February 07, 2011

李忠成 韓国系日本人

 Lee.jpgアジアカップの日本チームは、未調整での集合から出発し、はじめは先制点を与え、主力の負傷、レッドカード、アウェイのハンディキャップと次々とやってくる困難をすべて乗り越え、韓国とオーストラリアの二強をいずれも延長戦で直接に破って優勝するというこれ以上考えられない劇的な大会にしてしまった。ザッケローニは日本チームに合う、すぐれた監督であることを示した。さらに、この大会の最後を李忠成の美しいゴールで終わらせたことで完璧になった。国代表の試合が、ナショナリズムによる反目でなく、両者を結びつけることができるのを示したからだ。と、思いたいが、ことはそれほど単純ではない。

 日韓共催のワールドカップは、あきらかに日韓の関係を好転させる重要な契機になったが、李のゴールでそれがさらに新しい段階に行くだろうと思うが、それをかえって面白くないと思うナショナリストたちが両方の国にいるらしいことを、週刊誌の中吊り広告で知った。そう考える人間もいることはしかたないとしても、大手出版社の週刊誌の記事がそれに同調しているような扱いをしている。では、韓国のマスコミは李のゴールをどう扱っているのか知りたくなって「中央日報」と「東亜日報」の日本語サイトを開いてみた。

東亜日報では「日本の李忠成、決勝ゴールで英雄になった サッカーアジア杯」という見出しで、写真なしの記事だが好意的に書かれている。中央日報では、大きな写真入りで「“メード・イン・ジャパン韓国人”李忠成にインタビュー」という記事が掲載されている。彼は、かつて18歳以下のチームで韓国代表によばれたが、韓国語がうまくできずにそこでも疎外感を味わう。その後、北京オリンピックを目指す22歳以下の代表に呼ばれた時に日本国籍をとった。インタビューでは、この間のことや李忠成という氏名の文字をそのままに読み方だけ「ただなり」に変えて日本国籍を取得したことについて訊かれている。李はみずからを韓国系日本人と言っているのが新鮮に感じられた。
 この国は、南方の島々やアジア大陸や朝鮮半島からやってきた人類が住みついた島なのだ。人類が日本列島に起源をもつのでなければ、だれもがみんなどこかよそからやってきた。それは日本人が、じつは世界にひろく起源をもっているということだ。ぼくたちの世界がどこまでも拡がってゆくようで、なんともたのしくなるではないか。だれもが、どこか系の日本人なのだ。

 大会後には、イタリアで5連覇中のインテルが長友と移籍契約というエピローグまで用意されていた。できすぎかもしれない。

投稿者 玉井一匡 : 07:47 AM | コメント (4)

August 19, 2009

MUTO:落書が動く

MUTO.jpgclick to see animation on YouTube.

妹の息子マックスが、「これ、すごく面白いよ」とYouTubeを開いて見せた。すでに500万ものアクセスがある。
レンガ塀に描かれた絵がアニメーションとなって動き出す。タイトルは「MUTO」、作者は「BLU」というのだが、個人なのか集団なのかわからない。
どういうやつがつくったのだろうかとGoogleを「BLU」で検索してみると、じつに162,000,000件もあるうちの2番目に「BLU」のウェブサイトがある。ノートの写真をクリックしてVIDEOのタグを選び「MUTO」をクリックすれば「MUTO」のページが開く。

そこにも作者について書かれているものをみつけることができなかったが、アニメーションについては、少しわかってくる。ブエノスアイレスとBADENでつくったというのだが、BADENがどこにあるのか、Googleマップでさがしてもわからない。

「AN AMBIGUOUS ANIMATION PAINTED ON PUBLIC WALLS」というのは、まちの壁に描いた絵が動き出す不思議なアニメーションといったところだろうか。AMBIGUOUSは、辞書には「多義的な」とか「両義的な」と書かれているのだが、はじめに見たときにぼくは、AMPHIBIOUS(水陸両用の)と読み間違えたのだが、壁にも天井もうごきまわる男は、ある意味では両生類(amphibian)だなと思ったからだった。

「 MUTO IS RELEASED UNDER COMMON CREATIVE LICENCE」は、 CREATIVE COMMONの間違いだろう。「利益を目的としてつくられたものではないから、商業的な目的(テレビチャンネルや商業目的のウェブサイトなど)でなければ、複製、転載は自由」と続けられている。ベルリンの壁がそうであったように、「壁」というのは向こう側とこちら側をへだてるのもである。それを自由に動き回ることによって、「隔てるもの」を、自在に移動するフィールドに変えてしまう。箱の中から人体が湧きだし、身体から身体が脱皮する。どこの面も、2次元と三次元の間も自在に動き回る。
だからやはり両生類じゃないかなと、ぼくは思ってしまうのだ。

「Creative Commons」/Wikipedia(英語版)
「クリエイティブ・コモンズ」/Wikipedia(日本語版)
「Amphibian」/Wikipedia(英語版)
バーデンWikipedia(日本語版)

投稿者 玉井一匡 : 01:23 AM | コメント (7)

February 23, 2009

Tokyo Picnic Club:東京ピクニッククラブ

PicnicClub1.jpgClick to Fly them onto Newcastle/Gateshead
 2月20日の夜、HUMという集まりに参加した。
 正式な名称は武蔵住宅都市懇話会。メンバーのひとりが、自分の追求しているテーマについてレクチャーをする。それについて質疑・論議をおこない、のちに懇親会に移行する。住宅と都市についてある程度の共通する関心をもって高校の同窓生が集まるという会なのだ。そういうものがあるということは参加した友人の話で何年も前から知ってはいたが、ぼくはこれまで行ったことがなかった。今回は友人が転送してくれた案内のメールに好奇心を刺激されて、打合せで30分ほど遅れたからそっとドアをあけて入っていった。(むっ、40人ほどが席についていて、建築の内田祥哉先生や高校時代の数学の先生にして担任、のちに校長・大坪先生・・大先輩もいらっしゃる)
 話し手の太田浩史氏は、東京ピクニッククラブなるものを夫人とともに主宰している。遅れたせいで彼がピクニックに関心をもったきっかけについては聞き損ねたが、本職は建築家だ。彼は61期ぼくは38期、その差23。はじめぼくは、ピクニックなどという軟弱をちょっと気に入らないが何をやっているのだろうかと話を聞きはじめたのだが、聞くうちに行動力と企画にすっかり感心してしまった。

 太田氏は、イギリス人の蒐集したピクニックセットのコレクションをオークションで落札した。受け取りに行くと、ぼくは世界でいちばんのコレクターだから今度はきみが世界一になったんだよと言われる。
 東京ピクニッククラブは、あちらこちらの公園や公開空地、空き地(ブラウンフィールドと呼んでいる)、はては中央分離帯など、都市につくられながら放置に近い扱いをうけている空地(くうち)から何の手も加えられずにいる空き地にいたるまで、命をふきこみ、もちろんみずからは楽しむために、ラグを敷いてピクニックバスケットを開き酒食を楽しむ。
 デザイナー、フードコーディネイターなども加わり、さまざまなモノを企画・製作したり行動したりする。それについては東京ピクニッククラブのウェブサイトに詳しいのだが、サイトには、たとえばつぎのような項目がある。

*ピクニックの心得(15Rules):ピクニックをたのしむための15のルールの制定
公園や緑地の乏しい日本の都市に、ツールを用意し行動をくわだて、屋外に一時的とはいえ開放的生活空間をつくり出す行動とするべく15のルールを設けた。
たとえば RULE 02にはこうある・・・「 屋外の気候を活かすべきである.蒸し暑い日には涼風のナイトピクニック,寒い日には陽だまりのランチピクニック,適した時間と場所を見つけて楽しむべし」野生生物のように環境にみずからを適合させるのだ。

*Works:これまでにつくったモノ、行動したコト
 新しいピクニックセットのデザインの提案、Portable Lawn(キャスター付き可動芝生)のデザインと制作、ボディに芝生模様の塗装をほどこしたSMARTのデザインと制作・・・等々ピクニックをたのしむための29の実積があげられている。
PicnicClubAngel.jpgPicnicClubMilleniumBridgeS.jpg中でも特筆すべき「Work」はモノではなくピクノポリス(Picnopolis)とよぶイベントである。
イングランド北部の都市ニューカッスル/ゲイツヘッド(川をはさんで北にNewcastle Upon Tyne、南にGatesheadがある)から「ピクニック・イベントを企画 して欲しい」という依頼をうけておこなったものだ。公園の芝生の一部を飛行機の形に切り取る。そこに残された土には「Grass On Vacation」という看板を立てて芝生の不在を報せ、切り取った飛行機型の芝生はPortableLawnに姿を変えて期間中あちらこちらに移動する。その芝生(mother plane)に率いられるようにグリーンの飛行機型エアマットを配置につかせて10日間に10カ所でピクニックをひらいたのだ。
 ニューカッスル/ゲイツヘッドには、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドFCがある。巨大彫刻エンジェル・オブ・ノースや動く橋ミレニアムブリッジをつくった。12億円ずつ10年間にわたり、市が費用を負担してさまざまな施設をつくったりイベントをおこなったりする制度が設けられている。その一環としてこのイベントが行われたのだ。こういうことをやらせる自治体があり、それを導く政治家がいて、それをつくる市民が健全であるはずだ。
 エンジェルをつくったアントニー・ゴームリーは、はじめ市民の90%がこの彫刻に反対だったのに対して、何度も何度も訪れて市民に説明し対話をおこなった末にこれをつくった。そういう過程もアートの一部分なのだと彼は考えている、とてもすてきな人なんだと、この日の参加者のひとり田中孝樹氏は話してくれた。
 さらにその背景には、かつて産業革命を起こして牽引し、おそらくは工場労働者を劣悪な環境で働かせ、資源や販路を手に入れるために植民地を手に入れた時代があり、さらにはイギリスの産業の没落があっただろう。そこに橋やエンジェルのようなモノたちやを置いて活動をうながすことによって、この都市を再生させたのだ。

太田氏の本来の研究テーマは「都市再生」だという。

HUMの懇親会では、このイベントのときに地ビールの会社と提携してつくられた草の香りのビールの差し入れがあった。

■追記
 この芝の飛行機を見てエンジェル・オブ・ノースに似ていると思ったので、ぼくは会場でその関係について質問をしたのだが、そういえばJリーグ百年構想のMr.PITCHはあるく芝生だったなと思い出した。サッカーもイギリスに起源があるのだ。
 Google Earthでイギリスの郊外を飛行すると、羊の散在する牧草地がどこまでも続く風景が多くて、だらしなく都市が広がる日本の都市郊外と較べるとなんと美しいのかと、いつもうらやましく思う。芝生というものは、イギリスにとっては飼い慣らした自然のたいせつな記号なのだ。
 日本で芝生の意味するものは、決してイギリスと同じではないだろう。だからこそ、芝生を飛行機に見立てて英国にとんでゆくというのはうまい考え方だ。では、地形も歴史も違う日本にとって、イギリスの芝生にあたるものは何なんだろう。

 都市につれてきた自然のもとで人々が集うという意味では桜だ。芝生は下にひろがる床、桜は上をつつむ天井。芝生の広場にさくらが点在するというのが日本の公園の典型のひとつになったのは、慣れ親しんだ桜と西洋の芝をあわせた結果なのだ。
15Rulesの10番目に「ラグに上がりこむのではなく,ラグを囲んで座るべし.ラグは集まりの象徴であるから」とある。ラグは床ではなくテーブルというわけだ。日本の花見で毛氈の上に座るのは、毛氈で床をつくるからなのだ。
 
とにかく、花見を美しくたのしむにはブルーシートでなく、きもちのいいものを使うようにしたいものだ。

 

投稿者 玉井一匡 : 02:35 AM | コメント (8)

January 01, 2009

あけましておめでとうございます


Nenga2009Slim.jpg
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ブログとEメールの年賀状は味気ないといわれることがありますが
ほんとうに年が明けてからおめでとうございますと書いて
それがすぐに相手に届くのが、むしろきもちいいとぼくは感じます

先日、ある少人数の忘年会に飛び入り参加させていただくことになり
同世代の人たちだったので、何歳まで生きたいか、何歳まで生きるかというのを
それぞれが申告するということをしました

ぼくは、82才希望で82才満額達成という申告をしました。
いままで、あまりそういうことを考えたことがなかったので
時間に限りがあるのだということを、すこし感じるようになったようです。
あとになってみると、なかなか新鮮な気分になりました

あけましておめでとうございますといって気分がリセットされる風習はいいものですね
西行は、みずからの歌に詠んだとおりに花の頃に世を去ったそうですが
それは偶然ではなく、意図的なものだったという説がありますが
それは、最後まで意識的に生きたということだったのだろうとぼくは思うのです。

そんなわけで、リセットされたところで今年一年大切に生きようと思いをあらたにしています。

投稿者 玉井一匡 : 12:01 AM | コメント (24)

January 01, 2008

2008 新年おめでとうございます

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新年おめでとうございます。
ことしもよろしくおねがいします。

昨年は「我が家のお雑煮」を企画したので興味深いことでしたが、おかげで正月からblogでいそがしくもなりました。ことしはMacBookが入院中で正月は少しのんびりしようと思いますが、今年はもうすこし更新の頻度を増やそうと思います。
 還暦を過ぎて2年、一期一会ならぬ一干支一会を実感。これがさいごの子年のつもりで思いをあらたにしようと思います。ふたまわり前の子年はちょうどディズニーランドのオープンのときで、ミッキーマウス型の道路標識に×印つきのチェシー猫を貼り付けて「NO CATS」標識としたのをシルクスクリーンでプリントしました。
それを思えば、いろいろなことができるようになったものです。ことしもミッキーマウスに登場してもらいました。1週間前にギンレイホールで「レミーのおいしいレストラン」を見たので、2008年にはpixarのレミーとディズニーのミッキーの共演。

撮影のロケ地にGoogle Earthの富士山を選びました。Google Earthで真北(子の方角)に富士山を見る画面に、ミッキーの太陽とレミーのシルエットを置く。「レミーのおいしいレストラン」の原題はRATATOUILLE(ラタトゥーユ)だからミッキーをトマト色の太陽にしたからレミーはズッキーニ色にするといいのだけれど、どうも目立ちすぎてしまうので富士山の裾野を探してオリーブ色をスポイトで持ってきました。
 

投稿者 玉井一匡 : 12:05 AM | コメント (16)

January 01, 2006

新年おめでとうございます


 一昨年に始めたBlogサイトが、この2年たらずのあいだにぼくたちの場所をさまざまなかたちでひろげてくれました。たがいにサイトを読みコメントを書きトラックバックをはりつけることで、ほかのサイトの一部が自分のサイトと重なってゆく。ときにはそのネットワークがまちに飛び出していき、そこでは時間を遡ることもできた。若い世代の人たちが、古いものに潜む価値を読み取りそれを生き返らせることも知った。どれほど多くの層が重なってゆくか、はかりしれない。ぼくが現実の場所にこころざしている「MyPlace」のありかたとBlogのありかたには、思いのほか一致するところが多いことを実感しました。
 これが秘めている、現実の世界を変えてゆく力が、さまざまな人によってさまざまな形でさまざまな場所で目覚めさせられるかもしれないぞと思い始めています。
ことしもよろしく。
追伸:年末に、保証期間を3日すぎたときにまたiBookがダウン。正月休みに入って修理もできず、新潟にはひさしぶりにiBookを連れずにいくことなり、せっかくのんびりの正月なのに数日は更新できなくなってしまいました。

投稿者 玉井一匡 : 12:35 AM | コメント (6) | トラックバック

January 01, 2005

新年おめでとうございます

nenga2005.jpg
あけましておめでとうございます。
 昨年のようにうれしくないことの多かったあとでは、年が明けると時間がリセットされる気分になる日本の習慣が、今年はひときわありがたく感じられます。 ことしもよろしくお願いいたします。

ブログに年賀状の絵をのせて新年のごあいさつをするのは、今年で2回目になるのだけれど、年賀状のつくりかたとメディアが年ごとに変わって来たことが、そのまま世の中の画像表現の方法の変化を反映していたのだということを実感します。板、イモ、消しゴム、リノリウムなどをつかった版画から始まって、日光写真のようにして版をつくるシルクスクリーンを使っていた頃には、とうとう晴れの日がなくてスチレンボードを重ねて切り抜いた版画を正月になってからつくったことがありました。それがプリントゴッコのおかげで空の具合から自由になり、Macを手にしてからは、数えきれないほどの自由と可能性を手にしました。とはいえ、何を描くかというハードルを超えなければならにことには変わりがなく、年賀状というちいさなものにも、さまざまなものつくりと表現という問題がつめこまれていることを思いました。
 さらに、eメールに添付してお送りできるようになりました。それからまだ2、3年しか経っていないのに、さらにブログというメディアができたのです。
 なにしろぼくは、いつも年末まで絵ができあがらないものだから、年賀はがきは元旦にお届けすることができない。それに早々と「新年おめでとうございます」と書くより、実際に年があけてからのほうがどうも気持がいい。eメールのおかげで、年が明けてから、本当にことしのこととして文章を書き、しかも絵を添えて元旦の朝にお届けすることができるようになったことがなによりうれしく思われます。

 そして、ブログが登場して1年とすこしが経つと、ブログの何たるかが実感としてわかるようになりました。ブログで新年のごあいさつをするのは、eメールよりも、むしろ改まった感じがします。と思いながら、はがきとeメールのよさもそれぞれに捨てがたく、今年は、はがき・eメール・ブログという3本立てになりました。

 今年はよい年になるようにと願い、よい年にしようと気持をあらたにつつ、どうか本年もよろしくおねがいします。

投稿者 玉井一匡 : 04:22 AM | コメント (8) | トラックバック

January 04, 2004

あけましておめでとうございます

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 あけましておめでとうございます。無精なわたしなのに、年末にはコメントをたくさん書いて下さってありがとうございました。
 Blogとは何かをよく分からないままに、akiさんに背中を押されてこのサイトを開き、これまでのサイト「PAGE HOME」は放置してしまいました。いや、長い間サイトを放置したからBlogなら簡単に更新できるとakiさんに勧められたのでした。PAGE HOMEは、自由に書ける、他の人のサイトともリンクさせて間口を広げられる、雑誌のライブのようなものにしたいと考えてたのですから、その意味ではBlogはぴったりのメディアだったのです。
 今年は更新をこまめにしようと心を新たにしています。本年もよろしく。

投稿者 玉井一匡 : 03:21 PM | コメント (0) | トラックバック

October 14, 2003

nice to meet you

はじめに書いたエントリーの前半が、いつの間にか消されて、「nice site」というメッセージが残されていた。ゴミメールのしわざなのだろう。やり返せないのが悔しい。そもそもなにを書いていたか、もうおぼえていない。
以下の部分は、無事に残された。

**********

もう、何日を費やしたかも憶えていないくらい時間がかかった。なにしろその間に、去年の年末に買ったiBookはロジックボードをとりかえ、液晶ディスプレイとそのケースを交換し、そもそもはじめにハードディスクも替わったのだから、もうまったくの別人になっていた。

 かつて、NHKでやった「新石器時代」のインタビューを思い出した。大変な艱難辛苦の末に日本で初めて半導体をつくった人だったが、彼はこう言った。「私たちは、アメリカですでに半導体が作られたことを知っていたので、いつかはできると思っていた。できるかどうかも分からずに何もないところから初めて作るということと、必ずできるということを知っていて作ることの間には、とてつもない違いがあるんです」と。ぼくは、彼の謙虚さに胸を打たれると同時に、はじめて発見する、作るということの価値を改めて認識した。
 できるはずだと知りながら、ぼくは最後まで到達できなかったことをちょっと恥じた。しかし、それよりもつながった喜びがはるかにまさった。つなぐことが目的ではなくそこに書くこと、それをだれかに伝えることが目的だったのだから。「50を過ぎたらもう、そんな根気はなくなるんだからあきらめなさい」という秋山さんのことばが本当なのは、ちょっとしゃくだけれど。

投稿者 玉井一匡 : 07:07 PM | コメント (5) | トラックバック