October 26, 2011

カマキリと研ちゃん

KamakiriShadowS.jpgKamakiriSakubunS.jpg
 朝日が心地よくあたるようになってきた頃、シャガの葉にカマキリがくっきりと影を映していた。
彼女たちは昆虫の世界では恐れるもののない存在であるからだろう、カメラをいくら近づけても逃げようとしないどころか、「蟷螂の斧」を振り上げて威嚇する。この強気、見上げた根性が、ぼくは好きだ。まだお腹が大きいからこいつが生み付けたわけではないだろうが、数メートル離れたサカキの枝にはカマキリの卵が産みつけられていた。

 カマキリの卵を見ると、ぼくは去年の夏の「研ちゃん」こと海津研の個展を思い出す。
 原稿用紙一枚にセピア色の文字で書かれた「カマキリの卵」という題の作文とおぼしきものがあった。なんというヘタクソでひどく読みにくい字だろう、カマキリのカマをペン先にしてセピアのインクで書いたものででもあるのだろうか・・・・と思いながら、目を近づけるとセピアのインクと思ったのは大間違い。ぼくは爆笑してしまった。右の写真をクリックするとクローズアップ写真が見られます。
 クローズアップを見ても、すぐにはなんだか分からないかもしれない・・・無数のカマキリの幼虫を並べて文字にしたものなのだ。とはいえ、幼虫は研ちゃんの大量虐殺で死んだわけではない。作文のわきに並べられていたこの文章のプリントアウトを読むと分かります。

 このひとは人気のある派手な虫よりも、「虫けらのごとく」ひとびとにないがしろにされるやつら嫌われる虫、あるいはちっぽけなやつらに興味をひかれる。そういうムシたちを、よーく見て拡大したりするとじつはとても美しかったり愛すべき表情をしていたりするのを発見することによろこびを感じるのだ。多くの昆虫好きは、虫を捕まえて標本にするのだが、研ちゃんはそのちっぽけなやつを大きくて細密な絵として描いたり、アルミ箔でハエをつくったり、あるいは紙を切り込んで小さなカニをつくる。小さな生きものを虫眼鏡で大きくしたりつくったりしてみると、その意味も大きくなり意味が変わったりするのだ。

 KamakiriYodakaS.jpg そういうやつだから、彼は宮沢賢治の「よだかの星」がすきだ。鳥やムシをいくつかの部分にわけた平面の切り絵をつくり、それをガラスの上に置いて少しずつ動かしながら撮影する方法で「よたか」というアニメーションをつくった。個展には、その切り絵と撮影の仕掛けが展示されていた。
 ヨタカは口を大きく開けて昆虫の群れのなかに飛び込んでムシたちを捕らえて食べる。名前の一部に「タカ」という名をもちながらちっぽけなやつらを食べる、弱くて不細工な鳥と、いつもいじめられている。そのヨタカがあるときムシたちを食べようとしているとき、自分自身もたくさんの虫のいのちを奪って生きているのだと気づく・・・というものがたりだ。
 
「よだかの星」は、あらゆる存在が他者に依存し他者を傷つけずにはいられないことを描く。それは同時に、あらゆる生きものは他の生きものがあってこそ存在できる自然という精密なシステムがあるということでもある。食物連鎖の最上位に君臨する人間をつねに捕食する種はいないが、その代わりに人間自身の中に同じ種である他の人間を食べはしないにしても犠牲にしたり利用したりする連中がいる。そういうやつらは、何万年もなくなることのない有毒物質をつくり、自身をも含むあらゆる生きものを傷つけ精密なシステムそのものをこわそうとしている。
 

投稿者 玉井一匡 : 08:20 PM | コメント (0)

October 02, 2011

科学博物館へ:「恐竜博2011」と2万4000年の物差し

KahakuTiraTriS.jpgClick to PopuP:トリケラトプスを待ち伏せるティラノサウルス

 10月1日、科学博物館へ行った。目的は2つ。
ひとつ目は、7月にチケットをいただいたのに「恐竜博2011」の会期がまたしても残り2日になってしまったので、トリケラトプスを待ち伏せするティラノサウルスの骨格などを見ることだったが、それにもうひとつ重要な目的があった。

 プルトニウム239の半減期である24,000年、あるいはフィンランドの核廃棄物貯蔵施設の保存期間が設定した100,000年という時間は、とてつもなく長くて実感がない。何か具体的な物差しとなるものが、博物館の常設展示にあるにちがいない。それを見つけたい。
科学博物館に着いたのは11時頃でちょっと出遅れたので、蛍の光を聞きながら出口に向かうことになった。子供の頃、一日中博物館にいた日曜日のように、ひさしぶりに長居して同じように胸を躍らせた。

 恐竜博の展示にはさまざまな実物の骨格化石がある。レプリカの骨格は、組立てかたに自由があるのだろう、生活や振る舞いを再生するように組み立てられている。待ち伏せる姿勢をつくらせたり、ほかの種と組み合わせて展示するなどの配慮があるのだ。待ち伏せるティラノサウルスは、小さな前足は伏せた状態から立ち上がるときに使われたという新しい説にもとづいたものなのだろう。研究が行動学にまで及んできた成果を反映したものなのだろう。中には、2011年2月に発表されたという最新の研究成果の展示まであったし、残された物質を分析して始祖鳥の羽の色まで復元したという展示は、2009年に発表された研究成果なのだ。まだ2年前のことだ。

 恐竜が栄えた期間は1億6000万年。いまから6550万年前にユカタン半島にぶつかった巨大隕石の衝突による気候変動で絶滅したとされるのだから、2万4000年を実感できる物差しは、もとよりこの特別展示にはない。
 しかし逆に言えば、かくも長い時間をかけて地球の環境に適応するようにつくられた緻密で巧妙な生物の共生システムを、ぼくたち人類は壊してしまうかもしれないのだ。現在、産業革命から数えて200年間、原子力をつくり出してから半世紀強、これを台無しにしてしまうに要した時間がいかに短いものかということを実感する。

KahakuHito1S.jpgClick to PopuP ネアンデルタール人:約20万年前〜2万数千年前
 ぼくが求めるものは、常設の地球館にあるはずだ。こちらは人が少なくて落ち着いて見られる。まずは「シアター360」の行列の最後尾についた。この日から10月の新しい出しもの「 マントルと地球の変動–驚異の地球内部–」&「宇宙137億年の旅-すべては星から生まれた-」である。球形の内側のスクリーンに映し出される映像を中央のブリッジから見ると前後上下左右の光景は、目も眩む臨場感だ。ビッグバンから地球の誕生そして現在の地球内部へ潜入するまで、長い長い137億年をわずか10分に縮めて説明し体験させ納得させる。映像のリアリティも編集もじつによくできている。15分の待ち時間は十分に報われた。

 そこを出て2万4000年の物差し探しにとりかかる。まずは人類の発生から始めようとB2Fの「地球環境の変動と生物の進化」の展示を探すと、ほどなく「彼」に遭遇した。この展示には、発見された猿人、原人あるいは旧人の骨からつくられた復元像が何人かいる。中には、二足歩行で名高い「ルーシー」もいた。彼女は320万年前のレディーだ。恐竜の時代が1億6000万年あったのに対して、人間は二足歩行を始めて300万年にすぎない。
 プルトニウムの半減期にもう少し近い復元像はネアンデルタール人、フランスの「ラ・フェラシー」で7万年前の骨からの復元像である。7万年は半減期のおよそ3倍だから、1/2の3乗つまりプルトニウムの線量が1/8になるわけだ。10万年までは、あと2万8000年。

KahakuNihonHomoS.jpg港川人:1万8000~1万6000年前
 ネアンデルタール人は2万数千年前ころまでいたというから、かれらの退場はほぼプルトニウムの半減期に一致する。彼らがいなくなったころは同時に、ホモサピエンスが表舞台に登場した時であるはずだ。そのホモサピエンスが現れたのが20~25万年前、プルトニウム239の半減期の10倍だ。人によっては、高濃度廃棄物が無害になるには20万年というから、ホモサピエンスのこれまでの歴史をそっくり費やすことになる。日本列島のホモサピエンスの骨は土質のために保存されにくく、3万2000~1万2000前の断片しか見つかっていないという・・・沖縄で骨が発見された「港川人」の小さな、しかし凛々しい男の絵が説明書きに添えられているだけだった。しかし、この時代まではプルトニウムの半減期にほぼ等しいではないか。ホモサピエンスの復元像がないのは、見てくれは今の人間と変わらないし、シンボルとしてはあまり面白みがないからなのかもしれない。

 ああ、おもしろい一日だったと思うそばから、いま我々は深刻な事態に直面していることを思った。いまのぼくたちには、プルトニウム239の半減期24,000年という時間がとても大きな意味をもつようになった。
かつて、原発か石器時代に逆戻りかという二者択一を迫っておどす連中がいた。じつは、石器時代は電力不足のシンボルではなく、原発の汚染の長さのシンボルであることがわかった。それは、ネアンデルタール人が滅びてから現在までの時間にひとしいのだと。

■関連サイト
 *国立科学博物館(高校生以下、65才以上は常設展示の入場料が無料です)
 *シアター360
 *アジアの先史時代年表
 *American Museum of Natural History(アメリカ自然史博物館)
■wikipediaの参照項目
 *Lucy
 *Neanderthal
 *ネアンデルタール博物館
 *ラスコー洞窟
 *Humanヒト(英語版)
 *Tyrannosaurus(ティラノサウルス英語版)
 *Triceratops(トリケラトプス英語版)

 

投稿者 玉井一匡 : 12:07 PM | コメント (0)

July 30, 2011

ツユクサの鉢植え

Tsuyukusa2S.jpgClick to PopuPTsuyukusa1S.jpg

 直径60cmほどの浅い植木鉢を道路際に置いてある。春になると苗を買ってきて一年草を植えるのだが、冬には植物がなくなってしまう。今年は何を植えようかと考えているうちにツユクサがふえてきた。それならいっそのこと、ほかの鉢に出てきたやつもここに集めてみることにした。それが、いつのまにかツユクサの集合になり、こぼれんばかりにふくらんで直径90cmほどの半球になった。

 犬の散歩、といってもクーは足がうごかなくなったので、道路のわきまで連れていって用を足させるだけのことで、そのあとに水を撒く。だから、横にあるツユクサにもシャワーをかけてやることにしているので、そもそもツユクサを育てようと思ったのは、クーのために毎朝目にするからだった。
 若い緑を背景に青が浮かぶツユクサの群生は、水を浴びたあとはなおさら、そこから涼やかな風がこぼれてくるようですがすがしく、ぼくはすっかり気に入ってしまった。花としては、撫子よりツユクサの方がすきだ。花をクローズアップした写真をさらに大きくしてみると、青と白の羽をひろげて降りてきた小さな蝶のような姿をしている。そう思って見ると、つぼみの入っていた鞘がサナギの殻のように思えてくる。

Tsuyukusa3S.jpgClick to Jump into wikipedia
 日の盛りのころになると、花びらが萎れてしまうのだが、夜に見ると、しおれた花びらはなくなっている。さりとて、あたりに落ちているわけでもない。どうもサヤの中にいったん戻るらしいと気づいた。そして、翌朝にはまた花を開くのだろう。ちょっとした発見にうれしくなった。サヤの中の花びらはどうなっているんだろうかという疑問を解決するのは、さして難しいことではない。サヤを切ってみればいいだけのことだが、いまのところ、まだその気にならない。

 毎朝、水を遣るほかにもうひとつ、することがある。ところどころに穴の開けられた葉っぱを摘んでやるのだ。摘んでやるというのはツユクサのためのような言いぐさだが、人間の勝手な手出しに過ぎない。穴をあけるといっても、全体にわたって7,8mmの小さな穴を散らすという程度だから、植物を枯らすことはない。5%くらいの面積を食べるのだから、植民地経営としては控えめな搾取だが、観察していると犯人はオンブバッタらしいと気づいてから、見つけると取るようになった。

 ツユクサは、ただの雑草として暮らしていたときには、小さな穴があいたくらいで葉っぱを切られることもなかったろうし、バッタも自由に葉を搾取することができたのに、気の毒なことではある。しかし、穴のあいた葉をとって形をととのえてやると、ずいぶん見栄えがちがうのだ。手をかけてやると、ますますかわいくなってくるのは、星の王子様とおなじだ。
 鉢植えとは人工である。人工とは文明である。ツユクサを鉢植えにして手を入れていると、人間はこうやって自然を飼い慣らしてきたんだなと、文明の発生さえ思ってしまうのだ。

投稿者 玉井一匡 : 10:24 PM | コメント (0)

April 03, 2011

たんぼ沿いの土筆・川べりの桜

Tsukushi2011S.jpgClick to PopuP

 地震であれ津波であれ、自然の尺度では日常的な活動にすぎないものが人間の世界にとってはおびただしい被害をもたらす災害になった。それがまた技術の愚かさを露わにする大きな災難を導いた。それでも、自然は着々と季節の変化をすすめてゆく。
 新潟では、福島から避難してきた人たちを近くの体育館でも受け入れているが、ショッピングセンターではにぎわいも棚の商品も普段と違いがないし、まちの雰囲気も東京のように活気のなさは感じられない。県庁に勤めている隣のTさんにそう話したら、新潟県は全国でも一番多く避難のひとたちを受けいれていると教えてくれた。夜中でも、震度5を超える地震がくれば彼はすぐに県庁に行く。新潟は、災害への備えを日常生活のかたわらにいつも置いているようだ。

 火曜日に新潟から東京に戻ろうとしてバス停に向かっているとき、低い位置にある田んぼと歩道をつなぐ斜面に、まだ多くの草たちが冬枯れの葉をのこしているのに土筆が顔を出し埋めつくしていた。まだダウンパーカーがほどよく感じられるほどの冷たい風にも、春はもうやってきているのだ。
 カメラを取り出して写真をとったから、遅れを取り戻すべく走ったけれどおよばず、あと50mというところでバスが発車して、ぼくは新幹線の予定を一本おくらせた。

Sakura2011S.jpgClick to PopuPSakurasuzumeS.jpg

 金曜の朝、事務所にゆく途中の神田川べりの桜並木が、つぼみを開きはじめていた。いつもの春とおなじように、数本の木からクルクルクルと竹とんぼのように花びらを回転させながら一輪一輪と桜が舞い降りて、道路に春を散りばめていた。ぼくも、いつもの春のように帽子を左手にとって、一輪ずつ花をあつめた。見上げれば、二羽のスズメが枝をあちらこちらと渡りながら花をつついては落としている。毎年のように。

 東北にも、やがてさくらの春がくる。地震と津波がなにもかも奪い去ったが、それでも奪い残したさいわいがいくつかある。これから春に向かおうとする季節もそのひとつだ。桜の花の下にブルーシートを広げて綱を張り大声で酔っぱらう花見は風流からはるかに遠いが、さりとて、津波は天罰だと暴言を吐いた知事が掌をかえすように花見は自粛すべきだなどと言えば、きみにそんなことを言われる筋合いはないと思わずにいられない。
 それよりもむしろ、花と再生の季節に際して、日本と世界の骨格をつくるための大きな目標を提示すべきではないか。自然環境を破壊しない(原子力に依存しない)エネルギー形式、そしてエネルギーやモノを無駄に消費しない生活形式を目指して再出発しようというだけでいい。北国の春をともによろこび楽しむ花見をその出発点としよう・・・そんな発言に多くの人たちが応え、実現のための具体的な行動に立ち上がろうとする。それほどの信頼を得ることのできる人が、どこかにいるはずだ。

■関連エントリー
岩波書店の英断!世界1月号PDF公開/MADCONNECTION 3月28日:世界1月号の『特 集 原子力復興という危険な夢』をPDFで公開しているというエントリー。
ここでは、風力や太陽光発電の可能性についても論じています。
■関連ウェブサイト
「世界」1月号/岩波書店:上記のエントリーからのリンクと重複しますが念のために

投稿者 玉井一匡 : 04:21 PM | コメント (2)

March 14, 2011

死都日本

ShitoNippon.jpg死都日本/石黒耀著/講談社
 ひと月ほど前に読んだ本だが、書名があまりにも現在の状況とかさなって重く感じられるかもしれない。たしかに、内容を読むめばさらに現実と重なる。しかし、自宅待機で繰り返し同じような番組のテレビにを見てウンザリするよりは、むしろこの小説を読んで、これから起きるかもしれない事態に腹をくくる方がいいかもしれない。
 この本は、地震でなく霧島の火山群が大爆発して日本全体が存亡の危機に追い込まれるというクライシスノベルだ。これを読んだ当時、現実界では新燃岳の噴火が起きているときだったから具体的な想像がひろがって、読み出すと止まらない。途中でGoogleEarthを開いては地形や位置を確認する。そのころは自転車が壊れていて電車通勤していたから電車の中でもiPhoneを片手からはなせなかった。
 友人にすすめられてすぐに図書館から取り寄せたが、単行本では4cm近い厚さを一気に読み終えた。

 物語の社会的な背景は、長年の保守一党と官僚による支配を選挙によってくつがえし政権交代を実現させたばかりの「共和党政府」が、これまでの負の遺産を受けついで苦労しているところだ。というと現実のできごとに便乗して書かれた代物のようだが、出版は2002年。小泉内閣の時代、日韓ワールドカップの開かれていた年でもあるから、むしろ8年も前に現実を予見しているのだ。首相の姓は菅原といい、それも現実との符合を思わせるが、思想も力量も現実の首相は小説の人物に及ぶべくもない。

 10年近く前の出版だが、いままでぼくはこの本の存在をまったく知らなかったし、世間でも話題になったことはない。主人公は宮崎の大学で教える異色の火山学者。日本の神々による国造り神話は霧島の火山群を中に囲む巨大な加久藤(かくとう)火山の大噴火を象徴化したものだという持論をかねてから展開している。Googleマップの航空写真で見ると、この火山群を中に取り込む大きな火口が地形として残っていることがわかる。天孫降臨の地とされる高千穂峰は霧島山のすぐとなりにある。その霧島が、何万年に一度という規模の大噴火を起こし、日本列島の大部分に壊滅的な被害をもたらすのだ。
 地震ではその地域だけが被害を受けるが、大噴火は上空から降り注ぐ火山灰が遠くの地にも影響を及ぼし天候への影響は全地球に及ぶのだと、この本で知った。しかし、・・・・破壊された原子力発電所は、世界中の空間を汚し、何百年ものあいだ汚染を続けるのだから時間をも汚染する。

 もし、運よく日本が第二のチェルノブイリになることを避けられたら、そのときわれわれ日本は、これまでの国家と電力会社が手を組んで国中につくった原子力発電所をきっぱりとやめ、ほかのエネルギーと負担の軽減という方向転換を目指すべきだ。
そういう目標があれば、「計画停電」であろうが節電であろうが、苦労を希望に変えることができるし、命を奪われた人たちに報いることもできるだろう。

■参考マップ
加久藤火山/Googleマップ
チェルノブイリ/Googleマップ
スリーマイルズ島/Googleマップ 驚くべきことに、この島は内陸の川の中洲なのだ
福島第一原子力発電所/Googleマップ

投稿者 玉井一匡 : 11:11 AM | コメント (12)

October 10, 2010

彼岸花4:彼岸過ぎから

Hiiganbana2S.jpgClick to PopuP
 もうだいぶ前のことだが、すきな花だから彼岸花は以前にも一度エントリーしたことがある。(「彼岸花:両義的な偏屈」/MyPlace)こいつは毎年ふしぎなくらい正確に彼岸のころに花を咲かせるから日照時間を物差しにしているのかと思っていたが、今年はあきれるほどのあの暑さのせいなのだろうか1〜2週間遅れて彼岸が過ぎてから咲いた。気温の変化も関知して咲くのだろう。今日、新潟にやってきたら、鮮やかな草の緑を背景に一面にというには数が少ないが全体にちりばめられている。惜しいことにちょっと盛りを過ぎていたが、それでもきれいだ。この花は、よくみるとたくさんの花が茎を中心にして円を構成するように集合していて、線香花火が四方に火花を散らしているように雄蕊がのびている。

 うちの墓地に、ぼくはこの彼岸花を育てている。もともと二三カ所に球根があつまって、30cmほどの塊になっていた。球根は、毎年のようにふくらんでゆくから、周りの方にある球根は外へ外へと増えてゆけばいい。しかし、群れの中央では外にむかっては膨らんでゆきようがない。だから、上の方に膨らんで、地表に盛り上がってゆく。そういうのをみていると、豊穣というよりはあまりにも窮屈そうだったので、それを株分けしてやった。いずれは秋になると一面の彼岸花に墓石が埋もれるようにしたいとくわだて、縦横1mの格子の上に数個の球根の塊を植えた。いまはその途上あるから、身をよせあう数本ずつの花が1mほどの間をあけて散在している。
 

Higanbana1S.jpgClick to PopuP
 いなかのことだから、うちの墓は寺ではなく家の前の道路をはさんだ向かいに、カイヅカイブキに囲まれた3m×5mほどの一郭に墓が7つ建っている。ひところ、父が墓に凝っていた時期があって、「**家先祖代々之墓」というのはいけない本来はひとりにひとつずつ墓を建てなければいけないのだと主張していたが、自分の順番が近づいてきたので何か思うところがあったようで「玉井家始祖歴代之墓」という七つめをつくった。
 以前に親戚の家の墓が30以上もあったのをひとつにまとめたことがあったが、うちもひとつにまとめたいと母は口癖のように言う。たしかに、あまりたくさんあるとついつい億劫になってしまうのだ。

 ちなみに、7つの墓の内訳は、ぼくとの関係で表記するとつぎのようなものだ。
1)始祖歴代 2)曾祖父母 3)祖父 4)ぼくの姉妹 5)そのむかしに間引きされたり、もう少し近いむかしに中絶されたりした子たち 6)歴代の先祖やぼくたちに迷惑を受けた人々 7)かかわりのある生き物たち

 ぼくたちに食われた生命たちは、7)の墓に入っているのだろうか。
この地方、それとも浄土真宗がみんな莊なのかもしれないが、墓に入れる骨は骨壺にいれない。納骨の時には骨壺から骨だけを注ぎ込む。骨を入れるところの底は土になっているから、骨は文字通り土に還るのだ。だから、そのうち僕の肉体は土になり窒素やカルシウムが彼岸花の一部になるのだ。
DNAの存在や、生命を動的平衡ととらえる生命観は、じつは始祖歴代だの**家先祖代々の墓という考え方が必ずしも鬱陶しい家制度のしるしというわけでもないように感じさせるようになった。

■関連エントリー
彼岸花1:両義的な偏屈
彼岸花2:冬/記号としての緑
彼岸花3:窮屈な成長

投稿者 玉井一匡 : 11:36 PM | コメント (2)

July 27, 2010

二酸化炭素温暖化説の崩壊

Co2Earth.jpg『二酸化炭素温暖化説の崩壊』/広瀬隆/集英社新書

 地球温暖化が二酸化炭素によって引き起こされているということは、いまやほとんど疑う余地のない人類共通の認識のようなものになっている。だからといって、二酸化炭素の排出が少ない原子力発電は環境にやさしいクリーンエネルギーなんだと電力会社にいわれると、どこかおかしいんじゃないかと思わずにいられない。
 かつてマイクル・クライトンが小説「恐怖の存在」で二酸化炭素による地球温暖化説を批判し、NHKの長時間インタビューでこの本のことを語っているのを見た。二酸化炭素を減らすことに集中するあまり本来するべき対策を怠ることになるのは危険だと主張していた。以前にこのブログでも、そのことを「不都合な真実」と「恐怖の存在」というタイトルでエントリーしたことがある。
 ぼくはどちらの説も一方だけを信じる気にはなれないが、その後マイクル・クライトンが世を去り、鳩山由紀夫やオバマまでいずれも原子力発電の推進を温暖化対策の重要な柱にすると言い出すようになると、さすがに心配になった。余談だが、前後関係を調べているうちに、マイクル・クライトンが死んだ2008年11月4日はオバマの大統領選挙勝利が決まった日だということを知った。

 著者の広瀬隆は、30年ほど前に「東京に原発を」という本を書いた。いうまでもなくこのタイトルは逆説で、主旨は反原発である。安全だというなら、原子力発電所を新宿の新都心にでもつくれば廃熱を地域冷暖房に活用できる。でもそれをやれずに日本海がわに原発をつくるという非効率をあえてしなければならないのは、原発が危険であることを知っているからだという主張だ。この本でぼくは、原発というものは核反応による熱で水を温めて蒸気をつくり、それでタービンを回すというだけの装置にすぎず、核エネルギーのうち2/3は利用しないまま熱として海に捨てられ、電気になるのはわずか1/3であることを知った。

 本書では、二酸化炭素地球温暖化説の根拠とされている数々の現象を取り上げて、その仮設が間違であると指摘し、むしろ太陽の活動やエルニーニョ現象、冷房によるヒートアイランドなどが原因であると主張する。異常な高温と裏腹に起きている異常な低温についてはメディアもあまり報道しないという。具体的なグラフなどを提示しての論理には説得力があり、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)はCO2による地球温暖化の研究でアル・ゴアとともに2007年のノーベル平和賞を受賞したが、データの使い方を意図的に曲げているところもあり、ノーベル賞を返還すべきだとしている。まして、CO2 削減の対策として原子力発電を増やそうとしているのは大きな間違いだとしているのは、いうまでもない。

 著者・広瀬隆は、こう言う・・・多くの資料は、だれもが入手できるものだから、私の言うことをそのまま信じないで、自身で調べて確認してほしいと。(じつは、読み終わった本をすぐにあげてしまったので手許にないから、ぼくは正確な引用ができない)ぼくは、まだそれを確認していないから、温暖化についての彼の説が正しいかどうかはまだ自分では確信できない。
 しかし、仮にCO2が地球温暖化の原因だとしても、その対策としてエネルギーを原子力に頼ろうというのは間違いだとは思う。炭酸ガスは、動物が生きているかぎり必然的に排出するものだから、それが増えたとしても量の増加に過ぎないが、順調に動作しているときでさえ原子力発電がつくり出す放射性廃棄物や、事故がおきれば大量にまき散らされる「死の灰」は、もともと自然状態では地球上に存在しなかったものだ。われわれ人間は、それをどう処理すればいいか今も知らないから、そのうち誰かが何かの方法を考えつくまで地下深く貯蔵しておくことにしている。

 かつて学んだ確率論の基礎の基礎を、ぼくだって今も少しは憶えている。ものごとの起きる確率とそれによって得られる利益の大きさの積を「期待値」という。たとえばルーレットのルールでは、どういう賭け方をしても期待値が同じになるようになっている。調べてみたら英語では「Expected value」。それが「マイナスの利益」つまり損害をもたらすときには「期待値」はマイナスになるはずだが、マイナスの期待値を何と呼ぶのかを僕は知らない。
 これまで原子力発電所でときどき起きた事故を見れば、事故の確率はそれほど低いとは言い難い。一方、それのもたらす「マイナスの利益」はどれだけ拡がるか、どれほど深いものであるか見当がつかないほど大きく放射能がひどく長くつづくことは分かっている。しかも遺伝による被害が何世代伝えられるものなのか、想像がつかないほど大きい。・・・だから「マイナスの期待値」はとてつもなく大きいのだ。だとすれば、ぼくたちは原子力エネルギーの利用に対してはあくまでも慎重でなければならないと考えるのは、あたりまえのことではないか。

■関連エントリー
正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために/MyPlace
「不都合な真実」と「恐怖の存在」/MyPlace
■参考ウェブサイト
IPCC公式ウェブサイト
地球環境・気象/気象庁公式ウェブサイト
地球温暖化/wikipedia
気候変動に関する政府間パネル 略称:IPCC/日本語wikipedia
Intergovernmental Panel on Climate Change/Wikipedia
 

投稿者 玉井一匡 : 11:18 PM | コメント (0)

June 02, 2010

Mさんの門:テイカカズラの花とタネ

TeikakazuramonS.jpg うちの玄関前の鉢植えの植物をいじっていると「おはよう!」という声がする。
振りかえると、いつも笑みをたやさないひとが手を挙げている。
彼は、背をまっすぐに伸ばして軽やかにあるく人でもあるから、会ったあとにはしばらくぼくもいい姿勢になる。
彼はDPEのあたらしい袋を持っていた。
「フィルムのカメラなんですか」
「そう、あたらしいのはダメなんだ。
川の擁壁の工事が面白くて、このごろ毎日、写真を撮りにいくから現場のおじさんたちもなかよしになっちゃった」と写真を見せてくれた。
それが昨年のことだ。近くの川の流量を増やすために、川底を1mほど深くする工事を始めて2年ほど経っていた。
たいていの人は音がうるさいの振動するのと言うけれど、工事を見ているのが面白いと思うひとは少ない。

 Mさんのすまいは、坂をすこしのぼったところにある、大谷石の擁壁に支えられた角地。
板張りの壁に瓦屋根という古い家の玄関前には、簡素な屋根をのせた門がある。
そこに蔓性の植物が巻きついていて、初夏には白い花が柑橘系の甘い香りをあたりに漂わせるので
ぼくはその名をたずねたことがあった。
テイカカズラっていうんだよ」
藤原定家ですか?」
「そう、定家みたいにしつこく墓石にまとわりついたりするから」
おおかた想いを寄せた女のひとの墓だろうが、定家がどんな風にしつこかったのかをぼくは知らなかったけれど
そのときはゆっくり話をしている暇がなく今もってたずねそびれたままでいた。
けれども、そんなふうに言われれば二度と忘れない。 
あるとき、Mさんは門を作り直した。
切妻の屋根は、竹を組んで藤棚のような形式にしたので下から見上げてもテイカカヅラが見えるようになった。

TeikakazuraMonnakaS.jpg 先週、そのテイカカズラが満開になった。あたりをただよう香りはそこはかとないおだやかな甘さだ。
朝、通りがかりにカメラを構えていたら向こうからやってくるひとがいる。Mさんではないか。
「テイカカズラの門がきれいだから写真を撮らせていただいています」
「中から見るのがいちばんいいよ」と、Mさんは門をあけてくださった。
大谷石の階段を数段上がるので、ふりかえると見おろすような位置になる。視界いっぱいにテイカカズラが広がっている。植物はそれだけではない。家のまわりには、数え切れないほどのさまざまな植物が埋めつくしている。ユキノシタ、木瓜、木賊、富貴草、オダマキ、ホトトギス、お茶の木、ヤマブキ、枝垂梅、アジサイ、ムラサキツユクサ、スグリ、胡桃・・・・すべて在来の植物なのだ。それに、生きのいいヤブ蚊もふんだんにかけた香辛料だ。

TeikakazuraTaneS.jpgTeikakazuraACS.jpg「ちょっとまって」と言ってMさんは玄関に入って小さな木の箱を手にしてあらわれた。
「これ、なんだかわかる?」
「・・・・・」
「テイカカズラの実とタネなんだよ」
おもいがけない形だった。細長いサヤの中に細長いタネがお行儀よく並んでいる。
サヤを開くと左右に一列ずつ。ちょっと触れるとタネがサヤからでて、タンポポのような羽毛をひろげる。それが風にのって翔んでゆくのだ。

「これ、ぼくが作ったの。傑作でしょ」
エアコンの室外機の目隠しが、独創的だ。作り替える前の門の柱だろう古い角材と植木鉢を積み重ねて、植木鉢の水抜きの穴に針金を通して縫い合わせてある。
「素人がつくるときにはプロみたいにつくろうとするんじゃなくて、プロより素敵なものをつくろうとするほうがいいとぼくは思う。こういうのはプロではできないですよ」と、讃辞をおくった。
 しかも、こういう古い和風の家のあるじが、かつてバレーリーノであったという取り合わせを思うと、ぼくはなんだかうれしい気分になるのだ。バレリーナっていうのは女の人で、男はバレリーノっていうんだと教えてくださったのもMさんだった。新国立劇場の舞踊部門チーフプロデューサーをやめたとうかがってから数年になるから、年齢はもう70をこえただろうが、20数年、Mさんは姿もふるまいもちっとも変わらない。

■追記
 テイカカズラの名称と定家の関係をまたMさんに質問すると、内親王の霊の出てくる能の話があったと思うよということだったので、今度はWikipediaの力を借りた。後白河天皇の皇女、式子内親王に思いを寄せる定家の恋を描いた「定家」という能の物語が、テイカカズラの名の由来なのだということがわかった。

投稿者 玉井一匡 : 09:51 AM | コメント (2)

September 21, 2009

「生物と無生物のあいだ」

Seibuts-Museibutsu.jpg「生物と無生物のあいだ」/福岡伸一/講談社現代新書
 近隣のブログでこの本が話題になっていたころ、ぼくはなにか他の本をよんでいて話に加わることができなかった。以来そのままだったのだが先日になって読みたくなってしまった。
福岡氏の本は初めて読んだが、なるほどおもしろい。おもしろいというだけではない、生命とは何であるかという、すくなくともぼくにとっては何よりも重要なことについて、明快な答えが示されている。
ひとがものごとを理解するには、まず、知りたいという好奇心が必要だ。好奇心があってこそ、ある事実を提示されたときにそれを貪欲に吸収し理解することができる。それよりもさらに激しい知的な飢餓感があってこそ、まだ誰も知らない事実の発見という地点に到達することができるのだ。
 福岡氏が文章にすぐれているという定評があるようだが、ここでは門外漢である読者さえ知的好奇心を抱くように導いて、研究者たちの知的な飢餓感を満たされたときのよろこびの一部を共有させるのだ。

 ここに書かれているルドルフ・シェーンハイマーの実験は、ネズミに重窒素を含むアミノ酸のある餌を与えて重窒素がどこにあるかを追跡する。体外に排出されるのは、その3割ほどにすぎず、7割ほどがすぐに別のかたちのアミノ酸として体内のあちこちの部分に取り込まれ古いものと置き換わることを発見する。アミノ酸は、つねに新しいものによって置き換えられつづけるのだ。この実験と発見は1935年という昔のことで、きわめて重要なことであるにもかかわらず、この実験そのものもそれがあきらかにした事実も、ぼくは知らなかった。
・・生物というものは、つねにそれを構成する分子が、体内に摂取された新しいものとごく短い時間で入れ替わり続け、古いものは捨てられる。・・・この「動的平衡」状態(つねに一部が替わりながら、同じ状態を保ちつづけること)と、DNAによって自己複製できることをもって生物を定義するというのだ。
wikipediaを探してみたら日本語のwikipediaには「ルドルフ・シェーンハイマー」の項目はない。英語に切り替えてみるとRudolph Schoenheimerの項目はある。あるにはあるが、この指摘の重要性からすれば書き方はけっして丁寧に書かれているわけではない。あまり重視されていないのかもしれない。しかし、ぼくには、とてもわかりやすく自然の根幹を理解させてくれた。

Seibt-MuseibtIse.jpgClick to Jump to 伊勢神宮website
 これを読みながら、ぼくは伊勢神宮の式年造替(しきねんぞうたい:伊勢神宮のサイトには「式年遷宮」と書かれている)を思い出した。式年造替は、20年ごとにまったく同じ社殿をとなりに建て、あたらしい建物ができると古いものを解体する。物体としての神殿を定期的につくりかえることによって、様式やそれをつくる技術などを維持し続けるという逆説的なありようがとてもおもしろくてぼくはすきなのだ。じつは、生物体内の分子レベルでも、それと同じようなことがはるかに短い時間で、つねにおきているというわけだ。
 そういう思いがけない一致にも、ぼくは神の存在を感じるわけではない。けれどもこの事実は、ぼくたち人間が、文字通り自然という大きな流動的なシステムの一部分であるということを証明してくれる。
 生物の個体であるぼくという人間が、分子のレベルでは他の生物の部分と共通のものからつくられ続けている。ぼくという生物は、文字通り自然の一部として存在するこの瞬間の状態のことなのだ。

 「生物学と有機化学の年表」/wikipediaによれば、シェーンハイマーの実験は1935年に行われた。
この同じ年には、コンラート・ローレンツによる「刷り込み」理論も発表されている。
なんという輝かしい年なんだろう。

■追記
 このエントリーを書いたとき、日本語のwikipediaには「ルドルフ・シェーンハイマー」の項目はなかった。久しぶりにこの本のことを思い出して、自分のブログを読み直した。自分がどう考えたかを忘れてしまうときに、とても役に立つから、本についての記述は、自分自身のための記録なのだ。ついでにwikipediaで検索すると、、ルドルフ・シェーンハイマーの項目がつくられているのをみつけた。英語版を翻訳しただけの内容だが、もう少し丁寧に書いてくれればいいのにと思う。

■近隣エントリー
生物と無生物のあいだ/aki's STOCKTAKING
生物と無生物のあいだ/MADCONNECTION
生物と無生物のあいだ/ CHRONOFILE

投稿者 玉井一匡 : 11:03 PM | コメント (0)

August 06, 2009

パンダの赤ちゃんが生まれた。

panda_newborn.jpgClick to see Panda born.
もしかしたら、今日はオバマが予告なく広島を訪れたことについてエントリーができるかと、かすかな希望をもっていたのだが、実現しなかった。たとえば、なんで真珠湾攻撃をしかけた日本に謝罪しなきゃならないんだという強い主張も国内にあるだろう。しかし、もうすぐ日本の政府も交替すれば、国家としての日本もおくればせながらもう一歩前進して、オバマの来日をみちびくように期待しよう。

 代わりに、北朝鮮に捕まっていた女性記者をクリントンが連れ帰った。そしてもうひとつ、8月5日にサンディエゴ動物園でパンダの赤ちゃんが生まれた。名前はまだないのは無論だが、体重も性別もわからない。母親が、手放さないのだ。上の写真をクリックすると、動物園のサイトに飛んで、誕生の瞬間をムービーで見られます。

以前にも、ここで生まれたパンダのことをエントリーしたことがあったけれど、あれはいつだったのだろうと探してみたら2007年8月3日だった。ほとんど同じ頃に生まれているのだ。前回と同じように今回も、24時間放送のPandaCamで、パンダのハラハラ育児をリアルタイムの映像で見ることができるのです。前よりも、コマ数が多くなって、動きがスムーズに見えるように思います。

 二年前と同じく、母親はBai Yun "White Coud"とあるから漢字で「白雲」と書いてバイユンと読むのだろう。1991年9月7日生まれ201〜214ポンド
父親はGao Gao "Big Big"というのは、漢字でどう書くのかわからない。推定1992年生まれ162〜174ポンド。

*関連エントリー
パンダの赤ちゃん・8月3日誕生・サンディエゴ動物園/MyPlace
Panda Cam/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 08:28 PM | コメント (4)

March 20, 2009

土筆と桜

Tsukushi-S.jpgClick to PopuP
先週末の新潟で雑草の間からいくつもの土筆が顔を出しているのを見つけた。
浅い鉢をさがすと、去年の春に水仙をいれたのがある。
まわりの春の草たちといっしょに数センチの表土をすくい、鉢の中に春の野を切り取った
さらに二株ほどの土筆を取ってきて増やし、杉の枯葉と緑の松葉を散らした。
それを、東京に連れてきて窓際に置いたのが、数日で様子が変わってきた。
あのときにはまだ固く穂を閉じていたのに、昨日の暑いほどの一日で開いたやつに触れると花粉の霧を飛ばした。
まわりのヒメオドリコソウ(にしては葉っぱが赤くないなと思って図鑑を見ると似ているがホトケノザだった)も花をつけはじめているが、神田川沿いの桜はどうしているだろう。

Sakura2009s.jpgClick to PopuP
神田川のほとりの桜のつぼみも赤みをおびているのを見て、毎年いちばんはやい桜はどうだろうと自転車を走らせた。
昨夜の帰りがけに見たときには蕾だったのに、今朝はもう二、三分咲きの木が3本も対岸で枝を伸ばしていた。Googleマップでみると神田川のこのあたりは、桜の季節の写真をつかっているのでした。
そりゃあそうだろう、今日ももう3月20日だ、そう思ってこれまでの年はどうだったろうかと探してみると
2004年3月18日のエントリーに、桜が咲いたことが書いてある。
百年に一度だと枕詞のように言われるこんな年にも、例年とさほど変わらない頃にさくらが開いているのだと思えば、ちょっと安心する。
ぼくたちの国では、様々な問題を抱えながらいつまでも同じ過ちを繰り返すけれど、大災害に遭っても泣きわめく人は少ないし、大混乱が起きることも少ない。
人間界に何が起ころうと冬が去り春が来て葉をのばし花を咲かせる自然を、根はいいやつなんだとぼくたちは思っているからではないだろうか
少なくともぼくはそう思っているんだ。
■春の七草のほとけのざ
春の七草のホトケノザは、正式には「コオニタビラコ」と呼ばれるやつのことなのだそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 11:55 PM | コメント (2)

March 12, 2009

モモの花とビニール袋

PeachFlowersS.jpgClick to PopuP
 きのうの夜はつめたくて強い風が吹いた。これからの季節、そういう日の翌日は朝の散歩ルートのところどころにちょっとした楽しみがある。
案の定、モモの木の下に20ほどのつぼみが階段の下と踏面に散っている。すでに開いたやつもあればまだ固いつぼみもある。おそらく今年もヒヨドリのはからいなのだろう。いつもは桜なのだが、今年はモモの花なので半月ほども早い。
透明のグラスに水をいれて、そこに首を刎ねられた桃の花たちを浮かべ、帰りがけに摘んできたペンペン草が白い花をつけたのを5本ほど挿した。
風はまだずいぶん冷たいのに、ああまた春がすぐそこに近づいたんだと思う。

 そういえば先日、この公園の入口にある階段の下で、ランドセルを背負った少年に出会ったときのことを思い出した。

PeachFlowers2S.jpgClick to PopuP
 雨の翌朝、3年生くらいの男の子が運動靴の右足を白いビニール袋の中に入れて、手かけのところを足に縛りつけていた。
じつは、それを見てぼくは彼が何を考えているのが分かったのだけれど聞いてみた。
「なんだい、それは?」
「階段の上に水たまりがあるから・・・」
「左足はいいのか?」
「左側は水のないところがあるから大丈夫」
「なるほど」
階段をのぼったところの右はコンクリートの擁壁が上に高く、左にはネットフェンスがあって10m ほどの擁壁の下を妙正寺川が流れている。その間の細い道には、雨が降ると水たまりができる。ビニール袋に足をくるんで、そこを歩くときに靴が濡れないようにしようというのだ、彼は。
「ぼくは水に入って汚れてもいいように、裸足にサンダルを履いてくるんだよ、ほら。水がたまってたら、君を抱いていってあげるよ」
「ほんと?」
「うん、いいよ。きみたちは集団登校じゃないのかい?」
「遅刻したから、こっちは近道なんです」
うちの娘も同じ学校だったから地図を頭に浮かべられるけれど、断じてその道は近道ではない。普通の道を行けば距離だって近いのだが、階段ものぼらないでいいし、ビニールの袋を履かなくたっていいのだ。
階段の上に行くと、もう水は引いていたので彼を抱えることはなく、クーが用を足しているのを待っているうちにボウズは先に公園を抜けていった。(この2枚の写真は、後日の雨の日に撮ったものです)

 ぼくが公園を出ると、道路を渡るところだった少年はガードレールを越えようとしていたらぼくに気づいたようだった。
「ここで渡っちゃおうかなあ・・・・」と、ぼくに聞こえるようにだろう、声にした。
近頃のテレビ番組で、あらかじめ次の画面を知らせるテロップが出て来るのに似ていた。
「遅刻ぐらいしてもいいから、気をつけろよ」
「うん」と言うなりクルマがとぎれたスキに新青梅街道を渡っていった。

こういうバカなこと(ガードレールを越えることじゃあないですよ)をする男の子が、ぼくは好きだ。
そのあと、彼との会話を思い出しながら笑いをかみ殺しつつ歩いた。

投稿者 玉井一匡 : 04:42 PM | コメント (2)

February 18, 2009

アカガエルと不耕起栽培

Akagaeru1S.jpgClick to PopuP
 近頃ではアカガエルを見ることさえ滅多にないが、先日の日曜日、彼には恐怖を味あわせてしまったけれど、ひさしぶりに手にとってみることができた。田んぼの中にはタマゴもたくさんある。中には、オタマジャクシになりかけているやつも沢山いる。卵を手に掬って近くで見ると、ひとつひとつが球形のゼリーの中にまもられているのがタピオカのようでちょっとうまそうにみえた。
 そこにはニホンアカガエルとヤマアカガエルの二種類がいるときいたので、その場でiPhoneを取り出しGoogleで探す。「ヤマアカガエル、ニホンアカガエル」と打ち込むとカエルのサイトがみつかったが、なにさま片手にカエルを持ったままでは、はなはだ扱いにくい。写真をとって、あとから調べることにした。目の後ろから背中に伸びる線のパターンで見分けがつくと書かれている。
こいつを放してやってから、水路に潜んでいるやつをみつけたので腹ばいになって3㎝ほどまでカメラをちかづけて写真を撮った。これは、ニホンアカガエルのようだ・・・と、あとになってインターネットで確認した。もちろん、カエルは田んぼに返してやりました。
 が、アカガエルにかぎらずアマガエルもそうだが身体の表面をつつむ液体は有毒なので、カエルをさわったままの手で目をこすったりしないようにしなければならないと書いてありました。こどもたちにさわらせるときには、あとで手を洗わせるようにしなきゃいけないわけだ。

 田んぼにメダカが棲まなくなったということが世間で言われるようになったのは10数年前のことだろうが、実をいえばそれまでぼくは気づいていなかった。何十年も、年に何回も新潟と東京を行き来していたのにだ。アカガエルがいなくなったのは、メダカがいなくなったのと同じく、乾田化が理由だ。産卵時期に田んぼの水がなくなってしまったのだ。
 農業を効率よく営むためには、機械をつかってできるだけ大規模に米作りをするのがいいと考えられてきた。鋤き起こすときには土が乾いてしっかりしていないと、大型の農業機械が田んぼの中に乗り込むことができない。それに、いったん水をなくしてやると稲は水を求めて深く根を伸ばすのでしっかり稲が育つのだと、農家のひとに教えてもらったこともあった。それぞれにいろいろな理由があって、不耕起栽培に踏み切る人はまだまだ少ないそうだ。

Akagaeru3S.jpgClick to PopuP
 アカガエルを見たのは、千葉県多古町の桜宮自然公園だ。ここは、面倒をみることがむずかしくなった谷津田を、周囲の里山をふくめて自然公園として公開した。その田んぼの一画を、不耕起栽培とその普及活動をしていらっしゃる鳥井報恩氏が米作りをひきうけた。不耕起の田んぼは大型の機械で田を鋤き起こすことがないので、冬も水を張ったままでおく。刈り取ったあとの稲もそのままにしている。二番目の写真で、残されたままの稲の切り株(というのだろうか)が水の中から顔を出しているのがわかる。
 だから、アカガエルをはじめとしてさまざまな生き物が育つのだ。カエルがいれば鳥はカエルを食いに来る。ヘビもふえたそうだし、カワニナも育って、それを食べる蛍も飛ぶようになったそうだ。人間が自然環境の一部分をとりはずすと、そこに依存していた生き物やその生き物に依存していた別の生き物が減ってしまうけれど、取り外したものをもとにもどしてやるとこんどはまた少しずつ生き物が増えてくれるのだ。里山は自然そのものではなくて、長い時間をかけて人間が飼い慣らした自然だが、放置された田んぼが増えればむしろ自然が広がるはずなのに、谷津田が生き返るとむしろ自然が生き生きしたように思えるのはなぜなんだろう。
 農業は人間と自然の境界にある。なかでも谷津田は自然と人間の領域がうまく重なり合っている領域だったのだ。グラデーションのように徐々にやさしくなっている人工と、おだやかになった自然が混じり合っているところなのだろう。

■関連エントリー
1.やせがえる/MyPlace
2.やせがえる・後日譚、というよりも先日譚/MyPlace
3.コモリガエル/MyPlace
■追記:アマガエルの目力(「メカ」ではなく「めぢから」と読んでほしい)
wikipediaのニホンアマガエルの項目にはおどろくべき記述があった。彼らの目はリトラクタブルなのだそうだが「大きな獲物は眼球をひっこめ、眼球の裏側で口の中の獲物をのどの奥に押しこんで呑みこむ。」というのだ。目の玉がとびだすってのはあるが、目の玉で食い物を押し込むっていうんだからとんでもないやつだ。

投稿者 玉井一匡 : 06:53 PM | コメント (6)

October 20, 2008

トロピカーナフィールドのエイ

RaysWinS.jpgClick to PopuPRaysTouchS.jpg
とうとうタンパベイ・レイズがレッドソックスをなんとか降してアメリカンリーグの優勝を決めてしまった。左の写真は、優勝直後のレイズのウェブサイトのムービーを止めたものだ。このとき岩村は、まだ右手にウィニングボールを握りしめている。
10年前1998年につくられたばかりの弱小チームをぼくが気にするようになったのは、昨年、ヤクルトから岩村が移ってからだから1年前のことにすぎない。Wikipediaには、去年までのことがこう書かれている。
「デビルレイズ時代の10年間の通算成績は645勝972敗(勝率.399)という数字で、2004年の地区4位以外はすべてのシーズンで地区最下位だった。勝ち越したシーズンは一度もなく、シーズン70勝に達したのも2004年のみ。」
去年まで、チームの名称はDevilraysといった。パンクロックのグループやプロレスラーならともかく、「悪魔」なんていうのは野球チームはつけそうにない名称だ。どういうわけだろうと気になったので、去年のシーズンはじめにチームのホームページを開いてみた。

 ホームはフロリダ半島西岸の中央に位置するSt. Petersburg:セントピーターズバーグ。(ロシア語ならサンクトペテルブルグだが、関係はなさそうだ。)devilrayは、このあたりの海、TampaBayだろう、にいるエイの一種なのだ。10年の実績の結果、勝利の女神は悪魔には微笑えまないという結論に達したのだろう、今年からDevilをはずして「Rays」になった。「ray」は「エイ」のことでもあるが、その前に「光線」の意味だ。太陽が売り物のフロリダだから「光」をチーム名にしたわけだ。それでも、ユニフォームの左の袖にはエイのアイコンがついているから、けっしてエイを捨てたわけではない。なにしろこのホームスタジアムであるトロピカーナフィールドの右中間フェンスのすぐ内側(いや、外というべきか)のスタンドにはRays Touch Tankと名付けられた、容量10,000(約38,000L)ガロンの水槽があって、20匹以上のcownose rayという種類のエイが泳いでいる。フロリダ水族館:THE FLORIDA AQUARIUMと提携して2006年にはじめた企画だそうだが、この池の中にレイズの選手がホームランを放り込むと、5,000ドルがチャリティに、2,500ドルが水族館にスポンサーから寄付される。この池のことを読んで、ぼくはますますDevilraysが好きになった。応援のときにファンがいっせいにカウベルを手にして鳴らすのは、このcownoserayにちなんでのことなのだろうか。
 試合前には子供たちにエイを触らせてくれるそうだ。youtubeを探してみると、こんな映像があった。

投稿者 玉井一匡 : 01:24 PM | コメント (10)

October 09, 2008

彼岸花3:窮屈な成長

Higanbana1S.jpgClick to PopuP
先週、 白い彼岸花を買ってきて植えたと野澤さんがエントリーをされたときに、「彼岸花:両義的な偏屈」という3年前のエントリーにコメントを書いてくださった。
 田舎によくあることだが、新潟にある墓はお寺の墓地ではなく住宅のならぶ一画にカイズカイブキの生け垣で囲われた3間角ほどの敷地に七つの墓が立っている。ひところぼくの父は、墓はひとりずつつくるものだと言っていたことがあったからだが、自分が入るときが近づいてきて、ひとりひとりの墓にしていたら数十年もしたらだれも来てくれなくなるということに気づいたのかもしれない。「玉井家父祖歴代之墓」ならまとめてもいいのだと言い出した。ぼくにはほとんど関心のない問題だからなぜなのか本人に聞いたことはなかったが、増殖することはなくなった墓は七つで安定した。
 そこに、秋分の日のころになると、きちんと彼岸花がひらく。

Higanbana4S.jpgClick to PopuP
ここを、いずれ秋は彼岸花が、春は水仙が一面に埋め尽くすようにしたいと思って、ときどき根分けして花の咲くところを拡げている。花が終わったら球根を根分けしていいだろうかと作一さんに相談すると、花が終わるとすぐに葉をつけるので、春になって葉がなくなったときに根分けするのがいいと言われた。
 ここに花を置いておいても見る人はあまりないから、十数本を切り花にしてうちに持ってきた。野に密生している様子を再現するように大きな器に入れたいと思ったが、そんな鉢はない。・・・が、大きさをもてあましていた大きな角のある樽を使うことにした。プラスティックの洗面器に水を張って剣山を沈めて彼岸花を挿した。なにしろ彼岸花の花には葉がない。かわりにツワブキの葉の茎を短く切って洗面器の姿がみえないように隠した。

 それから10日ほどしてから見ると、盛り上がった球根の集合からは、もう緑色の芽が出ているが、そこは、ことしは花をつけなかったところだ。なにしろ彼岸花の球根は、集合してどんどん増殖してゆくので、周囲のやつは外側にひろがればいいが、真ん中にいるやつらはふくらんだりひろがったりする場所がない。たがいに成長するための場所を求めるが二次元では解決しようがないので、かたまりの中央部が上に向かってふくらんでゆく。あまり窮屈だからなのか、花もつけない。そいつらは春になったらばらして全体に散らしててゆき、やがては一面の彼岸花の野にしてやろうと僕はたくらんでいる。

 だが、これが野生の状態だったらだれも株分けをしてやらないはずだ。際限なく増え続けたやつはどうなるのだろう。上に膨らんだあげく外に放り出されるのか、つぶされるのか、それとも共倒れになるのだろうか。といっても、人間は彼岸花を嗤う立場にはないのかもしれない。ひたすら経済の成長を続けているうちにどこかにしわ寄せのゆく世界もおなじようなものではないか。資源も国土も限られたのを承知の地球の上で成長の行き場がなくなり、他者を排除しようとしている。巨大になりすぎたやつは膨張することをやめて生きてゆくか枯れるしかない。枯れたところで、彼岸花には墓地が用意されているのだが・・・

■関連エントリー
「彼岸花1:両義的な偏屈」/ MyPlace
「彼岸花2:冬/記号としての緑」/ MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 08:45 PM | コメント (0)

September 26, 2008

ヤマボウシの実を食べてみる

Yamabohshi1S.jpgClick to PopuP
 先日、昼メシの帰りに飯田橋駅前を通る道を歩いていると街路樹の半分ほどが舗装の上に小さな実をたくさん落としていた。
直径1cmほどの実に4cmほどの柄があってサクランボを小さくしたような姿をしている。外側が赤い色をしているのだが歩行者たちに踏んづけられ中味の黄色が押し出され道路を、汚らしくしている。とはいえ、銀杏のような悪臭がないから歩く人も避けて通るわけではない。
木を見上げて葉を見ればヤマボウシのようだが、木や花には申しわけないことに、ここの街路樹がヤマボウシだったという記憶がぼくにはなかった。ヤマボウシとハナミズキは花が似ているのに、これは実の形がまったく違う。ハナミズキは、アオキの実のような細長くて真っ赤なやつを数個、枝先にじかにつける。
 実をひとつ拾い上げて、セミの抜け殻以来クセになったのかもしれないが食べてみようと思った。「毒かも知れない」と言われたが、植物は鳥たちにタネを運んでもらいたいから、大部分の植物の実はうまいと思ってもらえるようにつくられているはずだと思った。

Yamaboushi3S.jpgClick to PopuPYamabohshi2S.jpg 小さな実は表面がざらっとしているのに柔らかくて、指先でつまんでみるとポニョポニョして犬の足の肉球のような手応えだ。それを二つに分けて見ると、中味は黄色くてネットリ、ベトベトしている。
 食べてみる。・・・・甘い。なかなかいけるではないか。ちょうどマンゴーのようだ。たくさん集めれば、ヤマボウシジュースができるだろう。ただし、ひとり人分のジュースをつくるには、一体どれほどの数が必要だろう。写真にとって拡大してみると、なかなかグロテスクな面構えではないか。味もそうだが、姿も南国の植物のようだ。
 もどってからWikipediaをひらくと、たしかに書いてある。マンゴーのような味だと。それだけではない。皮も、熟したものはシャリシャリした歯ごたえで甘みがあると書いてある。それをもう一度たしかめて追加しよう。英語版に飛んで見ると、実が皿の上に載っている写真もある。

 ハナミズキは桜のように、葉のでない春先のうちに花をつけるのがうれしいし、紅葉もきれいなうえに実をつけるから野鳥がやってくる。文字通り一石三鳥だと思って、ぼくもひところ植栽につかったけれど、かつて尾崎咢堂(行雄)が東京市長のときにワシントンに贈ったさくらのお返しに日本に来たという来歴のおかげもあって、かなり街路樹などに流行した。できれば植物は在来のものを植える方がいいだろうとぼくは考えるようになったので、その後はあまりつかわなくなった。
ヤマボウシは花より先に葉をつけるし、色も白しかないからずいぶん地味だけれど、日本の在来種だ。両方ともミズキ科だから花の形は似ているけれど印象はずいぶん違う。ところでミズキっていうのはどんな木なのか、ぼくは知らなかったことにきづいた。調べてみたら、なあんだ、いつも公園でみかけながら、なんという木だろうかと気になっていたやつだった。
たしかに、花は違うけれど葉っぱはヤマボウシとよく似ている。

■参照
 ヤマボウシ/Wikipedia
 ヤマボウシ/Wikipedia英語版
 ハナミズキ/Wikipedia
 ハナミズキ/Wikipedia英語版
 ミズキ/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 11:03 PM | コメント (21)

September 03, 2008

ヘクソカズラはくさいか?

Hexokazura1S.jpgClick to PopuP

 世の中にひどい名前というものはいろいろあるが、「ヘクソカズラ」は、中でも一二を争うものだろうと前々から思っていた。漢字にすれば「屁糞葛」ということになる。あまりではないかと思っていたのに、これまで自分でにおいを嗅いでみたことがない。さぞかしひどい匂いがするだろうと思って気が進まなかったのかもしれない。
 公園のフェンス沿いの雑草にからみついているやつの花に、おそるおそる鼻を近づけて嗅いでみた。・・・が、これは悪臭とはいえないぞ。匂いでなく香りと言いうべきだ。むしろ芳香かもしれない。いったいどういうわけで、こんな名をつけられたんだろうか。

Hexokazura2S.jpgClick to PopuP

 「草木花 歳時記」という本がある。その夏の巻、末尾の索引から探してみるとヘクソカズラはあった。
あるにはあるのだが、本文の見出しには「灸花(やいとばな)」という名が使われていて、その下に別名として「へくそ葛、早乙女花」。「かわいい花に似合わず、茎や葉にいやな匂いがあるので屁糞葛の名のほうが一般には通りがよい」と書かれている。

「やいと」とはお灸のことだ。花のかたちが、盛り上げたモグサのようだし花を外側から見れば白いのに内側が濃い赤なので、白い肌を透かして赤い色が見える。それが、ちょうど火をつけたお灸が中の方で燃えているさまに似ているからだと説明されている。歳時記に書かれている別名というのは、とかく気取ったものいいにつかわれそうなものが多いけれど、さすがにこいつは特別扱いをしてやりたい。
この本の解説には葉や茎に悪臭があるのが、へクソカズラの名の由来だと書いてあった。花ではなくて、茎と葉がくさいのかと思って、茎と葉の匂いを嗅ぐために、また公園に寄ってみた。

葉と茎に鼻を寄せてかいでみるがどちらにも、なんの悪臭もない。つまんでつぶしてみたが悪臭はない。
ためしに、茎と葉を少し食べてみた。が、ただ青臭いだけだった。
何の恨みがあるんだろうか、ひどいぬれぎぬではないか。そうは思うものの、すでに深くぼくの記憶に刷り込まれた「ヘクソカズラ」は、もう消しようがない。ちっとも臭くないんだと知ってからは、こういう名称をあたえた人間たちを「ヘクソカズラ」が、むしろあざ笑っているように思われる。お前はやはり、ヘクソカズラと呼ばれながら、じつはなかなかいい香りがするんだと思いながら大きな顔をしているがいい。

■関連エントリー:「季語」/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 11:06 PM | コメント (6)

August 16, 2008

七十二候 寒蝉鳴(ひぐらしなく)

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 七十二候ということばをぼくが知るようになってから、じつはまだふた月ほどにすぎない。
「住まいネット新聞・びお」は新聞の体裁をとったウェブサイトだが、そのタイトルのわきの欄、新聞でいえばコラムにあたるような「びお・七十二候」という小さな欄がある。小さな欄といってもクリックすると1ページをつかってその季節とことばについて書かれている。ぼくたちは時間を季節というかたちの環境の変化によって感知しているのだと、読むごとに確認するのがたのしい。
 この72という数は24×3、つまり、二十四節気のそれぞれを三つにわけたものだから、一年で72になる。それを毎年くりかえすという時間の概念は、ぼくたちの住むところが、季節の変化のゆたかな場所であることを物語る。

今日は、七十二候「寒蝉鳴く」。二十四節気でいえば「立秋」、今年は8月8日。
ヒグラシは「蜩」でなくて「寒蝉」とも書くのだと知った。

「住まいネット新聞・びお」をはじめるにあたって、発行人たる小池一三さんは、ほぼ日刊ならぬ「ほぼ週刊」のウェブサイトにしたいのだとおっしゃっていた。その、ほぼ一週間という時間の単位として「節気」を使うことにしたわけだ。上記の逆算で、五日ごとに変わる節気を72あつめれば5×72=360で、ほぼ一年になるというわけだ。

 時間の座標を、季節の変化と人間の暮らしのかかわりかたで表現するというのは、とてもすてきなことだと、つくづく思う。時間を自然環境の変化によって表示するのは、季節の豊かな日本ならではのことだと思ってしまいそうになるが、むしろ、今の日本語のようにドライに数字だけで月をあらわす言語があるとは聞いたことがない。世界を認識するのに、数字でなく自然のありかたを仲立ちにするのは、生物としての人間にとってすこぶる自然なことなのだ。
 動物や植物と気候の変化を時間の指標にしようとすれば、桜の開花時期のように地方によってズレが生じる。だが、国家というものが整備され、情報の交換が進めばどこかの地方の自然の変化を基準にしなければならなかっただろう。だとすれば、ときの中央政府のあったところ、「みやこ」のそれが使われたに違いない。辺鄙な地方に飛ばされた中央の役人などは、歌を詠み手紙を書くたびに時差を実感しただろう。

 1年を12に分割してそれぞれに1から12の数をわりふるというのは、日本に太陽暦が導入されたときに、始められた方法なのだろう。コンピューターを使い始めたころには、数字の大小が時間の位置を表示するのでとても便利だったが、今になってみれば、コンピューターの頭がよくなったから、月を数字で表すメリットはさほどなくなった。
 同じように、住居表示を、丁目・・番・・号という三層の数字によって表すシステムをつくり、町の名称を変えてしまったのも、コンピューターで扱いやすいし全国共通の表示ができるという、一見合理的な理由によるものだったのだろうが、古くから受け継がれてきた地名をぼくたちは数多く抹殺した。それとまったく同じことが、近年の市町村合併でも繰り返されて、たくさんの地名がなくなっている。合併した自治体の名称が、それまでにあったどこかの町や市の名称から継承すると、ほかの自治体が不満を言うのだ。その結果として、たいていはつまらない名になる。
地名を切り捨てて返す刀でちいさなコミュニティを数多くなくしてしまおうとしている。「保守」政党は、こういう「改革」には、なぜかとても前向きなのだ。もっとも、党是に憲法の「改正」を掲げているのだから、不思議なことではないのかもしれない。
 
■追記
これを書いたあと、「住まいネット新聞・びお」の「七十二候」を開いてみると、「寒蝉鳴く」の文章の中に「蝉のカラを集める人」のエントリーを紹介してくださっていたのでおどろいてしまった。

七十二候 (Wikipedia)
二十四節気(Wikipedia)
蝉の殻をあつめる人
蝉のカラ揚げ

投稿者 玉井一匡 : 08:19 AM | コメント (4)

August 13, 2008

蝉のカラ揚げ

SemikaralervesS.jpgClick to PopuP
 ”蝉の殻をあつめる人”のエントリーでChinchiko-Papaのコメントに反応して、蝉の殻を食べてみるとコメントで公言してから、いつのまにか数日が経ってしまった。
意識して引き延ばしたわけではないけれど、ついつい押されてしまったのはやはりいまひとつ美味そうに思えなかったからなのかもしれない。新潟に来た翌日の朝、5匹の抜け殻いや5匹分の抜け殻を集めた。研究する人のために残す配慮はいらないから、すこし多めにとってきたのだ。それを、AKIさんが泊まった昨夜、やっと食べて見た。

SemiKaraageS.jpgClick to PopuP
 天ぷらにしてみるかとも思ったのだが、ころもをつけて揚げれば何でも同じ天ぷらになってしまう。もみじの葉っぱなんてうまいはずもないが、天ぷらにして食べるとけっこううまくなる。だから、カラそのものの味を試したいし、かけことばにも惹かれて、カラあげにすることにした。
 何もつけずに、水で洗って乾かしたやつをそのまま油にいれた。ちょっと揚げすぎたのかもしれない、だいぶ黒っぽい色になった。1匹を秋山さんに強引に勧めた。おそるおそる醤油をつけて食べてみる。たとえば小エビのから揚げなら、いかにもうまそうな匂いがするけれど、こいつは匂いというものがなにもない。エビの殻のように揚げたときに膨らむということもない。まだかまだかと揚げているうちにただ黒っぽくなつだけだった。噛むと細かい破片になって口の中にはりついて、ただ食べにくいだけだ。うーむ、残念ながらすこしもうまくない。とにかく、4匹分を食べた。

 人間だって生物である以上、身体が必要とするものは美味しいと感じるようにできているはずだ。だから、ぼくはうまいと感じるものをたべることにしている。
つまり、うまいと思わないものは、身体が必要としていないのだ。・・・と思う。
味覚というものは人間が食べる必要のあるものや食べてはいけないものを選別するために備わった知覚であるにちがいない。
しかし、ぼくたちの祖先は、あるときは飢えとたたかうために、あるときは好奇心からその知覚の境界に挑んで、旨そうには見えないがじつはうまいというものを発見することで、すこしずつ少しずつ範囲を拡げてきたのに違いない。・・・だが、こいつはダメだと、ぼくは結論づけた。

投稿者 玉井一匡 : 03:14 AM | コメント (10)

August 06, 2008

蝉の殻をあつめる人


Semikara1S.jpgClick to PopuP

 クーの散歩をさせていると、いろいろなことにであう。
昨夜は雨が強かったので、夜遅く帰ってから朝とは違うルートをぼくがつれていった。その道に、大きな夏みかんの木が道路ぎわにのびる家があって季節には道にたくさんの実を落とす。拾うのはかっこわるいと思うのだろう、誰も拾わないうちにクルマに踏みつけられる。いまはもう時期を過ぎたけれど、たったひとつだが大きな夏みかんが道路に落ちていた。元気そうだったから拾い上げて連れて帰った。ふたつに切って大型のレモン絞り(100円ショップにある)でジュースにすると砂糖と氷を加えて大きなグラスにちょうど一杯分。
 今朝は、公園の柵のまわりでなにやらつまみ上げている人がいた。通り過ぎるときにちらりと見ると、蝉の抜け殻だった。

Semikara2S.jpg そんなことを言ったら、彼は気を悪くするかも知れないけれど、ちょっと見たところ福田康夫を気むずかしくしたような人だったが好奇心は止められない。
ちょっと引き返してたずねた。
「蝉の抜け殻を集めていらっしゃるんですか?」
気むずかしそうな顔が急に笑顔に変わった。
「ええ、生きているのをつかまえるのはかわいそうだから、殻をあつめるんです。ほら、この小さいのはツクツクホウシ
「ツクツクホウシはこんな小さいんですか?このごろ東京にはミンミンゼミが増えましたね。ぼくたちの子供の頃はアブラゼミばかりで、たまにミンミンをみつけると興奮したものですが」
「そうですね、気候が変わったんです。それに、ミンミンゼミは声が大きいから目立つんです。こちらがミンミンでアブラゼミはこれです。触覚を見ると分かります」
と、教えられてもぼくには区別がわからない。あとで調べてみよう。
「どれくらいの時間で何匹くらい見つかるものですか」
哲学同公園からここ(江古田公園)まで30分から1時間足らずで、40匹くらいでしょうか。見落とすのもあるから、昨日のもあるでしょうがね」
といって、重ねて持っていたもう一つの箱を見せた。その箱は、すでに一杯だった。
「漢方薬にも使われているんですよ」

 箱に重ねたノートには、細かく記録が書かれている。聞きたいことはまだたくさんあるけれど邪魔をしてはいけないと、このあたりで切り上げた。殻は逃げることもないから集めやすい。その数と位置と種類によって気候の生物におよぼす影響がわかるはずだ。まして、長年地中にいるセミのことだ、その間のこともなんらかの形でこの殻に書き込まれているのかもしれない。こどもたちが採っていくと数が狂いますねとたずねると、それは大した数ではないがカラスが食べようと待ちかまえているんだという。

■日本人は昆虫が好きだと言われるが英語版wikipediaの「Cicada」の方が、記述が多いのはちょっとくやしい。
・・・・と思ったのだが、じつは日本語のWikipediaの記述はアブラゼミやミンミンゼミなどの種ごとに、むしろ詳細に書かれている。そういえば、妹の亭主はアメリカ人だが蝉の総称としてのcicadaしか知らない。
セミの家というサイトがある。
■セミが、あの臭いカメムシ属なのだということを、Wikipediaを読んでいてはじめて知った。

wikipediaのセミの記述によれば、漢方では蝉退(せんたい)というそうだ。
■漢方薬として蝉退を売っているこんなオンラインショップもある。
この説明によれば薬効はこう書かれている:疏散風熱・利咽喉・退目翳・定驚カン
解熱作用、鎮静・鎮痙作用

■関連エントリー
蝉の殻をあつめる人
蝉のカラ揚げ

投稿者 玉井一匡 : 11:16 AM | コメント (7)

August 02, 2008

レモングラスティー

LemonGrass1S.jpgClick to PopuP

 昨年、園芸店で売れ残りの貧相な、けれども安い苗を買ってきてプラントボックスに植えたレモングラスが、ことしはすこぶる元気よく育った。
小ぶりのススキという風情だが、ススキよりも葉のみどりが深くて、置き去りにされて育った稲のようで美しいから、朝日を受けた葉群れをほれぼれと見てしまう。この株から毎日のように10枚たらずの葉っぱを切り、半分を朝食のときにレモングラスティーにして、のこりを事務所に連れてゆく。
葉を3、4センチの長さに切ったのをポットに入れてお湯を差し、2,3分ほども置いておけば、お湯はうすいきみどり色に染まる。レモングラスというけれど、ぼくは頭の中にすこしもレモンを思い浮かべることはない。レモングラスはレモングラス以外のなにものでもないのだ。

LemongrassTea1S.jpgClick to PopuP ぼくはハーブティーというものはあまり好きになったことはなかったのに、レモングラスティーだけはクセになった。生のやつをお湯に浮かべただけという野趣も手伝ったのだろう。レモングラスティーをうまいと思ったのはラオスのカフェで飲んだときだったが、そのときにはたくさんの茎がカップの表面に浮かんでいて「ティー」の水面の色は見えないほどだった。ポットにいれず、カップに茎をじかに入れてお湯を注いだんだろう。

LemongrassTea2S.jpgClick to PopuP しかし、自分のうちで育てたレモングラスはもったいなくて、まだ茎を切る気にはならない。だから、ひとつの茎から一枚ずつ、葉っぱを徴収する。そうやっている数日のうちに、また新しい葉を伸ばせばいつまでも減らないと期待しているのだ。奥にあるやつは葉っぱの間をかいくぐって葉を取るから、手前の葉で肘から先に小さな切り傷がたえず、血が出るほどじゃないが、しばらくチカチカする。はじめは指先で葉をちぎっていたが、はさみを使うようになって傷が減った。

■追記・葉と茎:カップに入れたふたつの写真を見ると、別物なのだろうかと気になってWikipediaで調べてみた。
日本語のサイトではみどり色の葉を茂らせるやつが生えている写真しかないが、英語のサイトでは市場の店に積み重ねたものの写真もある。説明によれば、葉っぱはティーとして出荷され、残った茎が束になって市場に出てくるのだという。そういえば、レモングラスの香りってのは、菖蒲湯のときの菖蒲の茎に口をあてて空気を吸い込んだ時の味に似ているような気がする。
Wikipedia(日本語版):レモングラス
Wikipedia(英語版) :lemon grass
 

投稿者 玉井一匡 : 09:27 PM | コメント (4)

May 16, 2008

塔状住居

NagamihinageshiHouse2S.jpgClick to PopuP
数年前にフランス人がすてきな塔状住居を発見した。タンザニアの森林と切り立った崖地の間にできた平地に並んでいる。といっても、それまで存在しなかったかのように、よそから来たやつが発見した発見したと騒いでいるに過ぎないのであって、この住居は何百年も前からこんな具合につくられているのだ。
1)ユーカリの一種に、直立した幹から水平に何段も枝を広げる木がある。その枝を、ほどよい高さに様々なかたちと大きさの扇形になるように残して、その他は切り落とす。下から上にすこしずつ高くしてゆく。F.L.ライトの設計したニューヨークのグゲンハイム美術館の螺旋の床を水平床の連続にしたようなスキップフロアだ。
2)水平の枝のうえに竹を組んで扇形の床をつくる。
3)この地方の崖に張り付いているツタを、左右に伸びているのをできるだけそのままはがし、葉をおとすと、絡み合った蔓が網のようになっている。それを、多くの場合は6枚ほどにわけたものを上から地面まで吊り下げる。つなぎ目は重ねて編み込むようにし、床に固定して提灯型の網の筒をつくる。
4)その上から、乾燥したハスの葉に油を塗ったものを数枚張りかさねてゆく。最後に、ゴムの一種の樹液を塗って数日のあいだ乾燥させれば、膜はピンと張ってできあがりだ。葉を張るときには、蔓の網の目に足をかけながら進めてゆき、最後には地上に立って作業をする。
*最上階だけはパノラマ展望台のように360度の見晴らしがあるが、他の階には窓がない。でも、床は竹を組んだザルのようなものだから、光は上から下に、空気は下から上に流れる。壁をつくる膜からも光が差し込む。屋根は椰子の葉を重ねたものでそれがおだやかに漉された光を通すのだ。

NagamihinageshiHouse3S.jpg・・・なんていう想像をぼくはしてしまったが、じつはナガミヒナゲシの実なのだ。昨年、この花のことをぼくは「ナガミヒナゲシ:生き残るための美しさ」というタイトルでエントリーした。その花が、この初夏の時期になると花を終えて実をふくらませ、それが緑色からしだいに枯れた褐色に変わってゆく。ぼくは、この種子を持って行ってどこかにふやしてやろうと思って、信号待ちのあいだに立っていたところの脇の植え込みに生えているやつの褐色になった実を選んでポケットに入れてきた。
事務所についてポケットをさぐると、「芥子粒のような」と言われるとおりのちっちゃな種が無数こぼれている。緑色の時はこういう形をしているのだが、てっぺんのフタのような部分がすこしずつ上に押し上げられ細い隙間がつくられて、そこからタネが外に送られるのだ。なんという精妙な仕掛けだろう。
「ナガミヒナゲシ」と「種子」でGoogleを検索すると、ちゃーんとこまかい観察と記録を残している人がいるのだ。
「野草雑記 ナガミヒナゲシ」というサイトがあった。ここには、フタが徐々にひらく様子をとった興味深いムービーまである。ひとつの実で1600個平均のタネができるのだという。

投稿者 玉井一匡 : 01:35 AM | コメント (0)

April 06, 2008

自立する水槽

LastSakura2.jpgClick to PopuP
自宅の玄関前に甕をおいてある。
水面にほそい葉を延ばすヒメイグサと浮き草は園芸店で買ってきた。買ったのはそれだけだ。
甕は畑にころがっているのをもってきたもので、もしかすると肥溜めとして使われていたのかも知れない。さくらの花は、一輪ずつヒヨドリが道に落としたものを朝の散歩で拾った、水面でいたんだやつを少しずつあたらしいものととりかえる。浮き草の隙間に一輪ずつ置いたさくらはよほどの風でも吹かないかぎり移動しないので、自在に画を描くことができる。枝についているさくらを生けるよりかえっておもしろいかもしれない。水面下にいる金魚はすんでのところで捨てられようとしていたのをもらってきた。

高級種のランチュウだが、選別されてはねられたやつらなのだ。友人の知人にランチュウの稚魚を選別するプロがいて、まだ黒くて体長が2cm足らずの稚魚のときに素性の善し悪しをみわける。選ばれなかったやつは、ほしければいくらでもあげるっていうんだが何匹ほしいかと友人が言ってくれたので、10匹ほどをもらって小さい頃はガラスの水槽で育て、色がついた頃にここに入れた。ランチュウは、本来は頭がデコボコにふくらむものだが、このなかでふくらんだやつは1匹もいなかった。畏るべき眼力だ。ぼくはむしろ頭のデコボコはないほうがいいなと思っている。
 浮き草はアマゾンフロッグピットという種類らしいが、たいへんな繁殖力で表面をおおいつくしてランチュウを猫からまもり、その金魚はボウフラを食べてくれる。もう何年も蒸発した分の水を補給するだけで掃除というものをしたことがない。藺草かホテイアオイについてきたタニシが、金魚の排泄物をなんとかしてしまうのだろう。ランチュウのエサは、このシステムの外から供給するが、ほぼ独立した生態系ができている。(冬は冬眠するからだろうエサをやらなくても大丈夫)それが人間の作ったシステムから捨てられたようなものだけで成り立っているのが、なんだかちょっといい気分なのだ。

投稿者 玉井一匡 : 10:36 AM | コメント (0)

March 23, 2008

開花宣言:小鳥たちにサンキュ

Sakura2008-1S.jpg Sakura2008-2S.jpg きのう、東京でもさくらの開花宣言がされた。
神田川沿いの、椿山荘とならび関口芭蕉庵と水神社の間の坂を上れば永青文庫があるところに橋がかかっている。そのたもとにある桜は、毎年いちばん早く花をつける。その代わり、色がうすくて、ほんのり紅をふくんだ白というところだから夜の水銀灯や曇りの光ではさみしげだが、晴れた日にはほのかなやさしさが好ましい。
Googleマップの衛星写真で見ると、ここも桜の季節だ。
 その花には、かならず雀とひよどりが待ちかねたようにやってきて花をつつく。けしからんやつらだと言えないこともないのだが、毎年ぼくは、通りがかりに彼らが落とした花を拾いあつめる。そのままにしておけば、人や車に踏まれてしまうやつを、器に水を張って浮かべてやるのだ。土曜日だったからゆっくり家を出たので昼過ぎに通りかかると、少し萎れている花がある。ひとつひとつ、水あげしてやろうと思って手に取ると、萼と雄蕊はあるけれど雌蕊がない。雌蕊を残して花びらと雄蕊だけが落とされているのだろうか、それとも雌蕊はたべちゃったのだろうか。だから水あげといっても、柄がないので花びらと萼の根もとをちょっと切るだけなのだ。
 椿の花にやってきて嘴を入れるメジロのように、やはり花の蜜を吸いに来るのだろうか。椿の花は雄蕊がつくる円筒形のうつわの底にあまい蜜がある。桜はどこに甘いところがあるだろう。枝には雌蕊と萼が残されていのだろうか、それとも鳥に食べられてしまっているのだろうか。また明日、枝に残された花の様子を見てみよう。椿の花なら指先を触れてちょっとなめてみれば分かるけれど、ちいさな桜の花では指先は入らない。どうやればいいだろう。

投稿者 玉井一匡 : 02:31 PM | コメント (4)

March 12, 2008

春の塔:「ふきのとう」と「とうな」

Fukinotoh1S.jpgClick to OpenPackage

 宅急便の小さな包みがとどいた。送り状のシールの品名欄には「遅すぎた春の香」と書いてあって、ほかに「午前中」と「ナマモノ」というシールが二枚。つつみの軽さとはかなげな手ごたえと「ご依頼主」の氏名から、中に何があるのかは想像がつく。
・・・開いてみると、案の定の香りがこぼれる。ふきのとうだ。
以前に送っていただいたのはいつだったか、エントリーを検索すると「ふきのとう・?・檸檬」というエントリーで、3年前の3月2日だった。
「このくらいに咲いたのが、あと20ケくらい、明日はぐーんとのびて20〜30cmくらいになるでしょう。」と書かれた背の高いのが1本、中くらいのが1本。ぼくたちの食べるふきのとうの茎の5~6倍ある。それを見て、本当はこれが蕗の「塔」なんだと気づいた。

 都会の川の斜面などで、だれにも食われることなく生き延びたふきのとうは、視界に入っていたはずだが初めて見たとしか思えない。無意識のうちに、食えないやつはふきのとうという概念から排除していたのだ。これが「海馬」のはたらきなんだろう。夜には自宅へ連れ帰ったが日付がかわっていたので、天ぷらを揚げて食べようとはさすがに思わない時間になってしまった。とはいえ香りの飛ばないうちに加工しておきたいので、みんなふきのとう味噌をつくった。・・・また飯が進む。

TohnaS.jpgClick to PopuP いま、これを書いている新潟には「とうな」というのがある。冬の終わり春の初めという季節、菜っ葉に塔が立ってはいるが外からはまだ蕾が見えないというくらいのやつを食べるのだ。菜の花は、花のつぼみたちが主役だが、とうなは茎だ。といっても、塔の立った菜っぱの一般ではなくて、そうやって食べるための品種がある。
 おひたし、味噌汁、煮物などにさっと熱を通して食べると、独特の香りとほんのり甘みがあるのうまい。ところがその甘さは、時間とともにみるみるうちに減ってゆく。トウモロコシや枝豆と同じように、とうなはその変化がはやい。だからなんだろうが、かつてはスーパーなどでは買えない季節の味だったが、保存と輸送の技術と品種改良のおかげなのだろう、この頃では地域ブランドをつけた「女池菜」とか「こばり菜」と呼ばれるものがスーパーで買えるようになった。ぼくは「塔菜」なんだと思っていたのだが「冬菜」と書いてあるのもある。しかし、畑からとれたてのやつにはとてもかなわないとおもうのだが。・・・と書いたら、なんと翌朝に、作一さんがとれたてを届けてくださった。

 「ふきのとう」のかすかな苦みや、「とうな」の甘みのようなほのかな味で季節の変わり目を楽しむというのは、いい文化だと思う。

投稿者 玉井一匡 : 12:03 PM | コメント (7)

January 20, 2008

「国際カエル年」と 川

amphibian-ark.jpgClick to Jump to FrogSite

「川の地図辞典」のエントリーを書いているうちに、あらたに「川」というカテゴリーを加えたくなった。これまで、ぼくはカテゴリーを英語で表記していたが、「river」ではなく「川」にしたいと思った。ぼくたち、すくなくともぼくにとっては「川」にこめられるものと「river」から受け取るものとでは、深さも拡がりも大きく違うのだ。はじめは外国からのアクセスを考えたからカテゴリーを英語にしたのだが、この機会に固有名詞は別として日本語に変えてしまおうと思った。どうせ本文を英語で書くことにはなりそうもないし、スパムコメントよけにやむなく外国語を排除しているので、英語にすることに意味もなくなった。しかし、カテゴリーを日本語に変えてみると、なぜかちゃんと内容を表示してくれなくなってまうものが多い。原因をさがすのも時間がかかりそうなので、やむなく、できるものだけ日本語に変えることにした。これまでのエントリーで、川に関わるものがどれくらいあるだっろうかと気になったので「川」をキーワードにしてサイト内検索をしてみると想像以上に沢山のエントリーがでてきけれど、まずは主なものだけに「川」のカテゴリーを加えることにした。

 たまたま、いくつかのカエルにかかわるエントリーをしたあと、「川の地図辞典」の出版を機会に「川」が周辺のブログで話題になっている。もともと「川」と「かわず」というふたつのことばにだって縁がないはずはないところに、今年は国際カエル年なのだということを知った。カエルのうちの30%以上の種が絶滅の危機に瀕しているので、東京の4つの動物園(上野、多摩、井の頭、葛西)では今年は蛙に力をいれてイベントなどを開く。
 冒頭のカエルの写真を、「amphibian ark 2008 YEAR OF THE FROG 」のバナーに入れ替えた。この方がずっと魅力的だからだが、これをクリックすると「amphibian ark」(両生類の方舟)のサイトにジャンプする。ここから、80ページ以上のカエルについてのパンフレット、カエルのお面、バナーなどがpdfでダウンロードできる。

 かつて、日本人にとってカエルは、水と人間をむすび季節の変化を音として伝える存在だった。いまも、水田に水を張ればあたりにカエルの声が鳴り響く。とはいえ、水田地帯でさえ、かつては夜を満たしていた声の重なりも姿もはるかに減った。明らかに、農薬の使用や農業機械のための乾田化でオタマジャクシの生きる場所が減ったせいだ。都会の川は四角い排水パイプのようなものだからコンクリートの切り立った壁と平らな底が生物を拒んでいる。
「国際カエル年」なんていうものがつくられるのは、こういう事情が日本に限らないからだろう。カエルの住みやすい環境は、そのまま人間にとって気持ちよい川や池を回復することでもある。魚は水の中だけだが、両生類の活動範囲は、地上にもおよぶ。カエルを食べようとする野鳥も来る。もっとひろく水辺を考えなきゃならないのだから、鮭の遡上する川を目指す段階よりひとつ進まなければならない。

 地球からいなくなってしまうかもしれないと思うと、ぼくたちにとってカエルがどんなに親しい存在だったかを思い出した。かわいい顔をしている。地上にも生活するのでつかまえやすい。攻撃することもない。オタマジャクシも捕まえやすく育てやすい。たまごもたくさんある。小さな子供にとって水の生物の入門編だ。成長の過程がカエルほど明瞭で劇的な生物も少ない。そのうえザリガニ釣りの餌にもなった。カエルの絶滅は「川ガキ」の絶滅にもつながる。
「満州走馬燈」には、少年たちがカエルの肛門に麦わらを入れて息を吹き込んでお腹を膨らませて遊んだというちょっと残酷な話が書かれている。そういう遊びはあまり考えたくないが、それでさえ、どの子供にも潜んでいる残酷はコンピューターで敵を殺して爽快感を得るよりも、生き物にふれ時に自分のせいで命を奪ってしまい、それを後悔することで乗り越えられるという側面があるのではないかとぼくは思う。

東京動物園協会メッセージ :国際カエル年活動宣言(PDF)
amphibiab ark のサイト  :2008-year of the frog

カエルに関わるエントリー
やせがえる
やせがえる・後日譚というよりも先日譚
コモリガエル

投稿者 玉井一匡 : 11:05 AM | コメント (4)

December 07, 2007

コモリガエル

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 「川合健二マニュアル」が10日ほどまえに送られてきた。
そこにおさめられている、川合さんのインタビューは雑誌「建築」の1970年7月号に掲載されていたものだよとAKiさんが言われるので、話しながらコードレスの電話機を耳に当てたまま本棚をさがすとすぐに見つかった。それが出たころは、ぼくはまだ学生だったはずで、その数ヶ月後に東事務所に行ったのだからAKiさんとはまだ会ったことがない。
その1,2年あとに「在庫品目録」と題して、建築を語らずに建築を語るという理屈をつけて東事務所の全員がそれぞれに好きな絵と文章を書くというのを「建築」でやらせてもらったなあという話になった。在庫品目録とはstocktakingということばを日本語にしたものだがそのタイトルを提案したのはAKiさんで、のちに彼はblogのタイトルを「aki's STOCKTAKING」とした。
 あのとききみは、気持ち悪いカエルの絵を描いたねということに話が及んだが、たしかにそのときぼくはコモリガエルという変なやつを描いた。それが掲載された「建築」も受話器を片手にさがしてみたが見つからない。
 おれのところにはあるからカエルのページをスキャンして送るよと言って、AKiさんがメール添付で送ってくださった。読んでみると、そのころに産みつけた世界観の卵がいまもってぼくの背中の穴から、ときどき孵化するようだ。

 AKiさんから送られたスキャン画像は「建築」1972年6月号の100ページ目。jpgの画像ではちょっと読みづらいのでテキストにして加えると、ずいぶん長くなってしまったので別にエントリーした。click→「コモリガエル、カモノハシ・・・異常論」:「建築」1972年6月号100頁

これを書いた頃、ぼくはまだコモリガエルの実物はおろか写真さえ見たことがなかった。その後、上野動物園の水族館で小さな水槽の中にいるのを見つけたけれど、底に近く30°ほどの角度をなして手足をのばしたままだらしなくじーっとしている退屈なやつで、すっかり期待を裏切られた。背中の穴も見えない。ただ、ひどく平べったい草鞋のようなやつだということは、実物を見て初めて知った。さらにその後、インターネットで探しても、pipapipaというなかなか可愛い名をもっているらしいとは知ったが同じような姿の写真しかない。

komorigaeru3.jpg komorigaeru4.jpg 先日、久しぶりにもう一度googleを検索してみた。すると、YouTubeの中に、ぼくの探していた映像があった。背中にたくさんの卵を貼りつけたままの雄ガエルが水槽を泳ぎ回るビデオと、底に横たわる親ガエルの背中にあるたくさんの穴からつぎつぎとこどもガエルが浮かび上がってくるやつだ。それまで、こどもガエルたちは、陸上にうずくまる親ガエルの背中の穴からモゾモゾとにじみだして来るものだとばかり思いこんでいた。図鑑のイラストを見ると、親ガエルは地上に平伏しているように見える。もしかすると、昔はそう思われていたのかもしれない。予想を裏切られたよろこびにしばし浸りつづけて、ぼくは何回もビデオを再生した。
(ふたつのカエルの写真は、クリックするとムービーが見られます)

「コモリガエル、カモノハシ・・・異常論」の文末に書いた「第二、第三のカモノハシを」というちょっと性急にあらわれた言葉は、「第二、第三のベトナムを!」というゲバラの言葉を下敷きにしている。川合健二自身と川合健二邸のありかたは、建築世界の正統から逸脱することによって正統に対して批判をつきつけるコモリガエル・カモノハシだった。人間も自然の一部として生きようという原理的な視点に立てば、家も車も錆というかたちに変えて自然に返そうとした川合こそ、むしろ正統な生き方をしたと、現在ではだれもが認めるだろう。しかし、ぼくたちの国では大規模な開発を進める自由を誘導する一方で、さまざまな規制や手続きの強化がすすめられ、川合的な反乱はむしろむずかしくなっている。


 

投稿者 玉井一匡 : 04:44 PM | コメント (38)

October 24, 2007

やせがえる・後日譚、というよりも先日譚

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 スソアキコさんが著書を送って下さった。まずは読んでからエントリーしようと思っているうちに時が経ってしまい、遅ればせだがお礼のメールを送り、「ぼくのblogのカエルのエントリーを読んでみてください」と書き添えた。じつは、スソさんはこの部屋を仕事場として借りていたことがある。
これを読んだ彼女から、すぐに返信が届いた。とてもおもしろいのだがコメントに書くには少々長いので、新たにエントリーすることにした。もちろん、公開することは、ご本人から了解を得ている。
このイラストは、いまの日立の掃除機のコマーシャルで使われている、ゴミーズと呼ばれるキャラクターたち。スソさんのしごとだが、彼女のイラストに登場するのは、こんな風にちょっと屈折したやつが多い。

   *  *  * 須曽さんからのメール *  *  *
カエルの写真大変驚きました。実は、ほぼ同じことが私がいるあいだにも起きたのです。
あまりに状況が似ているので、もしや私が掃除をしないで放置したのではと一瞬思ったくらいです。

わたしもあの障子はめったに開けなかったのですが、
あるとき大家さんのところにお邪魔したあと、部屋に戻る際になんとなく目にはいったのです。
ガラスの向こう側にジャンプするカエルがいたのでした。
後ろ足が伸びきっていて、瞬間冷凍保存されたような姿でした。
ガラスにもたれかかって立っていたのです。
しかし生気なくひからびていました。
なんだかすぐに部屋の中から取り出す気になれず、そのまま見てみないふりというか、
知らなかったふりをして、たぶん半年以上そのままだったように思います。
とうとう引っ越すことになり、意を決して取り出し、土に還してあげました。
はじめに見た時よりもちょっと小さくなっていたような気がしました。

わたしは光をもとめてジャンプした瞬間に死を迎えてしまった様子に
恐怖を感じていたのかもしれません。
それに比べて、送っていただいた写真はなにか穏やかな感じがします。
わたしはカレともカノジョとも思わなかった気がします。
話はそれますが、道を横断するカタツムリを見付けたことがあります。
車に轢かれてはかわいそうだと思い、また
その先には植物もなかったので、気を効かせたつもりで
逆側の紫陽花の葉に乗せてあげました。
翌日、同じ場所、道のまんなかでカタツムリの殻がこなごなになっていました。
再度道を横断しようとしたのかどうかはわかりませんが
鳩のはなしを読んで想い出しました。
              *  *  *  *  *  *  *  *  
ぼくが見たやつは、眠るように即身仏のごとく蹲踞の姿勢を保っていたが、スソさんの時には、ジャンプしたまま凍り付いたように乾いていたという。
どうして生きているときの瞬間を保存したような姿勢でいたのか、それに、どうやってこの隙間に入り込んだのか、不思議な話だ。
メールを受け取ったあとに、もっとくわしく話を聞きたくて電話をかけた。
スソさんは、写真を撮っておかなかったことを、ひどく後悔していたので
「スソさんはイラストを描けばいいじゃない」と言った。

投稿者 玉井一匡 : 08:04 PM | コメント (8)

October 18, 2007

やせがえる

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 サッシを開けたときには全部が開いて、できれば室内側からサッシが見えなくなるようにしたいときがある。そういうときには、引き込みサッシにする。壁の外側にサッシをつければ、開いたときには壁の外側に隠れる。さらに障子も必要なら、開けたときには障子は壁の内側に引き込むのだ。そういうときに障子とサッシをいずれも閉じると、その間に壁厚とおなじ奥行きの空間ができる。
あるいえで、引き込みの障子を開けた。すると、サッシとの間の細長い空間に、痩せた、けれども大きなカエルが一匹うずくまっていた。

 つやのない身体にそっとさわってみると固い。カチカチに乾燥したガマガエルだ。どうしてこんなところに閉じ込められることになったのだろう。・・・・・たまたま掃き出しのガラス戸が開いている。人気のない部屋に上がり込む。やがて奥の方に窓をみつけて近づいて外を見ている。そのうちに、それときづかない住人が、帰って来るなりピシャリと障子を閉めてしまった。カエルは逃げ場を失った。・・・とでも考えるしかない。
そのあと彼(なぜか彼女ではないと思いたい)は、向こうの世界になんとかして戻ろうと、精一杯の跳躍を試みてはガラスの壁に頭をしたたかに打っただろう。じつは彼の背後には、むこうが見えない白い面があるけれど、そちらに向かって一跳びしてみれば、白い壁はたった一枚の紙にすぎない。大きくて濡れた彼の身体をもってすれば容易に破ることができたはずだ。
自分がどういう状況にいるのか、どう行動すればいいのかを、彼は正しく判断することができなかったのだ。しかし、わが身を振り返ってみれば、ぼくたちは同じようなことをしょっちゅう何度もしているにちがいない。それどころか、社会や国家のレベルでも、そんなことがたくさんあったではないか。無謀な戦争に突き進んでいった数十年前も、バブル経済をふくらませたときも、エリートと見なされた人々の判断と行動は、彼が置かれた状況と判断とからさほどかけ離れてはいない。

 このカエルは、追いつめられながら疲労困憊して這いつくばるでもなく自暴自棄になるでもなく、落ち着いて想いをこらしていたかのような姿勢のままでいる。状況に抗わず、従容として死をむかえたようだ。情報の収集と行動という「インテリジェンス」から、おだやかに生きるという「哲学」に、テーマを切り替えたかのようだ。
 しかし現実には、そういってはカエルに失礼だが、彼にそんな意識はないだろう。人間でも苦痛を和らげる物質が脳内に生じるように、おだやかに最期を迎えられるような仕組みが生物にはもともと備わっているのかもしれないと考えて、いささか安堵したい。環境に対する生物の適応能力は、とてつもないものがある。我が身を省みるためにこのカエルは座右に座らせようかとも思ったが、彼の不運を思うとやはりつらい。安らかに眠るように土に還してやった。
あとになって、ぼくは彼の目を見たことがなかったことに気づいた。見るに忍びなかったのかもしれない。
関連エントリー:やせがえる・後日譚

投稿者 玉井一匡 : 08:53 AM | コメント (44)

August 16, 2007

パンダの赤ちゃん・8月3日誕生・サンディエゴ動物園

 Click photoes to Pop-uP

 8月3日、サンディエゴ動物園のパンダが子供を産んだ。この写真をクリックすると少し大きくなるが、お母さんのバイユン(白雲・Bai Yun)が、仰向けになって胸の上に乗せたチビをかわいがっているところだ。(現地時間で8月16日23:33:36、日本時間8月17日15:33:36)生まれてから、まだ2週間しか経っていないから、文字通り舐めるようにしてかわいがっている。
サンディエゴ動物園の公式サイトの中に「Panda Cam」というのがあって、パンダの動く様子を24時間リアルタイムで流してくれる。この写真は、その動画の一瞬を残したものだが、こんな風にチビの全身がしっかり見えるチャンスは少ない。モノクロの画像なのだが、なにしろ相手が黒白のパンダなので、はじめは画像がカラーでないことに気づかないのだ。


画面に書かれているC14という記号は、カメラのナンバーらしい。オトナのパンダ4頭の小舎のそれぞれに3台から5台、合計で17台のカメラがあって、そのうちBai Yunの産室ということなのだろう「Bai Yun den」には3台、C13,C14,C21が取付けてあるようだ。その17台のうちのどれか1台の画像が、常にPanda Camで公開されている。今は、当然のことだがチビのいる部屋のカメラの画像が送られている。バイユンが姿勢を変えると、チビを見やすいように別のカメラに切り替えられるから、飼育係が24時間態勢で観察して操作しているようだ。バイユンが寝返りを打つたびに、下敷きにしないかと、ぼくたちはハラハラしてしまう。

 2005年に、このサイトのことをPanda Camというタイトルでエントリーしたことがある。それは11月17日だったから、8月2日に生まれた子パンダは100日目にスーリン(蘇琳)という名前に決められた少し後のころだ。しかし、今年の子パンダには名前はまだない。8月3日、スーリンと2歳年下、1日違いの誕生日に生まれて、まだ10日とすこししか経っていない。母親のバイユンとお父さんのGao Gao、両親ともスーリンと同じだ。
VIDEO ARCHIVEというページからは、誕生のときの様子をビデオで見ることができる。ぼくたちも、飼育係のように24時間態勢で観察することになりそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 04:35 PM | コメント (2)

July 19, 2007

ヤマカガシ(じつはアオダイショウのチビ)


新潟の、母の家で玄関のチャイムがなった。
「おっ、どうした」ちいさなお客さんだった。
「玉井さん、うちにヘビがいた」
「へえ、つかまえて食うか」
「森に放すんだよ」なんて、いいことをいう。
行ってみると、その子のうちの玄関ポーチの隅に小さなやつが丸まっている。
捕虫網のフレームの一部を直角に曲げて、角に押し付けてその中に追い込もうとしても、頑固に丸まって動こうとしない。網の棒でつつくと、口を開いて一人前に威嚇する。
やがて、5、6センチの球体から40cmほどの長さの曲線に姿を変えて移動して出てきたので、首の後ろをつかまえた。

Yamakagashi1.2.jpg「ほら、よく見るとかわいい顔をしてるよ」
ぼくの左手に巻き付くやつを見せると、子供たちの表情がもっとかわいい。
好奇心とちょっとこわいのとの混じりあいだ。
「さわってごらん」
手を伸ばして、そっと触れる。
「・・・・・・」ことばにならない。
「ヘビと記念写真をとろう」というと、ふたりにはちょっと安堵の表情が浮かんだ。
「さて、逃がしてやろうか」小さな「森」の中に放してやると、するすると草の下をすべってゆく。子供たちにとっては小さな冒険、ヘビにとってこれまでの生涯一番の恐怖の時が終わった。お母さんたちによれば子供たちのお父さんは二人とも、朝に起きた柏崎の地震のために休日の途中で急遽出勤になったという。

 ヤマカガシは、ぼくたちが子供の頃には毒のないヘビだと言われていたのだが、このごろでは毒ヘビとされている。やたらにヘビを怖がるなよと伝えたくて子供たちに触わらせたりしたけれど、そのことを言わなかったなと思い、googleで調べた。
wikipediaによれば、かつて毒がないと思われていたわけは、ヤマカガシは口の奥の歯が毒を出すために、口の中に指を入れたりしないとそれにやられないからで、しかも、ヤマカガシは臆病だからマムシとは違ってむこうから襲うことがない、しかし、毒はなかなか強いのだという。こどもたちに、もうちょっと説明しいなくちゃあならないと思った。

■追記
コメントに「通りすがり」さんからコメントをいただいた。
こいつは、ヤマカガシではなくアオダイショウのチビだということが分かりました。つまり、毒ヘビではないということで、ひと安心。
アオダイショウの幼蛇の写真はここ
ヤマカガシの写真はここ

投稿者 玉井一匡 : 08:23 AM | コメント (16)

April 29, 2007

ナガミヒナゲシ:生き残るための美しさ

Click to PopuP

 2,3年前からだろうか、道ばたにオレンジ色の芥子の花が雑草のように咲いているのを目にするようになった。芥子の花はうつくしいけれど、どこかに影がひそんでいて、ちょっと触れると花びらがはらりとおちてしまうところが、あぶない魅力を感じさせるのだが、こいつには芥子らしからぬ健康な若々しさがある。
 いままで名前を調べようと思いはしなかったのに、今年はこの花がとくに多いようだからなのかGoogleであれこれ探したすえに「ケシ 道ばた 空き地」を入れてみたら「ナガミヒナゲシ」という名前にたどりついた。
ウラをとるためにBotanical Gardenで調べると、「地中海沿岸から中欧原産の帰化植物で,生命力旺盛なようです」とある。

ちょっとした空き地や歩道の植え込みなどあれば、そこを借りて勝手に咲いている。なぜか、余裕のある空き地でも、道路の際を選ぶ。だから通りがかリには目につかれずにはいない。かわいいものだから文句を言われることも引き抜かれ捨てられることもないのだろう。「こんにちは!」と、明るい声でさわやかに言われると、ついつい「やあ、元気かい」と答えてしまう。

 いまごろの季節には、もう花が散って雌蕊が実に変わったのがたくさんいるので、なぜ「ナガミ」と名付けられたのかがわかる。ふつうのケシはもっと丸っこい形をしているけれど、これは「長い実」をつけるからなのだ。
 道路のきわの、縁石とアスファルトの間のわずかな隙間でもあれば、その下の土までしたたかに根をのばして平気な顔をしてうつくしい花をつけているのを見ると、こんなわずかな土で生きているのかと思う。芥子はタネが小さいので、わずかな隙間をすり抜けて土のあるところまで到達する。そいつらがこんな花を咲かせるのだ。
 ややくすんだ美しいオレンジ色が群生していると、さすがにぼくも気づく。入り口はわずか数ミリの隙間かもしれないが、じつはこのアスファルトの下にあるのは僅かな土などではなくて、直径が12,000kmの、でっかい土の球なのだと。アスファルトやコンクリードで覆われた表面は、この先の数十年あるいは数百年も、日も当たらず雨も落ちることがない。地球の大きさからすれば大したことではないのか、それとも少しずつ地球を蝕んでいるのだろうか。

追記
Niijimaさんがくださったコメントにアドレスが書かれている。そこには、一年前に撮影されたこの花の写真がありました。
ぼくはそれを見て、同じ花が、モノクロの写真でかくも美しく伝えられるのだと、今さらだが何か新しい世界を知ったようなゆたかな気持ちになった。本来ならこういうときのためにトラックバックがあるはずなのに、スパムトラックバックに辟易して閉じてしまったことをどうしようかと考えてしまう。

投稿者 玉井一匡 : 08:55 AM | コメント (4)

April 18, 2007

動く芥子の花


 銀鈴会館の管理事務所のSさんから芥子の花をいただいた。黒いスフレの器にプラスティックの剣山を入れて挿した。プラスティックの剣山は透明だからガラスの器に入れても目立たないのだが、軽いのでそのままでは花の重みで倒れてしまう。だから下側に吸盤が着いていて上から押し付けて器の底に貼付けるしかけだ。
 芥子という花は変わったやつで、なんだか動物や昆虫のようだ。つぼみと茎には、産毛というにはたくましい剛毛がびっしりと生えていて、茎の先端を下向きに曲げている。地面を凝視して獲物をさがしている原生動物のようだ。つぼみの殻が少し開いたようすは、ニッと薄笑いをうかべているような表情。あたたかい部屋においておくと、見る見るうちに一輪一輪と動きながら変わってゆく。浅い器に剣山で挿したから茎と茎がはなれているおかげで茎の表情がわかりやすいのだ。しかも、種類によるのだろうが麻薬になるのだから、底の知れないやつだ。花の落ちたあとの雌蕊のところがふくらんで実になり、その中にある小さなタネは「芥子粒のような」というたとえになるくらい小さい。いつだったか売っていたポピーのタネの袋には「タネを蒔いたあとに土をかける必要がない」と書いてあった。小さいから、土の隙間からなかにもぐりこんでゆくのだろう。

 
まずは、つぼみを包んでいる産毛のはえた殻をはらりと落とす。スフレの器のまわりには、蕾の抜け殻がちらばった。殻を脱いだつぼみは、うすい花びらをくしゃくしゃにして固めたようだ、と思う間にそれが少しずつ延びてゆく。蝶やセミの蛹が殻を割って出てくる時に、くしゃくしゃに押し込まれたようなシワシワの羽根をのばしてゆくときと、すこしも変わらない。
 しかも、蕾が開いてゆくにつれて、うなだれていた首が徐々に上を向き始める。花びらを開ききった時には、真上を見あげて、手のひらを上に向けて両手を一杯に開いて、外だったら太陽の光を一滴でもたくさん受け止めようとしているみたいになった。ここでは、かわいそうだが上には蛍光灯があるばかりだ。


 ところが、上を向いた芥子の茎は、まっすぐ伸びて直立するわけではない。うなだれていたときに曲げた首は水平からすこし上を向くくらいまでは角度を変えるのだが、その曲がった部分を少し残したままでそこより少し先でもう一度、上向きに曲がって向きを変える。茎は、二カ所で角度を変えてS字あるいはクランクをつくることで、下向きから上向きに方向を変えるのだ。
 そういえば、フラミンゴやツルの首も、S字型に二カ所で方向を変える。重力をやり過ごす線状の身体は、こんなふうにするわけが、どこかにあるのだろう。
 

投稿者 玉井一匡 : 10:18 PM | コメント (2)

March 22, 2007

さくら・3月22日・駒塚橋


 「なんという種類なんでしょう。ソメイヨシノじゃなさそうですね」
 ひとりのお年寄りにたずねられた。
 「さあ、ぼくにはよくわかりませんが、色が白いし房が小さいですしね。」
 「そう」
 そういえば、桜の種類をぼくはろくに知らない。
 しらべてみようと思ったことがない。
 桜は植物というよりも春のできごとのように感じられるからなんだろうか。
 「この樹が、いつもいちばん先に花をつけて、小鳥がつついて花を落としてくれるんですよ。」
 「ほら、あのヒヨのしわざだ」とご老人が指をさした。
 見上げると、ヒヨドリが一羽、枝に止まっている。

 いつもの年のように、神田川が椿山荘に出会う少し手前、駒塚橋、南のたもと西側にある桜は、このあたりの神田川岸の桜並木が数ある中で、一本だけ花を開かせた。通勤途中に、ぼくは自転車をとめて、樹の足許に落ちている花を拾い集めていた。ご老人も、ここを毎年のように楽しんでいらっしゃるようだ。
 去年は雀が桜を落としてくれた。去年、ぼくは毛糸の帽子に桜を入れて頭にのせていったが、今年はすくなかったから毛糸の手袋に入れて事務所に連れていった。去年と同じ、そして先日の桃の花と同じ白い長方形の皿に水を張って浮かべたけれど、白いうつわに白い花では春の華やかさにかける。この皿はもともとは写真の現像につかうもので、厚くて重い。aiさんのお店「藍CRAFT」のような上等なものがないけれど、器を代えてガラスに春をそそぎこんでやることにしよう。

投稿者 玉井一匡 : 11:54 PM | コメント (8)

March 12, 2007

桃の花をひろいあつめて

Click to Bloom
 愛犬クーと散歩に行く途中、階段のわきにまるで雑草のように勝手に生えたという風情の桃の木があって、季節になると花を咲かせ、小さな実をたくさんつける。けれど公園の外だからだろうか、小さいまま落ちた実はみんなに踏みつけられたりするから、あたりはきたならしくなるが桃の実の香りに満たされるのに、なんだか大切にされていない。ことしは、桜はまだ咲きそうもないのに桃の花がはやい。
 先日の強風の翌朝、その木があたりにたくさんのつぼみを散らせた。ぼくは、いつも腰につけているケースからデジカメを出して首にかけ、つぼみをそのケースにいっぱい拾った。去年は桜の花を浮かべた白い皿に水を張って、今年はモモの蕾を浮かべた。日ごとにつぼみは少しふくらんできたけれど、このままでは開くことのないままに腐ってしまいそうだったから、つぼみをほどいて花びらにして浮かべてやった。(click to pop up and bloom)
つぼみのままたくさん水に浮かんでいると、なんだかニンニクの梅酢漬けみたいな色になってしまうので、ちょっとがっかりしたのだが、花びらになると、にわかにさわやかな桃色になった。花びらを透かしてとどく光のおかげなんだろう。

 そう感じたのは、つぼみを拾い集めた翌々日、本来あるべき枝に咲いた花たちが空を背景にしていると、それらを光が通り抜けるととても美しかったからだ。それを待ちかねた小鳥たちが花をつついては、花弁のそろった花を道に落としてくれていた。ぼくはヒヨドリの贈り物をありがたく拾い集めて、器に水を張って浮かべてみていると、ひとつひとつの花がこんなに大きいのかと思うほど花弁を精一杯に開いた。
PeachBlossoms3.jpgClick to pop and pick up
 数日経っても、花はまだ器の中に元気でいるのをみているうちに、ちらし寿司を食べたくなってしまった。三月三日のひな祭りには、ぼくは東京にいなかったのだ。冷凍庫にはホタテ貝の断片の冷凍と殻付きのボタンエビは生で食べられそうだし、裸にされた冷凍の小エビはゆでる、干し椎茸もある、スーパーで菜の花と蓮根を買って来た。賽の目に切ったダシ巻き玉子、エビを散らし、菜の花を茹でてさらに散らす。樹の間がくれに色が見えるのが美しいと思いながら食べているうちに記録写真を撮るのをおもいだした。慌てて撮った写真には、すでに樹の間がくれの風情はなくなっていた。

 こんなふうに、満開の春の花たちやちらしずしの上の景色は、すぎてゆく季節をあたらしい季節で包み込む。空間や季節を向こう側とこちら側にきっぱりとへだてるのではなく、それらが透けるかさなり具合をさまざまなかたちで受けとり表すというありようを、ぼくたちはたくさん受けついでいるのだ。
季節のある国で春と秋に祭りが多いのは、あたたかさの訪れるよろこびと収穫への感謝のためなのはいうまでもないけれど、季節を重ね着するようなときを楽しむことができるからでもあるにちがいない。

投稿者 玉井一匡 : 02:57 AM | コメント (4)

August 31, 2006

まろいまろいたま

 夏の終わりを心地よくすぎてゆく風が、けさは、もどることのない時間の流れのように感じられた。そのせいなのか、ついこのあいだのことを、歌と一緒に思い出した。新潟の母の家の近くに大きな、けれども今では誰も住んでいない古い屋敷がある。そのまわりをmasaさんと歩いた時に、からたちの生垣に緑色の実がなっているのを見つけた。3cmほどの直径の球形の実で、きめの細かい表面にはこまかい産毛が密生している。

「からたちの歌」の何番目の歌詞だったのか憶えていないが「からたちの花が咲いたよ」「からたちの棘はいたいよ」の次くらいだったろう、「からたちのたまはまろいよ」で始まって、「まろいまろいたま」と続いた。からたちは、棘のおかげでどろぼうよけとして生垣に使われたんだろうが、白い花が咲くこともアゲハチョウの蛹が棘に糸を掛けて変身の場にすることも知っていたのに、からたちの実を目にした覚えはなかった。「まろいまろいたま」というのはきれいな球をなしているということなのだと知って、なんだかうれしくてひとつを手に取ってひねると、うぶげのせいで手のひらとたまの間にちょっと距離があるように感じられる。それをポケットに入れて、ときどき感触を楽しんだり、「これ、何だと思う?」なんて人にきいたりしているうちに、どこかになくしてしまった。先日、それを思い出してもう一度とりにいった。そのたまの中身がどんなふうになっているのか知りたくて、まな板の上にのせ包丁を両手で持って転がらないように慎重に刃を押した。いかにもかたそうな様子だったのに思いのほか抵抗なく、すっと包丁を通した。切り口を見ておどろいた。花や葉のようすを見れば容易に想像のつくことなのにまぎれもない柑橘類だ。手に取ると、ほとんど弾力を感じないくらい固く感じられたのは、こんなに皮が厚かったからなのだ。
ところが、こんな切り口を見たのに、ぼくとしたことが味見をしなかったことに、あとになって気づいた。今度はかじってみようと思っている。

投稿者 玉井一匡 : 10:39 PM | コメント (22)

June 20, 2006

タチアオイとF.L.ライト

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 ぼくが子供の頃には、タチアオイはあちらこちらの空き地や庭先に咲いているありふれた花だったが、地面に近い下の方の葉っぱが黄色くなりはじめてもいつまでも落ちずについていたり、なぜかハエが葉っぱにやってくるので、ぼくには、ちょっときたない植物のように思われたのだが、じつはおいしい植物だったということなのかもしれない。同じように感じた人が多かったのだろうか、いつの頃からかあまり目にすることがなくなった。
 世の中にハエというものが少なくなったせいなのか、そのタチアオイが咲いているのを道すがら見ることがこのごろは多くなったように思う。いつも通る道の、中央分離帯にタチアオイが咲いているところがある。お役所仕事で部分的にタチアオイを植えているのは見たことがないし、整然とうえてあるわけではないから、近くの住人が勝手に植えたものだろう。そういうことを想像すると、ぼくはちょっと楽しくなる。
「目白・下落合歴史的建物のある散歩道」を見ていたら、目白駅から明日館にむかう道がライトの小径という、ちょっと気恥ずかしい名前をつけられていたので、ライトがタチアオイを好きだったことを思い出した。

  ライトは、古くからパースの前景にタチアオイを描いている。(左図は1901年)彼が植物としてあるいは花としてタチアオイが好きだったからというよりも、水平に伸びる住宅の多いライトのパースには、垂直に立ち上がるタチアオイの対比的な姿は建築をひきたてるからだったのではないか。つまり、タチアオイの姿が好きだったのだろう。ライトがデザインした、縦軸の周囲に小さなあかりが灯る照明器具は、いまでもペンダントやスタンドとして商品化されているが、これはタチアオイの姿をデザインソースにしたものにちがいない。

Barnsdall House(1917~21)ではクライアントのアリーン・バーンズドール夫人が好んだタチアオイ(Hollyhock)をさまざまに幾何学的デザインをほどこして外壁にも柱にも繰り返して装飾として使っているのでHollyhock Houseとも呼ばれた。ライトの住宅集の表紙に、その写真が使われている。(フランク・ロイド・ライト住宅集/A.D.A. EDITA Tokyo)
アリーンは、数年間この家に住んだあと、映画関係者に利用してもらうよう、ロサンジェルズ市に寄付したという。こんな大きな家をつくるのだからずいぶん金持ちなんだと思うが、それをポンと寄付してしまったのだから、もっと金持ちだったのだ。
 
 1932年、当時、MOMAのキュレーターだったフィリップ・ジョンソンが企画して開いたインターナショナルスタイル展への参加を、ライトは拒否したことがある。場所に固有の条件を生かした建築をつくるべきだと考えていたからだ。この家では南アメリカの先住民であるインカのデザインを継承して壁などにタチアオイをつかったレリーフをほどこした。そうやって古来の文化への尊敬を示すことは、当時の白人としては、精一杯のフェアな態度だったろう。
インディアンをだましたり殺したりしたおかげで白人が国土を手に入れたのだという共通認識が、今でさえできているとは思えないのだから。
 ところで、ライトとは何の関係もないことだが、JリーグJ2水戸のチームの愛称をホーリーホックとしたのは、水戸黄門の印籠の印、徳川家の家紋である三葵にちなんだものだろう。

投稿者 玉井一匡 : 09:40 PM | コメント (2) | トラックバック

April 19, 2006

一輪のハナニラ


 刑部アトリエの前庭には、ヤマブキやシャガやニリンソウ、フッキソウなどもあったのに、うっすらと青い花は取り残されたようでとりわけ印象深かったのだろう、ロワジール別館漂泊のブロガー2Roc写真箱などに写真や文章があった。この季節には、道ばたなどでよく目にするのに僕はこの花の名を知らなかったのだが、おかげでハナニラというのだと知った。ああそうかなんて、記憶のすみにあったのをつまみ上げて思ったのだが、それは誤解で、ぼくの知っていたハナニラは食べられる別物だ。食用のニラを切らずにおくと、まっすぐに延びた茎が先端に小さなネギ坊主のようなつぼみを付ける。この状態のやつを集めてくると、ニンニクの芽のように炒めればニラの葉よりもむしろうまい。と、ぼくは思っている。葉っぱよりも数がすくないから、商品になりにくいのだろうが、中華街などでは束ねて売っていることがある。さらにそのまま放っておくと、そのつぼみの包みをやぶって四方八方に伸ばした手のそれぞれの先に水仙のミニチュアのような花(写真はBotanicalGardenより)をつけるのが愛らしいのだが、切り口から匂うのが難点だ。じゃあ、観賞用のハナニラも、その名にふさわしい匂いがするのだろうかと茎を折ってかじってみた。なあるほどニラの一族にちがいない。
これは最後の晩餐。キリストが「これは私の肉、私の血」だと、弟子たちにパンとワインを振舞ったように。

 とうとう門だけを残して、刑部アトリエはあらかた解体されてしまった。その、大谷石の擁壁の上に咲いていたハナニラなのだ、これは。そういえば、林芙美子記念館の池のまえに立って鯉に餌をやっていらした方が「わたしはこの隣に住んでいるんだ」とおっしゃったことがある。「おさかべさんですか?表札にありましたが」とうかがうと「よくお読みになれましたね。だいたい部という字がついている姓は専門職の帰化人が多いから、きっと先祖は朝鮮渡来の首切り役人だったんだろう」などと言われる。「いや、検事だったんじゃないですか」などと言ったのを思い出した。
咎なくて死す刑部アトリエのために、ぼくはそのハナニラを一輪だけ連れてきた。一輪だけの花があるときに、事務所では愛用の水滴に水を入れて小さな穴に茎を挿す。この水滴は、魚の形をしている。・・・・サカナはキリストのシンボルだったっけ。このあとイエは復活するのだろうか。

投稿者 玉井一匡 : 08:17 PM | コメント (6) | トラックバック

April 06, 2006

I love カメレオン:Tokyo Jungle


 先日、masaさんを誘惑して、麻布の谷戸と思いがけぬジャングルをめぐったことはkai-wai散策の「麻布ジャングル冒険記」にくわしい。途中、爬虫類の入った水槽をならべた店を見つけた。ぼくは爬虫類は苦手なんだと腰の引けるmasaさんにちょっとごめんなさいを言いながら箱に近づくと・・・・ゲッコーという名前が多い。ゲッコーとはgecko:ヤモリのことだが日本のそれとくらべればずっと大きくて20cmほどもあるけれど、これをいやがってたら南方では暮らせないからヤモリは大丈夫になったんだと、masaさんは気を取りなおす。トカゲにはまぶたがあるがヤモリにはなくて、当たり前だが瞬きをしないんだそうだ。
奥の上の段に1匹だけ、カメレオンがいた。・・・・・・・美しい。masaさんはカメレオンも好きだという。なんだ、けっこう好きなんじゃないか。これはエボシカメレオンというのだがマダガスカルからもらったので、手放すわけにはいかないんだそうだ。部屋に置いた観葉植物にカメレオンをとまらせておいたら面白いいだろうと、ぼくは前からあこがれている。かつて指に掴まらせてみたら、その感触がとてもよかった。

餌はなにをやるんですか?  コウロギをやります。
何匹くらい?  一日に1匹です。
えっ、そんなものですむんだ。何年ぐらい生きるんですか?  10年ぐらい生きますよ。
名前呼んだら来ます?  カメは来ますけど、カメレオンはそこまではしないですね。
おなか空くと、近づいて来たりして?  こっちの方をむいて、舌を伸ばしたりします。
ほかの箱は、床に砂や何かが入れてあるのに、なぜカメレオンには何も入ってなんですか?  カメレオンは水をかけてやるんで、床には何もなくしておかないと、汚ならしくなるんです。
ぼくは10年くらい前にグリーンイグアナを飼ってたんだけど、死んじゃってから、あれよりかわいい奴に会ったことないんだよ。でも、イグアナにかわいいのとそうでないのがいるっていう話をしても、なかなかわかってもらえないんだよね。   そうなんですよ。見てると分かるようになるんですよね。
かわいいなあ。  写真とっていいですよ。ストロボさえつけなければ大丈夫です。
もし、これを売ってもらえるとしたら、いくらくらいなんですか?とmasaさん  3万円くらいです。
へえ、このかわいらしさの割からすれば安いなあ。ワシントン条約はクリアしてるの?  もちろん。
また来ますね。  いつでも寄ってください。

出がけに確認すると、店の名は「TOKYO JUNGLE」とあった。
インターネットでカメレオンをさがすと、こんなサイトがある。
爬虫類の好きな人は、いるもんだと感心した。

投稿者 玉井一匡 : 11:00 PM | コメント (14) | トラックバック

April 01, 2006

桜と小鳥:桜を食べる 2

 クーのための朝の散歩も、さくらの咲いているころはとりわけ心地よい。まだ咲ききらない桜の樹の下にいると一輪ごとクルクルとまわりながら花が落ちて来るときがある。見上げると、枝にはヒヨドリがいる。花を食べようとしているのか戯れているだけなのか分からないが花をつついているのだ。つつかれた花たちがきれいに開いたままひらひらと落ちてくる。
 神田川の橋のたもとではスズメたちが一番乗りの桜をつついていた。それらが足もとのドウダンツツジの枝にとまって、まだちいさな芽を出したばかりの枝に桜の花を咲かせているようだ。地面にもたくさんの花が落ちていたから、ぼくは帽子を脱いで花をあつめ、あたまを下に向けそっと帽子をのせて事務所に運んだ。

かつて写真の現像に使われていたらしい白い長方形の皿に水を張って桜を浮かべたけれど、白を背景にあわい桜色では映えない。こんなにうすい色だったのかとあらためて気づいて隣のビルの植え込みから椿の葉を数枚つれてきたのを浮かべ桜の背景にした。皿に入れると、箸先でつまんでたべてみたら案外旨いのかもしれないと思わせる。
それを打合せテーブルに置いて3日目になるけれど、そのあいだに神田川の桜は見る間に満開になったが白い皿の上の花はいまも元気だ。そればかりではない。このさくらたちはわずかな日を経て、花びらの付け根の雄蕊にちかいところにほのかな赤みをわずかに増した。ちょっとした発見だった。

投稿者 玉井一匡 : 01:33 AM | コメント (21) | トラックバック

March 15, 2006

真夜中 学習院下でタヌキと


昨夜、といっても午前0時をとうに回った頃だから日付けは今日になっていたのだが、学習院の馬場の下を、自宅めざして自転車を走らせていた。この時間、この道はほとんどクルマも人通りもないし、街灯もないから自転車で走るには快適このうえない。道路の向こうよりに黒っぽい犬が座っている。丸顔をこちらに向けているのを目を凝らして見ると、犬ではない、タヌキだ。ぼくはすぐに自転車を停めて向かいのテニスコートのフェンスに立てかけると、バッグからカメラを取り出した。いつもは切ってあるストロボをセットするものもどかしく、慌てて振り返るともう道路にいない。しかし、格子の扉のむこうに座ってこちらを向いている。格子の間にカメラを入れてズームを目一杯の望遠にしてシャッターを押すと、一瞬ストロボの光がタヌキの瞳孔をオレンジ色にした。ディスプレイを見るとタヌキは入っていない。今度は、画素数を最大にしてもう一度。ディスプレイをみると、また映っていない。

 そのとき、うしろから車のヘッドライトが光った。ちらっと振り返ると、パトカーがやってきて停まった。またカメラを格子の間に入れて構えた。む。狸はいなくなっていた。夜中に、格子の間にカメラを入れている怪しい行為を棚に上げて「おい、お前たちが明るくするからだぞ」と、鬱憤を晴らそうとして振り返ると、パトカーもいなくなっていた。不満をぶつける相手も写真を撮る相手もいない。彼らもタヌキだったのか、またタヌキに会った奴が一人いるよと思ったのか、何も言わずにいなくなった。トリミングをできるように画素数を最大にしたけれど、そのときに広角にするべきだった。望遠にしたから、視界から外れてしまったのだ。液晶ディスプレイは真っ暗でなにも見えないが、ファインダーを見ればよかったのにと、あとになって数々の反省をした。タヌキに化かされたというのもかえっていいか、と思うことにしよう。自転車をまたいで時計を見ると、0:40だった。

 落合のマンションの計画地のあたりにはタヌキがいると、ひところ話題になったけれど、それがこのあたりにもやってきたのだろうか。それとも、このあたりは樹木が多いから、独立の生計を立てているのかもしれない。しかし、人間の生活環境すら壊されてゆく東京のようなまちにタヌキがいるということを自分の目で確認できたのは、とてもうれしいことだった。
 かえりがけ、あるクライアントを思い出した。彼は、夜中に伊豆の山中を車で走っているときにタヌキをはねた。車を降りて見てみると、すでに死んでいる。どうせ死んだのだからと、彼はなきがらを車に乗せてきた。家に帰ると、ご亭主が腕をふるって解体し、タヌキ汁をつくってくれと奥さんに料理を頼んで食べちゃったのだそうだ。タヌキを食おうと思う亭主も亭主だが、そんな要望に応えてタヌキ汁をつくる奥さんも人物だなと、その話を聞いて、ぼくはひどく感心した。後日、親しい獣医さんに話したら、タヌキには寄生虫がいるからあぶないんですよと心配していた。虫がいたとしても、そのときにはもう手遅れだったろうが今も家族そろって元気だ。
 今朝、道路の写真を取り直した。はじめは、格子戸の前の道路にちょこんと座っていた。そのすぐあとに、格子戸の下をくぐって中に入ると右手奥に座って、こちらを見ていたのでした。

追記 060317 / Chinchiko Papaと妾番長さんの書いてくださったコメントに関わることを追記しておこう。このあたりのような河岸段丘の地形を「バッケ」あるいは「ハケ」ということばがあって、それは縄文語あるいはアイヌ語(頭、突端)由来の言葉とされているんだと、chinchikopapalogに神田川流域に残った「バッケ」と、もうひとつ世代で異なる「バッケが原」の位置というエントリーで書かれていて、このことばは「お化け」につながると結ばれている。もし、タヌキが昔からこの辺りに住んでいたのだとすれば、そのことが「ばける」あるいは「ばかす」ということと、何かのつながりがあるのかもしれない。
chinchikopapalogにはもうひとつ、「ハケの下落合」というエントリーに、バッケについての詳しい記述がある。

投稿者 玉井一匡 : 12:00 PM | コメント (13) | トラックバック

January 20, 2006

彼岸花2:冬/記号としての緑

それまでは地上にすがたを見せなかったのに、秋の彼岸の頃、突然に茎を伸ばして深紅の花をつける彼岸花は、冬になると常緑の植物のような深い緑の葉を繁らせる。道ばたや樹木の足元に地味に集まっているから、つい見過ごされてしまう。
 秋に写真をとった同じ場所の彼岸花たちは、花から葉にというだけでなく、すっかり様子が変わっている。西武新宿線の線路敷きと道路を隔てる柵が古いレールとスチールパイプで作られているのだが、それがうっすらとサビを浮かべながら、少しぐらいのサビには負けないよと言いたげにすっくと立っている古レールが好ましかった。ところがその柵に鮮やかな緑色のペンキが塗られて、その緑色が彼岸花の葉の緑を柵の中に閉じ込めていた。

 「緑色」は、自然を大切にするという記号性を与えられている。それは、色に対してではなく色の名前に対して与えられたらしい。植物を引き立て周りを気持ちよくするためには、サビを滲み出させたそれまでの表情の方がはるかに美しい。かりに、鉄の柵を保護するために何らかの色のペンキを塗る必要があったとしても、ほかに選ぶ色があっただろうし、緑とよばれる色の中にもそれがあっただろう。
 旗色だの色眼鏡ということばがあるように、色はそもそも価値と深く結びついているけれど、問題はなにも色のことだけではない。緑とよばれる色の名称がそうであるように、記号性にひきずられて本当のところを見失ってしまうことにある。「改革」ということばの錦の御旗のおかげで、何をどう改革するのかというもっと大事な問題を飛び越えて「改革でなければ抵抗勢力」という問題にスリ変えるということが起こったし、かつては「畏れ多くも」という枕詞ひとつで、価値を問うことが回避された。西武線の線路敷をわかつ緑色は、時とともに色褪せで周囲に同化してゆくだろう、しかし、制度の上に塗り重ねられたペンキは何かを覆いかくしながらかえって、時とともにみずからを目立たせることもある。
 

投稿者 玉井一匡 : 06:38 PM | コメント (8) | トラックバック

November 17, 2005

Panda Cam

Click

 サンディエゴ動物園のサイトの中に「Panda Cam」というのがある。今年の8月2日にうまれたメスのパンダのようすを、リアルタイムのビデオの映像で24時間見られる。これがとてつもなくかわいいのだ。100日目につけられた名前がスーリン(蘇琳)、11月9日で体重4.5kg身長67cm。彼女のすまいは、直径2mほどの円筒形で、床にはワラが敷き詰められているようだ。スーリンは一日中この中で生活しているが、母親はひとつだけの開口を出たり入ったりしている。そこには扉がついている様子もないのに、なぜかスーリンは出られない。ちびには越えられないほどの段差があるのか、パンダの子供が巣穴から外に出るのは、ちょっとした勇気が必要だからなのかもしれない。

カメラはその小屋の天井にすえつけられていて、いつも下を見下ろし、毎秒2枚でパラパラ漫画のようなモノクロのムービーを送るのだが、スーリンのたどたどしい動きとムービーの動きがちょうど合っているようだ。
母親は娘を抱いて眠り、授乳したり、くんずほぐれつ遊んでやったり、なめるように可愛がる。朝になると竹をいっぱい抱えてくる。昼間は、スーリンはひとりでいることが多いようだから、母親は観客のいるところに行っているのだろう。母の名はバイ・ユン(1991生まれ100kg)といい、サンディエゴ動物園で初めて生まれたパンダなのだという。Bai Yun ("White Cloud")と書いてあるから漢字は白雲というのだろう。父親は巣穴には入れないらしく、画面には現れない。
これを知ってから、ぼくはこのサイトを常時開きダッシュボードにサンディエゴの時計を加えた。

PandaWolongcubs.jpgこのリアルタイムの画像の他に、画面の枠の上に書かれている項目がある。これを選んでクリックすると、つぎのような内容の画像や文(英語だけど)が見られる。
Panda Blogs: Read the latest from our Giant Panda Team.
・パンダチームの書いたBlog
More blogs: Read blogs from our keepers and trainers.
・その他の飼育係やトレーナーによるBlog
Extras: Videos; slideshows; news.
・ビデオスライドショー
Time-lapse: See previous Panda Cam activity.The panda cub has a name! Read about it here.
・これまでのPanda Camの記録(早送り)
上の集合写真はPanda Blogsの中にあったもので、ウーロン・デイケアセンターで生まれた子パンダたちの写真だそうだ。

投稿者 玉井一匡 : 07:50 AM | コメント (3) | トラックバック

October 05, 2005

彼岸花1:両義的な偏屈


 自転車をとめて電柱に寄りかからせ、西武新宿線に沿って並ぶ彼岸花たちにカメラを向けた。ぼくはこいつらが大好きだ。第一線を退いた古い線路を地面に立て、スチールパイプを水平に通してつくった柵の足下、華やかに秋をたのしんでいる。秋分の日のころになると必ず花をつける律義者でもあるけれど、その数日前からするすると芽を伸ばしはじめるまでは、地上にいっさいの生命の兆候を見せない。ときに球根が集合となって盛り上がり地上に姿をあらわしてるが、ただそれだけだ。そのくせ冬のさなかには細くて長い葉を豊かに茂らせる偏屈ものでもある。最も日照の豊かな季節には葉をつけず、弱々しい冬の光に葉をつける好き好んでの非効率。
 こいつが顔を出すのは、田舎なら田んぼの道の脇、墓地の墓石のあいだ。そして、ここのように線路や道路沿い。ことごとく時間・空間・死生の、いずれも境界に花を開かせる。両義性を花群れにしたようなやつだ。それに加えて炎のような紅と線香花火の軌跡のように四方に散る花弁。これを劇的といわずしてなんと言おう。

田んぼの中を抜ける道の路肩は田と道の境、生産の地であり移動の地でもある。墓地はいうまでもない、死者と生者の棲む空間の接点。線路脇は道路でもない線路でもないところに、かつて線路だった鉄や枕木だった木材が立てられて線路でありながら柵でもあるゆるやかな境界をかたちづくる。
そして、開花する季節は夏と冬の中間。「暑さ寒さも彼岸まで」は、この時節が夏でもあり冬でもあると教えた。お彼岸には、三途の川の彼岸から懐かしい人たちが帰ってくるとき。生きる人と世を去った人たちとの共生のときなのだ。多くの植物が春に新芽や花をつけて生命の復活を思わせるのに、この季節に突然のように開く花。

 彼岸花は球根で増えてゆくが、何の手入れもせずに毎年花をつける。次々に隣に球根が増えてゆくとびっしりと固まって、中央は横にひろがることができないから上に盛り上がってくる。かつて凶作のときには、有毒な部分を取り去って球根を食べたという。それもまた生死の境を分けるという食べ物ではないか。しかも、毒を抜かなければ死への道を早めさえするから、二重に生死を分ける。ユリがうまいんだから、これも結構うまいのかもしれない。だとすれば、たくさんの彼岸花が咲く年は豊年のしあわせな秋だったわけだが、そのたびに昔の飢饉を思い出させるしるしでもあったろう。
■関連エントリー
彼岸花3:窮屈な成長

投稿者 玉井一匡 : 03:06 AM | コメント (14) | トラックバック

September 16, 2005

水辺の花

8月上旬の日曜日、暑さのさなかに葛飾区の水元公園を見に行った。江戸川沿いに残された三日月型の池を取り込んで、あまり人工的な加工を感じさせない、いい公園だ。金町が最寄りの駅だが、江戸川をはさんで松戸の真向かいの位置にある。立体的な変化には乏しいが、水辺にあるので、植生や平面的な表情がゆたかで、しかも空が広い。あらゆるものの境界は、空間であれ文化であれ知的領域であれ、かならずおもしろい楽しい気持ちいい。日当りがいいので、連れて行ったクーは毛皮をまとっているからすぐにへこたれた。
 その池の中に立つ丸太の杭の先端が腐敗しているところに、植物がしっかり根を下ろしている。構築物としては崩壊が進んでいるのに、生物の世界から見れば、死んだ樹木を微生物と植物が生命に変えているのだ。杭の繊維が水を吸い上げるから植物にとってはすこぶる具合がいいのだろう。赤いちいさな花の房が咲いているが、ぼくは名前を知らなかった。


その次の週末に新潟に行った。雨模様の日だったが夕方になって晴れてきたので、夕焼けの田んぼ道、自転車を走らせた。農業用水路をホタルが住めるようにするという計画を亀田郷土地改良区が進めているのを、気になっていたのにまだ見ていなかった。日が落ちる前に様子を見ようと新潟スタジアムの近く目指して急いだ。水路は、これまで機能優先で索漠たるものがつくられてきた。鉄板の矢板を垂直に叩き込んでその頭をコンクリートでつないで擁壁にしている。さらにそれが内側に倒れないように水平にパイプを付けて支える。水量の多いときには流れも速いから大人でも落っこちたら這い上がれない。魚も住まなくなったつまらない水路には、こどもたちも寄り付かずにファミコンやプレステに向かう。だから子供が落ちることも少ないだろうが、落ちたら助かるとは思えない。
 矢板はひどく錆びて、つつけばポロポロと剥がれるほどにいたんでいる。そこで、どうせ直すなら水路を自然の流れにすこしでも戻そうという計画なのだ。とはいえ、もともとは決して清水の流れるところではないのだからホタルが棲むようにするのは容易なことじゃあないだろう。というわけで、工事がどう進められているかを見に行ったのだった。
 「東京の公園と原地形」でいわれるような「谷戸」とはちがって、このあたりでは、周囲に葦の生い茂る湿地のことを「やち」という。「谷地」ではなくて「野地」と書くのかもしれない。「やち」だったあたりの一部には植えられた蓮や蒲が花をつけ、また一部は水際を石積みで固め斜面に花が満開だった。数台のユンボも置いてある。やあ、水際には水元公園で見たのと同じ花だ。
 写真をたよりにtacがBotanical Gardenを検索して見つけ出した。「ミソハギ」という。溝萩と書くのかと思ったら「禊萩」ーみそぎ萩ーと書き、湿地に咲くとある。水際に咲く花は、背景がいいことでずいぶん得をするし、それを見ている立場のぼくたちも、水辺の気持ちいいところにいるので、花を美しく感じるから二重に得をするわけだ。

投稿者 玉井一匡 : 01:35 AM | コメント (0) | トラックバック

August 06, 2005

ヴィエンチャンの合歓の木

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この春ヴィエンチャンに行ったときに大学の図書館を見学した。読書室の窓から見下ろすととても形のいい巨きな木があった。帰りがけにそばに寄ってみるとやはり合歓(ねむ)の木だった。やはりと思ったのは、そのとき合歓が気になっていたからだ。ヴィエンチャン中心部に計画中の市立図書館ができる敷地に、大きく枝を広げる涼やかな木がある。足もとにデッキを作れば屋外読書室にもってこいだ。 南国の特別な木なのかと思い近づいて花と葉を見ると、合歓の木なんだ。葉は日本の合歓よりも大きくてアカシヤのようだが、花はまぎれもない合歓だ。それから気をつけてみると、道の向かい側にももっと大きい木があって、木蔭には屋台がある。「合歓」というのは不思議な字を書くなと思っていたが、こうやって木蔭に人が枝に鳥たちがあつまるのをみるとなるほどという気がする。

bigtreevient3.jpg
 合歓の木蔭がすずやかなのには、いくつかの理由がある。細い糸をたばねたようなたおやかな薄紅の花がいかにも繊細。小さな葉の集合体なので隙間が多いから、それら薄い小さな葉は太陽を透過し反射させて、光を霧のようなちいさな粒にして地上に撒きちらしてくれるのだ。
日本にいる合歓は、こんな大木にはならないので、少ない葉と繊細な花が頼りなげに感じさせるのだが、大木になると密度の少ない葉でも重なるから量感を増す。市立図書館の前の道路は、国連の施設も計画されているくらいの目抜き通りだが、今はまだいわゆる立派な建物はまだ建てられていない。つきあたりに「凱旋門」があるだけの広い道路に見えるけれど、電柱なんてないからちゃんと電線は地中にあるらしいし大きな樹木が豊かだ。ここはシャンゼリゼの国がかつて支配していた。大連もアカシアの並木が広くて美しいといわれるから、植民地支配にも、いいところがあるということなのか、整然とした町並みをつくるには、強い権力が必要だということなのか。
それでもぼくは、この道につけられたランサン通りという名前にも心を動かされていた。「かつての王家の紋章が三頭の象だったことからつけられたんですが、ランサンというのは「百万の象」という意味なんです。」とエファ・ジャパンの吉川さんが教えてくださったのだった。
 ためしに計算してみよう。片側3車線の道路だから象を6列に並ばせることにする。前後に5m間隔としたら、行列は833kmと330m+4匹にもなってしまう。しかし、その光景を思い浮かべても、象たちだと大行列も押しつけがましい力の誇示というより楽しい行列に思えてしまうのだ、ぼくには。そうなったらもう、楽しいことをさせるんじゃなければ象使いの手には負えないもの。
 

投稿者 玉井一匡 : 10:49 AM | コメント (2) | トラックバック

July 22, 2005

グリーンイグアナのアンヘル:パッシブソーラーな生き方

ANGEL.jpg

 10年ほどまえ、事務所にグリーン・イグアナを飼っていたことがある。
東急本店屋上のペットショップで5000円だった。こいつのインパクトの大きさからすればこの値段は格別に安いと思った。南米ではイグアナを食っちゃうんだと聞いていたから、うちに来てかわいがってもらえることは、彼らにとっては望外の幸せにちがいないと信じていた。木の衣装箱のようなものを拾ってきたのがあったので、そのフタをはずして透明のアクリ板にとりかえ、スライド式ではずせるようにした。ときどき箱から外に出して事務所の中を歩かせた。アンヘル(Angel)と名付けられた。
 写真で分かる通り、とてもかわいい顔をしている。いまだに、これほどのかわいい顔をしているイグアナにあったことはない。と、ぼくたちは本気で思っているのだが、ひとはこれを冗談だと思うらしい。
 東急本店のペットショップの店員は、これをやっていれば大丈夫ですといってドッグフードのような「九官鳥のえさ Q-CHAN」なるものをすすめた。乾いた球形の粒々だが、値段は一箱500円ほどだった。それをお湯でふやかすとおよそ3,4倍ほどの体積にふくらむので、毎日それを食べさせてもひと箱で1年ほどは食べられたから、おどろくべきランニングコストの低さである。

 うちにやってきた頃でもすでに尾の先まで50cmほどもあるのに、わずかな餌で生きられるということにぼくはとても感心した。犬だったら、小型のやつでも1週間で軽く食べてしまうほどの量で1年をすごす。1mくらいになったら、犬のようにつなをつけて公園を散歩させようと楽しみにした。

 爬虫類は、恐竜時代から進化の止まったおくれたやつだと思われているけれど、ほんとは、そうじゃないんじゃないか。哺乳類は、体温を一定に保つことができるから、周囲の気温にさほど左右されずに活動することができる。しかし、そのために多くの餌を食べなければならない。ところが爬虫類は、暖かければすこぶる活動的だが、気温が下がれば自分で体温をあげられないからあまり動かない。ひなたぼっこをして太陽熱で体温があがるのを待って活動する。カメが、冬の池で石に乗ってじっと日向にいるのはそのためだ。パッシブソーラーなのだ。
 アンヘルを見ていると、生産性が高いと言われる社会が生産性の低いとされる社会よりも、本当にすぐれているのだろうかと疑問に思わずにはいられなかった。過剰にモノをつくり、エネルギーを不必要に消費し、環境を壊し、かわりにプラスティックのゴミを自然に返すというのが、進歩ということなのか。
 爬虫類は、何億年も前の種がまだ生き残っているのではなく。現在も、この地球で、人間と同じ環境の中に適応して生きている。人間の人口が過剰になったときに食糧不足の世界で生き残るのは爬虫類かもしれない。同じように、これからの世界を生き延びてゆくのは、もしかすると、先進国とよばれ過剰な生産と不要な消費を続ける社会よりも、いまは「発展途上」といわれ「生産性の低い」といわれるが消費も少ない社会が生き延びて、周回遅れと思われていたのが、いつのまにかトップランナーになっているという時代がくるのではないか。

 しかし、アンヘルには、悔やまれる後日談がある。Green-Iguana-Society.jpgやってきてから2年ほど経った頃に急に元気がなくなった。親しい獣医さんに相談しても爬虫類のことはよくわからないという。あの人なら爬虫類も見てくれるかもしれないと、すすめてくれた獣医さんは、ぼくの自宅の近くに開業していた。しかし、フェラーリとランボルギーニの真っ赤なやつが2台、前に並ぶような動物病院には、行きたくなかった。西武のペットショップに行ったら、おばさんがいて「私の飼っているイグアナは、ウチの中ではなしておくと、ご飯時になるとキッチンにやってきます。結構馴れるんですよ。でも、太陽にあててやって、動物性の餌をやらないとだめですよ」と言われて慌てた。事務所は陽あたりが悪かったし、イグアナは草食性だと聞いていたから、おやつのように果物や野菜をやってはいたが、動物性のものはやらなかったのだ。紫外線を出す特殊なランプを買ってきて箱につけてやり、ミルウォームをやったけれど、日に日に弱っていき、結局死なせてしまった。当たり前の話だが、エネルギー効率がいいとはいえ、必要なものがまだあったのだ。何が必要で何がいらないのかは、そんなに単純なものではないのは当たり前のことなのに。
インターネットでイグアナのサイトを探すと、いまではいろいろな情報が見つかる。Green Iguana Societyなんていうのもあって、飼育方法も丁寧に書いてあるしイグアナのための食品も多い。ここの看板イグアナは、もう少しでアンヘルと同じくらいかわいい。今だったらアンヘルももっと長生きできただろう。

■追記
「アンヘル」という名前は、サッカーのラモン・ディアスのセカンドネームをもらった。当時のアルゼンチンの大統領がディアスのファンで、日本に来たときに当時在籍したマリノスの試合を見にきたことがあった。駆け出しのサッカーファンだったぼくは、彼がマラドーナと人気を二分するほどの人であることを聞いても「へえ」と思うくらいで、今にしてみればもったいないことだった。

投稿者 玉井一匡 : 02:51 PM | コメント (9) | トラックバック

July 18, 2005

山吹の実

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 「これ何ですか?」先のとがった葉が2枚ついているもとに3つのタネのような実が付いている植物の枝先をtacが持ってきた。実のつきかたと葉っぱを見て思ったのだろうが「ヤマブキかな」といいながら、「植物園へようこそ!BotanicalGarden」のサイトを開いてヤマブキを検索する。
ひとえのヤマブキと八重のヤマブキの写真が並んでいて、八重の写真の説明には「太田道潅の話に出てくる,「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」という歌が思い出されます。八重咲き種のヤマブキには実がなりません。」とある。

 ヤマブキに緑色のタネのような実がつくようすは、画像の記憶としてぼくの中に残されている。そのことと、太田道灌に歌を詠んだ少女の差し出したヤマブキには実のならないこととの食い違いに、ぼくは一度も気づいたことがなかった。それが不思議な気がしたが、それは、タネの画像の記憶が無意識のもので、いわばタグがきちんとつけてないまま、記憶の引出に放り込まれていたからなのだろう。
この実の数を見ると3つしかついていない。けれども萼は4枚。もともと4つ付いていた実がひとつ落ちたのだろうとは想像できる。しかし、一重の花のヤマブキの写真では花びらは5枚ある。
そこで、説明をよくみればちゃんと書かれているではないか。「ヤマブキ(山吹)のように見える白花のものがありますが,それはシロヤマブキ(白山吹)というものであり別種です。ヤマブキは 5 弁花で,シロヤマブキは 4 弁花です。」・・・・・・なるほど、こいつはシロヤマブキの実ということになる。はじめからきちんと見て説明を読めばすべて答えは書いてあったのだ。
シロヤマブキを検索すると、ちゃーんと4枚の花びらが開いた写真がある。
ぼくは、このサイトが大好きだ。

投稿者 玉井一匡 : 12:38 AM | コメント (2) | トラックバック

May 31, 2005

スイカズラ:忍冬


 朝夕に犬の散歩に行く公園で、ネットフェンスとそのまわりの樹を白と黄色の花が包み込み、あたりは香りで満たされた。クチナシのように甘いがもっと穏やかでここちよい香り。スイカズラだ。こんなにかわいらしい花と香りをもちながら、なぜか雑草扱いをされて、この花たちも植えられたわけではなさそうだった。そばによって見るとその理由がわかる。甘さに惹かれるのはわれら人間だけではないらしく、アリマキのような黒い小さな昆虫ががいっぱいいる。しかも指先で茎に触れるとベトベトするのだ。 

 土曜日にクルマで関越道を新潟に向かったおり、埼玉県だったろう、スイカズラがいっぱい咲いているところがあった。開通以来どれほど関越を走ったか分からないほどなのに初めて気づいた。中央分離帯に、対向車の光をさえぎるため、進行方向と直角に幅1m高さ2mほどの大きさのネットが並び、それを白と淡い黄色の花が覆い尽くしている。窓のガラスを下ろしたがクルマまでは香りが届かなかった。
 日本語ではスイカズラを「忍冬」なんて書くというのは楽しいもんだ。ドウダンツツジは満天星でサルスベリは百日紅。幹の表面がつるつるになるからサルスベリだが夏のさなかに花期の長いことから百日紅だ。こんな多重表記法を持つ日本語あるいは漢字文化のありかたをみると、どうだきみたちにはできないだろうと西欧の言語に言ってやりたくなる。日本語は厳密さを欠き曖昧だ、だから君たちは・・・・・と批判されても甘んじて受け入れよう・・しかし、じつは豊かな意味に満ちているということがすてきじゃないか。
 スイカズラは二つの花が対になって並んで咲くし、同じ株に白い花と黄色の花がさく。だから、漢方では金銀花と書くそうだ。 なかなか一筋縄ではゆかないやつなのだ。

投稿者 玉井一匡 : 08:19 AM | コメント (2) | トラックバック

April 24, 2005

Bird's h@us

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Be-h@us展に、野澤さんは小さな写真を貼り付けたボード6枚のほかにもまた魅力的なものをつくった。鳥の巣箱なのだが、どれもみんなひとひねりしてある。表に焼鳥屋のメニューがはってあるやつ、屋上緑化のために屋根に土をのせたもの、そして空と雲の絵が描かれていて空にとけ込んじゃう巣箱は出入り口の穴と木の節が同じ面で並ぶように作られている。もうひとつは横長で、裏に透明のアクリル板のふたをつけた巣箱(写真)。これには、「NO ROOM」と「FOR SNAKE」という文字が書かれていた。一部屋は「空室なし」で、もう一つは「ヘビさんのおへや」って 意味なのか思っていた。あとになって写真を見直したら、「ヘビ立ち入り禁止」って意味なんだと気づいた。ヘビが横になりやすいような横長の巣箱に、中味つまりごちそうがよく見えるのに入らないでっていう意地悪な巣箱なんだ、これは。
23日、世田谷美術館のあと関越道を新潟に走った。トンネルを境に春と冬の終わりが隣り合わせの道を急ぎながら、母の住む新潟の家にあるケヤキの木の足もとに「巣」の残骸がのこされたままになっているのを思い出した。


 針金のハンガーがケヤキの足下に散在している。樹上に巣をつくっていたカラスが、なぜか引っ越していったあとに少しずつ壊れておちてきたものにちがいない。カラスは、ヘビとならんで小さな鳥たちの恐れる敵の双璧だ。そのカラスも人間だけは恐れるから、人の通り道からあまり遠くないところに巣箱を置くのがいいのだと、聞いたことがある。
都知事にはとりわけ嫌われるカラスだが、かれらが青と白だけの針金を集めたのを見ると野澤さんの空の巣箱を思い浮かべた。もしかするとこいつらは、巣を空にとけ込ませようとしたのかもしれないぞと。やつらはこのほかに木の枝も使っていたが、そういえば、野澤さんの巣箱はどれもが木のほかに金属やプラスティックを使ったハイブリッドだった。 
 もうひとつ、巣といえば殻々工房の見学会のときのことを思い出す。メニューのひとつにハチノス(牛の第2胃)のトマト煮があって、ぼくは酒も飲まないのに酒の肴はことごとくすきだから、うまいうまいと食べてばかりいた。あとになって、あれは「Bee-h@us」というつもりだったのかな。そう言って欲しかったのかなと思ってメールを送ったら、そういうつもりではなかったと返事があったが、どうなんだろう。
  そのうち殻々工房で巣箱の展示会が開かれるのが楽しみだ。もしかしたら野澤夫妻、むかしむかしは鳥だったのかもしれない。

投稿者 玉井一匡 : 08:37 PM | コメント (4) | トラックバック

September 13, 2004

サギとコンバイン

sagi.jpg
 新潟の田んぼでも、ところどころで収穫が始まっている。刈り取りの終わったところに白鷺たちが集まっていた。コンバインが走ってゆく後ろを追いかけながら7,8羽の群れがえさをついばみ、ときに舞うようにしてふわりと浮かび上がるのがかわいい、うつくしい。
翌日、畑仕事をしていた作一さんに「コンバインの後ろでサギが落ち穂拾いをしているんですね」というと「あれは虫を食べているんですよ。イナゴだのなんだの虫が出てきますからね」という。

 そういわれれば、たしかに稲を食べるなら刈り取る前にだって食えるわけだ。昆虫や魚を食べているサギたちにとっては、乾田になったおかげで、猟場がすっかり減ってしまった。ちょっと大きな池のある住宅にサギがやってきて鯉を食ってしまうという嘆きを聞くのも、もとはそこにあるのだ。
 機械を使いやすくするため、田んぼに水のある時期を少なくしたからカエルや小魚がいなくなった。サギたちはやむをえず都市の川や、ときには住宅の池にさえ餌をとりに行く。そして、乾田化をもたらした原因のひとつであるコンバインのおこぼれを追いかける。農家は、労働を楽にする機械のローンのための労働に追いたてられ、機械メーカーは都市の一等地に構える。ならばと、鳥たちはコンバインの後ろを追って昆虫をつかまえる、都市の住宅で鯉を食う。そういうサギたちのしたたかな適応力を感心しないではいられない。
 この関係は何かににていないか、人間の世界のありかたに。かつてゲリラと言ったが今は武装勢力といわれるひとびと、そして、直接には責任がないのに攻撃にさらされる人たち、しかし、平和に暮らしていたものたちを戦いに追い込んだ人間や組織は、いつだって安全で楽なところにいる。

投稿者 玉井一匡 : 02:22 PM | コメント (2) | トラックバック

August 19, 2004

カメと高速道路

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高速道路のサービスエリアには、端の方にゆくと木蔭にベンチやあずまやの設けられた一画がある。
ぼくたちは車をおくと、そこをめざした。5組ほどの人たちが昼飯を食べていたが、だれもが犬を連れていた。ぼくたちも愛犬cooを同伴していたから、みんな同じことを考えるものなんだとつまらない感心をして娘と一緒にサンドイッチを食べ始めた。やがて30mほどはなれたところにあるあずまやと車の間を、大きな荷物をかついで何度も往復するおじさんがいるのに気づいた。プラスチックの箱を、つぎに丸い大きな固まりを肩にかついで何度か運んだ。目をこらすとそれらは亀である。ゾウガメにちがいない。数人の人がその廻りを遠巻きにしはじめる。

  見に行きたくて、ぼくは 残り少なくなった昼飯を急いで終えると、近づいていった。まちがいなくカメだが、cooが食べちゃったりするといけないから、引き綱を娘にあずけて近づいていった。60〜70㎝のやつが2匹、小ぶりのがプラスティックの箱の中に4,5匹いる。奥さんが座っていたので、さっそく質問する。「ゾウガメですか?」
「ゾウガメじゃないけど、陸亀です」
「どこからきたんですか?」
「原産はアフリカですけど、アメリカで養殖されているんです」
「もしかする、やつらは食用に養殖してるんですか?」
「いえ、ペット用らしいです」
「オムツしてますね」
「大きいのが車でやっちゃうと大変なんです」(車は小型のミニバンだった)
「何歳くらいなんですか?」
「10才くらいです」
「10年でこんなでかくなるんですか。この甲羅の年輪で年齢がわかるんですか?」
「こんな小さいときに買ってきてから10年くらいたったんで」と、大きめのアンパンの大きさを手で示す。・・写真で数えてみると、甲羅の年輪は10本くらいだった。
「小さいのは、こっちの大きいやつのこどもですか?」
「いいえ、みんな、買ったんです」

 かつて、事務所でグリーンイグアナを飼っていたことがある。爬虫類は生きているかぎり大きくなるんだときいたことがあったから、1mくらいになって部屋の中を歩き回るのを楽しみにしていたのに70㎝ほどのときに死んでしまった。ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくるゾウガメ:カシオペイアのようなやつが部屋を歩いたらすてきだろうなと思っていた。
しかし、サービスエリアでの大荷物、ブルーの紙おむつ、白菜の固まり。・・・・・スローライフと現実世界を折り合わせるのは、なかなか大変だ。
 *聞き忘れた質問が、まだいくつかあった。1)名前を呼んだら来ますか?  2)いくらで買えるんですか  3)卵がいっぱい孵ったらどうするんですか  4)何歳ぐらいまで生きるんですか 

投稿者 玉井一匡 : 03:34 PM | コメント (0) | トラックバック

May 26, 2004

ユキノシタ

場所:自宅・ドライエリア・プラントボックス
ユキノシタは普段はすこぶる地味な植物だ。ツワブキのように丸い葉をひろげているが、生垣の足もとや庭石の陰などにいるから、花が咲いてもたいした注目を受けることもない。しかし、目を花の高さにしてじっくりと見れば、華やかな花をたくさん咲かせている。根本から手を伸ばしてその先に小さな子をつけてひとりで増えていってくれる。大文字草は同じような花を咲かせるが小さいのに、むしろ高い値段で商品になっている。色や形のちがうものがつくりやすいのだろう。美しさだけでいえばむしろユキノシタの方がまさっているし、名前もうつくしい、葉は天ぷらにして食べられる。紫陽花はユキノシタ科に属する。

投稿者 玉井一匡 : 11:17 AM | コメント (0) | トラックバック

April 29, 2004

サービスエリアのカタクリ

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 高速道路のサービスエリアで、擬木の柵のむこうの斜面を見ると赤い花が一面に咲いていた。
近くで掃除をしていたおばさんに「あれはカタクリじゃないですか?」と尋ねる。「そうだよ。採っていけばいいのに。山菜も出てるよ」「そんなこと言っちゃあだめだよ、盗られてなくなっちゃう」というと「このあたりじゃあ、山に行けばいくらだってあるんだから」と、淡々と話す。おばさんの「淡々」に潜む自信と力強さは、もしかするとこのあたりの山のつよさの現れなのかなとちょっと思ってしまいそうだ。柵をまたいで花のそばに降りて行くと、一面に咲いていたのはやはりカタクリだった。エンレイソウも地味な花をつけて、小さなグループをつくっていた。カタクリの向こうにはまだ雪が残っている。

 あとになって何人かにこの話をすると、だれもが「どこでも乱獲されちゃっていて、いくらでもあるというところはないだろう」というところを見ると、あのおばさんはとくべついいところに住んでいるらしい。

投稿者 玉井一匡 : 11:02 AM | コメント (0) | トラックバック

October 31, 2003

野鳥がまちにくると

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クーと一緒に歩く朝の散歩ルート、妙正寺川にも今ごろの季節になるとカモがやってくる。おばさんが熱心に川をのぞき込んでいるがカモにしては視線が輝いているので、何がいるんですかと訊くと「おしどりなんですよ」という。川は、ここ数年の間、ずーっと護岸工事を続けている。間知石を積んだ石垣を、せっせと壊してコンクリートの壁に代えながらも古い壁に多少の未練を残すように、石垣もどきのレリーフが表面を覆う。これは横2メートル縦1メートルほどのわずかな単位で同じパターンをくり返すから、すぐにネタが割れる。コンクリート3面張りのニセモノの川に、本物の鴛鴦が来ことを、ぼくは単純には喜べないが、それでもしばらくはやや興奮してオシドリを見続けた。すれ違った隣の住人にオシドリのことを教えずにはいられなかった。

 大久保に住む叔母の家の池には、この春に白鷺が舞い降りた。はじめは喜んだ叔母たちの目の前で、彼らは池にいる金魚をつぎつぎと呑み込んだ。「どうしようか」と電話をかけてきた叔母に「金魚のいる家はいくらでもあるけれど、サギのくる家というのはすてきじゃないですか。もともとえさ用の金魚だったんだから食べさせてやったらどうですか」と、ぼくは荒っぽい慰めを言った。熱帯魚の餌として売っている安い金魚を、1000円ほどぼくがおみやげに買っていったのが、1,2年でみるみる成長して10センチ近くになっていたものだから、いささか金魚のいのちを軽んじてそう言った。ニセモノの自然のなかにおかれた野生の生物は、もの悲しく痛々しい。かれらの住んでいた場所も人間に壊されて減ってゆくという事情を、ぼくたちはすでに知っているからだ。

 その前の朝には新潟の郊外で5分ほどの間に白鳥の群れが4組、ぼくの頭上を飛んでいった。頭の上を大きな鳥たちが越えてゆくのは、オシドリよりももっと胸ときめくことだった。かれらは、新潟スタジアムのとなりの鳥屋野潟という池を根拠地に、刈り取りの終わったたんぼに降りて落ち穂拾いをするのだ。人工的な自然ではあるけれど、たんぼに白鳥たちが降り立ってももの悲しいとは、まだ感じられない。
田んぼは、人間による生産が自然と折り合う地点だからなのだろう。

 その後ひと月ほどの間に「うちもサギに池の魚を食べられた」というはなしを3回も聞いた。叔母の家の池は金網で覆われた。

投稿者 玉井一匡 : 02:31 AM | コメント (0) | トラックバック

June 01, 1972

コモリガエル、カモノハシ・・・異常論 

Click Flog to PopUP 30年以上も前のものを読み返すと、気恥ずかしい書き方があったりあちらこちらに難点が見つかったりするけれど、いじりだしたらきりがないし、あのころ何を考えていたのかを記録することに意味があるのだと思って句読点を少し直すにどとどめた。

<「建築」1972年6月号100pより>

コモリガエル、カモノハシ・・・異常論

妙にひとを魅きつけるものがある。
自分のものにしたいというーーーたとえば惚れた女、漁船が甲羅星をする小さな湾、革命直後の精神の昂揚といったたぐいのーーー感情によるものではなく、その在り方が異常であるという点で魅力的なものだ。

コモリガエルは異常である。
それは、卵を生みっぱなしのはずのカエルが体内で卵をかえすという点においてではない。タツノオトシゴが父親の腹の中で卵からかえるのはさして異常ではないし、少なくとも、キモチワルイものではない。
科学の事典でコモリガエルの挿画を見た秋山*は、その話をするとき肩をすくめてとびあがり、さながら自らカエルになったようにキモチワルがる。
ぼくはこどものころもっていた動物図鑑で見たのだが、それは色つきで右のページの下の方に、赤いツノの生えたカエルと一緒に載っていた。

モゾモゾと蠢く子ガエルのかたまりが、その異常さなのではなく、それが親の背中に掘られた穴ボコの中にいるということであり、あるいは、背中にビッシリと穴があいていること自体なのだ。その光景は、見ているいこちらの背中に穴があいて、そこを無数の蛆がはい回っているというようなことを想い起こさせるからに違いない。蓮の実にある穴ボコの中に、種子がつまっている有様は、コモリガエルに似ていないではないけれど、それはさして異常ではない。むしろあのカエルは、アメリカの兵士がぶら下げているベトナムの子供の肉体のちぎれた片割れに似ている。

カモノハシは、やはり妙な興味を引き起こす。
彼は、ケモノでありながらくちばしがあり、ビーバーのような尻尾がありながら卵を生む。そんなやつがいるのか!という驚きは、コモリガエルのものとは異なる異常さである。
コモリガエルはその形態をぼくらに投影したときに異常さをつくりだす。カモノハシの異常さは、その形自体から来るのもではない。彼の形は愛らしくさえあるのだから、それはむしろ、彼が、ぼくらのもっている体系の中からはみだしてしまう存在だという点において異常なのだ。ああいう毛皮に覆われた動物は、卵を産んだりしてはならない、ましてや、くちばしなどは断じて所有してはならない。
カモノハシの存在は、いわば犯罪である。なぜなら、体系を外れているからだ。

カモノハシがとびだした体系は、われわれの(独断と偏見にみちた)生物学的分類の体系だったが、われわれをとりまく体系の典型は言語と法律である。

言語は表現の体系であり、法は行動の体系である。表現は行動の一部であり、同時に行動は表現の一部であれば、ふたつの体系は不可分のものとなる。

さて、ことばは不連続である。ぼくらが、あるイメージをもっている、それを表現する(ことばによってでも、行動によってでも)ーーーその段階では、イメージとことばは、1対1に対応している。だが、つぎにそれを受けるとき、そのことばのつくりだすイメージは、その人の中では1対1に対応しているものの、はじめのひとのイメージとは必ずずれが生じる。約束ごとは、「もの」を媒体としているので、ものの連続性のもつ限界は、イメージの連続性に対応しきることができないのだ。
約束ごとのもつ不連続を超えるには、約束ごとそれ自体を超えなければならないのだが、その連続性を獲得する手段が文学であり、芸術であり、冗談であり、皮肉である。約束ごとを超えるとは、約束ごとにない表現を行なうことであり、約束ごとをやぶることだ。ところが、約束ごとを破るとき、それが何かを表現しうるには、更に高次の、といってわるければ、新たな約束ごとが必要になる。陳腐さと醜さを賞揚するとき、それが新たな何かをを表現し、伝えるには、彼が陳腐でもなく醜くもないものを作ることができる必要があるし、ぼくがニクソンの肖像を壁に飾ったりすることが(もちろん、単に、たとえばの話だが)冗談として通用するには、ぼくが彼をできるならオリの中にいれてかざっておきたいと思っている、ということをひとに知っておいてもらわなければならない。でなければ、それは約束ごとに組み込まれ、親米愛国の表現になってしまう。
そんな、約束ごとの多重構造は、それこそ「連続的」に連続性を追求することになって、永遠にくりかえすことになる。

表現(表現としての行動を含めて)の体系に対する連続性を求めての反抗が芸術であり、行動の体系に対する反抗が犯罪である。
カモノハシはおもらいくんである。それは、姿はかわいらしく、けれども、存在自体が犯罪であるからだ。

第二第三のカモノハシを*!

   

投稿者 玉井一匡 : 12:00 AM | コメント (0)