January 29, 2012

「シャルロット・ペリアンと日本」を探る

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 ぼくはシャルロット・ペリアンが好きだ。とりわけ、切り紙細工でつくったようなダイニングチェアの歩き出しそうなユーモラスと、パリにあるちいさな自宅アパートメントの、いかにもおだやかな心地よさが。

 神奈川県立近代美術館は昨年、開館60周年記念の展示として「シャルロット・ペリアンと日本」を開催した。この美術館を設計した坂倉準三がコルビュジェの事務所でペリアンと数年を共にした縁がある。「ペリアンと日本」をテーマにするからには、彼女が初めて日本にやってきた頃の日本とフランスの困難な状況のなかで来日した意味を掘り下げるべきではないか。
 しかし、初詣の人々で歩きにくいことを分かりながら鎌倉まで行ったのに、新しい発見がほとんどないまま帰ってきた。とはいえ「展示されていなかったこと」についての好奇心が膨らんできたことを収穫と思うことにして、すこし調べてみた。

 ペリアンが日本に来たのは1940年、坂倉準三らの尽力で日本の商工省に招かれて輸出品のデザインの指導をするという公式の立場だった。とはいえ、この年は真珠湾攻撃の前年だ。どういうわけで好きこのんで、こんな時代の日本に来たんだろうという疑問がわく。
 ぼくは「シャルロット・ペリアン自伝」を図書館のサイトで予約したが、本はまだ来ない。そこに何が書き残されているのか知らないうちに、まずはwikipediaなどネット上の情報から推理してみよう。

 この1940年には、フランスは年始めからのナチスドイツ侵攻に屈服して6月にパリを明け渡し、親ナチスのヴィシー政権ができた。日本は、それまでの長いあいだ中国と戦争を続けている。
 wikipedia(仏)によれば、ペリアンが日本に来たのは1940年の秋。日本では、1月から7月まで米内光政が首相で、彼は三国同盟に反対していた。ペリアンが訪日を決めたころのフランスはドイツに侵攻されているが、日本では米内が首相の地位にいたはずだ。そういう時であれば、ペリアンを日本に疎開させようと坂倉たちが考えて仕事と立場をつくり、ペリアン自身も、もともと興味のあった日本に行こうと考えるのは、むしろ自然なことだ。

 しかし、ナチスドイツを避けてやってきたのに、ペリアンが着いた頃には日本の首相は三国同盟推進派の近衛文麿に代わり、日本はすでにドイツと同盟国になっていたはずだ。ところが、母国フランスを代表する政府は、形式上は親ドイツのヴィシー政権というねじれた状況のおかげで不本意ながら同盟国の人間なのだ。日本本土では、まだ戦闘がないから「輸出工芸指導の装飾美術顧問」という立場で京都や東北までめぐり、河井寛次郎や柳宗悦らと交流し、腕利きの職人たちも知った。41年には「選択・伝統・創造」展を開いて竹のシェーズロングを発表した・・・おそらくこういうことだったろう。

 アメリカとの戦争まで手を広げた日本の政府は,翌1942年になると“undesirable alien”(好ましからぬ外国人)だとしてペリアンを日本から追い出す。(Charlotte Perriand/wikipedia(英))海路帰国する途中に、こんどは、日本支配下にあるベトナムで足止めを食ってしまう。それ以来、彼女は足かけ5年にわたって*ベトナムですごす。その間に二度目の結婚をして娘をもうけ、ハノイの芸術展のパビリオンを設計したという。(Charlotte Perriand/wikipedia(仏))上のチケットの写真をクリックして「ペリアンと日本」展の「報道用資料」を開くと、年譜には「第二章 日本発見 1940-1946」とされていて、ベトナム滞在のことはふれずにこの時期も日本にいたかのようだ。
PerriantAptS.jpg 日本に滞在していたときには、戦時下で苦しむ人たちや、ときには外国人に排他的な振舞いをする日本人に接することもあっただろう。ハノイに足止めを食らっていた間には、ベトナムと日本とフランスの争いに居あわせたはずだ。この間にペリアンは何を見て何を考えていたのか興味深い。スケッチや日記が、どこかにあるのではないか。「シャルロット・ペリアンとベトナム」展あるいは日本も含めて「シャルロット・ペリアンとアジア」展も、いつかやってほしいものだ。

 誰でも知っていることだったのかもしれないが、切り紙細工のようだとぼくが思っていた合板の椅子は「オンブル(ombre)」、つまり影という名称で、文楽の人形遣いの黒子から着想したのだと、この展示で知った。影が立体になって立ち上がったということなのだろう。
 彼女の住むアパートメントのことは、1984年の「GA HOUSES 15」(ADA EDITA)の、写真やフリーハンドで描かれた平面図とともに巻頭インタビューで知った。部屋はメゾネットの2層で、木でつくられた螺旋階段を昇った上の階にはパリを見おろす窓際の食卓とルーフテラスがある。こぢんまりしたスペースにモノたちが棲みついていて、窓から見るパリのまちと風を分かちあうようで、なんとも気持ちのよさそうな、彼女の生活と人柄を写しとったような住まいだ。影が、その本体とピッタリよりそっているように、このアパートメントでは住まいが住み手の生活のしかた生き方と寄り添っている。この住まいには,日本を偲ばせるところが少なくないから、「ペリアンと日本」を伝えるにはいいと思うのだが、なぜか今回の展示にはない。
 ぼくは時々この本を出しては、気持ちよい住まいというものを確認する。インタビュアーの発言にはGAと書かれているのだが、解説の文末に(Y.F.)とある・・・インタビュアーは写真を撮った二川幸夫さんなのだ。後記には、その二川さんがめずらしく言葉をつくしてこの住まいに賛辞を送っている。
「都市生活のアパートとして第一級のものであり、こんなにエレガントなインテリアは見たことがない。ここには近代建築が素晴らしい形で生きている」と。
 
■この「シャルロット・ペリアンと日本」展は、秋岡芳男展を開いた目黒区立美術館でも4月14日から開かれる。
 秋岡芳夫は日本の工芸との関わりが深いし、秋岡のデザインした合板と鉄板のハイブリッドの折りたたみ椅子はジャン・プル-ヴェの影響を受けているのは間違いないだろう。プル-ヴェとペリアンは、やはり木材と鐵をつかった棚のデザインと制作などで協同関係にあった。

投稿者 玉井一匡 : 11:24 PM | コメント (0)

January 16, 2012

秋岡芳男展で思ったこと

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 会期も残り3日という年末に秋岡芳男展に行って満ち足りた気分で会場をあとにした。
 モノをつくることとモノをつかうことが気持ちよいつながりを持っているときに、いい道具や機械ができるのだということを、秋岡芳夫と仲間たちのしごとが伝えた。それが、この展示の気持ちよさと充実感の理由らしい。

 会場にはいるとすぐに、目の前の大きなテーブルの上に溢れんばかりの竹とんぼの色とりどり。ゆるやかに傾斜をかえてゆく竹でつくられた羽根の曲面、そこに嵌め込まれたらしい金属・・・単純この上ないおもちゃであるからこそ、表面にペーパーをかけては指をすべらせると滑らかさにうっとりとする様子も、金属を象眼して回転の勢いを増そうとした工夫も、手に取るように想像された。それも、少しずつちがうやつが、あんなにたくさん並んでいることによって、どんなにかいろいろなことを考えたのかが分かるのだ。
 竹とんぼの羽根をやすめる群れのもたらした思いは、会場にいるあいだずっと、それどころか今だって持続している。竹とんぼだけではない、どれも丁寧で巧みな展示だった。

AkiokaRadioS.jpg クライスラーというラジオは、どれもこれも素敵だった。
解説を読むと、そのクライスラーという会社は、秋葉原のサトー無線の前身であり、製品は「ラジオ」ではなくて、受信機の中身の機械部分は買い手がつくりそれを納めるためのケースが「クライスラーキャビネット」という商品だったのだ。これが大いに人気をよんでたくさん売れるので、秋岡氏が親しかった河潤之介・金子至両氏に会社をつくらないかと声をかけ、頭文字をつらねて「KAK」とした。

 かつて長い年月、国家はよそのくにのたくさんの町と家を壊し生命を奪うために、自分たちの国に住む人々からもあらゆるモノといのちを供出させ、引き替えに飢餓と苦痛と絶望や悲しみをくれた。ラジオは、その苦しみと無駄の終わりを告げる言葉を伝えて解放のはじまりになったのだ。自分で組み立てた機械をこのキャビネットに入れたら、とても素敵なラジオになってしまえばどんなに嬉しいことだったか、目に浮かぶ。これがたくさん売れたというのも当然のことだ。

 1月2日にBSで「J.ダワー×G.マコーマック 震災後 日本と世界への眼」という対談を見た。戦後の一時期、市民の側からデモクラシーを築こうとする動きが日本にもあったが、やがて既得権益を守ろうとする中央集権的な力が回復して、今に至るまでそれが続き、その延長に原発という中央集権的なエネルギーがつくられた。しかし、この地震・津波と原発が、もういちど草の根デモクラシーをつくる契機になるかもしれないとジョン・ダワーは指摘している。
AkiokaKAKs.jpg 秋岡芳夫とKAKのしごとの質と密度の高さは彼ら自身の力によるのはいうまでもないが、その背景には、敗戦直後の日本に自由と草の根のデモクラシーが育とうとしていたという流れがあったのだろうと、ダワーの話を聞いていて思い浮かんだ。戦後の草の根デモクラシーの昂揚は一時的なものに終わったが、彼らの活動は長く深く持続した。市民自身の視点にもとづいて自分たちの手で世の中をつくることがデモクラシーという思想であるとすれば、秋岡たちのしごとは自分たちの手で自分たちのモノをつくり出して、その結果として自由が築かれるというものではないか。

 じつは、そもそもぼくが秋岡芳男展に来たのは、所蔵するライラックのスクーターを出展することになったという知らせを河浩介さんからいただいたからだった。これは、今この時代に持ってきても、もっとも魅力的なスクーターかもしれない。その開発にまつわる無念と腹立たしさについてはkawaさんのブログ Things that I used to do のエントリー「ライラックモペッドAS71」にくわしい。(モペッドとはmotorとpedalをくっつけた「moped」だが、たしかスズキがペッドをペットに変えて「スズモペット」という名の製品をつくっていたことがあった)彼が部屋の中にこのペパーミントグリーンを家具のようにして置き、深く愛するのも当然だろう。しかも、KAKの河潤之介氏は河さんの父上なのだ。
 三菱重工がライラックにこのスクーターのOEMをもちかけたのでライラックは工場を拡張する。ところが,三菱は革命的なデザインに口を出してその一部を変更させた挙げ句に販売を縮小してしまい、そのほかの要因も手伝ってライラックは倒産に追い込まれる。その過程はそのまま、戦後に芽生えた草の根デモクラシーが、既得権益を護ろうとする力の支配に圧殺された世の中の動きと重なって見える。

 こういうことが度重なったのだろうか、メーカーの都合と利益のためにつくられる製品が消費者に一方通行で流れてゆく、大量生産・大量消費という中央集権に疑問をもった秋岡は、そこから立ち位置を変えて、その地域にある材料をつかいそこにいる人たちがモノをつくる、そしてモノと心を通わせて生活するという文化を育てるということに力を注いだ。
しかし、それは決して方向転換ではなく、もともと一貫して持ち続けていた姿勢なのだ。展示は、それを感じられるように、たくみに示していた。

 モノをつくるための道具のコレクションや、自分のこどもたちのためにつくった手づくりの木のトラックや食器棚。絵本というしごとがあり学研の「科学」や「学習」の付録という世界がつくられている。秋岡芳夫と仲間の活動の豊穣を、立体的に、美しく、しかも知的好奇心をそそるように構築された展示だった。
それは、この目黒区立美術館の規模が小さいことも手伝っている。大きな美術館では、順路が時間と空間を線状に並べざるをえないのに、ここのような小規模な美術館では、ものごとが一つの方向に一つの流れに乗って動くわけではないことを表現することができる。大規模な都市あるいはコミュニティーよりも小規模な都市やまちの方がここちよいのと同じことだ。

ここのドアをあけて外に出れば、春には目黒川沿いの桜に包まれるだろう。
閉館まで見て充実感を手にして師走のまちに出ると、ぼくは川縁を歩きながらすぐに友人に電話をかけて、見た方がいいよと伝え、家に帰ってからメールを送ったほどだった。それなのに、いろいろなことを考えてしまいエントリーがこんなに遅くなって、後塵を拝してしまいました。

■関連ブログ
秋岡芳男展/Things that I used to do
秋岡芳男展/aki's STOCKTAKING
二寸五分/MADCONNECTION
権之助坂で/kai-wai散策
驚きの秋岡芳夫展/BLOWIN' IN THE WIND :
秋岡芳夫展に行ってきました/漂泊のブロガー2
■参照
秋岡芳夫/wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 07:27 AM | コメント (0)

January 08, 2011

図解 いろは引 標準紋帖

HyojunMoncho1S.jpgClick to PopuPHyojunMoncho2S.jpg

 新年のごあいさつのエントリーにじんた堂さんがコメントをくださった。
そこに "「いろは引き紋帖」を開いてみました" と書かれていたけれど、ぼくは初めて目にする本の名称だったので、すぐにamazonを調べてみた。思いがけず、古本がすこぶる安い値段で出ていたがらさっそく注文したのが、昨日の午後に届いた。
 A5を横長にしたくらいの小ぶりの判型を和綴したもので表紙は紺の布でくるんである。紋所の歳時記といったところだ。「標準紋章百科」というのが一頁に20ずつの紋が246頁で5920+8=5928種類もあって、これが500円+送料だけで手に入ったのだから、たいへん得な買い物をした気分になった。その末尾には歌舞伎の役者の紋120などもまとめてあって、尾上卯三郎というひとのはうさぎが一匹、ちょうど役者が舞台に座って「隅から隅まで・・・」なんて挨拶するときのように両手をついている。

 さっそく、「う」の頁を開いて「うさぎ」を見ると、あったあった。しかし抱き波というのではなく「波ニ月兎」となっている。「二」は数字ではなく「に」のカタカナ表記だ。

 裏表紙の内側に貸出カードをいれる紙のポケットが貼ってあり、こう書いてある。図書館の本だったようだ。
 「     皆さん 
  ○読書の前後によく手を洗い
  ○ゆびをなめずにページをひらき
  ○表紙を巻きかえさず
  ○書き込みや折り目もつけず
  ○いつも気持ちがよいように
       よみましょう
       東京・丸善 PAT .P103353」     ・・・・だって
ぼくは、書き込みや折ったりすることはないが、きれいとは言い難い手でページを繰ることが多いので、ちょっと反省した。

 左の小口に目を転じると赤いゴム印だろうけれど印が捺してある。読みにくいのをあれかこれかと言いながら解読しようとしたが「**女學院**」と三文字しか読み取れない。表の表紙をみると、答えがあった。「服飾専門学校・常磐女学院図書館」というゴム印のほかに同じ印が表紙を開いた面にも捺してあって、これは「常磐女学院蔵書印」と読める。なるほど、この本は、そういうところで使われてきたのだ。図書館の本を誰かが売り飛ばしちゃったのだろうかと思いながら「常磐女学院図書館」をインターネットで探してみると、松坂屋の創設した家政専門学校だったが2007年に閉校している。これはそのときに放出された蔵書だったのだろう。

HyojunMoncho3.jpg 紋付きというものは色が黒ときまっているし、どれが誰のものか分からなくなってしまうから紋をつけることになったのだということに気づいた。しかも、冠婚葬祭の機会には同じ紋をつけた人があつまるから、それぞれがわかりやすいように衿紋というのもあって、それもいろいろ掲載されている。
 日本の紋章をあれこれ眺めているうちに、昨年の叔父の法事の時のことを思い出した。英語ではザクロはpomegaranateなんだという話になったので、pomeはリンゴ、granateというのはグラナダのことだそうですねと言うと、隣の席の親戚が「そういえば、グラナダの市の紋章にはザクロの絵がありますね」と言った。あとで調べてみようと思ったのをすっかり忘れていた・・・ということを思い出したので、例によってwikipediaを開くとなるほどその通りだった。
こうして較べてみると、グラナダのやつもいいんだが饒舌で子供っぽくみえるが、日本の紋章というのはなかなか洒落ているもんだなあと思いました。

■関連エントリー
図解 いろは引 標準紋帖/aki's STOCKTAKING
あけましておめでとうございます:抱き波とうさぎ/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 02:02 PM | コメント (8)

June 26, 2010

真夜中の冒険者

MayonakaBokenS.jpgClick to PopuP「真夜中の冒険」

 花を手に入れると、ていねいに形を整えて、薄紙にはさんで厚い図鑑や電話帳のあいだにいれる。
それをいくつも重ねてさらに石やレンガや鉄板だの重いものを総動員して数週間。
葉っぱ、花のまんま、花びら、大きいやつ小さいやつ、雌しべ・雄しべ、ツルの先端・・・みんな二次元になっている。
それらを見ているうちに、なにかの生き物や家や楽器に、あるいは大木に森に見えてくるらしい。
どの箱に何があるかを憶えていて、数年前に作ったやつも取り出してキャスティングをする。
物語が始まる・・・深い夜には、彼らが動き出す。

 真夜中に活動する人である。 おおかた起床は午後、就寝のときは、たいてい日が昇ろうとしている。
若い頃には、夜中に自分のやりたいことをしながら、朝にはちゃんと起きて家事を完璧にこなしていた。関白亭主に文句は言われたくないと思っていたのだろう。
 入念なひとである。 起きたあとに、毎日毎朝、自己流の体操を1時間ちかく欠かすことがない。入浴したときにも30分ほど、また別の体操をしているらしい。とにかく丁寧に身体を整える。若い頃に大けがをして長生きはできないと医者に言われたことがあるから、自分のことは自分で護ろうと心に堅く決めているのだ。
 地震が、たいそうこわい人である。 ゆらゆらと揺れ始めただけで表情が引きつる。地震がおさまると「どうも揺れる気がした。やっぱり来た」という。まわりの人間は、いつものことと笑いをかみ殺すが、空襲で防空壕の梁の下敷きになったことがあるのだ。
そのときに、腕の中で幼い子を亡くした。
 愛情の深い人である。 鉢植えの植物は、葉っぱの一枚一枚を拭いてやる。気孔が埃でつまらないようにと。
皮膚病で毛がすべて抜けて裸になったハムスターを、夜通しマッサージしてやった。
にもかかわらず、生の花をみるとすぐに花を取って押したくなってしまう。
水族館の魚から刺身を思い浮かべるやつのようだが、ドライフラワーをつくるときには、花びらを一枚一枚はずして、接着剤で花のかたちをととのえる。

 写真の「真夜中の冒険」は、おそらく二枚のアイビーの葉を見て想像が果てしなく拡がったのだろう。
大きな包容力と笑顔をたたえた生き物は、胸に時計を埋め込んでいる。こいつの時計になら喜んでしたがおうという気分になりそうだ。

MayonakaWallS.jpgClick to PopuP「間・KoSumi」での展示

 「漂泊のブロガー2」のいのうえさんが、この個展「米寿のBABAの花しごと」を紹介してくださった。
 作者は満87歳、数え年で八十八歳の、ぼくの妻の母つまり義母である。なんだか照れ臭くてエントリーしないうちに、ひさしぶりの個展も明日が最終日になってしまったが、いのうえさんのエントリーと、娘のブログ「Psalm of the sea」のエントリーに背中を押されて、駆け込みエントリーすることにした。

 友人にしてクライアントでもある矢野さんの奥さん・瑠璃子さんが、うちの店で個展をしないかと勧めてくださった。ふだんは主に器などをおいている、東中野の「間・KoSumi」だ。拡幅した道路の例に漏れず、距離を拡げ交通量を増した道路がまちを分断して索漠たる道になった山手通り。新しくできたビルの2階、早稲田通りとの交差点から二軒目にある。この店は、矢野さんたちが自分たちの手で内装をほどこして、とてもいい雰囲気をつくりあげた。夫の森一さんは屈指の舞台監督だから、もとよりこういう仕事は得意なんだ。瑠璃子さんは、道路の拡幅という環境悪化に抗して東中野をよくしようとする会でも活動している。20年ほど前に、ここから近くにある矢野さんのいえを、ぼくたちは設計したのだった。

■関連サイト
「間・KoSumi」の展示の案内
「米寿のBABAの花しごと」/「漂泊のブロガー2」
「米寿のBABAの花しごと」/「Psalm of the sea」

投稿者 玉井一匡 : 10:00 PM | コメント (4)

February 08, 2010

Brushes:iPhoneでフィンガーペイティング

BrushesDonutsS.jpgClick to PopuP

 「Brushes」というiPhone用のアプリケーションに、ぼくはちょっと夢中になってしまった。
Brushesというのは絵筆のことだろうが、それをつかって初めて描いたのが左のドーナツたちの絵だ。何日か前に食べたドーナツの写真を見ながら一部をトリミングするように描いたものだから、スコッチのメンディングテープではない。そのときには、テープのことは知らなかったのです、ぼくは。

 タッチパネルの上で指先を滑らせると絵を描けるんだとことばで説明しても、そうかいと言われて終わりになってしまいそうだが、自分でやってみるととても面白い。タッチパネルなんていう電子的な道具を使うのに、指を筆にして絵を描くというすこぶる身体的な描きかたをするのがいい。
 これを見つけたのは偶然、ほかに見たいものがあったので「ニューヨーカー(THE NEW YORKER)」のウェブサイトを初めて開いたときに気づいたのだった。

BrushesFINGER-PAINTING.jpgニューヨーカーの「Brushes」紹介ページへ
 「THE NEW YORKER」のトップページをすこしスクロールして左横の欄を追っていると、「FINGER PAINTING」というタイトルの下に小さいがチャーミングな絵があって、クリックししてくれと言っているようだ。clickすると新しいページが開いてムービーの画面が出てくる。右向きの三角の印の下に「PLAY VIDEO」とある。これもクリックする。
・・・絵の描かれてゆく過程を一筆ずつスピードを速くしてムービーで見せてくれる。
もちろん、これが「Brushes」をつかって描いたものなのだ。そのひとつを、もしかするとすべてかもしれないがニューヨーカーの表紙のデザインに使ったらしい。

こんな絵が描けるのかい?と半信半疑のまま、ぼくはAPPからBrushesをダウンロードした。筆の太さとタイプ、絵の具の色や透明度などは自由に変えられるし、細かく描くときには、もちろん絵を拡大すればいい。この絵を描いているのはJorge Colomboなる男だ。

投稿者 玉井一匡 : 02:23 AM | コメント (6)

December 24, 2009

天使さまのおくりもの

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 次女は、自由学園の幼稚園というべき「幼児生活団」というところに通っていた。
そこは新宿区の落合にあったから「落合幼児生活団」といった。
と、過去形にしたのは、落合にはその後なくなったからだが、全国では今も12個所あるという。
ここには毎日通うのではなく一週間に一回だけ、その代わり朝から夕方までいる。
親もいっしょにいて、昼の給食をつくったりしながら、生活を通じて教育をすることについて教育をうけるのだ。
 ひばりヶ丘の自由学園の隣にある自由学園幼児生活団だけは
2007年に幼稚園としての法的な位置づけを得て毎日開かれるようになったそうだ。
自由学園は羽仁もと子流に解釈されたキリスト教が背景にあるからクリスマスを大切にしているが
そのときの習慣のひとつに「天使さまがくださるおくりもの」というのがあった。
クリスマスの前にこどもたちが描いた絵を、「天使さま」がぬいぐるみにしてくれるのだ。

天使さまたちは寝る間を惜しみ必死でおくりものをつくる。
なにしろおおかたの天使さまは女性であり、子供と同じ家に住んでいる。
だから、作業はこどもが寝静まってからにしなければならない。
それがクリスマスの日に子供たちに生活団で渡されるというのは、天使さまにとってはなかなか大変だけれど、それだけにすてきな慣わしだった。
ところが、クリスマスの日に贈り物をうけとると、うちの娘は天使さまたちの見まもる中でそれを手に泣き出した。
「あたしの絵は、こんなへたじゃなかった・・・」と
ぼくはその現場には居合わせなかったが、これをつくった天使さまは、けっして手先の器用とは言い難いほうだが
刺繍やアップリケがなかなかよくできたと満足していたから、ひとかたならぬ落胆に見舞われたことだろう。
もう20年も前のことだから、ずいぶんぬいぐるみはくたびれてしまった。
でもぼくは、このぬいぐるみをなかなか気に入っているのです。

■ところで、日本時間では午後4時に、サンタクロースがソリを出発させます。NORADによる追跡放送はこちらです

投稿者 玉井一匡 : 01:39 PM | コメント (10)

May 16, 2009

水琴窟のようなもの

hiougiSuiki1S.jpgclick to PopuP
 さきごろ友人が、自分の設計した住宅に「ヴィラのようなもの」というタイトルとつけたと知って、そういえば、去年つくったこの仕掛けは「水琴窟のようなもの」といえばいいのだと思った。なかなかいい音を出していると思うし眼にもまあうつくしいと思うから、「のようなもの」という表現は卑下しているというわけではなく、ぼくの考える水琴窟のあるべき条件を満たさないから、これを水琴窟だとは言うわけにはゆかないのだ。
 「窟」とはほらあなである。洞穴であるからには地中に空洞をつくり、そこにひそやかに水と大地が音を響かせるのを楽しむものでなければならない。が、これは甕を白日のもとにさらしている。そもそも水琴窟はあそびである。あそびであるからこそ、本来のありようをまもることには忠実でなければならない。これは地中に埋めていないという一点で、水琴窟と名乗ってはならないのだ。

「日本水琴窟フォーラム」という、水琴窟好きのあつまるNPOがあって、西に古い水琴窟があるらしいときけば調査におもむき、東で土が溜まって音が出なくなったものがあれば洗浄して復活させる。北から水琴窟をつくりたいのだが、つくりかたを教えてくれと言われれば海を越えてさえ指導に出かけるというような活動をしている。たまたまぼくの事務所はフォーラムの中心となっている人の事務所と同じビルにあって、言ってみれば門前の小僧のようなものである。「ひとのすなるすいきんくつのようなものをつくらむとするなり」と思い立ったのも自然な成りゆきというわけだ。

hiougiSuikin2S.jpgclick to PopuP
 水琴窟とは、地中に空洞をつくり、その底に中に10cmほどの深さで水が溜まるようにしておき、そこに水滴を落として水滴の音をひびかせるという仕掛けだ。底に穴をあけた甕を伏せて土中に埋め、水に一定の水位を保たせる水抜きをつくる。「日本水琴窟フォーラム」のサイトに、歴史や構造についての説明があって音も聞くことができるので、開いてみてください。
しかし、土に埋めてしまう本格的な水琴窟では試行錯誤がほとんどできない。いったん作ってしまえばもうちょっと水を深くしてみようかとか甕のかたちを変えてみようか、なんてことを思ってもあとの祭り至難の業だ。

 だからぼくは、研究者がそうしているであろうように土の中に埋めずに水位の調節も可能な仕掛けをつくることにした。ぼくのやつの材料は、まずは紹興酒の甕、そして浅い大型の植木鉢、素焼きのちいさな植木鉢、内径10mmほどの銅管、浴槽のゴム栓、それに緋扇貝の貝殻をつかった。

・ 紹興酒の甕の底に電動ドリルで穴をあける。それを大きな平型の素焼の植木鉢の中に伏せて水を張るのだが、植木鉢の底には穴があるから、それをふさがなきゃあならない。ぼくは風呂のゴム栓をつかうことにした。それで水を溜められる。
 しかし、そのままでは水を落とすたびに水位が上がってしまうが、水琴窟は水位を一定に保たなければならない。ゴム栓の中央に穴をあけて銅管の一方の端を差し込んで、甕の下をくぐらせて甕と植木鉢のあいだにもう一方の端を出した。水が増えればその管から外に流れてゆくから水位を銅管の一方の端に保つことができる。曲がりの継ぎ手のところで回転させれば銅管の端の位置を変えられるから水位を調節できるのだ。

・紹興酒の甕の上に、はじめはサギソウの鉢植えを載せた。そこに水をやると、余分の水は鉢の底の穴から下に抜ける。それが甕の中の水に落ちて滴の音を響かせるというわけだ。なかなかきれいではある。しかし、それではありふれていておもしろくない。
そこで、植木鉢の中に貝殻を入れようと思った。かつて娘が何度も天草に行き来していたときに、よく泊めてくださったお宅から送ってくださった特産のヒオウギガイをつかえば、それぞれが花びらのように美しいだろうと。
 小ぶりの植木鉢の中にスポンジをいれて、たっぷり水を吸収させる。その上を砂利で蔽って、さらに花びらにみたてた緋扇貝を重ねた。甕を露わにしているだけに水をかけた後にすぐに音を出す反のではあまりにおもしろみがない。スポンジを入れておくと、そこにかなりの水が蓄えられるから、それがしばしの時間をおいて音をだして5分ほどつづく。おそらく、貝殻にたくさんついている溝も、水をしばらく留めるのに役立つだろう。
 産地ではハマグリのように緋扇貝を火に載せて、焼いて食べるのだそうだが、ぼくは貝殻の美しい色を見て火にかけるに忍びなくて、貝殻の隙間からナイフを差し込んで貝柱を切り離し、刺身にして食べた。形がホタテに似ているように味も帆立のようだが、もっと肌理の細かい味と舌ざわりで、帆立より旨い。貝殻は捨てるにしのびなくて、庭先に置いてあったのだ。

・脇に漬け物の甕にためてある水を貝殻を柄杓にしてすくいとり緋扇貝の上にそそぐと、陽にあたって色の褪めていた貝殻が、たちどころに鮮やかな色をよみがえらせる。水をかけるたびに、ぼくは水と貝をいとおしく思うのだ。
 少し時間をおいて水が下から流れるとそれが甕の穴から内側に回って、水面に落ちる。
水滴がおちたとき甕の中で音を響かせる。その音がふたたび紹興酒の底の穴から戻ってきて、植木鉢の下にある大理石に反射して、隙間からこぼれてくるのだ。

・水滴が水面に落ちて音をだすというメカニズムについては、上記の日本水琴窟フォーラムのサイトの「水音研究所のページ」に詳しい論文が掲載されています。

投稿者 玉井一匡 : 09:32 PM | コメント (5)

November 19, 2008

クルマの顔

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ひところ、地下鉄のコンコースなどにホンダ・オデッセイの横長の大型ポスターが2枚つづきで張ってあったから合わせるとゆうに2mを超えていた。
左の写真はiPhoneのカメラで撮った横長の写真だけれどPanoで貼り合わせたパノラマ写真ではない。iPhoneの写真をPhotogeneをつかってトリミングしたあとで、切手の縁をつける加工をしたものだ。
こうやってジョージ・クルーニー(wikipediaを見て、彼がローズマリー・クルーニーの甥だと知った)の笑顔と並んでいるのを見ると、ふたりは口元がよく似ていると思わないか。
オデッセイのデザイナーがジョージ・クルーニーのようにつくったわけではないだろうが、少なくともポスターのデザイナーは、このふたりが似ているのを意識して並べたにちがいない。これを、いい傾向だとぼくは思うのだ。

 近ごろの日本のクルマときたら、ことごとく造作が大袈裟でごつく、目をつり上げ歯をむきだした知性のとぼしいマッチョ顔が多くて、ぼくはどうにも好きになれない。しかも、全体に丸っこくて皮下脂肪の多い体型だから、デブのくせにマッチョぶった間抜けなデザインなのだ。この10年ほどで、かわいい顔をして無駄のないデザインのクルマを探しても、初代Vitzくらいしか思いつかない。前にオデッセイがモデルチェンジをしたときのPRビデオでは「スパルタンなフロントデザイン」だと佐藤琢磨に言わせていた。
 「ちかごろのクルマや家電のデザインは、ガンダムみたいなのばかりだね」と、ソニーにいる友人に言ったことがある。「ちいさいころガンダムで育ったデザイナーが多くなったんだよ」というので合点がいった。有明など、ガンダム風の建築が立ち並ぶ索漠たる都市ができた。建築にも似たような傾向があるのだ。
 「いいクルマがすきです。男だから」なんて、男をおだてようというコピーはどうかと思うが、戦闘的なロボットでなくジョージ・クルーニーに似ているのがうれしい。

投稿者 玉井一匡 : 04:37 PM | コメント (23)

October 14, 2008

EFFEIL TOWER/TOUR DE 300 METRES:エッフェル塔

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先日、友人からメールが来た。
 ランドマークタワーの横浜有隣堂書店で「エッフェル塔の図面集」(TOUR DE 300 METRES)を買った。シュリンクパックだったので内容を見られなかったが、5,900円で衝動買いしたけれど、帰ってから見たら図面がきれいなのでびっくりした。残念ながら重たくて持って行けないので、今度うちに来たときに見ていってください。あとで調べたら有隣堂以外では15,000円だった・・・という。
 メールには写真も添付してなかったけれど、これは自分のそばに置いておきたい本だと思わせる説得力と彼の眼を信用して、こんど横浜まで取りに行くから買っておいてくれないかと、すぐに返信した。土曜日、国立博物館で「大琳派展」を見たあと、横浜にいくことにした。石川町で待ち合わせて本を受け取った。

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 昼飯を食べたあと、自転車屋によって大桟橋まで行ったあとに、珈琲を飲みながらやっとおちついて本を開いた。パラパラと見ただけで、すっかりうれしくなった。
本が大きい。縦45cm横30cmだからA3サイズ。
そこにびっしりと書き込まれた図面が美しい。
見開きでA2の図面が47枚。それをディテールの図と文字が埋め尽くしている。
そのうち実に21枚がエレベーターの図面なのだ。エレベーターというものが、エッフェル塔にとってかくも重要なものだったということを図面の構成が物語っている。たしかに、建築としては3階建てとペントハウスがあるにすぎないのだ。
巻頭に、8カ国語でそれぞれ3ページずつをつかってエッフェル塔の背景と概要があって、日本語は最後の8番目。図面の書き込みがフランス語というのが難点だけれど、日本語で読んだ解説をガイドマップにして、40年以上も前に習ったフランス語の記憶を発掘しながら隙間なく書き込まれた図面を見ていると、そうだったのかと新しいことを知り、すぐさまそこからあらたな疑問が生じるのがうれしい。

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 エレベーターは水圧式と概要に書かれているのだが、水圧をどうやってエレベーターの移動のための動力に変換したのかわからない。パイプがめぐりタンクが各所に置かれているのを見つけたが、いまだにぼくには謎が解けずにいる。wikipediaによれば、1889年にOtisが電動エレベーターを開発し、1890年には日本で初の水圧式電動エレベーターがつくられたという。
 じつはぼく、まだエッフェル塔に昇ったことがないから、なおさら面白いのです。2階のフロアは、四面の外周を展望ギャラリーがめぐり、その内側を半階高くして劇場がひとつとレストランが3つ置かれている。レストランのひとつがフレンチなのは当然だとしても、残りのふたつがロシアレストランとRestaurant Americainアメリカレストランであるのはなぜなのだろうという疑問といっしょに、ギャラリーをめぐる人々の興奮、その頭越しにカフェのテラスから町をみる客、かれらのたてるざわめき。この塔が、いかに重要なすてきな機械だったかということが、いたるところがらよみがえる。
 この本のことを話したので秋山さんが調べたところ、amazonで26ドルちょっとだったという。早速調べたらその通りだったけれど、ちっともくやしいとは思わない。5900円+消費税という価格も、この内容を比べれてみれば、それだって充分に安いという気がするのだ。

■追記
*山梨県の清春芸術村にエッフェル塔の螺旋階段があるそうだと、秋山さんに電話でうかがいました。ラ・リューシュ (LA RUCHE)とよばれる、正12角形の平面型の宿泊施設の中で使われているそうだと。ぼくは、清春芸術村には行ったことがあるのに、そのことを知らなかった。RUCHEを仏和辞典で調べると蜜蜂籠、蜜蜂房のことで、1900年のパリ万国博のときに、エッフェルが設計してつくられてワイン蔵とそてつかわれた建物のことを、当時そう呼んだのだそうです。・・・この追記について秋山さんからコメントの書き込みがあって、螺旋階段は屋外にあるんだよと指摘された。大切なものを雨ざらしにしていいのかと、ぼくはちょっと気になったのだが、考えてみればたしかにエッフェル塔の螺旋階段だって吹きさらしのところにある。近々、見に行かなきゃだな。
清春芸術村
La Ruche/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 08:26 AM | コメント (18)

May 14, 2008

紙の一輪挿し


Ichirinzashi1S.jpgClick to PopuP

夜おそく自宅に帰ると、テーブルの上に瓶のかたちをしたものが載っていた。
紙を材料にしているのだが、それがかっこいいのだ。
どうみても一輪挿しのようだ。
プラントボックスから、開きすぎたチューリップを一輪切り取って入れてみる。
夜中だが、すぐに試してみたくなったのだ。
なかなか、よく似合うぞと、満足してしばらくながめた。

大きな一輪挿しはランニングコスト対効果がすこぶるいいのだといって、友人の陶芸家のつくった60cm角ほどの大きな一輪挿しを、高級旅館の女将が買っていったというはなしを聞いたことがある。旅館じゃあ、花をきらすことができないから、はじめに一輪挿しに投資するほうが安いというわけだ。これも、一輪だけの花がとても大きく感じられる。

かたちもいいが、それ以上につくりかたがかっこいい。言ってみれば、こんなぐあいに作られているのだ。
・ペーパーバックの本の、紙を貼り合わせた背表紙の側はそのままにして、反対側を自由な曲線で切り落とす。もっとも、じっさいに厚い本をすっぱりと切り落とそうとすれば容易なことではないだろうが、あくまでも頭の中の話だ。
・その切り口に色をつける・・・端を裁ち落とされた本を開き、ほぼ360°開いて、表の表紙と裏表紙をぴったり貼り合わせる。
・そんなふうにすれば、こういうものができる。ぼくたちが子供のころ、七夕の飾り物に、そういうしかけのものがあった。
そうすると、背表紙の面が円筒形の穴をつくり、そのまわりにCADでいう回転体ができるのだ。翌朝、あれはどうしたんだと娘にたずねた。
Ichirinzashi3S.jpgIchirinzashiAxisS.jpgちえこが誕生日プレゼントにくれたもので、本屋さんがつくったのだという。誕生日はもう半年以上も前の7月のことだからそれをいまごろになってくれるというのもおもしろい話だが、デザインはもっと面白い。半年遅れの誕生プレゼントにしたくなるほど面白いと思ったのだろう。ちえこは、Psalmのこのサイトをデザインしてくれたデザイナーなのだ。
だれがデザインしたのかは、娘は知らなかったが、やはり本から発想したものだった。中央の穴にアルミの試験管のようなものがさしこんであって、そこに水を入れて花を生けるようになっている。

 段ボールの箱も手作りで、細長い箱の底とフタの中央に円筒形の白い軸が固定されている。一輪挿しの上下の穴を、ここに合わせてフタを閉じれば、箱の中で移動することはない。白い軸は、よくみると厚いトレーシングペーパーを固く巻いたものだ。あくまでも、紙の二次元を三次元にかえてしまおうとしているところに、ふかく好感を持った。
CADソフト(Vector Works)で「3D多角形」をつくり「配列複製」してみると、3Dの一輪挿しができた。こいつはまだまだプロポーションが気にいらないけれど、似たようなものは簡単にできた。これを見ると、紙でできた実物は一枚ごとの紙がきちんとした平面でなくてヨレヨレなところがいいのだということがよくわかる。

投稿者 玉井一匡 : 07:40 AM | コメント (2)

November 27, 2006

PICTAPS:描いた絵がペラペラダンサーの群舞に

 アースダイビングの続編をエントリーする前に、ちょっと寄り道をしないではいられなくなった。
「これはすごいです」というタイトルのメールが来た。友人・本間さんからで、アドレスをひとつペーストして「これはすごいです。恐るべし。」とだけ書いてある。すぐにアドレスのブルーの文字をクリックしてみたら、本当にすてきなことが起こるのでびっくりしてしまった。2次元の絵がゆっくり宙を回転して降り立つと、形代(かたしろ)のようなペラペラの人形になって、リズムに合わせて踊りだした。跳ねる、回る、腕を振る、上体を後ろに反らせる。つぎからつぎへといろいろの人形が出て来る。へたくそな絵も丁寧につくられたやつもあってさまざまだが、みんなそれなりにおもしろい。絵じゃなくて、動きと展開が面白いからなのだ。MASAYUKI KIDOという福岡在住1975年生まれの日本人がつくったとプロフィールにある。

*しかし! このサイトはアクセスが殺到してサーバーがパンクしたようで開かなくなっちゃったようなので、少し細かく説明を加えることにしました。

もしかしたら、この人形は自分でつくれちゃうっていうことなのかと思って探してみると、たしかにできそうだ。
ぼくはさらに興奮した。
 簡単なお絵描きソフトがついていて、それを使ってツールと色を選んで人の絵を描くとパーカッションだけのバックに合わせておどりだすのだ。ひとりが、新聞紙の折り紙でつくったような小さなステージの上に乗り、沢山のクローンがまわりを遠巻きにして群舞を繰り広げる。
ぼくも、自分でそのソフトをつかって絵を描いて、動かしてみた。クリスマスツリーの上に「I want to dance with you,not mes」と書いた。「きみと踊りたいのに、まわりじゅうオレと同じやつばっかりだよ」というところだろうか。そんなものは、文法にないだろうが「mes」はmeの複数形のつもりだが、文法に従えば本当は「mies」とするべきだったのかもしれないとあとで思ったが、それもご愛嬌だということにして、つぎに「OK」のボタンを押す。
首・胴・腰の3つ、そこからから出ている四肢は、腕と脚はヒジとヒザを境に二分されるから合計11の部分に分かれて動くようになっている。「CANVAS EDIT」というボタンを押すと11のパーツの範囲を変えることができるのだが、それからはみだした部分は、切り落とされて「ひとがた」ができて形代ダンサーになるはずだ。
「OK」のボタンをクリックすると、描いた絵の全体が鉛直の軸を中心にしてクルクルと回り始める。それが宙を飛んでいき、形代ダンサーになってステージに降り立つと、上のような群舞がはじまる。・・・・ 上の絵は、その群舞のスティル写真のようなもの。クリックすると、踊りだします。
あーおもしろい。 みなさんもぜひお試しください。    

* 11月29日現在googleで「PICTAPS」を検索したら329,000 件、ちなみに僕が上記のダンサーに「TREEJOY」と名付けて登録したときには、そのID番号が247339でした。かならずしも、これが1からはじまったというわけではないかもしれませんから、これだけの人形が今は楽屋で出を待っているというわけではないのかもしれませんが。

投稿者 玉井一匡 : 10:51 PM | コメント (35)

November 11, 2006

カマトンカチ


 aki's STOCKTAKINGで、AKiさんが買った赤いiPodの「REDプロジェクト」を取り上げて (RED) というタイトルでエントリーした。エイズ、結核、マラリアの患者の救済のために、売り上げから一部を寄付するというプロジェクトについて「これが新しいcommunismの方法なのだ」と書いたら、これに「通りすがり」なる人物がコメントでかみついた。
「世界を牛耳るアメリカ大企業の商業チャリティがcommunism??
アメリカ主導のグローバル資本主義に反旗を翻しつつある南米の
左派反グローバル活動家が聞いたら呆れると思いますが」と。
ただ単純に読み取れば、それはその通りだ。・・・しかし、と言って反論することはせずに、AKiさんはオトナらしく「communism」を「commies」と訂正した。commiesということばそのものに含まれる逆説的な含意に下駄をあずけたわけだ。AKiさんは思想堅固なコミュニストなんかじゃないし、ジョブズがコミュニストだと思っているわけでもない。AMEXやconversは、通りすがりさんのいうような矛盾を両手からこぼれるほど、いや、トレーラーに積み残しができるほど抱えているやつらだということを、当然わかったうえで括弧付きのcommunismと書いたのだ。皮肉や逆説というのはなかなか高度な言語表現と読み取りの遊びだ。だれがどういう事象についてどういう背景でどういう時期にいっているのか、たくさんの意味のレイアを同時に読み取らねばならない。REDというのは血の色であって、三つの感染症は血と深い関わりがある。
おなじようなことを、つい2月ほどまえに僕自身も感じたことがあった。ビエンチャンで「カマトンカチ」印のTシャツを買った時だ。

「ビエンチャンこどものいえ」に行った時のこと、エリート然としたお父さんが奥さんを連れてやって来た。彼は真っ赤な胸に「カマトンカチ」の黄色く染め抜かれた真新しいTシャツを着て、髪はハサミも櫛もきれいに跡が残っているような様子だったから、「あれは党のエリートでそのお印にあのTシャツを着ているのだろう」などと、僕たちは話していた。ラオスは社会主義国で、ラオス人民革命党がただひとつの政党。ソ連にならって鎌とハンマーを交差させたやつがシンボルになっている。とはいえ、けっこうゆるやかで、ひとびとは自由にくらしている。あれはなかなか買うわけにはいかないのでしょうねと、くわしい日本人にきくと「なにも、そんなものじゃなくて、市場にいけばいくらでも売ってますよ」という。じゃあ、ひとつ買いにいこうよというわけで、その日の午後に市場に行ってみた。

「いまは、赤いのはないなあ。でも黒ならあるよ」と店の奥から引っぱりだしてくる。同行者は、黒ならいらないというが、なかなかかっこいいと思ったので、ぼくは黒をひとつ買うことにした。たしか2ドルだった。
「けっこう、これを着るのはむずかしいね」
「マジで着ていると思われるとちょっとちがうからなあ。赤だったら、もっとマジだと思われるぞ」
「だから、もし赤を買って行くとしても、パジャマにするんだよ」
「そうだよな、きみだったらまともに受け取られちゃうかもしれないな」といってぼくは黒のTシャツを買ったけれど、まだだれにもあげず、自分で着てみたこともない。やはり、これは強力なメッセージがあることをつい考えてしまうのだ。
はじめて、試しに着てみたら、けっこういい。

追記
「カマトンカチ」は英語では Hammer and sickle というようだ。

投稿者 玉井一匡 : 02:27 AM | コメント (4)

October 24, 2006

The Little Girl Giant

  まず、写真をクリックしてみてください。友人、石上が送ってくれたもので、彼もまた友人から送られたメールで知ったものです。
Little Girl Giantというタイトルそのものが逆説的だが、このムービーの内容は技術の逆説がたまらなく面白い。人間の技術は人間の能力を拡大することにある。その大部分が、身体の能力を対象にしたもので、できるだけ少ない力でできるだけ沢山のものを生産する、沢山のものを移動する、地球の向こう側の音を聞く、空を飛ぶ。そして、とうとう指一本を動かせば何十万何百万の人間を殺すことができるようになった。破壊と殺戮のために洗練させた技術は、つかうことができない莫大な無駄だ。

 ところで、このビデオだが、あやつり人形を巨大にしてクレーンをつかって人間がうごかす。しかし、人形を制御するには、コンピューターをつかわない。人間の身体を制御する臓器である脳の能力を拡大する技術、コンピューターは、いま、あらゆる機械の上に立って支配しているけれど、それを排除するという不合理な条件をもうけながら、巨大で力持ちだが、このうえなく不器用な手であるクレーンの助けだけを借りて、たくさんの糸と多くの人間の手で巨大な人形を動かすのだ。
 テクノロジーとスキルをむだに費やしているのかもしれない。これはお祭りなのだ。「お祭り」と「戦争」は、むかしから現在まで続けられて来た無駄の双璧というべきものだ。しかし、滅亡を約束する核兵器の無駄、戦争の無駄とくらべると、祭りの無駄はいかにゆたかなものであることか。

追記1:Chinchiko Papaのコメントにある「ガブ」の説明はこのサイトにあります
追記2:コメントをくださったkadoorie-aveさんも、Blog「ONE DAY」に、この人形のことをエントリーしてくださった。
「The Sultan's Elephant」について、つぎのサイトにリンクされている。
*wikipediaの記事
*The Sultan's Elephantホームページ

投稿者 玉井一匡 : 07:14 AM | コメント (6)

June 13, 2006

STEREO VIEWER


週末に新潟に行っていたので、AKiさんが送ってくださった3D VIEWERを手にしたのは。やっと昨日の夜だった。今朝は、ワールドカップのことを思い出したくないので、おのずと別世界に目も心も転じてしまう。僕の希望したのはホッパーの「ナイトホークス」だったのだが、スキャンして上質の用紙にプリントされたブリューゲル「バベルの塔」フェルメール「牛乳を汲む女」も添えられていた。
このふたつが添えられていることが、とても効果的だった。(ワールドカップに加えて、ぼくを悔恨と腹立たしさに沈めることがもうひとつある。デジカメに大けがをさせてしまったのだ。だから、こころならずも携帯電話の写真に、依存することになった。ぼやけた写真はそのためであって、老眼鏡なしの視覚世界を再現したわけではありません)

 三つを見比べると、立体を平面の上に表現するという、絵画の宿命について考えずにはいられない。とかく立体視は、切り抜いた平面を前後に重ねたようにみえるものだが、バベルの塔の表面をつくる曲面、空に浮かぶ雲、広がる大地、フェルメールの人物の顔や胸のふくらみ、テーブルの上の食べ物の立体感、みな生き生きとした奥行きが見える。また、ナイトホークスでは、そこに描かれているもの、あるいは描かれていないもの・・・「そこに何かがない」ということが、いっそうわかりやすい。
 どうやってこれをつくったのか知りたくて、ぼくは右と左の目を交互に開閉して見比べてみた。大きなボリュームは左右の絵をずらし変形してあるようだ。しかし、小さなボリューム、たとえば顔の中の鼻の見えかたまでは変えていないように思える。このような部分的な立体感は、おそらくもともと画家がキャンバスの平面の上で表現した立体表現の力によるものだろう。ビュアーをのぞいてみえるのは、いわばハイブリッドの立体表現なのだ。
 似たようなものがあったなと考えてみると、Google Earthでみる3Dの地形がこれに似たハイブリッドの立体表現ではないか。地形の3D画像の表面に人工衛星からの写真を張り付けただけなのに地形の立体感は胸躍らせるものがある。そういえば、飛行機の中で見た映画「キングゴング」の世界は液晶の小さな画面の中なのに、ときおり飛行機がストンと高度を下げるとエンパイアステートビルをよじ上っていたりしたので、すこぶる緊張感があった。あの空間表現もハイブリッドだなと思い出した。

 コンピューターの手をいっさい借りることなく、画家たちが平面の上に絵具のさまざまな組み合わせをのせるだけで空間と光と影と質感を表現したことに、あらためて驚かずにいられない。同時に、三次元に見事な変換を加えて二次元の世界に取り込んでしまった北斎らの到達した独自の地点をも思わずにいられない。

 五十嵐さんがaki's STOCKTAKINGにコメントとして書いているように、六角柱を変形させることでレンズと絵との距離を変えるという単純きわまりない仕掛けがすてきだ。しかも、六角柱をつぶすと葉書の大きさの平面になってしまうのが3Dビュアーだというのも、ひねりが効いていていて、ぼくはすきだ。

投稿者 玉井一匡 : 08:22 AM | コメント (0) | トラックバック

July 08, 2005

ガーナのアート棺桶

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雑誌「MEMO」の最新(8月)号に、ガーナのガー族のアート棺桶なるものが出ている。装飾棺桶という呼び方もある。
大胆、ユーモラス、そして美しい。ぼくはちっとも知らなかったが、知っている人は知っているらしい。国立民族博物館で開催中の「アフリカのストリートアート展」にも展示されているし、「ベリードスピリット」という本もあるようだ。とはいえ、1950年代から始まって、数人の制作者によってつくられているというから、そんなに昔からの風習ではない。これほどのものを作りながら、死者とともに土に返すのを、僕たちの感覚で言えばもったいないと感じるけれど、古代の墓の副葬品の豪華さを見れば、こんな棺をつくることも不思議なことではないのかもしれない。

 ガー族のひとびとにとって、葬式は終わりよりもむしろつぎの生の門出なんだと考えられているから、この派手な棺はそのためなのだといわれると思い出す曲がある。塚原のもっている「JAZZ BEGINS」というレコードに、黒人たちの葬式で、墓地への往復で演奏されるニューオリンズジャズの曲だ。 行きはしめやかにゆっくりとした演奏だったのが、帰りには意気揚々と、むしろ喜こびにあふれたような演奏に一転する。たとえば、雨上がりの夕方のような開放感。それが、いずれもこころをゆさぶるんだ。
まさか手ぶらになったことを喜んでいるわけではあるまいから、墓地へゆくときには死者とのわかれを悲しむが、帰りには別れた人の新しい人生を喜ぶのにちがいない。本人も、生きていたときのつらい世界とは、喜んで別れていったのだろう。ガー族の葬式にも、きっと音楽が演奏されるのだろうが、それもきいてみたいものだ。

投稿者 玉井一匡 : 02:25 AM | コメント (0) | トラックバック

July 06, 2005

シトロエンC3プリュリエル

 「ニッポンプロダクトの一つとして」の会場になったウィメンズプラザの前にあるオーバルビルの1階にシトロエンのショールームがある。7月2日の午後、講演と懇親会の間の時間にちょっと抜け出して見てきた。ぼくにとっては、久しぶりに好奇心をそそられるクルマ、シトロエンC3プリュリエルの現物が置いてあるのを行きがけに見つけたからだ。長いあいだ、CITROENのホームページの上だけでしかみられなかったやつだ。
 クルマというものは、もうとっくのむかしに基本的な部分は完成してしまったと、ぼくは思う。その点では、建築によく似た状況なのかもしれない。屋根と壁と開口があればそれは建築だというのは紀元前から変わらない。このところのクルマたち、とりわけヨーロッパのメーカーのクルマが新しい方向に変わり始めていると、ぼくは感じていた。とりわけそれが顕著なのがプリュリエルだと、ぼくは思う。

 iMacがアップルを救ったのも、パーソナル・コンピューターが同じような環境に達したときだった。パーソナル・コンピューターというものの基本的なありようと性能がおおかたできあがったころ、そしてアップルが青息吐息だったころにスティーブン・ジョブズが帰ってiMacを企画して発表した。コンピューターの概念とデザインを一変して、うしろからも見てほしいようなかわいいヤツになった。フロッピードライブがない。USBなんていうものがついた。インターネットがあるからこれでいいんだというのも、そのときは実感がないまま、ぼくたちはMacへの思いを新たに深めた。パーソナルコンピューターとコミュニケーションのあいだが切っても切れない関係になるときだったのだ。

 4つのタイアに人間の腰掛ける空間を載せて、エンジンを回して移動させるという、クルマの基本的な概念は、発明されてから現在まで変わらない。しかし、大きな物体が人をのせて道路を移動するという性格上、安全という特別なそしてもっとも重要なハードルを常にこえつづけ、排気ガスという障害物も加わった。それでもクルマは、本質的にはほとんど変わらないまま現在に来た。
 このところのクルマたちの変化は、車内の人間をどうきもちよくさせるかということを、考え始めたことにある。プジョーが、屋根のほぼ全面をガラスにしたら。ホンダもさっそくエアウェイブをつくる。その前に、ホンダはフロアシフトをやめてコラムシフトに変えることで、ふたつの前席の間に隙間をつくろうとした。車内の空間が連続した。シートのレイアウトのパズルには、トヨタさえ熱を入れている。
 プリュリエルは、はじめは雑誌で見たのだったと思うが、5つのタイプがあるのだとぼくは思った。シトロエンのホームページを見ると、そうじゃないんだ。サルーンと言っている状態からキャンバストップ(正確にはキャンバスではないし、4層で構成される)が電動で開き、リアウィンドーを回転させてトランクの下におさめ、キャンバストップのガイドであるアーチを外せばすっかり開放的な状態(スパイダー)になる。リアゲートを後ろに倒すとそこに腰掛けることもできるぞというのだった。ディテールも魅力的につくられているし、色もちょっとくすんでしゃれている。クルマの写真をみてぼくは久々に胸を躍らせ、ブックマークをつけた。それから1年以上が経った。(いまでは本家のサイトよりも、むしろシトロエン・ジャポンのサイトの方が、説明が充実している。もちろん日本語で書かれている)
 こいつは、最高速度やゼロ4加速なんて数字であらわす性能にはなんの頓着もない。たのしい、気持ちいいということが、なにより大切なのだ。そういう価値を重視する時代の車なのだ。十年以上のながいあいだ、ぼくはクルマに惹かれるということはなかったけれど、こいつは違うと思った。
 ショールームでほんものに触ってみて、屋根も開閉してもらったし運転席にも座った。予想と違ったのは、思いのほかしっかり重厚につくられていたことだ。シトロエンは、エンジンの大きさの割に体がおおきくて、だから軽くてちょっと薄くつくってある。でも、中に入るときもちいいというやつだったとぼくは思うが、ドイツの車のようにしっかりしている。ユーザーというのは全くわがままなものだ、ぼくはシトロエンらしくないなと、ちょっと肩すかしを食った気がした。しかし、こんなに可動や取り外す部分があっては、いい加減な精度ではすまされないのだろう。
 乗用車は、とにかく速くしずかに移動するという基本性能は当たり前のことになって、気持ちよく車内にいられることにとどまらずに、開放的であることによって周りの世界へ溶け込もうとするようになったようだ。でかいほどいい、黒ガラスで中を見られないようにしてバーまで付いているぞなんていう車とは、正反対の方向にある。
そこで、建築を思う。Be-h@usが50年間の88ひとつだとされたのは、そのシステムに基本性能をあずけて、きもちよくまちに開くすみかを考えることに力を注ぐんだよという意味なのかもしれない。

追記0708
ところでplurielってなんだろうかと思って仏和辞典を調べたら「複数の」とあった。フィアットのムルティプラも僕はとても好きだけれど、これも英語でいえばmultiple「複数の」という意味に違いない。同じく「いろんな使い方ができる」ということなんだろう。「世界の自動車」という本が毎年出ていたのを子供のころに愛読していたが、その中の数々の車でも好きな車のひとつがフィアット・ムルティプラだった。それはフィアット500の兄貴分というかんじのやつで、ワンボックスの後ろが緩やかに低くなっているようなのがかっこいいと思った。ぼくも元々そういうくるまが、すきらしい。
いろいろ言うわりには、十万で譲り受けた黒塗りのセドリックやゼロ査定のローレルを外国に行く友人から引き継いだりして、いまは、死んだオヤジが十年も乗ったのにメーターに3万キロ台の数字が残されていたプリメイラに乗っている。だから、「きみも思想のあるクルマに乗ったら」なんてことを言われたりする。
でも根底には、車は道具だという思想を持っているつもりなのです。

投稿者 玉井一匡 : 12:50 AM | コメント (2) | トラックバック

March 05, 2005

イームズ展

土曜日の昼前にチャールズ&レイ・イームズ展に行って、ぼくはとても気持ちよく帰ってきた。
 近頃はイームズが人気なのだそうだが、そのわりには土曜日の昼すぎという時間帯にしてはすいていて、ゆっくりと見ることができた。人気が「イームズ」をブランドにしてしまわないように、この展示はイームズ夫妻の考え方見方を伝えることに重心を置いたからなのだろうか。

 どんな些細な身近なものの中にも美しさがあり、宇宙を含めた世界を理解する鍵が潜んでいることを、イームズは表現し伝えることができた。「Pwoers of 10」では、ミシガン湖とおぼしき湖のほとりでピクニックをたのしむ二人をとっかかりにして、十億光年の単位(10の+21乗)の宇宙からオングストローム、もっと小さいフェルミ(という単位があるのも知りませんでした)の単位の原子核(10の-18乗)まで、わずかな時間の映像で10倍ごとにスケールを表現してみせた。だから「10の力」なのだ。

  ぼくがイームズの椅子を世界観や生き方と結びつけて考えられるようになったのは、川合健二の自宅にイームズのラウンジチェアとオットマンがおかれ、外にはベンツのトラックとポルシェが置かれた写真を見て、オフィスの役員室や金持ちのリビングルームのための椅子ではないことを知ったときからだったのかもしれない。この椅子の原型になった、合板の椅子も展示されていた。この椅子の方が、ぼくは惹かれる。

 ある会議で同席したイームズ夫妻を、チャールトン・ヘストンが描いた鉛筆のスケッチがあった。イームズがヘストンを描いたのかなと思うくらいのもので、となりに並んでいたイームズによる他の人のスケッチよりもむしろいいくらいだったから、「ボウリング・フォー・コロンバイン」にあらわれた時の情けない様子のヘストンを、ぼくはちょっと見直した。そう思ってみると、アメリカの銃を保有する権利というのは「革命権」を認めることなのだときいて感心した高校時代のことも思いだした。
大丸ミューシアムで3月14日(月)まで

投稿者 玉井一匡 : 04:39 PM | コメント (4) | トラックバック