の道であることは間違いない。

投稿者 玉井一匡 : 09:12 PM | コメント (3) | トラックバック

August 03, 2004

Be-h@usの本

Be-h@usbook.jpg 日曜日に「Be-h@usの本」が届いた。

 7月に行われた那須の殻々工房の見学会で、よいイエとは「精霊のやどるいえ」だという吉村順三のことばについて秋山さんが話した。それまでにもきいたことはあったが、ぼくはそのたびに羨ましく、しかしすがすがしく感じていた。
 かつて吉村順三がいたころ、芸大の建築科の学生もOBも、だれもが彼を尊敬し愛していたが、秋山さんはその思いがひときわつよく深かったように思う。ぼくは、敬愛というにふさわしい師に大学で出会うことはなかった。そのころ多くの建築家は、神の住む家を作ろうとしていたにちがいない。そして、彼らがいつのまにか、みずから神になろうとさえしていたときに、吉村は精霊にすみついてほしいと望んでいたのだ。それを吉村順三自身の語る言葉として受けとり、身体に染みこませることができた秋山さんが、ぼくはうらやましかった。

  精霊は、ヒトの世界とトポロジカルにつながるもうひとつの世界のあいだを自在に行き来する。そして、自分ではそこに行くことのできない人間に、もうひとつの世界を伝える。近代の建築はひたすら「空間」をつくろうとしていたが、吉村順三は建築を身の丈にあうモノとしてとらえながら、モノたちのむこうのゆたかな世界へ連れて行ってくれる精霊を、そこに住まわせようとしていたのだ。

  秋山東一は、オモチャと道具の、背後にゆたかな世界をひそませたものが大好きだ。オモチャと道具は対極にありながらそれぞれに純粋である。オモチャはオモチャ自身である以外に目的をもたないゆえに純粋であり、道具は、それぞれに定められた目的のためにのみ存在するゆえに純粋である。ヒトのつくるモノは、オモチャであるか道具であるかのいずれかでしかない。そしてもうひとつ、そのいずれでもあるもの。
 オモチャと道具のいずれでもあり、しかもゆたかな世界を背後にかぎりなく詰め込んでいるのがアップルコンピューターだった。秋山東一がMacを道具としてオモチャ箱として使いながら、モノとして洗練された住宅キットBe-h@usをつくることになったのは、こうしてみると必然だったように思える。ただし、精霊がすみついてくれるかどうかは、君たちしだいだよと、住み手に作り手に設計者に秋山さんは言いたいにちがいない。

 しかし、「Be-h@usの本」には、すでに精霊がすんでいる。

投稿者 玉井一匡 : 05:45 PM | コメント (1) | トラックバック

April 27, 2004

HOME WORKと大人の科学


 iBookの故障のせいも少しはあるが、ちょっと怠ってしまうとひと月も更新していない。しかも写真は日本人の季節の基準になる桜だったから、秋山さんからは桜前線は北海道に達したよと電話が来た。そのうえ、放っておくとトップページに記事がなくなってしまうので、急いで更新する。

 ワールドフォトプレスの今井さんが「HOME WORK」という本を送ってくださった。「シェルター」をつくったロイド・カーンの、シェルター以降に集めたイエの新しい本で、秋に日本語版を出すことになったという。なぜなんだろう、ぼくはこういうイエたちを見ているととてもいい気分になってくる。
 数日後、Hさんから「黄鉄鋼と磁鉄鉱」というタイトルのメールが来た。Hさんについては、以前に「HさんのMACpower」を書いた。H氏賞なんていうのがあるんでちょっと面白がって仮名のように書いたが本名は本間さん。
 メールには「本日「大人の科学マガジン」最新刊のラジオ特集号を買ってきましたが、組み立て付録はなんとゲルマラジオでなくて鉱石ラジオでした。しかも、探り針式!鉱石も磁鉄鉱と黄鉄鉱の計2個付いていました。」とあった。本間さんほどのエレクトロニクスの達人がそう言うのだ、面白いにちがいないと、子供時代にラジオを組み立てた経験がないぼくは、帰りがけに神楽坂の本屋に寄った。写真を見ると、糸巻き車のように銅線を巻き付けた鉱石ラジオはかっこいいので、ぼくは本をレジに運んだ。「家に帰ってから箱を開けましょう」と、ケースに書いてある。だからというわけではないが、電車の中で付録のパッケージを開きたいのを我慢して本文のラジオの原理を読んでいるうちに「Home Work」や「シェルター」になぜ胸が騒ぐのか分かってきた。

 沢山のトランジスタやコンデンサーがちりばめられた新しいラジオの裏蓋を開いてみたところで、素人がラジオの原理について考えようなどという気にはならないが、シンプルな鉱石ラジオなら、その原理についての想像力がはたらく。
シンプルなすまい素朴な棲家は、イエの鉱石ラジオなのだ。
 鉱石ラジオは、ICを使ったラジオと較べれば間違いなく性能は劣る。だが、磁鉄鉱と黄鉄鉱の固まりを皿にのせたものがトランジスタの代わりをする仕掛けから、電池もコンセントの電源もつながずに音が聞こえてきて、その原理を実感することができれば得られるよろこびは大きい。
 しかし、シンプルなイエは高度な生産技術を駆使した住宅よりも、むしろ気持ちよい生活をできることが多い。そして、イエの作られかたについて、イエと環境について、家族のカタチについて、イエとマチについて、原理を実感するともっと大きく深い気持ちよさが得られる。

 アメリカという社会は、あれほど巨大でありながら、だからこそかもしれないが、原理を重視する原理主義の社会なのだろう。ブッシュは「殴られたら殴り返せ」というテキサスの素朴な原理に従っているようだし、毎年1万人の犠牲者を生みながら銃を手放そうとしない全米ライフル協会のチャールトン・ヘストンもやはり銃を持つ自由を保証するアメリカ合衆国憲法という国家の原理に忠実である。原理のことを忘れて部分的な関係に目を奪われてしまうことが多いぼくたちの社会にとっては、ブッシュやヘストンすら見習わなきゃあと思ってしまうときがある。しかし、巨大な行動が原理の名のもとになされるとき、そのかげには原理から逸脱する数限りない理由・・・テキサスの石油産業の利権や武器をつくる産業などが働いていることが、容易に思い出される。

 だが、「シェルター」や「HOME WORK」のような本を作る人や、それに登場するイエや人々が、自然と人間の生き方の原理に意識的であることを見たとき、人間の可能性についてについて信じることができるし、ぼくたちに大切なものが何なのかということを感じることができる。

投稿者 玉井一匡 : 10:14 PM | コメント (6) | トラックバック

March 14, 2004

博士の愛した数式

HAKASE-SUSIKI.jpg
 これまでぼくは小川洋子を読んだことがなくて、NHKBSの週間ブックレビューのインタビューで初めて顔を見た。なにかをやると言い出したら、あるいはやらないと言い出したら引かない、しかし、だだをこねることはしない、かしこくて意志の強い少女のような表情。阪神タイガースの熱心な、というより「根深い」といったファンなので甲子園に近いところに住んでいる。そう聞いて、ぼくは好意的な色の付いた眼鏡で見ることになった。
 その人がつくった世界は期待にそむかない。とても魅力的な、愛情というよりももっと普遍的・根源的な、いうならばコミュニケーションとアイデンティティをテーマにした物語だ。

初老の数学者である「博士」、派遣家政婦の「わたし」、わたしの小学生の息子「ルート」という3人が物語をつくる。そこに博士の短時間しか持続しない記憶という設定を持ち込んでゲームのルールを際立たせた。博士は40代に交通事故で受けた怪我のためにそれ以後の記憶は80分しか持続しない。
 彼の記憶に長期的に貯えられているのは事故までのものだから、博士自身は事故の時点までの記憶によってつくられている。彼は事故以来は更新されていないウェブサイトのようなものなのだ。

 野球チームは毎年のように、構成するメンバーが変わるから今年のチームは去年のチームではない。にもかかわらず、ファンはそれを同じチームだとして応援し続ける。ひっきりなしによそのチームから中心選手を引っこ抜き、札束で新人をさらい、ルールさえ自分の都合にあわせて改造して、自分のチームを強くし続けようとするやつら。別所やスタルヒンの時代から江川や小久保まで、一貫して変わらない読売とジャイアンツの手口が大嫌いなのに、子供時代の刷り込みのまま、ぼくはいまだに応援することをやめないから、「何でお前が」と友人にいぶかられながらその苦さを楽しむことにしている。だから「アイデンティティとは何だ」という命題は、ぼくにとって常に馴染み深いものだ。
 
 博士自身と、彼にとってのタイガースのアイデンティティは、事故による障害のおかげで江夏時代のままであり続ける。国家にとって外交の一貫性が重要だとされるように、多くの場合にはアイデンティティを持続することに苦労するのだが、博士の場合にはアイデンティティが変化しないことによってさまざまな問題を引きおこす。
 にもかかわらず、それを解決する過程の中で、博士が愛すべきひとであることを「わたし」や「ルート」が知り心をかよわせることができたのは、時間をこえた普遍的な真実や価値を共有する、数学とタイガースと弱いものへのやさしさというグラウンドを作りあげたからだ。「妊娠カレンダー」も読みたくなってしまった。

投稿者 玉井一匡 : 01:35 AM | コメント (3) | トラックバック

January 19, 2004

HさんのMACpower

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 先日、友人兼クライアントの本間さんの家に行った。
テーブルの上にMACpowerが置いてあるのだがちょっと様子がちがう。よく見ると背表紙がすっぱりと裁ち落とされてそれが横に置いてあるのだ。もちろん、ぼくはわけを訊ねた。一枚ずつバラバラにした本を両面スキャナーで読みとってそれをDVDに保存して、本は捨ててしまうそうだ。広告を外せば1枚のDVDに1年分くらいのMACpowerがおさまるのだという。
 大きな裁断機とスキャナーを買ったからちょっと切ってみる?といわれてやってみると、すこぶる切り心地がいい。ハンドルが大きいから雑誌くらいならすこぶる簡単に切れてしまう。こういうことを思い切りよくすぐにやってしまう人なのだ、このひとは。

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 そもそも、この日、このうちに僕たちが来たのも同じようなことが理由だった。400枚ほど持っているレーザーディスクをDVDにコピーしてしまうから、この中で欲しいのがあったらあげるよというメールにコレクションのリストが添えられて数日前に届いた。けっこう時間がかかるらしいが、毎晩、寝ている間にセットしておけば翌朝には終わっているのだそうだ。
リストには「エヴァンゲリオン」の全巻や「AKIRA」などのアニメーション、イームズの作った「POWERS OF TEN」などの映画のLDなどの名作が多いのに、こんな風にソフトウェアとそのメディアとを完全に切り離して考えることは、なかなかできることではない。この人が本やディスクという物体に対する感傷を持たないことにはいつも驚かされる。さらにオークションにでも出してみるかという欲ももたない。尊敬すべき人だ。

 同じような考え方を、住まいに対しても持っている。住宅のソフトウェア(どう住むか)についての決断がきわめて明快でかつ早い。車は乗らないから駐車場はいらないと、はじめから言った。30坪しかない敷地だから中庭を作ってそこから各部屋に入るようにして、玄関をなくしてしまおうかという提案にもすぐに賛成。さらに一歩すすんで食堂+キッチンは靴のまま生活することになった。

投稿者 玉井一匡 : 08:06 PM | コメント (2) | トラックバック

January 16, 2004

「磁力と重力の発見」の発見

JiryokuJuryoku.jpgClick to Jump to amazon

 12月の朝、自宅から事務所に向かう自転車のペダルを踏む足が、いつになくかろやかで心地よかった。
 むろん雲ひとつない空のおかげもあったけれど、それにもまして朝刊で一面をつかった「大佛次郎賞」の記事に山本義隆氏の大きな写真が載っていたせいなんだと気づいたのは、すこし走ってからだった。
 山本氏の「磁力と重力の発見」の3冊は、秋山東一氏の事務所LANDSHIPのテーブルの上でみつけた。自分の眼で本屋の棚に見つけたのがちょっと羨ましかったけれど、タイトルを見ただけでも、どのような意図でどのようなことが書かれているのか分かる気がした。やがてぼくもLANDSHIPのサイトにある広告からAmazon.comに入って注文した。多数の本を一度に買うと、お菓子をいっぱい与えられた空腹の仔犬のように、先を急いで喉につかえそうになるので、ぼくは全巻を揃えずにとりあえず2冊を注文した。

 新聞には、選考委員の池内紀、井上ひさし、奥本大三郎、富岡多恵子、養老孟司の5氏の評があった。どれもが、魔術のなかから科学が発生してきたことについての指摘を評価しているけれど、養老氏の評には苦さが含まれていて、いつまでも僕の中からはそれが消えない。「西欧科学の盲点をみごとに見通す」と肯定的に評したあとに「個人的な意見を付け加える」と続け、「選評を拒否する」と書いた。「同じ東大闘争に巻き込まれ、多大の影響を受けた結果として、全く別な論評もありうるから、背景を含めた論評は拒否するしかない」という。この選評から、山本氏と養老氏がかつて置かれた選択の岐路について勝手な想像がうかんだ。

 「バカの壁」の中で、養老氏は当時の学生の主張を信用しないと書いている。養老氏のいた医学部は68年の東大闘争の出発点だったから、助手くらいの立場にあったであろう養老氏は、もっとも厳しい選択に直面したはずだ。その点では、山本義隆氏と立場を同じくする。この先どう生きてゆくかについて学部学生の気楽さとはちがって、教授たちと近い位置にある助手や博士課程の大学院生は切実な立場にある。学会を支配しているつもりの東大という組織の矛盾をだれよりも強く感じていると同時に、すでに自分自身の研究にも深く入り込んでいる。そういう立場にあって叛乱をおこすことは、みずからの研究者としての可能性をせばめ退路を断ち切ることでもある。その時に研究を続ける立場に身を置くか、それを否定するかは極めて重い選択だったことは想像に難くない。
 とりわけ、ふたりの学部は特別な条件がある。養老氏の医学部は患者の生命という重い責任と現実を病院という実在する場所にかかえている。さらに、経験と現実の蓄積は医学にとって欠かせない。一方、山本氏の研究していた物理学は医学部のようには現実社会と直結してはいない。科学の最先端にあっては、経験や蓄積よりも、むしろ独創性のはたす役割が大きいから、20代後半という時期は研究者として極めて重要なときであったはずだ。

 養老氏が研究を続ける立場を選んだとすれば、別の選択をした学生とは厳しい対立があったにちがいない。山本氏にとっては、東大の解体を主張し研究者を追い出して占拠・バリケード封鎖をすることは、研究を続けたいと考える人たちの手からかけがえのないものを奪うことになる。それを失うことの大きさを、山本氏はだれにもまして重く受け止めていただろう。そして山本氏自身は研究者としての道をみずから断ち切った。

 はじめ、「磁力と重力」とは場を作る力のことだろうとぼくは想像した。しかし、この本によれば、かつてヨーロッパ人は重力と磁力を「遠隔力」として捉え、始めは神の力として、つぎにルネサンス時代にはキリスト教からの解放によって、魔術として捉える方向に向い、やがてそれが羅針盤を手に経験と実証を経て科学へと代わってゆくという流れをとらえている。しかし山本氏が書いたこの本の中に、科学史以外のものを読み取ろうとする誘惑から逃れられない。

 かつて大学を「遠隔力」によって動かしていた「神」に反抗した学生が、大学に「科学」を持ち込もうとした。やがて大学・学生いずれの側も「魔術」に支配され、大きな魔術が小さな魔術を滅ぼした。そして今も、まだ進むべき方向を指し示す「羅針盤」を、まだだれも手にしていない。環境もまちもさらに悪化し、経済のワンサイドゲームが進行してゆく。じつはまだ、人間の共通の価値基準としての「科学」の時代は来ない。

 かつて学生の埋めつくした安田講堂前の広場には植物が植えられ、地下に学生食堂が作られた。ここで集会などはさせないという明らかな意図のもとになされた改修は、この大学の建築学科によってなされた。それに異論を唱えた者がいなかったとは思えないがそれはついぞ聞かない。設計者は、この大学のありかたをかたちに表してそれを批判しようとしたのか、あるいは、どこかに知的な時限装置を備えた企みを潜ませるくらいのことをしているのだろうか。

投稿者 玉井一匡 : 03:45 PM | コメント (0) | トラックバック

December 11, 2003

アメリカ帝国への報復

BlowBackJ.jpgアメリカ帝国への報復 /チャーマーズ・ジョンソン著、鈴木主悦訳 /集英社

 ぼくたちを代表することになっている政府は、強引にイラクへの派兵を決めてしまった。それが、イラクの復興のためよりも日本がアメリカに協力する姿勢を見せるためであることは、だれでも知っていることだ。ここで言う「アメリカ」は「現在のアメリカ政府」を意味するに過ぎないし、「日本」についても同じことだ。大部分の日本人は派兵に反対だし、アメリカでもきっと反対する人は多いに違いない。

 こんなことになったので今年の春に読んだこの本を思い出した。一見したところ刺激的なタイトルは、ひと昔前の教条的なスローガンのようだが、著者は日本とアジアを専門とするまっとうな政治学者なのだ。帝国主義という言い方は修辞的表現ではなく、冷戦が終わったあと、アメリカが経済と文化の上でグローバリゼーションを進め、軍事的にも拡張を続けていることに、帝国主義の属性があるというのだ。アメリカは外国への余計な手出しを止めないと、いずれ、手痛い報復を受けるだろうということを書いている。そしてその通りになった。これがアメリカで出版されたのは2000年だったのだ。

BLOW Back.jpgBLOW Back(原著)
 今年の春、「9月11日を予言することになったので、このあたりの本屋ではベストセラーのひとつになっている」と、シアトルにいる妹が電話でこの本のことを教えてくれた。妹本人はアメリカの本を読むわけではないから、亭主のスティーブが読んだのを伝えたのだった。
著者は、スティーブがUCバークレーの学生時代に先生だったこともあったので、この本を翻訳したらどうだろうといって、しばらくしてから妹が原書を送ってきた。
原題は「BLOWBACK」銃を撃ったときの反動のことだろう。副題の「The Costs and Consequences of American Empire」は、「アメリカ帝国主義のコストと行き着くところ」とあいうところだろうか。

 こんな本の翻訳は急がなければならないから大変だし、ここまで寄り道をしているわけにはいかないよと思いながら序文を読むと「すぐに日本、ドイツ、イタリアで翻訳が出た」と書いてあった。早く日本語で読みたいと思っていたから、内心ぼくはよろこんで、すぐにamazon.comに注文した。日本語訳もすでに2000年に出されていた。
 シアトルでは、数年前にWTOを退治したことがあったくらいだから、反グローバリズムの意識は強いに違いない。シアトルの中心街からフェリーボートで渡るベインブリッジアイランドという島に妹たちは住んでいるが、その町はスターバックスを作らせないのだという。世界中どこにいっても同じ店をつくろうとする「グローバリズム」に反対してのことだ。その話をきいたぼくは、事務所の近くにスターバックスがあるのをかつて喜んだことを口に出せなかった。

投稿者 玉井一匡 : 02:11 PM | コメント (3) | トラックバック