November 19, 2011

「ハーブ & ドロシー」

HerbDrothy.jpg「ハーブ & ドロシー」:アートの森の小さな巨人/監督・プロデュース 佐々木芽生

 ハーブとドロシーのヴォーゲル夫妻は現代美術有数のコレクターである・・・とは、この映画で知った。このドキュメンタリーフィルムを観ているあいだ、ぼくの体中には温かくおだやかなうれしさと痛快さが満ちてきて、最後までそれは引くことがなかった。

 常盤新平がニューヨークのバーで飲んでいるときにバーテンダーにきいたという話をエッセイで読んだことがある。「ビジネスマンが飲んでいるとアートの話題になるんだが、アーティスト同志だと金儲けの話になる」というのだ。ニューヨーク在住の絵画のコレクターといえば、おおかたは並外れた大金持ちだ。
 ところが、この小柄なふたりは経済的にはまったく「普通のひと」でありながら、アートへの思いの強さ深さ、作者とその仕事に対する接し方がすてきに型破りであるし、売買で儲けようなどという気はさらにない。ひとに見せて自慢しようという気もまったくなさそうだ。好きなものを見つけ出してそばに置いておくだけでいい。そのコレクションときたらさまざまな意味であきれるばかりだ。どんなぐあいにしてそんなことになったのかを、書きたくて仕方ないのだが、この映画を観る楽しみを奪わずにおきたい。

 夫ハーバートは 1922年生まれ、ハイスクールを中退してから1980年に退職するまで連邦郵便局に勤務して仕分けのしごとを続けた。妻ドロシーは1935年生まれ、大学院修士課程を修了、ブルックリン図書館(Brooklyn Public Library)の司書として勤務した。ニューヨークのど真ん中のワンルームのアパートメントに同居するのは、わがもの顔にふるまう猫、水槽の中を徘徊するアロワナ、数匹のカメ。そしてなによりもおびただしい美術品のコレクション。

 もともと美術が好きだったハーブと、結婚してから美術に踏み込んだドロシーは、一緒にニューヨーク大学の講座で絵を学び描くようになったが、やがて鑑賞と蒐集に専念する。以来、ふたりはいつも手をつないでギャラリーをのぞき、アーティストのスタジオを訪ね、電話で様子を聞き、歩きまわる。妻の給料で生活をまかない、夫の稼ぎはすべて作品の購入にあてたということくらいは言ってしまおう。そういう暮らしをするなら、ニューヨークという街に住めば楽しくて楽しくてたまらないことだろう。
 映画の大部分が、このふたりと現代美術のアーティスト、美術館のキュレーター、批評家などのインタビューと会話によって構成されている。二人が大金持ちでないにもかかわらずこんなコレクションをつくり、アーティストたちと特別な世界を築いたというのではない、むしろ普通の立場にある人だからこそできたのだと気づく。ただし、傑出した鑑識眼をそなえている。同じように、この監督はアジア人の、しかも若い女のひとだから彼らの世界に踏み込むことができ、こんなドキュメンタリーフィルムを撮ることができたのだろう。

 残念なことに、劇場上映を見逃してしまったので、ぼくはWOWOWの放送をダビングしたDVDで見たので、機会があればこんどは劇場で見たいと思っています。

■関連ブログ
『ハーブ&ドロシー』/お江戸から芝麻緑豆/ こももさん
■関連ウェブサイト
NATIONAL GALLERY OF ART :ワシントン 国立美術館公式ウェブサイト
Herbert and Dorothy Vogel/Wikipedia:寄贈した美術館、作品を購入したアーティストの膨大なリストがすごい
BROOKLIN PUBLIC LIBRARY:ドロシーが勤務したブルックリン図書館ウェブサイト
■関連エントリー
「美の猟犬」と安宅英一の眼/MyPlace:安宅英一とヴォーゲル夫妻は、まったく立場がちがうけれど、気に入ったものに対する情熱の燃やし方には通じるものがあると思うのだ。

投稿者 玉井一匡 : 02:10 AM | コメント (6)

August 30, 2011

「100,000年後の世界」短縮版を見た

Eternity.jpgClick to jump to WebSIte

 これからの日本の原発をどうするのかを、ろくに議論しないまま民主党の代表選挙がおこなわれ首相になる人が選ばれた日の深夜、NHKのBS-Pで「100,000年後の世界」の短縮版を再放送した。ことしの2月に放送したもので、劇場版1時間19分を49分に短縮してある。ぼくは劇場版を以前に見たから、どう縮めたのかにも興味があった。

 原題は「ETERNITY」つまり「永遠」という。短縮版では、インタビューの大部分を残しながら、深さ500mの地下の世界を映像と音楽と沈黙によって「永遠」を表現しているところが削られている。たしかに、短い方がわかりやすい。けれど、十万年という気の遠くなりそうな時間の長さと重さを、ぼくたちに感じさせる力がなくなっている。そもそも、永遠を感じさせようというのに時間をけずったのだからそれは当然のことかもしれない。両方を見ると、この映画が伝えたかったことがよくわかるから、短縮版にも意味がある。
 

 メッセージの芯にあるものが、このまま原子力エネルギーを使い続けていいのかという修辞的な問いかけであるのはいうまでもないが、テーマはコミュニケーションである。タイトルは十万年後だが、その一点にではなく実は十万年間絶えることなく、延々と「これをとり出したら大変なことになるぞ」ということを伝え続けなければならないのだ。もしも開けようとする生物がいたら、たとえ人間であれその場で殺してでも阻止しなければならない。

 計画に関わる人たちさえ、意見はまとまらない・・・各国語で書いたメッセージをモニュメントに書いておくのか、しかし、何語であれ十万年後に原題の文字を理解できるのか、入るなと言われたら調べてみたくなるのではないか、むしろ何も残さず自然の森に蔽われ注意を引かないようにするのがいいのではないか、そもそも十万年後に人類が残っている可能性はむしろ低いだろう・・・結論は出るはずもない。とにかく、100年後に廃棄物を閉じ込めるというのだ。しかし、地震の多発地帯にありながら原発をつくり、放射性廃棄物の処理についてなにも考えず、何の手も打たずに増やし続ける日本よりは、12億年前の岩盤まで掘り進んで置いておく計画をじっさいに始めているフィンランドのやりかたには、むしろ尊敬の念を抱かされる。極地も近い国にとっては、太陽光も風も潮流も水力も電気に変えるのは容易ではないのだ。

 現在抱えている廃棄物をどう処理すべきかは、とにかく考えなければならないことだが、そもそも廃棄物を出さなければいいのだから、原発を廃止することがもっと大事なことであることをぼくたちは忘れない。「リーダー」の出現を待ち焦これるよりも、エジプトのように、リビアのように、シリアのようにみんなが立ち上がるしかないのかもしれない。

*このドキュメンタリーが短縮版であることをNHKは表示していない。それを意識したのは、たまたま同じ時期に劇場で上映されていたからだ。すくなくともそれを知らせるべきではないだろうか。この映画のテーマがコミュニケーションであるならなおさらだ。

■関連エントリー
*100,000年後の安全/MADCONNECTION
*核の文明を問う 映画「100,000万年後の安全」/池田香代子ブログ

投稿者 玉井一匡 : 08:30 PM | コメント (5)

February 12, 2010

「花はどこへ行った」:ベトナム戦争のことを知っていますか

HanahaDokohe.jpgClick to Jump to WebSite
昨年11月に、エファジャパンの設立5周年を記念するイベントが開かれて、この映画の上映に加え監督の坂田雅子さんとイーデス・ハンソンさんの対談がおこなわれた。ぼくは劇場公開されたときに見そこなったので、今度こそ見ようと前売券を買っておいたが、あいにく叔父の葬儀と重なって行けなくなった。

 坂田さんは、写真家であったアメリカ人の夫を癌で亡くした。彼の癌は、ベトナムへ派兵されたときに米軍の散布した枯葉剤が原因なのではないかという友人の示唆でベトナムに渡り、枯葉剤の深刻な被害に苦しむひとびとを目の当たりにして映像に残した。ハンソンさんは、かつてアムネスティインタナショナル日本支部の代表をしていた。いまは、エファジャパンの理事長として子供たちの支援のために骨身を惜しまず奔走している。宣教師として父の派遣されたインドで生まれ子供時代を送ったから、どこに行っても水道の水を生で飲んで平気なのよとおっしゃったことがある。

 映画をみそこなったことをギンレイホール社員の藤永さんに話したら、ぼくはDVDを買ったから貸してあげますといわれるので、ありがたくお貸りして自宅で見た。

 ほとんど素人だったひとが、自分の思いと受け取った衝撃のまま率直につくった映画なのだろう。だからこそ持っている重い力がひとを動かす。しかも、つらいばかりでなくその背後に人間への希望を読み取ることができる。映画のタイトル「花はどこへ行った」は、もちろん同名の歌からとっている。さまざまなフォークシンガーやグループで、ぼくたちの世代は何度聞いたか知れないけれど、この映画で使っているのは、 中でもとりわけ痛切に胸に染みるジョーン・バエズによる歌だ。

 樹木を枯らして解放戦線の兵士の潜む場所をなくし農作物を枯らす作戦として、米軍はダイオキシンを主成分とする枯葉剤をベトナムの空中に散布した。それを直接に浴びたり食べ物とともに体内に取り込んだために寝たきりになって今もこれからも生涯を苦しむ人たちがいる。さらに、親たちが体内に取り込んだダイオキシンが胎児に影響を及ぼし、二次的な影響として、ひどく重い身体的な障碍を生まれながらに背負わされた子供たちがいる。
国家としてのアメリカは、その因果関係を、いまだ公式には認めていないという。

 障碍とともに生きざるをえない彼らを映像の中で見るだけでさえ、ぼくたちにはひどくつらい。それなのに、彼らを支えるためにどれほどの自由を犠牲にしているかもしれない家族やまわりの人たちの、かれらに接する態度は奇跡のようで、人間というものについて希望を抱かせてくれる。たとえば、いかにもいとおしげに幼い弟を可愛がっている姉妹がいる。弟は、想像を絶する身体的な障碍を負わされているにもかかわらずだ。村の人たちもこの子を可愛がってくれるんだと、親が言う。彼らに対して坂田が正面からカメラを向けることができたのも、この子に対して周囲の人たちも同じように接しているからだろう。
 また、海兵隊員としてベトナム戦争に参戦したアメリカ人で、被害者のための施設をつくって運営している人がいる。彼は、受け容れてもらえるかどうか不安を抱きながらおそるおそるベトナムに行ったのだが、あれは戦争だからしかたなかったのだと、あたたかくむかえられたと話す。
 これらは、例外的に幸福な状況を選んで撮影したものなのかもしれない。仮にそうだとしても、こういう態度をとることができる人たちが存在するというだけで充分ではないかと、ぼくは思った。

 ところが、その話をするとエファジャパンの井ノ口さんがこういうのだ。まだこの映画を見ていないけれどそれは例外的なことではなくて、ベトナムでは、そういう人たちを村の人たちがささえるという行動が自然になされているという話をきいたことがあると。だとすれば、それはベトナムだけのことではないのかもしれない。もしかすると、何十万年もの時間をかけてつくられた人間のコミュニティというものには、本来はこういう相互扶助ができるようになっていたということではないのか。まして、自然の生産能力の高い亜熱帯では、生産のできないメンバーを手厚く育てるだけの余裕もあったろう。
 しかも、そういうコミュニティが元海兵隊員だったアメリカ人を受け容れることができるのだとすれば、それはウチの成員に対してだけでなく、ソトの人間を受け容れることにも寛容であるということだ。
 そういう資質が、のべつクラクションを鳴らし続けていた自己主張のつよいハノイの運転者たちのありかたと同居しているのだから、やはり人間というやつはおもしろい。

 伝統的な集落がいわば肉体的に受け継いできた福祉のしくみが、制度や施設に担われるようになれば、家族やまわりのひとたちの負担が軽減される。それは、なににも代え難いことだ。しかし、その一方でコミュニティの人々のひとりひとりがもっていた許容力がせばめられることになるのだろう。それは、コミュニティという生き物にとって、かならずしも健康なことばかりではないように思う。その許容力を喚起することが、映画や音楽や文学の役割なのかもしれない。

投稿者 玉井一匡 : 04:34 PM | コメント (11)

January 19, 2010

牛の鈴音 

UshiSuzu.jpgClick to Jumpto UshiSuzuWebsite 

 韓国のドキュメンタリー映画「牛の鈴音」を観た。といっても、もう10日以上も経ってしまった。
日本でも年末から公開されているが、韓国では昨年公開されるとドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを飛ばした。40歳というおいぼれ牛を使って農業を続ける老夫婦を撮り続けた、すこぶる地味な映画が数多くの韓国人の心を強くゆさぶって、300万人が映画館に足をはこんだ。韓国の人口は約4800万人だから、この割合を日本の人口12800万にあてはめれば、800万人が観たということになる。お金をかけた映画ではないから、純益/制作費の比率では、じつに4300%に達したという。

 わけあって、ぼくはこの映画をできるだけたくさんの人に観てほしいと思い、友人知人にも勧めて特別鑑賞券を買っていただいた。
・・・にもかかわらず、正直にいえば、韓国で300万人動員という現象にふさわしいほどには、ぼくは感動することができなかった。これを見た人たちにたずねても、僕の印象とそれほどにはかけはなれていないようだから、韓国の観客とぼくの受け取り方の違いは、おそらく二つの国の文化的社会的背景に理由があるのだろうと思う。
では韓国のメディアはこの映画についてどう書いているのだろうか、それが知りたくて「中央日報」「朝鮮日報」の日本語サイトを開き「牛の鈴音」と打ち込んで検索した。

 どういうわけだろうか、いずれのサイトでも検索の結果はゼロだった。どちらも取り上げていないのだ。しかしおかげで、この映画とそれに対する観客の受け取りかたについては、なおさら興味がわいてきた。
老人の妻をはじめまわりのだれもがこの牛に農作業は無理だよと言うのに、彼は頑なに耳を貸そうとしない。牛にクルマを引かせて、人間が歩くよりもむしろ遅いくらいゆっくりと山合いの畑にたどりつくと、こんどは鋤を曳かせて土をおこす。牛は40歳、老人は79歳、こどもの頃に不自由になった右足をひきずって歩く。それでも草を牛に食べさせるからと農薬はつかわず、斜面に這いつくばって牛のために草を刈る。

 それほど親密で献身的でありながら、かならずしも牛がかわいいという表情を見せるわけでもない。画面を見ながらぼくも、ジイさん、もういいじゃないかと思い続けた。
そういえば彼は、かくも大切に思いながら牛を名前で呼ぶことがなかったと気づいた。きっと名前をつけなかったのだろう。それは、彼が牛を別の人格とは考えず、あたかも自身の身体の一部であるように思っていたからではないか。同じような理由で畑から離れようとせず、絶えることのない妻の愚痴にも反論しないのだろう。すでに畑も妻も牛と同じように自分の一部と化しているのだ。ぼくたちの愛情は、相手を思いやるところにある。けれども老人の愛情は相手と一体になることにあるのではないか。そして、それに観客は共感したのではないか。
 かつては考えられなかったほどに、日本と韓国の間は近くなった。多くの日本の文化も、おそらくは多くの人間も、朝鮮を通じて日本にやってきたのだろうから日本の文化が韓国と近いことは当然だが、だからといって違いがないわけではない。違いの発見は、むしろ理解への手がかりであることを考えれば、他文化との互いの違いを認めつつ理解しあうというありように近づいているのだとぼくは思いたい。
あの老夫婦と会って話してみたいと、いつのまにかぼくは思うようになったもの。

投稿者 玉井一匡 : 11:24 PM | コメント (0)

December 29, 2009

戦場でワルツを:WALTZ WITH BASHIR

WaltzBasilS.jpg「戦場でワルツを」公式サイトへ

 「おくりびと」がアカデミー賞をもらった直後にインタビューをうけると、監督ははしゃいで語るばかりだったが、主役の本木雅弘は「ぼくは、イスラエルのアニメーションがもらうと思っていました」と答えたのを聞いて興味をもち、その後、映画の内容について知るようになってますますこの映画を見たいと思ってきた。
 1982年、イスラエル軍のレバノン侵攻のときに起きたパレスティナ難民キャンプでの虐殺を題材にしたドキュメンタリーを、アニメーションという形式でつくったものだ。

 監督のアリ・フォルマンはこのとき19歳、兵士としてレバノンに送られていた。虐殺現場の近くにいたはずだが、友人はしばしばその時の悪夢におそわれるというのに、彼にはレバノン侵攻のことをまったく思い出せない。いまわしい記憶をいつのまにか消してしまったのだ。自分が何を見たのか、何をしていたのかを発掘して事実に向き合うために、彼は戦友をたずねたり医師に相談をしたり、話をきいてまわる。

 多くの日本人もそうだろうが、ぼくはこの虐殺事件をほとんどおぼえていなかった。一方、フォルマンは、あまりに深く記憶を刻まれたために、それを呼び起こすことができなくなった。敵意と憎悪と恐怖の詰めあわせの箱のような状況に、頭の先まですっぽり押しこまれたイスラエルの若者フォルマンが置かれた状況と、無知であるだけのぼくたちは、全く対極にあるけれど、どちらも、どういう状況で何がおこなわれたのかを分からない。それを知りたいという点では僅かに一致するから、フォルマンが事実を発掘してゆくのにぼくたちは同行することができる。
 アニメーションを使うことで画像が抽象化されると、問題がいっそう普遍的なものとしてぼくたちに見えてくる。アウシュビッツを思い、ベトナムのソンミ村や、南京大虐殺英語版wikipedia)を考え、カティンの森を想起させる。
 これらの虐殺は、すべて加害者が外国に行ったときに行われている。それは、けっして偶然ではないのかもしれない。加害者側は、敵を制圧して組織としては圧倒的な優位にありながら、ひとりひとりの兵士は周囲のすべてを「敵」に囲まれている恐怖、他者のものであるべき場所を暴力によって支配していることが不安でたまらない。それが相手を圧倒する火器を手にしたとき、侵入者を残虐な行為に向かわせるのではないだろうか。そう考えると、虐殺という許し難い行為の中にも、人間の行為としてごくかすかではあるが救いを感じとることができる。それでも、ナチのアウシュヴィッツは別格としか思えないが。

 原題の「WALTZ WITH BASHIR」をそのまま日本語にすれば「バシールとワルツを」だ。
バシールとはこの事件の少し前に暗殺されたレバノンのキリスト教系政党であるファランヘ党のリーダー、バシール・ジェマイルのことであることを、映画のあとに調べて知った。1982年8月に大統領に選出され、翌9月に暗殺された。日本語のwikipediaには項目がないが英語版wikipediaにはBachir Gemayelの項目がある。この虐殺は、バシールの殺害によって和平への期待を打ち砕かれたイスラエル軍の絶望と恐怖が、さらに背中を押したと作者は考えているのだろう。

『戦場でワルツを』メーキングDVD上映会が開かれます。
 1月15日 21:00 シネスイッチ銀座。(半券が入場券代わりで無料)

投稿者 玉井一匡 : 02:00 PM | コメント (0)

November 03, 2009

RAMLA × ギンレイホール シネマフェスティバル

GinreiPostersS.jpgClick to PopuP
 飯田橋の改札を出て徒歩数十秒の間近にある「飯田橋ラムラ」で、11月1日から11月10日まで「RAMLA*ギンレイホール シネマフェスティバル」 という催しが開かれている。
飯田橋の名画座「ギンレイホール」は創業35年をむかえた。二本立てで二週間上映するから、1年に約60本。35年間で2000本を超えるわけだ。
その2000本以上の映画のポスターとスチール写真を展示している。はじめは、すべてのポスターを壁に展示する予定だったが、会場の面積の限界のためすべてのポスターを壁にかざることはできなくなった。そのかわりにポスターを写真に撮って小さくしたものを1年に48本ずつを年代順にすべてならべた。それを見ると、ひところは日活ロマンポルノばかりを上映していた時代があったこともわかる。
実物は、可能な数をパネルに張って展示して、残りはすべて年度別にファイルに綴じたものを置いてある。写真をインデックスにして、みたいもの探して実物をテーブルの上に運んでみるというわけだ。以前に中野でポスター展を開いたが、データの整理が進んだので、はるかに面白く見やすくなった。

駅からの入り口の前には、映画看板画家の手になる手描きの看板絵がならんでいる。夜には野外映画会が開かれる。以前にギンレイで使われていた古い映写機を置いて、二本の映画が日替わりで交互に上映される。「白い馬」と「赤い風船」である。映写機も屋外のテントの下に置かれているので、映写の様子を間近でみることができる。ときに機械の調整に手間取ったり、カタカタという音が身近に聞こえるアナログが、かえって楽しい。
 なかなか充実した展示になりそうだと思っていたら、NHKが取材に来るという。それが、2日、午後11時台のニュースの天気予報前の枠で、しっかりと取り上げられた。今朝のNHKのラジオのニュースでもこの催しについて伝えたそうだ。

GinreiPosterRed.jpgGinreiPosterWhite.jpg 日本中の都市の郊外には大型の商業施設がつくられ、まちはどこも同じような店で構成されるから、自分がどこにいるのかわからないくらい、似たり寄ったりのまちになってしまう。そうやって、古くからある街がどんどん衰えている。
 こうした商店の現状と同じようなことが映画館の世界でも起きているようだ。いたるところに大型のシネコンがつくられて、古い映画館が閉館に追い込まれてゆく。そのうえ家庭のテレビは大型化してゆく時代にあって、ギンレイホールは、良質でありつつマニアックに偏ることのない演しものを選びながら上映しつづけることで多くの観客を集めているのだ。
 この期間、神楽坂商店街では多くの店が参加して「神楽坂まちとびフェスタ」というイベントがおこなわれている。ギンレイホールの催しは、このイベントの一環として参加しているのだ。神楽坂には、古くからの商店のほかに料亭さえあるが、チェーン店に置き換えられたところが増えてきたが、それでもまだ大型の商業施設の進出は許していない。この商店街もがんばっているのです。

■追記
イベントの詳細:ギンレイホール イベント情報 

*映写機:ギンレイホールの映写室はドアをガラス入りにしてあるので、映写する様子をすぐそばでみることができるのだが、なにさま狭いロビーだから観客席に入るときには席を取るのに慌ただしい。さりとて、帰りには後ろに人が続くから立ち止まることができない。しかも上映中は席についているのだから映写室を見られるわけがない。早めにロビーに行って、前回の上映中に見なければならない。だからそれをのぞいてみる人はあまりいないのだ。
 この野外映画でつかわれる映写機は、ぼくたちがイメージするように、二つのリールをつけてフィルムを巻き取るしかけなのだが、現役の新しい機械はずいぶんやりかたが違う。大きな丸テーブルのような金属製の円盤のうえにフィルムが次々と吐き出されるのだ。

■関連エントリー
映画ポスター・スチール写真展
映画ポスター・スチール写真展:アーク灯の映写機
くらら劇場の映写機
野外ギンレイホールと水琴窟:日比谷公園ガーデニングショー2008


投稿者 玉井一匡 : 08:00 AM | コメント (0)

June 23, 2009

「天空の草原のナンサ」と「Whole Earth Catalog」

 Nansa1.jpg 
 アジアンスマイル「シリーズ・二十歳の挑戦:愛して伸ばせ」
の放送を見てモンゴルへの関心がふくらんだが、うちには「天空の草原のナンサ」のDVDがあるのに、ぼくはまだ見ていなかった。次女が、姉の誕生日にプレゼントしたもので、遊牧民の家族:父と母+娘二人と小さな息子という5人の家族の生活を撮った映画だ。ナンサは、主人公である女の子の名前である。

 見はじめてほどなく、とてもきもちのいい映画であることがわかる。子供たちの表情や振舞いを見ているだけで、自分の表情がすっかりゆるんでいく。双眼鏡で鳥たちを見ているだけで楽しいように、この映画のなかのこどもたちを見ているだけで楽しくてしかたないのだ。
 こどもたちとそのふるまいをかわいいと感じるからであるのは事実だが、もっと深いところでうごかされる。遊牧する家族という最小単位の社会の中にぼくたちも立っていて、ゆるやかな山並みという自然が遠くにある。その間のはてしない草原に羊と馬があそぶ。世界と空間がそんなふうに明快に構成されていることで、ぼくはひとつの世界ひとつの小宇宙にいるということを実感して安心感をもたらされるのだ。ぼくはそこにすっかり浸りこんで心地よくなった。

WholeEarthCat.jpg 百科事典や図鑑・辞書・地図・歳時記のような本が、ぼくは大好きだ。数冊ときにはわずか1冊の本のなかにすべての世界が詰め合わせになっているからだ。
かつてホール・アース・カタログは、道具によって「全地球」の詰め合わせをつくって見せてくれた。そのとき、数ある項目の中のひとつに「Nomadics」(遊牧民の)というのが含まれていたが、この映画はそのことを思い出させた。 
 ナンサは、おさない子供でありながらたった一人で馬にまたがり自然と対峙する。遊牧民の子供たちは、自然のもたらすめぐみや潜む危険にも、季節の変化のよろこびやきびしさを通じて自然というものを理解するだろう。羊の子が育ってゆくさまも、それをたいせつに愛情をこめて育てた人間が羊のいのちをうばう様子も見て、生命とは何であるのかを知るのだろう。父、母、兄弟のように簡潔な人間関係は人間についての理解を助けるだろう。何度となくすまいを組み立て解体するのをみては、家とは何だろうと考えるだろう。
 ホール・アース・カタログにNomadicsという項目を設けたのは、遊牧民の生活と世界観にはすべての世界を身近に引き寄せるところがあると、編者スチュアート・ブランドが見抜いていたからなのだろう。

 最小限のコミュニティを思う一方で、限界集落という言葉についても考えずにはいられない。住人の数がどんどん減って、社会生活が成り立たなくなる寸前の集落のことだ。この遊牧民の家族、ナンサの家族は、最小限のたった一家族だけで遊牧をしている。しかし、本来の遊牧民の生活はこんなふうではないはずだ。かつては複数の家族が集団をつくり遊牧していたのだろうが、いまやモンゴルでも遊牧生活はなくなろうとしているのではないか。
 にもかかわらず、この映画は消えようとしているコミュニティよりも、むしろ発生しようとしているコミュニティを感じさせる。
すくなくとも、ぼくにはそう思われた。

■追記
The Last Whoke Earth Catalogでは、Nomadicという項目のひとつまえにCommunityという項目がある。

■関連エントリー
Whole Earth Catalog/aki's STOCKTAKING
Whole Earth Catalog(ホール・アース・カタログ)/PATINA LIFE in LoveGarden

投稿者 玉井一匡 : 08:26 PM | コメント (0)

October 29, 2008

野外ギンレイホールと水琴窟:日比谷公園ガーデニングショー2008

HibiyaCinemaS.jpgClick to PopuP

10月25日から11月2日まで、日比谷公園で日比谷公園ガーデニングショー2008という催しが開かれている。2004年から毎年の秋、噴水の前の芝生を中心にさまざまの展示や講演など行われる。
 去年から、NPO法人 日本水琴窟フォーラムがこれに参加して水琴窟を展示するようになった。
今年は、かつてギンレイホールで使用されていた映写機をつかって野外映画を見せることになった。ギンレイホール社長の加藤さんが、水琴窟フォーラムの中心をなす理事でもあるからで、いってみれば野外ギンレイホールだ。
演しもののひとつは「木を植えた男」。ひとりこつこつと植林をして森をつくった男の生涯を描いたパステル画のアニメーションは、いかにもガーデニングショーにふさわしい。ナレーションは三国連太郎だが、タイトルバックを見ると、もとのナレーションはクリストファー・プラマー(映画サウンド・オブ・ミュージックのトラップ大佐)だと書かれていた。そしてもう一本の映画は「岸辺のふたり」(原題:Fathr and Daughter)だ。淡い褐色の背景に描かれた無彩色の人、樹木、鳥が音楽に浮かんで流れてゆきながら8分に凝縮された数十年の時間。もういちど見たくなる。
すぐそばまで近づいて映写機を見ることができる。/入場無料
■ガーデニングショー 10月25日(土)から11月 2日(日)10:00~17:00(最終日15:00まで)
■野外映画   10月25日(土)から10月30日(木)(映写機の展示は10月31日まで)午後5:00から(雨天中止)/11月1日(日)までとガーデニングショーのサイトにあり、その旨書きましたが、10月30日までの間違いでした。ごめんなさい。(フィルム借出の都合なのだそうです)

HibiyaProjectorS.jpgClick to PopuP
ここで映画を上映することになったのは、映写機でスクリーンに映像を映す仕掛けを、機械の動くカタカタカタという音とともに実感して間近に見て欲しいと加藤さんが考えたからだ。同じ理由でギンレイホールの試写室のドアはガラス張りになっていて、そこから映写機の様子が見られる。
屋外に3m*6mほどの大きさのスクリーンを固定するのは、もともと壁や柱があればいいのだが、新たにフレームを組もうとすれば、安全や費用や運搬を考えるとなかなか容易なことではない。加藤さんはあれこれ悩んだ末に、フレームには、イベント用に使う立体トラスを買い込んで組み立てることにした。これからも巡回映画をすることが、彼の夢のひとつとしてあたためていることだからなのだ。
ぼくたちの子供時代には学校の校庭でときどき映画会が開かれたものだが、久しぶりの野外映画は格別の楽しさがあった。箱に閉じこもった闇の中で光の世界を見るのが映画館だとすれば、野外映画は周囲に夜の薄墨を染みこませて密かにそれを感じながらその世界を変えてゆくようだ。ぼくは、ときどき相談にのった程度だったけれど、主催者のまわりには、天気や風や騒音や明るさなど心配と苦労のタネがたくさんころがっている。ワールドシリーズも雨で中断すると、野球場を屋根付きにしたくなるのも分からないではない。

 本来、水琴窟は土の中に甕を伏せて地中に埋めるものであるのはいうまでもないが、さすがに一時的な水琴窟のために日比谷公園の芝生を掘るわけにはゆかない。ここでは、地上に甕を置いて、それが見えないようにまわりを包み、その上に水をおとして音をだす仕掛けをつくっている。2年前にニューヨークのギャラリーで水琴窟を展示するという機会があって、甕はそのときに常滑に注文して焼いたものだ。
 

投稿者 玉井一匡 : 11:25 PM | コメント (3)

September 07, 2008

「特集上映 佐藤真監督回顧」

SatoMakoto-1S.jpgClick to PopuP
9月6日(土)から、ドキュメンタリー映画の佐藤真監督のしごとが、「特集上映 佐藤真監督回顧」として連続上映されている。映画のほかにテレビのためにつくられた映像も網羅している充実だ。会場は6日から渋谷のユーロスペース、16日からは、お茶の水のアテネフランセ文化センター。(詳細については文末から会場のサイトに跳んで確認して下さい)
 佐藤真がみずから命を絶って、この9月で1年になった。
有機水銀で汚染された阿賀野川流域で生活するひとびとを描いた「阿賀に生きる」や、遺作となった「OUT OF PLACE エドワード・サイード」などがあるのだが、関連の本を読んでから見ようなどと思ってグズグズしているうちに、ぼくはいずれも見損なってしまった。
 ただひとつ、写真家牛腸茂雄(ごちょうしげお)を描いた「SELF AND OTHERS」しか見ていない。この機会に、すくなくとも阿賀とサイードの二本は見ようと思う。
 夭折した人が遺したしごとというのは、短い時間のあいだに凝縮されたもののひと揃いを手のひらに載せるようにして見ることができるし、やり残されたはずのしごとも余韻としてききとることができる。49才を夭折というのには異論があるかもしれないが、ものをつくる人間としては、早すぎる死だ。
 「SELF AND OTHERS」を見たのには、じつはいささか個人的な理由があった。

 牛腸茂雄は、ぼくには身近だったまちの出身で、そこは新潟の市内から30kmほど離れたところにある落ち着いてこぢんまりとしたいいまちなのだが、その郊外の県道沿いに彼の育った家があって、ぼくは何度もその前を通ったことがあるはずだった。映画には牛腸自身を写した映像がほとんどなくて、彼が残した写真と本人の声や写真を撮った場所を素材にしているということにも興味をひかれた。
 佐藤の映画はこのひとつしか見ていない、しかも数年の時を経たという時点で考えることを、門外漢の気楽と性急さで書きはじめてしまうことにする。ドキュメンタリー映画は、事実の痕跡を宿す断片を撮って、それをある意図のもとに編集構成し、それによって、その中や背後にひそむ真実を発見し表現するものだろう。その意味で、じつはドキュメンタリー映画は主観とは無縁ではありえないはずだ。
ぼくたちはだれもが無数の現実に接しながら数十年の時間を生きつづけて、その最後あるいは生きている時々刻々に、世界とはなにかということを感じ考え、そのたびに自分はなにものであるかを知る。他者を編集し構築するドキュメンタリー映画作家は、同時に自身を編集し再構成するはずだ。そのとき彼はたえず生と死をくりかえし確認していたのかもしれない。
「阿賀に生きる」にはじまり「SELF AND OTHERS」を経て「OUT OF PLACE」に至る間に構築されたいくつもの現実と真実が詰められたたくさんの小筐が、この連続上映もしくは佐藤真という箱の中に、入れ籠になっているようなものだろうと、ぼくは期待しているのだ。その箱たちの全体が集まったものから、ぼくたちは何かあたらしいものを読み取ることができるのではないか。

■9月10日・佐藤真監督追悼番組 衛星劇場「日常という眼差しー映画監督佐藤真の軌跡ー」の上映と山本草介(構成・編集)のトークに行こうと思っている。が、もう明日になってしまった。
山本草介は、「SELF AND OTHERS」を見て佐藤真に弟子入りした。のちに映画「もんしぇん」の監督
・9月10日21:00から/ユーロスペース/同時上映「花子」

■映画上映の日時と場所・上映作品は、下記のサイトを参照してください。
*ユーロスペース:9月6日〜12日
*アテネフランセ文化センター:9月16〜20日、9月24〜27日、9月29日

投稿者 玉井一匡 : 05:01 PM | コメント (4)

April 29, 2008

マーフィーの戦い

MurphyNovel.jpg/「マーフィーの戦い」/マックス・カトー著 佐和誠訳/早川書房/今は古本しかないが初版1972年に560円

なぜか先週から新たに写真をアップロードすることができなくなってしまったが、原因がわからないままに、ふたたび写真をアップロードできるようになって、図書館から借りた「マーフィーの戦争」の写真を加えたので、初めての文字だけのエントリーはなくなった。
先日、aki's STOCKTAKINGでラジコンの水陸両用飛行機を紹介するエントリー「Grumman J2F5 Duck」があった。東事務所時代の秋山さんの同僚で、ぼくにとっては事務所の先輩である坂本宏昭さんが、映画「マーフィーの戦い」を再現したくなって、ラジコンのGrumman Duckをつくってしまったのだという。離着陸するDuckのビデオも添えられていて、ラジコンであることをつい忘れてしまい、胸おどらさずにはいられない。kawaさんとiGaさんのコメントへの返信コメントに、小説もあると書かれていたので、中野図書館で検索して注文したとコメントを書いた。するとAKIさんから電話の追撃。
ピーター・オトゥールがマーフィーを演じ、たったひとり水上飛行機を操縦して、アマゾンに浮かぶ島を舞台にドイツのUボートと戦うのだという。なるほど、ピーターオトゥールか。
「最後はねえ・・・・」と、AKIさんは続けようとした。・・・おっと、待ってほしい。
ぼくはまだ読んでもいない見てもいないのだ。まだ結末は聞きたくないと、なんとか押しとどめた。

弱い立場のやつが強いやつらを退治するという物語は、四十七士や高倉健の任侠ものから舞の海に至るまで日本人の大好きな判官贔屓だが、ホームアローンや真昼の決闘、ロッキーなど、ハリウッド映画にもたくさんあるところを見れば、世界共通の普遍的な好みでもあるわけだ。やむにやまれぬ弱者の力の行使は、いま目の前のチベットの抵抗も、古くはベトナム解放戦線やカストロという実例があったが、国家としてのアメリカは臨機応変に応援したりテロリストだとののしったりしている。

いまはGoogleマップやGoogle Earthという強い味方がぼくたちにはある。まずは、物語の始まるところ、ナイジェリアのラゴスの地形やまちを見る。物語に従って、ときに近づきあるいは上空に高くのぼり、地図に変え、マーフィーのあとを追う。戦いの背景に想像がふくらんでゆく。

おんぼろの艦載機をふるいたたせてUボートに戦いを挑む主人公の行動は、いってみれば常軌を逸している。にもかかわらず、読者も周囲の登場人物も、彼と行動をともにさせてしまうだけの現実感が、この物語にはある。しかもマーフィーは黒人にいわれなき差別意識をもっている。腹に蛇の彫物をつけ、女をまずはセックスの対象として見るようなやつだ。にもかかわらず、ぼくたちは彼を愛し行動をともにすることができる。それは、作者が配した登場人物のつくりかたに多くをよっているのだろう。学校にも行かなかったのに、マーフィーよりもはるかに知的な「二グロ」、いやマーフィーだって孤児だったからやっとのことで生き抜いてきたというやつなのに聖書やギリシャ古典の引用が口をつく。軟弱なやさしいフランス人、お祖父さんがアフリカ人だったベルギー人の看護婦。
Uボートに乗っているドイツ兵もひとりの人間として描かれているし、艦長はポーランド系だ。彼らにも奪われた平和なときや、享受すべき喜びがあったことも伝えられる。敵と味方、善と悪という単純なレイアで構成されているわけではない。もちろん、戦場の悲惨も充分に描かれる。シルベスタ・スタローンでなく、ピーター・オトゥールが演じたということをぼくは知っているから、それだけでも、読み方が変わるのだ。

図書館から借りてきた朝は雨が降っていた。
だから、ぼくは自転車でなく電車で行けることを喜んだ。本を読めるからだ。スワンタッチもつかえる。
にもかかわらず、その朝ぼくは、自宅にこの本を置き忘れてしまった、悔しい人として一日をすごした。
そして、以後、引き込まれた。
ストーリーの展開を書くわけにはいかないのが残念だが、面白かった。
TSUTAYAのサイトでは、レンタルのビデオもDVDもまだみつからないので、映画は見ていないのだが、離水するところが見たいものだ。Uボートも。

投稿者 玉井一匡 : 07:45 AM | コメント (8)

December 16, 2006

おにぎりとおむすび

OmusubiS.jpg DVDになったやつを次女が借りてきたので「かもめ食堂」を見た。
ヘルシンキの街、小林聡美がひとりできりまわしていると言いたいがそれほど繁盛してはいないという風情の日本食レストランに、まずは片桐はいりが、つぎに、もたいまさこが加わって、いっしょにレストランをやってゆく。と、書いていると桃太郎のおはなしのようだと思ったが、淡々と、しかし気持ちよくきれいなシーンの中に個性的な女たちがあらわれる画面は、「動くku:nel」のようだ。アルヴァ・アアルトの家具だななんて思いながら、ちょっとフィンランドの説明っぽいところがあるのは気になったけれど、ぼくはとても気持ちよくみた。すきだと思った。
それを見ながらぼくは母の妹つまりぼくの叔母のことを思い出した。この店のメニューの軸がおにぎりで、「おにぎりは日本人のソウルフードだと思うの」という小林聡美の台詞が出てくるからだ。

 いつだったか、叔母がこう言ったことがある。
「あたし、どうも気になってしかたないんだけれど、おにぎりっていうのは間違いだと思うわ」
「なぜですか」
「両手を使ってつくるから、おむすびなのよ。お寿司は左手で握って右手は添えるだけだからにぎりだけどね」
「なるほど」ぼくは深く納得した。
そういえば、ぼくの小さな頃には、うちではおむすびと言っていたし、「おむすびころりん」というお話もある。いつのころからおにぎりになってしまったのだろう。
縁を結ぶという。実を結ぶという。印を結ぶという、そしてなにより手を結ぶという。
美しい言葉だ。
叔母のそのことばを、この映画でだれかの台詞にしてしゃべらせたら、もっとよくなったろうな、フィンランドの人たちにも知ってほしかったな、この映画をつくった人に教えてあげたかったなと、ぼくはしきりに思った。
このごろ、ときどき昼飯のためにおむすびをつくって持ってゆく。すると、なんだか、自分でつくったおむすびがいとおしいのだ。

■関連エントリー
わがやのお雑煮大会/MyPlace

投稿者 玉井一匡 : 07:10 AM | コメント (28)

October 01, 2006

としょかん と もんしぇん:おわりとはじまり

 9月は30日までしかないことに気づき、MyPlaceの更新が10日にしたきりになっていたことも思い出してあわてたのだが、結局10月になってしまった。
 この週末、9月29日には「もんしぇん」の一角座での上映が終わった。ブログ仲間のたくさんの方々が「もんしぇん」のことをいろいろと書いてくださり、そして映画やPsalmのライブを見てくださった。さらにまた、改めて映画のことをエントリーしてくださったりチケットの販売まで協力してくださった。応援団も結成された。ほんとうにありがとうございました。辛口をもって鳴る諸氏も、補助輪を外したばかりの自転車乗りには、まずは拍手を送って激励してくださった。ぼくも応援団の一員でもあるけれど感謝にたえません。
 ちょうど、「もんしぇん」の上映が終わった日に先立つこと一週間。9月22日には、基本設計をした小規模な図書館+ホールが自治労からヴィエンチャン市に引き渡された。建物の工事が終わったとは書きたくないのは、図書館が、さまざまな意味でままだまだ未完。ようやく動き始めたところで補助輪は外せないからだ。
写真は、図書館の入り口に張り渡された花たち。引渡式でビエンチャン市長がいらしてテープカットをするというから、ぼくは布のテープを想像していたのだが、行ってみると入り口には花のテープが張ってあり、花屋さんが飾り付けをしているところだった。

 この図書館には、まだ本が十分にはない。ラオ語で書かれた本は年間の出版点数が50から60といわれる国だから、多くの図書館員さえ、図書館とは何かをあまり体験していない。建物は必要最小限しかこしらえていない。いずれも、資金がたっぷりあれば、形の上でははじめから解決できる問題かもしれない。しかし、出版とは何か図書館とはなんだろうということから出発して、これから構築しようとしている。しかも、ラオスの子供たちは本を求めている。現在のメディアは、そうしたラオスの状況を、むしろアドバンテージにしてしまえるところにあるのかもしれないと、ぼくは思う。
 本が少ないから、本棚には、背表紙ではなく表紙を正面に向けてならべてある。おかげで本の顔がよく見える。建物と本が手渡されたが、開館はまだ3ヶ月先に予定されているので、隣にあるヴィエンチャン高校、中学の生徒たちは、昼休みには図書館に興味津々で窓の中をのぞきに来る。
「子供のいえ」へ放課後にやってくる子供たちは活気にあふれている。利用者も図書館員も、図書館とは何なのかさえ、まだわからない。情報というものならインターネットによって得ることができるし、本そのものもインターネットで読むことができるようになろうとするこの時代に、図書館の概念をつくることからはじめるのだから、固定観念から遠い彼らはむしろ自由に時代の変化に適応できるだろう。子供たちは、知的好奇心と適応力のかたまりなのだ。

もんしぇんは、作り手のひとりが天草の海をおとずれてその語りかけるものを映画というかたちに表したいと思いつづけ、さまざまな力を蓄え、少しずつ共犯者を増やし10年もの時間がかかったが、その間に世の中では映像を伝える技術がめまぐるしく変化した。時間も空間も遠まわりをしてつくられた小さな映画そのものは、デジタル技術からもっとも遠いところにあったのに、劇場公開と同じ日にウェブ上からダウンロードして映画を買える、日本で初めての映画に「もんしぇん」はなった。さまざまに宮崎駿から学んだろうが、「映画は、ひとこまごとの間に闇がはさまれていることが大切なんだ」といわれていたことも、その重要なひとつなのだと思う。その理由をどう説明されたのか、ぼくはよく知らない。だが、それはこういうことだろうと思う。映画のフィルムは1/24秒ごとに点滅して静止画像を映し、くりかえしくりかえし残像として人間の記憶の奥に刻み込み、ときにそれらが意識の表に浮かび上がってくるのではないか。アニメーションを作るひとは画像の一画面ごとを丁寧につくってゆかねばならないから、ことのほかそのことに意識的であるにちがいない。
 一冊の本とスクロールして画面で読まれる情報の違いを、ぼくたちはどうしても感じないではいられないのだが、それはぼくたちの育った時代のせいではなくて、映像の場合のように記憶の蓄えられ方がちがうからなのではないだろうか。

そんなことを考えると、本と映像というふたつのメディアの、誕生に近いところに接することができたのは、幸運なことだったと思う。

投稿者 玉井一匡 : 11:59 PM | コメント (0)

September 06, 2006

「もんしぇん」と「一角座」

asahiMonshen0902miniweb.jpg「もんしぇん」を上映している一角座は、とてもいいそして希有な映画館だが仮設建物としてつくられている。だから、もったいないことだが上映が終わると解体されてしまう。そこで、9月2日土曜日、トークショーもあるので写真を撮ってエントリーしておこうと、ぼくは一角座に行くことにしていた。
ちょうどその朝、朝日新聞の都内版に「もんしぇん」の記事が、なかなか丁寧に掲載されていた。 オイこんなのが出ているぞと朝刊を手渡しながら週末の「be」のブルー版を開くと、そこには荒戸源次郎氏のインタビューが出ている。荒戸氏は、ほかでもない、国立博物館の構内という場所に映画館を作ってしまった犯人、いや当人だ。そんなわけでさまざまなことが、この日に重なってしまい、書かなければならないことがたくさんできてエントリーがおそくなってしまった。

荒戸源次郎のインタビューは「逆風満帆」というシリーズで、この日は彼の2回目だが(中)と書かれているから、もう一度掲載されるようだ。たしか2週前の土曜日が一回目だった。宍戸錠の主演でつくったハードボイルドの映画が、日活の口出しで題名をねじ曲げられた。以来、自前の上映館を持たなければ思いどおりのものを世に問うことができないと、仮設の映画館をつくって「ツィゴイネルワイゼン」や「陽炎座」、「どついたるねん」などを単館で上映した波瀾万丈の映画人生を語る。荒戸源次郎のすごみがよくわかるインタビューだが、どうせなら一角座で「ゲルマニウムの夜」を上映しているうちにこれを掲載しろよと思いながら読んだ。それで客が増えたりしたら「逆風」じゃなくなるかもしれないと考えたのか。

 国立博物館の構内の一角座というところで上映するんですと言っても、普通の大人は博物館の一室にある映画館かと思うし、仮設の映画館だといえば、丸太や鋼管の足場でつくった芝居小屋を思い浮かべるだろう。
しかし、国立博物館左脇の国際児童図書館の向かいにある西門の脇の小高い場所に建つ一角座は、いっこうに仮設には見えない。芝生が広がり樹木に包まれた前庭は、秋の日差しがふりそそぐ。気持ちよい屋外のホワイエのようだから、ここを含めて考えれば、東京でも屈指の映画館ではないか。その入り口の両脇には、荒戸源次郎の宣言が掲げられている。「一角座の由来」と、「映画維新」と題する日本の映画界に対する檄文である。ここには、一角座を「ゲルマニウムの夜」のためにつくったとはあるが、仮設だとは決して書かれていない。

外壁は焼付塗装した鉄板のパネルとガルバリウム鋼板の波板。中に入れば、重量鉄骨の柱と梁の堂々たる構造体に、壁はグラスウールボードをアルミのパンチングメタルで包んだパネルを張りつめている。音響もいいし、グリーンのシートは間隔もゆったりとってあってすこぶる快適だ。仮設建物でありながら、じつは日ごとに契約を更改するようにして、 いつまでも存在することを志しているのかもしれない。
この日のトークショーのゲストは叶精二氏。「高畑勳・宮崎駿作品研究所」を主宰する、高畑・宮崎を論じて右に出る者はないひとだ。10年以上前に「もののけ姫を読み解く」という本を出されたとき、それについての講義に参加して以来、夕海の相談相手のひとりとなってくださり、ときに厳しい批判者でもある。満員の会場で、この日は、短い時間で名前と海について語られた。

どこをもんしぇんの上映場所にしようかとあれこれ悩んだが、いわゆる盛り場でなく、まちと血の通わせられるところで上映したいと、夕海は一角座を望んだが、荒戸氏は業界でも強面で畏敬されているらしい。
「ヤクザってどういうことだろう」と、ある日夕海にたずねられた。「うーん、社会的な規範から逸脱する。でも、みずからに独立した規範を課してそれを徹底的にまもる。」「じゃあ、いいことじゃないの」
「正しいヤクザ」をハードボイルドと読み替えてもいい。
そこは、恐い者知らずの強みで、一角座上映をシグロにお願いした。「ゲルマニウム」の上映のあとに一角座で「もんしぇん」を上映させてほしいと、荒戸氏のために試写をして面談していただいたのだった。ゲルマニウムとは違う方向を向いているかもしれないが、10年以上もの長い間、思い続けてやっとこの映画をつくったということを見込んでくださったのだろう。あるいは、荒戸映画とは種類が違うが、やはり角が生えていると思われたのかもしれない。一角座で「もんしぇん」が上映できることになった。長いと思っていた9月29日までの上映期間は、もう3週間目が終わろうとしている。
以前は、国立博物館の公式ホームページに一角座のことが掲載されていたが、いつのまにかそれがなくなっていた。「もんしぇん」の上映の前に解体されるんじゃないかとひそかに心配したが、それは杞憂におわったものの、かけがえのないこの映画館がいつまでも生き続けるためにも、どうか見に行ってやってください。あるいは、もうこの映画館を見られないのかもしれない。
半券で、来年の2月まで博物館の常設展示を見ることができます。

投稿者 玉井一匡 : 11:57 PM | コメント (6)

June 03, 2006

もんしぇんの試写会


もんしぇんの試写会が、渋谷の「シネカノン試写室」で行われた。平日の午後3:30からという時間帯だったのは、きっと費用のせいなんだろうが、40人ほどの小さな試写室はとても見やすい。シネカノンの社長、在日三世の李鳳宇(イ ボンウ)氏がソウルに5スクリーンのシネコンCQNをつくり、その中の一館を韓国ではじめての日本映画専門館にして話題になった。こけら落としが「パッチギ」だったのも、そうした事情にふさわしいが、パッチギがあったからそういう企画を実現できたのかもしれない。かならずしも商業的に成功しそうにない、ロングテールに属する作品を配給上映しながら、なおかつこれだけのことを持続できることはたいしたものだ。
 ぼくは、ふつうは映画は一人で見る方がすきで、誰かと一緒にいっても離れた席に座ることが多いのだが、このときはAKi、iGa、masaのおじさん三氏に同行していただいたとあって、横一列にならんだ。この映画の場合はいつにもましてとなりの三人の反応が気になって仕方ない。
 

ぼくは首を向けはしなかったが、どうも映画を見ているおじさんたちは、寝苦しい夜のベッドの上で寝返りをくりかえしているような気配だった。 映画を見終わったあと、一同は下階のカフェでのどを潤した。どうもこのとき、おじさんたちはポケットの中にたくさんの「?」を詰め込んだままのようで、関係者の一部に足を踏み入れたぼくに、やや遠慮もあったのだろうか、この映画のことを正面から話題にしようとしないような気がした。
 それでも外に出るころには暗くなっているほどの時間をここで過ごし、kai-wai散策の写真の場所を経由して焼き鳥屋に河岸を変えると、蓄積されたアルコールとなかなかいける焼き鳥のおかげなんだろうか、もんしぇんそのものの話題になってきた。
今では、みなさんの発言がまじりあっているけれど、こんなぐあいだった。
「ほとんどが写真だったけれど、一カ所だけムービーになったシーンがあった」
「入れ子になった世界でできているってことを知らせておいた方がわかりやすいんじゃないか」
「トリュフォーやヒッチコックは、自分のつくったものをあそこはこうやったんだ、あれはあの映画のあそこが素敵なんで真似したんだ、なんてことを言うけど、もっとそういうことを言った方がいいよ」
「近藤正臣が、どちら側の人なのか、分からないな」・・・・・・等々
焼き鳥のおかげか、場所がおちついたせいか、つぎつぎともんしぇんについてのことばがでてきた。なにしろ長い時間をかけてできた映画だから、ちょっと手にあまるくらいの沢山のことを盛り込んでいる。いくつかのしかけについて説明すると、それは聞かなきゃあわからない、ある程度説明が必要だと言われた。映画を見る人にそれらをできるだけたくさん掘り出していただくには、いくつかの糸口をあらかじめ観客に渡しておく必要がありそうだ。上映中のあの寝苦しさのような気配、カフェで「もんしぇん」をちょっと遠巻きにしている感じは、説明不足に理由があったのだ。
 カフェにぼくたちの入ったすぐあと、スタッフと夕海と応援団の若者たちがカフェに入って来たが、かれらは、この映画にかかわるさまざまなできごとを谷根千界隈でくわだてるための作戦会議をしていたのだった。それらは、ほかでもない、もんしぇんを掘り出すための糸口だ。。
AKiさんiGaさんmasaさんありがとうございました。

追記
MF247Newsで、「もんしぇん」の公開について掲載されています。

投稿者 玉井一匡 : 08:28 AM | コメント (16) | トラックバック

May 24, 2006

「もんしぇん」の公開

MoncienHarou.jpg
以前のエントリーで、「もんしぇん」という映画のことを書いた。ときどき、うちの事務所にあつまっては議論をして数年間、昨年で撮影と編集が終わっていたのだが、やっと上映の日程と上映館が正式にきまった。といっても、5月のはじめにきまったのにiBookの変調・ラオス行き・腰痛と続いて、いつのまにか時がたち、先日は、MADCONNECTIONでおなじくシグロ製作のドキュメンタリー映画「エドワード・サイード OUT OF PLACE」をエントリーされた中で、iGaさんがこの映画のことにふれてくださった。ぼくは、これがつくられる過程を見ていたので、進行を報告してゆこうとしているのだが、すっかり遅れをとってしまい、ちょっとあわててエントリーすることにした。もんしぇんの監督をした草介は、OUT OF PLACEの監督佐藤真氏のドキュメンタリーで助監督をしたことがある、佐藤さんの弟子だ。
天草市の第一映劇で7月15から25日まで先行プレミア上映、東京は上野の「一角座」で8月19日からロードショー。遅ればせながら、もんしぇんの公式ウェブサイトの募集も始めたと、シグロのサイトにも書かれている。

 昨年、「第一映劇の館主の柿久さんとここで待ち合わせたんだ」と、夕海が事務所にやってきたことがある。柿久さんはサザンオールスターズの熱心なファンで、コンサートを聴くために東京にいらしたのだが、映画館主ときいて思い浮かべるよりずっと若い人でおどろいた。ただならぬ映画への情熱で小都市で小さな映画館の運営に奮闘し、年に一度の天草映画祭の中心を担う。「もんしぇん」を応援してくださるのも、その情熱のおかげだ。そのとき、夕海とかりんをコンサートに連れて行ってくださった。
 彼らが、東京ではなく天草を出発点として上映することにしたのはほかでもない、この映画では、地形や場所、天草の海と島、むろんそこのひとびとと培って来た関わりあいも、映画の一部をなす大きな意味をもっているからだ。mF247でも、「脈動変光星」の活動拠点は熊本県として登録してある。
 一角座は上野の東京国立博物館の構内の一角にあって、道路をはさんだ向かいには国際子ども図書館がある。Googleマップの衛星写真でみればこの写真には、まだ一角座はなくて空き地だ。樹々や博物館に囲まれたここちよい環境は、若者が集まり商業・娯楽施設の密集するようなまちとはかけはなれ、映画館としては異色の立地だ。ここで上映することになったのは偶然ではない。主宰の荒戸源次郎氏にお会いして、映画ができるまでのことや映画についての話をきいていただき、後日に試写も見ていただいて実現にこぎつけた。若者たちの数は少ないけれど、そのかわり盛場とはちがって競合するものがないし、お年寄りにはむしろ身近な場所でさえあるかもしれない。その気になれば、若者は多少はなれたところだって来てくれるだろうと見込んだ。
博物館は時間と場所の断片を集積させた箱のようなものだが、だとすれば映画館は、世界を光と音に姿を変えて閉じ込めた博物館かもしれない。それならは、じつは、この場所は映画館にとって意外でもなんでもない、ふさわしいところではないか。

 そしてもうひとつ、ここを選んだ大きな理由がある。上野の山からその足元にかけては谷中・根津・千駄木のまちが広がる。「もんしぇん」は、十数年前の高校生時代に夕海が訪れた天草の、島の入江という地形と場所の力にうながされて動き始めた。3年前には島に住み町立の化石の博物館で臨時職員として半年はたらかせていただいたけれど、さすがに、今ここではそんな時間は残されていない。
しかし、御所浦という場所とそこの人びとの力が作用しあったように、時の積みかさねと場所の力のあるまちでなら、たがいに影響を及ぼしあいながら上映することができるかもしれないと、上映場所を選ぶにあたって夕海は考えた。「もんしぇん」は、閉じられ完結した「作品」ではなく、さまざまな接点を持った不定形の「できごと」でありたい。「ロングテール」としての映画上映は、恐竜の頭の映画とはべつの方法でべつのことを伝え別の力を持つことができるはずだ。Blogの縁も、ここには少なくないよと言うと夕海はおどろいた。

 そもそも一角座は単なる映画館ではない。荒戸源次郎氏が、みずから製作した映画のために国立博物館という聖地の只中に作ってしまったものだ。「ツィゴイネルワイゼン」「どついたるねん」「赤目四十八滝」などを製作あるいは監督し、ここで上映中の「ゲルマニウムの夜」は6か月間の長期上映中である。音響と映像に渾身の力をそそいだという。器もしっかりした映画館だが永続的な建物を意図してはいない。

もんしぇんは、海からとどけられた素敵な箱になってくれるだろう。

投稿者 玉井一匡 : 08:11 PM | コメント (11) | トラックバック

February 24, 2006

送還日記

 soukan2.jpg
監督キム・ドンウォン(金東元) 配給シネカノンシグロ 3月4日から渋谷シネ・アミューズ
今日、映画「送還日記」の試写会があった。韓国のドキュメンタリー映画、北からの工作員として入国して捕えられた人たちが、以後の長い年月を独房に入れられて拷問を受け転向を迫られながら耐え抜いた。韓国の政策の転換で自由の身になったこの人たちを12年にわたって記録したものだ。彼らは青年時代に捕えられ、わずか3/4坪の生活空間で40年前後を過ごして自由の身になった時にはとうに老人になっていた。旧知の神父に頼まれて、キム・ドンウォンの住む村で非転向長期囚の二人を受け入れることになり、彼は二人と支援者や村人、ほかの非転向長期囚たちとの交流などの生活を中心にして、北に送還されるまでの12年間を記録した。

 上映に先立ってキム氏の挨拶が、上映後にはドキュメンタリー作家の森達也氏も加わってトークショーが行われた。キム氏は、見るからにおだやかで篤実な人柄がしのばれる。彼らの世代は、北のスパイには角が生えていると教えられていたという。だから、不屈の北スパイであっても、じつは同じ生身の人間なのだということを知ったことは、韓国人にとってとても大きな意味があったのだという。北に対する韓国人の気持ちはぼくたち日本人には想像のおよばないものがあったことを改めて思う。
キム氏は、ドイツのような吸収合併型統一がいいとは思わないと言った。たしかに、南北の経済格差を抱えたままひとつの国家になるには、どういう経過を経て金正日はどういう立場になれば統一が可能なのかを考えると、気が遠くなるほど道は遠く心は重い。しかし、具体的で個人的な関係を積み重ねてゆくことが、じつは確実な道なのではないだろうか。南北はかならずしも統一してひとつの国家にする必要はないのではないか。ゆるやかで親密な連合という形式で、むしろ世界に先駆ける二国間関係を築くことができるのではないか。微妙な問題であるだけに、キム氏はそうした発言はできなかったのだろうが、彼自身もそう思っているのだろうとぼくは思う。そんなことを考えていると、この映画は国家のありかたについて、希望を抱かせるものだと感じられた。

この映画とトークショーの中に、ぼくにとっては新鮮なこと、あるいは古い記憶に深く残されていたことがいくつかあった。
 韓国の拉致被害者の家族たちは、北に対して強硬な姿勢を求める右派と同調して、彼らの言う「未転向長期囚」の北への帰還に反対する。どうもそれは、韓国全体の思いからは突出しているようだったこと。 sokanbook.jpg 
朝鮮半島で南北は休戦状態にあるのであって、朝鮮戦争が終わったのではないということを、多くの日本人は分かっていないという会場からの指摘。言われればそうだと気づくのだが、ぼくも、つい忘れているような気がする。
あるテレビ番組が取材に来て、キム氏はとてもよろこんだが、質問は映画のことではなく、拉致実行犯として手配されたチェ・スンヨルのことばかり聞かれるのでがっかりしていた。しかし今日はTBSラジオが来ているという森氏の冒頭の報告。ある看板番組というのはテレビ朝日だと言っていたから、報道ステーションのことらしい。日本人とマスコミの一極集中する想像力の乏しさは、戦時報道のようだ。
「彼らが韓国に来た時には、北朝鮮の状況は最もいいときだったから、北に帰った彼らは、じつは現状に驚いているのだはないだろうか」という森氏の発言。かれらが30年をこえる年月の拷問と投獄に耐えられたのは、深く心から信じるものがあったからであるはずだ。それが到達した現実を知ったときの空虚を思うと、痛々しい。
そして、もうひとつ。かつてスパイ容疑で逮捕され、十数年間も投獄された在日韓国人徐兄弟の名を映画の中に見つけて、たちまち時間をさかのぼった。その当時、公開された顔の火傷の写真に拷問のあとが残されていることに、ぼくたちは衝撃をうけた。
 この映画は結論を提示するわけではない。しかし、帰りがけに井ノ口さん五十嵐さんとコーヒーを飲みながら話し、そのあと帰りがけの電車でこの映画の本を読むうちに、韓国と北朝鮮にとどまらず、ひいては日本と韓国・北朝鮮について、アジアと日本について、アメリカと日本について考えるための沢山の糸口が、ここにはあるように思えてきた。

投稿者 玉井一匡 : 12:25 PM | コメント (8) | トラックバック

February 09, 2006

おもいがけぬコメント:「アーク灯の映写機」へ


 さきほどのことだが、1年前に書いたエントリーに、とてもうれしいコメントをいただいた。昨年2月4日に書いた「映画ポスター・スチール写真展:アーク灯の映写機」というエントリーだ。うちの事務所が2階にある銀鈴会館の1階を占めているギンレイホールが名画座開業30周年をむかえるのを機に、所蔵する映画のポスターの展示会を開催したのである。それと一緒に、ひとりで移動映画館をつづける北海道の西崎春吉さんという方をワンボックス車ごとお招きして、電灯でなくアーク灯の光をつかう映写機の上映実演をおこなった。ぼくは、そのことや手書きの映画看板のことを2回にわたって書いたのだが、そのエントリーをお読みになった方から、思いがけないコメントをいただいた。それは、こんな風に始まった。

「始めまして、アークでの上映大変でしょうね。実は私の父も40年前移動映画をしていました。このたびオークションで35ミリのアークの映写機を購入しました・・・・・」

この先は、昨年の映写機についてのエントリーとコメントのやりとり、それに看板絵についてのエントリーを読んでいただくとして、今日いただいたコメントによれば、映写機の整備もできてきたので一度ギンレイホールの加藤さんに父上と話をしてほしいということだった。
またしても「ブログの力」が発揮されそうだと思ったら、眠気がすっかり飛んでしまった。

投稿者 玉井一匡 : 01:18 AM | コメント (13) | トラックバック

February 06, 2006

mF247/音楽配信サイト & 脈動変光星


 mF247というサイトがある。昨年の年末につくられた。ことは音楽に限ったことではないが、数多く売れるわけではなくてもいい音楽というものがある。むしろ、いい音楽ほど沢山が売れるわけではないのかもしれない。レコード会社が企画をつくり広告をして、それを聴き手が買うという昔ながらのやりかたでは、そういう歌はなかなか売ることができない。聴いてもらうことも出来ない。iPodやiTunesの時代には作り手と聞き手を直接に結びつけることができる。そこでは、薄い層を相手にしても、広い範囲に知ってもらえば売ることができるはずだ。そういう意図でサイトがつくられた。開設者は丸山茂雄氏。もとソニー・ミュージックエンタテインメント 社長、ソニー・コンピュータエンタテインメントではプレイステーションを開発、会長、247ミュージック設立。丸山ワクチンの丸山千里博士の子息でもあるという。

ぼくたち聴き手側からすれば、このサイトで関心を持った曲をダウンロードすることができる。その前に30秒間試聴できる。作り手の希望する期間はキャンペーン期間としてダウンロード無料、それ以降は有料になる。データ形式はMP3だから、もちろんコンピューターにもiPodに入れられる。
曲は18のジャンルと総合のカテゴリーに分けられ、それぞれ時々刻々にダウンロード数のランキングが表示されるのだが、ややタイムラグがあるようだ。
作り手側にとっては、曲とプロフィールなどをmF247に送り、mF247がそれを審査した上でパスしたものはサイトに掲載される。登録と掲載料は有料だが、1月いっぱいまではキャンペーン期間で無料登録できる。
yotaka.jpg 無料期間の締め切りを間近にした先週に、映画「もんしぇん」のサウントラックの1曲、映画の最後に流される歌「脈動変光星」(作詞・作曲・歌:玉井夕海)を登録することできた。MP3に変換するのに苦労し、やっとできてアップロードしたら音質が悪かったりしてやっとのことでたどりついた。ブログもやっと同じ頃に始めることができた。iBookとの付き合いは長い割にはメールとワープロくらいにしか使っていなかった夕海には、いいトレーニングになったかもしれない。ひとつの曲を3つのジャンルに登録できるので、映画/ゲーム/アニメ、ポップス/ボーカル、童謡/唱歌の3ジャンルに登録した。今日現在、それぞれ2位、13位、1位というのは、なかなかいい線をいってるんだろう。10位までは、絵入りのリストで表示される。
映画の公開までは、まだしばらくかかりそうだが、これも映画の広報のひとつ。
ダウンロードして聞いてみてコメントなども書いてやってください。

投稿者 玉井一匡 : 11:00 PM | コメント (11) | トラックバック

January 08, 2006

ジャン・ユンカーマン

 1月5日の朝日新聞夕刊に、ジャン・ユンカーマンの記事が掲載されていた。「映画 日本国憲法」をつくったひとだ。日本の歴史を振り返ってみると、ぼくたちはとても貴重なものを持っているのにそれをないがしろにしていることを、たとえば明治初期に捨てられた仏教寺院や仏教美術のように、外国人に指摘されてから気づくということが何度かあった。「映画 日本国憲法」も、この憲法についてやはりそれが繰り返されている。
 ユンカーマンは、幼児期に日本に来て、帰国後ふたたび日本に戻り高校時代を日本で過ごしたあと、大学院を終えて再び日本に戻った。日本を舞台にした数々のドキュメンタリー映画は、どれもが日本に対するやさしいまなざしで描かれている。写真が彼自身のおだやかな表情を伝えている、そのままに。けれども、このすてきなものたちは、このままではなくなってしまうよと、ぼくたちにむけて痛切に語っている。
 ジャンさんは、たまたまぼくの自宅から歩いても10分ほどのところに住んでいる。昨年の秋に、朝から彼の自宅を訪ねたことがあった。映画「もんしぇん」の英語字幕と、主題歌の歌詞の英語字幕についての打合せのためだ。建築家に設計を依頼したとおぼしき、気持ちよさそうな住まいだった。

 はじめに、字幕の英訳をやってくれないかとたのまれた。というより草介が頼んでくれたというべきかもしれない。翻訳は、最後にのこされる言葉の質できまると、ぼくは思っている。英語から日本語への翻訳はやったけれど、ぼくは英語圏に定住したこともないから日本語を英語にするのは手に余ることだから、だれかネイティブの人に最終的に手をいれてもらえるなら、やってみようと思った。しかし、なにさま時間が切羽詰まっている。結局は順番を逆にすることになった。
ジャンさんにまず翻訳していただき、それについてぼくが、意見というより質問のようなものかもしれないが、こうしたらどうだろうかということを書いたメールを送る。夜遅くにそれのひとつひとつについての返事が届いた。その翌朝に自宅を訪ねるということにしていた夜に。ぼくがかかわることになったのは、「もんしぇん」をつくった若者たちが何を伝えたいのか、あるいは何を伝えてほしいかについては、そばにいたぼくがよく知っているからというわけだ。主題歌の歌詞の字幕だけは逆に、ぼくが書いた英語をジャンさんに目を通していただくということになった。ジャンさんの映画も「もんしぇん」も、制作が同じSIGLOなので、お願いすることになったのだった。
chomski911.jpg 彼は、午後に山形の映画祭から戻ったばかりだったのに、ぼくのメールにすべて目を通し返信したうえに、翌朝には、こころよく素人の意見に耳を傾けてくれた。新聞の写真のようなおだやかな笑顔を絶やさない。舞台は日本ではなかったけれど、「チョムスキー 9.11」もジャンさんのつくった映画だが、その中でチョムスキーは、あの時期のアメリカでイラク攻撃を批判するという命がけの行動を続けながら、終止おだやかな話しかたと笑みを続けていた。このふたりのおだやかさの下には、へこたれない強い意志がつらぬかれていにちがいない。きっと。

投稿者 玉井一匡 : 02:25 PM | コメント (2) | トラックバック

December 22, 2005

皇帝ペンギン

 
 ギンレイホールで、記録映画「皇帝ペンギン」を見た。想像を絶する忍耐、存在の耐えられないかわいらしさ、親子の愛情。コミュニティ、高断熱、努力の非効率、それにひきかえエネルギー消費の高効率。いつもながら徹底した環境への適応。ことごとく胸を打たれる。
 南極という不毛の地で、もっとも厳しい気候である冬のさなかに卵を産み、メスはそれをつれあいに渡す。彼はそれを両足の甲の上にのせて、羽毛で包むようにして大切に大切にあたためる。そこから転げだすと、たちどころに卵は凍結して死んでしまうから、ひたすら立ち続ける。移動するときには両足のつま先を上げて卵が転がらないようにしながら踵だけで注意深くすこしずつ歩く。彼らは巣を作らない、持たない。なぜなら、体温の放出を減らすために、数えきれないほどのペンギンたちが文字通り身を寄せあっているからだ。もしもそれを真上から見たら、きっと蜂の巣のように一羽ずつが六角形になっているかもしれないなと思ったら、そういえばナレーションでは亀の甲羅がどうとかといっていたのを(字幕に依存して)思い出したが、そのことに違いない。ペンギンは直立するから、氷と接する面が少なくて、身を寄せ合うと互いの体が接する面が大きいのだ。中の方にいたらとても暖かいだろうが、周囲はさぞかし寒いだろうに、その入れ替えはどういうふうにしてされるのだろう。

 卵を抱えている間、父親は飲まず食わず、ただ両足の甲にのせた我が子を温め続ける。メスだってそのあいだ遊んでいるわけじゃない。卵を産んでオスにわたしたあと一列に並んで、海までの大移動をする。ここへ来るときが1回目でこれが2回目のMARCHE。目的は餌、孵化したときに子供たちに食べさせるためだ。走るメロスのごとく、母親たちはまた連れ立って長い旅をして戻り、数えきれないほどの仲間がいる中からちゃんと自分の子供をみつける。
 母親が帰るまでの間、父親ペンギンは体内に食べ物を蓄えているはずだし、母親も海から戻った後に、自分と子供の食料を体内に蓄えているのだ。食べ物を蓄積するシステムはどうなっているんだろうか、あの長い胴体も、それと関わりがあるにちがいない。
 原題を「LA MARCHE DE L'EMPEREUR」-皇帝の行進-という。産卵、メスの餌集め、雄の食料補給、長い行列をつくって決死の移動をする。わざわざ最も過酷な季節に卵を産み、冬眠もせずに立ちつくす。太陽の乏しい真冬に青々と葉を茂らせる彼岸花の偏屈を思い出すが、彼岸花は球根という食品庫を抱えている。しかし、それでもこうして繰り返すペンギンの生き方には訳があるはずだ。
 海からはなれた餌のない場所、最も寒い時期の産卵と子育てという選択は、天敵の少ない時期を選んだ結果にちがいない。だから戦う武器も逃げるすばやさももたない。命がけの大移動は大人たちだけで、卵から子供たちが孵るころには、温かくなって氷が溶け始めて海が見えて来る。次々と海に飛び込んでゆく。

ペンギンたちの至福のとき、豊穣の季節。初めて彼らが泳ぐ姿を動物園で見たとき、かくも自由に飛ぶことができるのかと、ぼくは感動した。彼らは、空でなく水の中という3次元を飛翔するのだ。冬の間ゴールキーパーだったペンギンは、夏には水の中を滑空するフォワードに変身する。苦難を耐えられるのも、この歓びがあるからなのだ。

投稿者 玉井一匡 : 12:15 PM | コメント (6) | トラックバック

November 30, 2005

宮崎駿のインタビュー:ほぼ日


「ほぼ日」で、宮崎駿のインタビューが見られる。9回に分けてあるが、合わせて1時間ほどだ。糸井重里は「トトロ」でお父さん役をやったし、宮崎映画のコマーシャルも引き受けている。このインタビューは今年のヴェネチア映画祭の表彰式に行ったときの記者会見の映像だが、11月いっぱいで掲載が終わるということは、なんと、今日までで終わりなのだ。

 インタビューというのは、聞き手の力がとても重要だとぼくは思うのだが、日本の記者たちによる会見では、すぐれた質問のなされるのをきいたことがない。「海馬」で糸井重里がすぐれた聞き手であるのをひきたてるように、この記者会見も、ありふれた質問に満ちている。アニメオタクの質問よりはましだと思っているのかもしれないし、愚問にはなれているからかもしれないが、こどもたちの質問にするように丁寧に答えている。宮崎駿の発言は、無愛想といたずらっぽい笑顔との交錯する画像もともなって、とてもおもしろい。話しているそばから反省の弁が出て来るから記者もつっこみようがない。アニメーションをつくろうとすれば、何もかもすべての世界を自分たちで意識的につくらざるをえないから、批判すらみずからの世界に内包せずにはいられないのだろう。
 記者たちは知らないのかもしれない、彼らが言い出したわけではないのだが、pixarの話もでてくる。ぼくはスティーブ・ジョブズの「iCon」を読んだばかりだから、pixarのスタッフとジョブズとディズニーが繰り広げる「ビジネス」世界の血みどろと比べてしまう。ビジネスのことは鈴木敏夫にあずけて、みずからは職人たらんとして、決して儲かることのないけれども作りたいと思うアニメーションをジブリ美術館で上映している。もちろん、自分自身の中の世界を含めて、ジョブズとはまた別の世界で別の種類の血みどろがあるにはちがいない。しかし、そういう宮崎さんの話は、日本的なものつくりの世界のよさが感じ取れてホッとしつつ、この人を信じたいと思う。

投稿者 玉井一匡 : 02:38 PM | コメント (2) | トラックバック

November 16, 2005

「ザ・ コーポレーション」試写会


 MADCONNECTIONにエントリーされていた「ザ・コーポレーション」の試写会に行ってきた。Blogを通じて試写会を告知し、この映画のことを書いて、配給会社のサイトにトラックバックするのを条件にブロガーを招待するという方法がとても新鮮だ。主催者であるアップリンクのホールは、以前にぼくの事務所のあったところの近くだが、なつかしい気がするくらいにまわりは変わっている。8人8列ほどの席がある会場は、ほぼ満員になって通路にいすを並べるほどなのに、ぼくの両隣はあいている。

秋山さん古川さんといっしょになった。映画は大部分がインタビューで構成される。コーポレーション=会社というものが持っている本質的な性格、利益をあげるということのために、どのような害を世の中にもたらすかを伝えるのだ。ナイキが、製造の人件費が価格の1%にもみたないほどの低賃金で途上国の子供たちを働かせたり、ボリビアの水道を民営化されると、雨水まで自由につかえなくなったというような事例。チョムスキー:Noam Chomskyは、公営事業と会社の役割を、この映画の中でこう言っている「公営事業は、経済的な利益をあげなくても、別の利益を社会にもたらせばいいけれど、会社は経済的利益がまず優先する」のだと。HardTime.jpg この映画で取り上げるわけではないが、アメリカは、刑務所ですら民営にしてしまった。つまり、人間の自由を奪って檻に閉じ込めるということを利益の追求の対象にしたのだ。自由の国アメリカであるとすれば、それは象徴的なほど重要な問題であるはずだ。やむをえず人間の自由をほぼ完全に奪うという行為の主体が、少なくとも形式上はすべての国民の意思を代表する組織・「国家」(もしかするとアメリカでは州なのかもしれない)から株主の利益を代表する「会社」に移されてしまったのだ。それがどのような結果をもたらすのかを、サラ・パレツキーは探偵小説の題材にしている。ヴィク・ウォーショースキーという女探偵を主人公にするシリーズの、「ハードタイム」だ。
社会主義の根源的な欠陥は、たったひとつの巨大な権力しか存在しないワンサイドゲームに陥ることだった。自由経済の社会では、ワンサイドゲームをとどめる民主主義というルールがあったのに、いまは大企業がそのルールを書き換えて、ワンサイドゲームに持ち込もうとしている。かつての社会主義、一党独裁の国家とおなじ構造だ。

チョムスキーの言いそうなことだが、誰だったか憶えていないけれど、この映画の中でこんな発言をしていた人がいた。「公共事業については、国民がだれでも口をさしはさむことができるが、企業には、外部の人間は口を出せないんだ」と。これもきわめて重要なことだ。ぼくたち日本人は、そういうことをきちんと考えて行動したのだろうか。
オレは企業を批判する映画をつくっているが、それは大企業を通じて配給される。やつらは儲かるものであれば自分たちの首を吊る縄だってつくってしまうんだというマイケル・ムーア:Michael Mooreの発言も重要だ。すでにできてしまった制度であれば、それを利用してやれというしたたかさ、敵の武器をとって戦えというのはゲリラ戦の鉄則だ。

 何も知らない全くの素人だからこそ感じられることがあるとよく思うのだが、つねに経済が成長しなければ成り立たないということを前提にするシステムは、あきらかに間違っていると、ぼくは思う。持続可能なシステムをつくらなければならないと我々は考える。もともと、地球というシステムの全体は、これまでも持続可能な安定したシステムだったし、これからもおそらくそうだろう。安定したシステムというものは、健康な肉体がそうであるように、それを決定的に破壊しそうなものが生じると、その因子を排除する機能がはたらく。だから、もしも人間という生物の種が地球にとってそういう存在になれば、自然のシステムによって排除されるだろう。つまり、自然は人間を絶滅させるのだ。

映画の公開は、12月10日から,渋谷のUPLINK XとUPLINK FACTORYで
UPLINK Xはhttp://www.uplink.co.jp/x/log/000916.php
UPLINK FACTORYはhttp://www.uplink.co.jp/factory/log/000917.php

投稿者 玉井一匡 : 07:45 AM | コメント (0) | トラックバック

September 26, 2005

映画 もんしぇん

10年をこえる時をかけてやっとできたが、見てもらわなきゃはじまらない。
Goshoura.jpg 御所浦町:click image to jump up to Google マップ


 いい年をしてと思いながら、ぼくはいまだに飛行機では窓際を選んでしまう。空から地上を見ると実物の地図がよくわかるからだ。広い平野と山の裾が接するところを見れば、緑の海に浮かぶ島のようだが、それもむかしは本当に海だったのだろうと想像して時間を遡る。山の頂から地球の表面は下ってゆき、海の下を通り向かいの島とはつながっていて、ただそこに海の水が載っているだけだと感じられることもある。里山に抱かれたところが心地よい「谷戸」となって集落ができるように、緩やかな斜面に囲われた小さな湾は、もうひとつのしあわせな地形だ。里山は人の住む里と自然の山が接するところだが、入江では海と山の間に集落がある。いずれも、複数の世界が重なった場所が小高い地形によって外界からまもられて小世界がつくられる。
 小さな島の小さな入江を舞台にした「もんしぇん」という映画が、先日、やっと内輪の試写会にたどりついた。音のないビデオや編集途中のものは見たけれど、最終的に編集された映像を、ぼくはまだ見ていない。

 もんしぇんなんてタイトルは何も思い起こさせないと反対する意見も多かった。いまでは、この地方でさえあまり使われることもなくなった言葉だからだが、この地方で「もんしぇん」ということばは「だから」という意味につかわれるのだという。そういえば、長崎県出身の母方の祖父は、東京に住みながら最後まで長崎弁が抜けなかったが「俺が行くしぇん」というぐあいに「しぇん」ということばを「・・から」という意味に使っていた。
 理由と結論を結ぶ接続詞は論理をつくりだすが、だからといって、かならずしも行動を導くわけではない。 世界は両義的あるいは多義的な事象に満ちていて論理はいくつもあるのだが、行動はひとつを選ばねばならない。多義的な小世界をつくる入り江、それが小さな島の中にあるとすればなおさらだ。しかし、多義的であることは不明瞭であることと同じではない。入り江や谷戸は多義的な植生や生物相があるが地形は明快である。だからそこには、ひとつの小世界がかたちづくられる。ぼくたちがこういう地形を理想のひとつとするのは、明快な構成の器に多義性が盛り込まれるからなのだ。何億年か前に両棲類が海から陸に上がったときも、それはきっと入江からだったろう。この島では、恐竜の骨の化石が見つかり、御所浦白亜紀資料館という小さな博物館もある。

 この映画は、上の衛星写真の島、熊本県御所浦、正確には御所浦町の牧島を舞台につくられた。あるいは、この島の小さな入り江がこの映画をつくったというのがふさわしいのかもしれない。
 物語は・・・・身ごもってひとりになった若い女が、故郷の近くの入り江にたどりつく。はるという。
そこには老人ばかりが土人形(どろにんぎょう)をつくりながら屈託なく暮らしている。中にただひとり、ちいという若い女が一緒に住んでいるが、けっして口をきこうとしない。心ならずも迷い込んだはるは、そこを出て行こうと思いながら老人たちに引き止められ、もとよりかれらの作る世界に好奇心をもたずにはいられない。さらにあらたな老人たちも加わる。・・・産む、産まない、帰る、残る、不安、やすらぎ、老い その中ではるは、そこの場所とそこに住む人々にひかれてゆく。

 最終版を見てもいないのに勝手なことを書くのは、この映画の作られる過程を、ぼくは長い間そばにいて見たり脚本を読んだり、この島にも行ったりしてきたから、どういう素材があり何をこころざしているかはわかっているつもりだからなのだ。うちの事務所が彼らの打合せの場所になっていたから、来れば論争がうるさいけれど、しばらく来ないとさみしくなった。そんなわけだから、ぼくには公正な評価をすることはできない。若者たちを応援するけれど、かといって思いもしない褒め言葉を使いはしない。そういう立場で、来年に予定している公開まで、この映画とそれに関わることを、ときどきエントリーしてゆこうと思う。

このブログ内の関連エントリー
mF247/*音楽配信サイト & 脈動変光星
*「もんしぇん」の公開
*もんしぇんの試写会
「もんしぇん」と「一角座」
         *   *   *   *   *   *   *   *
*追記:初めてGoogleマップをご覧になるかたへ

 写真をクリックして、googleマップの画面に移ったら、いろいろと画面を変えることができます。
・右上の「マップ」というボタンをクリックすると、同じところが衛星写真から地図に変わります。
・左に、上が+下がーになっているスライド式のコントロールがありますが、このつまみを上に引くと大きく、下に引くと島は小さくなる代わりに、下端までいっぱいに動かせば地球全体が出てきます。
・位置を変えるには矢印をクリックして東西南北に、どこかの場所をダブルクリックすれば、そこが画面の中心になります。
 まだ、不十分なところが2つあります。今のところ日本とアメリカとイギリスしか細かい地図が用意されていないこと。もうひとつ、地域によって写真のクローズアップの限界が違うことです。大都市ではひとつひとつの建物が認識できるくらいまで近づけますが、たとえば御所浦のようなところだと、あるところから先は写真が見られなくなってしまうのですが、遠からずそれもかわってゆくでしょう。

 インターネットのこういう使いかたは、はじめに構想したひとたちの意図をもっとも表しているもののひとつだと思います。それはきっと、場所についての人間の感じ方考え方を感覚の段階で変えてゆくでしょう。高いところから見た写真では国境線なんか見えない。中央がえらくて地方がそれに従属していると考えることや、ここは自分たちの領土だといって国家が対立していることなどを別の目でみることができる。いますでに東京経由でなければ世界とつながらないという考え方は弱くなりつつあることがもっと進み、それぞれの場所がそれぞれにいいんだという見方が進むだろうと想像すると胸が高まります。じつは大都市と同じように、小さな島の小さな入り江は世界とつながっている。むしろ、世界の本質にずっと近いところにあるのだと。
「日本海とGoogle マップ」も、お読みになってみてください。

投稿者 玉井一匡 : 01:20 AM | コメント (5) | トラックバック

September 04, 2005

柳川堀割物語


「柳川堀割物語」/監督 高畠勲・製作 宮崎駿DVD
 もう20年近く前に、福岡県出身の友人に勧められたのを10年ほどしてやっと見た。それも、新宿のつたやで1本だけの古びたビデオを借りたのだった。以来、このビデオは買っておこうと思いながらそのままになっていたのだが、先日、クライアントとの打合せでこの映画の話をした。ぜひ見てほしいと思ったのでamazon.comでしらべたらちゃんとあるが在庫わずかだと書いてあったから絶版になるのかと心配してあわてて注文したのに、今ではそんなことはなにも書いていない。
 福岡県柳川市を縦横にめぐる掘割と、そこに生活するひとびとのドキュメンタリー映画で、一部に説明のためにアニメーションが使われている。DVD版の「映像特典」のひとつ「赤坂憲雄が聞く高畑勳と柳川掘割物語」を見ると、はじめはアニメーションとしてつくるつもりだったのが、実写のドキュメンタリーになったという。それを見て赤坂憲雄と中沢新一との対談「網野善彦を継ぐ」を思い出した。引っぱりだしてみると、表紙は日本海をはさんで逆さまになった日本列島が配置された地図だ。こんな表紙だったんだっけ、われながらほんとうに忘れっぽいやつだとあきれてしまった。

 現代社会の、川や海に対する重ね重ねのひどい仕打ちは、山の奥でも都市の中でもいたるところで目にする。それだけに柳川の堀割に対する市民の思いや、そこに注ぎ込まれてきた愛情と労力を知ると、いまぼくたちの生きているこの時に残された掘割に書き込まれたものの厚みと重さを実感する。この映画を勧めてくれた友人にとっては、堀割のたくみな機能や歴史が印象に残ったらしいが、ぼくにとっては、下水道係長・広松伝氏というたった一人の人間の情熱と行動力がいかにひとびとを動かしたかという物語として記憶されていた。見直してみると、じつは友人の視点に割り当てられた時間のほうがずっと多い。
 ひところ堀割がどぶ川と化していたので、一部を除いて暗渠の下水道にすることを決定し、国庫補助もきまっていた。にもかかわらず、堀割を残すべきだと広松氏が市長に進言すると、市長は6ヶ月の猶予を与え、その間に説得力のある資料をそろえることができれば提案を受け入れようと答える。その結果、補助金も返上し、多くの市民による参加の意欲と行動をひきおこして堀割を蘇生させる。さらに、それを維持する仕組みも生き返らせる。たった一人の人間が始めたことが、少しずつ人間を動かし、それが重なることによってどれほどの重要な結果を残すことができるかという、勇気づけられる物語だ。YanagawaSatelite.jpg
さらに、もっと本質的なことも描かれている。
 人間と水の接点として、堀割という仕掛けはもっとも密接で小さい。小さなものが集積することによって構築された微妙で巧妙なネットワークなのだ。近代の技術の多くは、規模をより大きくすることで効率の向上をはかってきた。下水を暗渠にして大規模な廃水処理場で処理した水を川や海に放流するというのも、そのひとつだ。しかし、じつは大規模にまとめるというシステムは、必ずしも効率がいいわけではないということがわかる。大型のコンピューターから端末の小さく能力の劣るコンピューターへと樹木の枝のようにつくられたシステムが、パーソナルコンピューターが互いに同じレベルでネットワークを構築するというシステムに移行したことが思い浮かぶ。
 かつての堀割は、道のように物流と人の移動をささえるものであり、雨水を逃がす排水路であり、農業用水路であり、さらに明け方の水のきれいなときには上水路でさえあった。じつは双方向のネットワーク、あるいはブロードバンドなのだ。

 宮崎駿と高畑勲は、このころ監督と製作を一作ごとに交代しながら映画をつくっていた。この映画は高畑監督+宮崎プロデューサーという体制でつくられた。たしか、ナウシカのあとという時期だが、決して興行的な成果は望めない種類のドキュメンタリーであるだけに、彼らのこころざすものが何であるかを直接に物語る。高畑によれば、この映画をつくったころの広松氏は、役場の中でむしろ浮いた存在になっていたという。行政に携わるひととして、これ以上ないほどの成果をあげた人が、そのような立場を余儀なくされるという精神風土にも、浚渫が必要だ。
このごろぼくは、なにかというと、Stay hungry. Stay foolish. ということばをよく思い浮かべる。この映画をみてもそうだった。Appleコンピューターのスティーブン・ジョブズがスタンフォードの卒業式に招かれたときに、Whole Earth Epilogから、引用したことばだ。「満足するな、目先のことにとらわれるな」なんていわれるとどうも説教くさいが、Stay hungry. Stay foolish. なんてジョブズが言うと、そうだなあと納得してしまう。

 ぼくは一度だけ柳川に行ったことがあるけれど、もうずいぶんと時が経っているが、その後の柳川がどうなっているのかについても気になって探した。

・第2回『にいがた堀割・堀端会議』シンポジウム「城下町柳川の堀割〜再生の意味を説く」 講演1 故 広松 伝氏
・熊本県立大学環境共生学部柳川の堀割「再生」について考える —フィールドワーク実施報告—

投稿者 玉井一匡 : 10:19 AM | コメント (0) | トラックバック

July 15, 2005

パッチギ

pacchigi.jpgギンレイホールでやっている「サマリア」「パッチギ」はあと2日になってしまった。ぜひ「サマリア」を見てくださいと潮見さんに言われたし、草介は「パッチギ」は今シーズンの日本映画の一番だといっていた。最終回しか時間がないのでパッチギを見た。ギンレイは二本立てだからその組み合わせには毎回なにかの共通項をもたせている。支配人の潮見さんがいろいろと頭をひねって共通項をさがしながら演し物を選んでいるのだろうが、こちらは毎回それをみつけるのも楽しみのひとつ。今回は分かりやすくて、コリアンがそれなのだが映画の性格はまったくちがう。片方だけを見て、もうひとつは予告編とポスターだけでそう言ってしまうのだが間違いはないだろう。コリアン(韓国と北朝鮮をいっしょにそう書くことにする)が共通項だといってもパッチギは日本人と在日朝鮮人の関係が主題の日本映画で、「サマリア」は韓国で作り韓国を舞台にしている。

 もう、中国映画とか韓国映画とかいうくくりで映画を見るのはやめてもいいんじゃないか、民族や国という枠を超えた普遍的な意味をぼくたちはみなければならないのではないかと思いながら見始めたが、日本と韓国・朝鮮の関係は特別な意味があることを、この組み合わせはかえって際だたせると思い直した。先日の朝日新聞には、日本でいくつかの映画館を持つ在日韓国人が、韓国に造った映画館のこけら落としにこれを上映するというはなしがあった。1960年代の末頃、京都を舞台にした在日朝鮮人高校と日本人の高校生の対立と、それをこえようとする恋。
 先人たちが作りだしてぼくたちに残した負の遺産、隣国へのひどい仕打ちと差別の中の共生。個人と集合と国家による暴力についての、そしてそれを乗り越えるためにたいせつなものについての物語だ。どっちみち受け継いだこの状況が、ぼくたちの目の前にある。だとすれば、それをいい方向に利用してしまおうという思いをふくらませ、小さいかもしれないが希望を残して終わった。ありふれた論理かもしれないが、それを受け入れることを不自然には感じさせないだけの力をもっていた。
大友康平の情熱も空回りせずに物語を動かしたのが、なんだか印象深く、ぼくたちの学生時代末期のことだったからメロディにとってぼくの中の居心地がいいのか、いまでも「イムジン河」と「悲しくてやりきれない」が、かわるがわるに頭の中でまわってとまらない。

投稿者 玉井一匡 : 02:25 AM | コメント (1) | トラックバック

June 03, 2005

映画 日本国憲法

click
「映画 日本国憲法」監督:ジャン・ユンカーマン、制作:シグロ
奈良美智の描いた女の子が、いつものようにつよい意思や感情を秘めた表情でこちらを見上げるチラシの裏に、インタビューで構成されるこのドキュメンタリー映画の発言の一部が書かれていた。どれもが「そうだそうだ」と言いたいことだったので、ぜひ映画を見たいと思ったが今すぐには上映の機会がない。(7月2日から渋谷のユーロスペースでレイトショー)その代わりにDVDが安くて2800円だから、ぼくはすぐに注文してiMacで見た。「映画日本国憲法読本」という本もある。

憲法改正は国内問題じゃない、国際問題だという日高六郎氏
憲法9条こそアジア諸国に対する日本の謝罪なのだというチャルマー・ジョンソン氏は、小泉首相は歴代の首相の中でももっとも愚かな首相だともいう。ジョンソン氏は、9.11の前に「BLOW BACK 邦題:アメリカ帝国への報復」という予言的な本を書いた政治学者。前に、このブログでこの本のことを書いたことがある。
日本の憲法は押しつけ憲法だと言う人がいるが、そもそも、すぐれた憲法というものは民衆が国家に押しつけて作るものです。と、C.ダグラス・ラミス氏
 日本には、すでに自衛隊という巨大な軍隊がある。→このままでは、あきらかに憲法に違反している。ここまでは、大部分が同じ見方をしているだろう。→ここで正反対の結論に別れる「だから、憲法を変えよう」という立場と、「じゃあ自衛隊を変えなければならない」の2つである。→じゃあ、憲法を変えなきゃしょうがないだろうという方向に、おおかたのマスコミはなだれ込もうとしているし、国民の多くも、しょうがないのかという気になりかけている。
 「おい、ほんとうにそれでいいのか、これは人類の歴史の中でも稀な、いやただひとつのとても大切な宝物なんだよ」ということを、アジアとアメリカの人たちの目と声を通して言っているのがこの映画なのだ。どんなすぐれたことを発言してもひとの気持ちを動かさなくては意味がない。しかしこの映画は強い説得力をもっている。
 自衛隊を変えるという方向で憲法をきちんと残し、この憲法そのものと、それに基づいてこれからの日本は行動すると宣言することが、かつての侵略戦争へのなによりの「償い」にも安全保障にもなるのだ。そしてそれが世界を変えてゆくかもしれないじゃないかと、外国のひとびとに励まされた気がする。監督のジャン・ユンカーマンは一昨年の「チョムスキー 911」の監督でもある。
できるだけ多くの人たちにぜひ見てほしいと思う。映画を見るには、映画館、DVD、VHSビデオ、上映会の企画などの選択肢がある。この映画の公式サイトをみれば、詳しく書かれている。

投稿者 玉井一匡 : 10:28 AM | コメント (26) | トラックバック

February 10, 2005

くらら劇場の映写機

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 ギンレイホールの「映画ポスタースチール写真展」の終わった翌日、加藤さんから電話があった。明日、くららの映写機を取り外すそうだから、映写室を見に行きませんかというのだった。くららというのはギンレイホールの地下にある「大人の」映画館で、この館主は加藤さんではない。本当は、ここもギンレイホールにして、インディの映画なんぞを細々とでもいいからやるところにしたいというのが加藤さんの望みなのだが、なにさま施設が古いものだから館主がかわると、もうあらためて許可をとるのがむずかしい。名目上の館主は現在のままでいいから演しものをウチに任せてくれないかと話をもちかけたが、こういう映画館が少なくなってフィルム屋さんも苦労しているから、昔からのつきあいを考えるとこれをやめるわけにはいかないんだと言われたそうだ。
 毎日、この映画館のすぐそばにいながら、ぼくは一度も入ったことがなかったので、二つ返事で加藤さんにお願いして見学させていただいた。

 階段を下りてゆくと、突き当たって左に切符売り場、「料金900円7時以降600円」とある。せんべいは、ひと袋100円だ。
「ご注意」と書かれた額には「つぎの行為を禁止しております」として3項目が書かれている中に「女装の方」とあるのをみて笑いがこみ上げる。ちなみに、他のふたつは「猥褻な行為をしている方」と「他のお客様にご迷惑をおかけする方」だ。
切符売り場の向かいにある客室への入り口を入ると、そこはスクリーンの脇なので、いきなり観客たちに正面から向かい合うことになる、意外なレイアウトにおやと思う。でも、上映中はきっと観客の顔はみえないんだろう。
暗い、古い、しかし観客も映画もないのに、とても魅力的な空間だ。
工事中なので灯りがついているにもかかわらずそれでも暗いから、そこここに反射したささやかな光がとてもたいせつなもののように感じられる。映画館は光を貴重なものに感じさせる仕掛けなのだ。
    奥には廊下を挟んでトイレの向かいに映写室があって、機械の解体の準備に余念がない。ここには2台の映写機がならんでいる。教訓の書かれたカレンダーや世界地図が壁にある。
 廊下には積み重ねられたフィルム。廊下のさらに奥は床が2mほど低くなっていて古い鋳物のボイラーが、かすかな光をうけて黒く光っている。
突き当たりのドアをぬけて階段を上ると、ビルの裏口に通じるはずだ。ニューヨークだったら命の危険を感じないではいられないようなこんなあやしい、しかし魅力的な空間が、日頃しごとをしている場所のすぐ下にあったことに、ぼくはちょっとした感動をおぼえた。

投稿者 玉井一匡 : 04:32 PM | コメント (0) | トラックバック

February 05, 2005

映画ポスター・スチール写真展:看板絵

 Click image to pop up.
 映画ポスター写真展のいちばん奥に、看板絵のコーナーがある。大小およそ100枚が、板、コルクボード、あるいは菓子箱のフタなどに勢いのある筆で描かれている。すべて、銚子在住の斉藤さんが描かれたもので、大部分がこの展示会のために描かれた。

「銚子は漁師町だから、映画とパチンコがいちばんの娯楽でした。映画の全盛期には、人口3万人くらいのまちに映画館が10軒もあって、それがみんな繁盛していたので、1週間くらいで看板を書き替えるから大変な忙しさでした」
「今思えばもったいないけれど、それを残しておこうなんて思ったことはないんです。もちろん2本立てがふつうだったけれど、なかには10本立てなんていうのもあったんだから、大変ですよ」
「ここにあるのは、看板そのものじゃなくて、大部分はこの展示会のために新しく描いたものです」
Mrsaito.jpg「ポスターのままのデザインで描くわけじゃなくて、構図はじぶんで勝手に描いちゃいました。とにかく、似ているってことが大事なんです。近くから見ると似ていなくても遠くから見て似ていればいいんです」
「マリリン・モンローは、かわいかったですね。情婦マノンをやったこのひともかわいかった。逆さになって男の肩に掛けられて行くラストシーンは、当時は衝撃的だったんですよ。私は5,6才くらいだったけれど、ませてたから洋服の上から胸がうっすらと見えた。このころの人たちのようにきれいな人は、今はいないです」

投稿者 玉井一匡 : 05:07 PM | コメント (2) | トラックバック

February 04, 2005

映画ポスター・スチール写真展:アーク灯の映写機

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 なかのZEROの廊下で、前日に函館からワンボックスを連れて大洗にフェリーで到着していた移動映画館の西崎さんとすれちがった。
初めて会ったというのに、こちらは以前から写真を見ているので顔はわかるので、つい「こんにちは」と挨拶をしてしまった。
すると、西崎さんの方もずっと昔からの知り合いのように、うれしそうに「こんにちは」と返してくれた。 
西崎さんの映写機を見ると、熱を逃がすための煙突がついて、さながら「ハウルの動く城」みたいなようすをしているから、これはなんですかどう使うんですかと、西崎さんが組み立てている最中なのに機械について聞きたいことがいっぱいある。ちょっと質問をすると、西崎さんの胸の中にも伝えたいことがいっぱいにあるものだから、次から次へと気持ちをつれてことばが溢れ出てきてとどまるところを知らない。
いかにも映画への愛情がほとばしるのを抑えきれないという様子だ。

 映写機のうしろ半分を占める蒸気機関車の胴体のような部分のふたを開けて、仕掛けを説明する。
銅で包まれた炭素棒を2本近づけて、その間に50~70ボルトの低い電圧をかけて放電させる。それが放つ光で映画を映すのだ。炭素は、徐々に焼けて短くなってゆくので、のぞき窓を見ながら手動で2本の棒の距離がはなれすぎないように調節するのだ。1本が、およそ2時間保つ。ギンレイでも、15年くらいまでは炭素棒を使っていたがその後クセノン電球を使えるように映写機を改造した。その映写機もすでに次代にゆずって、ここに展示されている。
 西崎さんは映写機を1台で映写するから、フィルムの1巻が終わっても他の映写機に取り替えるということができない。だから、映写しながらフィルムをつながなければならない。残り少なくなったフィルの終わりの方をリールからはずして、つぎの1巻の頭を貼り合わせるのだ。前に進んでゆくフィルムがなくなる前につぎのフィルムの準備をおえなければならない。その時間をかせぐために、のこりのフィルムを床の上に広げておく。それが写し終わる前につぎの1巻を前のフィルムに貼り合わせリールを映写機に取り付ける。なんという大変な作業だ。

 北海道は広いから毎日いえに帰るわけにはゆかない。一切の機械と道具を積んだワンボックスの中で泊まるけれど、機械がいっぱいのせてあるし、そばで眠る方がずっと安心なんだと言う。どれもこれも大変な苦労だろうが、それでも映画の話をする西崎さんの顔は、とにかくうれしそうだ。
現役のこの映写機はこれ一台だけ、だから使っているのは西崎さんただひとり、「炭素棒は、私の持っているものしかない。あと10年ぶんは保つよ」と笑った。
10年後、西崎さんは87才になる。
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投稿者 玉井一匡 : 12:31 AM | コメント (0) | トラックバック

February 01, 2005

映画ポスター・スチール写真展

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 昨年の12月、ギンレイホールで数年前まで使われていた映写機が、トラックに積まれて成田に運ばれた。これが現役の当時は、映写室には2台の映写機が並んでいて、1台が動いているあいだ、もう一台はつぎのフィルムをかけたまま待機していて、1巻が終わると瞬時につぎの機械に交代したのだ。それと気づかせずに取り替えてみせるのが映写技師の腕の見せどころだったのだろう。 現在では映写機の出す熱がすっかり少なくなったし、フィルムが長くなって1巻が1本になったので、映写機は1台だけですむようになった。この古い機械は、ギンレイホールの上、4階の事務所に置かれていたのだった。この日、いかにも映画の職人という雰囲気を漂わせた人物が現れた。いまでは残り少なくなったという、この映写機をいじれる技術者のひとりなのだ。

彼が分解した映写機を、エレベーターのない古いビルの4階から大の男が3人がかりで階段を下ろし、厚い無垢のタガヤサンの台に乗せた。こともなげにもう一度組み立てて名人が去ったあと、ギンレイの社員があつまってトラックに踏み込んだ。
 これは一旦成田に運ばれたあと、ギンレイホールの開業30周年を記念して開かれる「映画ポスター、スチール写真展」に展示するために、会場の「なかのZERO」に戻ってくる。
 ギンレイホールのオーナーである加藤さんが、このところかかりっきりになっているこの催しは、会員のための映画会をひらきたいというところから始まった。それに加えて、これまでに上映した映画のポスターとスティル写真の展示会もいっしょにやろうということになった。あちらこちらと会場を探した結果、収容人数と施設の利用料金、交通の条件などから、中野駅の近くの中野ゼロホールとそれに隣接する中野文化センターの美術ホールを借りることになった。

 加藤さんというひとは、やり始めると次から次へとひろがって深みにはまっていく。にもかかわらず、赤字に苦しんでいたこの名画座を引き継いでからギンレイ・シネパスポートという会員制のシステムを発明して改装も重ね、いまではすこぶる順調な状態に立て直すという商才の持ち主でもある。もともと映画には素人だから、わたしは映画には口をださないと言って、演しものの選択は支配人の潮見陽子さんにまかせている。ポスター展のポスターは、1990年以前の作品からポスター500スチール写真500枚を潮見さんが数百点を選びまとめた。
 そういえば、かつて僕はスチール写真というのはなにか鉄と関係があるんだと思っていた。あとになって、動く映画に対して動かない(still)写真という意味らしいと気づいた。気づかなかったのがお馬鹿さんだったのか、あとになってからでも気づいたのはお利口さんなのかわからないが。

 「ちょっとうちの事務所に来られますか」という電話がきたので、階段を4階まで駆け上がってゆくと、会議室の壁の一面にびっしりと、合板に描かれた映画看板が掛かっている。加藤さんはちょっと得意そうににこにこしている。「銚子に、こういうのを描く人がいるんで会ってきたんですよ。」
ちょっとどぎつい黄色や赤の色と荒い筆づかいのために、オードリー・ヘプバーンの表情さえ近くで見ると演歌調を帯びているけれど、シネコンの映画館のこぎれいなデジタルの世界より、むしろこの方が古い名画座には似合っている。青梅には、まちのあちらこちらに古い映画の看板があって、町おこしの一端を担っているという様子も、加藤さんは見てきた。青梅の写真もこれと一緒に並ぶことになった。

 こんなぐあいに、時がたつとともに加藤さんは「これもやろうと思うんだけど、どうだろう」といいながら、すこしずつ企画を加えていった。ポスターをデジタルカメラで撮って、プロジェクターで映そうかなと言っているうちに、キャノンのデジタルEOSを買い込み、三菱のDLPのプロジェクターも用意してしまった。サウンドトラックといっしょに、ポスターとスティル写真のスライドショーが加わった。

 同じ部屋で、「旅先が映画館」というビデオを見せていただいたことがあった。函館に住む西崎春男さんという人が、ワンボックスに映写機を積んで北海道中を走り回って、学校の体育館などで映画会をしているのを記録したドキュメンタリーだった。「あのビデオも上映しようと思っているんですよ」と聞いてからしばらくたつと「あのおじさんを車ごと呼んで実演してもらおうと思うんですよ」と言うから、「それができたら最高ですね」とぼくは言っていたが、週末には加藤さんは函館に渡った。数日後に会ったときには、2月2日にクルマごと大洗までフェリーで来てくれることになったという。西崎さんの映写機は、カーボンの棒で発光させて写すというもので、今ではこれを使っている人は他にはいないらしい。

fromstairs.jpg こんな具合に振り返ってみると、映写機、看板絵師、移動映画館主、それに支配人の職人気質の展示会でもある。それを動かしている加藤さんにも、商売気よりは職人気質がまさっている。 先週、もう開催まで1週間に迫った夜に、広報を請け負う会社の担当者がギンレイの事務所に来た。「これだけの企画がありながら、今から数日間でメディアに伝えるのは、限られた範囲にしかできません。もったいないなあ」と彼女は残念がった。「はじめは、こんなつもりじゃあなかったんだから、しょうがないんです。それは、分かっていますからやれるだけのことをやっていただければ結構。」と、加藤さんは割り切っている。そういうぼくも、この話をずっと相談をうけながら、いままでblogに書いていない。もう明後日が搬入になってしまった。
4,5,6日に中野ZERO、美術ギャラリーで開かれる。入場無料。

投稿者 玉井一匡 : 06:51 PM | コメント (8) | トラックバック

January 20, 2005

モーターサイクルダイアリーズ

che.jpg 昨年の誕生日に、娘がチケットをプレゼントしてくれたのだが、グズグズしてひと月以上も行けなかった「モーターサイクルダイアリーズ」を、やっと見ることができた。
 大晦日に初詣にゆくの車の中で、J-WAVE恒例・沢木耕太郎のミッドナイトエクスプレスというディスクジョッキーでこの映画のことを話していときには、聞かないようにやり過ごした。正直に言って原作の翻訳「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」からは、なんにも感動を引き出すことができなかったけれど、映画は期待した通りに原作の翻訳よりもはるかにいい。そういう意見は、以前に僕の書いたエントリーにトラックバックされたblog「40歳からのクローン病」にも書かれていたが、ストーリーを知っていながらも、映画には胸を打たれた。

 たくさんのひとたちのエルネストに対する愛情のこもった表情が生み出すものに、ぼくは心を動かされたのだが、それは演技によるものだけでなくて、きっと南米の人々のゲバラへの敬愛から自然にみちびきだされたものなのだろう。
 終映後のロビーに、主演のガエル・ガルシア・ベルナルのインタビュー記事が張ってあるのを見つけて、映画館の館員が後かたづけを始めるまでそれを読んでいた。
「メキシコでは、ゲバラのことは学校でも教わるし、みんな尊敬しているんです」
メキシコはトロツキーが亡命していて暗殺されたところでもあるし、ゲバラがカストロに会ったところでもあるのだから、それも当たり前かもしれない。カンヌで、この映画以上に評判の高かった「華氏911」についてさえ、「アメリカ(合衆国)の中の選挙のために作られた映画にすぎない。ほかの国では、誰でも知っていることを並べただけの映画だ」と言い、かつてF.L.ライトに美術館を設計させたグゲンハイムは、この映画の中で先住民たちにひどい労働をさせていたチリの鉱山の持ち主だったことも指摘していた。そんなことを、ぼくはまったく知らなかった。
 映画は数カ国を移動する旅なのに、どこでもスペイン語で言葉が交わされ人種の構成も似かよっているし、国境を越えていることがあまり感じられない。むしろ、人間は国境よりも階層や人種によってできているレイアで分かれていることを、この旅でエルネストは実感したのだろう。国境についての意識には、外の人間にはなかなか理解できないものが潜んでいるはずだが、ぼくたちが「アメリカ」というとき、それはアメリカ合衆国を意味するけれど、じつは南米でアメリカといえば、南米すべてと「アメリカインディアン」を意味するのだろうと、今頃になってぼくは思う。

投稿者 玉井一匡 : 02:32 AM | コメント (3) | トラックバック

May 23, 2004

ユーリ・ノルシュテイン

harinezumi,jpg.jpg
ユーリ・ノルシュテインが来て「エイゼンシュテインとわたし」という話をしてくれるけれどi一緒に行かないかと娘が言ってきた。ユーリ・ノルシュテインは、ロシアのアニメーションと絵本の作家だが寡作、この20年くらいで数本の短編があるだけだ。「エイゼンシュテイン・シネマ・クラブ」というエイゼンシュテインの研究会が月に一度開く例会に、今回はゲストとして彼が招かれたのだった。

 

参加者10人くらいしかいないというこぢんまりした集まりなのに、6:15開始の予定にぼくは6:45分くらいについた。しかし、ノルシュテインの話も15分ほど遅れて始まったそうで差し引き15分の遅れですんだ。そっとドアを開けると30人くらいがいたのでちょっと安心した。
はなしは
・エイゼンシュテインの考え方と方法がいかにすぐれたものであるか
・それがノルシュテインにとっていかに大切なものであるか
・それを軸にして彼自身がどのような姿勢と方法で映画をつくっているか。

 それを、エイゼンシュテインの著作、バロージンというグルジアの詩人の生き方、日本で制作された「冬の日」というアニメーションの芭蕉の表現ということについて話した。ぼくは、映画の話なんだから自分の映画にかかわるスライドやビデオをつかうんだろうと思っていたのに、草稿やメモもない。そんなものの助けを借りなくても、言いたいこと伝えたいことがいっぱいあるのだろう。 途中ひと休みして、再開後に質問を受ることになったが、真摯に答えきわめて丁寧に説明してくれた。時折人なつっこい笑顔を見せる。
norsteintraslater.jpg
 最後に、通訳にうながされて「バロージンさんの言葉とは矛盾するけれど」といって「ユーリ・ノルシュテインの仕事」という8000円以上もする本の紹介をした。「日本でこんな立派な本を出してもらってとてもおどろきました。ロシアでもこういう本がつくられるといいんですが」と言う。その本が赤字をだしながら作られたこと、紙の選び方ひとつとっても、たいへん丁寧に作られた本であることなど通訳がそれに付け加えた。ロシアにはばかばかしいほどの大金持ちが出ているのに、一方ではこういう本が出版されないという文化状況が痛切に感じられる。

「芸術家は、自分自身は可能な限り小さな場所を占める」ようにするものだという「バロージンさん」のことばを引用したとおりに、自分がなにをしたかを伝えようというのではなく、自分が伝えたいことについて時間も忘れて話した。
エイゼンシュテインの「映画をつくるには、伝えたいと思うことが自分自身の中になければ何の意味もない」という言葉にもふれた。

「冬の日」は、NHKの三国志などの人形作家・川本喜三郎を中心にした「連句アニメーション」。34人のアニメーション作家が芭蕉を中心とする連句をアニメーションにしたもので、そのなかのひとりとしてノルシュテインは参加している。

投稿者 玉井一匡 : 10:50 PM | コメント (3) | トラックバック

October 24, 2003

エルミタージュ幻想

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  ギンレイホールでは、このところおもしろそうな映画が続いている。
今日まで「エルミタージュ幻想」「めぐりあう時間たち」が上映されている。映画にとって、時間は避けることのできない制限だ。限りないほどの数の画像が、ただひたすら一列に並んで時間軸に沿ってあらわれる。この制限の中で、時間という枠組そのものをつかって、表現の自由を手に入れようとしているのがこの組み合わせなのだと、「エルミタージュ」をみているうちにやっと気付いた。

それはちょっとはずかしいことなのかもしれない。「めぐりあう時間」の原題はなにしろ「hours」なのだし、「エルミタージュ」は90分ワンカットで撮影したことで話題になっていたのだから。

 「エルミタージュ」には期待が大きかったのに、疲れも手伝ってはじめは眠くて眠くて眠くてしかたない。いつのまにか居眠りさえしてしまった。映画はよけいな先入観を持たずに見たいと思っているから、ぼくはできるだけ予備知識を入れない。それが、この映画を見るには、ちょっと災いしたらしい。エルミタージュ美術館をつかってワンカットで撮った映画だということだけしか知らなかった。

 展示されている絵画の描く時間と場所、おびただしい数の舞踏会の女たち、建築の装飾、時間と人間と空間を大量にそして幾重にも入れ子にして盛り込んだ過剰。題材を聖書にしか求められなかった西欧絵画ばかりが出てくる。そんなことのせいでぼくは眠気にひきずりこまれた。が、しばらくして、にわかに目がさめた。
 舞踏会というもののバカバカしさが、帝政時代のロシアを経て明治初期の日本を思い出させたので、その前の時代までに日本が蓄積していたものは、西欧と比べたらはるかにいい線を行っていたのだなとつくづく思ったからだった。

 ヨーロッパの北のはずれのロシアは、西欧文化圏に入りたい一心で壮麗な宮殿をつくり美術品を集め、巨大な舞踏会を繰り拡げたのだろう。そのコレクションがおびただしく、宮殿が壮麗であるだけ、なおさらに背後にある劣等感が感じられて、ちょっと痛々しい。それがそのまま明治初期の日本と重なって、鹿鳴館に燕尾服をつけてつどい舞踏会の真似を始めたことの愚かしさを思いだす。
 
 鹿鳴館ごっこの愚かしさは、西欧のまねを上手にしてほめてもらおうとしたこと以上に、自分たちの文化が蓄積していたものをことごとく捨て去ろうとしたことにあるのではないか。寺を壊し、神社を天皇のもとに統一して土俗的な神社をつぶしたのも、ナショナリズムと見えて、じつはキリスト教のまねをしたのではなかったか。
 「世界」の東の果てにあった日本と「世界」の北隣にあったロシア。
エルミタージュは、「世界」に割り込もうとしつつ周囲の小国を踏みにじっていたロシアの鹿鳴館、逆に言えば鹿鳴館はささやかなエルミタージュなのだ。「世界」に加わりきれずにいるうちにくたびれたロシアの巨体に、ずっとあとからきた東の小国が戦って勝ってしまった。
ロシアが周辺の小国を踏みにじっていたように、その後の日本はアジアを蹂躙した。ひたすら前に進もうとする時間概念は、ひたすら広がろうとする空間感覚と自動的にリンクされているらしい。
アメリカンフットボールのように。アメリカ合衆国のように。

投稿者 玉井一匡 : 09:43 AM | コメント (1) | トラックバック