March 28, 2011

HELTER-SKELTERS:ヘルター・スケルター

Helter-Skelters.jpgClick to PopuP

 根津にあるカフェ・ノマドの店の奥、コンクリートブロックの壁に18枚の小さな絵が展示されている。どれも、上に行くほど細くなって高さを強調する塔に螺旋状のすべり台が巻き付いている。それをHelter-Skelterというそうだ。neonさんこと大倉ひとみさんの、小さな絵の小さな個展だ。
 これまで大倉さんの描いてきたのは、かつて遊郭だった家並みやひとけのなくなったアパートのような、かなしさとさみしさの重ね塗りされたすきまから微かに華やかさがこぼれるような絵が多い。前回の個展では、そういう絵たちの中に、たくさんの風船が浮かぶささやかな夢のようなものが数点あった。
このhelter-skelterたちは、ちょうどあの風船の浮かぶ絵のように、ひとときの、はかない華やかさがチャーミングだ。

 そもそものはじまりはHelter-Skelter/aki's STOCKTAKINGのエントリーだった。その写真を見て、大倉さんは無性に描きたくなったそうだが、ぼくも初めて写真を見て想像がひろがっていった。それは移動遊園地のはなやかさと、やがては終わりがきて日常に取って代わられる儚さのせいなのだろう。
 GoogleでさがすとThe Phrase Finder というサイトがあった。それによれば、ことばの方が先にあって、16世紀に書かれたものの中に残っている。螺旋の滑り台というhelter-skelterは1900年前後のfairground(博覧会のようなものをひらくための広場)から登場したと書かれている。語源が別にあるわけではなく、意味のない同じような音の単語をならべるということばの一種なのだという。この構築物は、1889年のパリ万国博でつくられたエッフェル塔と無関係ではないだろう。そう言われれば、イギリスの4人組グループフェアグラウンドアトラクション(Fair Groubd Attraction)の音楽の雰囲気にぴったりじゃないか。(The First of a Million Kisses/amazon) 彼らのグループ自身も、このアルバムが大ヒットしたが2年後に解散してしまった。仮設的、ノマド(遊牧民)的だ。

 ビートルズの曲にhelter-skelterというのがあることはよく知られているらしいが、ぼくは聴いたおぼえがないから、YouTubeでビートルズの演奏を聴いてみた。どのアルバムに入ってるのか調べてみると1968年の二枚組ホワイトアルバムの中の一曲で、こんな歌詞だ。上昇する前半、滑り降りる後半。ヨーロッパの大聖堂のドームは、てっぺんまで上れるようになっていることが多い。屋根裏の階段を周りながら上昇してたどりついたクーポラ(cupola)からドームの上に出てまちを見おろすと、帰りはまた階段を下るばかり。だが、ヘルタースケルターは小さいけれど、昇ったあとに滑り台を滑走する。それは下降ではなく、むしろ飛翔するための助走なのだ。

 iPodの設定を「repeat1」にして一曲だけを繰り返して聴いたら、ちょうど滑り台を何度も何度も繰り返すみたいだ。すべり降りたら、すぐにそれとつながるように上に昇ってゆくには、滑り台とは逆に回転してゆく螺旋階段が用意されているにちがいない、きっと。

■関連エントリー
展示中/N的画譚
Helter-Skelter/aki's STOCKTAKING
■関連サイト
 helter-skelterは、lighthouseにとてもよく似ている。lighthouseをさがしてみると、こんなにたくさんのlighthouseを紹介しているサイトがあった。
The Lighthouse Directory(世界の灯台についてのサイトが分かる)
wikipediaで「灯台」と「Lighthouseを比較して見ると、日本の古い時代の灯台はまったくちがう姿をしていたんだということがわかる。
Lighthouse/Wikipedia
灯台/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 11:30 PM | コメント (2)

October 31, 2010

THE COMPLETE HISTORIC MOCAMBO SESSION'54

mocambo54_1S.jpgClick to PopuPmocambo54_2S.jpg
 二つの写真は、いうまでもなくCDのジャケットだが、LPのジャケットのデザインをそのまま再現しているようだ。おもてには主な演奏者の名前が並び、裏面にはジャズピアニスト守安祥太郎の写真、そしてセッションとレコードについての解説がならんでいる。油井正一がそれを英語で書いているのは、なにもカッコをつけているのではなく、敗戦後まもない日本でこれほどの奏者がおり、かくも熱いセッションを繰り広げていたということを、外国にも知ってほしいと考えたからにちがいない。

 このセッションの行われた1954年7月、ぼくは8才にすぎないが、やっと二枚組のLPがつくられたのは1975年。セッションから21年が経っているが、僕はセッションそのものもレコードがつくられたこともそれがCDになったことさえ知らなかった。「野毛にちぐさがあった!」という催しで復元されたちぐさの椅子に腰をおろして一時間足らずのあいだレコードを聴いたあと、店主だった高田衛の「横浜ジャズ物語・ちぐさの59年」 「そして、風が走りぬけて行ったー天才ジャズピアニスト守安祥太郎の生涯」、秋吉敏子の自伝「ジャズと生きる」を読んで聞きかじったにすぎない。それだけに、こういう記録が残されたことの奇跡に感謝しながら演奏に胸躍らされた。

この解説で、油井正一はセッションの事情についてもふれているのが興味深いので、以下にそれを日本語訳しておく。

  * * ジャケットの解説の日本語訳 * * 

日本のモダンジャズの世界が黎明期にあるころの音を記録したものはほとんどない。当時、どのレコード会社も見向きもしなかったからである。
もし、岩味潔という当時19才の大学生が、自分で組み立てた機械を持ち込んでスコッチの紙製テープにこの歴史的セッションを録音するということが起こらなかったとしたら、このシーンは永久に記憶の霧の中に忘れ去られたわけだ。岩味は、いまNTVのスタジオでベテラン音響ディレクターとして活躍している。
この、三回目のモカンボ・ジャムセッションは、トップドラマー清水閏(じゅん)が長い病気治療から戻ってきたのを祝って、あのコメディアン ドラマー、ハナ肇がよびかけて、ベーシスト井出忠とギタリスト澤田駿吾の協力を得て実現したものだった。
さあ、なにはともあれ、音楽みずからに語ってもらおう。

驚くべきことに、このレコードで聴くミュージシャンたちは、いずれも現在なお健在で日本のジャズシーンの重要な一翼を担っている。とはいえ例外もないではない。鈴木寿夫はすでに第一線をしりぞき、守安祥太郎は1955年9月にみずから命を断った。

このアルバムには、秋吉敏子が「It’s Only A Paper Moon」でベースを弾くというサプライズがある。「It’s Only A Paper Moon」のセッションの始まろうとするときに非常事態が生じた。ベーシストがいなくなったのだ。そこで急遽、彼女がベースを弾くということになった。このセッションのあいだじゅう、ひどく緊張している様子を感じとることができるだろう。演奏中にきこえる女性の声は、ほかならぬ敏子である。

油井正一 “the Hot Club of Japan”代表

録音は1954年7月27〜28日,横浜のクラブ「Mocambo」オールナイトセッションで収録された。

   * * * 以上 * * *

 音楽は、時間に大部分を依存し支配される表現芸術だが、そのおかげで一本のテープがあれば表現の大部分を保存し再現することができる。もし、このテープが残されていなかったら、多くのひとはこのセッションの演奏をなにも知らずにいると思えば、慄然とすると同時に記録し残した岩味氏とその技術情熱には感謝せずにいられない。
 しかし、そう思うそばからもっとたくさんのことへと想像はひろがる。自然やまちや建物というテープに書き込まれている記録を、これまでぼくたちはこともなげにブルドーザーに手渡して、その一方ではテーマパークのわかりやすいが薄っぺらな表現に書き換えてきた。壊されたものは、もうほとんど復元が不可能だ。いや、自然も建物も記録を書き込まれるメディアであるまえに、それ自体が音であり演奏者なのだ。ぼくたちはそれをつぎつぎに消している。

 このレコードのレーベル「ROCKWELL」は、岩味潔、油井正一両氏が設立したもので、レーベルの名称は岩味の「岩」と油井の「井」を合わせたものだとmasaさんにおそわった。「そして、風が走りぬけて行った」には、著作権の切れる20年を待ってレコード化を実現させたことが書かれている。このレコードのためにROCKWELLを設立したのだとぼくは思いこんでいたが、ROCKWELLの公式サイトのプロフィールによれば、1956年すでにROCKWELLレコードは設立されている。
また、このセッションは清水が塀の向こう側から帰ってきたお祝いであったことや、このときヒロポンがたっぷり用意されていたことなども書かれている。今の時代なら大きな汚点としてマスコミの袋だたきにあうだろうが、かのサルトルもかつてはヒロポンを愛用したとインタビューで話しているドキュメンタリーをぼくは見たことがあるくらいだ。それもまた時代の背景を物語るエピソードだ。

 それにしても、だれかこの一夜を映画にしてくれないだろうか、関係者がまだ元気なうちに。日本のジャズ界を挙げての大事業だろうけれど、どうですか上海バンスキングの串田和美+斎藤憐コンビでも。

投稿者 玉井一匡 : 08:29 AM | コメント (10)

October 19, 2010

野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」再現

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 桜木町で仕事をおえた帰りがけ、改札の近くで「野毛にちぐさがあった!」と書かれているポスターに気づいた。会期はあと数日、会場の地図を見ると歩いて5分ほどで行けるし、7時まであと1時間くらいは残っているから戻ることにした。
 のちに錚々たるジャズプレイヤーになる若者たちのたむろしていた「ちぐさ」というジャズ喫茶が横浜にあったとは知っていたけれど、ぼくは一度も行ったことがない。その内装を期間限定で再現しているというのだ。masaさんがエントリーしたことのある古い自転車屋のすぐ近くにあるHANA*HANAという公共施設の中につくってあった。HANA*HANAというのは、このあたりの住居表示が花咲町というからなのだろう。
 学園祭で、教室の奥に店が作ってあるという雰囲気の展示だったっからちょっとハズレかと思ったが、当時のブレンドのコーヒー付き500円の入場料を払って店の中に入ると、壁天井の材料こそ合板を使っているがよくできている。9坪という小さな店に15,6人ほどが壁を背に腰掛けてほぼ満員だった。一番奥のスピーカーの隣に案内されると、壁一面のジャケットを見ながらレコードを聴き写真を撮ったりしているうちに僕は、ここのジャズ喫茶があと数日で壊される仮設の空間であることをいつのまにかすっかり忘れてしまい、気がついたら閉店のときには客はぼくひとりになっていた。

 帰ってから、masaさんも見たいと言いそうだと思って電話をすると「まだ読んでいないけれどぼくはその本を持っているから、今から持って行く」と言う。ブロンプトンを手に入れてから、彼は以前にましてフットワークが軽くなったのだがさすがに一度は遠慮したけれど、結局はお言葉に甘えることにした。

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 日々、成長・変化をつづけるmasaブロンプトンは、ハンドルが低くグリップもすてきなものに変わっていた。愛するものを持つ男は、生き生きとしている。masaさん宅配の本は "横浜ジャズ物語:「ちぐさ」の50年" という1985年刊の本だった。神奈川新聞に連載されたので、見開き2ページの短い単位で構成されている。

 帰りの電車の中で読み始めるととまらなくなって、駅から自宅までの道も読みつづけた。1933年というから、ドイツではナチが政権をとった年に主の吉田衛は店を開いた。戦争のさなかさえ「敵性音楽」を聞かせながら、上海バンスキングまでもうすこしという時代も、なんとかジャズの店を続ける。
やがてみずからも応召する。敗戦後、横浜に帰ると、数千枚のレコードを含め店は何もかも焼けていた。しかし、知人がレコードを提供してくれたおかげで店を再開する。戦争直後にジャズをやろうとしていた若者たちは、むさぼるようにしてレコードを聴きにやってきた。

 なにしろ店のコーヒーが10円のときにレコードが3000円もしたというんだから、コーヒー300円で換算しても現在の金額にして一枚90,000円、コーヒー500円とすればレコードが150,000円ということになる。九州から出てきたばかりの秋吉敏子にすればレコードなどとても買えるはずがない。この店にやってきては何回も何回も聞いて曲をおぼえたという。そんな若いジャズプレイヤーたちを思い浮かべると、アルバム一枚を数十秒でiPodに取り込むことのできる現在と、一枚のレコードを貪るようにしていた時代。どちらが多くのもの豊かなものを吸収できるのだろうと考える。そして、どちらがいい演奏を生むのだろう。腹一杯なのに皿に山盛りの料理を目の前に置かれているいまと、死にそうな空腹にたったひと皿だが新鮮な材料で名人が腕によりをかけた料理。
 さらに、3000円もするレコードを買って、わずか10円のコーヒー一杯でねばる客に何度も聴かせた吉田衛の方は、いいジャズを聴かせたい、そして、いい奏者を育てたいという思いで一杯だったのだ。

ChigusaAkiyoshiMailS.jpgChigusaPlateS.jpg 胸躍らせて読んでいると、さまざまなことを思い浮かべながらもう一度ちぐさに行ってみたいとぼくは思い始めたので、masaさんにメールを書いた。「この本はとてもおもしろい。明日までに読んでお返ししますから、masaさんも読んでみませんか?ぼくは、できればもう一度行ってみたくなった」と。「本はゆっくり読んでください、でも、また行くならぼくも一緒に行きたい」という返事がとどいたので、日曜に現地で集合した。
 この日は最終日だったからなかなか人が多くて、外で順番を待っている人を思うとあまりゆっくりできなかった。代わりに秋吉や石橋エータロー、植木等などからの手紙、戦争中に軍人のためアメリカ軍がつくったという「V-ディスク」の実物などをゆっくりと見た。米軍キャンプに演奏に行くと、ひそかに少しVディスクを連れ帰ったという逸話を思い出した。

 店を出たあと、まずはかつてちぐさがあったところを見にいった。平凡なマンションが建っている道路際の駐車場のさらに隅っこに、高田衛さんの横顔を描いたタイルがはめこまれていた。あの小さくてシンプルな、けれどもジャズにとってかけがえのない大切な役割を果たした空間を、ぼくたちの文化はそのまま残す力を持っていないのだ。店の常連たちがさまざまな資料を大切に保管しているし、なにより深く愛着をもっているひとが多いのだから、もうちょっと市やまちが手を貸せばいいというところなのに。
このあとにmasaさんに誘導されて見にいったちいさな看板建築(「野毛スリム」/kai-wai散策 )も、遠からず壊されてしまうのだろう。

■関連エントリー
野毛にジャズ喫茶「ちぐさ」があった!ちぐさアーカイブプロジェクトの軌跡/ヨコハマ経済新聞
「ちぐさ」/MADCONNECTION
「野毛スリム」/kai-wai散策

投稿者 玉井一匡 : 09:59 PM | コメント (19)

July 22, 2010

岩城里江子 求道会館ライブ

OkaeriSnowballS.jpgClick to PopuP スノードーム

 7月18日、本郷の求道会館に行った。
「レコ発ライブ」って、なんだろう?とはじめにチラシを見たときには思ったのだが、岩城里江子さんのレコード(CD)発売記念ライブなのだ。
 この日、ぼくは夜に新潟に行かなければならないので、しごとの切れのいいところで出ようなんて思っていたら気づいたときにはもうあと20分で開演という時間だ。あわてて南北線の地下鉄に跳び乗って「東大前」で下車、Googleマップを開いたiPhoneを片手に走っていくと、木造三階建ての下宿屋・本郷館がまだあった。解体されるといわれて見に来てからずいぶん経つのに、まだ生き延びたのかと安堵するが、「私有地 立入禁止」と書かれている。見学者が多くて迷惑しているのだろう。求道会館はその一軒おいた隣だ。

 玄関前にふたり、若者がいた。「はじまりました」と言ってくれる。一曲目が終わったらはいりますというのに、大丈夫ですとドアを開けてくれた。正面の中央にアコーディオンを抱えた里江さんが、満員の聴き手を前に演奏している。背後には、阿弥陀像だろう仏像が六角形をなす祭壇の中央にある。建物を一度見に来たことがあるのに、なんだか不思議な気がした。あとになって考えると寺院では僧が祭壇に向かってお経をあげるのに、里江さんは阿弥陀様にお尻を向けて人間たちに笑顔を見せているからだったのだろう。
 二曲目との間に、ふたりの娘たちといっしょにベンチにすべりこんだ。キリスト教会のような建物だが浄土真宗の建物なのだ。求道などと、肩に力の入った名称の会場で彼女がライブを開くことになった経緯をぼくはまだ聞いていないが、演奏を聴いているうちに、ここがふさわしいことだったと感じはじめた。僧が仏よりもひとびとに向かって語ること、僧でないひとも人々にむかって語りかけることとこそ、創設者がここをキリスト教会のような場所にした意図なのだろうと感じたからだ。

OkaeriPoudcakeBoyS.jpgClick to PopuP
 里江さんのCDのタイトルは『O-KA-E-RI』という。この一年間、ライブをせずに見たり感じたり聴いたり曲をつくったりして過ごしたあとに戻ってきたから、「おかえり」なのだ。
しかし、ふつうなら「ただいま」っていうだろうに自分に自分でおかえりなのか?ということに気づいたのは、数日後のことだった。この人のばあい、それが不自然なことに感じない。「おかえり」って言ってくれるたくさんのひとたちの立場に立っているからなのだろう。ステージにいる里江さんのほかに、向きを変えてもうひとりの里江さんが客席に座っているのだ。そういえば、「アコーディオンは鍵盤が演奏者には見えないんです。わたしは目をつぶって弾くから同じことですが」といっていた。もしかすると、このひとは演奏者である前に自分が聴き手だと思っているのではないか。文字を逆向きに読むと「RI-E、AKO」になるんですなんてことも言っていた。(「アコ」はアコーディオン)あちらからもこちらからも見るのが好きなんだね。

 あたりまえだが曲目は大部分がCDからの曲で、アコーディオンとのなれそめからメコンやハワイへの旅を話しながらの演奏がここちよい。音は演奏者からだけでなく上からもよこからも後ろからも、身体に染みこんでくるようだったのは、キリスト教会のような空間のせいなのかもしれない。アコーディオンは笙の笛がルーツらしいと、よく彼女は話すのだが、ぼくは、どこかで読んだことだったかやはり里江さんの話だったのか、そのむかしバグパイプの代わりに船乗りが持っていくようになったという話を思い出す。ひと月ほど前に、ぼくは初めてバグパイプを近くで目にしてちょっとだけ触らせてもらった。

 スノーボールを作ってもらったんだときいていたので、会場で実物をみつけるとすぐに手に取ってみた。雪ならぬ桜吹雪が、スキップをする里江さんに降り注ぐ。これは、スノーボール作者である友人がジャケットの写真からつくってくれたという。ジャケットの写真も友人の松浦範子さんがイラクに出発する寸前に撮影してくれたから夏に桜吹雪になったそうだし、おみやげにひとつずつ渡してくださったパウンドケーキは友人が焼いたものをその息子さんがずっと籠に入れて捧げ持って配ってくれた。たくさんの人たちがよろこんで支えている。
音楽も、ひとも、そして場所も、とても気持ちのいいライブだった。いつもの演奏がエネルギーに満ちたものであるとすれば、この日のライブはおだやかな風のようだった。

 会場の求道会館は、名称をまっすぐそのままの建築で、浄土真宗の僧・近角常観が、建築家武田五一に設計を依頼して設立された。おそらくキリスト教会における牧師と信者のような関係を仏教寺院にもつくりあげたいと考えられたのだろう。信長にさえ立ち向かった浄土真宗の門徒は、当時のキリスト教の影響も受けなかったはずはないのだから、もしかするとこういう形式の仏教教会がかつてはつくられていたのかもしれない。近角常観の孫にあたる近角真一氏が中心になって修復し東京都指定の有形文化財の指定を受けた。・・・などと知ったふうなことを書くけれど、ぼくがこの建築を知ったのは友人が教えてくれたからで、近角真一氏が学生時代一年後輩だったから、なおのこと興味をいだいたのだった。
 公式サイトによれば、設計に12年かけたが工事には6ヶ月、40年ほど使われたのち44年閉鎖され6年をかけて修復、今年で6年になる。
この時間の流れ方と、ここに注がれたもの、ここが生み出したもの。まわりのまちといいこの場所といい、ぼくはいつのどこにいるのかをすっかり忘れた。

■関連エントリー
O-KA-E-RI/aki's STOCKTAKING
O-KA-E-RI/kai-wai散策
荘厳なステージへO-KA-E-RI/LOVEGARDEN
ただいま/う・らくん家

投稿者 玉井一匡 : 11:35 PM | コメント (10)

April 27, 2010

浪曲の夕べ:伊丹秀敏師匠の三味線で浪曲を聴く

Itami2ReharsalS.jpgClick to PopuP

 よかった。ああ、たのしかった。演奏についてであるのはいうまでもないけれど、盛況になったこともうれしかった。
ぼくたちはすでに ほんの数十秒とはいえ演奏を耳にしていたからなおさらに待ち遠しく楽しみでならなかったけれど、それをなしにひとが集まってくださるかどうか気になった。ところが、十畳ひとつと八畳間ふたつをつなげて舞台をしつらえ椅子と座椅子が並べられた会場は満員になった。ぼくは3時間も前に松戸に着いていたのにちょっと外に出て戻ってきたら、おおかたの席はうずまっていて、一番前の2列だけに遠慮が座っているようだった。もうしわけないけれど、ぼくたちは前から2列目の座椅子にありがたく腰をおろすことにした。

 なにをかくそう、ぼくは浪曲を生で聴くのは初めてのことだったから浪曲三味線の解説がいちいち興味深く、好奇心が膨らんだところにすぐその場で音になるとあってはおもしろくてしかたない。これが花魁道中、こういうのが勇ましい場面だという説明のあとに鋭い眼差しでまっすぐに背を伸ばした秀敏師匠のはりつめた撥さばきが糸をはじく。三味線は太鼓に糸を張ったような珍しい楽器なんだそうだと言われて目を転じればなるほど四角い太鼓に棹をつけて糸を張ったものにちがいない。
 浪曲の三味線は背景を描き出し、かけ声が場面を転換させる。「三囲(みめぐり)稲荷の由来」では浪曲の伝統に則って、この日の主役である曲師はかげに隠れて富士路子さんがうたい語るのだ。障子のかげで糸をはじく演奏者が見えないから、音楽によって情景を表現する力がかえって増すのだ。目をつぶって聴いていると即興演奏なのだとは信じがたいほどだが、姿勢を崩さず表情も変えず情と風景を描き出す様子が目に浮かぶ。

Itami2BentohS.jpg穴子弁当を大きくする
 一部が解説、二部で実演、そのあとに折りたたみテーブルを拡げて第三部に控えし穴子弁当がまたうまかった。写真を拡大してください。これをつつきながらビールで師匠一行を囲む会でも運よくとなりに師匠ご自身がお座りになった。三味線を抱えて撥を手にしたときの厳しい顔つきからは一変して、すっかりやわらかい表情になった。わたしは天丼がいいとお選びになったが、こんどは穴子丼をすすめよう。

「どなたかとくに影響を受けた方はいらっしゃいますか?」とI氏が質問した。
「師匠の伊丹秀子さんです。あれほどの人は他にいない。美空ひばり以上の人がいないのと同じです。どこに行っても花道にも舞台にも人がいっぱいになりました」
「CDやレコードは買えるところがありますか?」
「浅草のイサミ堂にあります」
それほどの人を、ぼくは名前も知らなかった。niijimmaさんが、伊丹秀子さんについて「Across the Street Sounds」に「端座する名人の背は伸び撥踊る、声色許多で間を走る(2)」として、エントリーしていらっしゃる。

次回は5月15日、伊丹秀敏師匠と水乃金魚さんの二丁三味線を披露してくださるそうだ。
即興なので、よほど息が合っていないと二丁三味線はできないんだと、金魚さんはおっしゃる。こんどもまた楽しみだ。

■関連ブログ
席亭 宇「浪曲の夕べ」/kai-wai散策
宇 光景/kai-wai散策
端座する名人の背は伸び撥踊る、声色許多で間を走る(1)/Across the Street Sounds
端座する名人の背は伸び撥踊る、声色許多で間を走る(2)/Across the Street Sounds
三囲稲荷/Googleマップ

投稿者 玉井一匡 : 11:56 PM | コメント (6)

April 24, 2010

新島さんから送られたメール


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 一昨日の夜中、新島さんからメールをいただいた。ぼくは昨日の朝になって開いたのだが、3月22日の毎日新聞の記事と、浪曲の歴史について書かれた本からスキャンされた伊丹秀敏の師匠伊丹秀子の写真、同じ本に掲載されていた浪曲師の一派である桃中軒派の師弟関係の系図だった。新聞の記事は、浪曲の曲師・沢村豊子のDVDがつくられたという興味深い内容だ。
 新島さんのブログは「ACROSS THE STREET SOUDS」というタイトルに独特の語り口の文章で複雑に屈折させたサイトだ。先日のアイリッシュミュージックのライブでお会いしたときに浪曲三味線の会がひらかれることをお教えしたのだった。以前にも、石上がCDに焼いてくれた小唄のCDのことを話したら、とても興味をお持ちになったのでお貸ししたことがあったので、浪曲の三味線にも興味があるだろうと思ったのだ。

ちょうど浪曲三味線の会が開かれようという日の二日前に、この記事が掲載されたということにおどろいた。席亭宇の稲葉さんと桜井さんにも、さっそくメールを転送した。

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 記事によれば、沢村豊子は浪曲師・国本武春の曲師。国本武春は、NHKのトップランナーに出演したのを見たことがあるが、浪曲をラップミュージックのような新しい音楽として歌ったので、こんなことをやっている若いひとが浪曲界にいることに目を瞠った。
 ちょうどこの時期にこの記事が掲載されたのは、偶然ではないのではないか。伊丹秀敏の三味線に注目して開かれる会をアシストしようということなのかもしれない。国本が浪曲のニューウェーブとして現代に登場したのだとすれば、伊丹秀敏の三味線は、音楽として時代を超えた力を持っているとぼくたちは思った。ロックやジャズを聴いてきたが日本の芸能をほとんど聴いたことのなかったmasaさんをあれほどに惹きつける普遍性をもっているのではないか。
 wikipediaの「浪曲」という項目を開いて読んでいると「伊丹秀子」という名を見つけたので、これは伊丹秀敏と関わりがあるのではないかとメールに書いたところ、新島さんが浪曲の本の中から師弟関係を示す系図と師匠の写真を見つけて送ってくださったというわけだ。

投稿者 玉井一匡 : 09:00 AM | コメント (7)

April 20, 2010

伊丹秀敏の三味線 4月24日土曜日

ItamiHidetoshiS.jpgClick to PopuP
 まだまだ先のことだと思っていたが、伊丹秀敏さんの三味線をきく「浪曲の夕べ」が、もう今週の末に開かれる。ぼくは、あの三味線を聴くのが楽しみでしかたないのだ。

 いつのことだったか、音の具合を確かめるために伊丹さんが会場にいらして三味線をひいた。ためしに弾いただけのことだから聴き手は四人、時間もわずか数十秒ほどにすぎなかっただろうに、それだけに全身に染みこむすてきな音だった。ぼくたちが三味線に陶然としていると、同行の弟子の水乃金魚(みずのきんとと)さんが「師匠は浪曲もうたえるんです」とおっしゃる。じゃあぜひ唄もきかせてくだいと、言わずにいられなかったが、照れくさそうにしてなかなかウンと言わない。が、やがてじゃあと言ってアーだったろうか、ひと声ふた声出して様子を見たあとに西洋音楽で言えば一小節ほどをうたった。それがまた美しかった。それほどのひとが、あんなに照れるというのも、なんともいえず好もしく思われた。
 「浪曲をうなる」という言い方をするが、浪曲はうなるものばかりでなく、むしろうたうものなのではないか。きっと、うたう浪曲師は演歌を歌う人になってしまい、浪曲の世界にはうなる人が残ったということなのかもしれない。

ItamiPortraitS.jpgClick to PopuP 伊丹敏秀像(by masa)
 昨年、この会場・席亭 宇で講談の田辺一鶴さんの一門会が開かれた。その数ヶ月後、突然、一鶴さんが亡くなってしまった。今年になってから田辺一鶴を偲ぶ会が開かれ、それに出席して兄弟子の話などを聞いていると、一鶴さんの元気な最後の講談をきけたことは幸運なことだったと思いながら、こんなふうにして貴重な芸をもう二度ときけなくなってゆくということが、これから何度も起こるのだろうと思うとなんとも惜しくなってきた。 

 そんなことがあったあと、伊丹さんの三味線を聴く会を「席亭 宇」で開いたらどうだろうかと思いついてmasaさんに相談した。彼はアメリカの音楽を主にきいてきたので、日本の伝統的な芸能のことはほとんど知らなかったというが、玉川スミ米寿記念の会を見て、伴奏をしていたひとの三味線がとてもすてきだということを感じとって、その後も何度か演奏を聴きに行ったと聞いていた。
 玉川さんの舞台がはねたあと、ぼくたちが道で立ち話をしていると小屋の前でmasaさんが誰かと話しているのに気づいた。あとになって、あれはだれなのかと訊ねると、さっき三味線の伴奏をしていた人で、あまりによかったので話を聞いていたのだというのだ。ぼくは主役に目を向けるばかりだったのだろう、まったくそんなことに気づかなかった。しかし、masaさんが惚れ込むんだからきっといい三味線だろうと思っていた。
 そんなわけで、席亭 宇で伊丹さんの三味線を聴きたいとmasaさんに相談したのだが、彼はすぐに水乃金魚さんに電話で相談し、ぼくは席亭 宇の桜井さんに相談した。話はトントン拍子に進んで関宿屋の主・稲葉八朗さんと会場でお会いすることになったのだった。冒頭の話は、そのときのことだ。

ふつうの場合には浪曲の伴奏者は衝立のかげに隠れて演奏するから、客席からは見えないんだということも、会場の下見のときに水乃金魚さんにきいて驚いた。今回は、むしろ三味線と伊丹さんに焦点をあてて解説と浪曲を聴こうという、おそらく稀な機会であるということも、楽しみでしかたない理由のひとつだ。

「そこのおにいさん、おねえさん、聴かないと損をするよ。ワンドリンクと弁当つきで3,500円だよ」という声のきこえそうな柴又とは、江戸川をはさんで向かい合う位置に、松戸はあるのだ。

■関連エントリー
「浪曲三味線」はいかが?/kai-wai散策
曲師 伊丹秀敏/kai-wai散策
田辺一鶴翁/kai-wai散策
松くずし/kai-wai散策
田辺一鶴一門会/松戸「席亭・宇」/MyPlace
■浪曲
浪曲/wikipedia


投稿者 玉井一匡 : 12:00 PM | コメント (6)

April 11, 2010

「Irish meets Latin」というライブ

IrishMeetsLatinS.jpgClick to PopuP
 数日前に、いのうえさんからおさそいのメールをいただいた。
渋谷のスンダランドカフェで、「Irish meets Latin」というライブをやるから来ないかというのだった。アイリッシュミュージックのフィドルふたりとギターにパーカッション、それにラテンのパーカッションが加わるという。スンダランドカフェは、いのうえさんの友人Kさんの店で、昨年も一度いのうえさんと共通の友人といっしょに、ここで集まったことがあった。明治通り沿いのビルの5階に陣取っている。
 この日、ぼくは参加が遅くなったうえに先に帰らなくてはならず、あまりゆっくりできなかったのだが、このごろいろいろの場面や場所でアイリッシュあるいはケルトの文化に気づくことがあるので、ケルトミュージックをやる日本の若者たちの演奏に接したいと思った。

渋谷駅の反対側で仕事の打合せを終えたあとでスンダランドカフェに着いたときには、これが船だったら喫水線をこえているだろうと思われるほど店に満載された人たちはすでに盛り上がっていて、いのうえさん五十嵐さん新島さんの面々もとうに燃料がまわっているようだった。

 ぼくにとっては、アイルランドといえばイギリスの支配に対してしぶとく闘ってきたこと、北アイルランドではつい何年か前までは戦争状態が続いていたことなどがいつも念頭からはなれないので、「麦の穂を揺らす風」に描かれていた美しい風景と裏腹につらい闘いと悲しみがあったように、テンポの速く楽しいフィドルの裏にはいつも悲しみが流れているように感じられてしまう。
ここで演奏する陽気で気持ちのいい若者たちは、それをどんなふうに受け取り、感じたものをどう表現しようとしているのだろう。時間があればそんなことをきいてみたいと思っていたのだが、それはまたの機会にとっておくことにしようと思いつつ途中で席を立った。

投稿者 玉井一匡 : 05:21 PM | コメント (8)

February 04, 2010

岩城里江子 Live in Love Garden

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 岩城里江子さんは、これまでアコーディイオン二人という構成のデュオで演奏活動を続けてきたが、この一年ほどはたまにほかの人のライブにゲストとして出るくらいで、自分のライブ活動は休止して曲づくりなどに専念してきた。先日、ソロで再出発するライブを聴きにいった。ほかの聴き手たちも同じだろうが、ぼくは里江さんのアコーディオンの演奏とともに笑顔を見に行きたいと思っていた。

 会場のLoveGardenも、昨年は大きく変わった。ぼくは、数年前のkai-wai散策のエントリーでこの店を知ったのだが、じつをいえば京島の地名さえそのときに初めて知ったのだった。kai-wai散策の写真で、ガーデニングショップというカテゴリーを大きく逸脱するような面構えが衝撃的なくらいかっこよかったのでしばらくして行ってみると、長屋や下町らしい商店街が残る街の中に置かれたこの店はなおさら異彩を放っていたし、それでいてまちと馴染んでいるのだった。
昨年、店の主であるcenさんは、みずからコツコツと手を加えはじめて、すっかりその店を変えた。LOVE GARDENは、ガーデニングの腕とそれにかかわるものを売る店から、ひとが集まる場所になろうとしている。
その中に納まるギリギリいっぱいの30人ほどが、この日このライブに詰めかけた。

 里江さんは、久しぶりのライブとあってはじめひどく緊張していたらしい。だれだってそうだろうが、はじめのウォームアップの数曲は客も里江さんもほぐれなかったけれど、やがて彼女は自身からもぼくたちからも緊張をふき飛ばしてしまった。彼女のアコーディオンの身上は、音楽と笑顔になって彼女からこぼれ出す「生きるよろこび」といったものなのだということを、その時にあらためて感じさせられた。
 この充電期間に客演した昨年の秋もそうだった。ルー・タバキン・トリオのライブの前座・・・なんていってごめんなさい、ほかの言葉がわからないんだ・・・としてソロで演奏したのだが、トリオとセッションをやってみないかと突然に声を掛けられての初めてのジャズだというのに、ルー・タバキン・トリオの三人を相手に堂々と即興でわたりあった、両手いっぱいの笑顔とアコーディオンという楽器で。

 演奏が終わってからは、残った10人ほどが車座になって話がはずんだ。話題はおのずからアコーディオンという楽器にあつまる。ぼくたちはアコーディオンのことを知っているようでいて分からないことがたくさんあることに気づく。
11kgもの重さがあることも知らなかったが、笑顔で演奏している里江さんの両腕と腰は、つねに笑みを絶やさないシンクロナイズドスイミングの選手の水中に隠れた足と同じように、密かな忍耐が支えているのだ。
アコーディオンの一部を外して、その中の仕組も見せてくれた。cenさんは電気仕掛けがあることを予想していたそうだが、そこには見事な機械仕掛けがびっしりと詰め込んであって、もちろんICもコンデンサーもない。かつては人手をつかってフイゴから空気を送り出していたパイプオルガンの、演奏家とふいご吹きのしごとをたったひとりでやってしまうのがアコーディオン奏者なのだ。
 彼女のアコーディオンはコバが使っていたものだそうです。ところで、「ふいご」を漢字で書くと「」なのだと知りました。

 このまちには、東京スカイツリー という巨木が生長している。周りにも、大規模なマンションがあちらこちらに作られている。その代わりに、長屋や細くて親密な路地がどんどんなくなってゆく。その一方で、LOVE GARDENや里江さんのような小さくてもつよい力が、コロッケやちくわの天ぷらや豆腐をつくって売る店、鉢植えの植物、それらを買ってゆくたくさんのひとたちが、巨大なモノでなく人間の生活というタネを撒くことによって、都市を血の通った生き物にしてゆくのだ。

■関連エントリー
Rieko Iwaki ノスタルジー♬/LOVEGARDEN
ブルームーンの夜@ラブガーデン/らくん家
あの兄弟の小さいほうは船に乗って世界を駆け巡った/Across the Street Sounds
アコーディオンソロ@京島
ブルームーン@京島/東京クリップ
ルー タバキン @ WUU/kai-wai散策
ルー・タバキン+岩城里江/MyPlace
■アコーディオンとバンドネオンについて
アコーディオンの構造/アコーディオンの部屋
バンドネオンという楽器

投稿者 玉井一匡 : 11:37 PM | コメント (14)

September 10, 2009

ルー・タバキントリオ+岩城里江子

LewTabakin1.jpgClick to open this Jacket.
 昨夜、ルー・タバキン トリオのライブを聴いた。場所は、柏のライブハウス「studio WUU」だった。
  昨年の秋にも同じ場所で同じトリオの演奏を聴いた。そもそも去年このライブのことを、わたしが前座で演奏するといって教えてくれたのは岩城里江子さんだった。
ひどく感動したのに、エントリーしなかったのはなぜだったんだろうか、iPhoneしか手元になくていい写真が撮れなかったし、masaさんがすてきな写真といっしょにkai-wai散策にエントリーしていたから、もうそれで充分だと思ったのかもしれない。今年は、写真をとらないでほしいというのでまた写真がない。
 ところが今年は、思いがけぬ素敵なできごとが起きたので、エントリーをせずにいられなくなった。だから、昨年の演奏のあとに買って三人のサインをもらったCD「Lew Tabackin Trio Live in Paris」のジャケットを使うことにした。(このCDの演奏がまた、とてもいいんだ)
 去年と同じく演奏の前に、ぼくらが学生時代に「スイングジャーナル」の編集長だった児山紀芳さんがマイクの前に立って解説をした。

 「アメリカのジャズ雑誌が毎年、各国のジャズ批評家百数十人の投票によって楽器別に演奏家のランキングを発表します。ぼくは、日本からひとりだけ投票したんですが、ルーは昨年のフルート部門の二位でした。一位は90才の人だから、ルーは現役で実質一位ということになります。夕方に、彼らのリハーサルをこの会場で聴いているときに、まさしく『Soud filled the room(だったと思うが・・・)』という感じがしました。」
 一年前、ぼくたちが聴いたときにも、同じように感じたのだった。ぼくはルー・タバキンのことを秋吉敏子の夫君だという思いばかりが強かったので、演奏を聴くやその認識不足を即座に撤回した。テナーサックスの音の断片のひとつひとつが、身体に沁みこんでぼくたちをゆさぶるのだ。ステージと客席が同じ高さにあるうえに、ぼくたちはドラムのすぐとなりにいたからなおさら、あたかも空気を間にしないでじかにぼくたちのところに音がやってくるようだった。

 7時、演奏開始・・・「ルーが、どこかにいってしまって、まだ戻らないけれど始めます」といって岩城里江子さんがアコーディオンをかかえて椅子に腰をおろした。楽しげにゆるやかに自分自身の曲から入って、4曲が終わる頃にあわせたように、入り口の近くにちゃーんとヒゲの男が現れた。

 去年は驚きに圧倒されていたけれど、今年は、はじめはウォームアップのような気持ちで入っていった。曲が進んですっかり血のめぐりがよくなったところで休憩に入ったあと、後半戦の前にふたたび児山氏が登場した。前半はみなさんの拍手が少々控えめだったように感じたから、後半はもっと盛大にと誘導したあとで
「はじめに演奏した岩城里江子さんが、さいごにルーと一緒に演奏することになりました。ジャズの世界では、そんなふうにして若い演奏家が育ってきたんです」と締めくくった。あとから来る人たちをそうやって育てるのだとすれば、ステージはとてもすてきな学校なんだ。来年はルーと一緒にやってよと、昨年のライブのあとに言ったのが本当になった。

 後半戦にはいって、ぼくたちはテナーのサウナにどっぷりと浸されたり、フルートの涼しい風に吹かれたりしてすっかり心地よくなったあとに、里江さんが加わった。
曲は「枯葉」、ジャズではスタンダードナンバーだし、もともとアコーディオンにもぴったりだ。このひとは、初めてジャズのセッションをやるというのにいささかも動じない。
いつものあふれんばかりの笑顔で、サクス、ドラムを相手にかけあいを演じて楽しんでいる。
そういうところが、里江さんはほんとうに素敵なのだ。
最後に、ルーが里江さんのひたいにKISSをしてくれた。よくやったね、というしるしなのだろう。
 急にいわれたんだと言っていたが、リハーサルはやったんだろうなって思いながら岩城里江子さん自身のブログ「う・らくん家」をよんでみたら、この夜のセッションのことが内側から書かれている。それによれば中休みのときに児山さんから話を持ちかけられたんだそうだ。彼女の親友の松浦さんは「涙が出そうだった」と言ってた。ぼくたちは新たな満足でポケットをふくらませて、とっても得をした気分で人気の少ない電車のベンチを占有して帰った。
駅を降りていえまでの道で、「里江さんがルー・タバキンと一緒に演奏して、掛け合いまでやったよ」と携帯で娘に報告、よろこびを分かちあった。
■Lew Tabackin Trio
 Lew Tabackin : Tenor Sax/Flute
 Boris Kozlov : Bass
 Mark Taylor : Drums

投稿者 玉井一匡 : 11:59 PM | コメント (2)

September 24, 2007

ioraのライブを カフェ杏奴で

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もう一昨日の夜、またしても一斉エントリーに乗り遅れた。
通常の営業をとりやめて、カフェ杏奴でiora(アイオラ)のライブが開かれるドアを開けると、ぼくの顔見知りの一団は、すでに中二階の天井桟敷を占めていた。小学校から高校まで、学校の遠足などでバス移動するときには、いつもなぜか最後尾の席に陣取っていた。
演奏を生で聴くこともデュオの二人に会うことも初めてのことだったが、ぼくは杏奴においてあったCDを1年ほど前に買って聴いていたから音楽は知っているつもりだった。が、ききはじめるとギターの助っ人がひとり加わっただけで電気の力は何も借りていないのに、演奏はCDとは比べようもないくらい厚みと力があって心をさわがす。
どこからも見えるように聴けるようにするために選んだ結果、ステージは入り口のすぐ脇にある。ギンレイ会館地下のポルノ映画館「くらら劇場」の、スクリーンのすぐ横から客が入ってくるという非常識を思い出した。
外を走る車たちがひっきりなしに背景を横切る。ガラス越しに歩行者がのぞき込む。
こういう夾雑物が、演奏のためにつくられた場所にはないたのしさを増幅する。
ioraの音楽は、カフェ杏奴のありかたと近いところにあるのだ。
毎日のように、ここにやってきては作詞をしているそうだから、それも当たり前なのかもしれない。

「今日は、かなり年齢の上のかたもいらっしゃるので、カバー曲を歌います。」と、われわれに配慮をしめして歌ってくれた久保田早紀の「異邦人」を聴いて、彼らの音楽の方向が分かるような気がした。
市場、ざわめき、移動。

アンコールの2曲目、最後の最後に杏奴のママに一曲が贈られた。 「カフェ杏奴」
こんな歌詞ではじまる曲は、シンプルなメロディの繰り返しと、おだやかに漂うような間奏がここちよい。
歌詞に描かれる店の様子とそれぞれの記憶を重ねあわせて、共感の笑いがこぼれる。
思いがけぬ贈り物に涙ぐんでいるママの様子も伝染した。

11時を過ぎた頃に
少し早めのランチタイム
おてんとさまとご一緒に
カフェ杏奴にでかけましょう
カランコロンとドアベルが
鳴ればママさんお出迎え
好きなお席にどうぞどうぞ
地下と1階、中二階
カフェ杏奴、カフェ杏奴、カフェ杏奴、カフェ杏奴
詩:Momo/iora

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ioraの女声ヴォーカル、「桃ちゃん」には、もうひとつ特筆すべき特技がある。フェルトでいろんなもののミニチュアをつくってしまう。写真は、箱に入ったピザ、直径2cmくらいのサイズにトッピングはきっとサラミだろう。ピザケースの右下にはグリーンの瓶にはいったタバスコもある。切り取った一切れは、チーズが溶けてすこしこぼれようとしているのだろう、台よりもすこし大きい。芸がこまかい。こういうミニチュアが、杏奴の店のあちらこちらにたくさんおいてある。

じつは演奏の間ずっと、ぼくは音楽と胃袋の誘惑に引き裂かれていた。いや、両方の誘惑に身を委ねていたというべきかもしれない。小野寺さんから、少し遅れそうだという電話があったときいてわれわれが浅ましくも期待したとおり、両手にたくさんの料理を抱えて彼女は演奏開始直後に到着していた。そのメニューは、小野寺さんのブログに書かれているが、手作りの塩玉子の月をいれた手づくりの月餅を初めてごちそうになった。そこに写真のない酔鶏(酔っぱらい鶏)、それに椎茸のエビ餡詰めの写真を、ちょっとピンぼけだがぼくの記憶のために加えておきたい。

投稿者 玉井一匡 : 09:16 AM | コメント (8)

September 15, 2007

違うものがたくさん:Psalmライブ 新潟

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 玄関にたくさんの履物が雑然と脱ぎ散らかされている様子が、ぼくは好きらしい。
だからといって、整然としているのがきらいではないし、散らかっている玄関ならどれでもいいというわけではない。人間の生き生きしているざわめきのようなものが残されているのが感じられるのだろう。同じものはひとつもない履物たちがたくさん、さまざまに並んでいる。一組ずつは同じ方向を向いているから、そのひと組ずつが露天で、玄関が市場であるかのようだ。

 8月28日午後6:30平日の雨上がり、母の住む新潟のいえでPsalm(サーム)のライブをひらいた。 家は、50年と少し経った古い家を縮小、曵き家で屋敷林の中に移動して改造した。8畳の正方形が三つL型をなしてならんでいるから、その間の襖を外すとのひとつづきのスペースになる。さらに障子をとりはらえば両側の廊下も、さらに雨に洗われた樹々のみどりも硝子越しに続いて、なかなかすてきなライブスペースに姿を変えた。

  Psalmは25弦の箏とヴォーカル、かりん夕海。子供たちの多くは箏という楽器そのものを目にするのが初めてだし、舞台の高さのない同じ畳の上にいるから、目の前の演奏に少しずつにじり寄っていく。暗くなり始めたしずけさにかすかな弦の響きが浮かぶ中を、歩き始めたばかりのチビが、みんなの前をことばにならない音声をあげながらトコトコと歩いて横断したりする。それも音楽のひとつとして取り込もうとしていた。仕事を終えたご近所の家族、たまたま昼間に立ち寄ってこのことを知った夫妻が母上を伴って、また夜に再訪、前日に娘を連れてアメリカから帰ってきていたぼくの妹、その友人夫妻と多彩な顔ぶれになった。祖母のご近所の方々に、日頃の感謝のしるしに開きたいと夕海が言い出して、となりの杉山さんが広報役を買って出てくださった。そんな具合で、とてもいいライブになった。 (photo by masa)

 Psalmのふたりは、8月15日から北海道の二風谷から天草まで、かりんの運転するステップワゴンを駆って日本を縦断するツアーの途上にある。ライブと、ところによっては映画「もんしぇん」を上映する。
ポリネシアの先住民は空の星を読む伝統航海術を駆使して太平洋を自在にわたった。その航海術と血を受け継ぐ冒険家、ハワイのナイノア・トンプソンとそのチームが、ホクレアという双胴の帆船で世界を一周する航海をしていた。STAR NAVIGATIONというその航海のことを読んで、夕海はツアーをやりたいと思い立った。日本を縦断しながらそれぞれの場所で「うたになろうとしているもの」を見つけ、うたを作りながらライブをしてゆく。そしてそれをリアルタイムにウェブサイトに公開してゆくことでひろく共有する、というのだ。計画は、かなり壮大なものも立てたけれど、現実的なところに落ち着いて、ふたりの発掘とうたづくりと演奏の旅は、いま、その途上にある。
このツアーのために新しい曲をつくり、費用を捻出するためにそのうちの数曲を選んでCDをつくった。
多くの仲間が、仕事の時間の合間や深夜をやりくりして音やデザインやサイトをつくり、思いにすぎなかったものを現実につくりあげた。そうやってこのツアーのサイトPsalm-PsalmやCDができた。サイトの音もデザインも、とても美しい。ただ、サイトの更新が、なかなか人間の移動に追いつかないので、masaさんの写真は一枚だけひと足先にこちらでエントリーしました。

関連サイト
*kai-wai散策:Psalm ライブ@新潟
*Aross the Street Sound:Star Navigation(8)(kai-wai散策の常連のNiijima さんはStar NavigationとPsalmに興味をもち、これまでに何度もエントリーしてくださった)
*mF247:CDの中の一曲「時間を乗せた船」がダウンロードできます。一時総合ランキングで2位になりました。

投稿者 玉井一匡 : 03:03 AM | コメント (13)

August 24, 2007

NAT KING COLE EN ESPANOL

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 amazonの正方形の段ボール包装が宅配便で事務所に届いた。iGaさんからではないか。急いで開いてみると、予想通りCDだった。NAT KING COLE EN ESPANOL。
うーむ、MADCONNECTIONのエントリーに書かれていた、あのION iTTUSB05 USB Record Player をつかってLPからGarageBandでMacに取り込んだやつからつくられたCDだ。「こんど会ったら聴かせてね」という、かわいいコメントを書いたので、残暑見舞いとして送られたのだろう。人間、正直でなければならないということだなあ。サンキュ、iGaさん。
さて、さっそくCDプレーヤーに入れてみた。

 なかなかの音ではないか。スクラッチノイズは聞こえない。いつのまにか、素直にナット・キング・コールの美声にひかれてしまう。音のジューシーなところは少々減るのかもしれないが、それは音楽そのものの力によって補われるのだろう、期待以上の音だ。iPodに入れて一晩、冷凍庫で冷やしてから海岸に持って行って日向のキャンバスチェアに寝転がって聴くなら、とてもしあわせだろう。なんとかダイキリを片手に・・・、なんてことを言えないのが悔しいですが。
 と、思ってヘッドフォンで聞いてみると、この時代と今の音作りの違いというものか。スピーカーで聴いた音からすると、すっかり魅力が減ってしまう。スクラッチノイズを消すときに一緒に消されてしまうものがあるのだろう。CDで、オジさんらしく落ち着いてスピーカーで聴くというのがよさそうだ。Macの内蔵スピーカーで聞いても、ヘッドフォンよりもずっといい。
キング・コールの歌だけは、スピーカーでもヘッドフォンでも魅力を失わないのは、さすがだなあ。
iGaさん、あらためてありがとうございました。

投稿者 玉井一匡 : 04:10 PM | コメント (9)

February 06, 2006

mF247/音楽配信サイト & 脈動変光星


 mF247というサイトがある。昨年の年末につくられた。ことは音楽に限ったことではないが、数多く売れるわけではなくてもいい音楽というものがある。むしろ、いい音楽ほど沢山が売れるわけではないのかもしれない。レコード会社が企画をつくり広告をして、それを聴き手が買うという昔ながらのやりかたでは、そういう歌はなかなか売ることができない。聴いてもらうことも出来ない。iPodやiTunesの時代には作り手と聞き手を直接に結びつけることができる。そこでは、薄い層を相手にしても、広い範囲に知ってもらえば売ることができるはずだ。そういう意図でサイトがつくられた。開設者は丸山茂雄氏。もとソニー・ミュージックエンタテインメント 社長、ソニー・コンピュータエンタテインメントではプレイステーションを開発、会長、247ミュージック設立。丸山ワクチンの丸山千里博士の子息でもあるという。

ぼくたち聴き手側からすれば、このサイトで関心を持った曲をダウンロードすることができる。その前に30秒間試聴できる。作り手の希望する期間はキャンペーン期間としてダウンロード無料、それ以降は有料になる。データ形式はMP3だから、もちろんコンピューターにもiPodに入れられる。
曲は18のジャンルと総合のカテゴリーに分けられ、それぞれ時々刻々にダウンロード数のランキングが表示されるのだが、ややタイムラグがあるようだ。
作り手側にとっては、曲とプロフィールなどをmF247に送り、mF247がそれを審査した上でパスしたものはサイトに掲載される。登録と掲載料は有料だが、1月いっぱいまではキャンペーン期間で無料登録できる。
yotaka.jpg 無料期間の締め切りを間近にした先週に、映画「もんしぇん」のサウントラックの1曲、映画の最後に流される歌「脈動変光星」(作詞・作曲・歌:玉井夕海)を登録することできた。MP3に変換するのに苦労し、やっとできてアップロードしたら音質が悪かったりしてやっとのことでたどりついた。ブログもやっと同じ頃に始めることができた。iBookとの付き合いは長い割にはメールとワープロくらいにしか使っていなかった夕海には、いいトレーニングになったかもしれない。ひとつの曲を3つのジャンルに登録できるので、映画/ゲーム/アニメ、ポップス/ボーカル、童謡/唱歌の3ジャンルに登録した。今日現在、それぞれ2位、13位、1位というのは、なかなかいい線をいってるんだろう。10位までは、絵入りのリストで表示される。
映画の公開までは、まだしばらくかかりそうだが、これも映画の広報のひとつ。
ダウンロードして聞いてみてコメントなども書いてやってください。

投稿者 玉井一匡 : 11:00 PM | コメント (11) | トラックバック

February 21, 2005

小唄と舞台


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 小唄の演奏会があるんだが、おれはちょっといけなくなったから行ってみないかと、石上から電話があった。石上の傾倒しているひとも出るらしい。こんなことでもないとなかなか行く機会もないから、茅場町の証券会館ホールに足をはこんだ。飯田橋からは東西線一本で行けてしまう。JASDAQなんていうのが主要なテナントであるビルの6階だかのワンフロアを占めている。扉をあけたらこぢんまりとして落ち着いたなかなかいいホールだが、舞台のつくりが意外な形式で、まずはそれに興味をそそられた。

 舞台には、横長の額縁のようなのがふたつ、横並びになっている。左で演奏しているが、右のもうひとつは幕が引いてある。客席にはあちらこちらに空きがあるのに座席の一番後ろに立っている人が数人。演奏が終わるまで待っているらしい。まだ目が暗さに慣れないうちに演奏が終わったので、ぼくはちょっと腰をおって通路を小走りに前に行くと、腰を下ろすか下ろさないかないかのうちにこんどは右側の幕がひらき、左は幕が閉じられた。かならず唄い手が左に三味線の奏者が右に座る。誰だろうなにをやるんだろうとプログラムと舞台を見比べれば、ふたつの「額縁」のあいだに演目と演奏者が書かれている。寄席のように誰かがめくりに来ただろうかと考えているうちに、もう右の演奏が終わって、また左が開いて右が閉じる。
 その変わり目を、よーく見ていたら演目の書かれた紙を張った板が、タテ軸を中心にくるりと回転すると、つぎの演目が現れる。ちょうどむかしの野球のスコアボードに、イニングの変わり目に「1」などと白く書いた板を回転させるのと同じような仕掛けなのだった。演奏者の入れ替わりも、これにおとらずすこぶる能率的なしくみができていて、片方で演奏されているうちに反対側の幕のかげには、つぎの演奏者が座って準備している。幕の隙間から人の移動が見えるのだ。そういう仕組みがわかって好奇心を納得させると、やれやれ、やっと唄に耳を傾けられるようになった。

 こう申し上げるのはちょっ憚られるが、男女の情をうたう小唄というものの色っぽさを美しい高音できく心地よさと、目に入ってくる演奏者のお年、それらの間のギャップがちょっと痛々しい気がすることが多く、ぼくは唄の冒頭をちょっと見て、あとは目をつぶって耳にゆだねるようになった。そのことをメールに書くと、おれはそのギャップをむしろ楽しむことにしていると、石上からの返信が来た。
 本来は、お座敷で膝を接して香りや空気やひとの気配までも感じながら小唄を聞いて、しかも「ギャップ」のない状況に昔の旦那衆はいたのだから、文化というものが今とはずいぶん様子の違うものであったわけだ。祈りの対象とされていたのと美術館のケースに収められた彫刻になりはてた仏像のようなものだ。
 床の間がそうであるように、舞台のフレームはひとつの結界をつくる。それは、観客席にすわるわれわれとは違う非日常の場所があるという約束事を表現しているのでもあり、別のせかいのもつ魔性をあの向こうの筺の中に閉じこめておくための仕組みでもあるのだ。舞台というものが元々そういうものであるうえに、ここではその舞台の上に二重に筺をふたつ並べている。それが、演奏を滞りなく進めるための仕掛けでもあるのだと気づくと、二重の入れ籠がまたおもしろく感じられる。なにしろ、この演奏会では12時から午後6時まで続けられて60組の人々が演ずるのだから、効率よく進めるということは、とても大切なことなのだ。

投稿者 玉井一匡 : 01:54 AM | コメント (2) | トラックバック

December 10, 2003

サンキュ

DELICIOUS.jpg Click to Jump to Amazon
 いつから気になりはじめたのか思い出せないが、
ドリカムの「サンキュ」という歌について、時々ぼくは若いひとたちにきいてみることがある。
 主人公のともだちを、男だと思うか女と思うかということだ。
この歌を知っていそうな人にきくのだから、比較的若い人たちが多いのだが
その中でも、ある年令帯を境にしてそれより年長の世代は「女の子でしょう」と言うが、下の世代は「男の子だと思う」と言う。

 Be-eaterのサイトで「雌伏」ということばから始まって、「雄飛」「雌雄を決する」「星飛雄馬」などの言葉を取り上げて雄と雌についてのコメントが交わされて思い出したせいか、一昨日、20代後半と思われる女のひとに久しぶりにきいてみた。「意識して考えたこともないけれど、当然、女の子だと思っていました」と言う。3ヶ月ほど前に4年生の男子学生に尋ねたら「男だと思っていました」と答えた。世代との関係についての仮説から外れたのは、1度だけだった。

 ぼくは、女の子だろうと思っているのだが、うちの娘たちは2人とも、男の子だよといった。
「あれが男だったら魅力的な人間だとは思わない」とぼくが言うと、「女の子だったら当たり前だけど、男の子だから面白いんじゃないの」と返す。「たとえば**ちゃんなんか、いま会ったら、きっとああいう感じだよ」と20代なかばの長女がいう。**ちゃんとは小学校の同級生だった男の子のことだ。そうやって具体的な人間が出てくると、いいやつだとぼくも思っているから、大人になった**ちゃんのことを思い浮かべて男でもいいかなという気がした。

 ジェンダーというやつ、社会的に規定される性別によるふるまいの違いが、少なくなってきていることの現れなのだろうから、ぼくは、そのことをいいことだと思う。社会的な位置付けを意識しながら、それを利用しようとして「女らしく」振る舞おうとする女や「男らしく」突っ張ろうとする男などのわざとらしさが、ぼくは嫌いだ。にもかかわらず、歌を聞いていると思い浮かぶのは女の子なのだ。

ちなみに、「サンキュ」の歌詞は、つぎのようなものだ。ぼくの仮説によれば、吉田美和は、女の子の友だちだを思い浮かべる世代に属する。

何もきかずにつきあってくれてサンキュ
季節外れの花火、水張ったバケツ持って
煙に襲われて走りながら「きれい」
なみだ目で言うから
笑っちゃったじゃない。
来てくれてよかった。

何もいわずにつきあってくれてサンキュ
煙のにおい残る公園のブランコで
話のきっかけを探して
黙ったら急に鼻唄うたうから
笑っちゃったじゃない。
来てくれてよかった。

今日、彼にさよならしたんだ。
泣かなかったあたし、責めなかった。
えらかったねってあなたが言ってくれるから

ポロポロ弱い言葉こぼれてきそうになる。
好きだったのにな、言っちゃったあと泣けてきた。
また涙目のあなたを見て笑ってないた。
ちょっとかっこわるいけど
髪切るならつきあうよなんて
笑っちゃったじゃない。

来てくれてよかった。
来てくれてよかった。

今日はほんとうに
サンキュ

  作詞:吉田美和

投稿者 玉井一匡 : 11:39 AM | コメント (22) | トラックバック