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<title>MyPlace</title>
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<description>あらゆる場所が、その一部は君のものだ。
もちろんきみの庭、隣の庭の花、前の道、歩く道の緑、行きつけの店。　ここは大部分が、そこは少しだけ、あそこはわずかに。
同じように君の玄関の木蔭も少しは通りがかりの人のもの。　たがいにそう思って生活し、それをうながすようにいえや建物を作れば、だれもがもっと広い場所をもつことができる。
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<title>春海運河（はるみうんが）の鉄橋</title>
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<description>Click to PopuP kai-wai散策で、豊洲に残されている魅力的な鉄橋の写真を見た。masaさんは、ここはニューヨークのHIGH LINEのようにできるんじゃないだろうかと言って、以前にぼくがエントリーした「High Line：ニューヨークの高架鉄道あとの再生」にリンクしてくださった。Googleマップでここを上空から見下ろすと、大きな橋と伴走するように細い鉄橋が平行していて、運河沿いの遊歩道の対岸には生コン工場がある。かつては、埋め立て地にある工場と港の間を原材料や製品を乗せて行き来する鉄道が運行されていたのだろう。 　HIGH LINEは牛や豚を乗せて港と屠殺場のあいだを行き来する鉄道だったのだから、たしかに共通するところがある。乗客を乗せて行き来することはなかったのだ。ぼくは鉄道ファンではけっしてないけれど、古い時代の鉄道とその施設の無駄のない美しさにひかれる。すぐに見たくなって、masaさんに電話をかけて場所を確認すると、さっそく次の日曜日に行くことにした。masaさんもつきあうよと言う。 　有楽町線の豊洲駅で降り、たくさんの人たちでにぎわうショッピングセンターを通り抜けると目の前に運河が広がった。かつての造船所のドックの一部を再利用して船着場がつくられている。そこに立って川上を見ると前方にあの鉄橋がある。上空からはあんなに細い鉄橋だったのに、こうして見ると鉄橋の方が美しい。横から見ると、けっして細くはないが美しい。 　松本零士がデザインした遊覧船「ヒミコ」が、かつてのドックを改造した船着き場を出て浅草に向かっていった。みるみるうちに運河を遡って、あの鉄橋の下をくぐり隅田川へ消えていった。ヒミコは、連続する一枚の曲面をなす皮膜で覆われている。鉄橋はアーチから下げた直線が橋桁を吊っている。古典的な力学と、いまではもう先端の技術ではなくなった鉄という金属の実直がきわだってとても好ましい。...</description>
<dc:subject>Place</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-08-30T00:43:53+09:00</dc:date>
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<title>ワイナリーのしあわせな猫たち</title>
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<description>　Click to PopuP 　ぼくは犬と暮らしたことは多いけれどネコを飼ったことはない。だからネコの生態をあまりよく知らないので、かれらの行動の理由と意味について勝手に想像をめぐらすことができる。 このネコたちは、ぼくがそばを通ってもカメラを向けても、いっこうに気にかけない。すこぶる自由に気ままに、暑い夏を生きているようで、ひんやりとしたタイルの上に爆睡してるやつ、木の枝に下げてもらった手製のネットベッドの上でチェシャ猫を気取って人間を見下ろしているやつ。以前にエントリーしたラオスのホテルにいた犬も、暑さをかわしながらしあわせそうに生きているのが、とても魅力的だったけれど、このネコたちはあの犬とはまた別の自由を生きて人間のそばにいながら超然としている。かなり汚れているから野良ネコと飼いネコと小型野生猛獣のあいだにいるようでかっこいい。 　ここにたくさんのネコがいるのはわけがある・・・と、ぼくは思う。かれらの住んでいるところは「カーブドッチ」というワイナリーなのだ。おそらく、ワイナリーにはネズミが住みたがる、もちろんネズミに住んでもらいたくはない。そこで、かれらの出番になったにちがいない。それに、葡萄は鳥たちの食欲をそそるから、彼らに睨みを利かせてもらう必要もあるだろう。...</description>
<dc:subject>Place</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-08-17T23:00:26+09:00</dc:date>
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<title>それでも、日本人は『戦争」を選んだ</title>
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<description>http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国憲法前文
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国憲法</description>
<dc:subject>Books</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-08-14T08:30:00+09:00</dc:date>
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<title>LA VIE EN ROSE</title>
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<description>Click to PopuP 　LA VIE EN ROSEと名付けられたクレープは、渋谷に新しくできたクレープリー　ティ・ロランド（Creperie Ti Rolande）の看板メニューだ。なるほど・・・バラの花に見立てたんだね。 　と思いながら、ためらいつつ思い切ってナイフを入れ、フォークですくって口にはこぶと、かすかにバラの香りを漂わせる「花びら」に包まれているのは苺のシャーベットで、透けて見えたのは生のブルーベリー。フランス人の若いシェフ、ジュリアンの力作だ。 　このクレープは特別に華やかだが、他のクレープやガレットはむしろ地味で素朴だ。パリのモンパルナスにはクレープ屋が多いそうだが、中でも一番の老舗 Ti Jos（ティジョス）の女主人ロランドさん直伝のスタイルは円形を二回ふたつ折りにして扇形にたたむ伝統的なやり方だから、中身が見えにくい質実剛健なのだ。両面を焼かなきゃだめよという。 　この店の名の「Rolande」は、彼女の名前からとったのは言うまでもないが、「Ti」はブルターニュ語の「・・・のうちへ」という意味の前置詞で、フランス語でレストランの名前などによく使われる「chez」と同じだ。こういう店名のつけかたは他の国にあるとはきいたことがない。おとずれるひとの動き、むかえるひとの気持ちが思い浮かぶようで、ぼくはとても好きだ。彼女は蕎麦粉選びの相談にも乗ってくれたし、ガレットとクレープはもとよりブルターニュ料理のつくりかたまで教え、開店前には夫妻で日本を訪れ指導してくれた。店の名をTi Rolandeとしたのは、彼女への感謝のしるしなのだ。だから、店の中にはTi Josとそこで仕事をする彼女のモノクロの写真がたくさんある。先日は、日本旅行にきたTi Josの常連がわざわざ訪ねてくれた。...</description>
<dc:subject>Eat</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-08-01T05:05:42+09:00</dc:date>
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<title>二酸化炭素温暖化説の崩壊</title>
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<description>『二酸化炭素温暖化説の崩壊』／広瀬隆／集英社新書 　地球温暖化が二酸化炭素によって引き起こされているということは、いまやほとんど疑う余地のない人類共通の認識のようなものになっている。だからといって、二酸化炭素の排出が少ない原子力発電は環境にやさしいクリーンエネルギーなんだと電力会社にいわれると、どこかおかしいんじゃないかと思わずにいられない。 　かつてマイクル・クライトンが小説「恐怖の存在」で二酸化炭素による地球温暖化説を批判し、NHKの長時間インタビューでこの本のことを語っているのを見た。二酸化炭素を減らすことに集中するあまり本来するべき対策を怠ることになるのは危険だと主張していた。以前にこのブログでも、そのことを「不都合な真実」と「恐怖の存在」というタイトルでエントリーしたことがある。 　ぼくはどちらの説も一方だけを信じる気にはなれないが、その後マイクル・クライトンが世を去り、鳩山由紀夫やオバマまでいずれも原子力発電の推進を温暖化対策の重要な柱にすると言い出すようになると、さすがに心配になった。余談だが、前後関係を調べているうちに、マイクル・クライトンが死んだ2008年11月4日はオバマの大統領選挙勝利が決まった日だということを知った。...</description>
<dc:subject>Books</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-07-27T23:18:08+09:00</dc:date>
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<title>岩城里江子 求道会館ライブ</title>
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<description>Click to PopuP スノードーム 　7月18日、本郷の求道会館に行った。 「レコ発ライブ」って、なんだろう？とはじめにチラシを見たときには思ったのだが、岩城里江子さんのレコード（CD）発売記念ライブなのだ。 　この日、ぼくは夜に新潟に行かなければならないので、しごとの切れのいいところで出ようなんて思っていたら気づいたときにはもうあと20分で開演という時間だ。あわてて南北線の地下鉄に跳び乗って「東大前」で下車、Googleマップを開いたiPhoneを片手に走っていくと、木造三階建ての下宿屋・本郷館がまだあった。解体されるといわれて見に来てからずいぶん経つのに、まだ生き延びたのかと安堵するが、「私有地 立入禁止」と書かれている。見学者が多くて迷惑しているのだろう。求道会館はその一軒おいた隣だ。 　玄関前にふたり、若者がいた。「はじまりました」と言ってくれる。一曲目が終わったらはいりますというのに、大丈夫ですとドアを開けてくれた。正面の中央にアコーディオンを抱えた里江さんが、満員の聴き手を前に演奏している。背後には、阿弥陀像だろう仏像が六角形をなす祭壇の中央にある。建物を一度見に来たことがあるのに、なんだか不思議な気がした。あとになって考えると寺院では僧が祭壇に向かってお経をあげるのに、里江さんは阿弥陀様にお尻を向けて人間たちに笑顔を見せているからだったのだろう。 　二曲目との間に、ふたりの娘たちといっしょにベンチにすべりこんだ。キリスト教会のような建物だが浄土真宗の建物なのだ。求道などと、肩に力の入った名称の会場で彼女がライブを開くことになった経緯をぼくはまだ聞いていないが、演奏を聴いているうちに、ここがふさわしいことだったと感じはじめた。僧が仏よりもひとびとに向かって語ること、僧でないひとも人々にむかって語りかけることとこそ、創設者がここをキリスト教会のような場所にした意図なのだろうと感じたからだ。...</description>
<dc:subject>Music</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-07-22T23:35:56+09:00</dc:date>
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<title>「芸能的な由緒正しさの終幕」：小沢昭一</title>
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<description>Click to PopuP 　前回のエントリーに加島裕吾さんが長いコメントをくださった。小沢昭一の談話として朝日新聞に掲載された記事について触れ、記事を紹介したサイトのリンクも付け加えてくださった。じつは、はじめぼくは池澤夏樹と馳星周のエッセイとともに小沢昭一の記事を加えた三つのことを書こうと思ったが長くなりそうだから別の機会にエントリーすることにしたのだった。じつをいえば、前のふたりよりも、小沢昭一の発言の方がぼくも好みだ。 　加島さんの小学生時代、父上が大学の先生として松本にいらした。そのとき、芸者置屋の二階を借りて住んでいらしたので、裕吾さんは美しいお姐さんたちにかわいがられて育つという、すてきな（あるいは教育上よろしくない）少年時代を送った。孟子と老子はかくも違うというべきだろうか。だから、裕吾さんは小沢昭一の話に共感できるとおっしゃる。 　小沢は、子供の頃、あまり強くはないけれど美男で人気の力士が贔屓だったので、千秋楽の打ち上げにつれていってもらったことがあった。そこで、後援会長である名古屋の遊郭の大店の女将のことばを聞く。 「関取、大髻を崩して勝つより、負けてもいいから様子よくやっておくれ」 それをきいて、なるほど相撲の世界には別の価値観があるのだと子供ごころに思ったというんだから、ませたガキだ。 「芸能的な由緒正しさの終幕」：2010年7月7日 　相撲は芸能であり、彼らは常人とははなれた異界をつくってきた。そういう世界があるほうが面白いじゃないか、しかし、この様子ではそれももう終わりだなあというのが小沢昭一のつぶやきならぬ嘆きだ。ちなみに、だいぶ前のことだが、丸谷才一も相撲は芸能だと山崎正和との対談で言っている。「半日の客 一夜の友」...</description>
<dc:subject>HISTORY</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-07-17T00:33:53+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000673.html">
<title>菅直人への期待と岡田武史への批判：池澤夏樹と馳星周</title>
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<description>click to PopuP 　今朝、というよりも昨日の夜中に、ワールドカップの三位決定戦がおこなわれた。監督の掲げた目標が達成されたら日本がやっていたところだが、ドイツとウルグアイの試合のテレビ放映はどこもやらない。それよりも、今日は参議院選挙の投票日だ。 　先日、ふたりの小説家がそれぞれ一人ずつの人物について書いたエッセイが朝日新聞に掲載されていた。いずれも興味深いだけではなく、ぼくの思うところを書いてくれているのがありがたい。またしても駆け込みだが、投票前にエントリーしておきたい。 　小説家は池澤夏樹と馳星周、それぞれ菅直人と岡田武史について書いたもので、前者は消費税10％を口にしてからマスコミがことごとく批判的になった菅直人について肯定的な側面を評価している。後者は、マスコミがこぞってヒーロー扱いしている岡田武史に批判的だ。 ・・・写真をクリックすれば、全文を読むことができます。 　どの新聞も多数と同じ立場に立つのであれば、マスコミというのは、群集心理をそのまま活字にする装置に過ぎない。ここにあげた記事は少数意見だが、すこぶるまっとうな指摘をしている。紙面の一隅において、ひとつの少数意見をもないがしろにはしないことを表明するためのものにすぎないのではなく、まっとうな考えをもつ人もマスコミにいるし、ひとりひとりのなかにまっとうな見方も潜んでいるのだと希望をもちたい。...</description>
<dc:subject>ひと</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-07-11T07:11:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000672.html">
<title>真夜中の冒険者</title>
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<description>Click to PopuP「真夜中の冒険」 　花を手に入れると、ていねいに形を整えて、薄紙にはさんで厚い図鑑や電話帳のあいだにいれる。 それをいくつも重ねてさらに石やレンガや鉄板だの重いものを総動員して数週間。 葉っぱ、花のまんま、花びら、大きいやつ小さいやつ、雌しべ・雄しべ、ツルの先端・・・みんな二次元になっている。 それらを見ているうちに、なにかの生き物や家や楽器に、あるいは大木に森に見えてくるらしい。 どの箱に何があるかを憶えていて、数年前に作ったやつも取り出してキャスティングをする。 物語が始まる・・・深い夜には、彼らが動き出す。 　真夜中に活動する人である。　おおかた起床は午後、就寝のときは、たいてい日が昇ろうとしている。 若い頃には、夜中に自分のやりたいことをしながら、朝にはちゃんと起きて家事を完璧にこなしていた。関白亭主に文句は言われたくないと思っていたのだろう。 　入念なひとである。　起きたあとに、毎日毎朝、自己流の体操を1時間ちかく欠かすことがない。入浴したときにも30分ほど、また別の体操をしているらしい。とにかく丁寧に身体を整える。若い頃に大けがをして長生きはできないと医者に言われたことがあるから、自分のことは自分で護ろうと心に堅く決めているのだ。 　地震が、たいそうこわい人である。　ゆらゆらと揺れ始めただけで表情が引きつる。地震がおさまると「どうも揺れる気がした。やっぱり来た」という。まわりの人間は、いつものことと笑いをかみ殺すが、空襲で防空壕の梁の下敷きになったことがあるのだ。 そのときに、腕の中で幼い子を亡くした。 　愛情の深い人である。　鉢植えの植物は、葉っぱの一枚一枚を拭いてやる。気孔が埃でつまらないようにと。 皮膚病で毛がすべて抜けて裸になったハムスターを、夜通しマッサージしてやった。 にもかかわらず、生の花をみるとすぐに花を取って押したくなってしまう。 水族館の魚から刺身を思い浮かべるやつのようだが、ドライフラワーをつくるときには、花びらを一枚一枚はずして、接着剤で花のかたちをととのえる。 　写真の「真夜中の冒険」は、おそらく二枚のアイビーの葉を見て想像が果てしなく拡がったのだろう。 大きな包容力と笑顔をたたえた生き物は、胸に時計を埋め込んでいる。こいつの時計になら喜んでしたがおうという気分になりそうだ。...</description>
<dc:subject>Design</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-06-26T22:00:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000668.html">
<title>Mさんの門：テイカカズラの花とタネ</title>
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<description>　うちの玄関前の鉢植えの植物をいじっていると「おはよう！」という声がする。 振りかえると、いつも笑みをたやさないひとが手を挙げている。 彼は、背をまっすぐに伸ばして軽やかにあるく人でもあるから、会ったあとにはしばらくぼくもいい姿勢になる。 彼はDPEのあたらしい袋を持っていた。 「フィルムのカメラなんですか」 「そう、あたらしいのはダメなんだ。 川の擁壁の工事が面白くて、このごろ毎日、写真を撮りにいくから現場のおじさんたちもなかよしになっちゃった」と写真を見せてくれた。 それが昨年のことだ。近くの川の流量を増やすために、川底を1mほど深くする工事を始めて2年ほど経っていた。 たいていの人は音がうるさいの振動するのと言うけれど、工事を見ているのが面白いと思うひとは少ない。 　Mさんのすまいは、坂をすこしのぼったところにある、大谷石の擁壁に支えられた角地。 板張りの壁に瓦屋根という古い家の玄関前には、簡素な屋根をのせた門がある。 そこに蔓性の植物が巻きついていて、初夏には白い花が柑橘系の甘い香りをあたりに漂わせるので ぼくはその名をたずねたことがあった。 「テイカカズラっていうんだよ」 「藤原定家ですか？」 「そう、定家みたいにしつこく墓石にまとわりついたりするから」 おおかた想いを寄せた女のひとの墓だろうが、定家がどんな風にしつこかったのかをぼくは知らなかったけれど そのときはゆっくり話をしている暇がなく今もってたずねそびれたままでいた。 けれども、そんなふうに言われれば二度と忘れない。　 あるとき、Mさんは門を作り直した。 切妻の屋根は、竹を組んで藤棚のような形式にしたので下から見上げてもテイカカヅラが見えるようになった。...</description>
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<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-06-02T09:51:59+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000669.html">
<title>「想像の共同体」とiPad</title>
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<description>「想像の共同体 」/ベネディクト・アンダーソン 著/ 白石隆 白石さや訳/ 　ぼくは自分ではまだiPodを買っていないし、TVや印刷メディアで取り上げたものもあまり見ても読んでもいない。日本での発売前に、打ち合わせでお会いした人のものを触わったことがあるだけだ。秋山さんと五十嵐さんのiPodについてのさまざまなエントリーを読みながら、世間のメディアがiPadを本を読む道具としてばかり取り上げているのは、彼らはiPadがこわくて仕方ないからなんだろうと思いながら、ちょうどいま読んでいる途中の「想像の共同体」のことを思い浮かべ日本語について思った。 「想像の共同体」は、以前にエントリーした「日本語が亡びるとき」の議論で主要な拠り所としている本だ。そのときに、ざっと目を通したり拾い読みしたりしたままだったのだが、いまごろになって読みたくなった。 　「想像の共同体」の軸をなす論理は、国民国家という形式が作られてゆくにあたって「出版語」というものの存在がきわめて重要であったということだ。ここでは共同体とは国家のことを意味している。かつてはアジアであれヨーロッパであれ、地方によってさまざまな言語が使われていたが、印刷という技術と出版という事業が広まることで共通言語が確立してゆき、それによって国民国家という概念が作られていったのだとしている。反グローバリズムとしてのナショナリズム評価に取り上げられているようだ。 　そうした立場から見ると、iPadは出版というビジネスの形式にとっては脅威にもなり変える力にもなるだろうが、同時に日本語が滅びようとする流れを変えるかもしれないとぼくは思いはじめた。...</description>
<dc:subject>Books</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-05-30T07:25:34+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000666.html">
<title>MacBookの入院・iPhoneの災難</title>
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<description>Click to PopuP 　ずいぶん長いあいだエントリーできなかったが、またしてもぼくのApple家族に試練が訪れたからなのです。４月の半ばをすぎたころにMacBookが入院、そのあいだにiPhoneが水没した。 5月12日にMacBookの修理が終わったと携帯を鳴らしたので、閉店間際の秋葉原ヨドバシに飛び込んだ。ぼくの身体と、その一部をなす脳がふかくMacと結びついているらしいことを思い知らされた。MacBookの不在中、iMacは元気でいるというのに、なかなかエントリーしようという気になれないのだ。 　昨年秋にメーカー保証の１年＋アップルケアの２年＝合計３年の月日が終わってしまい、２年間残されていたヨドバシカメラの販売店補償「ゴールドポイントワランティ」で修理をした。これが無償で修理のできる最後だった。その顛末については以前に「MacBookの帰還：８回目の入院から」としてエントリーしたのだが、このひと月ほど前からときどきMacBookが立ち上がらなくなった。黒い画面になって、数秒間起動ボタンを押し続けて再起動させるべしという旨のメッセージが現れるのだ。徐々にその頻度が増して、ついには何度やっても開かない状態になった。 　最後の修理報告書を引っ張り出してみると、この修理と同じ箇所が故障した場合は「90日以内」は無償で修理すると書かれている。日付をみれば、まだ10日ほど残っているではないか。店に持って行くと、まず点検して有償修理になるようなら電話をくれるという。有償なら、かなりの費用がかかるにちがいない。iPadが買えるほどの費用はかかるだろうなあ。その場合は・・・・などと、心配のような楽しみのような気分だった。 　しかし、考えるにも図面を描くのにも、そして文章を書くのにも頭の回転が思うに任せない。MacとりわけMacBookがぼくの身体と脳と一体化していて、いかに人間の身体と脳の行動範囲を広げてくれているのかが骨身にしみた。アップルストアに修理に持って行くと、たいていは「4~5日かかります」と言うのだが実際には2~3日で修理が終わたと電話が来るのだが、販売店の修理になったらひと月以上かかったので、かえってAppleCareの意味を実感した。 マザーボードの交換だから、前回と同じだったので無償であった。 だが、ハードディスクは初期化されていた。 だから、いまはまだ回復途上にある。 その、MacBook入院中に、ぼくがiPhoneを事故に遭わせた。...</description>
<dc:subject>Mac&amp;iPhone</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-05-17T01:11:13+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000663.html">
<title>VevtorworksではじめるCAD</title>
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<description>VectorworksではじめるCAD 2010/2009/2008対応 /五十嵐 進 著/ソーテック社/3,800円 　宅配便で本が届けられた。さっそく開いてみると長年愛用しているVevtorworksのマニュアル本の新バージョン「VevtorworksではじめるCAD」だった。いうまでもなく著者は五十嵐進さんだ。すでに、この本のことは五十嵐さん自身によるMADCONNECTIONのエントリーを読んで知っていた。 　その後、愛用のMacBookがふたたび変調をきたして連休中に入院することになった。おかげで外に出るときも自宅にいるときも隣にいたMacがいない。iPhoneでは物足りない。喪失感とはこういうことかと絶えず感じる羽目になった。 　言いかえれば、それほどにMacが肉体化しているわけで、それはぼくの身体（手と脳）の能力を延長したものとして感じられるように、Macができているからなのだ。Vectorworksは、もともとMac用につくられたアプリケーションだったから、Macそのものと同じように、いまではぼくの身体の一部となってしまった。 　しかし、初心者だった頃には、分からないことがあると五十嵐さんに電話をかけて質問して迷惑をかけたが、そのうち、Vectorworksについて質問の電話をかけることがなくなった。ひとつには、ぼくの上達したせいでもあるが、もうひとつには、彼の書いたマニュアル本ができたので、それに相談すればすむようになったからだ。もしかすると、うるさい電話から解放されようという思いがこの本を書かせる力になったのかもしれない。...</description>
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<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
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<item rdf:about="http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000665.html">
<title>浪曲の夕べ：伊丹秀敏師匠の三味線で浪曲を聴く</title>
<link>http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000665.html</link>
<description>Click to PopuP 　よかった。ああ、たのしかった。演奏についてであるのはいうまでもないけれど、盛況になったこともうれしかった。 ぼくたちはすでに ほんの数十秒とはいえ演奏を耳にしていたからなおさらに待ち遠しく楽しみでならなかったけれど、それをなしにひとが集まってくださるかどうか気になった。ところが、十畳ひとつと八畳間ふたつをつなげて舞台をしつらえ椅子と座椅子が並べられた会場は満員になった。ぼくは３時間も前に松戸に着いていたのにちょっと外に出て戻ってきたら、おおかたの席はうずまっていて、一番前の２列だけに遠慮が座っているようだった。もうしわけないけれど、ぼくたちは前から２列目の座椅子にありがたく腰をおろすことにした。 　なにをかくそう、ぼくは浪曲を生で聴くのは初めてのことだったから浪曲三味線の解説がいちいち興味深く、好奇心が膨らんだところにすぐその場で音になるとあってはおもしろくてしかたない。これが花魁道中、こういうのが勇ましい場面だという説明のあとに鋭い眼差しでまっすぐに背を伸ばした秀敏師匠のはりつめた撥さばきが糸をはじく。三味線は太鼓に糸を張ったような珍しい楽器なんだそうだと言われて目を転じればなるほど四角い太鼓に棹をつけて糸を張ったものにちがいない。 　浪曲の三味線は背景を描き出し、かけ声が場面を転換させる。「三囲(みめぐり）稲荷の由来」では浪曲の伝統に則って、この日の主役である曲師はかげに隠れて富士路子さんがうたい語るのだ。障子のかげで糸をはじく演奏者が見えないから、音楽によって情景を表現する力がかえって増すのだ。目をつぶって聴いていると即興演奏なのだとは信じがたいほどだが、姿勢を崩さず表情も変えず情と風景を描き出す様子が目に浮かぶ。...</description>
<dc:subject>Music</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-04-27T23:56:51+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000664.html">
<title>新島さんから送られたメール</title>
<link>http://myplace.mond.jp/myplace/archives/000664.html</link>
<description> Click to PopuP 　一昨日の夜中、新島さんからメールをいただいた。ぼくは昨日の朝になって開いたのだが、3月22日の毎日新聞の記事と、浪曲の歴史について書かれた本からスキャンされた伊丹秀敏の師匠伊丹秀子の写真、同じ本に掲載されていた浪曲師の一派である桃中軒派の師弟関係の系図だった。新聞の記事は、浪曲の曲師・沢村豊子のDVDがつくられたという興味深い内容だ。 　新島さんのブログは「ACROSS THE STREET SOUDS」というタイトルに独特の語り口の文章で複雑に屈折させたサイトだ。先日のアイリッシュミュージックのライブでお会いしたときに浪曲三味線の会がひらかれることをお教えしたのだった。以前にも、石上がCDに焼いてくれた小唄のCDのことを話したら、とても興味をお持ちになったのでお貸ししたことがあったので、浪曲の三味線にも興味があるだろうと思ったのだ。 ちょうど浪曲三味線の会が開かれようという日の二日前に、この記事が掲載されたということにおどろいた。席亭宇の稲葉さんと桜井さんにも、さっそくメールを転送した。...</description>
<dc:subject>Music</dc:subject>
<dc:creator>玉井一匡</dc:creator>
<dc:date>2010-04-24T09:00:09+09:00</dc:date>
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