
うちに帰ると、ミスタードーナツの袋がテーブルの上に載っている。となりにはドーナツが三つ、じかにテーブルの上で肩を寄せ合っている。ブログと電話で、それが食べられないものであることを、すでに僕は分かっている。スコッチのメンディングテープのドーナツ型ディスペンサーである。
これを36個も「おとな買い」した人が送ってくださったのだ。
お礼メールをおくるために、ぼくはiPhoneを取り出して写真を撮ろうとしたら、かみさんが何かを持ってきた。テーブルの上にじかじゃないほうがいいでしょうという。紙のレースと皿だった。
ぼくは、ほんとうのところ、そんなものはない方がいいと思いながら、せっかくだからその上にプラスティックのドーナツを載せた。しかし、それだけではまだ芸がないから、ちょうどロールケーキがあったのでとなりにひと切れを乗せた。
そうやって四つを並べると、紙のレースのお蔭でドーナツは本物らしく見えてきた。iPhoneのShakeItPhotoで撮ったポラロイド風の写真では、プラスティックと本物の境界がわかりにくくなる。本物のロールケーキは偽物のように見えるが、プラスティックのドーナツは逆に本物のように感じられるからだ。
「秋山さんはミスドの店の設計をしていらしたことがあるんでしょ、ミスドの景品かと思ってた」
「いや、いろんな組み合わせをつくるために36個も買っちゃったんだよ。もしかするとこれを送る袋のために、わざわざミスドのドーナツを買ったのかもしれない」
そう言いながら写真を撮って、お礼メールに添付して送信した。
数分後に返信が来た。
「ご想像の通り、ミスタードーナッツに行って(一人では恥ずかしいので家内と……)10個買って箱に詰めてもらって、一つ一つ差し上げるので……と言って、袋を十枚もらってきました。もちろん、本物は食べてみましたが、一個100円で、意外においしいものでありました。
まぁ、一生懸命遊んでみたのでありました。」
ありがとうございます。
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ぼくの病弱なMacBookが6回目の入院をしている。おかげで、自宅ではMacをさわることのできない日々が続く。かえって自由だと思うこともあるけれど、おおかたは不便なことが多くてとりわけblogのエントリーが億劫になった。娘のMacBookを借りて冬の雪国の食べ物でもエントリーしておこう。
半月ほど前まで、新潟のスーパーマーケットでは生の筋子を安くたくさん置いてあった。となりには、三枚におろした生鮭を三つほどに切り分けたパックが並んでいる。腹を割かれた上に筋子との親子の中も引き裂かれたんだろう。値段のシールに書かれている用途は、生の筋子が「醤油漬けに」、成魚は「鍋物、バター焼きなどに」とあるけれど「焼き漬けに」とはない。小ぶりなやつだが鮭の半身まるごとが500円ほどのパックがひとつあったから筋子を三つとそれを買った。
夕食のあとにイクラは醤油漬けに、鮭は焼き漬けにした。近頃、醤油漬け用の生筋子は東京でも買えるから作り方も知られているが、焼き漬けは昔から新潟でつくられてきた保存食で、すこぶる簡単にできるし旨いのだがあまり知られていないようだ。
新潟の鮭の伝統的な切り身は独特の切り方をする。ふつうの切り身は切口が背骨と直交する方向に切るけれど、新潟の伝統的な切り方では、背骨と平行な方向を大きな切り口になるようにするのだ。
老舗「小川屋」の鮭だとこんなふうに切る のだが、これは大きい上等な鮭の場合で、ぼくがスーパーで買ってきたこの鮭は小ぶりだし上等でもないから肉が薄いので扁平にならざるをえないが、焼き漬けにするには、この切り方の方がくずれにくい。
それを、中まで火が通り表面がうっすらと焦げ目のつくほどまで焼く。その間に浸け汁をつくる・・・といっても簡単この上ない。なにしろ、酒5:醤油5:味醂1くらいの割合を軽く火に掛けてアルコール気を飛ばす。焼けた鮭を容器に入れて上から付け汁を注いで、冷蔵庫に入れておくだけだ。翌日にはもう食べ始めた。あまり上等でない鮭でも、味付けで補うことができる。
真空パックで中身が見にくいが、いい材料をつかった「小川屋」の鮭の焼き漬けは、こんなぐあいだ。できばえも違うが値段もちがう。
牛を屠る/佐川光晴著/解放出版社
(左の、本の表紙をクリックすると作業の流れ図が見られます)
先日エントリーした「内澤旬子と三匹の豚」へのコメントで、AKIさんが朝日新聞の書評を読んでこの本を注文したと書いていらしたのを見てぼくも読みたくなってしまった。その後、AKIさんは自身のブログaki's STOCKTAKINGで「牛を屠る」についてエントリーをされた。どうしたって、ぼくはこれを内澤旬子の「世界屠畜紀行」と比較せずにはいられなかったが、著者自身も「世界屠畜紀行」について文中でふれている。
内澤が「屠殺」でなく「屠畜」ということばを使いたいと言っているが、佐川は自分の実感としては「屠畜」ではなく「屠殺」なのだという。それが、佐川と内澤との立場の違いをあきらかにしているのだ。
「屠」を訓読みすれば、この本のタイトルのとおり「ほふる」だ。このごろはあまりつかわれない言葉だが、かつてスポーツ紙の相撲の見出しなどで相手を「ほふった」という言い方をすることがあった。iPhoneの国語辞典「大辞林」に相談してみるとつぎのように書かれている。
<①鳥や獣の体を切りさく「牛をー・る」 ②試合などで相手を打ち負かす「優勝候補をー・る」>
内澤は、全体の工程からすれば殺すという行為はほんの一瞬のできごとであるから、屠殺より屠畜のほうがふさわしいと、まえがきにも書いているのだが、これに対して佐川はまったく別の感じ方をしている。死んだ牛たちの体は、しばらく体温を持ち続けるから作業場はとても暑くなり、作業に関わる人たちは体を動かすからでもあるが、体を牛たちに密着させていて体温を受けつづけると汗びっしょりになり、佐川の長靴の中には汗がいっぱいたまってしまうほどだという。それは、二人の立ち位置の違いによるものであるのはいうまでもない。内澤は各国の屠場をめぐってイラストルポを書いたすぐれた観察者であるが、佐川は浦和の屠場の中で10年近く働いてみずからの手で牛を屠り、その結果として屠殺がふさわしいと思うようになったのだ。
作業の中にいた佐川は、毎日ていねいにナイフを研ぎ何百という数の牛に密着して皮と肉の間にナイフを入れる。この作業が、牛の解体の中で、もっとも熟練を要するしごとで、刃の微妙なあつかいしだい、それがもたらす表面の状態しだいで、あとの作業のしやすさも肉のできも左右される。一頭ごとに千差万別である牛の状態を敏感に読みとりらなければならないはずだ。だとすれば、牛たちを、死んで食材と化したものにすぎないと感じることはできないのだろう。機械が額を叩く一瞬を境に生命が終わるのではなく、まだ生命はありつづけるのかもしれない。
皮肉なことに、いや、もしかすると当然のことなのかも知れないが、佐川をはじめとして同僚たちは、ぼくたち消費者がもっぱら調理と食べるだけで牛豚に接しているよりもはるかに牛たちの生命を感じ大切にしているように感じられた。
ぼく自身の感じかたにも思いがけないところがあった。たしかに、一頭の牛を食材に変えるまでのさまざまな過程を読むと、つらい思いをさせられるところがある。だが、それよりもはるかに感覚的にこわさを感じてぞくっとするようだったところがあった。著者が、ナイフを握る手を滑らせて指を深く切ってしまうくだりで、ぼくは読みたくなくて途中でページを飛ばしてしまった。たまたまそのあとにAKIさんから電話があった。ぼくはそれを話題にしたわけではないのだが「ナイフで怪我をするというようなのは苦手なんだ」とAKIさんもおっしゃる。
だとすれば、人間の指の一部を切るという怪我が、牛を殺すことよりもはるかに強く想像力を刺激するという反応は、人間が自分をまもるために身につけた大切な仕掛けのひとつなのかもしれないと思った。そのあとで気を取り直して、ぼくはもう一度もどってそこを読み直した。
■関連エントリー
「世界屠畜紀行」/MyPlace
「牛を屠る」/aki's STOCKTAKING
「内澤旬子と三匹の豚」/MyPlace
生活の設計/aki's STOCKTAKING
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「世界屠畜紀行」を書いた内澤旬子さんが3匹の豚を自分で育てた。それをみんなで食べようという会が、神楽坂のiwatoで開かれるとmasaさんから聞いた。彼女のブログ「内澤旬子 空礫絵日記」にそのイベントについて書かれている。
しばらくぼくは読んでいなかったから、彼女が豚を育てていたことすら知らなかったが、ひどく興味をひかれて、豚を食べに行こうと思った。
9月29日の夜、会場は牛込神楽坂の駅の近く、新宿区岩戸町にある芝居小屋 iwatoだ。昨年末に「明治百話」という芝居を見に行った劇場だ。その「明治百話」に参加した娘に知らせたらすでに知っていたので一緒に行くことにした。そのときにいらしてくださった皆さんにもお知らせすればよかったと途中で気づいたがもう遅い。ぼく自身も当日まで行けるかどうか定かでなかった。
17:00から22:00までと書かれていたのでぼくたちは七時半ころにiwatoに着いたが、すでに大盛況、150人と書かれていた人数はとうに超えているようだった。会費を払って中に踏み込むと、宴たけなわと言いたいが時すでに遅く、テーブルの上にはほとんど空の皿に挽肉の料理が散っているばかり。だれにも声をかけなくてよかったと、むなしい安堵。
豚3匹といったらとても喰いきれないほどあるだろうと勝手に思いこんでいたがとんでもない誤解をしていた。豚を食べる会だと勝手に思いこんでいたが、「内澤旬子が自分で育てた豚」をみんなで食べるという会であって、あたりまえだが食べることそのものが目的ではないのだ。・・・多めに出して残してしまうということはしたくなかったし、肉の量と参加者の兼ね合いがなかなか難しかったという事情が、「内澤旬子 空礫絵日記」に書かれている。
会場は、昨年来た芝居小屋の客席を取り払って平らにした床、高い天井、塗装の剥げた壁、あふれる人、ぎっしりと詰まった会話と騒音、豚の映像、どこか中国の片隅のようで、ぼくはそれがすっかり気に入った。となりの酒の安売り店とコンビニで空腹を満たすものは調達した。
僕たちが中に入ると、ちょうど内澤さんが前に立って話をするところだった。「わたしの育てた3匹の豚のために、こんなに沢山の方が集まってくださって、ありがとうございます」と話すとなりには、プロジェクターから生前の豚たちの姿が映し出されている。解体は、プロの手によって食肉加工場でされたそうだが、その様子はうつされていなかった。次々と人が寄ってくる内澤さんにはどのみちゆっくり話を聞けそうもなかったから、離れたところから見ると想像通りの人のように思われた。
ぼくたちは、生きている魚をさばいてすぐに食べることにはほとんど抵抗がないけれど、大部分の人は哺乳類が解体されるのを目にして肉を食べたことはない。それはきっとつらいことだ。しかし、それは人任せにしてしまえば、食べることは何の抵抗もない。そのうえ、その作業をする人たちを差別した。ひどいはなしだ。
明治になるまでは、魚や鳥は食べたが「肉食」をしてはいけないことになっていた。とはいえ、イノシシやウサギは食べた。クジラは魚の一種だと考えていたから、イノシシはヤマクジラと呼んでクジラの一種のようにしたし、ウサギは大きな耳を翼とみなして「一羽、二羽」と数え、鳥の一種であるということにして食べてきた。日本人のこういう融通性に満ちた生き方は、ぼくはきらいじゃない。しかし、肉食がふつうの習慣になると、屠畜というつらい作業はそれまで皮革製品の加工をしてきた専門職にあずけてしまったのだ。
その理不尽に立ち向かうには、ベジタリアンになるか、生き物のいのちをもらうことを事実として正視できるようになることだ。内澤旬子は後者の道をとって、「世界屠畜紀行」を書き、今度はさらにはもう一歩踏み込んでみずから豚を飼い、それを食べるという行動に挑んだのだろう。それを岩波の「世界」に連載することになったということも、この日話した。
だが、世界屠畜紀行には解体を目にすることのつらさについては書かれていないし、この会でも触れなかった。しかし、表情を見るかぎり、彼女はそれをたのしいこととは思っていないようだし、つらい思いを感じない人だとは思えなかった。この会の終わりの方では、ひとに会わないと言ってひとり奥に籠もったそうだ。
「明治百話」の芝居では、山田浅右衛門が物語の軸のひとつになっていたことを思い出した。彼は、明治の初期までつづけられた斬首刑の首切り役人をつとめ、知行のかわりに死者の肝でつくった薬を売ることを認められていたという。あの芝居のテーマも「いのち」、そしてそれを食べることだったのだ。
■追記
昨夜、たまたま須曽明子さんに会った。現地ではあえなかったが彼女もこれに参加したそうで、内澤さんが引き籠もったのはこの日が原稿の締め切りで、編集者が会場に来て待っているという状態だったからなのだったという。ちなみに須曽さんは5時頃からふんだんに豚を食べたそうだ。ぼくの「世界屠畜紀行」は、ぜひ読んだほうがいいといって、押しつけるように須曽さんにお貸ししていたのだった。
■関連エントリー
*世界屠畜紀行/MyPlace
*明治百話/MyPlace
*「明治百話」の初日/MyPlace
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新潟のスーパーマーケットでマダラの肝をみつけた。
日本中、どこもかしこも同じような都市になり同じものを売っているが、魚屋や八百屋には地方の特色が残されている。生産量や漁獲高がすくなくて流通ルートに乗りにくいものや傷みやすいものが均質化の魔手からこぼれおちるのだろう。新潟では、スーパーマーケットの魚売り場でも、ときどきめずらしいものがみつかる。アンキモは人気ものになってしまったから、値段が高いか中国産であることが多くてあまり欲しいと思わないのだが、タラのキモは新潟では安い。新潟産で364gが211円、100gあたりにすれば58円にすぎない。同じ店で、以前にマンボウのキモを買ったこともあったが、それも同じような値段だった。並べて比較したわけではないが、いずれも味の甲乙はつけがたいと思う。
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アンキモの作り方はだいぶ前に叔母にきいたので、それを思い出しながらタラキモも同じようにやる。記憶の定かでないところはGoogleで探して確認した。
蒸すだけのことだが、その前にちょっと手を加える。表面の薄皮をむいて軽く塩をして酒を振りアルミフォイルで円筒形に包んでハムのミニチュアのような形にする。(写真を撮ることに気づいたときには、ひとつを食べ終わってしまった)
なにもアルミのゴミを増やすこともあるまいと思ってそのまま蒸したこともあるが、皿に載せたときにいかにも摘出した肝臓という風情で、手術に立ち会ったことのある人などは食欲をそがれるだろうし幾何学的な形ではないから切り分けると大小の違いがはなはだしいから、家庭でも居酒屋でも分配がむずかしい。アルミフォイルの代わりにラップフィルムを使ってみたら、形がととのわない。やはりアルミがいいようだ。両端をキャンディの紙つつみのようにねじればしっかり形が固定する。蒸気が通るように楊枝でぶつぶつと穴をあけて蒸し器に入れるだけだ。
アンキモはくすんだオレンジ色だからなかなか美しいが、タラのキモはグレイがかった肌色で、ちょっと食欲の邪魔をされる人もあるかもしれないから、すこし派手な器に入れた。ぼくはこの316gを二回に分けて、大部分を自分で食べてしまった。
このとき、40cmほどの生きのいい鯖もみつけたので「この鯖は締め鯖にできる?」と、奥の加工場にいるお兄さんにたずねると「シメサバはむこうにあります」と、できあいのシメサバのあるあたりを指さす。中まで真っ白になった締め鯖なんて食べたくないと思うから黙っていると奥にいるおばさんが大丈夫ですよと言ってくれた。新潟では地元の鯖がすくないらしく、シメサバにできるといわれたのはひさしぶりだ。
タラの肝150g近くとシメサバの半身を食べるのだから、魚のだとはいえ脂肪が多い。酒の肴でなく白い飯のおかずにするというと飲み助はもったいながる。(ぼくは食べ急いで、シメサバの写真を忘れてしまった)野菜は小鉢にいっぱいの大根おろし。
カワイの肝油ドロップ
ぼくたちの子供時代に肝油ドロップというのがあって、ときどき学校で配られたが、その原料がタラの肝油だと言われていた。「カワイの肝油ドロップだ」というコマーシャルソンが頭のすみに残っていたから、ためしにGoogleで「カワイの肝油ドロップ」を検索してみると、まだ存在しているではないか。しかし、Wikipediaによれば、現在の河合製薬の肝油ドロップはタラの肝油をつかわずに、ビタミンAをいれたものなのだそうだ。
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”蝉の殻をあつめる人”のエントリーでChinchiko-Papaのコメントに反応して、蝉の殻を食べてみるとコメントで公言してから、いつのまにか数日が経ってしまった。
意識して引き延ばしたわけではないけれど、ついつい押されてしまったのはやはりいまひとつ美味そうに思えなかったからなのかもしれない。新潟に来た翌日の朝、5匹の抜け殻いや5匹分の抜け殻を集めた。研究する人のために残す配慮はいらないから、すこし多めにとってきたのだ。それを、AKIさんが泊まった昨夜、やっと食べて見た。
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天ぷらにしてみるかとも思ったのだが、ころもをつけて揚げれば何でも同じ天ぷらになってしまう。もみじの葉っぱなんてうまいはずもないが、天ぷらにして食べるとけっこううまくなる。だから、カラそのものの味を試したいし、かけことばにも惹かれて、カラあげにすることにした。
何もつけずに、水で洗って乾かしたやつをそのまま油にいれた。ちょっと揚げすぎたのかもしれない、だいぶ黒っぽい色になった。1匹を秋山さんに強引に勧めた。おそるおそる醤油をつけて食べてみる。たとえば小エビのから揚げなら、いかにもうまそうな匂いがするけれど、こいつは匂いというものがなにもない。エビの殻のように揚げたときに膨らむということもない。まだかまだかと揚げているうちにただ黒っぽくなつだけだった。噛むと細かい破片になって口の中にはりついて、ただ食べにくいだけだ。うーむ、残念ながらすこしもうまくない。とにかく、4匹分を食べた。
人間だって生物である以上、身体が必要とするものは美味しいと感じるようにできているはずだ。だから、ぼくはうまいと感じるものをたべることにしている。
つまり、うまいと思わないものは、身体が必要としていないのだ。・・・と思う。
味覚というものは人間が食べる必要のあるものや食べてはいけないものを選別するために備わった知覚であるにちがいない。
しかし、ぼくたちの祖先は、あるときは飢えとたたかうために、あるときは好奇心からその知覚の境界に挑んで、旨そうには見えないがじつはうまいというものを発見することで、すこしずつ少しずつ範囲を拡げてきたのに違いない。・・・だが、こいつはダメだと、ぼくは結論づけた。
昨年、園芸店で売れ残りの貧相な、けれども安い苗を買ってきてプラントボックスに植えたレモングラスが、ことしはすこぶる元気よく育った。
小ぶりのススキという風情だが、ススキよりも葉のみどりが深くて、置き去りにされて育った稲のようで美しいから、朝日を受けた葉群れをほれぼれと見てしまう。この株から毎日のように10枚たらずの葉っぱを切り、半分を朝食のときにレモングラスティーにして、のこりを事務所に連れてゆく。
葉を3、4センチの長さに切ったのをポットに入れてお湯を差し、2,3分ほども置いておけば、お湯はうすいきみどり色に染まる。レモングラスというけれど、ぼくは頭の中にすこしもレモンを思い浮かべることはない。レモングラスはレモングラス以外のなにものでもないのだ。
Click to PopuP ぼくはハーブティーというものはあまり好きになったことはなかったのに、レモングラスティーだけはクセになった。生のやつをお湯に浮かべただけという野趣も手伝ったのだろう。レモングラスティーをうまいと思ったのはラオスのカフェで飲んだときだったが、そのときにはたくさんの茎がカップの表面に浮かんでいて「ティー」の水面の色は見えないほどだった。ポットにいれず、カップに茎をじかに入れてお湯を注いだんだろう。
Click to PopuP しかし、自分のうちで育てたレモングラスはもったいなくて、まだ茎を切る気にはならない。だから、ひとつの茎から一枚ずつ、葉っぱを徴収する。そうやっている数日のうちに、また新しい葉を伸ばせばいつまでも減らないと期待しているのだ。奥にあるやつは葉っぱの間をかいくぐって葉を取るから、手前の葉で肘から先に小さな切り傷がたえず、血が出るほどじゃないが、しばらくチカチカする。はじめは指先で葉をちぎっていたが、はさみを使うようになって傷が減った。
■追記・葉と茎:カップに入れたふたつの写真を見ると、別物なのだろうかと気になってWikipediaで調べてみた。
日本語のサイトではみどり色の葉を茂らせるやつが生えている写真しかないが、英語のサイトでは市場の店に積み重ねたものの写真もある。説明によれば、葉っぱはティーとして出荷され、残った茎が束になって市場に出てくるのだという。そういえば、レモングラスの香りってのは、菖蒲湯のときの菖蒲の茎に口をあてて空気を吸い込んだ時の味に似ているような気がする。
*Wikipedia(日本語版):レモングラス
*Wikipedia(英語版) :lemon grass
信濃追分にしごとで行った帰りに、軽井沢のスーパーマーケットで生のルバーブを見つけた。葉っぱを取って茎だけになったやつがズイキのように7,8本の束になっていたが、店で売っているのを見たのは初めてだった。山と自然をとり続ける写真家森本二太郎さんは、かつて長野県の八千穂にティピーテントをつくって家族5人で住んでいらしたことがある。15年ほど前に、家族でそこに遊びに行ったことがあったが、その庭に沢山栽培されていた。帰りがけにジャムを一瓶いただいたのがそもそもルバーブなるものを知った初めてのことだった。林望の「イギリスはおいしい」にも、ルバーブのことが書かれているが、あまり美味いものだとしては書かれていなかったような気がする。漢方薬で大黄とよばれる緩下剤として使われるのがルバーブなのだそうだ。英語版のwikipediaの記述は、さすがにていねいで写真も豊富だ。
サラダなどにも使えると、どこかで読んだおぼえがあるので、スーパーにおかれていたやつの端を2センチほど折ってそっと試食してみた。青リンゴのような甘酸っぱい味がする。生でもけっこういけそうだ。迷った末に一束をレジに運んだ。380円なり。
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インターネットでルバーブジャムの作り方を調べた。2〜3cmの長さにブツブツと切って同量の砂糖を加えて10分とちょっと煮れば簡単にできるそうだ。茎の根本の方は赤くて上の方がは緑なので、ふたつに分けると2色のジャムができると書いてあるものがある。なるほど。
しかし、色が違うだけではちょっと面白くないから、緑色の方には、火を止める寸前にみじん切りにしたやつを入れた。5本、450gほどをつかって砂糖は80%くらいにした。
砂糖は足りなければ、あとで足せばいい。レモンを半分しぼった。どろどろの液体にならないように少し早めに火をとめた。たしかに簡単このうえないし、ジャムとしてもうまい。が、砂糖はもっと少なめの方が酸っぱさが残っていいかもしれない。シルバースプーンというイタリア料理の本によれば、砂糖が50%と書かれている。瓶に入れたままで見ると黒っぽい色になってしまうけれど、器に少し入れて2色をならべるとなかなかきれいだ。やはり2色作った方が食欲をそそる。
Terrence ConranのThe Essential Garden Book にはgiant rhubarbという名の植物写真が載っているが、これでなくともルバーブは葉っぱが大きいので観葉植物としても楽しそうだ。そのうえうまくて、薬にもなるんだから、文句のつけようがない。
■追記1
kadoorie-aveさんがコメントをくださって、5月23日のONE DAYのエントリーでルバーブのジャムのことを書いたと教えてくださった。そちらの方が丁寧かつ写真も多く、いつもながら美味そうなので、作ろうとお思いのかたは、これをClickしてください。:ジャムの季節/ONE DAY
■追記2
盛岡在住のaiさんもコメントを下さって、ご自身で育てたルバーブについてエントリーしていらっしゃると教えてくださった。ルバーブはこんな植物というタイトルだから、畑に生えている様子が写真で見られるのです。
■追記3
念のために、上記の「イギリスはおいしい」の、ルバーブの書かれているところを読み返してみた。その章のタイトルが、なんと「下剤のジャム?」というのだけれど、じつは著者はルバーブをむしろとてもおいしいし、コンポートやパイにしてもおいしいと書いている。それによればジャムは材料と同量の砂糖をつかうとあった。
宅急便の小さな包みがとどいた。送り状のシールの品名欄には「遅すぎた春の香」と書いてあって、ほかに「午前中」と「ナマモノ」というシールが二枚。つつみの軽さとはかなげな手ごたえと「ご依頼主」の氏名から、中に何があるのかは想像がつく。
・・・開いてみると、案の定の香りがこぼれる。ふきのとうだ。
以前に送っていただいたのはいつだったか、エントリーを検索すると「ふきのとう・?・檸檬」というエントリーで、3年前の3月2日だった。
「このくらいに咲いたのが、あと20ケくらい、明日はぐーんとのびて20〜30cmくらいになるでしょう。」と書かれた背の高いのが1本、中くらいのが1本。ぼくたちの食べるふきのとうの茎の5~6倍ある。それを見て、本当はこれが蕗の「塔」なんだと気づいた。
都会の川の斜面などで、だれにも食われることなく生き延びたふきのとうは、視界に入っていたはずだが初めて見たとしか思えない。無意識のうちに、食えないやつはふきのとうという概念から排除していたのだ。これが「海馬」のはたらきなんだろう。夜には自宅へ連れ帰ったが日付がかわっていたので、天ぷらを揚げて食べようとはさすがに思わない時間になってしまった。とはいえ香りの飛ばないうちに加工しておきたいので、みんなふきのとう味噌をつくった。・・・また飯が進む。
Click to PopuP いま、これを書いている新潟には「とうな」というのがある。冬の終わり春の初めという季節、菜っ葉に塔が立ってはいるが外からはまだ蕾が見えないというくらいのやつを食べるのだ。菜の花は、花のつぼみたちが主役だが、とうなは茎だ。といっても、塔の立った菜っぱの一般ではなくて、そうやって食べるための品種がある。
おひたし、味噌汁、煮物などにさっと熱を通して食べると、独特の香りとほんのり甘みがあるのうまい。ところがその甘さは、時間とともにみるみるうちに減ってゆく。トウモロコシや枝豆と同じように、とうなはその変化がはやい。だからなんだろうが、かつてはスーパーなどでは買えない季節の味だったが、保存と輸送の技術と品種改良のおかげなのだろう、この頃では地域ブランドをつけた「女池菜」とか「こばり菜」と呼ばれるものがスーパーで買えるようになった。ぼくは「塔菜」なんだと思っていたのだが「冬菜」と書いてあるのもある。しかし、畑からとれたてのやつにはとてもかなわないとおもうのだが。・・・と書いたら、なんと翌朝に、作一さんがとれたてを届けてくださった。
「ふきのとう」のかすかな苦みや、「とうな」の甘みのようなほのかな味で季節の変わり目を楽しむというのは、いい文化だと思う。
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まだ冷たい風の中に春が潜むこの季節の気配を感じると、ぼくはなにやらうれしくなって、こころが騒いでくる。
なにも人形が好きだというわけではなくて、そういう理由からなのだが、いい歳をして雛祭りというやつが好きだ。こどもがふたりとも娘であることに乗じてそれらしいものを食べたくなる。一日はやい3月2日だったが日曜日にばらちらしをつくることにした。
冷蔵庫にレタス、冷凍庫に小エビと生食用のホタテ、正月の残りの手まり麩を発見した。99円ショップで買ったアボガドが窓際にひとつ置いてあった。干し椎茸は探したがみつからない。スーパーで刺身用サーモン、菜の花、穴子を買う。サラダ用にトマト、アスパラガス、カイワレ大根、それにエリンギと卵。
娘の友人が天草から太刀魚をことづかってきたというメールを受けて、娘が受け取りに行った。持ち帰ったビニール袋には7、8匹ほどが入っていた。そのときにはもう、他のものはできあがっている。さて、どうやって食べようか。早く、そしてなによりもうまく食べたい。ちょっと切って食べてみたら、充分に刺身でも食べられるぞ。
最後に帰ってきた次女は、ケーキを連れてきた。
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献立は、吸い物(手まり麩とエリンギにカイワレを浮かす)、サラダ(レタス・ちびトマト・ホタテ・アボカド・カイワレ)、茶碗蒸し(エビ・ホタテ)、ばらちらし(穴子・エビ・菜の花・サーモン・卵焼き)太刀魚の刺身、太刀魚のムニエル
ぼくの料理はほとんど自己流だが、寿司酢の割合はすぐに忘れるので「美味しい方程式」を参考書にするけれど少し甘すぎるから少し酢をふやす。ばらちらしというやつは、さほど手間がかからないわりに華やかで春めいている。というか、ぼくはそういう風につくりたいのだ。
米を炊くときに昆布と酒をすこし加えるのと、卵焼きをつくり、あとは、生の魚や菜の花を味の濃いダシにしばらく浸しておき、さいごに盛りつけるくらいのものだ。一昨年のクリスマスに、娘の友人がスペイン人の腕によりをかけてパエリアをつくってくれたことがあったが、写真を見てみると、ちらしもサラダも、なんだかパエリアとデザインが似ている。あれに、影響を受けているのかもしれない。同じ材料を繰り返して使っていると、後になって思うが、無意識に材料を節約しているのだろう。
結局、太刀魚は刺身とムニエルにしたのだけれど、早く食べたい一心で薄い身を三枚におろすのに苦労したから盛りつけがすこぶる雑になってしまった。しかし、天草からわざわざ持ってきてくれただけあって、刺身にして食べたのは初めてだったからなおさらだが、とてもうまい。森枝さんが、自分で釣ってきてくれたのだろう。せっかくなら、もうすこし美しく盛りつければいいのにとあとで思ったが、食べたいばかりに気がはやっていた。おろしながら、半身は自分で食べてしまった。
そういえば、加工する前の太刀魚たちの集合写真を撮らなかった。頭としっぽを裁ち落としてあったので、ちょっと残念だと思ったからなんだろう。
東京たいやきめぐり/くいしんぼ倶楽部/バナナブックス/1000円
18のたい焼きと、その店がでている。ぼくもかつて行列するたい焼きというエントリーをしたことがあるから、たい焼きはすきなのだ。「ウィンナを入れたのがたい焼きかよ?」「あそこのたい焼きは入っていないのかな?」なんて、勝手なことを言いながらページをめくる。しかし、この本は「たいやき」のガイドブックであるより、「たいやきの世界」の本あるいはガイドブックなのだ、きっと。どのみち誰もが満足するように店を選ぶことなどできやしないことなのだから、「たいやきの世界」を伝えるには、邪道といわれようが外道と非難されようが、こんなたい焼きもあるんだということを言わなければならない。邪道の存在は、むしろたい焼きという概念と世界の大きさと力を物語るのだ。
日本の文化にあって、鯛という魚は特別な位置を占めている。地鎮祭に生で供え、婚礼に飾り、えびすさまが抱え、正月の食卓の主賓となり、初詣で売られる飾りものにも酉の市の熊手にも鯛は欠かせない。海の幸を代表する鯛という文化の存在を、ぼくたちは無意識のうちに了解してたい焼きを食べる。
バナナブックスには、いまのところ名建築シリーズとジャポニカシリーズがあって、これはジャポニカシリーズの一冊だ。いずれのシリーズも「ひとつの完結した世界」をテーマにしているとぼくは勝手に思いこんで、それを評価している。それを小さな器の中に詰め込めば、なおさらぼくは好きだ。
辞書、図鑑、夭折した詩人の詩集、歳時記、コルビュジェの「小さな家」、列車時刻表、地図帳などがそうであるように、本の中にひとつの世界を詰め込んであるものが、ぼくはすきだ。それをまるごとポケットにいれて外に出るのは、こころ浮き立つことだから、それが小さくて軽ければもっといい。この世界はかぎりない数の小さな世界が入れ籠になっている。それを感じる楽しさを、このシリーズで育てていってほしい。このシリーズは英語でも解説と文章が書かれていて外国人に見せることを意図した本でもある。たい焼きを入り口に鯛と日本文化について豆を甘くして食べるアジアの文化について、西欧文化圏の外国人に語ってやりたいと思いながら気づいた。メキシコのお寺で合気道を教えるアレハンドラが、1年近く前にルイス・バラガンのすてきな作品集を送ってくれた。そのお礼としてこのシリーズをことづけよう。
「さくらんぼのしっぽ」/村松 マリ・エマニュエル著/柏書房
ある文化の中にいるとあたりまえのことが、じつは、外の人間から見ればもっとも興味深いことなのだということは少なくないけれど、何がそれなのかということは、両方の文化を知りものごとを見抜く力のある人でなければ、なかなか気づかない。著者は長年にわたって日本で生活をおくっている。だから、フランスではあたりまえだが日本にとっては当たり前でないことをよく理解し、そのうえでフランスの家庭のお菓子つくりが書かれている。距離と時間を意識した広く透徹する視野があるのだ。
「さくらんぼのしっぽ」とは、さくらんぼの実のヘタのことだろうとは想像がつくのだが、なぜそれをこの本のタイトルにしたのかは、すぐにはわからない。さくらんぼのしっぽのようにありふれたもの些細なものの背後に、じつはたくさんのことがあるということなのだ、きっと。一見すれば小さなことの中に、家族という身近な歴史の背後に、ゆたかな文化と歴史が織りなされているのだということを、行事やお菓子やという具体的な生活の断片を通じてぼくたちに見せてくれる。
ケーキをつくるときは、厳密にレシピの通りにやらなきゃならないと、ケーキをつくる人はよく言う。ぼくは料理はするけれどケーキをつくることはしないので、そういうものかと思っていたのだが、この本によればフランスの家庭ではそんな厳密につくりはしないようだ。計量の大さじと小さじでなくスープのスプーンとティースプーンを、計量カップでなくグラスをつかい、強力粉と薄力粉の区別をせず粉をふるいにかけることもしない。バターでなくマーガリンをつかうことが多いという。
「ケーキづくり」をするのではなく、食べて楽しむためにケーキをつくるというわけだ。そうだよなって同感する。ときどきケーキを作ってストレスを発散する、うちの娘に見せたら、レシピの説明が短くて気楽にお菓子をつくろうという気になるよ、たいていは説明が長くてうんざりするけど、こんな本はないとよろこんだ。これまで彼女は、「こどもがつくるたのしいお菓子」という、子供のためのお菓子作りの本を愛用してきた。
さくらんぼのエピソードはパリコミューンにさかのぼり、ドイツとフランスによるアルザス・ロレーヌの取り合いのおかげで生まれたロマンスがエマニュエルさんをこの世に存在させたこと、エマニュエルさんの叔父上のおかげでコルビュジェがロンシャンの教会を設計することになるいきさつ、etc. そうした家族の歴史と世界の歴史の重なりが楽しいのだ。
この本は著者が15歳の頃から書きためた料理ノートをもとにしているのだという。(上の写真をクリックすると、そのくだりの書かれたページが開きます)また、この本をつくるときから描くようになったのだという魅力的なイラストも著者の手で描かれた。フランスで知り合った日本人と来日して結婚。日本に住んで15年というときにこの本が書かれ、それからさらに10年ほどが経っている。フランスの家庭でつくられるお菓子の本とされているけれど、そんな枠を軽々と飛び出してしまう。お菓子のつくりかたを書きながら、じつはフランスそのものが書かれている。そして、ぼくたちは、同時にそこから日本を読み取るから、文化の翻訳をした本でもある。なにしろ、フランスで知り合って、のちに結婚した日本人とは翻訳家・村松潔さんなのだ。以前に「HOW BUILDINGS LEARNという本」というエントリーで村松さんのことを書いたことがある。村松さんご家族は、AKiさんの設計されたOMフォルクスハウスにお住みになって約10年。家が生まれたころに、この本もつくられたわけだ。昨年末に出版された村松さん翻訳の「ヒストリー・オブ・ラヴ」という小説は複雑な構成にして、とても美しい物語だ。
■AKiさんが、さっそく、この本と村松さんの家のことをエントリーされた。
aki's STOCKTAKING:さくらんぼのしっぽ
■追記 いま、村松 マリ・エマニュエルさんは、全日空の機内誌「翼の王国」に、「vous aimez les madeleines? マドレーヌはお好き? 」というエッセイとイラストを連載していらっしゃいます。
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年末に「わがやのお雑煮大会」への参加をよびかけたのに応えてたくさんの方がそれぞれのブログでエントリーしてくださった。
まちには大型店が道の両側を埋めて地元の商店を閉店に追い込み、日本中のどこもかしこも同じ町並みにしてしまうこの時代にあって、雑煮には「場所の力」がいまもって健在であることが確認された。それには、いまでは生活慣習となっている正月が、もとは宗教的な行事であり雑煮がその重要な一部であることが大きな影響を及ぼしているのだろう。
「石川県加賀のシンプル雑煮」のエントリーに「この雑煮は神饌のお下がりを戴く正月の儀式の一部なんでしょうね。」とiGaさんがコメントを書かれたので、僕はカトリックの聖体拝領について触れた。いささか軽卒で乱暴な書き方をしてしまったので、後日その部分をすこし書き変えたのだが、それにはつぎのような経緯があった。
「わがやのお雑煮大会」におさそいしたkadoorie-aveさんから1月6日にメールをいただいた。三が日あけに締め切りというしごとが3つも入っていたので遅くなったけれど、やっと雑煮エントリーをしたというおしらせだった。だが、そのメールには次のような件りがあった。すこし長くなるけれど、大切なことだと思いkadoorie-aveさんの了解をいただいたので引用する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「それで...あの...。
先程、玉井さんの「石川県加賀のシンプル雑煮」のエントリーを感心しながら拝見していたのですが
コメント欄の「カトリックの聖体拝領は、キリストの血として赤ワインと肉の代わりの種無しパンを食べるわけだから、キリストを食べちゃおうっていうずいぶん野蛮な宗教だと、よく思います。」というところに、少々悲しい気持ちになりました。
私は、その野蛮なカトリック信者です。
「キリストの血として...キリストを食べちゃおうっていう」というのは
すっかり間違いとはいえないのですが、なんだか少々違う。
「好き・嫌い・肌に合わない」ということならば、誰でも好みは自由だから構わないと思いますし、なるほど的を射た指摘だ...と思えることは、批判的な内容であっても
考えるきっかけになるのですが。。。
「野蛮」というのは、なににつけ、相手への無理解と軽蔑の意味を含んでいて、同意できる大多数のお仲間の間では問題がないのでしょうが、それ以外の人々を疎外する、寂しい言葉だと思うのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは抗議というようなものではなかったが、そのとおりだと軽卒を反省してぼくはつぎのように書き替えた。「カトリックの聖体拝領は、キリストの血として赤ワインと肉の代わりの種無しパンを食べるわけだから、キリストが肉体を分け与えることを思うたびに、肉食文化の神であることを実感します」と。
最後の晩餐で、キリストが弟子たちに別れを告げながらワインとパンを与え、わたしの血と肉だといったのを儀式化したのが聖体拝領だ。けっしてぼくはカトリックに否定的なわけではないのに、それをもって「キリストをたべちゃう」「野蛮な宗教」なんていう書きかたをしてしまった。ぼくはカトリック系の幼稚園にゆき、母方の祖父が長崎県の出だったから平戸出身でフランシスなんていう洗礼名をもつ農家出身の学生が身近にいた。井上ひさしによれば、カトリックはじつは異教に対して寛容なのだと書いていたのを読んだことがある。南米や日本での布教にあたっては、既存の神の形式を残したままでキリスト教との共存を認めていた、日本のマリア観音などのように・・・というようなことだった。カトリックのそういう在りかたをぼくはすきなのだ。だからかえって友人のことを荒っぽい調子でいうような感じでこう書いてしまったのだった。
「一神教の奴らのせいで戦争が起こるんだ」というようなことをいわれることもあって、神経質になってしまったかもしれないと、kadoorie-aveさんはおっしゃってくださった。そうした荒っぽい理解と論理でひとの根源に関わるようなことをことばにすること、さらに否定することこそ、じつは「一神教」であること以上に対立を引き起こすのかもしれない。ぼくの書き方もそのひとつだった。「一神教」を信じる人の意思を尊重することをせず、勝手に「多神教」の神のひとりとして祀り上げてしまうということを、ぼくたちの多神教の国がやった歴史がある。だとすれば、ことは神の数ではない。
宗教にかぎらす、たがいに異なるもの同士が接することはかならず生じる。だとすれば、それらのあいだを分離するような壁をつくることで問題を避けるのではなく、混在しやすい領域を、その間にもうけて共存をはかることで、解決に近づくことができるのではないだろうか。
kadoorie-aveさんは幼児洗礼をお受けになったから聖体拝領がすでに身についていらっしゃる。そのときの気持についてこう書いていらした。「聖体拝領は、週一回、日常から切り離されてキリストを『思い出す』ための嬉しい『しかけ』です」と。聖体拝領のときの気持ちを、ひとにたずねたことは、これまでぼくは一度もなかった。しかし、そういわれれば分かるような気がする。
それぞれに別々のルーツをもつ人々の共存する家庭という場所にあって、さまざまな形式と歴史をもつ雑煮が、あるいは日を分けあるいは融合しつつ共存していることが分かったのは、なにはともあれ目出たいお雑煮大会であった。
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昨夜、かきのきのくらさんから、こんなメールをいただいた。ぼくがお願いしたので、お雑煮の写真が添付してある。
「お雑煮の写真ですが、いざ撮ろうかなと思ったら、母が『ネギだけじゃ恥ずかしいから、菊と三つ葉を入れちゃおう』ということで、若干見栄はり石川雑煮です。
少しピンボケで、すいません。」
さらに時をさかのぼる昨日1月4日の昼過ぎ、「わがやのお雑煮大会:三日目に」のエントリーにこんなコメントが書き込まれていた。
「遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
さて、わが実家(石川県加賀)のお雑煮ですが、
これが実にシンプルというかわびしいというか…。
まず、昆布で出汁をとった鍋で餅(丸)を煮ます。
それとは別の鍋でスルメと昆布と醤油で汁を作ります。
あとはそれらをお椀に入れて、
刻みネギを散らすだけ。ただそれだけ。
すうどんならぬ、す雑煮。
なぜ、このような質素な具材なのかは、
いろいろとリサーチしましたが、不明。
飽食の時代に流されるな、というメッセージを噛みしめろ!
という勝手な解釈をしながら美味しくいただきました。
まさに、わが実家に欠かせない、お正月清貧です。」
そもそも、かきのきのくらさんは「おにぎりとおむすび」のエントリーに、石川県のご実家のお雑煮についてのコメントで、「我が家の雑煮バトル大会」に石川県代表として参戦します」と、こんなぐあいに予告された。
「『わが家のお雑煮話し』をすると、
口の悪い友人は『ひょっとして、小さい頃、ビンボーだった?』
と言われるくらい、シンプルというか、とても質素です。」
ということだったから、ぼくは興味津々でレポートを待った。くらさんはブログをつくっていらっしゃらないから、メールが届いたら、このブログにエントリーしようと思っていたのだ。母上のご努力の結果から、三つ葉と菊の花びらをとり、お椀の下に敷かれた南天と松の葉を取り去った状態は容易に想像がつく。焼き物も塗り物も、日本で屈指の産地であり、海産物は豊かであるはずの地なのに何たる質素。どういうわけなのだろう。
母上の「見栄」も微笑ましいが、なにもない雑煮の潔さが、僕にはここちよい。
追記:1月8日成人の日に、初めて加賀雑煮をつくった。ダシと餅だけで勝負するだけに、加賀雑煮はむずかしい。前日から昆布とスルメを水に冷やかしておいたダシには鰹もアゴもつかわない。ただ、酒は少し入れてわずかに醤油を落とし、最後に青い葱を散らした。
いささかも貧しくはない、ストイックでむしろ気高い雑煮かもしれない。朝早く起きたので、家族が起きるのを待たずにぼくはひとりでつくりひとりで食べた。この雑煮には、その方が相応しい気がしたのだ。
これからも、ときどき挑戦してみたいと思う。
そのあとしばらくしてから、スーパーが開店してすぐに新潟雑煮の材料を買いに行った。東京ではまだつくっていないのだ。それに新潟でも自分ではつくってはいない。小松菜の一把、蒲鉾の一本、鮭の切り身一切れが百円均一になっていた。イクラの小さなパックだけは300円を超えたが、大根はうちにまだあるし、松もあけたあとの雑煮もいいもんだ。餅の上につゆをかけるスタイルにした。すこし、わがやの伝統から逸脱したが、新潟のご近所でもそうやっているところもあるそうだ。
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一昨年の春から新潟市に加わったが、長い間新潟市の郊外の田園地帯だったこのあたりでは、三が日は朝に雑煮をたべて昼飯は抜きということになっている。現在は新潟市亀田早通という。どこまでがそうなのか分からないから、とりあえずは限定しておくのだが、そういうところは少なくないようだ。今朝は、料理を教えている叔母におそわった雑煮だ。油で揚げた餅と、出汁に大根おろしをいれたみぞれ汁。油のくどさをおろしでやわらげる。
教わったといっても、揚げ餅にみぞれ汁ということをきいただけだが、それに二つのコツを教わった。「角餅を揚げると角が割れてふくらんじゃうけれど、丸餅だと真ん中がきれいにふくらむ」「おろしは、ザルで水を切っておくくらいの水っけがちょうどいい」・・・口伝である。そして、叔母は丸餅のパックをくれた。
具は、昨日の雑煮のトッピングの残り、薄焼き玉子の細切り、ゆでたホウレンソウ、かまぼこをつかった。
揚げた餅をお椀に入れて、上に具をのせ、みぞれ汁をかける。残り物の具はすっかり冷えているから、器といっしょに湯通ししてあたためた。大根おろしのむこうに鮮やかな色が透けて見えるようにしてイクラだけを最後に散らす、というつもりだったが、ゆずを底に潜めるのを忘れたので、それも上にのせた。よくばって餅を三つも入れたのでおつゆの水位が餅とくらべて低くなったが、餅をひとつにしておけばおつゆの水面がもう少し広くなって、もっと美しくできたろう。ダシは、アゴダシのパックという手抜きです。これも、叔母がくれたのでした。
去年も一度つくったのだが、娘たちは揚げた餅はとてもうまいけれど油が心配だといいながら、それでも喜んで食べた。ことしの新潟の正月には、娘たちは同行していない。
雑煮はぼくがつくるつもりだったが、沈丁花の霜よけをつくったあとで買い物をして帰ると、雑煮はすでに母がつくってくれていた。おかげで楽をしたのだが作る過程の写真がなくなった。ご近所や来客に、それぞれのお雑煮についてたずねてみると、あたりまえだが細かいところでは家によって違いがあるようだ。
そうして洗い出した新潟の雑煮の基本形は、餅は焼くのではなく水でゆでること、短冊に切った大根を中心とする具に醤油味の汁が骨格をなす。 ダシは干し貝柱でとった。
ゆでた餅とおつゆが、うちでは祖父母の時代から別々の器で出されていた。雑煮のおつゆのほかに、きな粉と餡が別々の器にいれて出され、雑煮を食べたあとに餡をかけたり、きな粉をつけたりして食べたからだったのだろう。相当な大食を前提とした形式だ。たいていの男たちは十数個の餅を食べた。父など20個以上も食べたことが自慢だったが、それはなにもうちの家族だけの特性ではなくて、米どころ新潟の意地や勢いに支えられたところもあったろうが、男たちは普通に十数個は食べた。しかも、大きさはいまの市販のものの3〜4倍はあるのだから、いまの餅で換算すれば30〜40個に相当する量を食べていたことになる。
おつゆというよりも大根の煮物というべきものには、ほかにもさまざまなものを加える。必須は新潟で「塩びき」という新巻鮭を賽の目に切ったもの、それにハサミで細く切ったスルメも加えるので、さらに豊富なダシが出る。植物性材料は銀杏、干し椎茸をいれた。
これをお椀についで、トッピングを加える。蒲鉾、いりたまごあるいは薄焼き玉子の細切、茹でたほうれん草、ゆでたイクラ(こども言葉ではトトマメと呼んでいた)などをのせるのだが、そういえば赤白黄緑といういろの取り合わせは、前のエントリーの「びゃっけ」の色紙の鮮やかを思い出させる。
新潟ではおせち料理を正月にはたべない。お年夜(おとしや)とよぶ大晦日に、おせちのような料理を食べて、正月三が日は毎朝雑煮で昼食を抜く。お年夜の必須メニューは鮭の塩引き。なぜか新潟では、塩びきの切り方は普通の切り身とはちょっと違う。三枚におろした半身を縦に長く二分する。背の身を7〜8cmに切って、大きな物であればそれをさらに縦に二分する。こうして切り分けた背の部分が、いちばん上等な部位とされる。格下とされる腹の部分を賽の目に切って雑煮に使ったんだと、作一さんにきいた。いまでは脂ののった部分としてむしろ旨いとされる部位なのだが、むかしの鮭は保存のために今よりもずっと塩からかった。たっぷり塩を詰めた腹はとりわけしょっぱかったからという理由もあるだろう。今では最も人気と価値の上がったマグロのトロが、かつては捨てられたり、ネギマ汁に使われたのと似ているかもしれない。
追記
みなさんをおさそいするにあたって「影響をおよぼしたであろうご家族の出身地やお住まいの場所についてのご説明をお加えください」と書いておきながら、自分で書き忘れてしまいました。
おにぎりとおむすびというエントリーのコメントでちょっと書きましたが、ぼくの母方の祖父が平戸藩、祖母は水戸藩の出身だった。武士は喰わねど高楊枝で、あまりたべものに執着しなかったのかもしれません。父方の祖父母は新潟の出身でいとこ同士でしたから、血が濃かったのでしょう。うちのお雑煮は新潟風です。
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「おにぎりとおむすび」のエントリーで、映画「かもめ食堂」と、「おにぎり」あるいは「おむすび」という呼び方について書いてから、もう1週間以上が経ってしまいました。そこにわきたさんの書き込んで下さったコメントで、地方によって呼び名や形が違うという指摘がありました。そこから、雑煮も地方によってさまざまな材料と形があるという話題に移って行きました。
お雑煮は行事料理なので今でも地方色が残され、古くからの地名と同じように歴史を読み取ることのできる資料となっています。しかし、現代の社会では、しごとや結婚による移動が増え、それぞれに生まれた場所と生活する場所、さらには親や祖父母の出身地などがお雑煮の形式に反映しつつ混じり合うようになっているのではないでしょうか。今からさらに時が経てば、雑煮そのものの交雑がすすみ、歴史資料としての雑煮の性格が曖昧になるでしょう。
そこで、アースダイバーの主犯の諸氏と語らい、正月に同時多発エントリーを呼びかけようということになりました。
masaさんが「わがやの雑煮バトル大会」と名付けて下さりましたが、正月早々にはおだやかに過ごすべく、バトルをはずして「わがやのお雑煮大会」とさせていただきました。アースダイビング大会参加者、当ブログにコメントをくださるブロガーにメールをお送りし、それぞれのブログにて「わがやの雑煮」についてエントリーしてくださるよう参加を呼びかけます。さらに、それをお受け取りになった方からも、多くの方に呼びかけて下さるようおねがいします。材料や心構えの準備もあることでしょうから、多少の余裕をもって、本日、これをエントリーします。
上記の趣旨にもとづく企てですから、写真を含め、どのようなお雑煮を召し上がったのかということに加えて、それに影響をおよぼしたであろうご家族の出身地やお住まいの場所についてのご説明をお加えください。
かくして、2007年正月、雑煮についてのブログ横断一大新年会となり、さらに、お雑煮データベースができることを期待しましょう。
なお、スパムトラックバック対策のため、現在はこのブログのトラックバックはとめてありますが、正月までに再開させます。・・・・・と書いたのに、うまくいかなくて、トラックバックはできないままです。ごめんなさい。
DVDになったやつを次女が借りてきたので「かもめ食堂」を見た。
ヘルシンキの街、小林聡美がひとりできりまわしていると言いたいがそれほど繁盛してはいないという風情の日本食レストランに、まずは片桐はいりが、つぎに、もたいまさこが加わって、いっしょにレストランをやってゆく。と、書いていると桃太郎のおはなしのようだと思ったが、淡々と、しかし気持ちよくきれいなシーンの中に個性的な女たちがあらわれる画面は、「動くku:nel」のようだ。アルヴァ・アアルトの家具だななんて思いながら、ちょっとフィンランドの説明っぽいところがあるのは気になったけれど、ぼくはとても気持ちよくみた。すきだと思った。
それを見ながらぼくは母の妹つまりぼくの叔母のことを思い出した。この店のメニューの軸がおにぎりで、「おにぎりは日本人のソウルフードだと思うの」という小林聡美の台詞が出てくるからだ。
いつだったか、叔母がこう言ったことがある。
「あたし、どうも気になってしかたないんだけれど、おにぎりっていうのは間違いだと思うわ」
「なぜですか」
「両手を使ってつくるから、おむすびなのよ。お寿司は左手で握って右手は添えるだけだからにぎりだけどね」
「なるほど」ぼくは深く納得した。
そういえば、ぼくの小さな頃には、うちではおむすびと言っていたし、「おむすびころりん」というお話もある。いつのころからおにぎりになってしまったのだろう。
縁を結ぶという。実を結ぶという。印を結ぶという、そしてなにより手を結ぶという。
美しい言葉だ。
叔母のそのことばを、この映画でだれかの台詞にしてしゃべらせたら、もっとよくなったろうな、フィンランドの人たちにも知ってほしかったな、この映画をつくった人に教えてあげたかったなと、ぼくはしきりに思った。
このごろ、ときどき昼飯のためにおむすびをつくって持ってゆく。すると、なんだか、自分でつくったおむすびがいとおしいのだ。
■関連エントリー
わがやのお雑煮大会/MyPlace
今日の正午少し前にゆうパックが届けられた。週末に届けられ不在配達通知が残されていたので連絡したところ午後に持って来ることになっていたのに、予告よりも早く届けられた。不在配達の紙に書き加えられていたから何が誰から送られたのかはすでにわかっている。古山憲一郎氏から「たくわん」が送られてきたのだろう。ことは11月25日のエントリー「第4回アースダイビング:王子の玉子焼き・むこうじまのもんじゃ」のコメント欄に3年もののタクワンを入手したが「現代人の離婚の理由になりそうな匂いがします。」と古山氏がお書きになったのに端を発するが、何の脈絡もない乱入だった。やがて古山氏の友人iGaさんさんが事情を説明するコメントで続き、AKiさんもことがタクワンとあって及び腰でコメントに参加した。古山さんはお詫びの品を送ったから悶絶してくれとの再コメント。
包装はジップロック+ポリエチレン袋+封筒+ゆうパックの四重装にもかかわらず鼻をよせればしっかりにおう臭パックだ。おそるおそる包みをはがして手に取ってみると、たしかに強烈な匂いではあるが旨そうだと思わせる。外から2番目の包装である封筒には「本式の井戸端等、風通しの良い場所で開封して下さい」との警告文が書かれている。
「保管期間12月9日まで」と書かれたシール、「1日目」「2日目」という紙がセロテープで止めてある。予告の時刻より早く届けられたのは、郵便局ができるだけ早く縁を切りたかったからなのだろう。
古山さんの警告に逆らってぼくは、うちの事務所のあるフロアの湯沸室をタクワンのかほりで満たして匂いを充分に吟味してみたかった。とはいえ、さすがに昼間は遠慮して、7時頃にタクワンを1本取り出した。全部で3本おくっていただいた。色は味噌漬けのような焦げ茶色、長さは27~8cm太さ2〜3cmほど、大根が牛蒡のような姿になっている。元の大きさは分からないが、3年間で水分はすっかりなくなって繊維だけになっているはずだ。クサいと思ったのは包みを開いた一瞬で、冷たい水で糠を洗い流してしまえば、もう旨そうなにおいとしか感じられない。くさやが、はじめはあんなにくさいのに、火を通すうちにうまそうな匂いに思われてくるのと同じようなものだ。先日の第4回アースダイビングで、kadoorie-aveこと小野寺さんに、中国の臭豆腐にまつわる話をうかがった。クサい、しかし旨いものについての楽しいはなしだが、ぼくはまだたべたことがない。
自然がいかに合理的に作られているかを知るたびに、生物は身体にとって必要なものをうまいと感じるようにつくられているはずだから、食べたいと思うものを食べるのが身体にいいはずだと、ぼくは思っている。若い頃と今では、食べ物の好みがすっかり変わったのも、身体が必要にするものが変わったからだ。しかし、このタクワンのような存在は、その理論の基本から逸脱する。苦い、渋い、エグイ、辛い、酸っぱい、かたい、そしてクサいという、一般的には腐敗や毒を意味する排除されるべき味や匂いだ。しかし、「・・・であるほどいい」あるいは「・・・であるほど悪い」という単一の物差しでものごとを評価しないこと、さまざまな物差しをあててキラリと鈍い光を放つものを探り出すこと、クサみの中に別の旨さを感じ取るようになることが文化というものだ。若いご婦人の脚に喩えられるみずみずしいしろいやつが、細く黒く筋だらけに成り果てたのに、それはまた別の旨さを持ち始める。
洗い終えると事務所に持ち帰り、できるだけ薄く切った。においの素を減らしたいからではなくて、目下、歯の治療中なので歯に負担を少なくしたいからだ。・・・・・・・旨い。お粥やお茶漬けでたべたらさぞかしうまかろう。古山さん、ありがとうございました。以後、あなたは古漬けのタクアンと分ちがたく結ばれたまま、ぼくの記憶にしっかりと保存されることでしょう。そうそう、臭豆腐(しゅうどうふ)も試してみなければ。
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東京に戻った翌朝、電話が鳴った。おとなりのEさんの夫人からだった。「西瓜が送られて来たので、おひとつお届けします」
おとなりはご夫婦お二人だが、うちは食欲旺盛な親子がいる。それをご存知だから、何かが郷里から届けられると、ときどきお裾分けしてくださる。もちろん、こちらにも到来ものがあれば玄関のインタフォンを鳴らす。
重いものを届けていただいては申し訳ないから、あわてて玄関に走りドアを開けると、すでにE夫人が大きなスイカを抱えて立っていらした。お礼を申し上げながら受け取ってスイカをみると、大きいだけではない。頭に40cmほどの蔓がついている。
「こんなふうに蔓を切っちゃったらこの先のスイカも、みんないっしょに取らなきゃならないでしょうね」
「いいえ、ここのスイカは、ひとつのツルにひとつか、せいぜい二つしか実をつけさせないんです」
うーむ、内心ぼくはうなった。なるほど、一本の蔓についた実を間引きしてひとつだけにしてしまうのだ。栄養を集中させて、うまい実を育てる。あらゆる努力を惜しまず手を加え、少しでもうまいスイカを作ろうと努力する、こんな芸当は、日本でしかできないだろう。ある種の感動と、でも・・・という気持ちとが混在していた。日本の農業が安い輸入品に勝つには、こういうやりかたがひとつの重要な方法であることはたしかだ。しかし、そんなふうにして作られた繊細なスイカを、当然のようにして食べるようになって、いいのかなとも思う。でも、関アジや関サバだって、ぼくはまだ食べたことがないんだから、このスイカを食べることも滅多にあることじゃない。そんな心配は不要なのかもしれない。そういえば、このスイカのようにして厳選して育てられるものたちの話が、つい先ごろ、他にもあった。友人から、ランチュウの子供はいらないかと言って来たのだ。こちらは、スイカとは逆に、はねられた連中だった。
いただいたスイカは、まずは仏壇に供えた。まだ味わってはいないが、そろそろ手塩にかけられたスイカの成果を確かめたい。シールには生産者の写真もある。
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iPhotoを見ていたら、サクラの季節だからなのか馬肉のシチュウの写真を見てお腹がすいて来た。もう、ひと月ほどがたってしまったが、2週間くらい天草に行っていたあとで生月をまわって夕海が帰って来たとき、手に提げた発泡スチロールの箱には、刺身とレバサシ、そしてスジ肉、いずれも馬肉が入っていた。天草からおみやげにいただいたのを友達に分けるんだと言っていたが、2日後の夜おそくに帰ると、スジ肉だけが冷蔵庫に残っていた。いたんでしまってはならじと、12時頃になっていたが僕は馬スジ肉のシチュウをつくりはじめた。スジ肉のような固いものを煮込んで柔らかくするのは圧力鍋の得意技だ。この日は、アーセナルとレアル・マドリードのサッカーのTV放送があったから、その間に煮ればいい。
さっと肉を炒めて、きつね色に炒めたタマネギ、月桂樹、胡椒、酒などと一緒に圧力鍋にほうり込んで強火にする。蒸気を吹きはじめたら火を弱めて30分、その間に冷蔵庫をあると人参と大根のややひからびたやつ、ジャガイモは大きいのがひとつがあった。イモは、くずれないように皮のまま二つに切る。野菜は適当に時間をおいて加える。チキンコンソメ、水煮のトマト、牡蠣ソースなどを加えてしばらく煮込んでサッカーが終わる頃には完成。サッカーでは霜降り肉のように高価なマドリードが負けた。
御所浦町は、熊本県で唯一の離島の自治体だった。映画「もんしぇん」をつくるために、さまざまな方にお世話になったのだが、ことし町村合併で天草市となって町がなくなる。そこで、「閉町記念式典」をおこなうことになって夕海にその企画演出をする機会をくださり、監督をした草介に記録映像をつくらせてくださった。その帰りにおみやげとして馬肉をいただいてきたというのだ。そうか、と言って聞いていたが、ふと疑問が浮かんだ。
「天草のあとで生月(いきつき)にまわったんだろ、馬刺を持ち歩いたのか?」 天草は熊本県、生月は長崎県の平戸の脇にある島だ。ちなみに、ぼくは平戸の向かいの田平というところで生まれた。
「いや、車を貸してもらって生月まで行ったから、それを返しに天草に戻ってお土産をいただいちゃった」 御所浦町から、合併の準備のために天草本島にしばらく前にのりこんだ知人に車をお借りして、そのうえ帰りにはお土産までいただいてきたというわけだ。(ニュアンスとしては、「友達にクルマを借りてお土産までもらっちゃった」という感じなんだが) 市場原理なるものからすれば甚だしい逸脱だが、構想以来10年もかかって映画ができたのも、ひとえにそういう密度の濃い人間関係のおかげだ。
いまのぼくたちは、滅多に馬肉を食べないけれど、明治以前に肉をたべる機会は、きっと牛や豚よりも馬の方が多かっただろう。「桜なべ中江」のサイトには、桜という呼び方の諸説が書かれているが、馬を喰うようになった由来は、牛鍋を水増しするために使われたなんてことが書かれているばかりだ。建前はそうかもしれないが馬刺なんて、戦国時代の戦場ではきっと非常食だっただろうし、喰うもののない時代に食べないわけがないだろうなんて思いながらも、なんだか馬を喰うのはかわいそうな気がしてしまう。でも、シチュウはうまかった。
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松戸駅のそばに人気のたい焼き屋がある。きくやという。昨年、しごとの打ち合わせで松戸に来たときに寄ってみたら10人ほどの列ができていた。客の前でつくったものを売るという店は、このごろ少なくなってしまった。殻々工房のエントリーでも同じことを書いたが、ものをつくって売る、あるいは加工や修理する店をshopといい、商品をいろいろ置いて、それを売るのがstoreなんだというが、つくる、運ぶ、売るがみんな分業になりそれぞれが大規模になって、作るところが人目にふれないのが普通になった。それだけに、手打ち蕎麦屋やたい焼き屋のような店は、作るところを見せるのも商売の一部になっているから、待つのも楽しみのうち。大きなマスクをかけた小さな女の子がぼくの後ろに並んだので、ほら見てごらんと言ってガラスの前に立たせてあげたら、壁のわずかな段に足を引っ掛けてずっとガラスの中を一生懸命に見続けた。その調子だ。
四谷の「わかば」は、ひとつひとつはさみを使ってバリを丁寧に切り取るし、尻尾まであんこが入っている。安藤鶴夫がそれを誉めたことがあって、すっかり有名になったのだが、それにひきかえこの店の鯛焼きは型からこぼれた皮のバリを、ほとんど取らない。ワンロット6匹の間をつなぐバリに、千枚通しのようなものをサッと走らせて切り離すだけでまわりにはバリがいっぱいついたまま。尻尾にはあんこがない。ここの大雑把もいいなと思いながら、行列を昇進したときにおばさんにきいた。
「ひとつながりでも売ってくれますか?」
「いいですよ。たまにそういう人がいらっしゃるけど、容れ物がないからね」
ここまでは昨年のことで、be-eaterにエントリーした。
今年も打合せで来たついでにのぞいたが、今度はamazonから本を送ってきた段ボールの箱がある。
十数人の行列の先頭に来るとたずねられた。
「いくつですか?」
「6匹を、ひとつながりのままほしいんです」
「?????」
気難しそうなおじさんが焼いている隣で黙々と袋や箱に詰めてくれるおばさんは、ひたすら怪訝な表情にもぐり込んだ。ぼくは体勢を立て直してもう一度。
「つながっているのを切り離さないでそのまま。二つにたたんでこの箱にいれてください。こうやって平らにして持って行きますから」
「?????」はまだおばさんを包んでいる。だが、おじさんはやっと分かって、笑顔を垣間みせた。箱を受け取るとおじさんは、はさみを取り出して紙袋を切りひろげ段ボールの中に敷くと、アルコールのスプレーをかけた。そこまでしなくてもいいのに。
「手数をかけてすみません」
「いや」といって、また笑顔を見せた。古新聞でくるんで、ハイといってわたしてくれたっていいのに、保健所がうるさいんだろう。120×6=720円を払い、持ち帰ってから折りたたんだやつを開くと、鯛たちはちゃんとひとつながりの行列をつくっている。温めようとして鯛焼きを持ち上げると、アルコールを吹き付けられた紙には、かすかに「たい焼きの魚拓」ができていた。
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書きたいことがいっぱいあるのに、ちょっとblogにご無沙汰していたら、もう忘年会の知らせが来るようになった。柚子湯に入る冬至だってすぐにやってくる。だから復帰の手始めにゆずのことを書くことにしよう。
先々週末に新潟に行ったときのこと、うちに遊びにきたYちゃんが、柚子なんてめしあがります?実家にたくさんなったんですという。マーマレードつくりたいからほしいと言ったら、車にもどってビニール袋を下げてきた。小ぶりの、レモン色のういういしいやつがたくさんいる。おい、枝までついているよ。とげがあるから気をつけてくださいね。たくさんなるんだけれど、とても使い切れないんですよというのでよろこんでいただいた。
翌朝に東京へもどり、夜に家へ帰ってからつくりはじめたから1時ころから3時半くらいまでかかった。インターネットで探したが、これがうまそうだと思うようなレシピがないので、夏みかんや橙の経験をもとに自己流でやってしまうことにした。
柚子1㎏、グラニュー糖500g、水3カップくらいと絞り汁をつかった。レシピによっては水も果汁も全く入れないのさえあったが、ぼくはゆるいのがすきだから、多めに水を入れた。種からグルテンが出るから、袋にいれて一緒に煮るといいと書いてあった。なるほどと思ってコーヒーのペーパーフィルター二つでくるんで入れた。煮ている間の時間はかかるけれど、翌日は勤労感謝の日だから、ゆっくり本を読んでいればいい。ガスレンジの前に椅子を置いて、スティーブ・ジョブズのすさまじい半生を書いた「iCon」を読みながら、ときどきアクをすくっていた。時間はかかるが手間は大したことはない。
ちょっとゆるすぎたかなとおもったが、さすがに眠くなって寝ることにした。
翌朝、冷えたステンレスの鍋の蓋をとると、ほどよいゆるさだぞ。やはり種のグルテンが効いたらしい。
空は青い。太陽は輝く。グラスに入れて柚子の葉を添えて屋上で記念撮影。
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6:00にバンコクの空港に行って8:30に出発、10:30ころには宿についた。実施設計をするラオスの事務所との打ち合わせの前に昼飯。
「なにがあがりたいですか?」「なんでも好きだから、何でもどこでも」「ホテルが手っとり早いですが、現地の人たちのいく店とどちらがいいですか?」もちろん「現地の人たちの店です」
ここの一番大きな、そしてたぶん最も高級なホテルに車だけ置いて道路をわたる。前回はこのホテルをとってくださったのだが、今回はこの近くのDAY INNというホテルにしていただいた。小さいけれど清潔で従業員もきもちいい。
「このまえのそばはフーというのですが、ここのはちょっと麺が違うんです。モチモチしているんですよ」今では日本でもすっかり有名なベトナムフォーの発音は、ここではむしろ「フー」に近いという。どんぶりの上にはネギ、ウズラの卵、鶏肉、パクチ(コリアンダー)、油で揚げたニンニク、唐辛子が浮いて、麺はスープに潜んでみえない。ナンプラーをひとさじかけて、アルミ打ち出しのレンゲを左手に箸を右手に食べる。川村さんの奥さんに聞けば鶏ガラでとったスープなのだという。さっぱりしていてうまい。日本の「こだわり」のラーメンの、蘊蓄とよけいな手をかけすぎたスープに比べると、簡潔にしてさわやか。やや太めのそばは餅米でつくったんだろうか、たしかにモチモチである。量は少なめだし味は旨いから、スープまですっかり飲み干した。
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打ち合わせで遅くなった。「もう遅いんで、夕食はホテルにしましょうか」といわれてそれもいいかと賛成する。大きいホテルに、こんどは車を停めるだけじゃない。ブッフェスタイルだが、ラオス料理からスモークサーンなどの西洋料理、寿司まであってデザートはケーキも果物もある。
何でも好きなぼくは、ブッフェでは少しずつ、大部分のものを食べてしまう。
ソバもあったから注文した。ガラスのケースの中に、4種類の麺とトッピングが6種類ほどある中から選んで注文生産である。麺は、いわゆるラーメンのような、小麦のやつにする。フーやモチモチは米で作った麵なのだ。トッピングには魚のボールを頼んだ。もやしとサヤインゲンは標準装備らしい。たのんだわけではないが、さっと湯に通してのせてくれる。さらに、自分で刻みネギと揚げた刻みニンニクとナンプラーをかけた。やはり、鳥のダシとおぼしきスープは飲み干してしまった。
ラオスの料理は、どれも野菜が豊富で油が少ない。タイほど辛くない。
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鴨川から送られた橙を3つ使って日曜日の朝にマーマレードをつくった。ここ2,3年は、叔母の家の庭になる無農薬安全夏みかんで、叔母のレシピでマーマレードをつくっている。浸しておいたり、煮たりするだけだから、時間はかかるが手間は大したことがない。橙でもおなじ方法にした。
橙を半分に切る→レモン絞りで中身をジュースにする→残された袋をとり皮を薄切りにする→水(橙4:水5くらい)に3時間つける(ペクチンを出させる)→30分くらい煮る→橙の60%ほどの砂糖とジュースを加える→30分くらい煮る(途中、好みのあまさやわらかさになるよう、水と砂糖をテキトーに調節)→大ぶりの壜に2つできた。
夜には、ギンレイホールの加藤さんが持ってきてくださった夏みかんでマーマレードをつくった。夏みかんの方が大きいからもう少し大きい壜が2つ、いっぱいになった。
橙は色がきれいで香りがいいのだが、ちょっと苦みがある。自分で作るときには、甘さをひかえ水気を多くしてゆるめにつくりヨーグルトにかけたりする。あるいは焼きたてのバゲット+クリームチーズ+マーマレードという高カロリー食。ちなみに、ARABIA製の白いきれいなボウルは、30年と少しまえ、結婚したときに秋山さんから贈られたものだ。ときに食卓にものせる。
鴨川の齋藤さんからの宅急便が事務所に届いた。去年のおなじ頃に、ふきのとうが送られたのを思い出した。案の定、中にはビニールの袋にふきのとうが沢山あったが、他に、檸檬がふたつ、伊予柑とおぼしきやつが7つあった。紙袋のおもてに貼ってある宅急便の送り状には、品名の欄に「?あててください!」と書いてある。それを読んで橙であることがすぐに分かった。ふきのとうは自宅と友人のお宅から、橙もその友人のお宅になったものだと書いてある。テーブルの上に並べると、部屋中に春がひろがった。
齋藤さんは染色と織物の作家である。もともとは物理学者だったが、反原発の活動の過程で大学の職を辞して鴨川に移り住んだ。南斜面の自宅兼工房からは、木の間隠れに海が見える。そういう人だからブログサイトをつくって発言してほしいとすすめたら、「ブログの力」も買っちゃいましたというメールもいただいた。だから、「真綿の橙」の顛末をご存じなのだ。先日は、伊能大図のことをお知らせしたら、ぜひ行きたいと言われて、江戸のあたりで集合しましょうということになった。
春の実りのやってきたあとに届いたメールにはこうあった。「橙は柏の葉と同じで、1年で落果しないそうです。それでお祝に使われるとか。ごぞんじでしたか。」なるほど。それに、ぼくの推測だが、「だいだい」は「代々」にも掛けているにちがいないと思う。去年いただいたふきのとうは、さっそくふきのとう味噌をつくったら、たった一度の食事で小ぶりのひと瓶がなくなってしまった。橙はマーマレードにしてみよう。