November 13, 2010

正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために

TadasikusiruOndanka.jpg正しく知る地球温暖化/赤祖父俊一/誠文堂新光社

 この夏、ぼくたちはこれまで経験のないようなひどい暑さを経験した。にもかかわらず、今年の新聞やテレビがそれをCO2のせいだとした報道を、ぼくは読んだことも聞いたこともなかった。この本を読んだあとだったから、CO2温暖化説は間違いかもしれないという考え方をマスコミが受け容れたのではないかと思った。

 著者は、地球の温暖化は人間の活動によるCO2の排出よりも地球の自然現象が原因である可能性が高いと言う。それを裏づける多くの側面からの論証がデータと共に示してあって説得力がある。
 人間の生産と消費が急増してCO2の排出量が増えるようになる時期は1940年頃だが、それよりずっと前から、もともと地球は温暖化の基調にあって人間のCO2排出が増えてから温度の上昇率は変化したわけではない。したがって、人間の排出するCO2のために気温が上昇したわけではないと指摘する。地球は長期的には小氷河期からの回復期つまり温暖化の過程にあるのだと。

 以前にエントリーした「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」で広瀬隆氏が繰り広げた地球温暖化のCO2素原因説に対する批判の論拠は、広瀬氏自身が書いているように本書の著者・赤祖父氏に多くを負っている。広瀬氏がアジテーターであるとすれば赤祖父氏は理論的支柱なのだ。広瀬氏が語ると、その口調が熱いあまりにセンセーショナルに感じられてしまうけれど、この本で著者の展開する説明は、すこぶる冷静かつ具体的なので、IPCCはノーベル賞を返上せよという広瀬氏の主張ももっともだと考えさせる。

 本書は、CO2が地球の温暖化に影響を及ぼすことそのものを否定しているわけではないし、CO2の排出を減らす必要はないと言っているわけでもない。しかし、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は次のような間違いをおかしているのだと指摘している。
・すでに共通の認識となっている小氷河期の存在を考慮に入れていない。そのために、地球がそこからの回復過程の大きな周期の温暖化傾向にあることを見ずに、短期的な変動をもって人間由来のCO2排出によるものと見誤っている。
・IPCCは、世界中の研究者たちにスーパーコンピューターをつかってシミュレーションをおこなわせ気温の上昇を算出したが、考慮すべき条件で無視しているものがあり、その上でどのようなシミュレーションをしたところで正しい結論は得られない。
・本来、科学とは、仮説を提示したあとでさまざまな検証を経てそれが認められ、そのうえで必要であれば政治的な対応が図られるものである。にもかかわらず、CO2による温暖化については、まだ十分な検証がなされないまま、政治の道具にされている。

その結果、次のような問題が生じている。
・CO2排出制限の方法をめぐり先進国と新興国・途上国の対立が顕著になった。
・飢餓、汚染、乱獲、森林伐採、など、直接に多くの人命や環境に関わり緊急に取り組むべき問題があるにもかかわらず、それらへの対処が後回しになっている。
・CO2排出に焦点があたるようになった結果、電気をクリーンエネルギーとして、原子力発電を容認しようとしている。

 温暖化を象徴する現象としてぼくたちが何度も何度も見た映像には、温暖化とは無関係な、できごとが使われていることも指摘する。たとえば氷河がドドウと崩壊するショッキングな映像に、ぼくたちは大変なことが起きていると驚愕する。しかし、そもそも氷河というものは山の上から下に移動してくるものだから、その先端では氷が割れて崩れ落ち、最後には海に流れるものなのだ。
 原子力は、電気を消費するときにも発電時にもCO2を出さないかもしれない。しかし、原発が作り出すエネルギーのうち電気になるのは30%にすぎず残りは熱として捨てられる。言い換えれば直接に海や大気を暖めているのだ。さらに核物質には、事故が起きれば広大な範囲の莫大な生物に対して被害を及ぼし、長期的に影響がつづき、廃棄物の処理や原子炉の解体にともなう危険の問題も解決していない。すぐに原子力発電をやめるのは無理であるとしても、少なくとも将来はやめることをめざすべきだと、多くの国で考えられていたはずだ。

 赤祖父俊一氏は、オーロラなど極地気象の世界的権威で、アラスカ大学地球物理学研究所教授を経てアラスカ大学国際北極圏研究センターの所長をつとめ、極地の気候についての研究を総合的に見るという立場にあった人である。つまり、温暖化の影響が直接的に表れる場所の気象を総合的に研究してきた人だ。他者の研究に対しても自身の眼で評価することができる人だと考えるのが自然だろう。
 かつて、同じように間違った状況認識にもとづいて主要な国が行動したことがあった。大量破壊兵器が作られているとするアメリカが主張し、それにわれわれの政府も同調してイラクを攻撃した。その結果が、いまも双方に作り出されている多数の死と憎しみではないか。

■関連エントリー
「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」/MyPlace
「不都合な真実」と「恐怖の存在」/MyPlace
■参照ウェブサイト
赤祖父俊一/wikipedia
■以下の参考ウェブサイトは、「 二酸化炭層温暖化説の崩壊」/MyPlaceにも挙げてあります。
IPCC公式ウェブサイト
*地球環境・気象/気象庁公式ウェブサイト
地球温暖化/wikipedia
気候変動に関する政府間パネル 略称:IPCC/日本語wikipedia
Intergovernmental Panel on Climate Change/Wikipedia

投稿者 玉井一匡 : 04:38 AM | コメント (2)

April 27, 2006

「立花隆が探るサイボーグの衝撃」

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 4月24日の22:00からNHKで放映された「立花隆が探るサイボーグの衝撃」は、文字通り衝撃的な内容だった。昨年末に放送された「サイボーグ技術が人類を変える」という番組を再編集したものらしい。人間の脳について、つまり「人間とは何か」について、これまで立花隆は探求して来た。人間の脳と身体を技術と結ぶ接点にあるのがサイボーグ技術である。さまざまなサイボーグ技術とサイボーグになろうとしている人たちと、その研究者たちに立花がインタビューをしてまわる。この技術が人間に何をもたらすのかを考えようというのだ。かつて、SFの世界のことだと考えていた技術が現実になろうとしているのがわかる。
 サイボーグとは、身体の一部を機械によっておきかえた人のことだから、現在でも、入れ歯や心臓のペースメーカーを使っている人は広義にはサイボーグなんだとアニメーション作家押井守は言うが、手足を動かすこととのあいだには大きな飛躍的な違いがある。心臓や入れ歯とはちがって、腕や足は人間の意思によって自在に動かさねばならない。したがって人間の脳から信号を送るのに加えて、脳に信号を送り返す技術を必要とする。コンピュータの指示で機械が動くことは、限定された範囲でロボットたちが実現した。もうひとつ先へゆくことが、遠からずできるというのだ。これらの技術が実現しようとしていることは、SFの想像力の世界ではとうに語り尽くされたことかもしれない。しかし、それが小説や映画のなかにあって、いつかはできるだろうと思うことと、近い将来に現実に可能性をもつこととは、はかりしれない違いがある。ぼくたちはだれもがいずれは死んでしまうことを知っていることと、ガンで余命を告知された現実の死ほどに違うだろう。

BrainMachine3.jpg BrainMachine4.jpg事故で両腕を失った人がでてくる。切断された腕や手に代わって機械仕掛けの腕を肩に取り付けて、脳から肩の筋肉まで届けられた電気信号を拾って指と腕を動かす。人間の身体的な障害をおぎなってくれる感動的な技術だ。
 身体を動かす信号の授受をさらに進めて、神経や筋肉を介在させずに脳の電気信号そのものによって、人工的な身体を直かにコントロールすることもできる。たとえば、眼鏡に取り付けたビデオカメラの映像を脳に送って、眼球を失った人に視覚を復活させることが、不十分ながら実現している。ここまでは神の技術だ。
しかし、脳と機械をじかに電気信号でむすぶという技術は、別の目的に使えば、目で敵をみつけ、銃を構え狙いをさだめ発射するという動作を、脳からの信号をじかに機械的な腕に送り、武器を発射するまでの時間を極端に短縮することができる。
 情報を遠隔地に送ってサイボーグを制御する実験も見せる。ラップトップ・コンピューターからインターネットを通じてネズミの脳に電気信号をおくり、右折左折を指示して自在に行動させるのだ。ネズミの頭の上に取り付けたビデオカメラが取り込んだ画像を、やはりインターネットを介して逆にコンピューターに送り、ネズミのいる場所の画像をディスプレイで見る。たとえば、遠い国のどこかの部屋の中を、リアルタイムの映像として盗み見ることができるわけだ。脳の信号をうけとってそれをインターネットで送り、地球上のどこにあるのもであろうと、機械を思うように動かすことができるとすれば、どこかの超大国の大統領が考えるだけで、「ならず者国家」の「抵抗勢力」を殺すことができる。SFで見慣れた、ロボットによる代理戦争まで、あと一歩のとろころまで来ているのだ。「われわれがやらなければ、どこか他の国がつくるだろう。そうならないために、われわれはこういう研究を続けなければならないんだ」と米軍は言う。

 技術が存在すれば、かならず発達し使われる。ひとつの技術に、障害者や高齢者のためのやさしいつかいかたと、人を殺し街を破壊する使い方の対極があるのは、あらゆる技術に共通することだ。サイボーグ技術は障害者のハンディキャップをなくすだろうが、もっと多くの障害者や死者をつくりだすだろう。そう思うと、番組を見終わって、ぼくはひどく無力感に教われた。
こういう未来と技術に対して人間はどうあるべきかについて、立花が河合隼雄に意見を求めるが、軍事利用の危険を語るものの、これに対して人間がどう向き合うべきかについては、ユング派心理学の権威すらまだ何も言えない。だとすれば、まずは気を取り直して僕たちは、現在あるもの今ある生命をよく識り大切にすること、生きることがすてきなことだと、だれもが思えるようにするということか。
東大立花隆ゼミのつくるサイト「サイ」(SCI)には、サイボーグ技術など、先端技術についての詳しいレポートがある。

投稿者 玉井一匡 : 11:00 AM | コメント (7) | トラックバック

January 19, 2005

UNCOVER HUMAN BODY

秋山さんから宅急便が届いた。段ボールの包みを開くと、aki's STOCKTAKINGに書かれていた
「HUMAN BODY」が出てきた。
ウームおもしろいと、この本について感動しつつ、いつもながらこういうものを見つけてくる秋山さんの嗅覚にも感心してしまう。
人体を9つのレイアにわけてあって、ページをひらくごとにプラスティックの内蔵模型がひとつはずされてゆく。9つのレイアは・・・1)皮膚系 2)骨格系1:頭蓋骨・肋骨・骨盤 3)骨格系2:腕・足 4)消化器系 5)泌尿系 6)循環器系 7)呼吸器系 8)筋肉系 9)神経系:脳・神経・背骨・骨盤 である。
ぼくはすっかり感心してしまって、こんな風に書いてみたんだが、文字になったものを見てみると、この絵本の持っているすてきなところが何も伝わらない。言いかえれば、文字でも、絵でも、あるいはコンピューターでも伝えられないもの、この本じゃなければ伝えられないものを豊富に持っているということなのだ。

 まず、人体の中身が上下に(人体を寝かした状態にして)重ねられていると考えついたことにもぼくはいたく感心したのだが、人体が解剖台や手術台に載せられると、解剖する時にも手術するときにも、医者はこういうふうにして順番に中身をとりだすのだろうと気づいた。だから彼らの頭の中には、人体の中身がこう重ねられている地図が描かれているんだろう。
 amazon.comで見ると、この本は8-12才向けとされているのに、読んでみるといい年の大人さえ感心してしまうところが少なくない。人体のシステムの模型を中心において、周囲に細かいイラストつきの説明があって、表側のページには内蔵の仕組みの説明、裏のページには機能についての説明がある。たとえば表ページで腎臓のメカニズムについての説明を読んでから裏を見ると、大人で1日に8オンスグラスで8杯の水が必要だが、ノドが渇いてから飲んだんじゃ遅いんだとか、出たばっかりのオシッコは無菌で、飲めるくらいきれいなんだなんて書いてあって、とても説得力がある。もちろん、表のページからは模型の表側が、裏ページからは腎臓の裏側がみられる。
 
 昼飯を食べながらページをめくって、あらためて人体のメカニズムの精妙さに感心した。これまで、自分の身体については病気のことや体力の強化などについて考えることはあっても、それを材料にして生物学の基本を考えようという気にはならなかった。自己を対象化しようとしなかったわけだ。この本と、まだぱらぱらと開いてみただけだが「ヒトのからだ」のおかげで、ちょっと考え方を改めることになりそうだ。人体の不思議展にもいかなければならいな。
 コストコがそばにあることにも羨望しました。

投稿者 玉井一匡 : 12:26 PM | コメント (1) | トラックバック

March 11, 2004

LPを読むソフト

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塚原が、メールでこんなサイトを教えてくれた。・・・・・1980年代、LPレコードの盤のパターンを1分足らずのあいだ見ただけで、曲名をあててしまうという人がフィラデルフィアにいた。それから20年あまり経って、先頃イスラエルの学生が、レコードのパターンをフラットヘッドスキャナーで読みとって、それで音楽を再生するというソフトを作り出した・・・という。

 レコードの溝は、螺旋を描いてはいるにせよ、あくまでも1本の線をたどって音を再生する、いわば1次元の情報である。しかし、このアイディアはレコードを2次元の面のパターンとしてとらえてしまおうという考え方が独創的だ。このような観点の転換は、力ずくの技術進歩とはちがって、頭をつかった飛躍だから、ぼくはとても感心してしまう。力ずくの進歩は、大きな資金や権力をもつ組織なら自動的にできてしまうけれど、こういう飛躍は、大組織でも頭を使えない連中にはできないが、個人や小さな組織でも頭がよくて頭を使うことができれば可能なのだ。
 しかし、これは実用にはならないというのだ。とても残念なことだが、このアイディアの独創性そのものの価値は変わらないと、ぼくは思う。

詳細については下記のサイトを読んで下さい。この技術によって再生した音のサンプルも聞くことができます。
Digital Needle - A Virtual Gramophone

投稿者 玉井一匡 : 09:14 PM | コメント (0) | トラックバック