February 07, 2012

「スペース」が閉じないうちに!

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 ふたりの日本近現代史の研究者、ジョン・ダワーガヴァン・マコーマックの対談が1月2日にBSで放送された。(2012 巻頭言特集「J.ダワ−×G.マコーマック 震災後 日本と世界への眼)
 ここでダワーが口にした「スペース」という言葉が、とても新鮮で記憶に残された。

 建築のことばとしては、「スペース」は新鮮どころかモダニズムの根幹をなす知らぬ者のない概念だが、ダワーの指摘するところは、それとは別だ。
 東北を襲った地震と津波という天災のありさまに加え、被災した人々のふるまいがテレビやYouTubeなどで報道されると、世界中の人たちに深い同情と共感が生じた。それは中国や韓国のようにかつて日本の侵略を受けた国の人たちや、わずかとはいえ北朝鮮さえ例外ではなかった。こういうとき、国際的な軋轢や国内の対立などがなくなって、これから世界が変えられるという「空間」、自由な「スペース」が生じることがあるのだ。いまそこに、日本人が上からの力によらずひとりひとりが自分自身の手によって自分たちの世界をつくってゆこうとする動きが生じている。・・・ダワーはそう指摘する。

 彼の言う「スペース」とは、そういう意味だ。しかし、それが開いているのは一時期のことであって、時が経つと閉じてしまう。関西の震災のときにはそれが、およそ1年くらいで閉じてしまった・・・とダワーは続けた。よくも悪くも、われわれ日本人には、限られた空間・限られた時間を共有するということは、深く身に染みついている。

 このまま「スペース」は閉じてしまうのだろうか。
ダワーの見た草の根のデモクラシーの発生とは、災害から勇気をふりしぼって立ち上がろうとするひとびと、原発という技術の危険を身をもって知った人たちが、自ら動きだしたことなどを指しているのはいうまでもない。ぼくたちは「スペース」の消えないうちに動き、さらに「スペース」ができるだけ長く開いているようにしなければならない。

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 ダワーがピューリツァ賞を受けた著書「敗北を抱きしめて」(Embracing Defeat :Japan in the Wake of World War Ⅱ)では、太平洋戦争からマッカーサーによる占領時代までの日本を描き出し、戦中戦後の日本の支配者たち、国民、マッカーサー占領軍について、手厳しい批判を加えている。
 しかし同時に、敗戦直後の日本には「スペース」が生じ、草の根のデモクラシーが生じたことを評価している。だが、やがて旧体制の支配層が既得権益を取り戻し、高級官僚と旧財閥の支配する国家にもどったことでそのスペースは閉じてしまい、結局、日本に草の根のデモクラシーは定着しなかったとしている。
 彼は映画「日本国憲法」でも社会学者日高六郎とともに、この映画の軸をなす発言者として登場している。これは、監督であるジャン・ユンカーマンがアジアとアメリカ各国の人たちにインタビューをしてまわり、日本国憲法とは日本とその周囲の国にとって何であるかを明らかにし、どうすべきかをわれわれに問いかけるのだ。(左上の写真は、この映画の中のダワーです)

 戦後の「スペース」に生じた草の根のデモクラシーは芽のまま摘み取られはしたが、それでも「日本国憲法」は遺された。その後の日本とアジアの平和と経済自立に、それが貢献したことはたしかだ。もし、今回の地震・津波と原発崩壊のあとの「スペース」で、何も残せずなにも獲得できないことにでもなれば、日本は凋落をつづけるしかなくなるだろう。それは、かつて戦争を支えた日本人のように、この時代に生きる日本人の怠慢による犯罪だと将来の歴史が評価することになっても当然かもしれない。
 脱原発をめざすことを宣言して、それを前提に、踏まれても枯れない草の根のデモクラシーの根を拡げることが、いまに生きるわれわれの最低限の目標ではないか。そうしてこそ、東北の再建に腰を据えて集中することができるのではないか。

■追記
Facebookで、「特報!速報!東京も法定数を突破しました!!!」ということを知りました。
原発についての都民投票の条例をもとめる署名です。
これは、ネットではなく自筆の署名が必要だというのに、ぼくはまだ書いていません。
2月9日が締め切りというので、探したら神楽坂に署名できるところがあるのを見つけました。
少しでも多くしたいので、明日行きます。草の根です。
http://kokumintohyo.com/branch/archives/1027
■コメント
なぜか、このところコメントが書き込めない状態になっています。いろいろ調べていますが,目下のところ原因がわかりません。コメントをお書きくださる方は、とりあえずメールをお送りください

投稿者 玉井一匡 : 01:00 PM | コメント (0)

June 13, 2011

「6.11新宿 原発いらないデモ」

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 これまで週末ごとに何度も脱原発のデモがあったのに、ぼくは一度も参加することができなかったが6月11日はあの日からちょうど3ヶ月。原発から自然エネルギーへの転換と地震・津波による破壊からの回復には、まだ長い時間がかかるだろうが、それを忘れないためにも、この「6.11 脱原発100万人アクション」という行動には参加したいと思った。

 この日、東京だけでいくつものデモが計画されていた。ぼくは1時から4時まで新宿にいるがそのあとにしか参加できないので、3時に新宿中央公園を出発する「6.11新宿 原発やめろデモ」に途中から加わることにした。最後尾が集合場所を出るまで1時間かかるくらいの参加者はいるだろうと期待した。前夜、帰り際にプラカードをつくるためにA3の用紙にTEPCO印を加工した。

 AKi  iGa Matz 諸兄、 tacも新宿のデモに参加することは前夜に聞いていた。Yumから「いま、中央公園にきたらtacさんとmasaさんに会った」とメールが来た。masaは、このところずっとこの活動を撮っている。4:20ころiPhoneで連絡をとるとAKiさんたちはもう終点のアルタ前に着いたというので、Yum、tacたちがいるというヨドバシカメラの前あたりで隊列に加わることにした。
 道路の左端を歩くようにという警官の指示にしたがう、シュプレヒコールを叫びはしない、ヘルメットもない、機動隊の盾も催涙弾もない。しかし、大組織による動員をかけたわけでもないのに、三々五々あつまった人たちは大部分がひとりひとりの意志や友人たちと声をかけてやってきている。それをつないだのはインターネットだ。

6.11DemoS.jpgClick to PopuP
 途中からAKiさんたちがもう一度くわわって行き着いた終点のアルタ前には、どんどん人が増え、あふれるようになって定常状態に達している。警官が張ったヒモの外に出ると、もう戻れない。延々と続く軽快なパーカッションにあわせて「原発いらない」「今すぐ止めろ」「子供が大事」「命がだいじ」「命を守れ」と声をかける。中央でエイサーのように踊る人がいる。ビラを配る人がいる。ギターと歌でなくパーカッションと踊りであるのは、この集団にまだ歌ができていないからなのだろうか。しかし、鳴り続ける打楽器が気持の底に潜むものを騒がせて、立ち去りがたかった。フォーク集会の40年前から進化したのか、もう一度発生と進化をくりかえすのだろうか。どこかではきっとラップなんだろう。

 だが、それにしても学生らしき年頃の連中が少ないのはどういうわけだろう。いちばん時間が自由になり、ものごとを考える年代であり、これから放射能の影響を受ける年代だというのに、どこにひそんでいるんだ。就活にマイナスだと考えているなら、放射性物質のせいにしてマスクをかければいいじゃないか。代わりに、ボランティアで東北に行ってるのかもしれない・・・マラカスの中の小さな粒たちのように、たくさんの思いがあちらこちらを行き来した。

 Yumからのメールで、Isくんと東口地下のベルクにいるというので合流。
近頃の大学は、立て看を出したり学生会館に政治臭のあるがあようなところには金が出ないという管理システムができたので、学生たちはどうしようもなくなっているんだと、10年前には学生だったIsが嘆く。大学のありかたも大手マスコミと同じ構造、同じ振舞いなのだ。大学には国や企業の補助金や研究費があり、マスコミには企業の広告費がある。社会を変えようとするときに先頭に立つべき大学と報道が、世の中を変えたくない側にしがみついているわけだ。

 こんな危機的な事態におちいりながら、大学もマスコミもみずからの意見を示そうとしない。システムが大きくなればなるほど、ひとりひとりはわずかな部分しか感知も関与もできなくなる。そうしているうちに巨大なシステムは勝手に動き出し、やがて大きな破綻をきたす。そのときにはもう、ひとりひとりには手の出しようがなくなっているのだ。ぼくたちはもう、大学や新聞やテレビに多くを、あるいは深いものを期待しない。

 いま、原発というシステムが不合理きわまりないものであることが明らかになってきているのは、実はさいわいなことかもしれない。原発という産業資源がいかに巨大とはいえ、ぼくたちの国家そのものや世界全体の経済や支配のシステムからすれば小さく、理解もしやすい。世界の抱える矛盾を可視化したものが原発なのだ。世界をたてなおすためには、これを解決することは第一歩にすぎないが、それを足がかりに文明の大転換を実現しなければ、人間という種の寿命は遠からず尽きてしまうだろう。

■関連エントリー
6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!/aki's STOCKTAKING
6.11脱原発100万人アクション/MADCONNECTION
6.11新宿 原発やめろデモ (前半)/kai-wai散策

 

投稿者 玉井一匡 : 07:28 AM | コメント (2)

January 29, 2011

西武新宿線の車内で省エネ

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 うちの最寄り駅は、各駅停車しか停まらない。
つぎの駅では急行や準急の待ち合わせのために大部分の列車が数分のあいだ停車する。先日、こんな車内放送が流れたのでおやっと思った。
「急行電車の待ち合わせのため3分ほど停車いたします。なお、省エネのため各車両のドアの一カ所をのぞき、閉めさせていただきます。」
どのドアが残るんだろうかと思って見ていると、ぼくの乗っていた最後尾の車両では、4カ所あるうちのうしろから2つ目が開いたまま残された。写真を拡大すると、左から2つめが開いていることがわかる。

 かつて雪国のディーゼル車は、駅に着いてもドアが自動的には開かなかった。
やや重いドアを手で引いて開き、閉じるのは自動だったのだが、それはちょっとおくれた電車なのだと子供心に思っていた。それが、車内のあたたかさをまもるためであることに気づいたのは、ずいぶんあとになってからのことだ。じつはエネルギー節約だけでなく、乗客だって寒くない方が快適なのだ。
 ドアの開閉のパターンをいくつか選べるようにすることは、それほど難しいことではないだろうが、既存の車両の改造はなかなか手がかかる。この車両は新しい型だから、はじめからそういう設定でつくられているのだろう。ドアの脇の座席には耳の高さくらいまでのスクリーンがついている。見た目には鬱陶しいが、これも風よけという配慮なのだろう。上りの終電車などは、乗客が少なくて寒さがひときわ身にしみるから、だれもがドアの脇の席は避けるものだ。

 車といい家電といい日本の製品には、なくてもいいような余分な機能がつけられことが多いけれど、これは日常の生活にも通じるいいサービスだなと思う。つぎには、勝手に電気を消費している自動販売機や明るすぎるコンビニの照明なんかもなんとかしてほしいものだ。

 電車はひと休みしたあと、いったん全てのドアを開けてから、ふたたび閉じて出発した。

投稿者 玉井一匡 : 09:00 AM | コメント (15)

July 10, 2009

ソーラーエネルギー

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 先日、朝の5時にクルマで帰ってきた両親が、眠り込んでいる乳児をふたりそのままクルマにおいて寝かせているうちに死んでしまうという事件が新潟県の三条であった。ぼくは自分がそそっかしいから、そういう話をきくと子供もさることながら自分の不注意で子供を亡くしてしまった若い両親の後悔し続ける生涯を思わずにいられなかった。
 おかげで、前日に友人が貸してくれたVHSのテープをクルマに置きっぱなしだったことを思い出した。建築家フランク・ゲーリーについてのドキュメンタリー映画「SKETCH OF FRANK GEHRY」は、まだ半分しか見ていない。
 行ってみると、ダッシュボードの上で直射日光にさらされていたテープはこんなこわい顔ををしている。近頃のクルマのフロントデザインさながら人相の悪い顔のようだ。どこかの怪しいメーカーの製品だからだろうと思ってよくみればSONYと書かれていた。これも新潟の出来事だ。ゲーリーのビデオは残念なことだし貸してくれた友人には申し訳ないことだが、太陽の熱の力はなかなか大したものだと感心してしまった。

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 太陽エネルギーというと、なんだか「地球にやさしい」特別のエネルギーのように感じてしまうけれど、じつは地球の生物はすべて太陽の熱や光によって命を育てているし、石油すらそうやって生きていた生物からできたものなのだから、あらゆるエネルギーはすべて太陽から来ているのだから太陽のエネルギーが莫大であることはあたり前なのだ。しかし、あらためて太陽の力をみせつけられて、ぼくはwikipediaを調べてみたくなった。「太陽エネルギー」という項目がある。
 そこには、サハラ砂漠の半分に太陽電池を敷き込めば世界の電力需要がまかなえると書かれていた。地中海をはさむ北アフリカとヨーロッパの地図に添えられた説明には「右からドイツ、EU25カ国および全世界の需要と等しい電力を太陽エネルギーで発電するのに必要な面積」とある。これはサハラ砂漠の半分には遠くおよばないから、そのまま鵜呑みにはできないが、サハラ砂漠の半分としても世界中に分散して太陽光発電をふやして原子力発電をなくすことは不可能ではないだろう。核兵器に対するオバマの姿勢と同じように、少なくともなくすことを目指すべきではないか。
 たしかにまだ困難はある。日照の少ない国もあるし、都市ではビルが影をつくるだろう。直流を交流に変換するか電気製品を直流で動くようにしなければならない。
いま、多くの国家では温暖化を理由に原子力発電の危険を忘れようとしているが、困難と危険性を比べれば太陽光発電の方が可能性は大きいのは明らかだと、ぼくは思う。原発の事故はそのときの被害が莫大であるうえに何百年にもわたる影響を残す。そのうちに原発の廃棄物の危険性をなくす方法がみつかるだろうという執行猶予に頼って地中に埋めている。しかも、原子力発電所でつくり出すエネルギーのうち70%は熱として捨てているのだ。


■wikipediaの英語版で、太陽の熱エネルギーをSOLAR ENERGYといい太陽光発電をSOLAR POWERというのだと知った。
*SOLAR POWER (太陽光発電)
*SOLAR ENERGY (太陽熱利用)
*PHOTOVOLTAICS(太陽電池)

投稿者 玉井一匡 : 04:11 PM | コメント (0)